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石の花  作者: 藍上央理
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(6)




 宮女はがばりと跳び起きた。恐ろしさのあまり、悲鳴も凍りついた。

 なんということ。

 すぐに衣服を身につけると、旅籠を飛び出した。すっかり陽も暮れてしまった。連れはだいぶ前に出て行ったと旅籠の者が宮女に告げた。宮女は泣きべそをかきながら芸人一座の所へ行き、金髪の頭の弱い青年が来なかったかと尋ねて回った。王子はどこにもいなかった。

 宮女はうろたえ、街の広場で長いこと泣いていた。しかし、どうにもならないと開き直り、宮殿に戻って嘘を告げた。

「黒い怪しげな人影が王子さまをつれ去ってしまったのです」

 王はすんなり信じた。しかし、妃は信じなかった。いつもはおだやかな妃が、宮女を平手で打ちすえて責め立てた。

「いいえ、いいえ……! おまえがどこかへ連れて行って、殺したに違いない! おまえが王子を殺してしまったのです!」

 妃が声を荒げるたびに、アザミの花が舞い、妃の手を傷つけた。血さえもサンゴの粒になって、床に弾けた。

 王は優しい声音で王妃を宥めたが、顔は紙のように白かった。恐ろしい一言に、自分で言ってしまったあと、震え上がった。

「これが、王子の運命だったのだよ」




 峠の切り立った山道を、色あせた絵の具で飾られた馬車が行く。小雨の中をガラガラと、隣の国へ向かっていた。

 王子はおんぼろの見世物一座の車の隅に座り込み、ぼろを着て、宮女の教えてくれた戯れ歌を口ずさんでいた。

「おら、馬鹿が! うるせぇんだよ」

 一座の一人が怒鳴った。王子は身を強ばらせて泣き始めた。

「母上はそんなこと言わなかった。僕の歌は上手だねって褒めてくれた。僕は王子なんだよ? みんながたんぽぽちゃんって、遊んでくれるんだよ?」

 王子は一座の人間に弄ばれるおもちゃになっていた。けれど、王子は言い続けた。自分は王子だと。けれど、誰も信じない。そして、食いぶちに困窮している一座は、役に立たない王子を引っつかみ、山道の切り立った崖に連れて行き、ひとしきりなぶった後、突き落とした。ぼろを捨てるように。




 切り立った崖の下で王子の死体から魂が飛び出した。

 魂の門が開き、王子がスルリとそこをくぐり抜けると同時に、約束どおりに、門から貪欲なあの魂が飛び出し、王子の死体の中に潜り込んだ。王子の死体はぴょこんと立ち上がると、勝ち誇った笑みを浮かべて、王子の故郷の国を目指した。あの愚鈍で無垢な王子はいなくなった。美しい王子の体の中には、あの醜い魂が巣くっていた。

 王子が人買いにつれ去られてから一年も経たないうちに、死んだ占い女の予言は的中した。愚鈍な王子が別人のようになって戻って来て、父王に復讐を声高らかに告げると、王の胸を剣で貫いたのだ。王は死に、王子が新しい王となった。王子は元は石像で母親だった、美しい乙女を妻にして、体を得たことに満足した。

 しかし、物語はこれで終わりではない。時間のない魂の国の門はまだ開いている。時間がない存在ゆえに、醜い魂はある見落としをしていたのだった。




 死んで間もない王の魂はしばし未練がましく妃の回りを巡っていた。愚鈍だと思い込んでいた王子が、若き日の自分と同じように妃を抱き寄せて、宮殿の人々に宣言している。

 誰も自分自身に目もくれない。あれほど愛してやった妃すら。妃の目があの愚鈍だった王子に向けられている。自分自身にそっくりな顔形で、妃を抱き締め、その腰も唇も我が物としている。

 王はしばらく宮殿をぐるぐると駆け巡った。

 王座の殿堂の片隅に、王が今まで見たこともない門が開いていた。細い銀線の飾りがほどこされた銀色の門。門の向こう側はどんよりと曇っている。閃光が走り、螺旋状の色彩が漂っている。

 王は重たい足取りで、永遠とも思われる道程を歩いた。門をくぐり、門を抜けるまでが果てしなく長かった。その途中で、先を急いでいる魂に出会った。

 王とは反対に出て行こうとしている。王は思わず呼び止めた。魂は王を振り返った。

「ここはどこだ ?」

「ここは魂の世界です。死んで肉体から離れた魂はいったんここに留まるのです」

「あなたはどこへ行こうというのだ ?」

「あなたがついさっき背を向けた世界へ」

「私はまだ死ぬつもりはなかった……」

「誰もがそう思います。わたしだってそうでした」

「なぜだか……あなたがとても懐かしい……」

 王は半透明の魂を見つめて、言った。王はまだ生きていたころの姿を意固地に保っている。魂は笑っているのか、くるくると回ってみせ、

「ここに来ると、誰もがそう感じるのです。それならば、あなたにお願いがあります」

「お願い?」

「えぇ、覚えていれば……もしも、あなたが生まれ変わるようなことがあって肉体を得たとき、同じように体を得たわたしを見つけて、名前を呼んでください」

「しかし……あなたと会うのはこれが初めてではないか」

「ああ……だけど覚えてくれていたら、それでよいのです。多分、会えばわかります」

「名前を知らない」

「名前はあってないもの。知らなくとも知っているはず。会えば、すぐにわかるはずです」

「それは謎かけか ?」

 幽体はくるくると回り続け、

「いいえ、でもそう思いたいならば」

 王は訝しげに首を傾げ、魂と別れて先を急いだ。まもなく、歩く感覚が薄れ、自分が何者であったのかという記憶もかすんでいく。群れに混じり、解け合い、霧散していく。次第に混沌とした魂の塊と変じていくのだ。

 魂の門が開いた。何かに誘われるようにして門の側にいた魂の所へ、死んだばかりの魂が近寄って来て、言った。

「ここはどこ ?」

 魂は答えた。

「魂の世界です」

 死んだばかりの魂は戸惑っている。当然だろう。どんな魂も最初はそうなのだから。そのことを魂は新参者に教えてやった。

「でもぼくの魂の半分はここにはないんだ。ぼくは絶対帰らないといけない場所があるんだ。あなたはそれを知ってる?」

 魂は残念そうに知らないと告げた。

「ねぇ、ぼくはすごく心残りなんだ。絶対しなくちゃいけないことがあるんだ。ものすごく、ものすごく」

 新参者の言葉に、魂も確か自分も何かしなくてはならなかったような気がして来ていた。門はまだ開いている。きっと自分が生まれ変わることになっているのだろうか。

「今から、わたしは外の世界に行かなくてはならないみたいです。どうです? ついて来ますか? でも、あなたは生まれ変われませんよ? なぜなら、あなたのし残したことをするために外について来るのですから。きっと何もかも忘れてしまって、思いを遂げたら消えてなくなってしまいますよ?」

「うん、それでもいいんだ。だって、僕はそのために産まれたんだから」

 出て行く魂は、その死んだばかりの魂を取り込んだ。そして、銀の門から飛び出して行った。

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