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アンナがそんな状況になっているなんて、露とも知らない平和なクレイトン邸の同日ほぼ同時間。
人々が帰り支度をするこんな時間に、フランツは荷物をまとめて、今まさに出掛けようとそれを背負っていた。
アンナのことが心配だったが、グレイグとの約束を違えることもできない。メイドが消えるのはだいたい一ヶ月後といっていたから、今日明日で何か進展があるとは思えない。
そう自分に言い聞かせる。
「出掛けるのか?」
二階の自室を出ると、同じように自室から出てきたリッツにばったりと出くわした。
「グレイグと森で野営の真似。前からの約束でどうしても断れない」
言い訳なのでいつもより多く説明してしまった。怪しまれないだろうか?
「そうか……」
気のない感じでリッツは頷くと、ため息を付きつつ下に降りていった。リッツはジョーやアニー、エヴァンスの前では、いつもと同じに過ごしていた。陽気に話をするし、冗談も言う。仕事でもそうではないだろうか。実際に見たわけではないから知らないが。
だがフランツは知っているのだ、本当はリッツが気が気ではないことを。フランツと二人になった時に、それまでの余裕がある状態が、全て嘘のように消えてしまう。
ジョーが寝た後に、今まで通り二人で書類整理をやっているのだが、ここ数日のリッツはどうしようもなく書類を片付ける速度が落ちている。その状態をフランツは攻めるつもりはないし、情けないとも思わない。
確かにアンナを一人で危険なところに向かわせてしまったのは、リッツのミスだ。だがどうしようもないということに関しては、フランツも同じなのである。
フランツはリッツとは逆だった。仕事に集中した方が心配事を忘れられる性格だから、この作業が苦ではない。しかも慣れてきたから、仕事の速度は格段に速い。なのでフランツは、大臣の決済がいらない読むだけの書類を山から掘り出して、それを中心に片付けている。
御陰で随分と書類の山は減ってきている。どうも年始の駆け込み書類が多かったらしく、大臣に読んで欲しいだけという書類が結構あった。その辺りは全て要点だけをまとめて、書き込んであるから、リッツはいざというとき、このノートを見ればいい。
リッツはそんなフランツに謝りながらも、書類を片付けられないようだった。手にされている書類はいつも捲られることがない。
気が付くと、リッツは見たこともないような真剣な顔で、書類から目を上げて考え込んでいる、ということも一度ならずあった。
陽気でいなければならない部分と、後悔が入り交じった苦い部分が混じり合って、どこかで無理が生じているのだろうか?
それとも綿密に何かの計画を立てているのか……フランツにはさっぱり分からない。
毎日目を通しているジョー宛のアンナの手紙は、全てリッツの手元にある。だから状況は全て分かっている。今のところ危険はなさそうだ。
これがリッツとフランツの結論だった。
だがフランツは、こんな時なのに出掛けなくてはならない。それが心苦しい。だが事態が動かない中、家にじっとしていても仕方ない。それに地下宝物庫の古文書と王家の重要書類の誘惑は、抗いがたいものがある。
一階に下りてサンテラス付きの食堂へ向かう。今回、なくてはならない相方がここにいるのだ。食後にみんなが集うこの談話室で、彼(彼女?)は一日の大半を過ごしている。
寝る時はアンナが自分とジョーの部屋に連れて行ってしまうのだが、今はそのアンナはいない。そうなると、炎の中に相方の姿を確認できるのは、この家ではフランツしかいないのだ。
暖炉を覗き込むと、重要な相方は炎に包まれて眠っていた。
「サラ、出番だ」
「きー、フラきー」
目を開けたサラは、嬉しそうにフランツに向かって鳴いた。退屈で仕方なかったのだろう。この家に越してきてからというもの、ほとんどサラは籠の鳥状態だ。
「久しぶりに働いてくれ」
そう言いながらフランツは、頑丈なランプの一方のガラスを外し、床に置いた。サラは喜び勇んで中に入っていく。前に持っていた安いランプは壊れてしまったから、大きくて丈夫な物をとアンナが購入したのだ。狭いランプに入れられたのに、サラは嬉しそうにしている。
「フラきー、フラきー!」
「外に出られて嬉しいか? 嬉しいだろうね」
小声で呟くと、談話室を出て食堂に向かう。
『あらフランツ、もう?』
大きなバスケットの中に、ライ麦パンのサンドイッチを詰め込んでいたアニーが、慌てて壁のネジ巻き時計を見る。
「……時間だから」
言葉少なに答えると、アニーはそれを気にするでもなく肩をすくめた。
『嫌だ、私ったらのんびりしちゃった。これサンドイッチ、サーモンとハンバーグ。それからチキンよ。育ち盛りの男の子はこれくらいじゃないとね』
「ありがとう」
育ち盛りの男の子。そうフランツに面と向かって言うのは、アニーくらいだ。それともグレイグのことか?
アニーは何故か、フランツのことを手間のかかる弟のようなものとして扱っている。理由は分からない。聞くこともないからだ。アンナも同じように小さな妹として扱われている。姉妹のいないアンナはそれが嬉しいようだった。
フランツは嬉しいというより違和感がある。だが沢山いる実の姉妹と比べれば、アニーの方が数千倍もましだ。
黙ってバスケットを鞄に詰め込もうとしているフランツに、アニーは話しかけた。
『フランツ、サンドイッチ以外はどうするの? お茶は? 寒くなるから暖かい物を作れるように、鍋は持って行くべきだわ。そうそう、防寒具は? 毛布もいるわよね?』
「……親王殿下が用意してる」
実はフランツは、アニー、エヴァンス、ジョーは勿論のこと、リッツにすら本当のことを言っていない。王宮の裏にある、広大な山の中にグレイグの要望で野営のまねごとをしにいくといってあるのだ。
まさか国王陛下の部屋から盗み出した地図を利用して、地下宝物庫へ忍び込むなんてそんなこと、言えるわけがない。
『そう? 大丈夫かしら……』
「大丈夫」
なおも心配そうなアニーにそう言うと、フランツは玄関に向かった。先ほど部屋からでてきたリッツの姿はどこにもない。ジョーもいないところを見ると、二人はきっと裏庭で剣の稽古でもしているのだろう。
フランツもジョーの真剣さを知っているから、中断させては悪い。だから黙って行くことにする。
『気を付けてね、フランツ』
「行ってきます」
付いてきたアニーにそう言って玄関を出る。振り返らず後ろ手に扉を閉めると、とたんに冷たい風がフランツを包みこんだ。
寒い、本当に寒い。フランツは寒暖の差に弱いのだ。実家は大金を掛けて一年中常春並の温度に保たれていたし、弟子入りしてもそんなに過酷な仕事を命じられたこともなかった。
だからこうして寒い季節に外に出るのは、本当は億劫なのだ。しかもこれからなおも冷え込む夕暮れ時だ。本当なら全く考えられない。
だが今は、心の中で小さな不安感と、大きな期待感がクルクルと手を取り合っていて、寒さに大きく勝っている。一昨日、グレイグから全ての首尾が上手くいったとの連絡があった。つまり彼は国王の自室から、地下宝物庫の地図、及び入るための鍵を手に入れたことになる。
彼はきっと、エドワードに遊んで貰う、もしくは話を聞きたいなどと口実を設けて国王の部屋に入れて貰い、国王が席を立ったその隙に、それらの品物を盗んだのだろう。
エドワードは、本当にそれに気が付かなかったのだろうか? 気付いていたなら、グレイグは知った上で泳がされていることになる。
それにしてもと、フランツの頭に再び恐怖がひたひたと押し寄せてくる。一緒に行動するのは親王殿下という身分なのだが、所詮自分は一般人だ。もし見つかったなら、どのようなお咎めを受けるのか、想像できない。
グレイグの言うように『親王の俺がついているから平気さ!』はまったくもって信用できない。
グレイグが親王だからって特別扱いしない人たちを、フランツは数人知っている。その数人というのが、国王や王妃、宰相に大臣なのだから、どんな目にあわせられるか想像がつかない。
そもそも憲兵隊や近衛兵に現場で差し押さえられたら、自分はどうなるのだ? 全くの一般人が宝物庫に忍び込んだら極刑か? それとも終身刑?
考えないようにしようとは思っているが、考えずにはいられない。心底怖がっているくせに、自らの望む知識欲と真実は、それをも軽く超えていく。
だからそんなことは考えても仕方ない。フランツにとって、もう事態は引き返せない所まで来ていたのだ。
「まあ、なるようになる……か」
いつの間にやら、お気楽なリッツの口癖が口をついて出た。自分で気が付いて、ため息と共に眉を寄せる。
「……そう言うのは嫌いなはずなのにな」
どうやら自分は、リッツに相当な影響を受けているようだ。このまま行くと、考えなしに行動する人間になりそうで不安だ。フランツはあくまでも理性の人でいたいと思う。仲間がアンナとリッツなだけに、その願いは強い。
もしフランツまでお気楽になってしまったら、いったい誰があの二人の暴走を止めるというのだ。
大きくため息を付くと、フランツは手にしていたサラのランプに目を落とした。夕闇に浮かび上がった赤々とした姿が、神々しさを感じられるほど綺麗だ。
やはり炎の精霊は闇に有ってこそ美しい。暖炉の中で寝ているというのは、不自然かもしれない。当のサラは呑気そうにフランツを見つめて小首を傾げた。
「フラき~?」
アンナに影響されたのか、サラは口を開かなければ美しい、という限定付きの精霊になってしまった。構ってやらないフランツにその責任の半分が有ることを理解しているから、もうすでにサラの行く末には諦めがついている。
頭の中の整理が上手く付かないまま、フランツは王城へとたどり着いた。閉まりかけていた門の隙間から、城内へと滑り込む。顔見知りの門番がフランツに気が付いて、明るい笑顔を向けた。
「今日は随分遅いね。親王殿下のお供じゃないのかい?」
「……お供です……」
「そうか、頑張ってな」
最近グレイグにあちこち引き回されていたため、門番にもすっかり顔が知られてしまった。フランツはあまり口を聞かないが、その分グレイグが、色々とフランツのことを話しているのだ。
フランツが王族でも貴族でもない事は、皆知っている。だからグレイグに仕える小姓扱いで、皆が親切にしてくれているのだ。やはり兵士とはいえ、親王よりも一般庶民の子供の方が接しやすいのだろう。
だがフランツが大臣の仲間だとは誰も知らない。
城の内部にある門をもう一つくぐり抜け、王宮へと続く廊下を歩き、王宮へと続く門も顔見知りの近衛兵に開けて貰って、フランツはようやくのことで待ち合わせ場所にたどり着いた。
そこは王宮の地下にある、王族の訓練場だ。ここでフランツは、幾度もグレイグの相手をさせられている。壁一面に掛けられた剣と武器は、グレイグの絶好のおもちゃなのだ。
それにしても、これほど多くの人に顔を見られる時間を指定しておいて、こっそり宝物庫に忍び込もうとは、よく言ったものだ。何を考えているのか、さっぱり理解できない。絶対にこの計画には穴がある。
間違いない。絶対に捕まるに違いない。
そう心の中で断じてから、フランツは訓練場に降りていった。
「よく来たな、フランツ・ルシナ」
グレイグは小さな荷物をひとつ、自分の剣を一降りという軽装で、偉そうに腕を組んで立っていた。何だか腹が立ってきた。
「来いって行ったのはあなたでございましょう、グレイグ親王殿下」
「怒ってるのか? フランツ?」
フランツは腹が立つと相手を馬鹿丁寧に呼ぶ。勿論、馬鹿丁寧に呼ばれるのが嫌だと感じる相手に対してだけだが。それをグレイグはすでに知っている。なにせ何度か腹を立ててそう呼んでいるからだ。
「……親王殿下、こっそり忍び込むって言っておられましたね……」
「うん。言った」
明るくグレイグが答えた。アンナと違って無邪気ではない。グレイグはフランツの反応を楽しんでいるのだ。嫌みがまったく効いていないのが分かったから、フランツは丁寧な口調をやめた。
「……僕がここに来るまでに幾度『殿下のお供をするのか』と聞かれたか分かるか?」
低く尋ねると、グレイグは意に関せずといった顔で、指を折りながら数を数えだした。
「門番だろ、内門の門番だろ、それから王宮の門番、それから中央の廊下で出会う文官と武官。そのくらいかな?」
「宝物庫に忍び込むんだろ? こんなに沢山の人に顔を見られてどうするんだ!」
思わず怒鳴ってしまってから、慌てて口を紡ぐ。「大丈夫だって。顔を見られてたって」
フランツとは対照的に、グレイグは楽しそうにニヤニヤ笑っている。
「何故そう断言できる?」
荷物を足下に投げ出して、フランツはグレイグを睨んだ。
「そんな顔するなよ。美男子が台無しだぞ?」
両手を広げて肩をすくめるグレイグに、フランツは低く怒りをぶつけた。
「……誤魔化すな」
「分かったよ」
グレイグは訓練場の片隅にあるベンチに腰を掛け、フランツも座るように手招きした。仕方なくベンチの隣に座った。
「俺がフランツを呼び出すなんて、今はこの王宮では当然のことだぞ? だからこんな時間にフランツが、いかにも怪しげな大荷物を持っていたとしても、皆が『また親王殿下の気まぐれにつき合わされるのだな』と思ってお終いさ。俺たちが何をしようとしているか何て、まったく考えないよ」
確かにここ数週間で、そんな感じの雰囲気が城の中に出来ているのは事実だ。国王も王妃もフランツに対して信頼のような物を持っている、と兵士達が知ってから、フランツの『グレイグ親王のご友人』の立場は揺るぎない。最もフランツからしてみれば、迷惑なことこの上ないが。
「な? よく考えればそうだろう?」
「……そうか?」
確かによく考えればそうだろうが、認めるのは悔しいから言葉を濁す。
「そうさ」
話し終えると、グレイグはひょいっと立ち上がった。
「フランツ、夕飯にしよう! 持ってきてくれたんだろ?」
ため息と共にフランツも立ち上がった。自分の荷物を開き、バスケットを取り出す。先ほどアニーが詰めてくれたサンドイッチが入っている。
「その代わり明日の朝食は、パンとバターしかないからな」
「あるだけいいよ。俺が食料を持ち出したら、お祖父様達に絶対に知られちゃうもんな」
それはそうだ。フランツはその『お祖父様』にだけは絶対に知られたくない。
「うわぁ、美味しそうだな! フランツの所の幽霊のメイドさんに感謝! 頂きま~す」
勝手にバスケットを開けて食べ始めるグレイグに、フランツはため息を付いた。この親王が国王になるまでに、少々教育をするのは、本当に自分の役割になるかもしれない。そう思うと先が思いやられる。
「……食べないのか? 美味しいぞ?」
人の持ってきた物を、自分が用意したかのように言うグレイグに呆れながらも、フランツはサンドイッチに手を伸ばした。
こんがりと焼いたサーモンフライに、レモンとヨーグルトの風味が香るソースがよくあって、さっぱりとした味わいを演出している。これは美味しい。
二人は並んでサンドイッチを食べる。黙っていられないグレイグは、口が空になる度にフランツに話しかけてきた。それは今回の宝物庫侵入作戦の内容である。
グレイグが調べたところによると、深夜まで待てば、見張りは二人になり、周辺の廊下には人影もなくなるという。
「まず宝物庫の見張りを眠らせる」
手に付いたソースをなめながら、グレイグはとんでもないことを言い出した。
「……どうやって?」
「母上がまだ生きていた頃に、眠れなくなったんだって。それで父上が東の国から仕入れたっていう薬があるんだ」
グレイグは足下にある自分の鞄から、小さなガラスの瓶を取りだした。
「これを水の中に数滴垂らして、それでその水をあたためると、すーっと眠りに落ちていくんだってさ。この間父上で実験したら、いとも簡単に寝たぞ」
「……」
フランツは絶句した。王太子で睡眠薬の実験をしないで欲しい。何かあったらどうするんだろう。黙ったままのフランツが、自分の話に感心していると思い込んだのか、グレイグは話を続ける。
「これを見張りの兵士の近くで焚くんだ。数滴じゃなくていっぱい垂らせば絶対に眠らせられる!」
いいのか、そんなことして……という言葉をフランツは飲み込んだ。そもそも宝物庫の更に下にある、国家機密が治められた地下宝物庫に侵入しようとしているのだ、それこそが犯罪だ。
それから考えれば、近衛兵を眠らせるなんて、物事のとっかかりに過ぎない。
「深夜に行動だろ? だから中に侵入して、それで地下に行ったらとりあえず今日はお終いだな。明日目が覚めてから、じっくりと見て回って、飽きたらこっそり出ていこうぜ」
「どうやって出る?」
あまりに杜撰な計画に、フランツはため息混じりにそう呟き、サンドイッチを口にした。
「昼は見張りがいて人通りもあるけど、国王の許可がありますって顔してれば、大丈夫さ」
まあ入る時と違って、国王にすぐ報告・確認されてしまっても、宝物庫で一体何をやっていたのかを詮索される事はないだろう。もしそれが入る時ならば、きっと国王は怪しんで兵士を差し向けるだろう。そうなってはならないのだ。
それにしても作戦決行までは随分と時間があるが、いったいどうするのだろう?
「よし、食べたぞ。フランツは?」
「ああ、僕も終わりだ」
フランツはそう言ってバスケットを閉じた。結構残っているから、明日の朝食にはなりそうだ。それとも深夜の夜食となるのか?
「フランツ! 時間まで付き合え」
グレイグは立ち上がって、剣を取った。やはりそう来るか……。何となく想像はついていた。
「嫌だといったら?」
「他に時間を潰せる物なんてない」
仁王立ちになり、自信満々に腕を組むグレイグに背を向けて、フランツは鞄を開けた。中から半月状の板と貝殻で出来ていて、裏表が白と黒のボタン状の物が入った布袋を取り出す。
「たまにはここを使おう」
フランツは自分の頭を指さした。
「頭ぁ?」
意味が分からないように首を傾げるグレイグを無視して、フランツは板に付いた埃を払う。旅の間もずっと持ち歩いていたけど、これを実際にやるのは久しぶりだ。
というよりも、荷物に入っていたことすら忘れていて、王都についてから思い出した。自分で入れたわけではないから、忘れても当然なのだが。
半月状の板を広げて、フランツは円形になった板をベンチに置いた。真っ青に塗られ、美しい光沢を放つ表面は、小さな丸と無数の線が銀色の輝く線で結ばれている。
「なんだよこれ?」
「領土拡張ゲーム。通称テリトリアルっていうゲームだ」
「テリトリアル? 領土?」
グレイグは首を傾げる。そんな彼に構うことなくフランツは説明を続けた。
「この円盤の真ん中にある小さな円に、まず白と黒の貝殻を置く」
フランツは慣れた手つきで、貝殻を袋から取りだして円盤の表面に並べた。四つの貝殻が白と黒交互に縦に二列、横に二列並ぶ。
「単純なゲームだ。グレイグが白なら、僕が黒。自分の色の貝で相手の色の貝を挟むようにこう、置くと……」
黒い貝殻を取りだして、フランツは白の両側に置く。
「ひっくり返るわけ。こうやって自分の色の数を増やしていくんだ」
「ふ~ん」
気の乗らなそうなグレイグの返事は予測が付いていた。だからこう言葉を続ける。
「……頭脳戦は苦手ですか? 親王殿下」
冷笑のようなその言葉に、グレイグはムッとした顔でフランツを睨みつける。
「やる!」
フランツは内心ホッとしながら、テリトリアルに夢中になるグレイグの相手を始めた。
実はこのテリトリアルのボードは、もともとオルフェの持ち物だ。このゲームにはまってしまったフランツにくれたのだ。旅に出る時おいていこうと思ったが、何を思ったのかオルフェが無理矢理荷物に押し込んだのである。
今の今まで持ち出したことはなかったが、グレイグの剣の相手に、少々飽きが来ていた時、ふいにこのゲームがあることを思い出したのだ。
それにしても……と、貝殻を返しながらフランツは考える。王都でもパズル屋に行ったが、やはりこんなゲームは存在しない。他では全く見たことがないのだ。王国外のゲームなのか、それともオルフェが考え出したゲームなのだろうか?
負けず嫌いのグレイグは、かなり負けまくり、うっかり宝物庫に行けないところだったのだが、そこは何とか乗り越えた。
結局このゲームを深夜まで延々と続けてから、二人は精神的にぐったりとした状態で、宝物庫へと向かった。
作戦通りにあっけなく見張りを眠らせた二人は、鍵を使って中に入り、再び中から鍵を掛けた。これで誰かが忍び込んだなんて分かるまい。泥棒が入ったなら、中から鍵を掛けるわけなどないのだから。
グレイグの持ってきた地図に書かれていたのは、地下宝物庫への入り口と、そこから続く地下への階段だった。
「ここの本棚っと……」
地図に記されているように、本棚の一部分を押すと、どっしりとしてピクリとも動きそうになかった本棚が軽く回転した。回転扉の向こうは、階段になっている。真っ暗な中でフランツはサラを掲げた。普通のランプより数段明るい。
「珍しいな~。このランプ燃料ないんだ」
「炎の精霊が入っているんだ」
素っ気なくそう告げると、グレイグは不思議そうな顔のまま頷いた。どうやら彼には、精霊使いの要素はないらしかった。
本棚の裏は普通の扉になっていて、もし閉じてしまっても簡単に開けられそうだ。念のため本棚を半開きのままにして置いて、二人は地下に降りた。
「随分と暖かいな」
真っ暗な地下空間に降りてすぐに、グレイグがそう呟いた。
「地上と違って、きっと気温が一年を通して一定なんだ」
フランツはサラを高く掲げて内部を調べてみた。どうやらここは元から洞窟だったようだ。それを人の手で整備しているのだ。今いるところはホールの様に広くなっていて天井が高く、床は石畳がしっかりと敷き詰められているし、燭台を灯すところもちゃんとある。
だがこのホールから先は、まったく未整備だ。正面にはぽっかりと、大きな洞窟が三方向に口を開けている。
「グレイグ、地下の地図は?」
「簡単さ。正面に道は三本、真ん中は行き止まり、左側が直線で宝物庫へ向かってる。右は未整備らしいな。ただ、あちこちに横道が有るみたいだから、そこに入らないようにしないと」
「なるほどね」
地図を持っていれば、道に迷うことは決してないという迷路なのだ。確かに王宮の地下の宝物庫でしょっちゅう遭難者が出ていたのでは、意味がない。地図を持たず、地下宝物庫の場所を知らない人間にとってだけ、ここは迷宮だということだ。
「フランツ、早く宝物庫に行ってテリトリアルの続きをしよう!」
「え?」
「勝ち逃げは許さないぞ!」
しまった、とんでもない物を教えてしまったのかもしれない。後悔がどっと押し寄せたが、仕方ない。宝物庫に行って休みたいのはフランツも同じだ。
どうしても書類を見たい。その為にはこんな疲れた頭では駄目なのだ。
「分かった。行こう……」
もう寝たいのに、夜は長くなりそうだった。




