2◇松永慶
鳴海 茉莉に気付いたのはその球技大会よりも前、初めてクラス担任としてHRをした時だ。 以前から、高校生らしからぬ髪型やメイクなどについて学年主任から注意されていたのは知っていた。 引き継ぎの際にもそんな事項があった。
HRが終わり教卓の前に友達とふたりで駆け寄ってきた鳴海は、しっかりと作られた顔と新学期らしくあまり着崩してない制服のミスマッチさもあいまって不思議な可愛らしさがあった。
実際受け持ってみると、服装以外はそれほど荒れた様子もなく、比較的真面目に授業も受けていた。 時おり見せる大人びた表情や柔らかく話しかけてくれる笑顔に惹かれるのに、時間はかからなかった。
今思えば、鳴海は別れた恋人によく似ていた。 はじめて結婚を意識した相手だった。
付き合いはじめてから3年。 そろそろいい頃かと思っていた矢先、振られた。
公立高校の教師という、間違いさえなければ安定した職業を、自分は結婚するのにプラスだと思っていたが、彼女の方はそうではなかった、というのが直接な原因。
別れる間際には、得意の英語を生かして外資系とか翻訳家とかにチャレンジして世界に飛び出してみればいい、などと言われていておかしいなぁとは思っていた。 俺は多感な学生たちを相手にする難しさや喜びを感じ始めていたところだったし、他の職業にはないやりがいもあった。
簡単な話。彼女にもう一人言い寄る相手がいて、そいつがそういった世界を股にかけるような華やかな職種の人間だったというわけだ。 でも、仕事以外の好みは俺に軍配が上がっていたらしく、なんとか転職をさせようとしていたというくんだりだった。
春休みのカフェでその事をなじられ、あっちの彼はこういうところが素敵だとか、あなたも学校の先生なんて地味な仕事にはやく見切りをつけるべきだだとか言われて、キレた。
「こっちこそお前みたいな見栄っ張りはお断りだ!その、背が小さくて腹が出てるところが好きじゃないけど我慢してもいいってやつと外国でもどこでも行っちまえ!相手のやつだってお前の数倍我慢してるんだろうから、いい相性なんだろうが!」
と言ってやったら、グラスの水をぶっかけられてthe end。
氷が頭を滑ってシャツの内側に入った瞬間、とんでもないことを言ってしまったと思ったが、後の祭り。 ヒールをカツカツ鳴らして颯爽と出ていく彼女を見送ることしかできなかった。
あの日別れたことを後悔はしていない。 あそこで壊れなくても、いつかきっと駄目になったはずだ。 彼女の理想をくだらないとは思わない。 だけど俺とは望むものが違う方向にあったということだ。
つまり無理をして続けても、あれだけの爆発を見せる熱を隠したまま長い時間を一緒にいることは難しいだろう。 それならばより願望に近い男を探した方が効率がいい。
鳴海は背丈や雰囲気が彼女によく似ていた。 廊下で声をかけられ立ち話をした時には、彼女と肩を並べて歩いているような気持ちになった。
鳴海は、化粧はしてくるし制服も気崩してはいるが、成績は程ほどの明るい生徒だった。 いつも仲のよい数人の生徒と一緒に教室の片隅で笑っていた。男女共に人気があるらしく、一人でいるところなんて見たことがない。 友達といても、俺を見かけると笑って手を振ってくれた。
そんなことから鳴海が気になり始めた。 もちろん、生徒に対してやましい気持ちを持っていたわけではない。 教師と生徒だしどうこうするつもりなんてさらさらなく、彼女の進路を見守りたかった。 希望する進路へ進めるように、話を聞いてやりたかった。 一緒に悩んでやりたかった。 そんなことくらいしかできなかったはずなのに、そんなことすらできなかった。
どうせ、卒業してしまえば忘れる。 次々出会う新しい生徒たちのことで手一杯、業務に忙殺されて過去のことになる。 向こうにとっても担任だったってだけのおっさん。 あっという間に記憶の外に飛んでいくのだろう。 一時の甘い感情に自分の人生まで投げ出すことなど考えていなかった。
「先生、鳴海さんの事好きなの?」
………ああ、そういえばそう話しかけてきたのは有村だった。
「は?お前なに言ってんの?」
「え、鳴海さんのこと見てたから。」
「好きじゃねーよ。ガキ!すぐ好きだのなんだのって……」
「でも、先生、すごく優しい顔してた。」
「………」
……勝手に好きな事になってたけど。 はずれではないけど、あたりでもない。 優しい顔って、どんな間抜け面を晒していたのかと冷や汗が出る。
有村は何を考えているかわからない顔でそんなことを言う。 秘密をつかんでやったぜみたいな意地の悪い風でもなかったし、お節介な親切に似た厚かましさもなかった。 そして、協力は出来ないけれど応援はする、と言った。 それは本当で、有村は何もしなかった。 手も貸さなければ口も出さなかった。
本当に、本当に助けてほしかった時でさえ。
新学期、初めての定期テストでうちのクラスはいきなり平均点で他クラスに20点の点数差をつけた。 2年時からトップの細野だけじゃなく、それ以下20位までに10人も入っていた。 1年、2年時成績の振るわなかった生徒も軒並み平均を上げてきていた。 そういえば、有村も上位20人に入っていた。
2年の時は英語でしか絡みがなかったら他の教科はよく知らない。 内申では1年時は理数はずば抜けているが文系は苦手とあった。 しかし2年に上がってから英語が急に伸びてきた。 そしてついに3年最初の定期テストでは英語で細野に続いて学年2位。
てっきりそっちの方にでも進むからしゃかりきに勉強してるのかとと思いきや、食品の製造企画の研究所に入る夢があるからと、あっさり推薦で大学に入学を決めた。 クラスの進路決定第一号だった。
あの時の黒幕って……
「あの!さっきの黒幕って話なんですけど……」
「あぁ、細野?あの子2年時までは勉強ばっかしてる感じだったけど仲間が変わると変わるもんですよね?」
「仲間?」
「あぁ、笹島や中村たちと仲良くしてるの見かけましたよ?珍しい、細野、笑ってるって思って憶えてて。ああ、有村も」
そういえば、細野は以前は人を寄せ付けない雰囲気だった。 いつ見てもひとりだった。
授業が始まる前きれいな姿勢で教科書を並べ座っている姿は、印象的ですらあった。 他があまりに適当だったからだろう。 俺を『慶ちゃん』と呼び授業開始を知らせるチャイムがなっても、まだそこら辺をうろうろしてる生徒たち。 あれはあれで可愛くもあったが。
その中にあって細野の存在は希有だった。 あの頃は年頃の女の子が、友達と無駄話のひとつもしないなんてと思ってはいたが。 だいぶ柔らかくなったようだ……さっき、式でも泣いてたよな。
そろそろ夏になる頃、細野は突然クラスの輪に入ってきた。 最初はテストの勉強を数人でしていたようだった。 教室を陣取り、細野が中心になってわからない問題や重要なポイントなどを教えあっていたのを見た。
そのあとは行事などでも積極的に、しかも楽しそうに協力する姿を見て、確かに変わったと思った。
教室で笑う姿を見た。 楽しそうに。 相手は笹島だったかもしれない、有村だったのかもしれない。
「あの、ラスボスの話なんですけど…」
「中村の事ですか?驚きましたよね?アイツがまさかあんな結果残すなんてね…さすが、松永先生。俺、リスペクトっす!」
中村か……。 昨年度に出席日数が足りなくて留年して2回目の3年生を経験した。 前年度の担任が退学を踏み留まらせて俺のクラスになった時は胃が痛かった。 単純な不登校ではなく様々に問題を抱えた上の留年だった。 ところが、サラッとクラスに馴染み、成績もそこそこをキープ。 最後の合唱祭では指揮を務め、クラスをまとめあげ、その場で聴くものが皆、鳥肌のたつような発表をして見せた。
中村のそれまでを知っていた教職員はみんな涙 を流して感激していた。 それほど素晴らしい合唱だった。
「留年する前の3年時は、喫煙だ暴力だ深夜外出だので大変でしたけど、松永クラスになってからは落ち着きましたよね?成績も良くなってきたし、大学まで決めちゃって……。親御さん、今日、泣いていらっしゃいましたね。」
中村の母親に今日、これ以上ない程頭を下げられおいおいと泣かれた。 さぞ去年までは心が痛む毎日だったに違いない。 中村本人もよくわかっているのだろう、担任に泣きすがる母親を止められず横で苦笑していた。
「中村が大学決めたときは職員室がどよめきましたもんね。松永先生、どんな魔法使ったんですか?」
笑いながら、それでも後輩教師の目に涙が光っていた。
「やっぱり、いい先生や友達に出会うって、大切ですね。細野や有村がアイツのことしっかり支えてましたもんね」
………また有村。 お前は何をしていたんだ?でも文化祭や合唱祭はあの事件の後だろ? お前は俺を疎ましく思っていたんだろ? 仲間の為にってタイプじゃないよな?
だって、鳴海のことは、見捨てたんだろ?
「先生ー!駅前のカラオケ屋にいるから、絶対きてよー!」
「おぅ!でも遅くなんぞ?」
「待ってるよー!」
他のベテランの先生に比べれば、友達感覚で、多少バカにされている感は否めない。 他の先生方の前で『慶ちゃん』などと呼ばれれば顔をしかめられたものだ。 それでもみんな慕ってくれたかわいい生徒たちだった。
「松永先生、お疲れさまでした」
「大橋先生。今年度はお世話になりました。」
後ろから声をかけてきた大橋先生に頭を下げる。 顔を見ればやはり苦笑いをしている。 最後まで締まらなかった俺に対するものだろう。
大橋先生は学年主任。 キャリアもあって、バリバリしてるんだけど、口調はおっとりで生徒思い。 学生の信頼も厚い。俺もかなり頼りきりだった。
「本当、色々ありましたからね。来年度も頑張りましょうね?」
「や、俺、あんなことあったから、転出になるんじゃないですかね」
「あぁ……それは大丈夫だと思うわよ?」
少し考えて大橋先生は言う。少し笑っている。
「はぁ、っていうか、今ここにいることも、奇跡っていうか……」
「そうね…、かわいい生徒が起こした奇跡、ね?」
大橋先生は目の横の皺を深く刻ませて笑った。 今度はおかしくて我慢しきれないとでもいうように。
「え……?先生何か知ってるんですか!」
「ふふ。この時ばっかりは自分で動いちゃった黒幕さんの事?」
「……大橋先生?」
生徒たちが散った校庭を校舎に向かってゆっくり歩きながら大橋先生が話す。 遠くでは運動部の馬鹿どもが顧問の先生を信じられないほど高く胴上げしていた。 からだが舞い上がる度、絶対に喜びじゃない声色の叫びが聞こえる。 あれを俺も今年経験した。 もう二度とされたくない。
「松永先生。生徒って、子供なんだけど時々大人顔負けのこと考えたりしてるわよね?先生のクラスの鳴海さんはそれが良くない方へいってしまった。」
「はい……」
「だけど、先生の知らないところで小さな黒幕さんが、色んなものを守ろうとしてた。自分は頭までほこりまみれになっちゃってもね」
「黒幕、って……」
少し前を歩いていた大橋先生が小さく笑って振り返った。
「────有村さんよ」
さっむいですねえー。
こんばんは。
お読みいただきありがとうございます。
明日も23時頃upします!
うえの




