奴隷の価値は
奴隷。それはこの世界、少なくとも今生活しているこの国、と思われる場所には普遍的に存在している身分の一つである。どれほど昔から存在していたかは分からないが、現在は奴隷という身分が存在するのが普通の事だ。ノゾム、それ以前のこの身体の元の持ち主は元々奴隷として売られる途中で谷底へ転落しノゾムへと成ったという経緯がある。言うなれば元々は、ノゾムは奴隷であった。
奴隷に関してそれほど詳しい知識がある訳ではないが、単純な人足として用いられるのが普通だと思われる。生憎と言うべきか、ノゾムは本物の奴隷を見た事は無い。というかさも「私は奴隷です」という風に生活している人を見たことが無いのだ。もしかしたら奴隷と分からなかっただけで今まで見てきた人物の中に奴隷が居るかもしれない。それくらい、この街では奴隷が生活に浸透していると言っても間違いはないのかもしれない。
ともかく、ノゾムは鍛冶屋の店員からこの街にただ一つの奴隷商会の場所を聞き、今訪れた所である。街の中央広場から右の大通りに入り大通り沿いに進んですぐの場所に奴隷商会はあった。立地条件が商売をする上ではかなり良い事、商会の建物の見た目はとても清潔にされており凡そ奴隷と聞いて連想するような酷い扱いがされているような生活環境に置かれているとは思えない建物だった。
奴隷商会の扉の前には門番なのだろう、革鎧を身に纏った探索者風の男二人が左右を固めている。彼らの前に立つと、門番風の二人はノゾムに気付き、少々戸惑ったような表情でお互いを見合った後、声をかけてきた。
「……あー、君。ここは奴隷商会だが、何の用かな」
「奴隷を買いに来たんだが」
ノゾムがそう応えると、二人はますます困ったような表情を浮かべる。
「あー、そうなのか。君、お金は持ってるのかな?」
なるほど、二人は金の心配をしていたのかと思い至ったノゾムは、鞄から金の入った革袋と一緒に探索者証を取り出した。
「心配しなくても金はある。それに俺は一応探索者なんでね、もし心配なら探索者ギルドのガッザムにでも声をかけてきてくれ。ノゾムという探索者が居るか、とな」
ジャラリと音を鳴らす革袋と差し出された探索者証に少々どころではなく驚いた表情を浮かべた二人。一応ノゾムは先程鍛冶屋で見繕ってもらった革鎧といつもの大鎚を背中に背負っているのだが、見た目が見た目なのでそこらへんから探索者であると察する事は出来なかったらしい。彼らはノゾムの差し出した探索者証を見て、それが木札などではなく、金属で出来たものである事から入りたてを脱した、探索者ギルドが一定の身分を保証する物である事を確認してから、黙って扉を開いた。
「済まないね。奴隷を扱っている都合上、色んなトラブルがあるもんでね」
「まぁ……色々察する事はできるよ。不審を与えて悪かったね」
「いやいや。じゃあ中へ入って、どうぞ」
門番の二人とやり取りを終え、開けられた扉をくぐると、絨毯の敷かれた綺麗な内装のロビーへと繋がっていた。ほんのり良い匂いもするし、何か香でも炊いているのだろうと思いつつ周囲を眺めながらロビーを進むと、正面に丸カウンターがあり、その中に一人の女性が座っているのが見えた。何かカウンター内で書き物でもしているのだろう彼女の所へ進むと、コンコンとカウンターを叩く。その音に女性が気付き、ノゾムと目を合わせた。
「すまない、奴隷を購入しに来たのだが」
「あら、いらっしゃいませ。気付かずに申し訳ありません。奴隷のご購入ですね」
女性はそう言うと書き物を止め、横から新たに書類を取り出すとペンを手に話を始めた。
「それでは、ご希望の性別や年齢、人種などはございますでしょうか」
女性の言葉に一つ頷くとノゾムは口を開く。
「性別は女性、歳は確か……16か。兎人族のネムリルと言う女性を頼む」
ノゾムの言葉に女性は一つ眉を動かすとペンを紙に走らせ、傍らに置いてあるハンドベルを鳴らす。すると、ロビーの横の部屋から燕尾服を着た執事風の男が現れると、女性の傍らへとやってきた。彼女は黙って今書いたメモを渡すと男は黙って下がっていく。それを見届けると、女性は再びノゾムへと視線を向けた。
「もしかして、縁故での買い取りですか?」
「縁故というか、何というか。とりあえず知っていそうな人物がこの商会に居るかもしれないと、ね」
「はぁ、そうですか……」
何とも曖昧な言葉に女性は頷くべきかどうか考えて、とりあえず納得する。
ノゾムの指定した兎人族の女性は、元々ノゾムと同じ村、というか集落からノゾムと一緒に売られた人物である。ノゾムとは特別何かある訳ではないが、ノゾムの前、身体の持ち主は記憶にある通りでは幼い頃に面倒を見てもらっていた程度の付き合いである。小さな集落なので子供の面倒は村ぐるみで見るような文化があり、両親が仕事をしている間はまだ仕事に就いていなかった女児が年下の面倒を見ていたのだ。その内の一人がネムリルである。
そんな事を思い出した為にノゾムはこうして奴隷商会にやってきたという訳である。仲間になりそうな人物の心当たりとしては、彼女以外居なかったのだ。だがそれも元同じ村、集落出身というだけの薄い繋がりであるが、無いよりはマシな繋がりだ。何とか彼女が仲間になってくれる事を祈るばかりである。
そう考えていたノゾムの前に再び燕尾服の男が現れると、ノゾムを奥の部屋へと促した。
「どうぞ、ご指定の奴隷が待機しております」
居てくれたか、と安堵したノゾムはほっとした表情のまま促された部屋へと入る。そこには、部屋の調度品のレベルとは不釣り合いな程質素の服を着た、ネムリルが座っていた。
兎人族特有の大きな兎の耳をつけ、桃色の髪をショートカットにしている。目は零れ落ちそうな大きさで垂れ目がちであり、顔立ちが全体的に整っている。どこから見ても美少女と分かるものだ。座っている限りの背丈は現在のノゾムより少し大きいくらいの身長で全体的に痩せた印象を受ける。そんな彼女がノゾムの姿を見た瞬間ハッと驚いた表情をしていた。
そんな彼女の表情に無理もない、と思いつつノゾムは燕尾服の男へと声をかけた。
「すまないが、少し彼女と二人だけで話をしたい。部屋の前で待っている事は出来るか? 少しの間だけでいい」
「……かしこまりました。それでは5分程で終わらせていただけますようお願いします」
そう言うと燕尾服の男は部屋の扉を閉めて出ていった。それと同時に、ネムリルが慌てるようにその場を立ち上がる。
「コラス! 貴方谷底へ落ちたんじゃ――」
「ちょっと待った。申し訳ないが、俺はコラスじゃない。ノゾムだ。少し俺の話を聞いてくれ」
コラス――元の身体の持ち主の名前を言うネムリルを手を挙げて止めてから、ノゾムは暫く置いて口を開いた。
「あー、簡単に言うと、だ。君の知っているコラスは既に死んでいる。ここに居る俺は、そのコラスの死体に宿った別の人間、ノゾムという人間だ。君も知っての通り、コラスは谷底へ落ちた時に、死んだんだ」
ノゾムがそう言うと、ネムリルが息を呑む。だがそこへ被せるようにノゾムが言葉を続ける。
「今俺がここにいる理由は、コラスという人間の残滓とも言うべきかな。ネムリルという同郷の、一緒に奴隷として売られた人間を覚えていたから、こうして買いに来た。買いに来た理由は、今は俺は探索者をやっていて、その仲間が欲しいと思っていた所だからだ。ここまではいいか」
ノゾムの問いかけに、ネムリルが黙って頷くのを確認してから言葉を続けた。
「俺が君を買った暁には、君にも探索者をやってもらう事になる。所謂探索者仲間だな。それでも構わないならこのまま俺に買われてほしい。それが嫌なら首を横に振ってくれ。どうだ、構わないか?」
そう問いかけると、ネムリルは数瞬時間を置いた後……黙って首を縦に振った。それを認めてから、ノゾムは部屋の扉へと向かい扉を開く。すると、すぐに燕尾服の男が顔を出した。
「もうよろしいでしょうか」
「あぁ、構わない。入ってくれ」
ノゾムの言葉に燕尾服の男が部屋へと入ってくる。彼はノゾムとネムリル、両方を見てから一つ頷くと手を叩いた。
「何やら色々決まっているご様子で。それで、ご購入されますか?」
「あぁ、彼女を俺に売ってくれ」
「結構でございます。それでは改めて、お金の話をいたしましょう」
燕尾服の男はそう言うと、ノゾムに調度品のソファーへと腰掛けるよう促してきた。そう促されてノゾムがソファーへと座ると、燕尾服の男は向かいに座っているネムリルの横へと座る。
「それで、購入金額についての説明は?」
「必要だ。他にも法的な話とかも色々してくれ」
「構いません。ではまず彼女の販売額ですが……15万テリスでいかがでしょうか」
提示された金額に、ノゾムはグッと声が出そうなのを堪える。予想よりも、遥かに安い。この世界で奴隷一人の値段は、人一人の値段はそんなものなのか、と驚かされたがそれを表に出す事無く涼しい顔で男を見る。男の方も何かノゾムを探るような目つきで見つめてきているが、今はポーカーフェイスを気取っているのでそこまで情報は読み取れないだろうと思っている。
「とりあえず、その値段の内訳を教えてくれないか」
「はい。彼女自身の値段が10万テリス。奴隷としての契約が5万テリスになります」
「奴隷としての契約というのは、何か普通の契約とは違うのか?」
「奴隷は国法にて奴隷と定められた者に対して税が課されます。その奴隷を所有する人間には、一律で5万テリスが必要です」
「一律なのか」
「一律です。その代わり、国法にて定められた約定に従い、奴隷として所有された者は所有者に対して一定の制限を与えられます。その制限を破ると奴隷は法律違反として所有者に訴えられた場合、奴隷から犯罪者となり強制労働などより過酷な労役に就く事になります」
「つまり、奴隷の所有者の権利を国が法律で守ってくれると」
「そうなります。また所有者は奴隷に対して懲罰を与える事が可能ですが、そういった道具も合わせて奴隷商会から支給する事になっております。こちらの金額は税の5万テリスに含まれております」
「その道具というのは?」
「奴隷の身につける腕輪、もしくは足輪にスイッチを押すと痛覚を刺激する魔道具です。痛覚を刺激するだけで実際に傷はつけないものになっています」
「うへぇ」
説明を聞くだけで痛そうだ。そう思ったノゾムは一つの疑問を口に出した。
「じゃあ、彼女を奴隷としてではなく、一人の人間として買いたいと言った場合、その税分は値引きされるのか?」
「それは、そうなります。実際そういったご購入も少なくありませんが」
「じゃあ決まりだ。奴隷ではなく、一人の人間として彼女を購入する。10万テリス、それでよろしく」
ノゾムはそう言うと、革袋からジャラリと金貨を取り出して、男へと差し渡した。