11 獣耳少女は朝が苦手
二人分の食事を乗せたお盆を持って、シルヴァは部屋の中に入り戸を閉めた。そして、天井を見上げると深く息をつく。
久しぶりに昔のことを思い出してしまい、なんだかとても疲れてしまった。
「ん~……」
扉に寄り掛かり虚空を見つめていると、シアンの眠たげな声が聞こえてくる。どうやら彼女が目を覚ましたようだ。
シルヴァは気持ちを切り替え、テーブルの方へ移動する。
「おはよう」
「……おはよう」
テーブルの上に朝食を乗せたお盆を置いて、シルヴァはイスに座る。
シアンはベッドの上で足を崩しており、眠そうに眼をこすっていた。まだ寝ぼけているようだ。
「朝ごはんだよ」
「……うん」
シアンはほとんど瞼を閉じた状態で、ベッドから足を出し、その白くか細い足の先を床につける。それからふらふらと歩き出した。
それを見ていたシルヴァは、そのシアンのおぼつかない足取りに不安を感じて、慌てて立ち上がる。転んでケガでもしたら大変だ。
「あっ」
シルヴァがふらりふらりと歩くシアンのそばに寄ると、彼女がそれに気づく。その足取りを抑えようとしたシルヴァに対して、シアンは正面からシルヴァにもたれかかった。
「えへへ~」
シアンは未だに寝ぼけているみたいだ。シアンはシルヴァの背中に手を回し、顔をシルヴァにこすりつけて、まるで猫のように甘えていた。
シルヴァは突然のことに、思わずそのまま立ち尽くす。
耳からして猫の獣人の血をひいた半獣人みたいだけど……。猫の本能か何かが出てるのかなあ。
嬉しそうに動くシアンの猫耳を上から見ながら、ぼーっとシルヴァは考えていた。というか、そういうことを考えてないと、その可憐さを前に、いけない思考に至ってしまいそうで、そういう意味では必至なシルヴァであった。
「……起きて」
「う~……」
とりあえず、このままでは埒が明かない。このまま眺めていても良かったが、シルヴァは両腕で彼女の肩を掴む。そして自分から離し、軽くゆすった。
「……う~? あっ、おはようございます」
ちょっと揺すると、シアンはゆっくりと瞳を大きく開けた。そして目の前にいるシルヴァを見ると、再びその胴体へ顔をうずめる。
「あの、シアン?」
「うん? ……あっ!?」
困った顔で彼女に呼びかけるシルヴァ。シアンは聞いた途端は気にせずシルヴァの胸の中でうずいていたが、ちょっと後に慌ててシルヴァから離れた。
それから顔を紅潮させ、下を向いた。
「す、すみません……。わ、その、寝ぼけてて……!」
「……いや、大丈夫……。役得だったし……?」
お互いに顔をそらし、気まずい雰囲気が流れた。部屋の中はしんと静まり、外で鳴く鳥の声だけが響く。
「と、とにかく、朝ごはん食べない……?」
そんな中、シルヴァはテーブルの上に置いたお盆を指さして、シアンに提案する。
「う……はい」
未だに頬を赤く染め、両手を重ねて恥ずかしそうにうつむいているシアン。シルヴァの言葉に、かろうじてうなすいたのだった。
朝食を取り終えた二人は、未だにギクシャクしていた。向かい合って各々朝食を口にして、ほどほどの会話もあったのだが、それはとてもじゃないが円滑とは言い難いものだった。
「そ、そういえばさ、シアンは半獣人なんだよね……? 何の獣人? やっぱ猫?」
「え、う、はい。猫の獣人……」
雰囲気を持ちなおそうとするシルヴァの言葉に、シアンはピクリと体全身を震わせて答える。その体の揺れに猫耳もたらんと揺れた。
「猫ってことは……聴覚が凄かったりするの?」
「そうだね……。人間が聞くことのできる範囲は分からないけど、たぶん人間よりも聞ける範囲は広い、かな……? あと、人間よりも身体能力が高いんだよ!」
「へぇ……。その細い体で?」
シアンは人差し指を伸ばして顎にあて、考えながら答える。
その回答に、シルヴァは茶化すように笑うと、シアンは頬を膨らませた。
「信じてない感じですね?! 私だって、結構動けるんだよ!」
「そうネ、運動神経いいネ。さすがだネ」
「う~……っ!」
まともに聞こうとしないシルヴァに、さらにシアンの頬は膨らんだ。真ん丸で青く綺麗な瞳でシルヴァを見ると、その場で立ち上がった。
それから、イスから少し離れて、部屋の比較的広い所へ歩いて行った。
さすがにからかいすぎたかな……。
と、シルヴァが微笑みを崩さずに内心思った。しかしその思いとは裏腹に、頬を真っ赤に染めたシアンは腰に左手を当て、右手でシルヴァを指した。
「じゃあ見せてあげるよ! バク転だって、簡単なんだからですよ!」
「そっか、バク転……ん?」
やる気満々に、両拳を固めてやる気をいれるシアン。そんな彼女を見ながら、シルヴァはとある考えに行き着いた。
「ちゃんと見ててね!」
「ちょ、ちょっと待っ、ワンピースで……!」
シルヴァの静止は、少し遅かった。
シアンはそのまま床を蹴って、くるりと空中へ跳ぶ。その際に、彼女の着ていた白いワンピースがふわりと舞った。そう、そのワンピースが問題なのだ。
ふわりと、下のスカート部分がめくれるのも当然なことであり、場所的にもシルヴァの前の前でそれは起こる。
シルヴァは咄嗟にそこから目をそむけようとするが、間に合わない。
見事に着地するシアン。しかしその表情は、バク転の着地が成功して自慢げなものではない。
手でワンピースのスカート部分を持ち、中が見えないように伸ばしながら、シアンはこれほどにないほど赤面した顔で言う。
「……見るために、誘導した?」
「い、いや違う!」
じり、と睨んでくるシアンにシルヴァは慌てて否定した。シアンは疑いの視線を緩めず、さらに口を開く。
「……じゃあ、その、なんていうか……。見た?」
「い、いえ! ワンピースの白い部分しか見えてないって! 見えてたとしても、この部屋薄暗いから影と勘違いすると……」
「……なんで、影と勘違いしちゃう色だって分かるですか……?」
墓穴を掘った。嗚呼、余計なことを言った。
涙目になってシルヴァを睨んでくるシアン。シルヴァがもし、そういう経験について豊富であるならば、この危機をうまく乗り換えられていたであろうが、残念ながら豊富ではないがためにこのようなことになってしまった。
「……に、」
シルヴァを見据え、何やら言葉を吐き出すシアン。シルヴァはしてしまった事が事であるから、迂闊に声を出せない。
「に、似合わない、とか、思ってる……?」
シアンは紅潮しきった頬で口ごもり、涙で滲む青い瞳を反らした。言いながら、ワンピースの端をぎゅっと握る。
シルヴァもシルヴァで、こんなことを聞かれるとは思っておらず、頭の中がさらに混乱した。
混乱していたのだ。少しおかしくなっていたのだ。だから、ちょっと隠すべきものが露出したところで、誰も責めることはできない。……多分、恐らく。
「えっ、えっと、結構好きだけど……っ!」
本音を丸裸に口にしてしまい、シルヴァはサッと血の気が引いた。もう滅茶苦茶である。
頭を抱えるよりも早く、シルヴァは、恥ずかしさが頂点に達したシアンから怒涛の言葉をぶつけられた。
「で、出てって! お盆! 返してくればいいじゃない!」
「は、はいっ!」
出ていけ発言は分かる。しかし、お盆も持っていけ発言は分からない。
しかし、少なくても頭の中が混乱して熱暴走を起こしているシルヴァにとって、彼女の発言をおかしく思う余裕はなかった。
二人分の食べ終わった食器が並んだお盆を持ち、そのまま部屋を大急ぎで退室する。そしてそのまま、大急ぎで宿の受付に向かった。
「……あら、ありがとう」
受付にお盆を持っていくと、そこにいた従業員のおばちゃんが笑顔で迎えてくれた。シルヴァは何か言う余裕もなく、無言でお盆を渡す。
と、そのおばちゃんは悪気なくシルヴァに問う。
「あら、顔赤いわね。熱とかあるの? 大丈夫?」
そこでシルヴァは、自分の顔が真っ赤であることに気づき、一気に恥ずかしさが込み上げてきた。頭は暴走してもう大変。
「だ、大丈夫っす……」
かろうじて、おばちゃんの言葉に答える。シルヴァはそのままふらふらとした足取りで、部屋に戻ろうと歩き出した。
ふらりとした足取りを心配に思ったおばちゃんは、受付から身を乗り出してシルヴァの後姿を見守ってみる。
すると、
「――っ!」
「ちょっと!」
突然、シルヴァは自分の頭を、軽くではあるが廊下の柱に打ち付けた。
さすがにやばいと思ったのか、おばちゃんもシルヴァに駆け寄ろうとする。
「だ、大丈夫です……」
打ち付けた頭を手でさすりながら、シルヴァはおばちゃんの方を向いて軽く笑って見せた。
「ちょっと、その、煩悩を消し炭にしただけです……」
「は、はあ……」
シルヴァの言葉に困惑するおばちゃん。そんなおばちゃんの困惑も解かず、シルヴァはそのまま一礼すると、その場を立ち去ったのであった。
シルヴァとシアンが泊まった一室にて。
シルヴァがお盆を返しに部屋を出た後のこと。
赤面したシアンは、シルヴァが退室したのを確認すると、そのままベッドに座り込んだ。
そして膝を抱えてうずくまる。
「……」
恥ずかしさに溺れそうになりながら、彼女はさっきのことを思い出していた。
「……結構好き、かあ」
そして、ちょっと嬉しそうに笑ったのだった。