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呑気な冒険者たち  作者: さかもと希夢
船旅は困惑を乗せて
96/224

<3>

 柔らかくさわやかな春の風が、湿った潮の香りを乗せて髪を揺らす。心地よい海風だ。

 波音だけが聞こえる静かなこの船縁にいると、今までいたお祭り騒ぎの喧噪と、賑わいがまるで別世界の光景だったように記憶の中で霞んでいく。

 ここ数ヶ月で久々に味わった大臣としての日々も、景色と同じように遙か後方へと流れていってしまう。旅をしている事が自分にとっては普通で、今までの時間が幻のようだ。

 久し振りの王都だったのに、また長くいられなかった。どうも王都には縁がないらしい。嫌いな街ではないのに。

 そんなことを考えながら、リッツはぼんやりと小さくなっていく、王都シアーズの港を眺めていた。

 新ユリスラ王ジェラルドの戴冠式の翌日、一行は最初からの約束の通り、こうしてシアーズから貨客船ヴィオラ号にのって出航したのである。

 船員に話を聞いてきたアンナの情報では、この船の名前は船長のかみさんの名前らしいが、リッツにとってはそんなことはどうでもいい。

 手配をエドワードに頼んで、当日まで確認すらしていなかったのだから、今更文句の付けようがないし、旅に出られるのなら、どんな環境でも構わなかった。

 ヴィオラ号は、貨客船と銘打ってはあるが実際は貨物船に近い。客室は少なく、乗客は全部で二十人もいないのではないだろうか。

 三層構造に作られた船内は、最下層が貨物庫、中層が船室・乗員室、最上層が甲板・船長室になっている。二本あるマストには大きめの帆が張られていて、その帆が今は風をはらんで大きく膨らんでいる。

 特出すべきは、この船には風の精霊使いがいるということだ。彼らは風のない出航の際や、危険海域の航海の時に威力を発揮する存在で、船乗りたちには非常にありがたい存在である。

 だが精霊使いを雇える船など、一つの港に数えるほどもない。小さな港町に至っては、精霊使いなどを雇っている船など伝説に近いだろう。

 元々精霊使いの数はそんなに多くないし、精霊使いであれば就職、学問と様々な状況で有利になるから、わざわざ船乗りになろうなどという奇特な人物も少ないのだ。

 そのため精霊使いを雇うには、相当の金がいる。

 つまり精霊使いを雇えるこの船の主は、精霊使いに払う給金を差し引いても儲けが出るほど、稼げているということだ。

 そんな世間じみたことを延々と考えていたリッツは、首を振ってその考えを振り落とした。

 船に乗ってしまえば、別にそんなことはどうでもいいのだ。無事に目的地に着けばそれでいいのだから。

 ふと視線を横に向けるとそこには、子供のように目を輝かせ、張り切ってあちこちに色々なことを聞き回っていたアンナとレフの姿があった。

 二人とも船に乗るのは初めてだから、物珍しさも手伝って妙に浮かれている。

「見て見てレフ、あれ!」

 何気なくアンナの指さす先を見てみると、そこには小さくなっていく王城が見えた。昨日まではそこに缶詰になっていたのだが、こうして離れていくと、もはやそれは遠い過去の出来事だったような気がしてしまう。

 だが感傷に浸るリッツとは裏腹に、アンナとレフはひたすら陽気だ。

「すごいですねぇ、早いですねぇ……」

「早いよね! 船ってすごいね!」

「本当にすごいですね。浮いてるんですよ、こんなに大きいのに海の上を!」

 ウキウキとレフが答えている。おそらくしっぽがあれば最大限に振り回されていることだろう。

 船なんだから浮かないでどうする、と小声で呟いてみたが、興奮している二人には全く聞こえなかったようだ。

「早いね! 馬とどっちが早いかな?」

「どっちでしょう?」

 この二人、最近とても仲がいい。自分よりもがたいのいいレフと小柄なアンナには、見ただけでは絶対に分からない共通点があるのだ。

 それは精神年齢である。

 レフは見た目だけなら、リッツと同等の年齢に見えるが、実際の年齢はまだ十五歳。フランツよりも三つも年下で、成人ギリギリの獣人なのである。

 そしてアンナは実年齢は三十一歳と結構いい年なのだが、見た目が幼く十代も半ば。それに比例して精神年齢が幼い。

 つまりは簡単に言うと、二人とも子供なのである。

 そのアンナには年相応に大人びた部分もあることを、リッツは身に染みて分かってもいる。だがここ数ヶ月それは考えないようにして、アンナの子供の部分を主に見ることにした。

 それがアンナと接する上で、自分が一番まともでいられる事に気が付いたからだ。

 大人びたアンナを見ていると、普通ではいられず、どうしても挙動不審になってしまう。

 あの大人びた微笑みで振り返られると、勝手に身体がアンナを抱きしめてしまいたくなる。だがアンナに知られないように、その手は軽く頭を叩くか、肩に触れるに必死でとどめる。

 まだ幼いアンナにそんな感情を抱いている自分が怖くて、触れてしまっただけでその後は妙に挙動が怪しくなってしまうのだ。

 つまりリッツのアンナに対する感情は、募りに募り、愛おしさはもういっぱいいっぱいで、それを思い出すと落ち込む。

 アンナへの感情が恋愛感情だと気が付いた後、リッツは相当困惑した。

 そもそも、アンナと自分の好みの女のタイプが違いすぎるのだ。

 街々を放浪して過ごしてきたリッツは、孤独を埋めるためだけに、面倒ではない程度の女性関係を持ってきた。

 だがそれは大体、玄人である娼婦であったり、世間ずれした酒場の女だったり、踊り子だったりとタイプが決まっていて、スタイルから年齢、性格に至るまで、アンナとは正反対だ。

 その上、後腐れないようなつき合いばかりで、もはや付き合った女の顔さえ覚えていない。三十五年という時間を、リッツはそうして過ごしてきた。

 もしアンナがそれを知ったら……おそらくもの凄く避けられるに違いない。

 いや避けられるだけならまだいい、忌み嫌われでもしたら、立ち直れない。自業自得といえばそこまでではあるが。

 そんなリッツだから、今まで経験してきた女性関係の常識から考えると、自分のアンナに対する想いは、すでに犯罪である。

 はっきりいって、あり得ない現実である。だからついつい自分に問いかけてしまうのだ。

『何でアンナなんだよ』と。

 きっかけがきっかけだったから、仕方ないかも知れないが、あまりにもアンナと自分の釣り合いがとれなすぎて泣けてくる。

 あり得ない……あまりにも有り得なすぎる。

 こっそりとため息を付き、アンナとレフから目をそらす。その二人の隣には、今にも眠ってしまいそうに疲れ切り、船縁にもたれ掛かっているフランツの姿があった。

 リッツの仕事を無理矢理させていたせいで、彼はここ最近まともに休んでいないのだ。

 昨日までの殺人的スケジュールから解放されても、昨日の今日だし、ろくに休めてもいない。

 倒れ込みたい状況に追い込まれていただろうフランツを急き立てて、旅立ちの準備をさせたのだが、船に乗った時点で気力が尽きてしまったようだ。

 かくいうリッツもようやく仕事が一段落して、今日からはゆっくりと眠れそうだと、内心はホッとしている。

 慣れない事務仕事にあり得ないくらい大量の面会者。本当に疲れた。

「すごいねぇ! 海って綺麗だね!」

 はしゃいだ声でアンナがそういって、こちらを振り向いた。同じような顔でレフもこちらを振り向く。兄妹かと思うほど、二人は似たような表情をしていた。

 そのほほえましい姿に、肩をすくめて言葉を返す。

「そうだな」

「そうだよリッツ! 私海が見たかったんだもん、感激だよ!」

 そういえば元々王都シアーズに来たのはアンナの『海が見てみたい!』という一言のせいだった事を思い出した。

「そうか。お前、海が見たいって言ってたな」

「うん!」

 もしアンナがそう言わなければ……自分たちは今頃どこにいただろう。

 こんな風に複雑な感情をアンナに対して持つこともなかったろうと思うと、多少恨めしい気がする。

 だが知らぬうちに王都でエドワードが暗殺でもされていたら堪らなかったから、これはこれで正しい選択だったのかも知れない。

「本当に青いんだねぇ……こんなに深い青、見たこと無いよ」

 目を輝かせてアンナが再び海面に目をやった。つられたようにレフも海面を見つめる。

 リッツも同じように海面を見た。深い青に覆われた海面に、船が作り出す白い波が真っ直ぐ続いている。

「そうか? こんなん湖と同じだぞ?」

 巨大な湖を行く船からの眺めも、これと変わらないような気がして気のない返事を返すと、レフが不満そうな顔をしてこちらを振り向いた。

「それは違います。湖とは感じられる生命力が全く違いますから」

「……生命力?」

 さすが獣人、見ているところが違う。もしかしたら、海の中の生物が見えていそうな気さえする。

「レフ、魚見える?」

 リッツと同じ事を考えたのか、無邪気にアンナが尋ねた。

「見えますよ。大きいのは」

 同じく無邪気にレフが答える。

「すっご~い!」

「……見えるのかよ」

 思わず絶句してしまった。さすが獣人だ。リッツなどがいくら目をこらしても、魚なんぞ一匹も見えやしない。

 アンナも同様らしくしばらく水面を見つめている。

「私も見たい!」

 はしゃぐアンナとレフに、今まで黙ってこちらのやりとりを聞いていた、もう一人の人物が声をかけた。

「海に沈む夕日は、それは綺麗なものだよ。あれは素晴らしいから是非見て御覧」

「本当ですか? わぁ~楽しみ!」

 アンナがその言葉に顔を綻ばせる。だがリッツはいまいち釈然としない。その声がここで聞こえることに、納得がいかないのだ。

 リッツは船縁に肘をついて呟いた。

「……夕日の前に、俺には聞きたいことがあるんだけどな」

 不機嫌なリッツの声に動じることもなく、声の主は不敵に微笑んだ。

「何なりと聞いてくれ、リッツ」

「何でお前までここにいるんだ、エド」

 前ユリスラ国王エドワード四世、通称、英雄王エドワード、本名エドワード・バルディアは小馬鹿にしたような顔で、リッツに向かって鼻で笑った。

「もう国王じゃない。どこに行こうが私の勝手だ」

 あまりに身勝手な言い分に、リッツは不機嫌なまま言い返す。

「……どこの国の大公が、息子の戴冠式の翌日に国を放り出して旅に出るってんだよ」

 だがエドワードが、リッツに口で負けるわけもない。エドワードはゆったりと、国王として身につけた優雅な動作で腕を組んだ。

「ユリスラ王国の大公が、こうして国を放り出して旅に出るんだ。悪いか?」

「十分悪いわ!」

「大臣職についたまま国を放り出していった男の言うことだとは思えんな」

「それは……」

 痛いところをつかれて、一瞬口ごもる。だが反撃の隙を与えてしまったのは確かだったようだ。

 エドワードはその隙を見逃すほど甘い性格ではない。ことリッツに対しては。

「大公はいわば隠居。大臣は現職。投げ出されて困る職業はどちらだ?」

「くっ……」

 何か言い返してやろうとこぶしを握りしめると、今まで寝ているのかと思っていたフランツが、ごそごそと身動きするのが目の端に入った。

「リッツ」

 無感動な声でフランツに呼ばれて、不機嫌なまま振り返ると、フランツの青い目が冷たくこちらを見ていた。

「なんだ?」

「リッツの負けだ。陛下が正しい」

「ほら見ろ。お前の仲間もそう言っている」

 勝ち誇ったようなエドワードの言葉に、リッツは頭を抱えた。本当に頭が痛い。

 自分はようやく大臣職を解かれて、自由になったからいいが、何故に大公が平気で国を空けるのだ。今頃シャスタは大激怒だろう。

 ため息混じりのリッツの吐息に、エドワードはすまし顔で笑った。

「いったろう? 春は旅に出るのに丁度いい季節だとな」

 確かにそう言われていた。言われていたがまさか付いてくるとは思わなかった。冗談だろうと思っていたのだ。

 それに旅に出るというのも、エドワードが今までしていた、気ままな王国内散策かと思い込んでいたのだが、甘かった。

 あまりにも意外すぎて、阻止できなかったのがどうしようもなく心残りだ。

 元々エドワードの行動は怪しかった。

 昼過ぎに出航する船を見送るためと、ジョーとエヴァンスと共に付いてきたエドワードは、船の下で見送るジョーとエヴァンスを残して、飄々とした顔で船のタラップを上がってきたのだ。

 船まで上がって大丈夫なのかと尋ねると、エドワードは何喰わぬ顔で『構わんだろう、出航までに降りれば問題ない』と言い切った。

 その時に、おそらく久し振りに船を見たいのだろう、などと思い込んだリッツが甘かったのだ。

 出航間際になっても、エドワードは降りる様子を全く見せなかった。

 慌てるリッツを尻目に、エドワードはのんびりとジョーやエヴァンスに手を振ってみたり、初めての船に興奮するアンナとレフに船旅の心得などを話して聞かせていた。

 リッツだけでなく、フランツも時間に気が付いて慌てて二人でエドワードを降ろそうと説得し始めた時、船の碇が上げられて、ゆっくりと船は港を離れ始めていたのだ。

『やれやれ、しばし王都とはお別れだな』と呟いたエドワードの足下には、ちゃっかりと荷物が置かれていた……というわけだ。

 思い出すだけでも、自分の迂闊さにうんざりする。

「パティは怒らなかったのかよ」

 小声でそう尋ねると、フッとエドワードは苦笑に近い顔で笑った。

「あれは私がリッツ達と旅に出るだろうと予想していたらしいな。気が付いたら旅支度のされた荷物が一つ、私のベットに乗せられていた」

「へぇ……」

 止めろよ、パティ。と心の中だけでそう呟く。

 エドワードだって結構な年だ。心配ではないのだろうか? 

 確かに今現在、庇護者を二人抱えるリッツには、剣が使えて知識と経験が豊富なエドワードの存在はありがたい。

 ありがたいが一国の大公の命の責任までは負えない。国王より重要ではないといわれても、あの新国王ジェラルドには、エドワードの助けが必要だ。

 リッツのため息の意味が分かったのか、エドワードはふと真面目な顔でリッツを見て、波にもまれてリッツにしか届かないような小声で呟いた。

「お前が頭を抱える必要はないさ。もし俺に何かあっても、それはお前やお前の仲間のせいじゃない」

「だけど……」

「俺の自己責任さ。お前が俺に対して責任を負うな。俺の責任は俺が取る。お前はお前の責任を果たせばいい」

 そう言われてしまっては、言い返す言葉がない。

 黙って考え込んでいると、誰かに組んだ腕をつつかれた。

 つついた相手を見ると、いつの間にか隣に来ていたアンナだった。真っ直ぐにリッツを見上げている。一歩下がりそうになる自分を押さえて、何気ない顔で踏みとどまった。

「どうした?」

「今、王妃様がエドさんが旅に出ることを知ってたかって話してたよね?」

「おう」

「王妃様ね、とっくにご存じだったよ。それでね、いつ話そうかなって考えてたの」

 アンナがそう言うと自分の荷物の所に行き、布にくるまれていた長い物を持ってきた。始めに見たとき、一体何なのだろうと思ったのだが、聞かなかった代物だ。

「あのね、これ見て」

 その布を解いて中身が見えた瞬間、リッツとエドワードは同時に声をあげていた。とても見覚えのある品物だったのだ。

「それ……パティの……」

 それはパトリシアが精霊使いとしての修行を終えたとき、父親のジェラルド・モーガンから送られたという、白銀の杖だった。初めて会った時から、彼女はそれをとても大事に抱えていた記憶がある。

「うん。王妃様に貰ったの。私の変わりに大事な人たちを守ってあげてねって」

 もう彼女には必要がないということだろうか。あの頃は気が強くて荒っぽかった彼女も、すでにもういい年だ。

 三十五年の時間を実感してしまい、感慨深げにその杖を見ていると、アンナがのんびりした口調で言葉を続けた。

「最初はリッツを守ってね、って話だったんだよ」

「俺を?」

 あまりに意外な一言に、思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。

「うんそうだよ」

 アンナはあっさりと頷く。あまりに軽い口調でそう答えられて、どういったらいいか分からない。

「何で俺?」

「うん、馬鹿だから死なないように見ててって」

「……馬鹿だからって」

 何の説明もなく一言馬鹿で片付けられてはたまらないが、パトリシアの言いそうなことだ。

 それにしてもリッツの内心は複雑だ。何でよりによって、パトリシアからアンナにそれを託すのだ。しかもその杖を託すことによって、リッツを守れとは。

 パトリシアとアンナは、リッツにとって共に複雑な感情を持っている女性達だというのに。

 だがそんなリッツの葛藤を、アンナが知るわけがない。

「人たちっていうから誰だろうって思ったんだけど、エドさんが一緒に来るっていうことだったんだね」

「……なるほどな」

 アンナの話を腕を組んだまま聞いていたエドワードがそう呟き、リッツの肩に手を置いた。

「よかったなリッツ。面倒見て貰え」

 絶対に面白がっている。どうもエドワードには、リッツとアンナの保護者の立場が微妙に動いたことに気付かれているようだ。

「冗談きついぜ」

 そう小声で呟いた。これ以上状況を混乱させないで欲しい。

 知らず知らずに不機嫌な顔になっていたのか、アンナが困ったような顔をしてこちらを見ている。

「……そうだよねぇ。私非力だもんね」

 どうやら聞こえないだろうと思って呟いた一言が聞こえてしまったようだ。

「違う、お前のことじゃない」

 慌てて否定すると、アンナは首を傾げた。

「そうなの?」

「そうだ。パティに文句言ってんだよ、俺は」 

「なあんだ。私が役立たずだっていわれたのかと思ったよぉ」

 そういうとアンナは安心したように、いつもの明るい笑顔を見せた。心の中でほっと一息つく。下手なことは口にするべきじゃない。

 そんなリッツの感情を知らないアンナは、楽しそうに言葉を続けた。

「王妃様かいかぶってるよね? 私よりもよっぽどリッツの方が強いし、エドさんの方が頭いいのに」

「そうだな。間違いなくその通りだ。だからお前はそんなに気にすることないぞ」

 軽くそう言って頭に手を乗せると、アンナは大きく頷いてレフの隣に戻っていった。二人でまた海を見て話し始める。

 こっそりとリッツはため息を付いた。確かにアンナよりエドワードの方が役に立つことが多いだろうし、力や戦力を見てもリッツの方がアンナより格段に上だ。

 だがパトリシアがアンナにリッツとエドワードを頼んだ理由もわからなくもない。

 エドワードはともかく、精神面ではアンナの方がリッツよりも遙かに強い。無意識のうちに自分の命を軽んじるリッツには、アンナくらいの重しがあって丁度いいのかも知れない。

「……リッツ。先に船室に行ってる」

 今までウトウトと黙ったまま船をこいでいたフランツが、そう言ってよろりと立ち上がった。どうやらもう本当に限界らしい。

「はいはい! 私も船室見たい!」

 元気にアンナがフランツの言葉に同意する。静かに眠りたいフランツが思い切り不本意な顔をしたが、船室は四人一部屋だから逃げ場はない。

「レフも行くよね?」

 アンナに尋ねられたレフも大きく頷いた。

「じゃあ、いくね!」

 アンナがそう言った頃には、もうフランツは立ち上がって歩き出していた。

「待ってよフランツ!」

 危なっかしい足取りで歩くフランツの後を、アンナが何やら話しかけながら付いていく。

「荷物を運んでおきますよ、リッツ、陛下」

 二人の後ろ姿を確認したレフが、全員分の荷物を軽々と持ち上げながら穏やかに微笑む。

「おう、頼む」

 軽く手を挙げると、軽く会釈しながらレフが船室へと降りていった。

「お前はどうするんだよ」

 三人の姿が見えなくなってから船縁に肘をついてリッツは尋ねた。リッツの隣でエドワードは船縁に背中からもたれ掛かった。

「この船の乗船料はいくらだと思う?」

 全然関係ないことを尋ねられて、一瞬言葉に詰まる。だが単刀直入に聞いても答える男ではないことなど百も承知だ。

「さあな。一泊二日、飯は朝食一回のみ。船は小さい方で、客室は四人一部屋の二段ベット。大体……一人五千ベルセ。四人分で二ギルツってとこか? お前が手配したんだから、俺が知るわけないだろ」

 一般的な小型貨客船の料金を言うと、エドワードは不敵に笑った。

「相場的にはその通りだ。この船の正式な料金は確かにその値段に限りなく近い」

「んで?」

「だが乗船料が無料だといったら、お前どう思う?」

 思わずエドワードの顔を見ると、口元に真面目な顔をしようとしても隠しきれない、楽しげな表情が浮かんでいるのが分かった。

 これは絶対に裏がある。

「この船の乗組員に頼まれて、タダで乗ったとか?」

 エドワードの顔を見ながらそう尋ねると、エドワードは何も答えず手で他の考えを言ってみろと促す。癪だがリッツには他に事実を探る手段がない。

「この船の無料乗船券を貰った」

「違うな」

「国王の名において無理矢理無料にした」

「有り得ん」

「船長の弱みを握って、脅迫まがいのことをした」

「……」

「剣を突きつけて力でねじ伏せた」

「……リッツ、俺は仮にも国王だったんだがな」

 だんだん犯罪まがいになってきたリッツの言葉が多少気に障ったのか、エドワードがそう文句をいう。だがリッツからすればこんな事くらいしかエドワードに逆らえない。

「じゃあ何だよ。まさか国が金を出してくれるわけもないだろう。個人的な旅なんだから」

 投げやりにそう言うと、エドワードがリッツの肩を叩いた。

「正解だ。この船旅の乗船料は、王国軍から出ている」

「王国軍から?」

 あまりに意外な答えに声を顰めると、エドワードも声を顰めた。

「そうだ。この船にもう一人軍の者が乗っている。その人物は憲兵隊第三課第一小隊の一員だが、潜入調査専門だからお前は知らないし、俺も顔を知らん」

 憲兵隊第三課第一小隊……アルトマンの小隊だ。ということは……。

「麻薬が絡んでるのか?」

「ああ、麻薬の大元はもういないが、残った麻薬は大量にあったというわけだ。憲兵隊の締め付けが厳しくなってきたから、残りは全て国外に持ち出すつもりらしいがな……肝心のその荷がどれなのか、さっぱり分からん」

 意外なことを言う。さっさと差し押さえて荷物を押収すればいいだろうに。その考えが顔に出ていたのか、エドワードが苦笑した。

「そう不本意な顔をするな。憲兵隊は隣国の港で待ち受けるだろう、ユリスラ王国の麻薬の受取人と密売人をまとめて片付けたいのさ。だからあえて泳がせているんだ」

「それはつまり、どうゆう事だ?」

 もうそろそろまどろっこしくて敵わなくなってきたから、思わず声を荒げる。

「……気が短いな」

 肩をすくめたエドワードをリッツは見据えた。

「お前が遠回しすぎるんだ」

「では手短に説明しよう」

「ああ」

 頷くとエドワードは説明を始めた。

「潜入捜査員は、この船の荷に麻薬が存在することまでは突き止めたが、どれが麻薬なのか分からないらしい。船倉に入れられた木箱のいずれかというところまでは掴んだのだが、船倉に入るチャンスが掴めずにいるうちに船が出航することになった」

「なるほど……」

「どうやら潜入捜査員は経験が浅いらしい。この間の事件で三人も失ったから、付け焼き刃だとアルトマンがこぼしていた」  

 そういえばあの麻薬本拠地と思われた建物で、アルトマンの三人の潜入捜査員は怪物と化してしまった。その光景が一瞬頭をよぎった。

 黙ったままいると、エドワードも隣で黙ってしまった。どうやらこの先に肝心な部分があるのだが、そこが微妙に言いにくいようだ。

「で?」

 先を促すと、エドワードは小さくため息を一つつき言葉を続けた。

「リッツ知ってるか? 船の中で人を閉じこめておく場所は大体船倉だと相場が決まってるんだ」

「は?」

 唐突な話題の転換に困惑すると、そんなリッツを無視してエドワードがそのまま言葉を続けていく。

「潜入捜査員が確認したが、他に犯罪者を入れておく場所はこの船にないそうだ」

「待て、それに何の意味が……」

 言いかけた気が付いた。犯罪者は船倉に入れられる……。犯罪者なら、軽犯罪だがここにいる。

「お前……無賃乗船してるよな?」

「そう。ここに一人の犯罪者がいるわけだ。そして犯罪者は……」

 意味ありげにエドワードはそこで言葉を切る。もうこの段階でだいたいのことが読めてきた。黙ったままのエドワードに変わり言葉を続けた。

「船倉に放り込まれる。そしてそこには……麻薬が隠されている。今晩のうちに船倉に放り込まれれば、明日の昼に船が港に着くまでに、どれが麻薬かを思う存分探れる……ってわけだな」

「その通りだ」

 つまりこの麻薬密輸情報を何らかの手段で知ったエドワードは、この情報を逆手にとり、自分が関わることで船旅の金額を無料にさせてしまったというわけだ。

「お前、無茶するなぁ……」

 ため息混じりにリッツは呟いた。六十超えて船倉に一泊しようというその考えに呆れる。だがエドワードは急に小さく咳き込んだ。

「リッツ、まさかこの老い先短い年寄りに、船倉に入れと言うんじゃなかろうな?」

「! ……まさか……」

 呟いた瞬間に、エドワードの真意を理解した。そうだ、エドワードがいくら若く見えると言っても、そこまでする気なんぞさらさら無いだろう。

 ……頑丈で年若い友がいるならなおさらだ。

「つまり無賃乗船してるのは……俺ってことか?」

 恐る恐る確認すると、エドワードは思いきり芝居がかった顔でリッツを諭した。

「その通りだリッツ。いかんぞ、無賃乗船は」

「ふざけんな、くそじじい!」

 いつもはその台詞に突っかかってくるエドワードが、満足げに微笑む。

「そうだ。俺はもう年だからな。お前ほどの若さがあれば、まだ無茶が効いただろうに。やれやれ年はとりたくないものだな。ゴホゴホっ」

 今まで真っ直ぐに立っていたエドワードが、腰をかがめてわざとらしく咳き込む。

「くっそーっ、嵌められた……」

 歯がみすると、エドワードはそんなリッツの肩を叩いた。

「まあ最後までつき合ってやれ。アルトマンとケニーにも」

「アルトマンと……ケニー?」

 そういえば王都で姿を見なかったが……。

「一足先にこの船の行く先に潜入している」

 つまり全ては仕組まれていたということだ。

「何だよ、勝手に決めやがって」

 文句をいうと、楽しげにエドワードが笑う。

「順序を踏んで相談していたら、お前は笑顔で納得したとでもいうのか?」

「……」

 相談されていたら、おそらくリッツは『俺は嫌だ』と言い張っていただろう。憲兵隊の若いのを一人乗せればいいと言った可能性が高い。

 つまりエドワードはそこまで読んだ上で、リッツを嵌めるべく道筋をたてられていたのだ。

「くそっ、どうにでもなれだ」

 投げやりにそう言うと、エドワードは楽しさを堪えられないような含み笑いのままリッツに告げた。

「聞き分けがいい無賃乗船客はいないからな。せいぜい船倉に放り込まれるよう、立派な犯罪者になってくれ」

「ああ分かったよ、立派な無賃乗船客になってやる。見てろよ」

「楽しみにしている」

 悠々と船室に向かったエドワードは不意に足を止めて振り返った。

「リッツ」

「何だよ」

 不機嫌むき出して返事をすると、エドワードは想いも寄らない表情をした。内戦が始まる前の頃のように、本当に楽しげに笑ったのだ。

 その無邪気さに、息を呑む。

「エド?」

「旅が出来るんだな、お前と」

 リッツは言葉を失った。

「ずっと叶わぬ夢かと思っていたが、こんな運命もあるとは、人生まだまだ捨てたもんじゃない」

「エド……」

「諦めねば、夢に届く道はあるものだな」

 エドワードは内戦前に、リッツに本当の夢を一度だけ話してくれたことがある。

 エドワードの夢は国王の座ではなく、この世界を旅して歩くことだった。

 言葉も無く立ち尽くすリッツに、エドワードは人の悪そうな笑顔を見せた。

「手始めに、お前がどう悪役を演じるのか、じっくり楽しませて貰うぞ」

「くっ……!」

 やっぱりエドワードはエドワードだ。

 船室への階段を下りていくエドワードの後ろ姿を恨めしく見送ってから、リッツはすでに遠く霞んで見えなくなった王都の方を向いて、大きくため息を付いた。

「だれか……あの不良大公をなんとかしてくれ……」 

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