吐露の結果
マウザーは頭の芯に靄がかかったような、はっきりしない状態で目を開けた。
熱っぽさは引き、体も節々の痛みが消えてどこか、浮遊感のような軽さを覚えている。
そして「そう言えば昨日、言ってはいけないような事を言ってしまったかもしれない」と鈍化した思考を懸命にまとめながら重い瞼を開けた。
「……おはよう」
「ん? 起きたか」
ノーメンは伸びをして埋火に枯葉を乗せ、細い枝を使ってかき混ぜる。すると息を吹き返すように白い煙が立ち昇り、それが目にしみてギンとした痛みを彼女は覚えた。その痛みのおかげで思考が通常運転を始めたのか、急速に彼女は物事を思い出していく。
「大丈夫か。熱は?」
そっとマウザーの額に当てられた掌の温かさに安ど感を覚えながら起き上がり、寝ぼけた目で周囲を見渡す。
「えと、昨日、襲撃を受けたよね」
「受けたな」
「ノーメンの正体が英雄のサクヤ・クルルギだった」
「そうだ」
「……夢じゃ無かったのか」
「残念ながらな。あと、お前が王国に亡命を企てている事も聞い――」
その瞬間、時間が止まったようにマウザーは動きを止めた。そして彼女の頬に発熱による汗とは別の汗が流れる。
「そ、そんな事まで言っちゃった?」
「ばっちり言ってた。お前が俺を騙していた事も含めてな。あと、これは返す」
そう言ってノーメンは宣誓書をマウザーに差し出した。「返却して良いの?」と言いたげなマウザーが手を伸ばす。ノーメンは興味無さそうにそれが彼女の手に触れる寸前に放した。
フラリと流れた宣誓書にマウザーの視線が追随するのとノーメンが彼女と距離を取るのは同時だった。
「おい、なにナイフを引き抜こうとしてるんだよ」
ギクリと再びマウザーの行動が止まる。ハラリと着着地した宣誓書が静かに二人のやり取りと眺めているだけの静かな朝が過ぎていく。
「確かに秘密を知った俺を生かしておけないのは分かるが、言っておくが俺は殺せないぞ。なんたって不死なんだからな」
ほら、っと言いたげにノーメンは穴の開いた上着を指さした。その位置には昨日までちゃんとクロスボウから放たれた矢が生えていたはずなのに傷跡すら残っていない。
「……確かにそうよね。初めて会った時も明らかに斬られていたはずなのにピンピンしていたし」
「そういうこと」と言いながら彼はたき火に薪を足して火力を調整し、飯盒を二つ乗せる。
「それじゃ、血の宣誓をしたのも死なないって理由?」
「そうだよ。俺は北を目指そうと漠然と思っていただけだったし、そのついでに親友の義娘の旅を助けてやっても良いかなって思っていた」
「本当に時と場合があっていた訳ね……」
「それに、よくよく考えてみれば帝室からの追手もシュタット領に入っちまえば撒けるかも知れないって打算を思いついた」
そこでマウザーは自分に追手がかかっていた訳ではないのかと嘆息した。
だが逆にこの男は五年も帝室から追われているのかと呆れざるを得ない。
「それであんな勇者らしからぬ格好してたんだ。まぁ、確かに英雄の一人が脱走してるなんてお上は看過できないでしょうね」
「だろうな。帝室の連中――特にグワバル公爵あたりは早く俺を捕らえて枕を高くして眠りたいはずさ。そんで息子をけしかけて来るんだからな」
それよりも英雄の一人を冤罪で処刑し、多くの英雄を脱走させる国と言うのも将来が不安になると言う物だ。マウザーはより亡命の意志を固めた。
「だが、俺としてはバルザとお前がなんで知り合いなのか気になるんだが」
「幼年騎士学校の頃の学友よ。そもそも彼は親衛騎士団団長のグワバル大将の跡取り息子だし、席次があたしの次だからよく覚えている」
幼年騎士学校とは貴族間の初等教育機関だ。基本的に帝都の法衣貴族の子息、子女が通う学校で、十歳ほどから入学が許される。
マウザーの場合、三か月ほど幼年学校に通っていたのだが、義父であるヴィルヘルムの勧めで王国に留学したため自主退学していた。
「逆にあいつはよくお前の顔を覚えてたな」
「まぁ、帰国してから一度だけど、帝都で再会してたから。
それに廃れたと言ってもベンテンブルクの名は軍務院でまだまだ通用するはずだからグワバル家にあたしが嫁げばあの家は騎士団と軍務院の双方から軍を掌握できるようになるとでも思って覚えていたんじゃないの?」
そう言ってからマウザーは背嚢の脇に投げ出されるように置かれている水筒を手に取った。
「ねぇ、それより宣誓書をあたしに返したって事は――」
「最後まで付き合ってやるよ。こんな所でお前を放り出しても仕方ないしな。それにどっちにしろ俺は北を目指してる。時と場合が合っているから助けてやる」
「あたしは貴方を騙した上に殺そうとしたのよ」
マウザーに残った貴族としての意地なのか、己の行いを咎めてくれと言わんばかりの口調にノーメンはあくびで答えた。
「ま、そこらへんは大人の余裕で見逃してやるよ。もっとも、お前が俺と手を切りたいって言うなら話は別だ」
ほら、食え、と言う様にコポコポと音を立てる飯盒がマウザーに渡された。その呑気さに反論を仕舞いこんだマウザーは溜息と共にドロドロになった麦を喉に流し込んだ。
「今日は昨日言った通り旅はやめだ。ゆっくり食おうぜ」
「追手はどうするの?」
「来たら来たで応戦するまでだ。ま、追ってきた傭兵の処理は終わってるから当分は平気だろ。気を付けるとすれば国境越えの時だ。ま、方法さえ選ばなければシュタット領内でも安心は出来ないけどな」
さすがに場慣れしているのか、ノーメンは事もなげにそう言った。
「……やっぱり敵が国境を固める前にここを出るべきよ」
「船の事も分かるが、お前、動けないだろ。まさか俺に背負って欲しいとか言うなよ」
「い、言わないわよ」
少しむくれるマウザーだったが、水と塩で煮られた粥を強引に口にしていく。それが体力回復の一番だと知っているからだ。
「食い終ったら治癒魔法かけるぞ」
「ありがとう。あ、沢が近いって言ってたよね。洗濯も――」
「はいはい、わかりましたよ我が主様」
食器類を片づけ、ノーメンが下級の治療魔法でマウザーの体力を回復させていると、彼女はポツリと尋ねた。
「ねぇ、なんで逃亡生活なんてしてるの? 帝室に仕官していれば生活くらい保障されたはずよ」
「帝室に居たからヴィルは死んだんだろ」
ぶっきらぼうな答えにマウザーが閉口すると、ノーメンは思い出す様に、それこそ痛みを思い出す様に言った。
「嫌気がさしたんだ」
「どうして?」
「なぁ、まだ聞くのか? 面白くない話だぞ」
それでもマウザーがコクリと頷くのを見るや、彼は渋々と重い口を開いた。
「北方戦争の中期――シュールバーグって丘陵地の取り合いの時だったかな。あの戦いで、帝国が、戦争がイヤになったんだ」
北方戦争の勝敗を分かつ戦であったシュールバーグ会戦は帝国、王国両軍を合わせて十万もの戦力を投入した魔王戦争来の最大の会戦となった戦だ。
会戦初期はノーメンや他の英雄、魔王戦争で活躍した騎士や魔法使い、傭兵等の活躍もあり優位に戦況を進める事が出来たが、各諸侯連合騎士団や親衛騎士団、魔術師団の足並みが揃わなかった帝国に対し、王国の統制された軍備と最新鋭兵器を前に徐々に疲弊して行き、ついに敗北を喫してしまった。そのせいで帝国の敗勢は決定的となり、この戦の敗走が騎士や傭兵への失望にも繋がった。
「王国の戦は帝国のそれとはまったく違うって思ったさ。だが、あの戦争は軍制や兵器の差で勝敗がついたんじゃない。戦争してるって言うのに戦場にまで政治を持ち込んできた連中が多かったのが敗因だ。
一つの丘を占領するにしたってまず権力争いさ。帝国は身内で争いあって、その余力で王国と戦争しているようだったよ」
呆れとも自嘲ともつかない口調のノーメンは目を閉じれば今でもあの日の事が思い出せた。
血と硝煙の臭い。鼓膜に残る砲声と兵の絶叫。救援を待つ守備陣地と権謀渦巻く本営。
「それで、嫌気が差して――」
「あぁ、その通りだ。あの頃は勇者って呼び名も魔王戦争から五年もたっていたから昔の戦功なんざ忘れ去られようとしていた時期で、その上で帝国の内輪揉めのせいで無益な攻撃が行われて多くの兵士が死んでいった。その上、負ければ負けたで非戦闘地域の民は俺達を愚か者とか臆病者と蔑む。
そんな時、ふと思ったんだ。こんな戦をしていて何になるんだって。仲間は俺の指揮で王国軍の銃弾に倒れるし、前進しなければ上から叩かれる。別に、それが勝利のためなら俺も納得出来たのかもしれないが、それが権力争いからくる命令だからな」
貴族達から強要される無謀な攻撃命令。前線から引いた後方では民からは「人外に屈する軟弱者」と謗られ、ノーメンの中で張られていた糸がプッツリと切れてしまった。
議席に座る貴族も戦線後方の民も分かって居ない、何も分かって居ない。俺達がどんな戦場に居るのか、何も分かって居ない。
「だから脱走した」
何もかもが嫌になった。異世界から召喚されて魔王を倒したのは良いが、待っていたのは権力争いに精を出す貴族に戦を知らない民衆。
こんな下らない物のために戦って来たとのかと思うと、戦争なんかどうでも良くなったのだ。
そうして彼は帝国の追手から隠れるように日雇い仕事をしながら町から町へと当て所なく彷徨って来たし、今もその延長で暮らしている。
「俺は北方戦争に意義を見いだせなかった。みんな死んだ。俺と共に戦ってくれた連中、みんな……」
マウザーはその話をただ黙って聞いていた。
彼女の中にも戦にかける意義と言うものが漂うようにあるだけで確固たるものが無かった。それでも彼女は生きていくためにも王国に渡り、軍人にならねばと思っていた。
「つまらない話だ」
「そんなこと……。あ、義父様は? 北方戦争に参戦したんでしょ」
「まぁな。そもそもシュタット領が奴の所領だったからな。まぁ家督はあいつの兄貴が持っていたようだが」
魔王を打ち倒した英雄の一人ヴィルヘルム・シュタットは家の危機ともちろんこの戦に参加した。
「俺、あの戦争で捕虜になったんだ」
「え!?」
「俺の隊がある丘を占領したは良いが、貴族間のごたごたなのか、援軍が来なくて王国軍に包囲されたんだ。もちろん包囲を突破しようとしたけど、逆にそこを狙い撃ちにされた。まぁ、死なないだけで肉体は普通だから当たり前だけどな。
で、傷を修復して立ち上がれば周囲は王国軍の旗がなびく丘ばかり。幸い死んで蘇った所を見られなかったからその後、一般の捕虜として捕まったんだ」
「それで、そこも逃げ出したの?」
「いや、普通に釈放された。後で聞いたらヴィルが単身で捕虜交換の約定を取り付けたらしい。
俺とあいつは別々の部隊に居たからどうしてそうなっているのか、まるっきり分からなかったが……」
その後、ノーメンは貴族達の権力争いのせいで増援が来なかった事を知り、英雄サクヤ・クルルギを辞めたのだ。
「……確か、北方戦争終戦の直後に義父様が我が家に来られたのよ。あたしの父様が病没して、当主不在のベンテンブルク家に婿と言う形で入られて」
幼くして母を無くしていたマウザーにとって当時はまさに目まぐるしい日々だった。
父との別れを惜しむまもなく親戚達に次期当主について喧噪に似た話し合いが行われたものだが、それは帝室からの一声で静かになった。成らざるを得なかった。
「一年は一緒に暮らしたかな? それで王国に留学しなさいって言われて、三ヶ月通った学校を辞めさせられたわ。この短剣は船で旅立つ日にもらったの」
「まったく……。あいつは一度決めた事は中々翻さない奴だったからな」
二人は記憶の中にいる騎士の顔を思い浮かべ、苦笑を漏らした。
そしてノーメンはその短剣を見つめた。自分とマウザーを引き合わせたそれ。
「まぁ、お前の言葉だが、これも縁だ。ガレスラが言うのなら、本当に何かあるのかもしれないからな。
とりあえずもう寝てろ。船の事は向こうについてから心配しよう」
「でも、良いの? シュタット領は王国の統治する土地よ。貴方にとって敵地じゃないの?」
「そうかもしれない。だが、あのオークの村を見て、いずれ俺の中の戦争も終わるんじゃ無いかって」
隠畠の話をマウザーにすると「逞しい事で」と素直な感想をもらしてくれた。
そしてノーメンもそう思った。
「だから、俺もシュタット領に行く。それで何が変わるのか分からないが、まぁ行ってみないとな。
てか、行かないと仕事にありつけない」
「でも死なないんでしょ?」
「そう思って飯を食わずに一ヶ月くらい山の中で暮らしたが、そうすると精神を病みそうになったから、町のスラムで暮らすようにしてる」
それで良いのか、とマウザーは言いたかったが、熱のせいかその気力が一気に霧散した。
「とりあえずお休み」
「おう」
「あと洗濯お願い」
「勇者に向かって洗濯を頼む小娘には初めて会ったな」
そう良いながらも彼は彼女の分の洗濯もするのであった。
この時間帯のほうが読者様の食いつきが良いようなので明日からも十一時更新に変更したいと思います。
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