14 Dクラスの波乱
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七月初旬。期末テストを目前に控えた時期に事件は起きた。
「Dクラスの生徒がテストの用紙を盗んだって本当?」
海は朝陽に確認した。どこのクラスもこの話題で持ち切りだ。
「ああ。職員会議中、職員室に忍び込んだらしい」
「でも職員会議中は職員室に鍵がかかってるはずでしょ?」
「どうにかして手に入れたんだろう。忍び込んでいる最中、偶然資料を取りに戻ってきた教員に見つかって事態が発覚した」
海は戸惑うばかりだった。今回はDクラスの組織的な犯行ではなく、個人的な焦りだったと生徒本人は認めている。海も三ノ宮の気質から、彼の指示ではないと感じていた。
「どうしてその生徒はこんな馬鹿なことを・・・・・・」
「多分クラス成績を上げたかったんだろうな。クラスの成績が一番エーレに影響すると言われている」
確かにDクラスは一番成績が芳しくなく、エーレから一番遠いクラスと言われている。
そしてノーランクの成績は非公開とはいえ、エーレには関係する。だからこそ律は必死で海の成績を上げようと努力している。
「そもそもエーレの基準って何?」
「成績は勿論、日頃から規律正しく行動しているか、社会貢献をしているか。そしてゴールドの資質が問われる」
「ゴールドの資質?」
朝陽は頷いて、机で手を組んだ。
「いかにしてクラスをまとめているかという、いわばカリスマ性に近い」
そんな曖昧な審査基準があるものなのか。
「どうやって優劣を決めるの」
「例えば何か起こった時の対処、とかな」
不意に朝陽の目に微かに憂いが浮かんだ。
「何かって?」
「去年の俺達で言うと爆弾事件だった」
海はギョッとした。
「でもそれって、生徒がやったんじゃ・・・・・・まさか学院が!?」
朝陽は「いや」と首を横に振る。
「そうじゃない。確実にどこかのクラスだ。学院は基本的に問題を起こしたがらない。だから事件も揉み消された」
この学院は本当に異質だ。たかが称号の為に人の命まで軽んじるのか。しかし逆を返せば、それほどエーレの社会的影響力は大きいのだ。
「特に学期末が近付くと、色々仕掛けることが多い印象だな」
「朝陽くんも何かしたの?」
「いや、俺はクラス成績だけで勝負してる。仕掛けるのはBクラスかCクラスだ」
前者の言葉にどこか安心感を覚えつつ、ふとあることが気になった。
「Dクラスは?」
「・・・・・・そもそもDクラスがエーレを獲得したのは歴代でも数えるほどだ」
海は軽く目を見張った。
「どうして?」
「そういうクラスなんだ」
意味深な言葉に海が首を傾げていると、律が数学の成績上位者補習から戻って来た。
「どうしたんだ?」
「りっちゃん、おかえり」
「ただいま」
「Dクラスの話をしてたんだ」
朝陽の言葉に「ああ」と納得する。
「テスト盗難の騒ぎか。あれはあくまでDクラスの問題だ。ひいはあまり深入りはするな」
「うん」
海はとりあえず頷いたが、どこか気にせずには居られなかった。
***
撫子棟から出て寮に帰ろうとしていた時だった。前からスーツを着て来客者名札を掲げる若い男が歩いていた。保護者にしては若過ぎる上に、寮の近くではなく授業棟の敷地を歩いているのが珍しく目を引いた。
海と男はすれ違い、そのまま通り過ぎるつもりだったが不意に声をかけられた。
「あの」
「はい?」
「もしかしてAクラスの日野森さんかな?」
「はい、そうですけど・・・・・・」
男に面識も見覚えは無い。来客者名札を掲げているので不審人物ではないと思うが、軽率に個人情報を認めなければよかったと少々反省した。
「僕は南方真治。三ノ宮冬馬の同期で、元ノーランクなんだ」
優しい笑みを浮かべた彼はそう名乗った。
「三ノ宮様のノーランク」
そういえばDクラスのゴールドは特殊でノーランクが存在しない。ふと南方は笑みを深めた。
「三ノ宮様か。久々にそう呼ばれているのを聞いたよ。うちのゴールドがお騒がせしてます」
「ハハ、いえそんな」
海はなんとも言えなかった。Dクラスが騒がれているだけに、日頃の行いのことか今起こっている騒動のことか、どっちの意味だろう。ちなみに日頃の方では大きく頷いてしまう。
海と南方はそのまま桔梗棟まで歩くことになった。
「君の話は時々聞いていたんだ」
「南方さんは学院の大学に?」
「いや、外部の大学に進学したよ。北海道で一人暮らしをしているんだ」
海は納得した。
(あのラム肉は南方さんからだったんだ)
少し前に三ノ宮が言っていた北海道の知り合いとは南方のことだったのだ。あの日のラム肉といえば、撫子棟で律によって美味しいジンギスカンに変身させられた。
「意外です。三ノ宮様のノーランクだったのに、外部受験されたんですね」
ノーランクはゴールドと主従関係にあると言っても過言ではない。通常は学院の大学に進むにしろ、外部受験するにしろ、セットで進学することが多い。
「学院はエスカレーター式だけど、大学の方にはランクもエーレも無い。だから自分のやりたいことを探しに、遠くに行くのもアリかなって。僕は冬馬のノーランクではあったけど、だからこそ一度離れた方がお互いの為だと思ったんだ」
「そうなんですね」
「まあ冬馬は学院大学に残るとは分かってたけど、まさか高校に戻るなんてね」
南方は笑っていたが、そうそう穏やかな話の出来る話題ではなかった。
「南方さん、今Dクラスは・・・・・・」
「知ってるよ。この学院は色々あるからね。このただならぬ空気、懐かしいなぁ」
懐かしむのそこなのか。南方の笑顔に若干引きつつも、流石は三ノ宮のノーランクだと恐れ入った。
「南方さんって、すごいですね」
(色々と)
「そう?でも学長と話を付けてわざわざこの学院にもう一度戻った冬馬も、相当だと思うけど」
海は目をぱちくりさせた。
「学長と直接?」
「そ。学長室に乗り込んで───」
『ゴールドを選ばないなんて横暴を突き通すなら、こっちも勝手にゴールドやらせてもらう』
「───ってね。目には目をってやつ」
「意味はちょっと違うと思いますけど、そうだったんですね」
「まあ大学生の冬馬をどういう扱いにするか、多少揉めたみたいだけど」
確かに卒業生とはいえ今は部外者だ。ゴールドに任命するにしても、学院での扱いについては意見が割れただろう。それにしてもだ。
「南方さんはどうして教えてくれるんですか?私は三ノ宮様とは他クラスなのに」
「僕はもう卒業したからね。あとノーランクのよしみ」
「ノーランクのよしみ・・・・・・」
聞き慣れない言葉に軽く違和感を覚える。ノーランクはゴールドと繋がりが深いだけに、他クラスのノーランク同士は仲が良くないことが常だ。卒業したからといってそう言えるのは南方だけではないだろうかと苦笑する。
「君はどうしてノーランクをやっているの?鷹坂グループが関係してる?」
突然核心的な話に触れられ、思わず言葉に詰まった。
「それは・・・・・・友達だからです」
本当は融資と引き換えで頼まれたが、それは言う必要のない話だった。海の答えを聞いてどう思ったのか、それ以上は深く問うてはこなかった。そして南方は、海の顔を見て何かを納得したように頷いた。
「なるほど、君は意外とこの学院に向いているんだ」
(え?)
どういう意味かと聞こうとした時、曲がり角で三ノ宮とばったり遭遇した。三ノ宮は南方を見た瞬間にキレ始めた。
「おい〜〜〜お前なんで居んだよ、大学はテスト前だろ」
「それは冬馬だって同じだろ。単位大丈夫なのか?」
(そういえばこの人一応大学生だったな)
と、海は目の前の金髪オールバックをまじまじ見詰めてしまった。
「余裕だよ。つーか俺は近所でお前は北海道だろ」
「でも、僕だって冬馬のノーランクなんだ。ゴールドのピンチには駆けつけるよ」
海はその言葉にハッとした。
「もしかしてDクラスかなりマズイ状況なんですか・・・・・・」
三ノ宮と南方は顔を見合わせ、三ノ宮は海の頭をわしゃわしゃとかき混ぜた。束ねていた髪がぐちゃぐちゃになった。でも何も言えなかった。
「なんて顔してんだよ。他クラスなら笑って高みの見物でもしてろ」
「私そんな鬼じゃないですよ・・・・・・」
どうしてこの人はいつも堂々としているのか、今はそれがとても羨ましかった。
***
次の日の昼休憩、昼食をとり終えた海はある人物を見つけて後ろから両肩を叩いた。
「りゅーうーのーすーけーくんっ!」
「どぅわぁ!なんや!またなんか厄介事持ってきたんか!」
龍之介は慌てて海と距離を取った。どうやら離婚した父親の実家で粗(Shidoの弱み)捜しさせられたことを根に持ってるらしい。祖父は久々に孫に会えて喜んだらしいが、ヤクザの総本家に代わりはなく、祖父の部屋に侵入した時は冷や汗と震えが止まらなかったという。
「いや、今日はちょっと聞きたいことがあって」
勘のいい龍之介はすぐに海の意図に気付いた。
「あーあれか。テスト盗んだんは二年生や」
龍之介は他クラスということを気にせず色々と教えてくれる。
「聞くところによると、問題用紙をスマホで撮って逃げようとしたところを見つかったらしい」
「クラス成績を上げる為に?」
「そうなんちゃう?知らんけど」
海は最後の一言にムッとした。
「知らんけどって、冷たくない?」
「それは関西人の挨拶みたいなもんや、気にすんな」
(本当かなぁ)
でも関西には色々と独特な性質があると聞いたことがあったので、ひとまず話を進めた。
「で、その生徒どうなったの?」
「停学や。冬馬さんがそう決めた」
ゴールドの特権の一つに処罰権というものがある。何か問題を起こした生徒を独断で処罰することが出来、その決定は学院の決定よりも優先される。しかし気になることがあった。
「三ノ宮様が処罰権を使ったの?放っておけば学院が処分するのにわざわざ?」
情状酌量ならまだしも、停学は学院の処分と同じ量刑だろう。それなら三ノ宮自らが処罰する必要は無い。
「そこや。だからDクラスの人間は、ゴールドは自分の存在意義を示したいだけちゃうか言うて反感を強めてるんや。まあ良くも悪くも冬馬さんは日頃なんもせんからなぁ」
こんな時だけ鬼の首を取ったように出てくるという世論があるのか、と海は複雑な心境を抱いた。確かに三ノ宮の行動はいささか違和感を覚える。
ふと龍之介は片眉を上げた。
「なんでこんなん聞くんや、なんかするんか?」
海は内心呻いた。
「一応他クラスには干渉しないっていうのがAクラスの基本観念・・・・・・なんだけど」
それ以上は言い訳がましくて何も言えなかった。けれども龍之介は嫌な顔一つしなかった。
「それが普通や。別になんか期待して聞いたんちゃうよ」
海は言葉が見つからなかった。ごめんね、と言うのもおかしい気がして話を逸らした。
「龍之介はどうしてこの学院に来たの?」
「俺はヤクザの子供やから、まあご想像の通り色々あったねん。けど中学の時離婚するって言われて、これを機に、誰も知らんとこで一回人生やり直してみよかなって。正直全寮制ならどこでもよかったんや」
突然龍之介は「でも!」と壁を悔しそうに両手で叩いた。
「今猛烈に後悔してる!なんでもっとちゃんと調べやんかったんや俺!ランクとかエーレとか知らんがなァ!」
海はギョッとする。
「え、知らなかったの!?」
「いや全寮制って検索して一番上にあったのがこの学院やってん」
そういえば検索して一番上に出るか否かで、アクセス数とその後の収益がかなり左右されると聞いたことがある。龍之介はモロにそのタイプだ。
「ゴールドには自分のクラスの生徒を管理する義務があるんやて。お陰で冬馬さんに素性は知られるわ、アンタにこき使われるわでエラいこっちゃやねん!」
(それはエラいこっちゃ)
今日はとても暑くて、ミンミンゼミが騒がしく大合唱をしていた。
「俺はエーレなんてどうでもええんや。今のところ冬馬さん意外にはヤクザ関係って知られてないし、このまま平穏な日々が続けばそれでええ。ただ、やっぱりちょっと他のクラスが羨ましいことはある。Dクラスはまとまりのないクラスで、それをまとめる者もおらんから」
「じゃあ他のクラスの方がよかったって思う?」
「・・・・・・いいや」
龍之介は首を横に降った。
「冬馬さんに文句があるんやない。あの人は確かにいつもは変わり者やけど、本質的にはゴールドの素質がある。でも俺は時々あの人が怖い」
「怖い?」
「やけに人を観察してる。何かずっと考え事して過ごしてて、だから今はあえてなんもしてないように見えるんや」
「三ノ宮様が?」
龍之介は頷いた。
「あの人のホンマにええ所は、言葉を曖昧にしやんとこなんやで」
海は龍之介の言葉が何か別の国の言葉に聞こえた。そのくらい意外だったのだ。龍之介は三ノ宮に、海には見えない何かを見ていた。それはきっと間違いではなく、龍之介だからそこ分かる三ノ宮の本質なのだと思った。




