17 魔導書の原典
「なるほど……そんなことが」
紅茶の香りが漂うリビング。
イスに座るシルヴァとシアンのテーブルを挟んで向かい側に、カレンと、さっき帰ってきた弟のアレンが座っていた。
とりあえず、アレンが帰ってきてから、四人で面向かって軽い自己紹介を終えた。
その後、シルヴァとシアンに、アレンはカレンが何者かに襲われていたことを聞いたのだった。
それを聞いたアレンは、困ったように目を伏せる。
「姉が襲われた、理由……」
「というと、心当たりあるの?」
「あるね。……しかし、困ったな」
アレンはシアンの質問にうなずきながらも、顎を手に当て困り果てた。
とりあえず、彼には心当たりがあるようだ。シルヴァはアレンに柔らかく笑って言う。
「もしよければだけど、話してくれないかな? 僕たちも協力できるかもしれないし」
「そうだね」
特に今すぐやることがあったわけではない。シルヴァの提案に、シアンも同調した。
アレンはそんな二人を見定めるかのようにじっくり見る。それから二人の言葉にうなずいて、懐から一冊の本を取り出した。
テーブルの上に置かれたその本。それはさび付いているかのようにくたびれていて、表紙には少なくてもシルヴァには読めない文字――もしかしたら記号かもしれない――が書かれていた。
「これは……?」
「協力してくれるみたいで感謝するよ。けど……」
ちゃらけた若く軽い雰囲気を醸し出していた青年のアレンだったが、その本を出した途端に相貌が真剣なものとなる。
そして、
「これを聞いたからには、事が終わるまで辞退を許さない。それでも協力してくれるかな?」
それを口にしたのと同時に、リビングの雰囲気までもが変化した。
軽い火傷を負ったときみたいに、肌がピリつく。アレンの霞んだ黒い二つの眼にシルヴァは圧倒され、少し気圧された。
その威圧に、シアンも頬に汗を流しながら猫耳をピタンと倒す。
窓際にたらされていた風鈴の音が、やけに遠くに聞こえた。
「……ただまあ、俺としても手を借りたい部分もあるからね。ぜひ協力してほしい、というのが本心だよ」
シルヴァとシアンを襲う張り詰めた雰囲気は、その出どころであるアレンのため息ひとつによって、少し軽減された。
少し気を下ろしながら、シルヴァはアレンを見つめた。
この威圧は普通じゃない。彼は一体、何者なのだろうか。もしかしたら、あの本は、いいや、あの本の価値以前に、入手経路に犯罪を介していたのかもしれない。
シルヴァはシアンを見た。彼女も猫耳をパタンと倒し、さっき以上に体を縮こまっていた。
しかしシルヴァの視線に気づくと、猫耳はパタンと倒したままだが、体をピンと伸ばしてから、シルヴァに目線を返してうなずく。
彼女はシルヴァの選択に従ってくれるようだ。
シルヴァは考えてから、アレンに回答した。
「人助けってことなら、協力するよ。でも、分かってるとは思うけど、犯罪に関わることはできない」
「助かるよ」
シルヴァの回答に、アレンは目を細めてほほ笑むと、一旦イスに深くもたれかかった。
それからふう、と息をついてから、再び体を正す。
「話を戻そう。姉を襲った連中の目的。それは十中八九、この魔導書だ」
アレンはテーブルに肘をつき、腕に頬を乗せた。少し悩まし気な様子だ。
「魔導書……?」
「ああ。しかもただの魔導書じゃない」
アレンは手を伸ばし、適当にページをめくって見せた。
瞬間、シルヴァのもとに、本を中心とした目に見えない魔力の波が波及して、思わず呼吸を忘れる。
その波が過ぎ去ったあと、シルヴァはおぼえず息を整えた。心臓がバクバクと暴れ、突発的に全速力で遠距離を端切ったような徒労感を覚えていた。加えて、酸欠になったような気も付加されている。
「……分かるでしょ?」
「……ああ」
「……うん」
シアンも同じ境遇だったようで、彼女に至っては息切れを起こしている。はあはあ、と苦しそうに喘ぎながらも、何とか耐えていた。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
心配して声をかけると、シアンは気丈に笑ってみせる。それを見てますますシルヴァは心配になって、思わずアレンに問うた。
「害はないだろうな?」
「ただの魔力だよ。量が多すぎるだけの。悪意は混じってないし、人体に害はない」
「話を続けてもいいかい?」という、シアンの体調を全く気にしていないような態度に、シルヴァは少し納得がいかなかった。
「大丈夫……ちょっと、驚いただけだから」
そんなシルヴァの心情を察知してか、シアンは息を乱しながらもシルヴァを制した。
「……ごめん」
シアンの言葉に、シルヴァは冷静さをかみしめる。こんなことで他人にかみつこうとするなんて、流石にみっともない。
なんだか、町を出たあたりから、ずっとシアンがとても気を使っていてくれている気がする。
そんなことに気づいて、シルヴァは情けなさを自覚した。
「ごめん。続けて」
気を取り直して、シルヴァはアレンに呼びかける。
アレンはうなずいて、話を続きを切り出した。
「これは『神々の終焉讃歌録』と呼ばれる、大魔導書の原典の中の一冊なんだ」
「……難しいな。簡単に言うとどんな感じ?」
「うーん。すごい魔法の使い方が書いてあって、世界に一つしか存在しないような本、という感じかな」
シルヴァがそう言って首をひねると、アレンが簡単にかみ砕いて説明してくれた。
魔道書とか、そういう知識にシルヴァは疎いので、残念ながらあまりピンとはこない。けれど、その魔道書は代えが効かない世界にひとつだけの代物であるということは何となく理解できた。シルヴァはその希少さに息を呑む。
シアンも何となく理解できたのか、猫耳をピーン! と伸ばして答える。
「……ということは、カレンさんを襲った人たちは、その魔道書が目当てだったってこと?」
「多分ね」
シアンの言葉に、アレンはうなずいた。それから、シアンはテーブルの上に出していた魔導書『神々の終焉賛歌録』の一冊を懐に戻す。
彼に様子からすると、その魔道書はいつも肌身離さず持っているようだ。
アレンは言う。
「これは、俺が以前冒険者をやっていたときの伝でね。まあ色々あって入手したんだが……赤の他人にはいそれと渡すわけにはいかない代物なんだ」
「……しかも、その魔導書を狙ってる奴が、姉を人質にしてまで奪い取ろうとする奴だもんなあ」
「そういうこと」
腕を組んでぼやくシルヴァに、アレンはうなずく。
一通りの話を聞いたところ、カレンとアレンが悪さをして報復を受けているようなことではなさそうだ。
シルヴァはちょっと安心して、立ち上がった。
「事情は分かったよ。協力する」
そう言って、アレンにシルヴァは手を差し伸べる。アレンはそれを見て、嬉しそうにその手を取るのだった。