91 さらに濁る状況
「大丈夫ですか……?」
「うん……ありがとう……」
小さなランプ明かりが周囲を照らす中、出血していた額に包帯をつけたシルヴァは、それを巻いてくれたニーナにお礼を言った。彼女はそのまま小さく微笑むと、救急箱のフタをしめる。
シルヴァとシアン、そしてニーナは今『食事処-彩食絹華』の一階にある畳の席に座っていた。それはシルヴァとシアンが昼食を食べた場所であり、その場所にあった机は一旦端へとどかされている。
「……シルヴァ」
シルヴァはそこで巻いてもらった包帯を手で触って肌触りを確認していると、その隣に座っていたシアンがシルヴァの肩に手を置く。シルヴァがそれに気づき、彼女の方へ視線を向けた。
彼の目に映ったのは、獣耳をペタンと伏せて、なんだか申し訳なさそうにしている彼女の姿だった。
シアンが何故そんなに縮こまった態度をしているのか。シルヴァはそれに気づかないほど鈍感ではない。さっきの、目覚めたシアンがシルヴァにおんぶされていることに驚いて、思わず負傷しているシルヴァへ手を出してしまったことについてだろう。
あれは意識が覚醒しきっていなかったこともあり、仕方のないことだ。だからシルヴァは笑って、申し訳なさそうに視線を下げる彼女の頭の上に腕をポンと置いた。
「大丈夫だよ」
シルヴァがそう言ってのけると、シアンは顔を上げて真っすぐシルヴァを見た。そして少し恥ずかしそうに、頬を若干赤く染めて視線をそらす。
と、同時にシアンの頭へ差し伸べたシルヴァの手にくすぐったいような何かが触れた。よく見てみると、顔を微妙に反らしているシアンの頭。そこについていた猫耳がへにょっと曲がって、シルヴァの手に倒れていたのだ。
なんというか、たまに見せるこの獣耳の挙動にシアンは気づいていないのだろうか。もしかしたら無意識のサインなのかもしれない。シルヴァは何となく微笑ましくなって、自然と口元が緩んだ。
「……それで、あの……」
そんな中、ニーナが小さく切り出した。シルヴァとシアンの視線が彼女に集中する。
小さなランプの明かりが、暗闇の中で揺れていた。
「例の二人組はどうなったんですか……?」
ニーナの言葉に、二人は苦虫を噛み潰したような表情をせずにはいられなかった。その表情から察したのか、ニーナは小さく俯く。
さっきまでの状況を彼女に説明するべきだろう。シルヴァは少しだけ頭の中で出来事を整理してから、口を開いた。
「……簡単に言えば、逃がしちゃったってとこかな」
「そう……ですか」
「ただ……」
シルヴァが言葉を繋げたので、ニーナは機嫌そうな瞳でシルヴァを見直す。
そう、ただ逃がしたわけでなかった。バロットとサラの二人組に、どうしてだか『生かされた』という方が正しい。
シルヴァはそのまま続けた。
「どうしてだか分からないけど、気絶した僕らをほっといて、彼らは逃げて行ったんだ。最初は僕らを連れていく、とか言ってたのに、その絶好のチャンスをみすみす逃してる」
「え……? そうだったんだ……」
シアンは建物倒壊と共に気絶して、今さっきまで意識が不明だったのだ。だからこのことを知らないのだろう。シルヴァが何らかの手段で追い払った、みたいに思っていたようだ。まあ状況からして、それが一番あり得る話であるし、気絶していた二人を見逃した、なんて事実の方があり得ない話だ。実際にシルヴァ達を彼らは見逃しているのだけれど。
「じゃあ、何か事情があるのかな……」
「そうだろうね……。僕らには推測しかできないけど」
顎に手をつけて首をひねるシアンにシルヴァはうなずいて同意する。何か裏がありそうなことは分かるのだが、その『裏』の内容が全く持って推測の域を出ない。彼らについて知っていることは名前と顔、そして能力ぐらいであり、推論をたてられるほどの材料がなかった。
完全に手詰まりだ。たくさん考えれば答えがでるような類のものではないので、シルヴァは一旦その推測を思考からはじく。それから、さっきから気になっていたことをニーナに問うた。
「そういえば、ドルフさんは?」
「……それが」
ニーナの視線が沈む。何かがあったようだ。シアンが思わず彼女の聞いた。
「もしかして、ドルフさんに何かがあったの……?」
「……ううん。何かあったのは父さんじゃなくて」
ニーナは顔を上げて、その人物の名前を言う。
「ディヴィさんの方なの」