終わらぬ戦争
「うぉおおお」
ノーメンは腕をしならせながら斧を投擲。その着弾を見る前に呻く盗賊から両手剣を奪い取る。
「利かぬ!!」
兄貴は投擲された斧を身の丈ほどもあるバスターソードで弾き上げ、その勢いのまま突貫。ノーメンを挽き肉にしようと振りおろす。
ノーメンはそれを半歩動く事でかわし、突き立てるように剣を兄貴の首もとに向ける。が、兄貴が首を横に振ってその一撃は避けられてしまった。
「あんた、名のある傭兵だったろ。性癖さえ治せば騎士団に仕官出来たんじゃないか?」
「ハッ! ぬかせ! そう言う兄ちゃんだって良い腕だ。こんな所じゃなくてベッドの上で戦いたいくらいだぜ」
ノーメンはバックステップしつつ距離を取る。彼と間合いを取りたかったと言うのもあるが、何よりも近くに居たくなかった。
「ノーメン!」
「下がってろ!」
マウザーは彼を援護しようとリボルバーを向けるが、激しく動き回る彼がどうしても射線に重なってしまい、引鉄を引けないで居た。
その時、マウザーは殺気を感じて体を反転させる。そして狙いが外れたナイフが彼女の右腕に深々と突き刺さった。
「え?」
一瞬の後に遅れて襲ってきた痛みにマウザーはリボルバーを取り落とす。そこにオークの銃撃で瀕死の体のひゃっはーが不適に笑った。
「ひゃっはー。兄貴の理想郷のため、死ぬが良い!!」
ひゃっはーは近くに落ちていた槍を杖のようにしながら立ち上がり、血を吐く。
彼の纏う砕けた鎧から鮮血が流れ落ちるのを見たマウザーは顔をひきつらる。
「がぁ」
その姿にマウザーは思わず尻餅をついてしまう。だが、彼女は即座にもう一丁のリボルバーを抜く事が出来た。
「――――!」
だが、言葉にならなかった。直接向けられる殺気に彼女の口は乾き、幼年学校で覚えた呪文がことごとく頭から抜け落ちてしまったのだ。
失われた言葉を求める口を見たひゃっはーはニヤリと顔をゆがめる。
それを見てしまったノーメンは自身の血が熱く成るのを覚えた。
全身が沸き立つような感覚に支配されながら彼は兄貴と距離を取る。だが、兄貴の猛攻を前に防戦に立つと、彼はどうしてもマウザーを助けに行けなかった。
「マウザー! 撃て!!」
彼女の握るリボルバーにはミスリルの弾丸が装填されている。魔法を付与しなくてもそれは確実に眼前のひゃっはーを撃ち抜けるだろう。
だが、彼女は氷ついたように顔を横に振るだけだった。
「誰がオークに戦い方を教えた! 撃たなきゃ奪われるんじゃ、無かったのか!?」
「奪われる――!」
カチリと撃鉄が上がる。ひゃっはーが杖にしていた槍を構える。
「うああああ」
轟音と白炎。そして血しぶき。
マウザーの放った一撃はひゃっはーの胸板を貫通し、ひゃっはーの一撃は彼女の肩を貫いた。
「マウザー!」
だが、彼女からの返事は無い。彼の血はますます熱くなる。
それがノーメンの中で怒りへと変貌していく。
「殺してやる!!」
「威勢がいいが、それだけじゃ俺様を止められないぞ!」
筋肉の固まりのような兄貴から繰り出される強靱な斬撃を受け止める力はもとより武器が無い。
体格で負け、一撃を耐える武器が無い状況。だからノーメンは受け止める事をやめた。
兄貴がノーメンの首を斬りとばすために横なぎにバスターソードを振るう。その一撃をノーメンは右腕で逸らす。そのおかげで首を狙った一撃は宙に逸れたが、それと同時に彼の右手が宙を舞った。しかしノーメンは自身から離れた腕など眼中に無いのか、そのまま大降りをして隙を見せた兄貴の懐に飛び込む。
「ははッ! 肝が座って――」
兄貴が口を開こうして彼はそれを止めた。いや、止めざるを得なかった。
喋る余裕が彼から消え、ノーメンの鋭い突きをかわすだけで精一杯になる。
元来、その巨体が生み出す必殺の一撃を武器に今まで生き抜いてきた彼にとって懐に飛び込まれると十八番の斬撃が振るえず、故に仲間と共に戦う事でその隙を見せない様にしていた。
それが人外共の攻撃で仲間が倒れ、隙がむき出しとなった兄貴は防戦に回らざるを得なかった。
(だが、焦るこたぁ、ねぇ)
剣を振るう毎に飛び散る血は全てノーメンの腕からだ。このまま暴れれば奴は血を失いすぎて動けなくなる。
彼はそう言い聞かせながら大剣で彼の一撃を避けていく。
それに間合いが詰まっていては筋肉と遠心力をあわせた会心の一撃を放つ事は出来ないし、何より手数の多いノーメンに致命的な隙を与える事になる。
そのため身の丈ほどもあるバスターソードで受け、弾き、往なしてノーメンの攻撃を避けるように戦う。
そうする内に兄貴に勝算が芽生えて来た。全力で避ける分なら自分は負けない。だが、ノーメンは命の源を腕から垂れ流して戦っている。つまり時間が勝利を運んでくれる。
そう、思った瞬間、顔になま暖かい何かをぶっかけられた。
(な、なんだ!?)
反射的に閉じようとする瞼を強固な意思で跳ね上げる。だが、瞼の上から垂れる赤い液体が眼球に入ってきて目を開けていられない。
「くそ! てめェ! 自分の血を!!」
腕を跳ね上げたノーメンは無表情で兄貴を斬る。右肩から袈裟斬りにされた兄貴がよろめいた。
「浅かった!」
ノーメンは血の滴る自身の腕と剣を見やる。片手で操る一撃はどうしても軽くなってしまう。その上、相手は筋肉装甲を纏った歴戦の傭兵。致命傷を狙うより手数で相手の体力を奪うしかない。
「はあああ」
「くそ、なんて体力だ――!」
兄貴の愚痴がノーメンに届く前に彼は兄貴の間合いに飛び込む。それを狙いすませたように横なぎの一撃。ノーメンはそれを足から滑り込むように避ける。空気を裂くような一撃が頭上を通り過ぎるのを待って立ち上がる。
「かかったな!」
兄貴はその数瞬前に自身の得物を手放し、ノーメンにつかみかかる。
「な!」
堅い手が不意をついてノーメンの顔面にたたき込まれ、彼の脳が揺れる。そのまま兄貴は彼の喉をつかむ。
「とったぜ」
ゴキリ。鈍い音と共にノーメンの左手が握っていた剣がゆっくりと地面に落ちた。
「はッ! 手こずらせやがって」
兄貴がゆっくりと周囲を見渡す。血と硝煙の香る戦場に立ちすくむオーク達。そしてその足下に転がる仲間達。
「うぉおおお!」
殺してやる。共に歩んできた仲間を殺した連中を一匹残らず殺してやる。
オークとは人間を襲う野蛮な豚だ。そんな豚は殺さねばならない。いや、殺してきた。
手にしていたノーメンを放り投げ、身の丈ほどあるバスターソードを探す。
(オークは殺す。俺様達を受け入れなかった人間も殺す。
全ては国のために、主のために、そこに暮らす人々のために戦ってきたと言うのに、こんな仕打ちはあんまりだ。
北方戦争に負けて手のひら替えしした連中を許しておけるか。お前達の暮らしをだれが守っていたと言うんだ。
俺様達の犠牲があったからこそ、安穏と暮らせたのだろうが。
それなのに俺様達を異端と謗り、居場所を奪うなんてあんまりだ。
あぁ、かみさま! あんたは俺様達を救う気がないんだろ。
だから、俺様が救ってやる。神も人も見捨てた男達を俺が救ってやる。
俺が、俺こそが救わないといけない!! だから、俺様の戦争は終わっちゃいねーんだ。皆の笑顔を得るための戦争は、終わっちゃいねーんだ!)
ノーメンに血をかけられたせいか、それとも破裂しそうなほど脈打つ心臓のせいか、彼の目は赤に燃え、乱暴に大剣を拾い上げた。
「一匹も逃しはしねぇ! 全員、叩き殺してやる!!」
すでに彼の仲間の多くは息絶えたか、もしくは今にも死の縁をさまよっている者達ばかりだったが、それでも彼は仲間に聞こえるように言った。己が救いとなると決めた彼は仲間の屍を踏み越えてでも諦める事をしたくは無かった。
故に剣を取る。そして獰猛な笑みでオーク達を睨む。
「そいつは、待ってくれ」
兄貴がギョッとして振り返ると、よろよろとノーメンが立ち上がる所だった。兄貴は反射的に己の手を見つめる。あの感触、確実に首の骨を折ったはず……。
「……妙にタフだな、兄ちゃん」
「そのおかげで魔王戦争や北方戦争を生き抜けた」
仕損じたか、と兄貴はこぼしながら大剣を上段に構え、ゆっくりと顔の横にそれをおろす。今度こそ、確実に首を斬り落としてやる。
「あんた、やっぱり強いな。技や力もそうだが、信念が強い。俺は、もう五年前にそれが尽きちまったから、なんだか懐かしい」
「あぁ、俺様だって尽きたさ。あの頃は良かった。ただ戦えば勇敢だと賞賛された。だが、あの戦争で全てひっくり返った」
「そうだな。北方戦争で全て変わっちまった。
敗戦のせいで物は値上がるし、人外は町に来て俺たちの仕事を奪っていく。俺たちが必死に町に魔物を入れないよう戦ってきたってのにな。その上、元傭兵は問題を起こす破落戸扱いだった」
ノーメンは兄貴達の傷がありありと見えた。彼らはそれに蓋をするように新たな希望を抱いた事も、その希望のためにここのオークが悲鳴を上げた事も見た。
自分達のために他者を傷つける事は良くないと知っている。そのために魔王と戦ってきたのだから。
だが、彼らも追いつめられた故に立った事に同情したかった。むしろ自分も兄貴達と同じ傷を抱えた者として応援さえしたかった。
「今からでも遅くねーぞ、兄ちゃん。俺様と来い。俺様と理想郷を作らないか?」
「あいにく、俺はケツに何かを入れる趣味はないんだ!」
「ならヤリあうしか無いようだな。好きな武器を拾っていいぜ。もっとも、俺様の一撃を防げるような得物は無いだろうがな!」
「それじゃ、お言葉に甘えて」
ノーメンが駆け出す。兄貴はその軌道を読みながら必中の一撃を見舞えるように腰を落とす。確実に、そして一撃でこの男を葬る。
だが、ノーメンは彼の間合いに入る事無く、倒れていたマウザーの元に走りよった。
「はッ! この後に及んで女か!!」
「少なくとも男より女の方が俺は好きだぜ」
ノーメンは彼女の握るリボルバーを彼女の手ごと兄貴に向かって構える。
「な! てめぇ!」
昨日、マウザーが発砲した事で兄貴もそれが銃である事を知っていた。
そしてその力を彼は北方戦争で知っていた。
ノーメンはリボルバーを構えるのはもとより触る事も初めてだったが、脳内ではすでにその解析と照準が開始される。そして演算領域の余剰分を使って魔法式を構築していく。
確かに素のノーメンは魔法と言えば肉体強化や治癒、下級魔法くらいしか使う事は出来ない。だが、マウザーの持つ銃は誰でも魔法が撃てるように作られている。
それを解析し、魔力の流れを最適化する事でより強力な魔法を使えるようになる。
「清浄なる神の業火よ、今こそ悪徳の都に硫黄の雨となって降り注げ。火炎!!」
彼の口から紡がれた言葉が力を持つ。引鉄が引かれるや、白煙と共に炎の塊となったミスリルが中級魔法を的って飛び出す。
兄貴は思わずバスターソードを盾のように突き出すが、魔法の炎はそれを焦がしながら兄貴を襲った。
肉の焼ける香ばしい臭いを嗅ぎながらノーメンはゆっくりと立ち上がる。
その昔、神の怒りに振れた都を焼尽に返した炎は消え、熱せられた空気がもやもやと動いていた。その下に倒れふした彼にはまだ、奇跡的に息があった。
「……やるな、兄ちゃん」
「あんたほどじゃ無いさ」
ヒューヒューと空気の漏れるような息をする彼はもう永くない事が伺えた。
彼はただ、日の昇った空を見てつぶやく。
「あぁ、俺様は男を救えなかったんだな。
俺様は、ただ、あいつ等に居場所を与えたかっただけなのに。
そのためにこの十年を戦ってきたってのに。
なぁ、兄ちゃん。俺様達の何が悪かったんだ? 理想に燃えて、みんなの喜ぶ顔が見たくて戦ってきたってのによぉ。
それなのに町で暮らす連中は俺様達の事を虐げる。誰のおかげでその暮らしがあるのか、忘れてよ。
その上、町じゃ人外を雇うし、国も教会も人外にこうやって居場所を与えちまう。違うだろ。
街の暮らしを守ってきた俺様達の居場所を奪っておいてこの豚共に居場所を与えるのは、違うんじゃねーのか?
なぁ、兄ちゃん。俺様達は、何が悪かったんだろうな」
ノーメンは兄貴を見つめたまま、自分を首にした上役の顔を思いだし、メンカナリンで見たスラムを思いだし、そして北方戦争で見た親友ヴィルヘルム・シュルツを思い出した。
「時代が悪かったんじゃ、ないのか?」
キザったらしいと思った。だが、そんな途方もない奴の仕業にしなければ、やるせなかった。
彼はどこにも正義が無いことを知っていた。だからどれほど理想に燃える事に価値が無いかを知っていた。
だが、それを死の間際にいる彼に伝えられなかった。ただ、冷たい風が戦場に吹きすさぶばかりだった。
ご意見、ご感想をお待ちしております。