教会
「神の家に武器を持った方々を招く訳には行かない。立ち去りたまえ」
「総督府からの命令である。すぐに道をあけよ」
総督府を後にしたノーメン達は軍務卿から指示のあった協会に赴いてマリアの足取りを追おうとしたのだが、現地では早速トラブルが起きているようだった。
「困ったなぁ」
「中尉、あたしが説得に行きます」
怒鳴りあっている僧兵と王国兵の間にマウザーが入り、双方の言葉で語りかけ始める。
「あいつの語学力は凄いな」
「おや? 貴方も王国語を話せると思っていましたが?」
ノーメンは「買いかぶるな」とそっぽを向く。
その姿にバルターは肩をすくめ、交渉中のマウザーに視線を向ける。
「あの後は、どうでした?」
「オークの村の事か? まぁ案の定やり合ったよ」
「教え子が貴方に迷惑を掛けていなければ良いのですが――。いや、すでに迷惑を掛けているようですね」
「別に――」とノーメンは頭を掻いた。居心地が悪いような気がするのだ。
「確かに迷惑だらけさ。だからもうなんとも思わないな」
「かたじけない」
頭を下げるバルターにノーメンはより居心地の悪さを覚え、チラリとマウザーを盗み見る。まだ道は通らないようだ。
「しっかし、あんたらって占領軍なんだろ。いくら教会とは言え楯突く奴らを野放しにするなんて王国軍は優しいのな」
「占領地政策はある程度の自由を保証しないと大変なことになるのでね。
何もかもを禁止にすれば反乱が起きる。とくに宗教関係は捨て鉢になって信者が死兵となって攻撃してくるから軍の損害が大きくなってしまう事を我々は知っているので慎重にならざるを得ないのです」
ある程度の自由を保証する事で叛乱を抑制し、緩やかに王国へ同化させていく。それが王国のやり方であり、数々の戦争を通して学んだ戦略であった。
その配慮が欠ければ叛乱に繋がり、国への不信は国力の低下を招く。国を豊ませるために行われた戦争が逆に国に災いをもたらさない様に王国はそのような緩い政策を行うのだ。
「かく言うオレも王国に国を占領されました。百年ほど昔の事ですが」
「何歳なんだよ、あんた」
バルターは「それはお互い様でしょ」と苦笑を浮かべる。
元々、彼を初めとしたエルフとは人間よりも遙かに永い時を生きるため、王国軍健軍の頃から軍に席を置いている者が多い。
「オレが信じる風と木の神様は王国国教の神様じゃありませんし、それはモニカ中将――エルフの多くもそうです。
王国は多種族国家ですし、人間も色々といます。だから宗教の自由くらい認めないと国がすぐに分裂するんですよ」
なるほど、とノーメンが言うのとマウザーが戻ってくるのが同時だった。
「なんとか入れてくれるよう納得してくれました。ただし武器の携帯は不許可で、人数も十人までだそうです」
「よくまとめてくれた」
バルターは王国語でその場に居合わせた中隊長にノーメン達三人と他七名を連れていくと話し合い、武器を預けて教会に足を踏み入れた。
蝋燭から出た煤で汚れた天井、使い込まれた長椅子、手垢のついた説法台。
使い込まれ、丁寧に清められた空間。
「礼拝堂です。奥の建物は図書館と宿舎になっています」
「そちらの方は改めましたが、異常はありません」
一行についてきた中隊長が王国語で語った。
ノーメンは何かあるとすればここかかと周囲に注意深い視線を飛ばす。だがマウザーは「やはりノーメンは王国語を介せるのでは」と疑問を深めた。
「ノーメン。後はこの礼拝堂だけだそうだ」
「あ、あぁ。なるほど」
バルターの言葉にノーメンが頷くと部屋に投げていた視線がマウザーに向いた。彼女は精一杯になんでも無いフリを装うが、ノーメンにはばればれだった。
(まぁ、そう隠せる事じゃ無いか)
だが、マウザーに王国語は知らないと言った手前、その前言を撤回するにはどうすべきかなと思っていたが、マウザーの「それでマリア様は?」と僧兵に問いかけた事で現実に戻る事が出来た。
「聖女殿は確かにこの教会をお尋ねになられました。一週間ほど前の事です」
「それで何時、ここを立たれたのです?」
「お答え出来ません。近頃は暗殺や謀略が相次ぐ暗いご時世になられて……。そのため聖女殿のご予定に関しては口を閉ざすよう言われております」
頑なな言葉に二人は顔を見合わせる。どう口を割らせようか、と。だが二人が行動を開始する前にバルターが一枚の羊皮紙を取り出した。
「今回はこのくらいの額でどうです?」
「……主に財貨を投じるほど敬虔な信者であれば聖女様の巡礼についてお知りに成りたいと言うのは痛いほどよく分かります」
「こいつ勇者を売る気だ!」とマウザーは口をポカンと開けて呆れてしまった。ノーメンも痺れるような頭痛を覚え、思わず長椅子に腰を下ろしてしまう。
「確かに聖女殿は巡礼の一環でこのシュタット領に来られました。何やら思い詰めているようなご様子でしたが、我々に神の道について対談を行い――」
「それで、マリア様は何時までここに滞在されたのですか?」
話を中断された僧兵がムッと顔を歪ませるが、すぐに取り繕ったような笑みをマウザーに向けた。
「――聖女殿は先ほども申しました通り一週間前にこの家を訪ねられました。予定では一週間ほど滞在されるはずだったのですが、二日ほど前でしたか。急にここを出ると申されまして……」
確かに聖女マリア・フレイスはこのシュタット領に来ていた。だがそれが急に出ていくと言いだしたと言う話にノーメンの中で思い当たる事があった。
「どこに行くと言っていた?」
「それは……」
僧兵がバルター以下、王国軍の兵士達に視線を送る。バルターは苦々しそうに溜息をついた。バルターの懐から出された一枚の金貨を僧兵に渡すと「船に乗られました」と事もなげに言った。
「あれは帝都の御用商人の船でしたね。風も良いですし、もう帝都につかれているはず」
「帝都か……」
バルターが困ったように顎に手を当てると僧兵は喋る事は喋ったと言いたげに「もうよろしいですか?」と追い出しにかかった。
それに抗いつつ外に出ると軍の方はすでに撤収の準備を始める所だった。バルターが中隊長と二、三ほど世間話をしてノーメン達の所に戻ってくると「今後の予定を司令部と話し合ってくる」と疲れたように言った。
「なんか、釈然としないな。その服で王国兵だってのはすぐに分かるだろ。なのにマリアの事を話すなんて」
「腐敗さ、腐敗。それこそ南方辺境領を占領した頃は教会も必死になって布教を認めるよう懇願してきたが、教会の保護が認められた途端にあれさ。なんとも金に正直な連中だ。だから逆に扱いやすい」
異教の軍隊に占領されればもちろん聖職者は異端視され、宗教栽培も起こり得る。だが王国の政策のおかげで命を繋いだ彼らは王国との共存を選び、その過程で生まれる富で私腹を肥やして来た。
その上、王国領となったシュタット領はすでに外国と同義に成りつつあり、帝国の教会からも距離が取られるようになり、独立した存在に変貌してしまい、独自に経営が行われるようになってしまった。
「腐敗ね……。つくづく嫌になるな」
「まったくだ。扱いやすいが、クズには変わりない」
腐敗した貴族の陣取り合戦に巻き込まれたノーメンはさらに頭痛と嫌悪感が強まった。
だが、彼がどれだけ腐敗を嫌おうとも次の目的地が決まったと言って良い。
「そうむくれないで。ではバルター中尉、今後は……」
「そうだな。作戦方針が決まるまで待機してもらうしかない。宿の方は総督府から手配するよう頼むから夕刻頃に総督府に」
「了解しました」
そして静かになった二人は互いに空いてしまった時間をどう使おうかと顔を見合わせた。
「……どうする?」
「そう言われてもな」
中天にかかる太陽をふと見たノーメンは昼飯を食って居ない事に気づき、どこかで腹ごしらえをしようと提案した。もちろんマウザーもそれを拒否する理由も無いのでぶらぶらと歩きながら手ごろな店を探す。
すると鼻に香ばしい香が届いてきた。
「焼き魚か」
「良いわね」
この港で揚がったと思われる魚が串に刺されて炙られている出店。そこから漂う香と煙。時折、思い出したように爆ぜる脂。
二人はそれを一匹ずつ買い、通りの端に立って柔らかい白身にかぶりついた。海で採れたままなのか、ほどよい塩分とふんわりとした身が口に広がる。
「あつ、あつ」
マウザーはそれを小動物のように小さくパクパクと口に入れていく。それを見ていたノーメンの中で久しぶりに保護欲がうずいた。おそらく五年ぶりである。
「俺のもやろうか?」
「別に……。あぁ、食べなくても良いんだっけ?」
「正確には餓死しないってだけで腹は減る。まぁそこは慣れで空腹を感じなくなるって感じかな」
精神的にそれはキツイと顔をしかめるマウザーにノーメンは「十年でいろいろとやったよ」と焼き魚の白濁した瞳を見て言った。
「一時、山に高僧がいるって噂になっちまった事があったな」
「物を食べない人が山に籠っるって言ったら確かにそう思われるかもね」
「そんな所だろうな。あ、俺の分も食うか?」
「良いわよ。お腹はすくんでしょ。食べられるうちに食べなきゃ」
そうほくほくと焦げ目の入った身を頬張る彼女が元貴族だと道行く人は思うだろうか。
このシュタット領に来るまでに何度とノーメンが覚えた問いに答える者は無く、二人は黙って魚を食べきった。
「さて、どうしよう」
海風に流れそうになった言葉にノーメンはふと魚を食べる手を止めた。その問いが今日の予定を意味しているのか、それともマリアを探す旅の事を意味しているのか判断が着かない。
「ノーメンはこの後はギルドに――は行かないか。日雇いの斡旋所でも行く? だったらついていこうかな」
「おい、軍務はどうしたよ中尉殿」
「今は少尉! まぁ、少尉って言っても王国軍にとって部外者に等しい私が軍事機密に触れる訳も無いから今後の方針が決まるまでフリーになるんだろうなって思って」
いくら王国軍に仕官を命ぜられたからと言ってもマウザーの立場は微妙すぎる。
おまけに元帝国貴族とあっておいそれと王国軍の機密に触る事も出来ない。そのため任務の詳細が決まるまで休暇のような状態になるだろうと思っていた。
「やっぱり家の宝石を削るのはちょっとね。稼げる時に稼ぎたいし」
「こんな港街で、女が出来る仕事って娼婦くらいだと思うけどな。ギルドに行ったとして討伐系の任務はお得意様にしか行かないだろうし」
「とりあえず行ってみるわ」
◇◇◇
麗らかな午後だった。初夏と言うのに吹き付ける海風のおかげで暑さを忘れるほど気持ちの良い昼下がりの路地に動く影があった。
影達は細い路地を風のように進み、そして一か所で立ち止まる。
「司令部から作戦実施の通達が出た。これが終われば休暇との事だ。もっとも厄介事が一件増えそうだがな」
バルターがニヤリと笑うとその陰達も暗がりの中で白い歯を見せて笑った。
彼らが命じられた作戦は帝国教会の僧兵共の力を削ぐ事だ。
「教会に来ていた客が思いのほか早く退去してよかったですな」
「その通りだ。教会内の配置も確認したが、問題無さそうだ。クソ坊主共に天誅を与えてやれ」
影達はその言葉にそそくさと散って行く。そして最後の気配が消えるのを待ってバルターも作戦に定められたポジションに向かった。
もっとも、この作戦は目標の教会に客が来ていたが為に延期されていたのだが、彼女が教会から姿を消した事を確認した事で発動されたのだ。
(最近の坊主は調子に乗っていたからな)
安全が確保出来た事で余裕が生まれ、南方辺境領を統治する王国に茶々を入れ始めた教会の力を削ぐ。
露顕すればただではすまない作戦だが、こういった荒事に成れているバルターは素早い身のこなしで路地を駆け、教会の裏庭が見える倉庫の屋根に上って狙撃用ライフルを構える。
だが、彼はあくまで保険であり、銃のような帝国では目立つ武器での殺傷は最終手段だ。本命は彼の部下達。シナリオとしては彼らが野盗として教会に乗り組む手筈になっていた。
「風と木の神様。どうかオレに力を」
短く呟かれた祝詞の先。教会の裏庭に標的が姿を現した。彼は午後の鐘が鳴る頃に裏庭に現れ、そこで書類を裁く癖がある事はすでに把握済だった。
その癖をついた作戦が午後一番の鐘の音と共に開始された。
バルターの部下から選りすぐりの三人が物陰等から飛び出し、手にした小刀で僧兵に襲い掛かる。
相手は流石に僧兵と言うだけあって即座に立ち上がり、手にした書類を目くらましのように放り投げて部下の隙を狙う。だが、部下も白兵戦については慣れている。
互いが連携しあって無理な攻めは行わない。狩のように段々と獲物を追い詰めていく。
すでに教会内部は他の部下達の手によって制圧済のはずだから時間はまだある。
だが、手練れの僧兵相手に部下達が苦戦する様を見せられ、バルターは内心で訓練の追加を検討して撃鉄を押し上げた。
「くそ」
サイトを覗き、僧兵の警戒した動きに合わせて銃口を操るが、その間に部下の一人がベルトに刺していたリボルバーを引き抜いた。僧兵の顔色が変わるのが分かったが、もう遅い。
連発した銃声が響く。
「撤収だな」
広く響いたであろう銃声。バルターは手にしたライフルの撃鉄に指を当て、それから引鉄を引いた。バネの力で撃鉄が落ちるが、指に支えられてゆっくりと落ちたために火は出ない。それを半分だけ引き起こしにして倉庫の屋根から身を隠した。
これで仕事は完了。後は司令部の裁可を待って次の任務に移る。その間に部下の訓練計画を練ったりとまだまだ忙しい日々が続きそうだとぼやいた。
「その上でマウザーの方にも関わるのか……。厄介な教え子を持ったもんだ」
苦笑いを浮かべ、彼は路地に消えていった。
教会の方でも迅速な撤退が行われ、金目の物と思われる品を数点かっぱらって物取りの行いだと偽装をしてから彼らはその場を後にした。
だが、この一部始終を目撃した人が居た。
帝都から来た聖女を一目見ようとこの教会を訪れていた信者だ。その信者の連れてきていた子供が日までかくれんぼしていたのだ。
その子供が眼前で行われた暗殺の一部始終を見ていたのだ。
当方の勝手とは思いますが、明日の戦後のは更新をお休みします。
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