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石の花  作者: 藍上央理
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(9)




 しばらく続く平野を歩き、男は何やら見覚えのある土地を眺めた。

 小男は急がしげに跳びはね、男を先導する。

 潰れた太陽が遠くの樹海を燃やしながら沈んでいった。太陽とともに小男も姿を消した。

 男は草むらを押し倒して寝所を作ると、ごろりと横たわり、眠ろうと目をつぶった。

「眠ってしまうには、まだ早いわよ……」

 少女の声が、男の耳元でささやかれた。男は目を開け、傍らの少女を見やった。

 月が少女を染めぬいている。青い少女は長い髪を地に垂らし、屈み込んでいた。男はうっとりと少女を見つめていた。忘れそうになっていた情熱を感じていた。少しでも体を動かせば、心が揺さぶられそうだった。

「あたしの顔が見える?」

 男はうなずいた。

「服を変えたのね?」

 男はまたうなずいた。男は瞳で少女を抱きとめようと見つめていた。

「あたしが好きではないの?」

 少女に懐かしさがあった。男は首を振った。

「それじゃ、なんで触れてくれないの?」

「目的を見失いそうになるからだ」

 男は素直に告げた。

 少女の唇は月明かりに染まる鉱石だった。触れてみるまでは硬く凍りついている。いったん触れ感じれば、氷はたちどころに溶けて真綿のような柔らかさを知るだろう。

 男にはわかっていた。少女の冷たさ、硬質感、それらは幻なのだ。月の光の見せる虚像なのだ。その奥に、裏側に、少女の真の姿が輝いている。暖かく脆い、手ごたえを感じることのできる肉体。

 男は口許を緩ませて、

「あなたに触れたい……しかし、触れないほうがいい。あなたが欲しい……しかし、今、手に入れるべきではない」

 少女は微笑んだ。

「いつ手に入れるつもりなの?」

「もうすぐ……私が欲しいと決めた時」

「そうね……でも今であっても差し障りはないのよ? ただやり直しはきかないというだけ」

「あなたは何を知っているのだ?」

「なにも知らない……全てを知っている……あんたは何を知ってるの?」

 ふたりは横たわって、お互いの目を見入った。青白い少女の瞳が男の顔をなぞり、閉じられ。

「口づけもだめなの? あたしは待って……あんたがそうであるように」

「口づけもだめだ。私は待っていない。まだ何も始まっていない……」

 少女はふいに身を起こし、男を股越した。胸まで隠れる草むらに佇み、歌うように言った。

「今は今だけよ? 過去も未来も、今という時間に縛られている奴隷なの。今をないがしろにしてしまったら、過去と未来はどうなってしまうの?」

「みなしごになるだろう。しかし、時は過ぎていく。次々と生まれ巣立つ過去と未来は、今という時の奴隷ではなく、存在の証しなのだ」

 少女は声を立てて、笑った。

「あたしには今しかないのよ、過去も未来もないの。あたしを生みだして。あたしを受け入れて、過去と未来をちょうだい」

 男は横たわったまま、尋ねた。

「私の目的はどうなるのだ?」

「そんなものは掃きだめに捨てちまいな!」

 男はため息をつき、眠りにしがみついた。 

 目覚めはよくなかった。頭にぎっしりと石が詰め込まれている。振っても叩いても、それらは出て行こうとせずふんばって、男を悩ませた。

「どうした? 頭が痛いのか?」

 小男が野卑な笑みを浮かべて、男の顔を覗き込んだ。男はうなり声をあげて、体を起こした。

「悪夢だ……夜になると、それが形になって私を悩ませる」

「ほっほう……どんな悪夢だ? ナメクジか? それともトカゲちゃんのか?」

 小男が気になる言葉を言った。しかし、男は無視した。

「女だ」

「女か。さぞかし醜い女なんだろうな ? そいつがあんたに何をするんだ?」

 小男はニヤニヤと笑いながら、続けた。

「それとも、すげぇべっぴんなのか? あんたの体にヘビのようにまとわりつくの ? 悪魔と交尾するみてぇに気持ちよがる夢なのか?」

 男は気だるげに首をうなだれた。太陽の暑苦しさと小男のお喋りの鬱陶しさが、男の気分を最悪にした。小男の発する雑音は、男の両耳を這いずり回る毛虫のように思えた。男はうなった。

「なぜ、私にまとわりつく?」

 小男は自分の話を遮られ、不満げに鼻を鳴らした。

「教えて欲しいのか? そうしたら、あっしはもうあんたの都合のよいことはしてやれねぇよ? それでもいいのかよ?」

「おまえが今までに私の耳を患わせる以外に何をしたというのだ?」

 小男は生木が裂かれるような声で訴えた。

「あっしのしてやったことすべてに、糞を引っかけるような真似をするつもりなのか? まったくなんてぇ恩知らずなやつんだ! 服を持ってきてくだすったお方はどなただ? ずっとそばにいて、話相手になってくだすったお方はどなただ? 夜にべっぴんを連れて来て、あんたにいい思いをさしてやろうと気遣ってくだすってるお方はどなただ? 知恵を与え、目的を助けてくだすってるのは? えぇ? 一体どなただ?」

「あの娘はおまえが連れて来たのか?」

 小男は初めてばつの悪そうな顔をして、薄い唇をなめた。

「あぁ……言うつもりのねぇことまで言っちまったな。そうさね……あっしの親切心が飲み込めたかよ?」

「あの娘とおまえはどういう関係なのだ?」

 男は小男の醜い面構えを見つめた。ねばこい油の浮いた小男の顔から、男は目をそらしたくなった。しかし、興味深い答えを聞かないうちに小男から目を離す気はなかった。

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