12 Shidoとの決着
***
海はポケットから自分のスマートフォンを取り出して操作した。
「Shidoホールディングスと心々会が繋がっていることは、元々分かっていました。調べも上がっています」
紫藤にスマホの画面を見せた。そこにはある企業の一覧と、隣には倒産理由やその経緯がまとめられている。
「これ、あなたのおばあ様の会社と競合していた会社で、ここ数年の間に潰れた会社のリストです。そしてどの会社もそろって、心々会に妨害をされて廃業に追い込まれたそうです」
紫藤はそのリストを見て目を見張った。
「すごいね、そこまで調べたの。流石は鷹坂グループ」
「まだありますよ」
「まだあるの?」
「ええ。それも、物的証拠です」
これは手に入れるのにかなり苦労した。画像フォルダを開いて、かなり古い写真のスキャンデータを見せた。
「これ、誰だか分かります?」
写っているのは四十年以上前の写真だが、どこかのクラブで気前よくシャンパンボトルを開けている男と、寄り添う妖艶な超絶美女。
「うわー、すごい美人」
「見たことありますよね?だってこの方、あなたのおばあ様なんですから」
「だよね、そうだと思った」
紫藤はあっさりと肯定した。
若かりし頃の紫藤喜美は、どこか孫の紫藤伊織に似ていた。この美貌と経営手腕を駆使してShidoホールディングスを軌道に乗せ、のし上がって来た。女傑と言われる所以がそれだ。
ちなみにこの写真は龍之介が実家の祖父の部屋で漁って手に入れたものだ。強制的に行かせたが、新幹線代とおひねりを握らせるとすっ飛んで行ってくれた。
「隣の男は心々会の先代組長。これで繋がりの証明はは完璧ですね。オマケに言質まで取れてラッキーです」
「反社との繋がりはコンプライアンス的にアウトだもんね。FROセキュリティの話は囮だったのか。実は証言が取れたっていうのは半信半疑だったんだよね」
「あの時この話をすれば、きっと色々根回しをして、尻尾を隠すと思いまして。カマをかけさせて貰いました」
特に隣で聞いていた七沢桜に注意していた。七沢の親はShidoと特に関わりのある職業ではない。しかしShidoがわざわざ学費を持って、さらに紫藤が信頼しているということはそれなりに理由があると睨んでいた。
だからこうして七沢と切り離したのだ。お陰で口が緩んだ紫藤から言質を取れた。
「呼び出した理由は?そのせいで鷹坂は倒れたみたいだけど」
紫藤の言葉に海はキョトンとした。
「何を言っているんですか、倒れて運ばれた人間なんていません」
「だって救急車が」
「あれはたまたま別の誰かが倒れたんでしょう。朝陽様は最初からここに来ていません」
みるみる瞳孔が開かれ、驚きに満ちた紫藤の顔はこの上なく見物だった。
「僕を騙したんだ」
海はニッと笑ってやった。
「いつかのお返しです。私だってやられっぱなしじゃありません」
しかし海は両手を上げて喜べる状況でもなかった。
「大変でしたよ。朝陽様の代わりに待っていたらヤクザが来て応戦した後、よろけて壁にぶつかっちゃって。鼻血が止まらないし、雨風でドロドロなるし、髪ゴムまで切れちゃったんですよ!」
実はさっきまで鼻にワタを詰めていたが、カッコ悪いと思って外すとまた血が出てきた。ちなみに髪ゴムが切れた時は「不吉過ぎん?」と龍之介が余計なことを言うのでちょっと怖くなってしまったのだが、それは言わない。
「じゃあ僕が呼んだそのヤクザは?」
やっぱ呼んだのお前かよ、とキレそうになったが、引き吊った笑顔で耐えた。
「なんとか耐えましたよ。私もダテに鍛えてませんから」
人数は三人。仮にも学院に無断で忍び込ませたのだから、大人数とはいかなかったのだろう。
しかし今回はヤクザ相手なので生徒のように易々とはやられてくれなかったが、龍之介が来るまでの時間稼ぎにはなった。
「近くに龍之介を待機させていたので呼び出して、現組長の息子を見たらすっ飛んで帰りました」
「すごいなぁ、完璧に僕の弱点突いてるよ」
「何がです?」
「稲葉龍之介。Shidoの弱みの心々会との繋がり、そしてその若君。一番どうしようか困っていた生徒なんだ。だからすごいねって」
海は何か、物凄く癪に触った。すごいというのは褒め言葉なのに、とても腹立たしく、海を苛立たせた。
「っ、なんですか本当に!余裕しゃくしゃくと!こっちは寒いし痛いしドロドロだし、ちょうどいい所にハトが呑気に歩いていたから、驚かそうと思って捕まえて待ってたんですよ。驚いた顔は満点でしたけど」
「捕まえたんだ・・・・・・ハトって捕まえちゃダメなんだよ?」
「逃がしたからノーカンです」
「で、ここに呼び出したのはどうして?鷹坂は来ないんでしょ?僕乗られるならベッドの上がいいんだけど」
海はフッフッフと笑った。こめかみに青筋が浮く。
「冗談はよして下さいよ。ここにあなた一人呼び出したのは、私が個人的に、あなたに一発ヤキを入れる為ですよ。さあ、歯ぁ食いしばって下さいね」
海は手を高くあげた。次いで勢いよくその手は伊織に向かい、パァンと乾いた音と、海の手には痺れるような痛みが走った。
***
一週間が過ぎた。季節は六月。そろそろ梅雨に差し掛かっており、衣替えで制服は夏服になった。ちょうど冬服が汚れてダメになったので、夏服の間に鷹坂グループが仕立て直してくれている。
海は桔梗棟のインターホンを押した。するとスピーカーから三ノ宮冬馬の声が響いた。
「開いてる」
それだけ言うとガチャっと切られてしまった。開けたではなく、開いてる。まさかずっと開けっ放しなのかとやや心配になる。
「大丈夫なのかなぁここ」
しかし大丈夫ではないことはすでに知っていた。スマホに送られてきた見取り図(そもそも部外者に送るな)を見ながら、仕掛けられている罠をかいくぐる。
まず入口では突然壁から丸太が飛び出してくる。これを避けるように這いずり、素早くジャンプして雲梯に掴まる。このまま進むと床が抜けるからだ。そして雲梯の途中で一度停止する。そろそろ着地点で大量の水が降ってくるのだ。
そうした苦労の末に、ようやく執務室に辿り着いたのだ。
「よォ日野森。本当に運動神経良いな」
「三ノ宮様!!!なんっなんですかここはァ!!!」
「楽しい楽しい桔梗棟だ。前もってちゃんと警告もしてやっただろう」
「分かってても辿り着くのは至難の業ですよ。まさか、三ノ宮様が改造したんですか?」
「どうだろうな」
三ノ宮は椅子ごとクルッと回ってそっぽを向いた。
(絶対そうじゃん)
これなら鍵が開いていても大丈夫そうだ。
ゴールドは代毎に多少の模様替えを行うらしいが、模様替えとかいうレベルではない。というか怒られないのだろうか。
「そういえば、龍之介はちゃんと落とし前をつけたみたいだな」
(元々の原因は三ノ宮様だと思うんですけど)
というのは、今回は心に留めておく。
「はい。今回は龍之介にかなり助けて貰ったので、感謝ばかりです。これはお礼です、龍之介と一緒にどうぞ」
中にはどこの百貨店でも常連店の和菓子が入っている。ちなみに金のまんじゅうは入っていない。
「気にすんな。アイツも困ってる女の助けになれて本望だ。全然気にしてない」
(他人のことなのに、どうしてこんなに堂々と語れるんだろう)
いっそアッパレと言える。
「そうだ、よかったらこれ持ってけ」
三ノ宮は用意していたのか、発泡スチロールの箱をポンポンと叩いた。中には北海道産生ラムと書かれた肉が詰められていた。
「どうしたんですか?これ」
「知り合いが送ってきたんだ。多過ぎて食えねぇから要らねぇつってんのに、無理矢理送ってきてな。味は良いから」
「ありがたく頂きます!」
「こういう時は現金だなお前」
今夜はジンギスカンに決定だ。海はいそいそと発泡スチロールを抱えた。が、ふと思った。
(ここからどうやって持って帰ろう)
そもそも三ノ宮はどうやってここに入っているのだろうか。余計な頭を使わされる桔梗棟だった。
***
蒸し暑い外とは違って、冷房の効いた撫子棟執務室で、冷えた生チョコを口に放り込んだ。
「美味しい〜!流石は最高級生クリームで作られた生チョコ!りっちゃんありがとう!」
律が仕入れてきた高級生チョコに舌鼓を打っていると、横からひょっこりとこの部屋には似つかわしくない人物が現れた。
「そんなに気に入ったならダンボールで送ってあげようか?」
「これはりっちゃんが手に入れてくれたから美味しいんです。大体、伊織様から食べ物なんて貰っても怖くて食べれませんよ」
その言葉に何故か喜んだ様子の伊織。
「別に毒なんて入れないよ。ねえ?相馬」
「いやいや問題はそこじゃないでしょ、どうしてBクラスの紫藤様が撫子棟に居るんですか!」
激しくツッコミを入れる律。気持ちはよく分かる。
「海に会いに来たんだよ」
「来なくて結構です。大体なんでお互い名前なんですかやめて下さい」
「相馬くんって舅みたいだね。僕が海をなんて呼ぼうが勝手だろ」
「私は伊織様にその勝手を許した覚えはないんですが」
ちなみに海が伊織と呼ぶのは、呼んでくれるまで後をつきまとうと脅されたからだ。あまりにしつこいので根負けしてしまった。
「で、本当に何しに来た?」
そう問うたのは朝陽だった。ここは朝陽の執務室なのだ。無闇矢鱈に他クラスの人間が踏み入れていい陣地ではない。
「今日はこれを海に届けに来たんだよ」
手に持っていたのは風呂敷に包まれたB4サイズの額縁だった。
「これ本当に七沢先輩が書いてくれたんですか?」
「そう僕からのお見舞いだよ」
「伊織様じゃなくて七沢先輩からのですよね」
これは確かに海が依頼したものだった。実は七沢はコンクールで何度も金賞を取るほど水彩画が上手く、プロ顔負けの技術力と知っていた。
特に大した怪我ではなかったが、伊織が何か見舞いの品を贈ると執拗いので、祖母の好きな水彩画を依頼したのだ。
包を開くと、そこには学院の新緑の木々とレンガ造りの小道の風景が色鮮やかに描かれていた。繊細なタッチと筆遣いで、律や朝陽も思わず感嘆してしまうほどの出来栄えだった。
「依頼した時、七沢先輩不機嫌になりませんでした?」
「それはもう。でも君の願いだから頑張って頼み込んだよ」
海は苦笑いした。七沢からしたら、とんだとばっちりに違いない。一応依頼料は伊織を通して渡しておいたが、一度も会っていないので金額が妥当だったかは確かめられていない。
「ありがとうございます。じゃあこれはありがたく受け取っておきます」
「さあ用が済んだらさっさと帰って下さい紫藤様」
律がしっしと追い払う。伊織は相変わらず笑っていたが、その笑みは今までと少し違うように感じた。
「君達のお陰でShidoの社長は多少は大人しくなるだろうね。別に僕も本意じゃなかったし、少し静かになって過ごしやすいよ。───ただ僕達は謝るつもりはない。争うことが僕達の学院生の本分で、僕達はその争いで負けただけだから」
朝陽は眉根を寄せ、腕を組む。
「そこだけは分かり合えないな。本当は学院でこんな争いをする必要なんてないと俺は思っている」
伊織は朝陽の目の前に立った。
「それは鷹坂がそういう人間だからだ。学院の性質はそうじゃない。学院は学校という狭い箱に生徒を閉じ込め、鎬を削り合わせて優秀な人材を作る。その間どんな手を使っても、のし上がった者が勝者。少なくともこの学院の生徒はそんな集合的意識を形成している。それを損なうお前こそが異端なんだ」
「・・・・・・・・・・・・」
「この学院にはまだまだ闇に潜む人間が多く居る。Bクラスは僕だけじゃない。せいぜい潰されないようにな」
伊織はくつくつ笑った。そんな伊織に朝陽はペンを伊織の心臓の辺りに突きつける。
「言われなくても、そんなヘマはしない。そして次のエーレはAクラスが貰う」
「そうか。まあ僕はエーレなんてどうでもいし、海の味方だから海はいつでも頼ってね」
「いいえ、私には朝陽くんとりっちゃんが居ますから。間に合ってます」
海はニッコリ笑ってお断りした。そして伊織はようやく撫子を去ったのだった。
「ひい、なんであそこまで気に入られたんだ」
律がゲンナリした顔をしていた。どうやら律は特に伊織を苦手にしているらしい。
「実はよく分からないんだよね。張り手食らわせただけなんだけど」
そう言うと朝陽が顔を曇らせた。
「本当に、今回は上手くいったからよかったものの、危険なことだった。稲葉龍之介が居たからよかったが、向こうはヤクザだぞ。それに顔に怪我までして」
これに律も加勢した。
「そうだぞ。お前が大丈夫だって言い張るから任せたのに、あんなに危険な真似をするなんて」
今回の作戦は海の発案だった。受け身ではなく、自分から相手の懐に入り込んで反撃すべきだと思ったからだ。
二人が同意して協力したのは、少々作戦を少々脚色して伝えたからで、事の顛末を伝えるとめちゃくちゃ怒られた挙句、病院で精密検査まで受けさせられた。
ちなみに今回はヤのつく方々が関係するので、万が一の為にスタンガンなども用意していたが、やはり組長の息子の龍之介が一番効果てきめんだった。これもまた怒られた要因の一つだが。
「でも紫藤一人なのは確認してたし、これは私が勝手にコケただけなんだけど」
「「反省しろ!」」
「はい、ごめんなさい!」
海はこれ以上怒らせまいと、素直に頭を下げたのだった。
***
撫子棟からの帰り、玄関先で待っていた桜と一緒に鈴蘭棟へと戻る道を辿っていた。
「ったく、お前もよく一人で敵の陣地に踏み込めるよな。その内殺されても知らないからな」
今日の桜は怒るを通り越して呆れていた。行き先が四クラスの中で最もマトモと言われるAクラスだからかもしれない。正直Dクラスの桔梗棟とかは伊織でも近付きたくない。
「そういえば海、桜の絵喜んでたよ」
「喜ばせるつもりは一切無かったけどな」
ケッと吐き捨てていた。しかし伊織は知っている。
「実はめちゃくちゃ力入れて書いてたくせに」
「他クラスに馬鹿にされない為だよ!お前が勝手に引き受けるから!」
「お金貰ったんだろ」
「当たり前だよ!画家に対価は必要なんだよ!」
「それは分かってるよ」
すると途端に桜は口をへの字にした。
「ったく。大体、あんな女のどこに惹かれるんだ。特別美人ってわけでもないだろ」
「そうだな、あの時も引っぱたかれた頬がいたかったっけ・・・・・・」
顎に手を当て、一週間前のことを思い出した。
屋上で平手打ちされた時、平手打ちだった、グーじゃない、でも痛い。どうでもいいことに意識が向きそうになっていると、伊織は胸ぐら掴まれた。海の顔がすぐそこにある。憤った彼女の顔は、今まで見たどの女の顔とも違った。
『これ以上私の仲間に手出ししたら絶対に許さないから』
急に曇った雲の間から太陽の光が射し込んだ。彼女の乱れた髪を照らし、擦れた鼻血には女子らしさは欠片も無い。けれどその強い意思の宿った目からは視線が離せなかった。
そして気付いた。今まで色んな人間に怒りの目を向けられたことがある。けれど彼女は誰かの為に怒っていた。そして見ているのは今目に映っている自分ではなく、彼女が守ろうとしている誰かだった。
伊織は笑う。
(そうやって誰かの為に怒っている彼女に───)
「───惚れちゃったんだよね」
桜は相変わらず怪訝そうな目で見てきた。
「お前アタマ沸いてるんじゃないか」
「さーね」
空は晴れていた。ただこの先もずっと晴れ続ける訳じゃない。きっとこの先も海は荒れた道を辿ることになるだろう。それを示す小さな風に気付けるかどうか。
しかし伊織は、海なら大丈夫な気がしていた。いや、そう願っていた。




