65 蟠りのとけたその時に
シルヴァは気分を一旦切り替えるために軽く咳ばらいをした。状況を読み込めずにいるドルフとニーナは特にこれといった表情を見せていないが、隣に座るシアンに至ってはちょっと頬を紅潮させながら、再び手を合わせる。それから左手で米の入った茶碗を持ち上げた。
シアンが食べ始めたのに続き、シルヴァも手を合わせてうどんの上に乗っている温玉に箸をつける。
そして、箸で温玉を割った。食欲をかきたてるような半熟の中身がたらりと汁の上へと流れていく。
シアンも箸で唐揚げを持ち、口に運んだ。
「ん~! おいしい」
サクサクと唐揚げを食べながら、シアンは獣耳をふよふよ動かして言った。
シルヴァも汁に半熟のとろけ込んだ卵を少し箸でかき混ぜ、そこからうどんを持ち上げてすする。卵と出汁のきいた汁、それらと硬めの麺がいい具合に絡み合って、口の中に程よいうま味が広がった。
「すごいおいしい……これなら毎日食べても飽きないな」
思わず出た絶賛の言葉を聞いて、料理人のドルフは満足した風にうなずくと、立ち上がった。座るニーナの後ろを通って、畳の場所から出て靴を履き、地面に足をつける。そしてニーナへ向かって声をかけた。
「じゃ、俺は厨房で片づけなりしてくるよ」
「はーい」
ニーナの返事をよそに、シルヴァとシアンはそのまま箸を進めたのだった。
「……そういえばさ、この町におすすめの服屋とかある?」
二人がご飯を食べ終わり、その食器もドルフが厨房に持って行った後、不意にシルヴァが面向かって座るニーナに聞いた。
普段なら、ニーナも食器の片づけを手伝うのだろうけれど、今はニーナにあんなことがあった直後だ。さすがに休ませてあげたかったのだろう。
シルヴァの言葉に、ニーナは少し考えてから言った。
「『クイーン』ってお店がありますよ。店のすぐ近くです。服が欲しいのですか?」
「まあ……もうそろそろ僕の服を新調しようと思って。ついでにシアンのも」
「私のも?」
シアンはシルヴァの言葉に不思議な顔をする。確かに考えてみれば、シアンの着ているワンピースを買ったのは三日前であるし、そんな短期間に服をいくつも買うのは不自然に思って当然だ。
しかしシルヴァはちょっと前から、シアンの服がワンピースしかないことに色々な不安があったし、それにちょっと不憫にも思っていた。
これはシルヴァ個人の偏見であるが、女は男よりもデリケートであるし、シルヴァはあまり気にしない身支度にしても、シアンは年頃の女子であるからして、自分自身からも世間からもそういう面で注目される観点ではないだろうか。
「うん。アレンからのお礼、思った以上に多かったからね。大都市『カルカイム』に行ったら、ちょっとそこに定住するつもりなんだ。僕もあんまり服とか買う気はなかったんだけど、まあちょっとぐらい荷物が増えてもいいかなって」
シルヴァは思っていることを直接言わずに濁して説明する。シルヴァの思っていることは完全な偏見であり、不用意にこの場で言うことではない気がしたのだ。
否、本当は尻込みしていただけだ。
「そっかー」
シアンはそう言って机の上に置かれた水を飲み干す。
そんな二人の会話を聞いて、ニーナはパンと手を叩いて言った。
「『カルカイム』に行くのなら、『運び屋』に任せてみてはいかがでしょう? この町にもそういう場所があるんですよー」
「『運び屋』かー! 見たことはあるけど乗ったことはないなあ」
『運び屋』と聞いてシアンは嬉しそうに獣耳を揺らす。
『運び屋』とは馬や飼いならされた魔獣などに荷台を繋ぎ、それで荷物や人を運ぶ仕事をしている人たちことだ。
商売なので、寂れている町に滞在していることは稀だが、大都市『カルカイム』とほどほどに行きかう人がいるこの町『コルマノン』では良い稼ぎ場になっている様子。ニーナの口ぶりからして、少なからず滞在しているみたいだ。
『運び屋』がいるならいるで、活用させてもらおう。別にシルヴァは『運び屋』に苦手意識を持っているわけじゃないし、何よりシアンが楽しそうだし。
「じゃ、乗って行こうか。ま、あの問題が解決してからだけどね」
楽しそうなシアンに、シルヴァは笑顔でそう言った。
「うんっ!」と瞳を輝かせてうなずくシアンを見ながら、シルヴァは「もし彼女に尻尾があったら、ブンブンと左右に振ってるんだろうなあ」と邪推する。
そんな二人を前に、ニーナは憂い顔を下に向けていた。
それをちらりと目撃したシルヴァは、ギョっとしてニーナに言った。
「ごめん……掘り起こしちゃったね……」
「あっ、いえ! もうあの事は別にいいんです! ただ、巻き込んじゃったから、本当に申し訳なくて……」
ははは、とニーナは力なく笑う。
ここでシルヴァは再び内心で頭を抱えた。空気が読めない奴め、と一人反省する。
そんなニーナを見かねたのか、シアンはくすりと笑って言った。
「そんなこと考えなくても大丈夫だよ。それに敬語もいらないって! おいしいご飯もいただいたしさ、もう友達みたいなものじゃない? ねえシルヴァ?」
それからシアンはシルヴァに爽やかに笑ってみせる。
そんなシアンの臨機応変さ――というよりは、彼女の根底を成す優しさというべきだというか、その暖かさに感謝しながらシルヴァはうなずいた。
「シアンの言う通り。ちょっとの間だけど、遠慮せずにもっと頼ってくれてもいいんだよ? 美味しいご飯もいただいたし!」
「そ、そうです……そうかな?」
二人の言葉を聞いたニーナは今度こそ肩の力が抜けたようで、頬を人差し指で軽くなぞりながら自然体の笑顔を見せた。
それを見たシアンは嬉しそうにニーナに向かって笑いかける。
そうやっては平穏な昼下がりの時間は過ぎていったのだった。