(13)
男は小男を無視しようと、目をまっすぐ正面に向け、懸命に歩いた。口にはしたくないが、聞きたくてたまらなかった。少女の不幸は自分が原因なのか、と。それならば、どうしてやることが少女の幸せなのか、と。
なにもかもが矛盾する。男はうつむいた。少女のために、自分の目的を諦めるべきなのか。鉄の仮面の下にある頬が、ひんやりと湿った。男は深く息をついた。
「あれをみろ!」
小男の声に男は顔を上げた。小男の指さす向こうにに、街が見え始めた。
真珠色の白亜の街。
それが視界に入った途端、男の体をある思いが貫いた。小男の望みを叶えてはならない。
男ははっきりと悟った。自分自身の目的と約束を果たすべきなのだ、と。
男はもう一度じっくりと街を眺めた。大地の半分をわける樹海の太陽。背後にそびえる猛々しい山峰の月。
紺と金。
白と銀。
バラ色と水色。
心の中の思いが溢れてきて、男は思わず駆け出した。象牙の街にそぐわない黒いマントをひるがえし、つばの広い帽子が風に飛んでいってもかまわなかった。
門番もいないバラの柱をくぐりゆき、花の香の漂う街の通りを呆然と眺めた。覚えている。知らないものなど何ひとつない。
自分を訝しげに振り返る優雅な人々の視線も気にならなかった。
「王を殺すのか?」
男ははっとして小男を見た。しかし、答えず、迷わず足を宮殿へ向けた。
「償いは手遅れかもしれねぇぞ?」
男はまた小男を見やった。しかし、惑わされもせず、白亜の宮殿のきざはしを見上げた。
ホロホロと白い鳥が静かな石の滝の前を通り過ぎて行く。
「同じことを繰り返すだけじゃねぇのか?」
小男は陰険な声で言った。
宮殿の庭につどう宮女たちが、異様な風体の男に悲鳴を上げた。
空はどんよりと、雨が降りそうな気配。
男はきざはしを上り詰めて行った。小男が後から追いかけてくる。
「約束を無視するのか!」
男は王の部屋のテラスに立ち、中を覗き、そして、小男に問い返した。
「約束とは何のことなのだ?」
小男は何かを恐れているようだった。
「あんたの体はあっしのもんだ! あっしにくれるといった! 忘れたか!」
男は力一杯テラスの扉を開いた。部屋の中にいた若い王が、男に気付いて怒鳴った。
「だれだ!」
男は哀れみの目で、王を見つめた。言うべき言葉が、口をついて出て来る。
「過ちを犯してはいけない。おまえはその像に偽りの魂を与えてはならない」
若い王は息を飲んだ。
「何を……おまえは誰だ!?」
男は仮面に触れた。仮面は王の嫉妬と憎しみと愚鈍と怠惰の証しだ。滲み出て来る魂の記憶を言葉にした。
「私はこの国の王だ……」
若い王は怒りに顔を赤らめて、怒鳴った。
「この国の王は私だ!」
男は鎌を抜いた。王はたじろぎ、後ずさった。しかし、なまった鎌の先は狂いもなく若い王の胸に突き刺さり、同時に雷鳴が轟いた。
やはり遅かったのか、と男は思った。かすれた姿の小男が、男の背後に立った。
男は仮面を外した。可哀想な王子の目的は達せられた。男は手の中で散り散りになっていく仮面を見つめ、今度は自分が果たすべき約束を思い出していた。
「予言はあたったが、約束はどうだろう?」
小男は憎々しげに男を睨みつけていた。
「約束は約束だ。愚かな王はあっしと約束してから死んだからな。あんたは失敗したんだ。物事は繰り返すって言うからな、空しい努力だったなぁ?」
男はその視線から目を逸らし、乙女の像の前に立った。男はこの時を待っていたのだ。王の愚かな仮面が外れた今こそ、自分が何をすべきなのか、よくわかっていた。
白亜の像は、青白い稲光に帯電し、ぎごちなく首を動かした。青く染まった瞳が男を見つめる。
「あたしは門よ……永い、今という時に開き続ける……あんたにはわかってた?」
男はうなずいた。
「約束は覚えてる?」
男はうなずいた。
「そいつとあんたが何を約束したっていうんだ! でたらめはよせ! 口を開くな!」
小男が首を締められるような声で喚き始めた。しかし、男は無視し、蒼白い少女の髪にさされた白いバラの石の花に触れた。
「石の花……あなたの名前は石の花だ……」
青白い光が次第に弱まり、少女の頬に赤みが差してきた。髪は金色になびき、瞳は月の光に輝いた。少女の笑顔が、男の目にはどんな花よりも美しく映った。
「門は閉じられたわ……!」
小男は悲鳴を上げた。醜い形は散り散りに砕け、暗雲の空へと吸い込まれて行った。
少女は白亜の台から降りると、男の胸に飛び込んだ。
「名前があたしに欠けていたもの! 人間であることがあたしには欠けていたのよ……!」
少女は男を見上げた。仮面の外れた男の顔は、若い王と瓜二つ。
「やり直すだけの……償うだけの時間が私にはあるだろうか?」
男は少女を抱き締めた。
「あたしがいるわ……愚かな男はもういないのよ」
男は少女を連れてテラスに出た。そして、声を大にして告げた。
「私の民、私の友たちよ! 私の妻だ、この娘が私の妃だ!」




