3.耳飾り
砂漠の町の朝は早い。まだ日は昇っていないが、辺りが徐々に明るくなってきた。
「んー、よく寝た!」
セレンは起き上がり、体を伸ばす。そしてベッドを飛び出し、身支度を整える。寝る時に取ったスカートを身につけると、腰布をウエストに巻く。
それから長い黒髪を櫛でとかし、その髪を頭のてっぺんで一つに結う。これがセレンにとっては楽なのだ。長い髪はいざとなったら売れるので邪魔になる時まで伸ばしている。
「おーい、師匠?」
食堂では見かけなかったので、琉烏の部屋の扉を叩く。一度断りなしに琉烏の部屋に入った時とても怒られたことがある。それ以来せめてノックだけはしている。
「師匠、入るぞー?」
しかし勝手に入る癖は抜けていない。子どもの頃は朝方勝手に寝床に潜り込み、起きてからこっぴどく叱られた。
部屋の扉を開くとすぐベッドが目に入るが人が寝たような形跡もないまま整っている。
「師匠?いないのか?」
荷物は大きな袋に入ったまま残っている。
「散歩かな」
セレンは一抹の不安を覚えながら、宿屋を出た。
茶屋を覗くがまもなく閉店と言うことで、店員が首を横に振る。他の酒場ももう店じまいだ。店先で眠そうに欠伸をする店員らしき姿を横目で見やりつつ、セレンは足を急がせる。
公園、今は閉まっているが店の建ち並ぶ場所、広場、砂漠へ続く道、果樹園、大都市の方へ続く道、井戸、礼拝堂・・。小走りに歩き回ったがどこにも琉烏の姿はなかった。
息を切らしながら、宿屋へ戻った時はもう橙色の太陽が顔を見せ始めていた。
宿には戻らず、しかし行く当てもなくセレンはとぼとぼと歩き始めた。
気がつくと広場にいた。
「師匠・・・・・・どこ行ったんだよ」
セレンは立ち尽くす。
「ねえねえ、お姉ちゃん」
突然スカートの裾をくいくいと捕まれセレンは振り向く。すると小さな少年が立っていた。
「お姉ちゃん、落とし物?」
少年は手を差し出す。その手の平には深い緋色の耳飾りがのっていた。
「これ!」
セレンは驚きの声を上げる。その耳飾りは琉烏の物だ。セレンが持つ琉烏から贈られたペンダントと同じ素材でできたもので、琉烏がたまに耳に付けていたものだ。
セレンはしゃがみ込み、少年の目線に合わせる。
「これ、どこでみつけたの」
「ついて来て」
少年はにっこり笑うとセレンの手を引き、場所へ案内する。広場からいくつか店の並んだ場所を抜け、町の外れにやって来た。ここは外側との境界であり、魔除けも兼ねた柵が立っている。柵には魔術師によって魔物を退ける簡単な魔術がかけられている。
「ここに落ちていたんだよ」
少年は地面を指さす。それは柵の内側に落ちていたという。
柵の外には道が続いている。旅する人々が目印として置いた石が光る道だ。その道はこの地域の大都市へ続く、そしてやがては東の国へと続いていく。
「東への道」
呟きが漏れる。セレンの胸に自分が置いて行かれたのだろうかという不安がよぎる。
「師匠・・・・・・・なんで?」
呆然と立ち尽くすセレンを少年が不思議そうに見やる。
「お姉ちゃん、これ返すね。絶対になくしちゃだめだよ」
少年はセレンの掌を取り、耳飾りを無理矢理握らせる。
そして勢いよく元来た道を走りだした。
「あ、ちょっと、君!待って」
「また機会があったら会おうね」
少年は一度だけ振り返り、そう告げると足早に立ち去っていった。
「あ、ちょっと、あ、あ」
まだ聞きたいことがあるのに、それにお礼の言葉も言えていない。
「ありがとうー!」
大きな声で叫んでみる。この言葉は届いただろうか。
セレンも気を取り直し、一度頬をパンと叩き、気合いを入れる。
「朝御飯を食べよう、それから師匠を探しにいこう」
片手に握りしめた耳飾りを布袋にしまう。その中には琉烏から貰ったペンダントも一緒に入っている。セレンは宿屋へ向かって歩き出した。
途中軽食屋で手に入れた薄いパンに肉を挟んだ物を買い、パクつきながら宿屋に戻る。
「お腹を満たさなきゃいい考えは浮かばないってね」
琉烏の部屋をもう一度ノックしてみる。一抹の期待は萎んだ。
セレンは中へ入り込む。整ったベッド、そしてベッドの脇にまとめられた荷物。まさにこれから出発します、と言わんばかりの荷物。
「まとまった荷物があるってことは師匠は旅に出たわけではなさそうだな。まさかいらないものを置いて行ったってことは」
そう呟き、自分もいらない物だったのだろうかとの考えが頭をよぎる。セレンは頭を横に振り嫌な考えを追いやった。
そんなことはない。自分は師匠とうまくやってきたはずだ。捨てられるはずがない。
とりあえず中身を見てみようと革でできた袋を開く。すると沢山の品々が出てきた。セレンはそれを一つ一つ床に並べていく。
ナイフ、金貨、銀貨、銅貨、魔術の札、魔術で使う粉、方位がわかる装置、高価な薬草、世界地図、等々。
「こりゃまた、えらく高価そうな物ばかりだな。まさか師匠」
賞金稼ぎだけでなく実は盗賊もやっていたのだろうか、という嫌な考えが頭をよぎる。
方位がわかる装置や世界地図は王侯貴族のような身分が高い人間でないと手に入れられないものだ。地図は旅人向けの簡素なものはあるが、世界地図となるとまず市中に出てくることはない。
そういった品々を持っているということは悪いことをしていたか、悪い組織と繋がりがある可能性もある。そういえば東の国へ向かう途中に罪人が送られる施設があると聞いたことがある。
もしかして、もしかしたらだが、悪いことをしていたのが発覚してお縄になってしまったのかもしれない。
「いやいやいや、師匠に限ってそんなこと」
師匠はわりと善良な方だ。お年寄りには優しいし、仕事も手抜きをしない。そしてセレンが嘘をついたり、ごまかそうとすると厳しく叱る。そんな師匠が悪いことに首を突っ込んでいるとは思えない。
ではなぜ東の国へ向かう道に琉烏の持ち物が落ちていたのだろう。もしかして何らかのトラブルに巻き込まれて、無理矢理連れて行かれたのではなかろうか。
「でも荷物はここにあるわけだからな」
仮に、あくまで仮に琉烏が犯罪に手を染めたとして、そうしたら役人達はまずこの荷物を調べにくるはずだ。
「ま、まさか。現行犯・・・・・・?」
嫌な汗が額からだらりと垂れ落ちた。いやいやいや、師匠は人様の物に手を出すような事はしない筈だ。
「とりあえずは情報収集をしないと」
セレンは琉烏の荷物を元に戻し、仕舞い込んだ。それから自分の荷物も琉烏の部屋に移動させる。そして宿屋の主人の元へと向かった。
宿屋のすぐ隣にある小さな小屋がある。ここに宿屋の主人がいる。
「あ、あの、部屋を借りてる者だけど」
ノックをして声をかけるとふくよかな初老の男が出てきた。
「おお、どうしたかね」
主人の居住スペースに招かれ、セレンは勧められるままに椅子に座る。
「ちょうどお茶にしようと思っていてね」
セレンの前に湯気の立ったマグカップが置かれる。
「ナツメ茶だよ」
「ありがとうございます」
セレンはマグカップを両手で持ち、ふーふーと息を吐く。
「それで何か聞きたいことがあるのかな」
優しそうな表情で話を促す。
「その、あの、師匠を、あ、連れの男を見なかったか」
「ああ、琉烏君だね。今日は見てないよ」
男の言葉に肩をおとすセレン。しかし気を取り直してさらに情報収集を試みる。
「じゃあ、昨日は会わなかったか?」
「昨日?昨日は昼間に町で見かけたな。おお、あと一昨日一緒に飲んだよ。彼、あまり強くないね。1杯飲んだだけで眠そうだったよ」
「一昨日の夜?他に誰かいた?」
「ああ、髪が長くてえらい綺麗な兄ちゃんがいたな」
「カシャロット!」
「そうそう、そんな名前だったな。琉烏君は1杯飲んですぐに引き上げたけど、そのカシャなんとか君は暫く飲んでいたな」
その時のことを思い出したのか、ガハハと笑う。
「師匠とはどんな話を?」
「なんでも一日疲れたとか、次は東へ行くとか、東の酒はうまいとか、準備がいるけど大方片づいたとか、砂漠の珍しい生き物のこととか。琉烏君は色々な所を旅しているから面白いね」
感心したように主人が頷く。
「ちょっと待った。準備が片づいたって言ったのか?」
セレンは違和感を覚えた。琉烏がセレンに東の国へ行くことを伝えたのは昨日のことだ。
「ああ、確かにそういっていたな。そうそう、」
主人はそういいながら席を立ち上がり、奥の方で何かを探し始める。
「これこれ、駱駝貸出札」
セレンに差し出したのは木で出きた札だ。
駱駝貸出札、それは文字通り、旅に必須の駱駝を貸して貰うための札だ。この札で駱駝を借りて、次の都市で返却できる。返却した駱駝は少し休んだ後、また誰か町へ行く人に使われ、戻ってくるのだ。
「琉烏君からこれをセレン君に渡して欲しいと頼まれていたんだ」
「へ?師匠から?」
いつもであれば高価な札をなくしたり、盗まれると困るからと琉烏が持つのだ。セレンは困惑した表情で札を握りしめる。
「あと、出発の時に駱駝に荷物を載せるのを手伝うから、必要なときは声をかけてくれよ」
悪いがまだ仕事があるから、と主人は立ち上がる。
「あ、と、すみません。ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げ、部屋を出る。結局琉烏の居所はわからなかった。但し、昨日の昼間まではこの町にいたことは確かだ。そして一昨日の時点で旅の準備を終えていたらしい。
一昨日と言えば、セレンがカシャロットによって砂漠に飛ばされた日だ。
「カシャロット!!!」
セレンの眉間に皺が寄る。あの男が諸悪の根元だ。まだこの町にいるかもしれない。見つけだして何か聞き出してやろうとセレンは走り出した。
探し人はわりとあっさりみつかった。セレンが町の市場に通りかかると長身、長髪の男が店先で何やら物色している。
「うーん、この色もいいわね。あ、でもこっちの淡い色も素敵ね。でもでもこの鮮やかなのも捨てがたいわ♪」
「もしもーし!カシャロットさん」
セレンはつんつんと男の腰をつつき、声をかける。しかし男は気づかず、物色を続ける。
「あーん、でもこの柄が入ってるのも可愛いわぁ♪」
「ちょっとすみませーん。カシャロットさーん」
男が悩ましげにため息をつく間もセレンはずっと腰をつつき続けていた。
「沢山あって悩んじゃうわぁ♪」
「カシャロット、カシャロット!ちょっと!ちょっと!いい加減気がつけーーー!!!」
セレンが声を張り上げる。するとようやくカシャロットはくるりと振り返った。
「あっらー、誰かと思ったらちんちくりんちゃん、じゃない」
「ちんちくりんじゃない!」
「ちんちくりんちゃんもお買い物?」
「違う!ちんちくりんじゃない!」
「ふーん?あたしに何か用かしら?とーっても忙しいのだけど」
両手に美しい布を掴んだままカシャロットは小首を傾げる。セレンはため息を一つつく。
「買い物が終わったらつきあって欲しい」
「オッケーよ♪ちょっと待ってて」
意外にもすんなり了承を貰えてセレンは拍子抜けする。カシャロットは決めかねたのか美しい布を何枚も抱えて店の主人と何やら交渉している。沢山買うのだから少しまけなさいと言っているようだ。主人も根負けしたようで、カシャロットは満面の笑顔で戻ってきた。
「ふふふ♪東の国から来た織物よ。可愛いでしょ」
買ったばかりの戦利品をセレンに見せびらかす。セレンは装飾品には興味がない。それでもその織物の触り心地はすべらかで、また施された刺繍も細かく美しかった。
「さてさてお買い物も楽しんだし、お茶にしましょ♪」
「ああ」
二人が入ったのは熱射茶屋だった。
「セレンちゃんは何にする?ご馳走してあげるわよ」
「んっと、白パンと肉の串焼きとこの煮込み料理とイチジク茶」
「結構食べるのねえ」
カシャロットが呆れたように呟く。
「あたしは麦珈琲」
「え?それだけで足りる?」
「足りるも何も」
そう言って苦笑いを浮かべるカシャロットにセレンははっとする。魔物は基本的に食事を必要としない。食事をすることで少しは栄養を取ることができるが、魔物にとってそれは嗜好品と変わらない。
注文を終え、料理が来るまでにセレンは今までのことをカシャロットに伝えた。
「・・・・・・それで、師匠は東の国へ一足先に旅立った、もしくは誰かに連れて行かれたと思ってる」
セレンは真剣な表情でカシャロットをみつめる。この町で他に当てにできる人、否、この場合は魔物、は彼しかいない。
「琉烏の耳飾りが東の国への道へ落ちていたのね?」
カシャロットの瞳に一瞬妖しい光が宿る。
「うん。町中を探し回ったけれど、みつかったのはこの耳飾りだけだった」
「そう。セレンちゃんがこれを見つけたのね?」
「いや、正確に言うと見つけたのは私じゃない」
「へえ?」
「子どもが、男の子が落とし物だと言って持ってきてくれたの」
「・・・・・・持ってきてくれた?」
カシャロットの瞳がギラリと光る。
そこで料理と飲み物が運ばれて来て会話が一度中断する。
「うわー♪おいしそー」
長い串に大きな肉がいくつか刺さったもの、グツグツ煮込まれた温かい料理にセレンは目を輝かせる。
「いただきます」
「いただきます」
カシャロットは肉にかぶりつく少女を眺めながら考えを巡らせていた。あの耳飾りは普通の人間には見えないし、拾えないはずだ。ましてやその場所から動かすことはできないはずだ。
何故ならば、目の前の少女の師匠である琉烏がそういった魔術を施したからだ。
「んー、お肉柔らかい♪煮込みも味が濃くて染みるー」
ふとカシャロットがセレンを見ると、肉の刺さっていた串はもう半分になっている。さっき町で声をかけられた時はこの世の終わりのような表情だったのに、呑気なやつだ。
カシャロットは麦珈琲をすすり、また思考に没頭する。魔術が施された物を難なく持って移動できるということは相手は自分のような魔物か、強い魔力を持つ人か、或いは・・・・・・。カシャロットは身震いする、あとそんなことができるのは人でも魔物でもない存在だけだ。
やっかいな存在が関与してきたと思いつつ、セレンに聞こえないよう小さくため息をつく。
気がつけばセレンは料理の皿を空にしていた。
「あー、おなかいっぱい!しあわせだ」
「それは何よりだわ」
「それで話を戻すけど、セレンちゃんはこれからどうしたいの?」
「私は琉烏を探したい。琉烏が危ないことに巻き込まれているなら助けになりたい。もしも琉烏が自分で一人になると決めたなら」
そこで一度言葉を止め、セレンは瞳を閉じた。そして深く深呼吸をする。
「せめてその理由が知りたい」
目を開き、まっすぐな瞳でカシャロットをみつめ、セレンは答えた。
「そう」
カシャロットは小さく頷く。
「残念だけど、今琉烏がどこにいるかはあたしにはわからないわ」
「だよなー。師匠、どこ行ったんだよ」
「でもね、東の国は琉烏の故郷なのよ」
「師匠の故郷?」
初耳の情報にセレンは驚く。長く一緒にいる自分が知らない個人的なことをこの魔物はどうして知っているのだろう。
「東の国は遠いわよ。まずここからだと、砂漠の王宮都市を目指さないと」
地図はいつも師匠任せにしていたセレンは首を傾げる。するとカシャロットが茶色い紙を取り出し、セレンに見えるように何やら書き始めた。
「ざっくりとだけどね、まず今はここ。砂漠の町にいるでしょ。ここは砂漠に一番近い町」
紙の真ん中に点を描き、さらにそのほぼ真下に間隔をあけて丸をつけ、町と書き入れる。
「で、この中心の丸がこの砂漠一帯を治める王が住む大都市」
大都市と加える。
「この町からどこかへ行くにはまずこの大都市へ向かうって聞いたことあるでしょ?まずここで補給しないと東まで持たないわ」
「大きな街か。なんだか楽しそうだ」
「そんないいところでもないわよ?ごみごみしているし」
「カシャロットさんは行ったことあるのか?」
「カシャさん、でいいわ。勿論、行ったことあるわよ」
カシャロットはさらに地図の右上の辺りに丸を書き入れる。
「ここが目当ての東の国」
「思っていたより近そう」
しかしカシャロットはさらに地図に何かを書き加える。地図の上側と下側にそれぞれ斜線を書き加える。
「近そうに思うでしょ。でも下側は砂漠、上側は森」
「砂漠に、森」
砂漠も森もどちらも魔物や怪物がうじゃうじゃ生息する場所だ。
「で、この何も塗っていないところは草原地帯よ。といっても砂漠より多少ましなだけの場所よ」
大都市までは何とか進めそうだが、そこからの道程はなかなかに大変そうである。
「ねえセレンちゃん。別に無理して琉烏を探しに行く必要はないのじゃない?」
カシャロットの瞳が妖しくきらめく。
「旅は大変だと思うわよ?」
セレンは地図をみつめる。確かにこの旅は大変そうだ。何より今まで自分一人だけで旅をしたことはない。いつも隣に琉烏がいた。
「でも、でも、私は師匠に会いたい。会って話をしたい」
セレンはまっすぐな瞳でカシャロットをみつめた。カシャロットは目を逸らさずみつめ返す。
「そう、わかったわ。なら準備くらいは手伝うわ」
ため息を一つつき、カシャロットは微笑んだ。