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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

スイセンの花が咲く頃に

作者: 蒼弥

 男尊女卑。男を尊び、女を卑しめる。平成以前の日本や中世の西洋において広く浸透していた概念である。男は女と比べて身体が大きく、力が強い。だから男は戦や農作業に務め、女はそんな男を支えなければならない。二一世紀の日本に生まれた僕からしたら、何とも古臭い考え方だ。男でも女でも、才能がある人は人並み以上に物事をこなせるし、要領が悪い人は何をやっても上手くいかなかったりする。そこには、男女の壁なんてあってないようなものだ。

 そして、こと才能という点において、僕はその最たる存在だ。醜悪な容姿。いくら鍛えても筋肉の付かない身体。幸い勉強だけは出来たけれど、頭の回転が良いというわけではなく、対人経験の不足とコミュニケーション能力の貧弱さから、優秀な成績が(かえ)って悪印象になっている。

 それに対して、僕の唯一の友人である幼馴染みは、容姿端麗、成績優秀、明朗快活で人付き合いも良く、多くの友だちの中心で笑っている。幼馴染みといっても、家が隣で通っている学校が同じなだけ。小学生時代にはあった付き合いも、中学生にもなれば少なくなっていき、高校生ともなった今ではたまに顔を合わせたら挨拶をする程度の薄い関係を辛うじて繋いでいるのが精一杯。それも最近は危ぶまれている。

 すべてが劣悪な僕と、すべてが優秀な彼女。言うなれば、女尊男卑。レディースデーとか女性専用車両とか、そんなちゃちなもんじゃない。ここまで勝ち負けがはっきりしていると、嫉妬心なんてかけらも覚えず、ただただ尊敬するしかない。いや、もしかしたら、僕は彼女を崇拝すらしているかもしれない。それくらいに僕は彼女のことを想っている。

 これから話すのは、そんな僕と彼女の話。

 ちょっとだけ価値観が変わった世界の、ほんのささいな物語だ。


   §


 享年一八歳。それが僕の人生だった。何か劇的なドラマがあったわけでもなく、感動的なエピソードが生まれたこともない。呆けながら歩いていたところを車に轢かれ、そのまま誰にも気づかれることなく死んだ。葬式は身内だけで終わらせたし、僕が悲しんでいる人もいない。いや、幼馴染みの彼女だけはわざわざお通夜まで来てくれて、僕のために泣いてくれたのか。それこそが彼女だ。こちらが一方的に想っているだけで、大して親しくもない僕のために泣いてくれる優しさ。たとえ内心でどう思っていようと、それだけで僕は満足していた。

 そうして、僕が死んでから四八日後、僕は改めて両親のもとに生まれた。これは別に僕が僕の弟として生まれたという意味ではない。僕は、僕として、また新しく生まれ変わったのである。ご丁寧にも僕が生まれた年まで遡って。言うなれば、僕は人生をつよくてニューゲームしたことになる。

 新しい(あるいは二周目の)人生は、けれど前の(もしくは一周目の)人生と大きく違うことがいくつかあった。一つは、男女の在り方に対する考え方がほとんど真逆になっていたこと。そしてもう一つは、美への価値観が一周目と二周目ではまったく違うことだ。一周目の価値観では醜悪の限りだった僕が、二周目では絶世の美男子として周りの人々に持て囃されているくらいに。そして、あんなに人々から慕われていた彼女が、その容姿から周囲に蔑まれているほどに。

 そのことに気づいたのは、小学校高学年、性教育を受けたときだった。女が生み、男が育てる。なまじ一周目と二周目が似通っていただけに、そうした違いに気づくことが出来なかった。いや、白状すれば、浮かれていたのだ。一周目と違って、彼女の隣にずっといることができたから。違和感なんて随所に感じていたのに、全部後回しにしていた。思えば、総理大臣を始めとする政治家の人たちはほとんどが女性だったし、カリスマモデルなんてテレビで取り上げられるのは僕ほどじゃないにしても醜い男の人ばかり。テレビはあまり観ないし外にも遊びに行かないからそこまで気にならなかったとはいえ、ぼくがどれだけ怠惰なのかを表していた。記憶を持ち、以前と同じような世界にまた生まれたという明らかな異常。それを軽んじていた。

 小学六年生。一二歳となる僕らにとって、男女の性差とは無視できないものとなっていて、それは同時に、容姿の美醜や性的な魅力に対しての意識が芽生える頃でもある。そしてその価値基準は一周目のものとは異なるものとなっていてーーその結果、彼女は僕の目の前で、自身の醜さに嘆いていた。かつての僕のように。

 目の前の机には、見るに耐えない罵詈雑言が書かれ彫られ、加えて泥や給食の牛乳がぶちまかれていて、悲惨なことになっている。考えるまでもなくいじめだ。あれだけ褒め讃えられていた彼女が、幼稚な悪意に曝されている。そしてそれを、僕は今の今まで見過ごしていたのだ。誰よりも彼女を見ていたはずなのに。

 彼女は泣いていた。声を上げることをせず、ただ、静かに涙を流していた。一周目も含めて、僕と彼女の付き合いは長い。彼女が泣いているところなんて何度も見たことがある。でも、こんなにも胸が痛くなるのは初めてだった。

 これまでにないくらいの怒りを感じていた。彼女をいじめる人たちのこと。彼女を醜いとする価値観のこと。そして、周りからちやほやされることに浮かれ、彼女のおかれた現実を見ようとしなかった僕自身のこと。

 雑巾を持ってきて机を拭く。彼女はそれを無言で見つめていた。僕も、心がぐちゃぐちゃになって、何を言えばいいかわからなくて、ただ、机をきれいにすることだけを考えた。

 何度も雑巾を洗いに行くのが面倒になって、水を張ったバケツを近くまで持ってきた。そうして、時折雑巾を水ですすぎながら、何度も机を拭いた。泥や牛乳はすぐに落ちた。問題は、マジックペンで書かれた落書き、そして直接刻まれた罵詈雑言。マジックペンは油性らしく、何度水拭きしてもほとんど消えないし、机に彫られたものに関しては何も出来ない。どうにか出来るような道具を、僕は持ってなかった。

 そのうち、机の上にぽたぽたとしずくが落ちてきた。それを雑巾でぬぐうと、また落書きを消す作業に戻る。何度も、何度も。落書きを消さなきゃいけない。これは僕の罪の証だ。消さなきゃいけない。机を拭く。何度も、何度も。


「もう、やめて」


 声がした。


「ごめんなさい。そんなことさせて。

 ごめんなさい。そんな思いさせて。

 ごめんなさい。私なんかが、こうちゃんと一緒にいて」


 ごめんなさい。なんども、何度も彼女はそうつぶやいた。顔は涙と鼻水でべちゃべちゃだった。両手は強く握りすぎて白くなり、震えていた。よく見れば、上履きは不自然に白く、ほとんど新品のようだった。可愛らしい白いブラウスは、その胸元が濡れて、薄く透けていた。袖は黒く汚れていたし、ズボンもいくつか妙なシミがある。

 きっと、ずっとそうだったのだろう。何度も、何度も、今日みたいに、悪意に晒されてきたのだろう。そしてそれを、ただ耐えてきたのだ。僕が気づかないように。僕に、気づかれないように。

 ──ああ、いやなものをみた。

 これは前の僕と同じだ。

 僕は彼女が好きだった。好きだから、一緒にいたかった。けれど周りはそれを許してくれなくて、だから、僕のことを排除しようとした。

 それを、彼女は知ってしまって、そうして、僕を守るために、彼女は僕から離れた。僕から離れて、僕のことを守ってくれた。

 ──でも僕は、そんなこと、望んじゃいなかったんだ。

 目の前でうちひしがれる彼女を抱きしめる。強く、逃がさないように。僕の身体は貧弱で、彼女が拒めば、すぐに引きはがされてしまうだろう。だから、言葉でつなぐ。


「僕がしいちゃんを守るから。僕が、ずっとずっと、しいちゃんのことを、守るから」


 だから、どうか僕から離れないでほしい。


「しいちゃんのことが好きなんだ」


 最近彼女に避けられていることを知っていた。

 この世界じゃあ、男女の価値観は逆転している。それは、男女の身体能力が逆転しているからで、この世界の女性は男性よりも力強く、頑強で、たくましい。そしてそれは、精力にも当てはまった。

 彼女は脅されていた。僕は、知らないところで、知らない人たちから人質にされていた。僕と彼女が親しいから、そんな関係を利用された。だから彼女は、僕から離れた。僕が、狙われていることにも気づかず、安心して過ごせるように。

 知らなかった。いや、知ろうともしなかった。前世も今世も、美醜や男女の価値観が変わっても、僕は、彼女に守られていた。

 でも、そうじゃない。そうじゃないんだ。僕は君と一緒にいたい。どんな目に遭っても、どんなことがあっても、僕は、君とともにいたい。

 前世の僕は、醜くて、何をしても駄目で、周囲から蔑まれて生きてきた。だから、そんなこと、口が裂けても言えなかった。

 でも、この世界でなら、こんなことを思っても許されるかもしれない。僕は相変わらず駄目で、才能なんて何もないけれど、この世界でなら、君と一緒にいることを認めてもらえるかもしれない。

 そのために、僕は、君に守ってもらった分、これから君を守り続ける。

 その日、僕は、初めて、この世界の君を見つめた。

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