47 在るべき場所へ
「……これは」
アレンの闘いが終わり、辺りは静寂に包まれた。
駆け寄ってきたシアンと合流したシルヴァは、アレンの方へ行こうとしたところで、ハーヴィンの居た場所に積もった灰の中に何かが落ちているのを見つけて立ち止まる。
シルヴァは灰に近寄り、その埋もれた何かを拾い上げた。シルヴァが手に取ったそれは、とても草臥れている様子の紙だった。よく見ると、その皺のある表面には細かい文字が綴られており、どうやらこれは手紙のようだ。
シルヴァはその本文を読まず、裏面を返してみてみる。
「……ハーヴィンへ、か」
その手紙の裏面の右下にはそう書かれた。シルヴァはそれを少し見つめると、その手紙をそのまま灰の中に戻す。
これはシルヴァが踏み込んで良い内容ではない気がしたのだ。例え持ち主がすでにこの世にいないとしても、彼の内情を意味もなく勝手に覗くのは、ある種の冒涜ともいえるかもしれない。
故にシルヴァはそのまま灰に背を向けた。心配そうに顔を傾けるシアンに、シルヴァは「大丈夫」と笑い、二人でアレンの方へ向かったのだった。
「アレン!」
シルヴァとシアンがその場所に駆け付けると、アレンは一人瓦礫の上に腰を掛けていた。シルヴァの声に気づいた彼は二人の方へ視線を向けると、疲労の募った笑顔を浮かべる。
「……その様子だと、そっちも解決したみたいだね」
そのまま立ち上がり、服についた砂を払うアレン。崩れ落ちた例の傀儡の破片が散らばる中で立ち、見る限り怪我ひとつないその姿に、シルヴァとシアンは息を呑んだ。
二人は少なくても、アレンと対峙していた魔導傀儡の別次元な強さを本能で実感していた。あの傀儡は起動したら最後、真正面から戦ったら数分と持たないと理解するほどに。
それをアレンは傷一つなく下した。その事実が何とも現実味がなくて、二人は少し困惑していた。
そんな二人に向かってアレンは口を開く。
「ハーヴィンは……いや、聞く必要はないか」
自問自答。アレンはシルヴァの答えを待たずして結論を導いた。
その様子にシルヴァはアレンに問う。
「聞かなくていいの?」
「何となく最期は予想がつく。……精霊を憑依させて、あれほどの出力で暴れたんだ。体が耐え切れるはずがない」
「……」
アレンの言葉に、静かに悟っていたであろうシアンは少し目を細めて獣耳を垂らした。
シアンもシアンで、アレンもアレンで、ハーヴィンに対して思うところがあったのかもしれない。彼は三人とは真っ向から敵対している存在だった。一時は私兵を使ってカレンを攫おうとまでしていた。けれども、彼の魔導書に対する執念。それだけは歪んでいたとしても真なるものだった。だから好印象は持たずとも、何か思うところはあるのかもしれない。
ハーヴィンの話でその場は再びしんと静まった。そんな雰囲気を打破するために、急くようにシルヴァはアレンに声をかける。
「とりあえず、僕たちは無事だったんだ。何か祝いでも――」
そこまで言ってシルヴァはようやく自分の失態に気づいた。シルヴァもシルヴァで疲弊していたのかもしれない。
自分たちが無事、というには楽観的過ぎる。短い間だったが、シルヴァとシアンと一緒にカレンもこの場所で生活をしていたのだ。例えその正体が殺戮人形だったとしても、三人の中ではただ一人の人間として映っている。
その彼女は、果たして無事だっただろうか。
「……心配ない」
思わず目を伏せて黙りこくっていたシルヴァの肩を、アレンは優しく叩いた。
「いつかは、こうなる定めだった。あれを制御するのにもいずれ限界がくる。その時が少し早まっただけさ」
そう言うアレンの表情は、確かに曇ってはいなかった。けれど、晴れているわけでもない。柔らかい表情の奥には、冷たいものを感じさせた。シルヴァはやり切れなくなって、アレンの顔から眼を反らす。
シルヴァの隣に立っていたシアンも、その言葉を聞いて目を伏せた。
シアンにとって、カレンという存在は一日だけの付き合いで済ませられるほどに薄い存在ではなかったのだろう。シアンとシルヴァとの間にあった認識の違い。お互いに『分かっている』と思っていたからこそ、言うべきことを言わずして成り立っているように見えた関係性。それを正したのはシアンであり、そのきっかけを与えたのはきっとカレンだ。それが、アレンによって殺戮衝動を抑圧されていた殺陣魔導傀儡であろうが、彼女がシアンを導いたのには変わりがない。
「カレン……」
ぼそりと、シアンが獣耳をピタンと頭に倒して悲しそうに呟いた。そんなシアンをアレンは少し見つめると、それからぼそりと彼女に問う。
「シアン、一つ聞いてもいいかな?」
「……? いいよ?」
シアンはアレンの方を向いて、依然と獣耳は倒したままであるけれど、その問いに応える。アレンはそれを見ると、そのまま続けた。
「俺は確かにカレンを制御してた。……けど、行動すべてを制御し把握できてたワケじゃない。あの傀儡は、たまに想定外な行動をしてたんだ。……昼過ぎに、君はカレンに手を引かれて台所に行ったよね? 傀儡は、君に何を言ったんだ?」
それを聞いたシアンは目を丸くして、アレンへ聞き返す。
「アレンがカレンを通じて私に行ったわけじゃないの……? 私はアレンがカレンを生きてるように見せかけてるって聞いたから……」
「……いや、そういう魔法は俺は専門外で、魔力のほとんど殺戮衝動の『抑圧』に使わざる得なかった。だからアレの基本的な行動はアレ自身で……」
「……うん?」
アレンとシアンの会話を聞いて、シルヴァはその入れ違いに少し首を傾げた。それは当事者であるシアンとアレンも大きく感じていることで、その場の雰囲気がまた異なるものへと変わる。
シルヴァは困惑する二人の間に入って、アレンへ聞いた。
「じゃあアレンは殺戮衝動を抑える以外のことはあまりしてない、ってこと?」
「あまり、というべきじゃないな。言ったろ、俺はその専門じゃない。だから殺戮衝動を抑えるだけでも精一杯以上だった。いつ殺戮衝動が放たれるか分からない綱渡りをしてた、と言っても過言じゃない。そんな俺が、それ以外のできると思うか?」
「……じゃ、じゃあ、私に言った言葉は、まさかカレン自身が……」
シアンはその推測に達し、口の前に手を当てる。アレンも汗を流しながらシルヴァをちらりと見た。
そういえば、とシルヴァは思い返す。四人で昼ご飯を食べ終わった少し後のことだ。
確かカレンが台所に一人で行って洗い物をしていた時だ。リビングでは三人が話していた時、彼女は台所で皿を落とした。そしてその音はリビングまで届き、その場にいた者はハーヴィンから襲撃を受けたのかと思って、慌ててカレンのいる台所に向かったのだった。
その時、アレンは誰よりも早く台所へ向かっていた。当時は姉を襲われたのだから、反応が早くなるのも仕方ないと考えていた。
しかし今になって考えてみると、少し違うのかもしれない。あの音を、アレンは抑え込んでいた殺人衝動が何かの拍子に漏れ出た音だと思って焦った。そしてアレンはそれを放っておく訳にはいかず、なおそれをシルヴァとシアンに見られる訳にもいかなかった。だから、二人よりも早く現場に向かったのではないだろうか。
「シアン、もう一度問う。姉貴は君に何を――」
アレンが真っすぐな瞳でシアンを見つめて言った、その時だった。
三人の周りの地面から、いくつかの淡い青い光が輝き始めた。三人は慌てて構えるけれど、殺意のようなものは全く感じない。だから不安を感じるというよりも、不思議に思って困惑した。
その光の出どころを観察して、シルヴァには気づいたことがあった。
その光源は、何かの破片から放たれている。見る限り、これは家の瓦礫の類ではない。黒く、木でも石でもない、ちょっとテカテカと角ばっている端材。まじまじとよく見ると、シルヴァが見たことのない、全くの未知の材料だった。
それを観察したのはシルヴァだけでもない。シアンやアレンも、彼と同じように観察してその光源に気づいていた。
その中でも、シアンはシルヴァと同じ反応だったが、アレンに限ってはそうはならない。
「――これは、俺が粉々にした、魔導傀儡の……!」
その発言に、シルヴァとシアンの視線が一瞬でアレンに向かっていった。そしてアレンが冗談だとか、見間違えとかでそう言ったわけではないと彼の表情から悟った後は、再びその端材へと視線を戻す。
その青い光は段々と集まっていき、まるで煙のように大気へと集中した。それを三人は呆気とした表情で眺めている。
周囲を照らす青い光からは、妙な暖かさを感じた。不安になるようなものとは程遠い、どちらかというと安心を与えてくるような暖かさ。
「この、温度……」
シアンはそう呟くと、瞳に涙を溜めて虚空を抱きしめる。が、その腕は当然空をかいて、自分の体へと返ってきた。
――その時だった。
「――」
集まっていた青い光が、シアンの方へ向かったと思ったら、腕に姿を変えて、彼女の頭を撫でた。それを見ていたシルヴァとアレンはともかく、直に触られたシアンは弾かれるように視線を上げる。
「……カレン?」
シアンの呟きに、青い光の腕は彼女の頭から離れていく。
その腕の根本にある光はぼやけていて、とても何かを形どっているかははっきりしない。けれど、シアンの発言からして、三人はその正体について検討はついていた。だけど、その結論で確定させるには、とてもとても、自分たちに都合の良い結果であって、現実というよりは幻想に過ぎなかった。
「……っ!」
アレンが大きく目を見開いて、腕を前に広げる。
するとあろうことか、その青い光はアレンの方へ向かっていったと思うと、それは――。
「――」
――少なくとも、それは青い霧が邪魔して、シルヴァからは見えなかった。
それでも、よく目を凝らして何とか霧の中を見た結果、その向こうには人影のようなものが、アレンの両頬を両手で触れて、彼の顔の前でほほ笑んでいるような輪郭があったような気がした。
それは杞憂かもしれない。その光はその後、すぐに上空へと消えていって、気が付けば世界は再び夕暮れの赤に染まっていた。
呆気らかんした光景。その場所に佇む三人。
「俺、は……」
そんな中で、アレンは肩を抱いて崩れ落ちる。そして赤い夕焼けに照らされながら、静かに涙を流したのだった。