戦を終えて
鋭い痛みをもってマウザーは飛び起きた。
右肩の激痛に顔をゆがめて起きあがると、頭の芯に鉛のような重さを覚え、ここがどこだか判然としなかった。
「やっと目覚めたか」
ベッドから身を起こした彼女に投げられた言葉に視線を向けると、両手を頭の後ろに組んだノーメンが億劫そうに立ち上がる所だった。
「なんか飲むか? それとも腹になんか入れるか?」
「……ここ、どこ?」
掠れた声は喉の乾きのせいか、それとも寝起き故かマウザーには分からなかったが、少なくとも自分達が居る場所はオークの村では無いようだ。
「メンカナリンの教会だよ。あそこには医者も僧侶も居ないからな。応急手当くらいはできるが、あのままじゃ、お前、死んでたろう」
僧侶には主の教えを守るための僧兵と言われる軍があったが、それとは別に癒しを与える僧侶と呼ばれる役職がある。
魔王を倒した英雄のガレスラも元は僧侶であり、魔王討伐の道すがら傷ついた仲間や村人を治癒していったと言う。
「また、助けてくれたんだ」
「まぁ、あんたを助ける時と場合があったからな。血の宣誓もあるし、何より親友の義娘が死んだら寝覚めが悪いと思ったし」
言い訳のような言葉を紡ぐ度にノーメンは気恥ずかしさのような物がせり上がってきて居たたまれなくなった。
「水をとってくる」。ひらひらと右手を振って彼は部屋を出ると、マウザーはまたうとうとと瞼が重くなってきた。
朦朧とする意識の中、銃声と悲鳴、そして自身に降り懸かった暖かい血潮が蘇る。
ごめんなさい……。ごめんなさい……。あれは身を守るために仕方の無い行いだった。それに先に手を挙げたのはお前達のほうだ。つまり敵に魔法を撃っただけで、戦闘行為として間違っていない。そう、間違っていない。それにあたしが手をこまねいていたら仲間の誰かが死んだかもしれないのだ。だからあの時、敵を焼いた。焼いて、焦がして、炭にして。
あたしは守るべき民を、消し炭にしてしまった。自分を守るために、仲間を守るために敵を殺した。だからなんら恥ずべき行為では無い。でも、それでも、ごめんなさい……。
「おい」
「――な、なに!?」
マウザーが窓を見ると、何時のかにか西日が差し込んできていた。
まだ夏には遠いはずなのに、彼女の脇から冷たい汗が止めどなく流れ、とても不愉快だった。
「ほれ、水。――って、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
「なんでもない……。夢を、見てた」
「うなされてたぞ」
「すっごく悪い夢だった……。夕飯は、いらないわ」
ノーメンから手渡された木椀に口を付けると甘い水が腫れた喉に染み渡って安堵が生まれた。
大きなため息をついてそれを飲み干したマウザーはそこで空腹である事に気づく。
「……やっぱり食べる」
「そうだな。あれだけ血を失ったんだ。とくに肉を食え」
「肉は、あんまり食べたくないな……」
困ったようにマウザーが笑うと、それを冗談と受け取ったノーメンも薄く笑って再び部屋を後にした。
マウザーはベッドから起きあがろうとして、ふらつく。
「……早く出ないといけないのに」
彼女は右肩を動かそうとして、脳に直接杭を打ち込まれたような痛みに悲鳴を上げそうになった。
とりあえず傷の状態を確認しようと寝間着(教会が貸してくれたものらしく、清潔な白のそれ)を脱ぎ捨て、包帯をゆっくり解いていく。
野外活動が主のせいで薄く焼けた顔とは違い、白く、細い肢体が露わになる。
紐と薄布の下着が申し訳程度に恥部を隠しているが、隠しているが故にその布の下を想像したくなって余計に扇情的な姿。
だが、本人はそれを気にした素振りも無く「もしかして少し痩せたか?」と自身の胸に語りかけてから腕の包帯を解く。
どうも腕の良い治癒魔法の使い手が居るのか、すでに出血は止まっているようだった。
(後は骨かな……? とりあえず指は動くし、そこまで悪くないのかもしれない)
そんな事を思っているとガチャリと扉が開く。それと同時に鼻に穏やかな香りが届く。
「飯持ってきたぞ」
「あ、ありがとう」
マウザーは手早く包帯を巻き直し始める。その光景を――。否、マウザーの体をノーメンはただ粥の入った椀を手に眺めていた。
「お前さ」
「なに?」
「もっと食った方が良い。いくら旅をしてるからって痩せすぎだろ。そんなんじゃいざって時に力が出ないぞ」
「ノーメンはいつからあたしのお母さんになったの?」
うるさいなぁ、とマウザーは包帯を巻く手を止め、ノーメンに相対した。
「確かにあたしの体は細くてなよなよしてるようだけどね――」
「実際してるだろ」
「う、うるさい!」
「はいはい。早く着替えろよ。飯が冷めるぞ。てか、その、そろそろツッコミを……」
ノーメンは今まで凝視していたマウザーの柔らかそうな体から視線をはずす。だが、反してマウザーは首を傾げるばかりだ。
「お前さ、貴族の娘なんだろ? 恥じらいって奴をだな」
「あいつは死んだわ」
「殺すな。恥じらいくらい殺すな」
「まぁ、幼年学校の時に慣らされたし、見られてもそんな抵抗は感じないかな。逆に帝国に戻ってからそんな事を言われて驚いたと言うか」
北の王国軍はどんな環境で訓練してるんだとノーメンは興味を引かれた。知的好奇心を刺激されるのは久しぶりだったノーメンは詳しい話を彼女から聞き出そうと思ったが、その前に彼女の腹の虫が悲鳴を上げた。
「でも、ここまで色気の無い裸があるんだな」
「うるさい! それじゃ、頂きましょう」
寝間着を着直したマウザーはちょんとベッドの端に腰をおろした。
「少し冷めたな」
ノーメンの言葉通り、パンの粥は温くなっていた。だが、マウザーはお構いなしと言ったように口を付けた。
「あー。なんか、安堵するような味」
ミルクで煮込まれたパンに濃くのある蜂蜜が沁み渡っており、それを口にするとマウザーは鼻の奥がツーンと痛くなった。
帝国で食べられる一般的な味がマウザーに安堵を与え、それが残照のように残った悪夢を洗い流してくれるような気がして、彼女はスプーンを一心に動かす。
「そう言えば、オークの村は?」
「あー。あの後の事はナジーブに任せた」
また投げっぱなしか、とマウザーは椀を置いてため息をついた。
今度こそ、後始末をするためにも村に立ち寄らなければとこれからの予定表を頭の中で整理を始める。
「そう言えば、あたしはどれくらい寝てたの?」
「そうだな……。三日って所か? あの村からここまで半日で帰って来て――」
「嘘!? どうやったらそんな早く移動できるの? 馬でも買ったの?」
「いや、身体強化して走った。で、疲労は俺自身に簡易的な回復魔法かけて――」
「それで走り通したと?」
つまりノーメンは魔力を体力に還元したと言っている。確かに魔力は精神に宿ると言われているため、彼は精神を体力に変換したと言う。だが、精神の回復は体力あっての事だ。それなのに精神を体力に還元してしまった事にマウザーは開いた口が塞がらなかった。
「そんな無茶な」
「まあ、魔力は人一倍持ってるからな」
「どしてそんな人が帝室に仕えないの?」
「だから、俺はもう国とか、正義のために戦うのが嫌なんだ。
これだけ魔力がありゃ、ギルドに加盟して冒険者も出きるだろうが、有力ギルドは基本的に国と契約してるだろ? そうすると国から引き抜かれて騎士団に仕官とかさせられるからな」
「……普通はそうやって成り上がるのが平民の夢なのだと思っていたけど」
ノーメンは「俺は別なの」と言いながら冷めた粥を口に詰め込んでいった。
◇◇◇
その翌日。
青色の僧衣を着込んだ僧侶がマウザーの腕を見て笑った。
「もう大丈夫そうですね」
「ありがとうございます、僧侶様」
「いえいえ。主に仕える身として他者への奉仕は義務ですから」
穏やかに笑う彼女にマウザーはただ頭を下げるばかりだった。
しかし、まだ腕を振るうと鈍痛がする。僧侶曰く「まだ安静に」との事だが、マウザーは明日にでも出発すると言い張った。
「あれだけ血を失ったのです。体力も落ちているでしょう」
「あたしは平気です。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
「しかし……」
チラリと僧侶がノーメンを見るが、彼は無言で首を横に振った。
「もう二、三日ほど逗留する事をお進めいたします。
ここは主の家であり、私達の家ではありません。どうか気兼ね無くお泊まりください」
「ありがたいお話ですが、あたし達は先を急いでおります。このご恩は忘れません。どうか、貴女に主の光が届きますように」
僧侶はそれでも食い下がるように何かを言うとして、止めた。
「はぁ。ですが、安静に過ごしてください。無理な旅を続ければ熱を出すかもしれませんよ」
「お気遣い、感謝いたします。それと、お聞きしたい事が」
僧侶は「私に分かる事があれば幸いなのですが」と言いながら手早くマウザが先ほどまで巻いていた包帯の束をまとめだす。
「この街の近くにオークの村がありますよね」
「あぁ、あの村ですね。最初は不安でしたが、敬虔な神の信徒のようですね」
「その、税の事ですが――」
「課税はしておりませんよ。ただ、お布施を頂いているのです」
「お布施ですか……。あの村で収穫された物の全てを収めさせているって聞いたのですが……」
僧侶は「なるほど」と合点がいったように手を打った。
「あの村はオーク達の事を思えば仕方の無い事です。あの者達は罪深く、その魂が主の御許に行くためには魂を清めなくてはなりません。
そのため主に自分達の糧を差し出しす布施行をしているのです」
朗らかに笑う僧侶から悪意は感じない。だが、その布施はどう使われているのか、マウザーはそれだけが気になった。
「それじゃ、看病ありがとうございました」
「いえいえ。主に仕える者としてこれくらいのこと」
マウザーが口を開く前にノーメンが素早く言葉を紡ぐ。
深々と頭を下げた僧侶にマウザーは不満そうな顔をしつつ、頭を下げた。そして彼女が退室すると同時に
「どうして止めたの?」と言いたげな視線がノーメンに刺さる。
「そんな事、聞いたって連中は主のために使ったとか、そんな事しか言わんだろ。
それにお前の怪我を治してくれたのは誰か言って見ろ」
「……そうね、軽率だった」
マウザーは納得こそして居なかったが、それでも疲れたようにベッドに潜り込んだ。
それを見てやれやれ、と言うようにノーメンから大きなあくびがもれた。
「なんか、眠くなってきたな」
「もしかしてあたしが心配で眠れなかったり――?」
「ま、そんな所だ」
ノーメンなら「阿呆か」と言ってくると踏んでいたマウザーはその言葉にポカンと口をあけたまま固まってしまった。
「そ、そうだよね。あたしが死んだら血の宣誓で――」
「あー。そうか、すっかり忘れていた。あれって宣誓相手が死ぬと俺も死ぬんだっけ?」
「…………」
それじゃ、何を心配していたんだ、とマウザーは心の中で叫んだ。
(もしや、あたしの事を本気で心配してくれたのだろうか。いや、ありえない。あんな世捨て人のようなノーメンがあたしを? いや、確かにノーメンは世捨て人然としていたけど、それ以前に男だし、男は例外を除いて女の事を――。待て、ノーメンは義父様と魔王戦争に参戦していたんだ。年齢的にそんなーー。でも、世の中には年が父子ほど離れた方が良いと言う人もーー)
高速回転する思考。幼年学校で作戦立案の授業の時に様々な事態を想定せよと習った彼女は浮かび上がってくる可能性を必死に考えるが、ついに思いつかなかった。
「どうして、そんなに心配してくれるの?」
「そりゃ、親友の娘――」
「血の宣誓を抜けば他人のような物じゃない」
「まぁな。俺はヴィルに散々世話になったし、戦友のあいつの娘なら、これくらいの事はやってやりたいと思っている」
歯切れの悪い言葉に眉を潜めるマウザー。
ただ、親友の娘だからと言うだけで命を張るものだろうか、と彼女の疑念は大きくなるばかりだ。
「ノーメン、あなた、オークの村を襲ってきた盗賊の事をそんな悪い奴らじゃないって言ってたよね」
「言ったな」
「義父様の娘って理由であたしと血の宣誓をしてくれたんだよね」
「そうだな」
幾ばくかの沈黙の後、マウザーは意を決したように口を開く。
「もしかして義父様が好きだったの?」
「どうしてそうなる」
「だって、あの男臭い盗賊の事をかばうような事を言っていたのは自分もそうだからで、義父様に思いを寄せていたからその義娘のあたしを――」
「よし、決めた。お前は楽に殺さない」
殺伐とした空気が流れ、マウザーは「ははは、ジョーク、ジョーク」と両手を上げ冷や汗を流す。そのとき、彼女の視界がグルリと傾くと視界が黒に染まっていく。
「あ、あれ?」
「……。あん時、血を流しすぎて貧血か。こりゃ、もう少し逗留する必要がありそうだな」
「あたしが招いた事だけど、時間を使いすぎたわ。明日にでもメンカナリンを出ましょう」
「そう言ってもな」とノーメンは値踏みするようにマウザーの上から下までを眺める。
「そんな調子じゃすぐにバテるぞ」
「平気よ。急いで街を出ないと」
最終的にノーメンは根負けした。
翌日、二人は再びメンカナリンを後にして街道を行く。
日差しがサンサンと降り注ぐ中、二人は時々冗談を言い合ったり、オークの村を襲った盗賊の事を話したりしながら進み、一夜を数日前と同じ場所で明かす事にした。
「そう、あの盗賊はそういう理由で……」
「昨日、教会で色々聞いたさ。どうも教会の僧兵やメンカナリン騎士団もあの盗賊には手を焼いていたらしい。やっぱり昔は名のある傭兵団で魔王戦争の時はそれなりに活躍していたようだ」
「魔王戦争後は傭兵の需要が減ったって聞いたけど」
「そうだな。傭兵は金がかかるから、戦も無いのに雇っておくのは無駄だってな。それでも多くの傭兵が冒険者ギルドに雇われて魔物の残党狩りやったり、なんだったりをやっていたから、あの頃はそれほど苦しい生活をしていなかったろうよ」
「それが北方戦争で変わった?」
「……あの戦争は全てを変えちまった。相手は人間と人外の混成軍。対してこちらは魔王を下した英雄を筆頭にした人間のみの単一軍。
それが敗戦しちまって、人間は人外に負けたって風評がひろまってさ、時の英雄達は『人外に屈した帝国の恥』扱いさ」
「その上でシュタット条約が結ばれちゃったわけね」
シュタット条約には人外の保護を行うよう書かれており、帝国は人種族以外の差別を撤廃するよう王国から求められた。
それは人と人外――エルフやドワーフと言った人間以外の種――で成り立つ王国にとって邦人保護のために是が非でも結ばなければならなかった条文だった。そのため帝国で人外と呼ばれていた者の多くは帝国の準市民として迎え入れられる事になり、中には改宗して人間の居住地域に居を構えるようなものも出て来た。
「北方戦争後、そういう討伐系のクエストが激減して、冒険者ギルドは雇っていた多くの傭兵団をクビにした。それで故郷に戻った奴らもいたけど、多くは食い詰めて盗賊になった奴らの方が多い。
魔物との戦い方を知っていても、麦は育てられないし、商いも出来ない。そういった物を習う時期を戦いに費やした連中はその後、偏屈な厄介者として扱われるようになったり、身を崩して表の世界が生きていけなくなったりした。
全ては、あの戦争に負けちまったからさ。負けて、全てが狂っちまった。
オークの村を襲撃した盗賊もそういう奴らさ。それまで散々頼って来た存在が、あの敗戦でひっくりかえっちまったんだから……」
パチパチとたき火が燃える。その揺らめきを眺めていたマウザーはただ一言。
「あたしはただオーク達を助けたくて――」
「言うな。どっちが正しいとか、考えるだけ無駄だ。それよりもう寝ろ。俺は見張りをしているから」
その言葉でコロンと転がった彼女はたき火を見ながら誰に問うと無く呟いた。
「正義ってなんだろうね……」
マウザーちゃんは腐ってないよ。勘ぐらせるようなノーメン君が悪いんだよ。
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