<7>
リッツは防寒用マントのフードを被り、軍服を隠すようにすっぽり覆い被せたまま、ラッセル邸の扉を叩いた。横にはレフがいる。ここに来るまでに、一応事情の説明はしてあるから、戦力にはなるだろう。
「何か?」
貧相な男が顔を出した。この男がアンナの手紙に書いてあった執事の甥だ。男はリッツを見て、昨日までこの家の近所に座っていた浮浪者だと一瞬で認識したらしく、顔をしかめる。
「生憎、あんたに恵んでやるような物はねえ。さっさと消えな」
閉ざされそうになった扉に、リッツは足を挟み込んだ。リッツの思わぬ行動に、男はぎょっとしたような顔をした。
「恵むような物はねえって言ってるんだ!」
そう怒鳴りながら男は、無理矢理に扉を閉めようとする。だがこの扉は両開きの大きい物、一度足を挟めば簡単に閉まるものではない。
「足をどけろ、浮浪者!」
この騒ぎを聞きつけたのか、数人の男が顔を出した。この男を含めて全部で六人。レフを連れてくるまでもなかったか?
「どけ!」
怒鳴る男に、リッツはあえて静かに声を掛ける。
「こちらに、連れが邪魔していると思うんだがな」
「……連れ?」
戸惑う男にリッツは、冷ややかな作り笑いで覆われた顔を向けた。
「とにかく、入れて貰うぜ」
「え?」
言葉と共に、レフが実力行使に移った。
「うおおおおおっ!」
「な、何っ!」
持ち前の怪力で、レフは男ごと扉を大きく開けはなつ。
「ありがとな」
呆然とする男達を尻目に、リッツはレフに笑みを向けた。レフは仔犬のように嬉しそうに答える。
「どういたしまして」
リッツは開かれた扉から悠々と中に入り、腰を真っ直ぐに伸ばした。全く慣れない変装なんてするもんじゃない。腰を二、三度叩くと、纏っていた防寒具のフードを払った。同時に両手で押さえていたマントの前部分も開かれる。その姿に、男達は声を失った。
「……軍人!」
一人の男の呆然とした声と、リッツの言葉が同時となった。
「憲兵隊第三課第一小隊長アルトマンだ」
大嘘である。アルトマンには手紙で『名前を借りるぞ』とは伝えたものの、多分こうして敵の前で堂々と名乗られるとは、夢にも思ってもいなかっただろう。
「け、憲兵隊……」
男達がじりじりと後ずさる。憲兵隊効果、絶大だ。
「仲間を返して貰おう」
リッツの言葉に全員が思い当たることがあったらしく、一斉に最初に扉を開けた男を見た。だが男は、一番後方に下がりながら、男達に怒鳴りつけている。
「憲兵隊といっても二人だ! やっちまえばわからねぇ!」
男達は青ざめた顔で、手にしていた武器を握り直した。それはどうみても安物のナイフ、棍棒や木の棒で、剣を抜くまでもない。男達に向かってリッツはもう一度尋ねた。
「仲間を返せといっているんだ。聞こえないのか?」
「返すものか!」
そう叫んで男は剣を取りだした。立派そうだが手に馴染んではいない。リッツは男達の方へ、じりじりと歩を進める。混乱したように男達は武器をリッツに向けた。
今の男の反応で確信したことがある。アンナは生きている。心からの安堵で、リッツは大きく息を吐いた。
「それでは実力行使しかないな。レフ」
今まで黙って敵を威嚇していたレフが、振り返る。
「殺すなよ」
「はい」
言うと同時にリッツは、素早く一番近くにいた男の正面へと走り込んだ。男が反応するより先に、腹に手刀を喰らわせる。
「ぐおっ……」
奇妙な声をあげて男が倒れた。鳩尾だ、簡単に意識を取り戻すことはない。
「次っ!」
間髪入れずに、リッツは隣の男に蹴りを入れた。こういう時、少々足が長いことが重宝だ。身構える余裕を与えなかったから、男は腹に力を入れることなく、驚くほどあっけなく体を二つに折って倒れた。
「うわあああっ!」
玄関を開けた男が剣をがむしゃらに振り回して、リッツに突っ込んできた。まったくもって、この男と剣が釣り合わない。
冷静に観察しつつ、余裕を持って先ほど倒した相手の持っていた棍棒を手に取る。
「くらええええっ!」
甲高く叫んで上段から振り下ろしてきた男の剣を、棍棒であっさりと防ぐと、がら空きになった男の胴体へと膝蹴りを入れる。
「ぐえっ……」
「甘いな。剣を持ってれば何とかなると思ったか?」
からかうようにそう言ったリッツの言葉は、男の耳にはもはや届いていないだろう。男はゆらりと後ろに下がると、苦しげに胃の中身を吐き出した。
「悪いな、朝食後だったんだろ?」
悪いという感情は、ほんのひと欠片も無いが、一応そう言うと、男はリッツを見上げて睨みつけた。気が付くと他の男たちは、とっくの昔にレフに伸されている。今レフは、自らが倒した男を、グルグルに縛り上げているところだ。
「さて、今のところ仲間はいない。あいつがどこにいるか教えて貰おうか?」
リッツは男のシャツの襟元を掴んで持ち上げた。宙に浮いた男の足が、苦しげにもがく。
「く、苦しい……死ぬ……」
「死ぬも生きるも、お前次第だ」
みるみる男の顔が青くなっていく。かろうじて呼吸は出来るよう調節しているが、今はリッツを止める人間が誰もいない。久しぶりに非情に徹することが出来る。
「どうする? 俺はお前が死んでも構わん。俺の人生じゃないからな」
何の感情もない声でそう言うと、リッツは薄く笑って見せた。
「選択権は、お前にあるんだぜ?」
リッツが本気だと言うことを察したのか、男は苦しそうに呻いた。
「頼む……放してくれ……」
「教えるか?」
「……教える」
男の体を掴んだ手を、パッと放した。男が床に転がり落ちる。ゼイゼイと苦しみながら呼吸をする男の隣にリッツはしゃがみ込んだ。
「どこだ?」
苦しい呼吸のまま、男は床に着いた手を懐に入れた。
一瞬、光が煌めいた。
それがナイフだと思った時には、すれすれのところで体が避けている。長年の経験から来る条件反射だ。ナイフはリッツの髪に軽く触れただけだった。
「お前なんかに……教えるものか!」
未だ呼吸が収まらない男はよろりと立ち上がった。小賢しそうな男だ。このくらいの事は読めていた。
「そうか、それは残念だ」
リッツは静かに男を見据えた。構えるでもなく、ゆるりと服に付いた埃を払う。男が逃げ出そうと身を翻した瞬間、リッツは横から男の腰の辺りに強烈な回し蹴りをお見舞いしてやった。
瞬間、相手の骨が砕ける音が響く。重さがあるとは思えない速度で男は吹っ飛び、奇妙な角度のまま壁に突き当たった。
「悪いな、俺は気が立っているんだよ」
おそらくこの男は、もう二度と自分で立つことが出来ないだろう。ここまでやるつもりもなかったが、こうなってしまっては仕方ない。
「リッツ、殺すなと……」
戸惑ったようにレフが呟く。
「一応、殺してない」
ただ、再起不能にしてやっただけだ。
「怖い人だ」
口ぶりでいいながら全く怖がる様子もなく、レフは肩をすくめた。
「そうか?」
レフも相手の男の意識を奪った。だが確実に首の後ろか鳩尾を捕らえており、意識さえ戻れば問題ない状態だ。それに比べて自分はどうだ? 止めるものがいなければ、いつでも非情に戻れる自分に、苦いものでも噛み潰したかのような後味の悪さを覚える。
だが今後悔したところで、どうなることでもない。とにかくアンナを見つけ出すことが先決だ。
リッツは回りを見渡した。レフが倒した三人の男とリッツが倒した二人は、仲良く意識を失い繋がれている。
「仕方ない、自力で探そう。レフは上の階を見てきてくれないか?」
「わかった」
「調べ終わったら、ここに集合な」
リッツは足下を指さした。玄関ホールなら回りを見渡すのに都合がいいだろう。
「はい」
言われたとおり素直にレフは二階へと上がっていった。この家は外から見る限り三階建てだ。その上に屋根裏があるかもしれない。
「さてと……」
リッツは初めて来たここを、勝手知ったる我が家のように、目的を持って歩き始めた。
アンナの手紙によると、庭に面したテラス付きの部屋にラッセル夫人がいるということだ。そしてその庭には、土を掘り出した山がある。まずラッセル夫人の部屋を見つけ、それから庭を見ればいいだろう。土で出来た山があるなら、そこへと土を運んだ道筋があるはずだ。
それにラッセル夫人の話も聞きたい。リッツの頭の中には、この屋敷の大体の方角が掴めている。張り巡らされた壁越しに、中を覗いて確認したのだ。
おそらくラッセル夫人の部屋だと思われる部屋の扉の前にリッツは立った。一応レディの部屋だ、礼儀としてノックをした。
「どうぞ。開いていてよ」
上品な女性の声がノックに答えた。
「失礼いたします」
礼儀を持ってリッツはその部屋に入った。そこに白髪の老女がいた。ゆったりとした服に身を包んだ女性は、だがしっかりと意志の力を感じさせる目をしている。
足が悪くて車椅子に座っているが、その姿さえも気品に溢れている。アンナに聞いていたのとは、やはり印象が違う。もしかしたら、自分の予想が当たりなのだろうか?
いい方に当たってくれていればいいのだが……。
横には年配の女が立っていた。アンナの手紙から考えると、メイド頭ということになるだろう。
「シンクレア・ラッセル夫人でいらっしゃいますね」
丁重にそう尋ねると、ゆったりとラッセル夫人は頷き、緩やかに微笑み返してきた。
「あなたはどなた?」
「リッツ・アルスター。一応、軍に身を置くものです」
軽くお辞儀をしながらリッツはそう名乗った。それが思いの外お気に召したのか、ラッセル夫人は目を細め、しばしにこやかに笑った後、楽しげに聞き返す。
「一応なの?」
「ええ、一応」
警戒心を解くことなく、だが出来る限り穏やかに見えるよう、リッツは言葉の端に笑みを乗せる。そんなリッツに対して感じるところがあったようで、ラッセル夫人は静かに微笑んだ。
「残念だわ。てっきり、アンナのお迎えかと思っていたのに」
やはりラッセル夫人は、記憶障害など起こしてはいない。アンナをシンシアではなく、きちんとアンナとして認識している。
「……アンナをご存じでいらっしゃる」
「ええ、勿論。ここにいるベスが全て私に報告してくれますもの」
メイド長は小さく頷いた。メイド長の顔には、静かだが確固たる意志が表れている。この老女を守ろうとする意志だ。もしリッツがおかしな行動を取れば、このメイド長が身を挺して彼女を庇うのだろう。
「私の味方は、この家ではベス、ただ一人」
静かな声が彼女の立場を告げた。その表情、言葉は信頼に値するものだ。だがリッツは問わずにはいられない。
「と言うことは、あなたは……敵ではない?」
真っ直ぐにラッセル夫人の目を見つめる。その視線をそらすでもなくラッセル夫人は受け止め、そして穏やかに口を開いた。
「あなたが玄関ホールで戦った男達の仲間でなければ……アンナを助けに来た人物であるならば、私たちは敵ではありません」
しばしの沈黙の後、リッツは大きく息を吐いた。
「分かりました、信じましょう」
この期に及んでは、信じるしかない。おそらくこの老女の協力なくしては、アンナの居場所を見つけることが面倒になるだろう。
「ありがとう、嬉しいわ」
ラッセル夫人はそう言って微笑んだ。メイド長ベスに手で何やら合図をすると、ベスは暖炉の上に置かれて暖められていたポットを取ってきた。
「申し訳ないけどこれくらいしか、おもてなしが出来ないのよ」
ベスが丁寧に二人分のお茶を入れる。今まで緊張感が満ちていた空間に、ふんわりと鼻腔をくすぐる香りが満たされていく。
「あなたが来たのが今日でよかったわ。今日で私は用済みだったのだから」
リッツは進められるままに椅子に腰掛けた。時間が惜しい、気は急いているが、慌てるだけでは事が上手く進まないことなど、昔からの経験上よく承知している。
「ここにいる男達は……城の地下宝物庫を狙っている強盗団なの」
「地下宝物庫?」
思いも寄らない展開に、リッツは思わず声をあげた。この間エドワードと、地下宝物庫の話をしたところだった。あそこにはユリスラ国王の王冠がある。宝物庫の利用許可は、エドワード、シャスタ、そしてリッツの三人を通して初めて得られる事になっていると、先日説明されたばかりだ。
「この家はこんな奇妙な場所に建っているでしょう? すぐ隣が王城の壁ですものね。彼らによると城の地下宝物庫は、この家の地下から、百数十メートル掘ったところ、天然の洞窟の中にあるんですって」
なるほど、庭の土砂はその際にでたものか。アンナが聞いた夜中の物音は地下を掘る音だったのだ。
「この計画を彼らが実行に移し始めて、一年になるわ。初めはあの執事夫婦だけだったのにね」
ラッセル夫人の話によると、アンナが底意地の悪そうだと称していた執事と、中年のメイドが夫婦であるという。彼らは始めから城の宝物庫を狙っており、そのためにラッセル邸に入り込んだ。
その日から、ラッセル夫人とベスは、表に出して貰う許可が出ていない。
そんな彼らから身を守るために、シンクレア・ラッセルとメイド長のベスはお芝居を始めたのだという。娘に似ている人を見つけて、一緒に暮らさせて欲しいという芝居だ。もしも要望が通ったなら、その少女に憲兵隊へ駆け込んで貰おう……そう考えていた。本当の娘はとうに嫁いで、他国にいる。その事は簡単に執事夫婦には分からないだろう。
最初そんなラッセル夫人の要望を、執事夫婦は相手にしなかったそうだが、ある時から一転してそれを認めた。彼らはメイドを募集して、その子に人集めをさせようと考えたのだ。卑劣にも脅迫という形で。
そんなわけでラッセル夫人の考えとは全く違う目的のために、彼女たちは集められた。面接と称して調べられたのは、彼女たちの裕福層への憧れと、うらやましさ故の憎しみであったという。
娘シンシアの役を演じながら、彼女たちはいつも不満そうであったらしい。勤めが一月も続いた頃、彼女たちの殆どが、何かしらの窃盗を行った。執事夫婦はそれを見つけて脅迫し、スラム街の仲間を集めさせたのだという。
幸か不幸か、嫁いだ娘シンシアの服と装飾品が大量に残されており、彼女たちが盗むのに苦労はしなかったということだ。
そんな状況でありながらラッセル夫人が殺されなかった理由はたったひとつ。……金だ。
メイドに支払われた給金、執事夫婦の生活費、工事の男達の最低限の生活費……それはすべてラッセル夫人の財布からでていたのだ。彼女がどこに金を隠しているのか、どこから支払いの金を出してくるのか、いくら探っても執事夫婦は分からなかった。だから殺すことが出来なかったというわけだ。
「今朝早く地下の通路が、地下宝物庫のある洞窟に繋がったそうよ」
手短に状況を話し終わったラッセル夫人は、静かにそう告げてティーカップに口を付けた。相槌を打つ以外は黙っていたリッツが小さく呟く。
「……なるほど城の宝物庫の宝を持ち出せたなら……もう夫人の金に頼ることはないと……」
ラッセル夫人は静かに微笑んだ。
「ええ。私はかえって邪魔な証言者になるわ。殺した方がいいだろうと考えるでしょうね」
沈黙の中でカップを静かに置く音だけが、変に大きく響いた。
「アンナが来た時には驚いたわ。あんな真っ直ぐな子は初めてだったから。その時に気が付いたのよ、もうすぐ地下通路が完成するって」
「何故です?」
リッツが尋ねると、ラッセル夫人は小首を傾げた。分からないかしら? と問いかけているようだ。だがリッツも静かに笑みを浮かべ、口を閉じたままいた。情報は確実に手に入れる。それが重要だ。
やがてラッセル夫人が折れ、微笑みながら口を開いた。
「アンナを雇ったのは、仲間を増やす絶対的な必要性が彼らにはなくなったということ……そうではなくて?」
内心でリッツは驚いていた。これほどまでに聡明とは思っても見なかった。彼女の体は動かなくても、頭は休むことなく回転を続けていたのだ。
「彼らはアンナを恐れたの。スラム街に貼った募集広告に、あの子のような子が来るはずはないもの。だから計画がどこからか漏れて、憲兵隊が彼女を使って調べさせていると思ったのね。だから計画が完了するまで監禁してしまおうと考えた」
「でも何故アンナを憲兵隊の人間と思ったのか……」
リッツにはそれが釈然としない。どう見てもアンナは子供だ。普段は十四、五歳にしかみえないし、化粧をして服を着替えて、せいぜい十七、八歳といったところだ。しかもあの性格といったら……。三十年生きていることを知っているリッツにとっても、アンナはまだまだ幼く見える。
軍人になるには、しかも憲兵隊では、一番幼くても十八にならねばならないはずだ。そんなことは、いくらスラム出身者でも分かっているだろうに。
「……スラム街にね、変な噂があるのよ。知っていて?」
「噂?」
この上品なラッセル夫人が、スラムの噂をするとは意外だ。
「赤毛で凄腕の精霊使いがいる。女の子なのだけれど、憲兵隊の仕事をしている……ですって。実際にその子を見たという人もいるそうよ」
楽しげなその言葉に、リッツは心当たりがあった。リッツが熱を出して、そのせいでアンナがウォード一家なる小悪党と戦った時のことだ。最後は確かに憲兵隊によって彼らは引き立てられていった。
実を言うと、行きつけの店でその噂を耳にしたことはあった。まさかその噂を真に受けて、なおかつ本気で恐れる人間はいないだろう、と思っていたのだが。
ということは、アンナがこんな目にあっているのは、二重に自分のせいか? そんな言葉が脳裏をよぎる。
だが後悔している場合ではない。リッツにはやるべき事がある。とりあえずそれをしてから後悔すればいい。リッツは頭を一降りして、とりあえず後悔の気持ちを振り払った。
「夫人、地下への入り口は分かりますか?」
そう尋ねると、ラッセル夫人は後ろに控え、彫像の様に動かなかったべスを呼んだ。
「ベスに案内させましょう」
「助かります」
リッツは席を立った。前の事件の際に貰った時計をみると、三十分ほど時間がが経過している。もうレフは玄関ホールに来ているだろうか?
ラッセル夫人は相変わらず、静かに微笑んでいる。彼女は何かを達観しているのか、ただ静かだった。
「ベスが戻ってきたら、サンルームを含んだ全ての扉を施錠してください。決して犯人を入れないようにお願いします」
「ええ」
「責任をもって、憲兵隊にこの事件を処理させましょう。ご安心を」
一礼するとリッツは踵を返し、扉へと向かった。急がねばなるまい。その時、ラッセル夫人が静かにリッツにお礼の言葉を掛けた。
「ありがとうございます、大臣閣下」
「!」
驚いて固まると、ラッセル夫人はその瞳にいたずらな表情を浮かべた。
「閣下、憲兵隊のふりをなさるなら、城の近くで本名を名乗るのは軽率ですよ。城の近くに住んでいる人間で、城の中に興味のない人間は皆無に近いのですから。お名前と憲兵隊に指示出来るお立場、すぐに身元は分かってしまいます」
なるほど最初に名乗った時、一応軍に身を置くといった言葉に『一応なの?』と確認をした意味が分かった。
「……いつも変装しているんだが……」
肩をすくめながらそう言うと、ラッセル夫人は穏やかに微笑んだ。
「私が知っているのは、大臣閣下のお名前と、お戻りになったという事実のみ。家から出られぬこの身では閣下のお姿は存じておりません。ですが物語に出てくる精霊族は年を取らず、いつまでも美しい。だとしたら精霊族の閣下が年を経ていなくとも疑問なんて感じませんでしょう?」
「なるほど……」
これは一本取られた。港湾部やスラム街などでは本名をフルネームで名乗ることはないのだが、この夫人を前につい名乗ってしまったのだ。まったくもって、大臣職が板に付いていない。
これ以上何も言う言葉がなく、リッツは黙って頭を下げて部屋を後にした。扉を閉じた瞬間、どっと疲れがでた。久しぶりに戦闘以外の緊張感を味わってしまった。
「こちらでございます」
促されてリッツは、大きく深呼吸した。こんなところで疲れている場合ではない。
「頼む」
「はい」
影のように静かにベスが前をゆく。玄関ホールにはやはり先に来たレフがいた。リッツが黙って手招きすると、走り寄ってきた。
「ありがとうな、面倒掛ける」
「構いません」
レフは屈託なく笑う。役に立てることが嬉しいという顔だ。こんなに好かれるようなことをした覚えがないのだが……。まあ全部おわってから聞けばいいだろう。
「二階も三階ももぬけの殻です」
「……全員地下か」
「地下?」
リッツは敵が強盗団であること、城の地下宝物庫を狙って地下を掘っていたことを説明した。レフは口を挟むことなく、黙って聞いている。話が終わるのと丁度同じくらいで、ベスは足を止めた。
「ここです」
そこはこの邸宅の一階、最も家の奥にある部屋だった。窓があるがその窓の前に広がるのは、石造りの城の壁。風を通すためだけにしか、役に立ちそうにない。
窓から顔を出してみると、壁が目の前だ。確かにこの近さなら、ここから地下を掘り、城壁を超えるのは容易いだろう。だがこの壁の向こう側は、確か軍本部だ。知っていて掘っているなら、とんでもない度胸の持ち主だ。おそらく奴らは、そんなことを知るよしもないなのだろう。
王城と王宮は、緩やかな自然の山を利用して作られている。王宮の更に奥は、広大な森と険しい山だ。つまり高級住宅街の終わりは、王城の山の裾野というわけだ。
「なるほど、これはすごい」
その部屋には床がなかった。正確に言うならば、床全体の石がはがされて運び出されていて、土が丸出しになっているのだ。そこに大きく四角い穴が口を開けている。
そのむき出しの床の中央には、下へと伸びる梯子があった。
「私はここで」
「ああ、ありがとう」
ベスが出て行ってからすぐに、リッツは地下への穴を覗き込んだ。リッツの見る限り、あまり深くはなさそうだ。それに暗くもなさそうに見える。
「先に降りるぞ」
ためらいもなくリッツは梯子に足をかけた。
その頃、城ではひとつの問題が持ち上がっていた。場所はエドワード国王陛下の執務室である。
「ない……と申されましたか?」
シャスタが呆れたようにそう呟く。
「……そう言ったな、私は」
呆れたような眼差しで見られながらも、エドワードはそう答える。いや、そうとしか答えられない。この間抜けな会話は、先ほどから数回繰り返されていた。
エドワードは昨日、シャスタに『戴冠式の正式な様式について調べたいので、地下宝物庫の書庫への閲覧許可を頂きたい』と言われて、許可をした。覚え書きのような物はあるが、習わしとして全てを書き込まれた物は、現在宝物庫にしかない。
今朝鍵を渡す約束になっていたというのに、肝心な地下宝物庫の鍵がないのだ。しかも地図も消えている。
だがエドワードには見当が付いていた。その鍵と地図を、誰が何のために持ち出したのかという見当が。
念のために使いをやり、ジェラルドとグレイグを王宮から呼び出しているところだ。朝食の席にも見あたらなかったグレイグは、おそらく王宮中探しても、どこにも見あたらないだろうと思う。
だがそれをシャスタに知られてはまずい。
シャスタのことだ、いくら王族の子といえでも地下宝物庫を荒らす事は大罪だし、厳罰を処すかもしれない。
正直に言うと、グレイグは仕方ないのだ。あの性格だから罰して貰う方がよいだろう。
エドワードがそれを言うことを躊躇ったのは、おそらくグレイグに無理矢理連れて行かれた、フランツの為だった。
最近グレイグは、何かとフランツにくっついては無茶を言っている。今まで年が近い友がいなかったから仕方ないと思ってはいたが、これはいくら何でもやりすぎだ。
もしシャスタに見つかれば、フランツもただでは済まないだろう。それではあまりにも可哀相と言うものではないか。我が儘な孫の面倒を彼はよく見てくれている。ここで少々それに報いてあげたい。
「シャスタ、明日までに探し出すから明日の朝来てくれ」
最近心持ちやつれたシャスタは、ため息を付きつつ了解した。
「悪いな、無駄足を踏ませて」
「いえ、構いませんよ」
そういうと、シャスタはエドワードに背を向けながら告げた。
「犯人によろしくお伝え下さい。シャスタ・セロシアは貴重な時間を一時間近く無駄に使った……と」
……やはり悟られていたか。出ていったシャスタに心の中でお礼を言う。どうやら見逃してくれるようだ。シャスタと入れ替わりに、ジェラルドが入ってくる。
「陛下、グレイグはおりません。皇后陛下に聞いた話では、裏の森へフランツと野営のまねごとをしに出掛けたとか……」
まだ何事が起きているのか分かっていないジェラルドは、公の場所でそうするように、落ち着いた口調でエドワードに告げた。
「残念だがジェラルド、城の外にグレイグはいないのだ」
「……?」
困惑したように、ジェラルドはエドワードを見返した。
「それではどこへ?」
「それは言えぬな」
エドワードは軽く肩を揉んだ。
やれやれ、シャスタの小言で肩が凝ってしまった。まったくあの馬鹿孫は、どうしようもない。親の顔が見てみたいものだ……。
そう思った直後に、エドワードの願いは叶えられた。顔を上げると、馬鹿孫の父親がそこにいた。
「何です、陛下?」
元来、父親は息子のしでかしたことに、責任を負う必要がある。ことにそれが子供である場合は。
「……ジェラルド、今日の予定は?」
「本日は偶然、お休みを頂いています」
戸惑った顔のまま、ジェラルドが答える。
「それはよかった」
エドワードは執務室のデスクから立ち上がると、大股でジェラルドに歩み寄り、肩に手を掛けた。
「体調が優れないわけではあるまいな?」
「はい。元気です。ただ本日は用事がありませんでしたので……」
「そうか、ならよい」
それだけいうと、エドワードはジェラルドの肩を軽く叩いた。そのままジェラルドから離れて扉へと向かう。
「陛下?」
「付いてこい、ジェラルド」
「は? どちらへ?」
さっぱり理解できないジェラルドに、エドワードは明るく笑いかけた。
「地下探検に行こう」
「何を言っておいでです、父上!」
慌てふためくジェラルドに、エドワードは愉快そうに笑った。
「お前も来るんだぞ、ジェラルド」
そのまま執務室を後にする。
「……父上? 本気ですか」
足早に王宮へと向かうエドワードの後ろから、ジェラルドの必死で追いかけてくる足音が響いていた。
「勿論だ」
「いったい……何故?」
混乱するジェラルドに、エドワードは答えずにどんどん先を行く。
ジェラルドに迎えに行かせればいいものを、こうして自分も共に行くというのは、ただ単に最近多くなった仕事からの現実逃避であることなど、今のエドワードに分かろうはずがなかった。




