9◆有村未央
球技大会の興奮冷めやらぬ5月末。 来月頭には中間テストがある。 今年の私はとにかく全教科で高得点を狙いたい。 それでレベルの高い大学に行きたいということではなく、ただ先生に誉めてもらいたいだけなのだ。 斜め上にバカである。
そんなわけで3年になると同時に準備をしてきた。 球技大会があったりして、滞っていたけど、余韻に浸ってばかりいられない。
しかしー。 どちらかと言うと私は理系が得意。 古典や地理は苦手。 先生の担当ではあるけど英語もちょっと苦手……2年次にだいぶ克服はしたんだけれどまだまだだ。 トップ、とは言わないけれど優秀な結果を残したいのだ。
放課後の図書室は利用者も少なくて静かで集中できる。 球技大会が終わった翌日から私は毎日通っていた。 参考書もパソコンもあるし、いよいよ困ったら手の届くところに先生もいる。 家にいるより効率がいい。
しばらく通っていると、同じクラスの細野さんも頻繁にここに来ていることに気づく。 彼女もやっぱり教科書を広げて勉強をしている。 決まって6時頃までここにいて、静かに帰っていく。 塾にでも行く時間を潰しているのかもしれない。
細野紗英さんは、物静かでいつも机に姿勢正しく座っているクールビューティ。 サラッと綺麗な黒髪に、憧れてしまう。 そのうえ、才女。 むむ、天は二物も三物も与えちゃってます。
あんなに綺麗でかしこかったら、先生の隣にいてもおかしくないんじゃないかなと妄想が膨らむ。 先生と一緒にいた女の人とはタイプが違うけど、でも、美人で控えめで頭がいい女の子を嫌いな人もそういないだろう。
だいたい私は背も中途半端に低くって、髪の毛も伸ばしてる途中で半端。 顔もちょっと残念な感じで成績も……いやもう何もかも微妙な子であることは否めない。 自分の勉強のちょっと疲れたとき、もはや崇拝のような気持ちで細野さんを眺めていた。 ああ、眼福。
そんなふうにこっそりと、いや、私はこっそりしていたつもりなんだけどで一週間。 ある日、教科書に隠れて観察を続けていた私に、細野さんが声をかけた。
「あの、有村さん?」
「はははははいぃ!」
「え、な、なに?」
「わわわっ!ごめんなさいごめんなさいっ!」
「な、なんでいきなり謝るの?」
相当慌てているので、かなり怪しい態度の私。と、呆れたような細野さん。恥ずかしい。
「あ、いや、いつも図書室で勉強してるよね、って、話しかけたかっただけなんだけど……なんかごめんね……」
「そんな!私こそごめんなさい!実はこっそり細野さんきれいだなーってジロジロ見てたから、キモかったかと思って、怒られるかと……」
…………プシューっと。 頭から湯気が出る音が聞こえると思うほど、細野さんの顔はみるみる赤くなって……
「え」
「や、あ、は、恥ずかしい……」
細野さんは上を向いたりキョロキョロしたり、ものすごく恥ずかしがっている。
えーーー、かわいいー! 普段、きりっとあまり表情を崩すことのない細野さんが挙動不審にわたわたする姿は意外すぎて、とってもかわいい!
「あ、あのね。私、テスト範囲で結構わかんないところあって、もし、細野さんの邪魔にならなかったら教えてほしいんだけど……」
「わたしで良かったら一緒にやろ?」
「うれしーい!私今回、なるべく高い順位狙ってるの!細野さんに教えてもらえば心強いっ!」
「お力になれるわかんないけど、一緒にがんばろ」
それから、私は細野さんに教わりながら、毎日勉強を続けた。 細野さんはやっぱり6時半からの塾に学校から直接行くため時間潰しと予習の為、図書室に来ていたそうで。
「ありちゃん、最近急いでどこ行ってるの?」
汐里ちゃんに聞かれたので私は図書室と細野さんの事を話した。
「へぇー。あの細野さんがね。でも、私もわかんないところがあるから、一緒に行ってもいい?」
「もちろん!」
「んー?どっか遊びに行く話ー?」
そこへ笹島くんが参加してきた。
「うん、もうすぐテストだから、図書室で勉強しようって言ってたの。良かったら笹島くんもどう?」
「あー、そうしょっかなー?」
「わー!みんなでいっしょで楽しいねっ!」
「いや、勉強だから……」
あとから来た結子ちゃんと中村くんも誘って、5人で図書室へ向かった。 中を見ると細野さんはもう来ていて、机に向かって勉強している。 今日も背筋がピン!としてかっこいいですね……。 私たちに気づいたのか、顔を上げるといつもより人が多いからかびっくりした顔をしていた。 そして、キョロキョロ目を動かし明らかに動揺している。 珍しい。
「今日、一緒にいいー?」
笹島くんが聞くと細野さんはコクコクうなづいて「もちろん、どうぞ……」と、小さな声で答えた。
大きいテーブルの端から細野さん、笹島くん、私。 向かいに汐里ちゃん、結子ちゃん、中村くんが並んだ。
中村くんは2回目の3年生だけど、あんまり自信はないらしく、結子ちゃんや私に色々質問してきた。 笹島くんも教科書を広げてたけど、ぽつりと細野さんに話しかけた。
「でも、細野って、みんなで仲良くお勉強するタイプのヒトじゃなかったんじゃね?なんか意外」
細野さんはビュンっ!と音がでるほど速く首の向きを替え笹島くんを見た。 笹島くんは教科書に目を落としたまましゃべっていたから、知らなかったと思う。 でも、私は見てしまった。 その時の細野さんが、未だかつてなく可愛いかったこと。
目の回りがほんのり赤く染まって頬もばらいろ、それにぐっと引き結んだくちびる 。 クールビューティなんかじゃない。 むしろ、弾ける気持ちを押さえきれない………恋する乙女。
6時に帰る細野さんの後を追って私もカバンを掴んだ。
「細野さーん、そこまで一緒に帰ろう?」
二人で並んで歩きだす。 友達とそんな、おしりがこそばゆくなるような話なんてしたことない。 だって好きな人なんかいなかったし、やっと好きな人が出来たと思ったら、人には相談出来ない人だった。
「……有村さんは、好きな人いる?」
「……誰にも言ったことないけど、いるよ。それ、笹島くんじゃないよ。」
また。プシューっと。 今度は耳からも蒸気が出たような気がした。
「ごめん。さっきそうかな?って思っちゃって。」
「あああああ有村さん!ななななな内緒に……」
「もちろん!誰にも言わないよ」
「……2年の時からずっと…。怪我して、バレー辞めて、辛そうで……でも球技大会で久しぶりにスッゴい笑顔で。わたしまで嬉しくて。それで、いっつも近くにいた有村さんが、眩しくって思わず声をかけちゃって」
ああそっか。 おんなじだ。私は細野さんに自分の理想とか憧れを重ね合わせていたけれど、細野さんもきっと笹島くんのそばにいた私に似たようなものを感じていたんだ。 でも、そんなにいいもんじゃないと思うけど……
「私も細野さんは、私の好きな人の隣にいても見劣りしない人だなって、憧れてたの。私なんか、ガキで、ちびっこで、虫ケラで……」
「虫ケラ?」
「あ、こっちの話。とにかく、もっと大人っていうか、綺麗っていうか、そんな風になりたくて……」
「ふふ、同じだね。わたし、友達と好きな人の話なんてするの、初めて。笹島くんが初恋、だから」
きゅぅーーーーん
「細野さん、可愛いっ!」
私は思わず細野さんに抱きついた! ああ、周りの視線がイタイ……。 それでも細野さんは苦笑いで受け止めてくれたから、嬉しかった。 結子ちゃんや汐里ちゃんも知らない秘密を少し共有できたような気がして。
私たちは、お互いの健闘を誓いあって別れた。
恋をすると世界が変わる。 がらりと変わる。見えなかったものが見えてきて今まで閉じていた自分の目に驚く。 空気の色まで違う。
それは私も細野さんも。 きっと誰もが。
どこから聞き付けたのか、5日もすると、うちのクラスの子達が図書室に集まり始め、6日目に全員追い出された。 図書委員にうるさいと注意を受けたのだ。そりゃそうだ。 30人前後の人間が質問と解説を一気にしているのだから。
反省した私たちは仕方なく場所を教室に移し、勉強を再開した。 いよいよわからないと、教科の先生を呼んできちゃったり、それで関係ない話で盛り上がって、また反省して。 それでも勉強会はテストの前の日まで続いた。
なんとしてでも、自分史上最高の成績を修めたい私と、新たな目標ができた中村くんは、お互い励まし合い毎日必死に勉強した。 しまいにはテンション上がりすぎて「己の敵は、己!」とか、訳のわからないことを叫び出す始末。 私、そんなキャラじゃないんだってば………
家に帰っても夜中まで勉強する私をお母さんは最初奇妙なものを見る目で見ていた。 うちの子が髪振り乱して机にしがみついているなんて、なにか起こるんじゃないかと。
成績をあげるには手っ取り早く塾にいくとかカテキョをつけるとかすればいいことはわかっている。
でもそれって、松永先生に対する裏切りのような気がして2年の時の私は自宅での学習を選んだ。 今も同じだ。 学校での成績を松永先生のために上げたくて、それなのに他の人から教わったんじゃ意味がない。
希望している大学にはこのままの成績を維持すれば推薦も大丈夫だろう、と2年の担任に言われていた。
私はガムとかアメとかのお菓子を作る人になりたいと思っている。 高級洋菓子店とかに売ってるやつじゃなくって、コンビニとかで子供も買えるようなお菓子。 小さい手に小銭を握りしめて買うのを楽しみにされているかわいい宝石のようなお菓子。 季節ごとに新しく店頭を彩るあれらに関わる仕事がしてみたいと思っている。
食品工学の学科を持った私大を第一希望にしている。 それを伝えた2年の時の三者面談にはお母さんもいたので、なおのことそんなにしゃかりきにならなくても大学進学に問題がないことは知っている。 だから余計にいぶかしがられたが、そういう問題ではないのだ。
「未央、もう遅いからあんまり無理しないで?」
「うん。あと少ししたら寝るー」
「そ。風邪引いたりしたら元も子もないんだからね」
「はーい」
そう言いながらお母さんは暖かいミルクティーと袋に入ったビスケットを持ってきてくれた。
そうそう、これこれ。
子供の頃から慣れ親しんだ麦芽の入った小さなビスケット。 間のクリームのなんともいえずチープな感じが好きだ。
パティシエさんがいるようなおしゃれなケーキ屋さんならもっと上品で高級な味のお菓子が作れるだろう。 もちろんそっちも大好きだ。 でも私はもっと気軽にどこでも誰でも手に入れられて、ほっとするようなお菓子を開発してみたいと思う。
受験やバレンタインデー、桜やハロウィンやクリスマス。 季節限定のパッケージで新しいシーズンが来たことを知るのも楽しい。
近所のスーパーでコンビニで、誰の口にも喜ばれる。 有名店に足を運べないお年寄りや子供たち。それから、きっとこれから離れてそうそう会う機会のなくなるだろう先生の手にも渡ることがあればいいなあという、夢みたいな希望。
口にいれればさくりとほどける甘みにほっとする。
「あと少し、がんばろ」
明日も寝不足の顔を引きずってなんて学校へいけない。 何事も程ほどな無茶を心がけます。
読んでくださってありがとうございます。
明日も23時頃おじゃまします!
うえの