表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
石の花  作者: 藍上央理
8/13

(8)

「あっちにどれほどいいものがあるっていうの?」

「わからない」

「わからないのに行くっていうの? あんたって変わってるのねぇ?」

 少女の面差しは幽霊のようにぼんやりとかすんでいるが、非常に美しかった。青冷めた瞳、青冷めた唇、青冷めた頬。髪すら青く沈み、明るい陽の下で見たとしても、その髪が何色なのか想像もつかない。

「あたしをどう思う?」

 少女の笑みはネコのようだった。月の光をあびて、死人のように無表情ではあったが。アラバスターの人形めいた顔の作りに、男は魅せられてしまった。思わず、手が少女の顔に伸びていた。

「そう……あたしをどう思う? あたしが好き?」

 男は戸惑い、手を引っ込めようとした。少女はその手を捕らえ、自分の胸に当てた。

「あたしを幻だと思う? 心臓の音を聞いて……音はしてる? 耳を当ててみて……鼓動は聞こえる? 唇を当ててみて……血の熱さを感じる?」

 少女の胸はゆるやかに上下し、体中を駆け巡る血の流動が男の指先に伝わってくる。

 少女の小さな鼓動が、男を震えさせる。男は自然の欲求を感じていた。

 男は無意識に仮面をさぐった。冷たい鉄の感触が、血のほてりを少しずつ冷やしていった。少女の胸から手を離し、男は口走った。

「どういうつもりだ」

 少女はしばらくまじまじと男を見つめてから、ささやいた。

「あたしたちは闇よ……仲間がお互いを慰めあうのは当たり前じゃないの。あたしはあんたの恋人。定められた愛を演じるために、あんたとあたしはここにいるのよ……どうして拒むの?」

 男はまだ仮面をまさぐっていた。それで不安が癒されるとでもいうように。少女の言葉も否定できず、男は困惑したまま黙っていた。

「でも、あんたは男だもの。そうそういつまでもあたしを拒んではいられないはず……」

 少女は男から離れた。

「夜が明けるまでは一緒にいるわよ。その間にあんたの気が変わらないとも知れないものね」

 男は迷った。小男の言葉。少女の言葉。仮面の衝動。どれに従えばいいのか。

 ただわかることは、小男も少女も自分をいいなりにしようとしている。

 仮面は何も語らないけれど、その衝動に魂が揺さぶられる。単純に、はっきりと繰り返される、あの国へ行き王を殺せ……という衝動。理由も意味づけも何もないが、確かな目的だけがあった。男は両手でしっかと自分の体を抱きとめた。この手を離せば、いつのまにかもやもやとした霧となり、自分の存在も何もかもが消えてしまいそうな錯覚を覚えた。

 馴染みのある不安に身を任すうちに、男は夢にうなされていた。

 声が響く。

 信ずるべきは仮面のみ。目的を映し、自分自身を映した内なる仮面の姿のみ。

 男は目を覚ました。ぱちりと目を見開き、明るい太陽を直視した。

 少女はいなかった。代わりに小男がいた。その手に服を持っていた。カラス色の服。

「処刑人に相応しい服さね。首をちょんぎる輩の着る服だ。街の通りで、大手を振って行列を作れよ、あんたは山のように首を刎ねるんだろ? え? 誰か処刑すんだろ?」

 小男は病気のイヌじみた様子で男をねめた。言葉を剣の代わりにして、男を傷つけようというのか。挑発して、男といがみあいたいのか。しかし、人のいない山の中では思ったほど効力はなかった。男は服を受け取り、小男の言う処刑人の服を着た。あつらえたようにぴったりと体にあった。

 マントの厚い襟を立て、肩の留め金に襟元の紐をかけた。腰のベルトには太い鎌を引っかけるための輪がついていたが、そこにいたはずの主は服についてこなかったようだ。

「首刎ね道具はどうした、処刑人?」

 男は肩をすくめた。衝動は人殺しを命じているが、人を殺せるような状態ではない。武器はなく、手を見れば自分は武器すら握ったこともないようだ。べったりと汚れた髪を手で撫でつけ、つばの広い帽子を目深に被った。

 その風体に、小男は手を叩いて喜んだ。 

「この服はどうやって手に入れたのだ?」

「そりゃ、芸人一座の服だよ、あんた。崖から転げて笑いをとったのは、何もあんたひとりじゃないのさ」

 小男は泣くふりをして、上目づかいに男を見た。

「ひとつ、悲しい話をしてあげやしょう。おつむの弱い美しい若者。何ひとつできねぇ。人買いは金持ちと思った男に売った。金持ち男はひと財産つぎこんで、クジャクのように若者を養った。商売が滞り、若者は借金のかたに人手に渡った。渡り渡ってただ同然で芸人一座が買い取った。何ができるというわけでもねぇ。嘘を喚く小鳥の真似しかできねぇんで、ぼろを着せて喚かせた。ただ飯食らいのお荷物さ。かわいがってくれる芸人もいたけれど、もめごとのタネにしかならねぇ。そんである晩放り投げたのさね、崖の下目がけて。ところが、因果は応報。馬車馬が足をくじいてひと山こえねぇうち、自分たちも崖の下。ぴゅーっとまっ逆さまさね」

 身振り手振りを交えながら、笑い声を立てた。

「おつむの弱い若者とは私のことなのか?」

「なにをおっしゃる。あんたは自分のことを馬鹿だと思ってんのか?」

 男は肩をすくめた。

「自分が何者なのか、何をするべきなのか、忘れてしまったという点では大馬鹿だろう」

 小男は体を揺らし、笑い続けた。

「それじゃあ、この世は馬鹿ばっかしだ。自分が何者なのか、何をすべきなのか知ってる人間がいたら、ぜひお目にかかりたいもんだね」

「おまえにはわかっているのか?」

「そうともさ、あっしにはわかってる。あっしは約束を破った奴に引導を渡してやるつもりなのさ」

「どんな約束をしたのだ?」

 小男は牙をむきだして笑った。 

 男は肩をすくめて峠を下った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ