94 何色にも染まれる白
シェルムが空中で槍を振り下ろすと、その軌道が魔力の刃として顕現し、バロットとサラへと放たれる。二人は後ろに跳んで回避し、バロットは退き際に両手のナイフを空中のシェルムに向けて投擲した。
シェルムはそのナイフを槍で弾き、地面へと着地する。同時に、シェルムが跳躍し二人へと突っ込んだ時に裂いた噴水の水の形が元に戻った。
サラはバロットよりも早くにシェルムへと駆け出した。腰に差していた刀を引き抜き、その矛先をシェルムに向ける。
「同胞に刃を向けるのか? "汚い方の女狐"さァん?」
「すでに要らぬ縁ね」
瞬刻の突きがシェルムに向かって放たれた。鋭い突きの圧が魔力を孕み、見えない刃の如く虚空を斬る。シェルムはそれを槍で弾き軌道をずらすのと同時に、体を反らして寸でのところで交わすと、体制を立て直して槍で彼女に突き返した。
顔面に向かって突いた槍をサラは左に躱しながら後ずさる。シェルムは槍の長めなリーチが通用するギリギリの距離を得るために一歩進み、サラとの距離を詰めながらさらに槍を振るった。サラはそれに涼し気な顔で躱していく。
「おっと」
突然、シェルムは槍の追撃をやめて腰を曲げ姿勢を低くした。シャルムの曲げた背中の上に風を切った何かが通り過ぎる。それはバロットによって投擲された見えないナイフ――シェルムはそれを感知していた。
「脳天」
その隙に乗じてシェルムへと一歩詰めたサラの刀が、腰を曲げたシェルムに向かって振り下ろされた。その軌道はまさに彼の頭部を斬る軌道に入っている。
「違うね」
シェルムはその刀を避けるどころか、そのまま頭を上げた。上げる過程でサラの振り下ろした刀とかち合うが、"それ"は何事もなかったようにすり抜ける。
「――ッ」
「ざんねーん」
刹那、シャルムの左側の虚空から現れたサラの奇襲がさく裂した。しかしその一突きはシェルムの槍の柄の部分で防がれる。鈍い金属音が響き、小さくキリキリと刀と槍の接触面がうなった。シェルムに刀を振り下ろしたサラの幻想は消える。
「悔しい……? 十八番の惑わしが効かなくて悔しいですかァ?」
「黙れ」
シェルムは槍と刀が拮抗する中、ぐいっとサラの前に顔を持ってきてそう笑った。サラはそれを態度で一閃すると、拮抗し停滞していた刀を斬り上げて彼の頬に切り傷をつくる。
「フヒャヒャヒャぁーッ!」
シェルムは頬から飛び散る血を少量まき散らしながら、背後へと一回二回と高く跳び去ってサラと距離を作った。地面へと着地したシェルムは顔をしかめて目を細める。何故なら、暗闇の中にサラと一緒に視界へ映るはずの人物が一人足りなかったからだ。
それに気づくや否や、シェルムは右手に持っていた槍を回転力を加えて手から離す。独りでに空中で一回転する槍。その際に二回の金属音をならし、一回転すると同時にシェルムが再びそれを手に取った。
「速いなぁああああ」
槍が手に戻ると同時に、シェルムは虚空へと蹴りを入れる。その感覚には重さがあって、何かが蹴りの力により押し出される音がした。芝生の草が動き、その小さな丈が踏み潰されてさらに矮小になる。
「っ!」
シェルムは目を見開き大きく口を歪ませて、右手に取った槍を今度は真ん前に投擲した。同じくして目の前へと駆け出す。
投擲された槍は金属音と共に弾かれるも、その空中に放り出された槍はシェルムによって再びキャッチされ、一秒も立たずして振り下ろされた。またもや虚空で何かとぶつかり、金属音を響かせる。
「いますよねぇー!? 見えないけど、そこにいますよねぇー!?」
シェルムは再び槍を投げ、それはすぐに弾かれて宙に浮く。その浮いている最中にシェルムは虚空へ向かって左足で回し蹴りを行うも、見えない何かにを捕まれた。しかしその瞬間にシェルムはさっき宙に浮いた槍が落下し、丁度左手のところへ舞い降りてきていた。シャルムはそれを逆手に受け取り、そのまま虚空へと突き刺す。
槍が目標を突き刺すよりも前に足が押し戻され、シェルムはその受けた力のままに一回転して衝撃を殺し再び立った。ふと同じくして背後からサラが飛びかかってきていた。しかしシェルムはそれを無視し、槍を右手に持ち替え、柄の部分を下に地面へ縦に突き刺す。
「アンタ……」
「多分正解。さすが野生の勘だねぇ」
背後から斬りかかるサラの幻想はシェルムを通り抜け、代わりに地面に差して立てた槍に衝撃が走る。現実のサラはシェルムの右から斬りかかっており、首を斬るために放たれた斬撃は地面に刺さった槍によって阻まれた。
何の支えもなく乱暴に土へと刺さっていた槍はその一振りの力に耐え切れず回転し、埋まっていた柄の部分が土を盛り上げ宙へと投げ出される。シャルムは腰を下げて、その槍を掴むとサラへと突き上げた。その一閃をサラは寸でのところで躱すも、その軌道が額にかすって出血する。
「しまっ……!」
「――っ!」
「くそっ……!」
サラは着地するも、額から溢れて流れる血とは対照的にそこから動けなくなった。シェルムはそのまま彼女へと飛びかかる。
それを目視していたバロットは自らの『透過』をさらに拡大させた。足元から広げる芝生が、その下を支える土壌が、その中に潜む陰湿な虫までもが透明になっていく。それと相乗するかのように、透明なバロットの足は速くなっていった。
「間に合えっ……!」
バロットは駆け出しながらもナイフを投擲する。そのころ、同じくしてシェルムはすでにサラのもとへ到達し、その首根っこを掴んでいた。
「さァ……!」
シェルムはサラの顔を寄せて、その額を自らの頬の傷口へと近づけさせる。透明になっているバロットが投げたナイフなど、まるで眼中にないようだった。投げられたナイフは、確実に彼の脳みそへと向かっていた。
――そして、二本の透明なナイフがシェルムの頭に突き刺さる。シェルムの頬の傷口と、サラの額の傷口が接触する寸前だった。シェルムはサラから手を離し、糸が切れた操り人形後ろへと倒れ込む。
しかし。
「……っ!」
ピタリ。
倒れ込むはずだったシェルムの体が地面との角度を四十五度ほど保ち、その状態で止まった。その瞬間にバロットは足を止めて、彼と一気に距離をとる。シェルムの首が何度もグリグリと曲がり、何週か高速回転したあとに止まって彼の光のない瞳がバロットに向けられる。
「ざぁぁぁ~~んんねええぇぇぇぇ~~~ん~~ん~~~!!」
体の構造上無理な回転のために、彼の捻じれた首からは血が滴っていた。彼の口からその言葉が発せられた直後に、その口からはねっちょりとした粘性のある黒い血液が噴水の水のように吹き出して、透明になった地面へと飛び散った。
「遅かったか……ッ!」
バロットがその光景を目にして、舌打ちと共にそう毒づいた。刹那、全ての光景はリセットされてその惑わしの空間は消え去った。
惑わしが消え、現実世界の描写が戻ったところで、バロットの目の前にある人影は一つだけ。豊かな胸元でいて赤い長髪を揺らし、その黄色い瞳はバロットを映している。
その姿はバロットのよく知るものだった。しかし、中身はすでに置き換わっていて。
「さァ! 待ちに待った狩りの時間だァアああ!」
その肉体を奪い取ったシェルムは、赤毛を大きく揺らしてサラの刀を手に取ったのだった。