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11 旧校舎の屋上



 ***



 その日海は初めて鈴蘭棟に訪れた。あらかじめアポイントメントを取っていたので、中に紫藤伊織が居るのは確かだった。インターホンを押すと、開けてくれたのは三年生シルバーの女子生徒だった。派手な顔立ちで、色気のある美人だった。


「はーい」

「Aクラスの日野森ですが」

「そういえば誰か来るって言ってたかも。どうぞー」


 軽い感じで招き入れられ、海は内心動揺しつつも案内されるままに進んだ。やはり撫子棟とは中の造りが違い、壁紙や装飾も違った。

 何より鈴蘭棟には女子達の明るい談笑が響き、撫子棟よりも人気ひとけの多い印象を抱いた。今案内してくれている女子生徒も、慣れた様子で鈴蘭棟の中を進む。


(そういえばBクラスのシルバーは全員カードキー持ってるんだっけ・・・・・・女子だけ)


 いかがわしい匂いがプンプンする話だが、今はひとまず置いておくことにした。


「ここが執務室よ。中に伊織様と七沢くんも居るはずだから」

「ありがとうございます」


 海はペコリと頭を下げた。


「いえいえ。ごゆっくりー」


 手をひらひらさせ、艶かしい笑顔と伴に彼女は立ち去った。


(さて、と)


 海は振り返ってドアノブを眺める。ここから先は一切の油断もならない。まるで地獄の門を叩くような気持ちだった。海は深呼吸をして、ドアをノックした。




「ご機嫌いかがかな、日野森さん」


 その第一声を聞くだけでムカッ腹が立ちそうだが、無理矢理笑顔を作ってみせた。


()()()()()()、日々つつがなく過ごしてます、紫藤様」

「それはよかった」


 海と紫藤の間にはバチバチッと火花が飛んでいる。どちらも笑顔なのに、腹に一物隠しているのは誰が見ても一目瞭然だろう。


「で、今日は一体なんの用だ」


 そう言ったのは紫藤の隣に佇んでいた七沢だった。その顔に表情は無く、静かに海を観察していた。


「・・・・・・先日の合宿で、Aクラスにトラブルが起こりました」

「へぇそれは大変だ。苦労しただろう」


 海はこめかみに青筋が浮かんだ。


(コンニャロー、全部知ってるくせに!)


 朱里ではないが、流石に今日は海でも分かった。紫藤の張り付いたような笑みには『僕全部知ってます、お疲れ様でした笑』と書いている。・・・・・・少し被害妄想も入ったかもしれない。


「ゴホン。で、ですね。その件にShidoホールディングスの子会社であるFRPセキュリティの関与が疑われました」

「おやおや」


 紫藤は試すような目で、七沢は厳しい目付きで海を見つめていた。しかしそんなもので怯むような海ではない。この短期間でメンタルだけは嫌というほど鍛えられた。


「詳細を申しますと、私達Aクラスが泊まる旅館の防犯カメラがセキュリティ会社によって意図的に止められ、そして何者かに指示された生徒が朝陽様の部屋に侵入しました」

「へぇ、裏切り者が出たんだ」


 海は紫藤を睨みつけた。誰のせいでそうなったのか。


「朝陽様は、その生徒に指示したのはShidoホールディングスの人間だと思っています」


 依然、紫藤は笑っていた。思えば出会った時からずっとそうだ。その笑みに慈愛や仁義は全くない。


「それで?証拠はあるのか?まさか疑惑だけでここまで来たんじゃないだろうな」

「残念ながら侵入した人間が誰に指示されたのかは言いませんでした。しかし、Shidoホールディングスから意図的に防犯カメラを止めるよう要請されたという()()()()()()()()()()()()()証言と証拠を得ました」

「!・・・・・・で、その証拠は?」

「見せたら揉み消される可能性があるので、これ以上一切お教え出来ません。でもいいんですか?このままだと、日本でも屈指の信頼を誇るセキュリティ会社が、誰かの言葉一つで安心安全を揺るがす会社だと世間に知れ渡ってしまいますね」


 初めて紫藤の笑顔が消えた。しかしそれもつか、すぐにまた薄い笑みを浮かべ頬杖をついて興味深そうに海を眺める。


「やるじゃないか。それで、君は何が言いたいのかな?」

「話し合い次第では、この件水に流しても構わないと朝陽様は仰っております」

「なるほど、取り引きか」


 海は気を引き締めた。ここからが正念場だ。


「今週の日曜日、午後三時に旧校舎の屋上に来て頂けませんか?紫藤様()()()()


 これに反論してきたのは七沢だった。


「何故伊織様お一人で行かなければならない」

「朝陽様が一対一で話し合いをしたいと仰っているからです。ゴールド同士で話したいこともあるのでしょう」

「では場所は撫子なでしこ鈴蘭すずらんでもいいはずだ」

「今申し上げましたように、二人っきりで話したいのです。特にここはよく人が集まっているようですから」


 なおも食い下がろうとする七沢を制したのは紫藤だった。


「いいよ、鷹坂直々の呼び出しなら喜んで出向こうじゃないか」

「伊織様!」


 海は悠然と笑った。


「それではお約束の刻限にてお待ちしております」



 ***



 海が出て行ったのを扉を見つめ、


「まさか一人で行く訳ないよな」


 とドスの効いた声で桜は確認してきた。こういう時にヤン親の血が濃いなと感じる。


「行くよ。そういう約束だからね」

「伊織!」

「でも僕の前に誰か行くかもしれないね」


 その言葉に桜は唖然とした。


「おいまさか、アイツら呼ぶつもりか」

「あんまり関わりたくはないんだけどね、使えるものは使わないと」


 どうやら海も本気でBクラスを叩きに来ているらしい。それならそれ相応の覚悟を見せて貰おうと伊織は考えていた。


「・・・・・・お前も案外、血は争えないもんだな」


 お前が言うなと吹きそうになった。そして桜が一体誰と比べて言っているのか気付いて、伊織はおかしくなった。

 自分など祖母と比べるに値しない。自分は彼女ほどの血の気は無い。今ここにいるのはただ、生きる手段がそれしか無かったからだ。

 伊織はまた遠い空の雲を眺めた。



 ***



 人の命はとは脆く儚い。伊織の父は社長である祖母に似て、気が強くて我を通そうとする性質だった。しかし祖母と違って自由奔放で、決められた相手と結婚して息子の伊織が生まれても、家や会社には頓着せず、親の金を使って夜な夜な出かけていた。


 そしてとうとうホステスの女の家に居着き、家に帰らなくなって数年。泥酔した時に交通事故に巻き込まれてで死んだ。伊織が五歳の時だった。そしてそのホステスにも息子が居り、それは腹違いで二才歳下の弟晶だ。


 祖母は晶を引き取って伊織と一緒に育てた。しかしこれで伊織の母は消えた。まともに夫らしく、父親らしくしてくれなかった男は勝手に死に、姑は見知らぬ女の子供を押し付けてきた。だから自分も男を作ってすぐに出て行ってしまった。


 置いていかれた伊織は厳しい祖母の元で育てられた。しかしそれはライオンが子供を崖から突き落として自力で這い上がらさせるような育て方だった。だから少しでも失敗すれば後がない。


 常に笑顔で繕って、邪魔な人間は蹴落として、汚い手でもなんでも使ってきた。幸い伊織はのらりくらりとやってのけることが出来る器用さがあったが、弟の晶は真面目な分、生きるのが不器用で可哀想だった。


 伊織はどんよりとした曇天の中、旧校舎の中を道進んだ。旧校舎は誰にも使われず、手入れもされないので設備はボロボロだった。さらに警備も手薄で、基本的に生徒は立ち入らない。


 どこか遠くから救急車のサイレン音が聞こえた。あの音は人を不安にさせる不思議な音だ。


 屋上までの階段を上る。段数はそれほど無い。四階を超えてようやく次が屋上だ。屋上に続く扉は解錠されており、ドアノブは錆びていたが案外すんなり回った。屋上の床のコンクリートもボロボロで、さっきまでの雨で水たまりが張りっていた。


 フェンスが崩れて撤去された屋上のヘリの小さな段差に立って、上から学院を眺めていたのは鷹坂ではなかった。いつも束ねている髪が風ではためき、ブレザーの背中姿は少し汚れていた。女の子なのにいつも男装をしている日野森海。


 伊織は努めて明るく尋ねた。


「鷹坂は?」

「居ません」


 海は振り向かず、相変わらず景色を眺めていた。


「どうして君がいるの?」

「それはこちらのセリフです。どうして暴力団員がここに来たのですか?Shidoは、心々会と繋がっていたんですね」

「まあね」


 クスリと笑う。指定暴力団心々会。実は伊織が来る前に何人かここに寄越すように連絡をしておいた。

 救急車の音。ボロボロの海。伊織を待っていた彼に何があったのかは容易に想像出来た。

 伊織は足音を立てずに海の背中に近付いた。


「Shidoホールディングスとも深く関わりがあるんですね。答えて下さい」

「そうだよ。Shidoと心々会は切っても切れない関係なんだ」


 伊織の手が海の背中に触れるまであと十センチ。なんて無防備な背中なんだろうか。近くで見るとやはり女子らしく華奢い。


「それはどんな関係なんですか」

「さて、それは───あの世で調べるんだね」


 トン、と海の背中に伊織の手が触れた時だった。


「!」


 突然振り向いた海、その手からハトが飛び出してきた。


「うわっ!」


 突然のことに伊織は対応が出来ず、驚いて数歩下がった。よろめいたところに海がすかさず足を後ろにかけてきて、伊織はまんまとコンクリートの床に転がされた。そして海は伊織が逃げないように、伊織の腹部に両膝を着いて跨ってきた。

 海の鼻からは血が滴っていた。


「日野森さん血が・・・・・・」


 伊織がそう言うと、海は手の甲で乱暴に鼻血を拭った。


「こんな分かりやすく殺される訳がないでしょう!」


 馬鹿にするな、と彼女は怒っているようだった。


「あとヤクザなんかで私達をどうにか出来ると思いましたか。残念ながらAクラスのノーランクはそんなヤワじゃないんですよ」


 彼女は胸ポケットからあるものを取り出して、伊織は目を丸くする。


「それは・・・・・・」


 海はニヤリと笑って、ボイスレコーダーを振った。


「言質取りましたからね」



 ***



 ───それは合宿から帰って数日経った日のことだった。

 海は早速紫藤伊織をマークし、行動を見張っていた。すると紫藤はある角で曲がろうとしたのを、一瞬足を止めて、何事も無かったかのように曲がらず直進した。


 後ろを歩いていた七沢も何も言わなかったのが不思議に思って、海は角の先を覗いた。角の先にはこちらに向かってくる様子の一年男子生徒が居た。


「なんだ、龍之介じゃん」


 名前を呼ぶと龍之介は分かりやすく嫌そうな顔をした。海を覚えていたらしい。


「なんで呼び捨てやねん」

「君だってタメ口でしょ」

「さては自分、この前のこと根に持ってるな?あれは冬馬さんに言われて仕方なくや!」


 この前のことというと、茶道室での自主制作映画の収録のことだろうか。


(別に気にしてないけど、面倒だからそういうことにしておこう)


「ね、そんなことより、君って紫藤様に嫌われてるの?」


 龍之介は目を丸くした。


「いきなりなんちゅー失礼なこと言うねん!てかそんなん知りたなかった!」

「聞いてるだけだって」


(まあ避けられてるっぽいのは本当だけど)


 すると龍之介は何か心当たりがあるように、一瞬顔を曇らせた。


「・・・・・・ん?もしかしてShidoやからか?」

「え?」

「いや、なんでもない」


 ほな!と言って帰ろうとする龍之介の襟首を掴んで引き戻した。


「そこまで言われちゃ気になるでしょ!ほら言って!」

「なんでや!言いたない!」

「あ、そういえば、三ノ宮様が『お前のとこに龍之介行ったか?』って聞いてたな〜」


 本気にはしていなかったが、こういう時は遠慮なく使わせてもらう。予想通り龍之介は心底嫌そうな顔をした。


「冬馬さんの名前出すんは卑怯やろ!絶対言わんー!」


 龍之介は冬馬の名前に噛みついてきて余計口を割らなくなった。


「ねーねーお願い!君の実家のこと誰にも言わないから教え、モガッ」


 突然口を抑えられた。鬼のような形相で龍之介は周りをキョロキョロ見回した。


「分かった!分かったからそれ以上喋らんといてくれ!今から実家のジでも口に出したらShidoについて喋らんからな!」


 コクコクと海が頷くと、手を離してもらえた。龍之介は深いため息をついた。


「はぁー・・・・・・やっぱりゴールドやらノーランクやらは恐ろしいわ・・・・・・。ご存知の通り、ウチの親父はヤクザの組長や。で、Shidoのあの女傑じょけつは昔、親父の親父、つまり先代組長のじーさんのコレやったらしい」


 龍之介は小指を立てる。つまりShidoの社長は心々会の愛人だったのだ。


(すげぇな女傑)


 まさかヤクザの男を手玉に取るほどとは。


「だから今でもちょっと心々会のシノギに手伝って貰ったりしてんねん」


 海は首を傾げた。


「シノギって何?」

「ショバ代とかケツモチ・・・・・・って分からんか。つまり、仕事の手伝いして貰ってんねん。逆にShidoが表立って解決出来やん問題とかを、うちの組が代わりに解決したってんねん」


 それを聞いて海は目を見張った。


「それって、あの大企業Shidoが、反社会的勢力と繋がってるってこと?」


 ヤクザとの繋がりを切っても切れないという話ならよく聞くが、このご時世に自分から進んでヤクザに頼る人間がまだ居たとは。これは調べれば必ず何か出ると海は確信した。

 ちなみに龍之介は海の何気ない言葉に頭を抱えていた。


「うっ、反社とか嫌な言い方する・・・・・・でもそれも確かやわ。言っとくけど、俺は今オカンに親権あるから、ヤクザとは無関係やで!」

「分かった分かった。ねえ、これで貸し借りなしにしてあげるから、ひとつだけお願いを聞いて欲しいの」


 やっぱり龍之介は嫌そうな顔をした。

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