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石の花  作者: 藍上央理
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(5)




「ねぇ、王子さま、かわいいたんぽぽちゃん」

 王妃の目を盗み、宮女のひとりが王子に話しかけた。

 王子は柔らかな金髪を長く肩まで伸ばしていた。そのひよこのような金髪をさして、宮女たちはふざけて王子をあだなで呼んだ。

「なぁに?」

 王子はにっこりと宮女を振り返った。

「あたしとあそこの木陰に行きましょうよ」

「いやだよ、あんな暗い所にはきっとトカゲがいるよ」

 宮女はさも驚いたふりをして見せ、

「まぁ、トカゲですって? この白亜の宮殿の中心に? 誰が入れたの?」

「うーん……知らない……けれど、ぼくは見たよ、長い尾っぽがぼくの脚の間から見えたもの」

 その答えを聞いて、宮女はころころと笑った。

 王子は暗がりがお嫌い。高い所がお嫌い。痛いことがお嫌い。荒々しいことがお嫌い。王女さまのような王子さま。お人形のような王子さま。小さな頃そうしたように、抱き締めて眠りたい。さぞかし、王子の胸は心地よかろうと。

 妃の目を盗み、王子を誘惑して自分の思う通りにしようと、宮殿中の女が狙っていた。王子は何も知らず、無垢なまま、愚かなまま、宮女たちに弄ばれていた。

「たんぽぽちゃん、いつもいつも同じ宮殿の中、退屈しない?」

「わからない……ぼく、わからないよ」

「面白くて、凄いもの、見に行きましょうか? たんぽぽちゃんは小鳥や子ネコ以外の生き物を見たことがある?」

「トカゲを見たよ」

「それは他の女の子たちが悪戯したせいよ。たんぽぽちゃんの気のせい。本当は木陰にトカゲなんかいないのよ」

 宮女はおかしげにくすくすと笑った。

「小鳥や子ネコ以外の生き物っているの?」

 宮女は笑いながら、言った。

「いるのよ。ちょうど、街に芸人の一座が来ているの。クマやライオン、ゾウにラクダ……」

「ゾウってな ? ラクダってなに?」

 王子は幼い子供のように目を輝かせて、宮女の体を揺さぶった。

「おいたをしたら、何も話してあげないわよ」

 王子がおとなしく傍らに座ったのを見て、宮女は満足すると、

「ゾウは鼻が長いのよ、そこが手のように動くの。ラクダには背中にコブがあって、なにも食べないで生きていられる生き物なのよ」

「そんなの嘘だよ」

「あら、みんな知ってることよ。たんぽぽちゃんだけが知らないのよ」

「母上も知っているの?」

「勿論よ、お妃さまはご覧になられたことがあるわ。たんぽぽちゃんだけが見たことがないのよ」

「ぼくだけが?」

「そうよ」

「ぼくが見たいと言ったら、見せてもらえるの?」

「さぁ、どうかしら……たんぽぽちゃんがいい子にしてたら、考えてもいいわね」

 王子は期待と戸惑いの混じりあった瞳で、宮女を見つめた。

「連れて行って欲しいの?」

「連れて行ってくれるの?」

 そのまま見惚れてしまいそうな笑顔を王子は浮かべた。宮女は本気で王子を一座に連れて行くつもりはなかった。身分を隠して楽しめる旅籠に王子を連れ込むつもりだった。愚かな王子に取り入って、その隣の座を勝ち取ろうと企んでいた。幸いにも、小うるさい王妃は王の所へ行ったきり。宮女は言いなりの王子に女もののローブをかぶせ、宮殿から連れ出した。

 白亜の宮殿の白いきざはしを、ふたりの女が駆け降りて行く。

 段々に埋め込まれた紅玉を拾い取ろうと、手を引っ張られるほうの少女が身をかがめた。

「それは取れないのよ」

 先を急ぐほうの女が、かがみこむ連れを諭した。

 未練たらしい足取りで女はそこから離れ、宮殿の門をくぐっていった。

 ふたりをあっというまに雑踏が飲み込んだ。




 王子はぐずぐずと宮女に言った。

「ゾウを見せてくれるのではなかったの?」

 入り組んだ路地を引っ張り回され、王子は疲れてきた。

「それはあとよ、あたしのご用が先」

「ぼく、疲れたよ」

 宮女は肩をすくめ、怖い声で言った。

「いい子にしないと見せないわよ、あたしの言うとおりになさいな」

 旅籠に入ると、宮殿の中庭で仲間たちと寄ってたかって王子を弄んだように、今度は独り占めするつもりで、部屋へ連れて行った。

 清潔な布団に横たわり、王子はすねた声で言った。

「ゾウはいつ見せてくれるの?」

 宮女は微笑んだ。

「このあとよ……ねぇ、だからいい子にしていて」

 王子は素直にうなずき、宮女の言うとおりにしていれば、必ずゾウは見せてもらえるものと信じた。




 宮女は王子の胸に頭を乗せ、うとうととまどろんでいる。王子はしばらく宮女の髪や乳房をいじくっていたが、窓の外の赤が濃くなるにつれ、不安にかられてきた。夜になってしまう。全てしまい込まれ、鍵がかけられてしまう夜。泣いても癇癪を起こしても、決して鍵を開けてもらえない。きっとゾウももうすぐしまい込まれてしまう。

 あれほど約束したのに、宮女は眠りこけ、王子との約束を忘れてしまったようだ。

 王子は寝台から抜け出し服を着ると、ひとりで旅籠を後にした。来た時と同じように、女もののローブを頭から被って出て行った。旅籠の者は部屋に残ったのは男のほうだと思い込み、王子を無視した。

 王子は路地をうろつき、ゾウを捜し回った。街路は複雑に入り組み、馴染みの者さえ迷いやすい。王子は奥へ奥へと歩いて行き、後ろを振り向いた時にはここがどこだかすっかりわからなくなっていた。途方に暮れて、王子は爪を噛んだ。

 家の軒が深く頭上を覆い、夕陽さえも細道には差し込んで来ない。薄暗い路地にぽつんと王子は佇み、不安にかられて、きょろきょろと辺りを見回した。だれもいない。後悔という感情さえ沸いてこず、王子は困惑して泣きだした。

 泣いていれば、きっと誰かが優しく王子をかまってくれ、そして、全ての不安を取り除いてくれる。しばらく泣いてみた。

 もう少し頑張ってみた。

 誰かが近づいてくる足音。

「おやおや、どうしたんだね、大の男がおいおいと泣きわめいて」

 王子はすねてみせて、わざと答えなかった。

「なんだい、まるで子供だね。おいで、甘いお菓子をあげようね」

 王子は目にあてていた手をはずし、声の主を見た。宮殿では見たこともないようなしわくちゃの老婆が、目を細めて王子を見上げていた。その眼差しの優しげなこと。

 王子はすっかり安心して、老婆について行くことにした。きっと王子は老婆が人買いであると知っていても、無邪気について行っただろう。

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