4◇松永慶
中村の留年が決まって春休み。 前担任と中村とその母親を交えて4者面談が行われた。 前担任はその年で定年となり、気になる中村の今後を話し合っておきたいということで召集された。
中村の留年に関しては同情すべき点も多々あった。 最初の落とし穴は2年の秋。 無免許運転で捕まった中村の友人がその場に中村もいたと証言したのだ。 彼らはとても仲がよく、そんな嘘をつくはずがないと誰もが思った。 中村はずっと否定し続けていたが警察も学校も友人たちの話を信じた。
保護者も一緒に交通安全講習を受ける段になって、仲間の一人が口を割ったのだ。 「中村はいなかった」と。
中村が大人や友人を信じられなくなっても仕方がないと思う。 段々と学校から足が遠退きその分夜の町に繰り出すことが増えた。 仲間もおらず一人でふらふらする夜。 喧嘩で警察に引っ張られたり、タバコで補導されたり。 ついには登校日数が足りなくなり退学か留年かを迫られた。 腐る中村を前担任はなんとか説得して中退を思い止まらせたのだ。
ふてくされたように椅子に座った中村は、何を聞いても「はい」か「いいえ」か言わず、正直また1年在籍しても何かが変わるなんて思えなかった。 ただただ厄介なものを押し付けられ、貧乏くじを引いたとしか。
それが、どうだろう。 その日からたった数ヵ月で中村は本来持っていただろう人懐っこく積極的な一面を見せ始め、あっという間にクラスの中心人物になった。
先生たちの話題に上っていた球技大会や合唱祭は中村の存在なしでは優勝はあり得なかった。 テストの結果だってそうだ。 上位の子供たちがいくら頑張っても頂点はそれ以上は上がらない。 平均が他のクラスの常に上だったのは、中村のような生徒がたゆまぬ努力を続けていたからだ。
その中村がおかしくて仕方ないと言った顔で笑っている。 さっきお母さんが泣きながら俺に礼を言ってたときはあの春の日のようにぶっちょう面だったのに。
「ぷっ!ありちゃん、空気になりすぎ!みんなそう呼んでたけど?」
「……そっか」
「んで?ついにありちゃんの気持ちに気付いたの?慶ちゃん先生?」
中村は俺を見てニヤニヤ笑った。
「お?え?……なんで?」
「ありちゃんの気持ちはさー、おっきくて優しいよ?俺も欲しかったー。慶ちゃんが羨ましいよ。別に美人でも何でもないけどねー。ありちゃんは特別。」
優しい顔をする中村の頭のなかには、この1年の様々な有村が笑ったり泣いたりしているのだろうか。 どれもこれも、俺は知らない。
「……有村、来てるのか?」
「ううん、来てないよ。」
「そっか……どこにいそうかなんてわかるか?」
「ん~。因みに追っかけてってどうするの?先生、ありちゃんの事嫌いなんでしょ?」
確かに、今朝までは嫌いだった。 嫌いというより、憎かった。 嫌で嫌で、二度と顔も見たくなかった。
それなのに大橋先生の話を聞いてからどうもおかしい。 この1年のあれこれを思い出すたびどこかよくわからない臓器が引き絞られるように痛む。 今もギリギリと。
「……誤解してたから、謝りたくて……」
「ふーん。それじゃ、行かない方がありちゃんの為かもよ?」
「どうしてだ?」
「だって、ありちゃん、わかってくれって一言も言わなかったでしょ?それって慶ちゃんに良かれと思ったんじゃないの?慶ちゃんがありちゃんの気持ちに答えらんないなら、このまま気持ちだけありがたく受け取って、探しになんて行かない方がいんじゃね?」
「……うん。俺は自分の気持ちがわからない。だけど今、どうしても有村に会いたいんだ。なんだろな、これ。なんだ?この気持ち」
このまま二度と会えなくなるのだけは、ダメな気がする。 会ってどうしたいのか、何を言いたいのかもよくわからない。 それでも。
「慶ちゃんが会いたいんなら……探そっか?一緒に。」
「え……?」
「俺さぁ、ありちゃんにいっぱい助けてもらったんだー。退学思い留まって、もっかい3年やって、でも居づらくて。そしたらありちゃんが話しかけてくれて。俺恥ずかしいからなんか冷たくしちゃったんだけど、ありちゃんめげないで、優しくしてくれて。」
俺も知っている中村の1年。 定期テストを今までの比じゃなく頑張った中村。 球技大会で、文化祭でみんなの中心で盛り上げる中村。 そして合唱祭で感動のステージを見せてくれた中村。
その影に有村がいたっていうのか。
「テストの前には絶対勉強会して。面白いのー、『己の敵は己だ!』とか叫んじゃって、覇気をあげるんだよ?みんな楽しそうで、前の分かんないとことかも教えてくれるから、つい帰りに勉強しちゃって……合唱祭だって、俺ホントはあぁいうことするヒトじゃないんだよねー。だけど、ありちゃんがすごい薦めるんだよね。ありちゃんマジックー!こんな楽しいなら最初からやってれば良かったかなー?」
「……いや、お前留年しなかったら有村と同じクラスになんなかったし。ちょっと寄り道したけど、無駄じゃねーよ」
「ははっ、ありちゃんにも同じ事言われた!『寄り道してくれて、良かった』って。」
ガキだと思ってた有村は、いつも俺の半歩先を行き、明るく照らしてくれていた。
有村、今お前、どこにいるんだ────
「家に帰ったとかは?」
「電話してみた。誰も出なかった」
「母ちゃんも卒業式来てただろうからなー。飯でもいったかな?」
結局、一人で探すからと断ったのに中村となぜか笹島もついてきて、3人で有村を探した。
「お前らだって、友達と別れがたかったんじゃないの?」
「他の友達のことならいざ知らず、有村のことだからな。俺らアイツの為に何にもしてやってないし。」
「中村はいろいろ助けてもらったって言ってたけどお前は何かあったのか?」
「……うーん。慶ちゃん、俺2年の時、足怪我したの知ってる?」
「いや……」
「足やっちゃって、部活辞めたんだ。バレーボール、小学生からやってて、この学校でやんの憧れで。なのに」
うちの高校は確かにバレーが強くて有名だ。 近隣からもバレー部に入部するため生徒が集まってくる。 明るいコイツにも、辛いことがあったんだな……
「知らなくてごめんな。」
「んや、それがさ、有村が球技大会の前に、バレーボール教えて欲しいって来て。あいつ、すんげードンクサイの。だけど、とりあえずパスとか、サーブとか放課後一緒にやるようになって、なんか、一人増え二人増えしてったら、そのうちバレーに出る全員来るようになってて……下手ばっかだけど、部活みたいで、楽しくて……」
笹島がなにか思い出したように笑う。 そういえば有村は運動が苦手な生徒だったかもしれない。 記憶の底をかき混ぜて、なにか思い出せそうな気もする。
「おんなじ様にバスケもサッカーも始めて、いつの間にか有村に『笹島くんリーダーね』なんて言われてさぁ。Tシャツ作ったり、中村が変な応援考えたり。俺もうバレーなんて一生できないかと思ってたけど、違った。有村がチャンスくれた。大学で、バレーに関わることしてみようって思ってるよ。」
こんなに若くて中途半端な状態で夢を諦めなければならないのは、想像もできないくらい辛かっただろう。 全国大会があれば必ず名前の上がる強豪校だ。 耳を塞いでも活躍が漏れ聞こえてくるというのは切ない。
「そっか……」
「だからさ、有村は仲間なんだよね。ホントはちょっと好きかもって思った時もあったんだけど、あいつ、ものすごく好きな奴がいたから、諦めた」
「俺も、俺も!ありちゃん大好きー!でも、俺彼女いるしー。ありちゃんそういうの大嫌いだしー」
「……」
「慶ちゃんは?有村のことどう思ってんの?」
「どうって……正直、わからん。でも、今どうしても会いたいんだ。会って聞きたいことがある。」
「聞きたいこと?」
「うん……」
もし、有村が俺を好きだっていうのが本当だとして、なんでそこまで出来る? 生徒が教師に抱く恋心なんて、もっと……なんていうか、麻疹みたいに卒業してしまえば何にもなかったみたいに忘れてしまうようなものなんじゃないのか? 俺が鳴海に抱いていたような、時期が来ればさっと消える幻みたいな。
しかも、お前はそんな気持ちは全く見せず、俺は今日まで全く知らなかったんだよ。
「慶ちゃん、有村の気持ち、聞こうとしてるの?」
「わかんないんだよ。大橋先生にも色々聞いたけど、その……有村は、本当に……いや、だってそんな素振り一度だってみせたことないし……」
「はは。有村は、きっと言わないよ。そう、決めてるみたい」
「なんで……?」
「……ありちゃんの1年は慶ちゃんを笑顔にするためにあったんだって。俺らも最近聞いたんだ。慶ちゃんに喜んでもらえるように、悲しくならないように、それだけの為に。」
「有村は最初から慶ちゃんが自分に振り向かないことなんかわかってたんだよ。先生と生徒だし、歳だって離れてるし。だって慶ちゃん、あんなちんちくりん、タイプじゃないでしょ?それも、わかってた。だけどなんかしてあげたかったんだよ。だけど有村は失敗したって思ってる。鳴海の事は想定外だったんだ。だけどその後も必死だったんだ」
えっと、じゃあ……
「球技大会も合唱祭もテストも、俺の為?」
「そ」
「公募も、資格もスピーチコンテストも体育祭も?」
「そ」
「俺の?」
「そんで、その全ての黒幕が────有村」
「え」
「あいつが水面下でそうとはわかんないようにみんなを焚き付けて、結果を出させた。あんだけの事をあのちっこい身体でやってのけちゃって。それなのに、それが自分のワガママをみんなに押し付けちゃったんだって言うんだ。おれたちだって慶ちゃんが喜んでくれたり、他の先生に褒められてるとこ見て鼻高々だったのに、有村は自分を責めてる」
「……」
「だから、有村は自分の想いを打ち明けたりなんて、できないんだ。鳴海の事で慶ちゃんの事、傷つけたのも自分のせいだと思ってるから。自分がもっと上手く立ち回る事ができれば、鳴海が捕まることもなかったって思ってんだ、あのバカ。あれは、鳴海が悪いんだ。慶ちゃんも、そこだけは分かってよね?」
──なあ、有村。
俺はどうしたらいい。どうしたら許される?
「学校戻ってみようか…」
中村の提案で一度学校に戻って来た。 3人で下駄箱を確認に行く。
「──あ……あった!」
有村の下駄箱にローファーが入っている。
「手分けして探そう!先生は向こうの校舎見てきて。俺たちは東校舎行こう。あ、あと、発見したら連絡ね?」
お互い約束して2人と別れた。
俺が進んだ方は体育館や屋上、それから俺たちの最後の教室がある。
渡り廊下で繋がっている体育館はまだ、卒業式のまま。 紅白の幕とパイプ椅子がずらりと並んでいる。
式の間の有村の顔なんてわからない。 一番前に居たはずなのに、きっと俺を見ていたはずなのに。
どうして気づかなかったんだろう。 なにもかもうまくいくはずなんてなかったのに。学力に行事に、進路に。 気を使うことの多い3年の担任が毎日楽しかった。 回りの先生に誉められて、羨ましがられて、鼻が高かった。
そんなこと、あるはずもないのに。
「有村!」
声をあげても返事はない。自分の声が響いて転がり落ちただけだ。
階段を上り、屋上へ行く。 いかにも女子高生が泣いていそうだけど、残念。 鍵がかかっている。 それから3階の教室をひとつづつ覗いて、2階にある3Eの教室の前にさしかかった。
………いた。いた!有村──!
有村は教卓に座って、泣いていた。 机におでこを付けて、肩を震わせて。 時々、嗚咽が聞こえる。 有村をこんなに泣かせているのは、俺だ。
何も知らずに出来のいい生徒たちの上にあぐらをかいているうちに、こいつをこんなに傷つけていた。 声を掛けようと踏み込もうとした時、有村が立ち上がった。 俺はとっさに隠れてしまう。
彼女はまだ、うつむいたまま。 ごしごしと手で目元をぬぐっている。
そのうち、すっと顔をあげて教室を見回すと、頭を下げ「……ごめんなさい」と呟き、また深々と頭を下げる。 そのまま、廊下に駆け出していったので、慌てて飛び出し彼女を呼び止めた。
「待って!有村!!」
今日も読みに来てくださってありがとうございます。
明日も23時頃あがってきます。
どうぞよろしくです。
うえの