15 三ノ宮冬馬の真意
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放課後、龍之介の言葉を考えながら廊下を歩いていた時だった。スーツ姿の南方が海を見つけて手招きした。
「日野森さん、ちょうどよかった。君も見ていくといい」
「何をですか?」
「Dクラスの合同集会だよ」
南方はちょいちょいと放送室の扉を指さしていた。
招かれるままに中に入ると、大きなガラス窓があり、そこからは大講堂が後ろから見える。
講堂の前方には舞台があり、そして階段状に座席シートが並んでいて、コンサート会場のような造りだ。そして舞台にはマイクとカメラが設置されており、放送室には会話と様子が筒抜けだった。
「直接見ないんですか?」
「あくまでDクラスの問題だからね。僕はここで静観するつもりだよ」
「なるほど」
放送室は校内だけでなく、大講堂の音響も管理している。直接でもモニターからでも状況を確認出来、普段は演劇部などが使用しており、集会を覗き見るには最適な場所だった。
大講堂にはDクラス三学年全員集まっており、他クラスの海が見ていていいものかと思ったが、南方が招いてくれたので遠慮無く見ていた。そもそも海の本分は情報収集なのだ。これはまたとない機会だった。
放送室に三ノ宮の声が聞こえてきた。
「お前ら腹に一物あるみたいだな」
三ノ宮は舞台に胡座をかいて座っていた。その凄みのある声に、集まっている生徒達は若干ビビりながらも、何人かの生徒が立って三ノ宮の前に立った。
「俺達は、あなたに下克上しても構わないと思っています」
「ほぉ」
モニターで確認すると、ランクはシルバーだった。
「やっぱいきなり行くねぇシルバーは」
(どうしてこんな楽しそうに見てるんだこの人は)
ニヤニヤ笑う南方に海は衝撃を受けていた。
生徒達の主張は続く。
「三ノ宮様、何故戻って来られたのですか?私達はあなたが戻って来られたことに最初は喜びました。だって私達は一度、あなたがゴールドとして努力されていた姿を見たことがあったから」
確かに三ノ宮は二年前Dクラスのゴールドだった。つまり今の三年は、一年の時のゴールドが三ノ宮だったわけだ。
「今年のDクラスからはゴールドが選出されないと知って絶望していたのを、三ノ宮様が救ってくれたと思っていました。なのに、あなたは何もしようとしない。ゴールドとしてDクラスをまとめようとも、エーレを獲得する為に何かしようとも。ただの傍観者だった。一体なんの為に戻って来られたのですか?」
それをきっかけに他の生徒も不平不満を口にした。
「下級生はあなたが居るからゴールドは選出されないと思っている」
「三ノ宮様はすでにエーレを手にした世代だから、ゴールドの地位に居るのは退屈しのぎなのではないですか」
「そもそも今回テストを盗んだ学生は、三ノ宮様が何もしないから仕方無くこんな暴挙に出たと言っています」
最後の言葉は聞き捨てならなかった。それは海と南方だけでなく、三ノ宮も同じだったようだ。
「おい待てコラ。お前らまさか、テスト問題を盗んだことを正当化する気か?」
「そういうわけじゃありません。ただ三ノ宮様にも一因があるということで───」
「ふざけんなっ!!!」
三ノ宮の一喝した声が講堂にも放送室にも響いた。
「お前ら、ここが学校法人だからってタカくくってんじゃねぇぞ。盗みっていうのはな、立派な犯罪なんだよ。どんな理由があっても、やっちゃなんねぇことぐらいの区別はつけろ!・・・・・・ったく、ここは幼稚園じゃねぇんだよ、こんなこと言わせんな」
三ノ宮は大きなため息をついた。
「Dクラスも落ちぶれたもんだな。昔っから月とスッポンで言えば、スッポンより酷いミドリガメみたいなクラスだったが」
(自虐過ぎる・・・・・・)
よくDクラス当人達の前で言えたな。当然みんな複雑な顔をしていた。
「だがな、俺は知っている。エーレを取ったあの時の栄誉と興奮を」
今日、三ノ宮の胸にはエーレの小さなバッチが、大きな輝きを放っていた。
「Dクラスが最後にエーレを手にしたのは四年前。その前は十年間エーレを取れず、そのまた前はそれ以上だった。あの時クラスの誰もが泣いていたのを覚えている」
つまり三ノ宮は一学年の時にエーレを手に入れていたのだ。
「そして俺は初めてゴールドになった時、後輩に同じ感動を味あわせてやりたいと思った。俺は必死に努力し、クラスの成績を上げ、規律を正し、校外活動も行った。でも結果は実らなかった。だからきっと俺じゃ力不足だったんだと、その時は潔く引退した」
そう言った三ノ宮を、南方はガラス越しに見て、困ったように笑っており、その目は少し悲しげだった。
「あれは冬馬のせいじゃないんだよ。あの時は精一杯頑張ったし、どうにもならないことだった」
「はい、分かっています」
海は静かに肯定した。必死の努力が実らない。そういうこともある。二人は舞台の方に視線を戻した。
「そして俺が卒業した年から二年連続でBクラスはエーレを手にした。連続でエーレは取らないという暗黙のルールを破って」
それは海も知っていた。エーレは三年に一度でも手に出来たら有効だ。だから二年連続では狙わない。しかしそれはあくまでも不文法のようなもので、それを明確に規制する校則は勿論無い。
「Bクラスは間違っていない。計略でエーレを搾取することも、この学院では正しい行為だ。勝った奴が正しい。Bクラスはきっと今年もエーレを狙う。ただ今年のDクラスはゴールドの選出がなされなかった。それは適正者が居ないからだ。家の資産じゃない、資質の問題だ。俺に下克上をしても学院は認めないし、辞任してもゴールドは選ばれない」
それはあまりにも厳しい宣告だった。下克上とはゴールドの交代を学院に申し出ることだ。クラスの過半数の賛成を得れば学院の会議にかけられる。
しかし最終的にゴールドを決めるのは学院だ。つまり三ノ宮をゴールドから外したところで、エーレを得る機会すら無くなってしまうだけということになる。
「俺が今ゴールドをやっているのは、学院の決定が俺個人の道義に反すると思ったからだ。だから理事長に特例をとして、学院高等部に籍を持たない人間がゴールドの資格と権利を持ち、エーレを手にする権利をもぎ取った」
生徒達は静かに聞いていた。三ノ宮の言葉に嘘偽りは無い。それは誰もが理解出来た。しかし疑問はいくつか残る。
ここで誰か女子生徒が手を挙げて質問した。
「じゃあどうして、Dクラスにはゴールドの適性者が居ないんですか」
「今はな。しかしこれからも永遠に居ない訳じゃない。ただお前達が自分勝手なだけだ」
三ノ宮は順繰りに生徒達を指さした。
「ゴールドに必要なのは仲間だ。何かを成すには仲間が居る。それは友情ではなく、縁故や伝手、協力者という意味だ。今のDクラスはどうだ?個々バラバラで自己中心的。協調性のカケラも無い」
その言葉が気に入らなかったのか、誰かが加えて質問をした。
「じゃあどうして三ノ宮様にはノーランクが付いていないんですか!三ノ宮様に協調性が無いからじゃないですか?」
挑発するような言葉だった。しかしこれにブチ切れたのは南方だった。今にも殴り込みに行きそうな勢いの南方を慌てて海が引き留める。
「待って下さい南方さん!これはDクラスで解決しないと!」
振り返った南方の目に海は思わず息を呑む。
「日野森さん、僕は冬馬をバカにされて黙っていられる人間じゃないんだ」
温厚だったさっきまでとは一変、その目の鋭さに海は足がすくんだ。
「南方さん・・・・・・」
(静観するって言ったのはあなたなんですよ・・・・・・)
怖過ぎて言えなかった。
不意に誰かの声が響いた。それは聞き慣れた関西弁だった。
「───そんなん当たり前やろ!」
南方は顔を確認するのにモニターを見た。そして一年生のネクタイと関西弁でピンと来たようだ。
「もしかして彼が稲葉龍之介?」
「あ、そうです!龍之介です!」
どうにか気が逸れたようなのでホッとした。龍之介このまま頑張ってくれ。
龍之介は立ち上がって周りを見渡した。
「失礼ですが、先輩方は本当にエーレを手に入れるつもりあるんですか?」
「なんだと!」
「一年が偉そうに!」
龍之介は目を見開いて声を張った。
「エーレを手に入れたいのは今の世代であって、代理してくれている三ノ宮冬馬じゃないんです」
これには三ノ宮も瞠目した。
「エーレには明確に見える基準は無い。だからこそゴールドに引っ張ってもらおうという気持ちは分かります。でも、ゴールドが居ないからと他クラスを妬んで、文句を言いつつも最終的には冬馬さんに責任や期待を全て押し付けている。本当に欲しいのはエーレなのか頼もしいリーダーなのか、どっちなんですか!?」
誰も言い返すことが出来なかった。それは事実だった。皆して三ノ宮に責任を押し付けるが、それでは後退はしても前進は無い。
「誰もが体裁ばかりにこだわって、本来の目的を見失ってるんです。誰もがエーレに見合う人間になろうとすれば、ゴールドが誰であれエーレは手に出来るはずです」
皆龍之介に視線が集まっていたので、三ノ宮が微かに笑っていたのを見たのは海と南方だけだったかもしれない。
「聞いてくれ。俺は思ったんだ。俺一人の力が足りないから、ゴールドになってもエーレは取れなかったんだと。なら、今度も同じ方法ではダメだと気付いた。一人一人が力を合わせないといけない」
三ノ宮は立ち上がった。
「でもそれは部外者の俺が言うことじゃなかった。自分達で気付かなくてはならない。テストの件、学院ではなく俺が処罰したのは、他クラスから受け身だと舐められない為だ。すでにエーレを手に入れた驕りじゃない。それをここで示そう」
三ノ宮はエーレのバッチを外して、床に落とし勢いよく踵で踏み潰した。それはもう粉々に。
「三ノ宮様ァァァ!?!?!?」
ガラスにへばりついて悲鳴を上げたのは海だった。こちらの声は向こうには聞こえないのでよかった・・・・・・ではない!
(え、何?ナニナニ今何したのあの人!!!)
エーレのバッチが交付されるのは一度きり。無くしてしまっても再交付は決してされない。さらに授与年度と名前入りなので貸借することも出来ない。
誰もが目を見開き、驚き、絶句した。
「ほんとにやりやがった」
うっすら笑いながらこんなことを言えたのは南方くらいだ。
「これは俺の覚悟だ。いいか、これからこのDクラスで規律や規範意識を損なうことは許さない。二度と盗みなんてふざけた真似をするんじゃない。Dクラスである誇りと、礼節を持って生きろ。以上だ」
そうして三ノ宮は堂々と舞台を降りたのだった。
***
集会が終わって、海と南方はカフェカナールに移動した。なんでも南方は元々海に話したいことがあるらしく、わざわざ予約して個室を確保してくれていた。
海は今日は控え目にアイスカフェオレだけ頼んで、南方の話に耳を傾けていた。
「ゴールド候補の生徒はね、各クラスに満遍なく配置されるわけではないんだよ」
「え?」
「つまり、Dクラスはわざとゴールドを外されたんだ」
南方の声は静かで、しかし内容はあまりに残酷なものだった。
「どうして」
「他クラスの反面教師に使う為だよ」
つまりDクラスは他クラスの為の悪いお手本として用意されたクラスだったのだ。確かにDクラスには比較的問題のある生徒や、協調性の無い生徒が目立つ。クラスの成績不振もそれが原因だ。
「ひどい」
「でもそれが一番手っ取り早く向上心を育てる方法なんだ」
あのクラスよりはマシ、あのクラスじゃなくてよかった。生徒達は皆そう考えるのだろう。
『そういうクラスなんだ』
朝陽の言っていた意味がようやく分かった。
しかし南方は笑っていた。
「人工的に造られた負け犬。でもね、成功したらDクラスが一番実力が跳ね上がるんだよ」
南方は自分のアイスレモンティーをストローでかき混ぜた。グラスの中のレモンが氷と共に回ることで紅茶の色が若干薄まった。
「誰かが言っていたね、冬馬は傍観者だって。でも本当に傍観者なのはDクラスの人間自身なんだ。自分達の不遇に嘆いて歩みを止めてしまう。だからと言って、誰も立ち止まっても振り向いてはくれないんだ。止まっても置いていかれるだけ。どんなに辛くても前に進むしかない。それに気付くのは本当に何世代かだけなんだ」
「もしかしてその世代が、Dクラスでエーレを取った世代ですか?」
南方は頷いた。
「そう。だからこれは僕の推測なんだけど、本当はDクラスは一番優秀なクラスに育てる為に、学院はあえて困難な状況に置いているんじゃないかな」
三ノ宮も南方も一度エーレを手にしている。だから知っていたのだ、Dクラスの本当の意味を。
「でも今年はやり過ぎだった。ゴールドが居なければエーレも何も無い。・・・・・・冬馬はすでにエーレを持って卒業したけど、どうしても見捨てられずに、振り返って、そして後輩の為に憤った。その冬馬の優しさを、学長は気まぐれで汲んでくれたんだ」
「気まぐれ?」
南方は口の端を吊り上げて笑った。
「不平等こそ、この学院の真骨頂。勝者こそ正義。平等とは程遠い。それは学長の気質そのものだ。でも冬馬もちょっと普通じゃないからね。それが功を奏したのか、とにかく本当に運が良かった。・・・・・・ただゴールドに戻る条件に、Dクラスの主体性を芽生えさせることが追加された」
海は目を見張った。
「かなり難しいですよね」
自主性は為すべきことが与えられている状況で、自発的にそれを行うこと。主体性はそもそも為すべきことを自分で探して行うことだ。つまり何も決まっていない状況から、自分で抜け出す力を芽生えさせろと言われたのだ。
「あの腹黒学長にしては優しい課題だと思うけどね」
海はカフェオレのグラスに触れた。
「だから三ノ宮様は何もしなかったんですね」
少しストローでカフェオレを口に含む。
「まあ主体性を芽生えさせるなんて本当に難しいからね。まずは自分達で考えて貰おうと思ってたみたい」
「もしかしたら今回の集会は、その第一歩になったんじゃないですか?」
「うん、僕も冬馬とそう言ってた。自発的にゴールドに発言出来る場ができた。特に龍之介くんの働きが良かったね」
「はい」
龍之介のお陰で皆自分を顧みる人間も多かっただろう。何より反抗の的であった三ノ宮の発言ではないところが、生徒達に響いた理由だ。
ふとそこへ制服を着替えて私服の三ノ宮が現れた。
「よォ」
海は三ノ宮を見るなり席を立ち上がった。
「三ノ宮様!エーレのバッチ踏み潰すなんて!何してんですか!」
「なんでお前が怒るんだよ。俺は別にバッチが欲しかった訳じゃねぇから良いんだよ。俺のエーレは心の中にある」
三ノ宮がそう言うなら海はもう何も言うことが出来なかった。三ノ宮は南方の隣に座った。しばらくして注文したアイスストレートティーが届くと、南方は本題を切り出した。
「実は日野森さんには伝えておきたいことがあって呼び止めたんだ」
「なんでしょう?」
「今回テストを盗んだ生徒、実は協力者が居たらしい。そいつはDMでDクラス三年のシルバーを装っていたんだ」
「装っていたってことは・・・・・・」
「勿論うちのクラスのシルバーじゃない」
それは三ノ宮がキッパリと否定した。
「名前は同姓同名だったから、勘違いしたんだ。テストを盗んだ二年に聞くと、最初はメッセージを送り合ったり、悩み相談の出来る仲の良い先輩だと思ってたらしい。そしてある時エーレを手にした俺達の世代を話のネタに、テスト問題の盗難を画策し、指示した」
「つまり、乗せられたってことですか?」
「そうだ。俺はこれを他クラスによる犯行だと睨んでいる」
「ちなみに、そのメッセージを送ってきた人間はすでにアカウントを削除していて、専門家に調べて貰ったけど海外のサーバーを経由していて足取りは掴めなかった」
ふと海は何故自分にこの話をしているのか気になった。
「どうしてAクラスの私にそれを?」
もしかして疑われているのはAクラスで、カマをかけられているのかと疑ってしまったが、そうではなかった。
「お前はそんなことをしないって分かってるからだよ。だから気を付けろって意味だ」
その言葉で自分が恥ずかしくなった。最近人を疑い過ぎている。いつの間にかノーランクが染み付いてしまっていた。
「ありがとうございます。覚えておきます」
海は深々と頭を下げた。
(そういえば、この前伊織様も気を付けろって言ってたかな)
きっとこの件にはまだ何かある、気を抜いてはいけない。そう自分に言い聞かせてカフェオレを飲み干した。




