<4>
翌朝、いつもよりかなり早めに食堂に降りてきたリッツは、目当ての人物の姿がないことに気づき当惑した。いつもならこの時間、アニーとジョーと三人で食事の支度をしているはずなのだ。
「……アンナは?」
丁度サラダの大きなボールを手にやってきたエプロン姿のジョーに尋ねた。ジョーは最近、アニーやアンナ好みの服をやめて、自分で調達した少年のような格好に戻っていた。その姿にエプロンはいささかちぐはぐだが、最近はようやく、少女らしく見えるようになってきている。
「今朝早くに出掛けたよ」
リッツの目をわざとらしく見ずに、ジョーが答えた。この確実に隠し事をしていますという態度が、気に掛かる。嫌な予感を感じつつ、リッツは逃げ腰のジョーの肩を掴んだ。
「どこに行ったんだ?」
「俺しらねーよ」
ジョーは目をそらしてすっとぼけた。だが確実に行き先を知っているのが丸わかりだ。
「ジョー!」
思わず詰問口調で尋ねると、ジョーは一瞬怯んだ。だが持ち前の強気でリッツの手を払いのけると、そのままリッツを真っ直ぐに見据えて答えた。
「師匠にはどこに行ったか教えるなって言われてるんだ。だから教えない」
「な……」
ことさら強調されて絶句していると、ジョーはとどめを刺してきた。
「昨日の夜中にアンナ泣いてたぞ。悔し泣きってやつ? そんで荷物をまとめてたんだ『リッツの馬鹿、大っ嫌い』っていいながらね」
「う……」
「何があったかしらねーけど、師匠、かなり嫌われたんじゃん?」
「……」
その後に続くアンナの行動は、ジョーに聞くまでもない。多分アンナはそのままベットに潜り込んで数時間の仮眠を取り、夜が明けたところで荷物を抱えて出ていったのだろう。
……そのメイドを募集しているという、どう考えても怪しい家に。
「しまったな……」
アンナの行動力を考えたら、昨夜アンナが食堂を飛び出した直後に、追いかけて謝るべきだった。どうもこうも調子が狂って、後手後手に回ってしまう。
さっさと配膳室へ戻ろうとしているジョーに、リッツは後ろから力無く声を掛けた。
「なぁジョー、アンナ相当怒ってたか?」
そのまま手近にあった椅子を引いて、リッツは座り込む。思いっきりショックを受けたリッツに多少同情したのか、ジョーは立ち止まって振り向いた。
「う~ん。俺にはさ、怒ってるよりも傷ついてるように見えたけど?」
「そうか……」
その方がリッツには堪える。
「どこに行ったのかだけ教えてくれないか? 絶対に押しかけたりはしない、約束する。駄目か?」
再度提案してみたが、ジョーは首を縦に振らなかった。
「だ~め。師匠にだけは教えないって、友達同士の約束だもんね」
「だよな……」
まったくもってどうしようもない。こうなったら待つしかないのだろうか?
だが待っていて本当に大丈夫なのだろうか? もしもそれが危険なことだったらどうする? どこに行ったか分からなければ、助けようがないではないか。確か、赤毛のメイドが数人行方不明になるといっていた。それを調査しに行くとか……。
だいたい若い女の子が行方不明になるなんて、危険な話に決まっているじゃないか。よくて監禁、悪くて殺されるか売られるかもしれない。
そうなったらいったいどうしろと言うんだ。なぜああして何も考えずに突っ込んでいけるんだ。
考えれば考えるほど苛立ちが募っていく。アンナへの苛立ちではない、自分への苛立ちと後悔だ。
だいたいにおいてアンナが首を突っ込む事は、大事になることが多い。今まではどこでどうしているか大抵分かっていたからよかったが、こうも何も分からない状態ではどうしようもない。
この焦りにも似た、どうしようもない感情をどうしてくれよう。
「ああああ!」
髪を掻きむしって唐突にそう叫んだリッツに、スクランブルエッグを運んできたジョーが驚いて飛び上がった。
「何だよ、驚くじゃんか!」
「悪い。ちょっと動揺してるな、俺は……」
ここで動揺していてもどうしようもないのだが、焦燥感を押さえることが出来ず、ため息が漏れる。詳しく話を聞いていれば、もう少し落ち着いて対処法を考えられるかもしれないが、全く何も知らないのではどうしようもない。
「せめてその事件の詳しい話が分かればなぁ……」
口をついて出たその言葉に驚いたのは、ジョーの方だった。
「え? 聞いてないの?」
スクランブルエッグを手にしたまま、ジョーは呆然とリッツを見つめた。
「聞く前に怒らせちまって……」
苦笑を浮かべて溜息をつくと、ジョーはスクランブルエッグをテーブルに置いて、呟いた。
「ちゃんと師匠に相談してくれっていったのに……」
「その間も無かったのかもな」
「でもアンナ、大丈夫だからって……」
「一人でも大丈夫だってことだろ」
「本当の事件の匂いがするのに?」
「アンナにとっちゃ、人助けするのにそんなこと関係ないさ」
リッツの言葉にようやく現状を理解したのか、しばしジョーは黙り込んだ。何事かを思案しているらしい。余計なことを言って口を閉ざされるわけにはいかないからじっと黙って待った。
しばらくしてジョーはおずおずとこちらを見上げた。
「……あのさ、もしも、もしもだよ、アンナがいるところを師匠に教えたら、友達を裏切ることになるかな?」
「そうなるだろうな」
アンナの居所を聞き出すためには『そんなことはない』と言いたいところだが、状況が状況とはいえ、アンナの友であり、唯一のリッツの弟子であるこの少女を誤魔化せない。
だがその言葉に、ジョーはかえって安心したようだった。
「そうだよな……じゃあ俺が師匠に話したら、アンナは俺を嫌いになるかな? もう友達じゃなくなるのかな?」
尋ねてきたジョーは、不安げだった。ジョーにとってアンナは大事な友人なのだ。だからこそアンナの安全と、友達との約束の間で揺れている。だがこの質問には、自信を持って答えることが出来る。
「それは絶対にない」
リッツが断言すると、ジョーは首を傾げた。
「何でそう言いきれるんだよ」
「相手がアンナだからだ。あいつはそんなことで友達を嫌いになったりしない。お前も分かってんだろう?」
「……うん」
ジョーは小さく頷いた。
「頼むジョー、アンナの居所と詳しい事件の話を聞かせてくれ。この通りだ」
リッツが深々と頭を下げると、ジョーは慌ててリッツの肩をつかんだ。
「やめてよ。師匠は俺の師匠なんだから、俺になんて頭を下げるなよ!」
「それじゃあ、話してくれるか?」
顔を上げてジョーを見ると、ジョーはすっかり観念した顔でリッツを見ていた。
「朝食が終わったら、全部話すよ。アニーの手伝いをしないといけないから」
そして朝食後、リッツはようやく事件の話を詳しく聞くことが出来た。
問題の家は、シンクレア・ラッセルという年老いた未亡人が、独りで住んでいる邸宅らしい。
独りで住んでいるといっても、正確には一人ではない。ジョーが情報提供者から見せて貰った、行方不明のメイドの手紙によると他に執事と甥、年配のメイド長、そして中年のメイドが一人いるらしい。家の規模から見れば、相当に少ない召使いの数だが、ラッセル夫人には夫も子供もいないため、十分にまかなえるのだという。
場所は王城にほど近いのだが、王城の正門からはかなり遠い位置で、一等地というには少々外れている場所だった。高々とそびえる王城の壁を近くに見ることは出来るが、中に入るには時間がかかるという、少々変わった立地にある家だ。
事の始まりは一年ほど前だったそうだ。この家からメイド募集の話が、何故かスラム街に持ち込まれたのだ。
メイドの条件は二つ。十代半ばから二十代前半であること。そして、長い赤毛であること。
その報酬は、当然の如く普通のメイドの給料よりも格段に高かった。高級住宅街からスラム街に募集がかかることは滅多に無いから、大勢の娘が飛びついたらしい。だが長い赤毛という条件に合う少女は少なく、決まったのは一人だけだったそうだ。
その少女が働き初めて一月後、再びメイド募集の広告がスラム街に持ち込まれた。条件はその前と全く同じだった。
「その最初にメイドになった子は、いまだに行方不明なんだって」
その後も幾人かの少女がその家へとメイドに上がり、そして誰一人として帰ってきてはいない。だが今までそれが公に事件として知られることがなかったのには、理由があった。
少女たちが消えた後も、家族の元に給金が送られてくるのだ。スラム街の人間は貧しい。だから給金が貰えるなら、娘は生きていると信じて公にはしたがらないのだそうだ。
「今日アンナが面接に行って採用されたら、俺が毎日その家の裏路地で、アンナの手紙を受け取ることになってるんだ。アンナが壁の内側から外に向かって投げてくれるからさ。もしこの手紙がなかったら、何かあったって事にして、師匠に報告しようって、二人で相談して決めてたんだ」
一通りの話が終わると、結構な時間が経っていた。いつの間に来たのか、フランツも椅子に座って話を聞いていた。
「……紅茶を飲むかい?」
事件の話については何も触れずに、フランツが立ち上がった。
「いいよ、俺が淹れる」
ジョーが慌てて立ち上がると、フランツはじっとジョーを見て言う。
「君の紅茶は飲めたもんじゃない」
そのまま振り返るでもなく調理場へ向かう。フランツの姿が見えなくなってから、ジョーが小声で呟いた。
「……悪かったね、お茶も淹れられなくて」
直接フランツに文句を言えるほど、フランツに慣れていないのだろう。確かにジョーのような性格は、フランツと一番合わないのかもしれない。
「つまり一月の間、アンナはその家にいるって事だな?」
紅茶を淹れて戻ってきたフランツが戻ってきたところで、リッツはジョーにそう尋ねる。
「ううん。色々調べてみて、分かったらすぐに帰ってくるって言ってた」
ジョーの言葉に、リッツは頭を抱えた。すぐに帰ってくるだと?
「どうやって帰ってくるんだ?」
「え? どうやって?」
「もしもその家に監禁されてて抜けられないとしたら、どうやってここまで帰ってくるんだ?」
「買い物の時とかにこっそりと……とか?」
あまりに楽天的なジョーの言葉は、リッツとフランツの顔を青ざめさせるのに十分であった。横を見ると、暖かいお茶を手にしているというのに、フランツの顔から血の気が引いている。
「……買い物に行かせて貰えるのか?」
「え?」
「家から出して貰えない仕事ばかりじゃないのか?その行方不明の女の子は、一度でも家に帰ってきたのか?」
「あ……」
ジョーはようやくアンナと自分の無計画さに気が付いたらしく、青ざめた。
「そうだよ、ジニーは一度も家に帰って来なかったって……ダンは言ってた……」
どうやらこの話を持ってきたのが、そのダンという人物らしい。
「それに、アンナがこっそりと色々調べられると、ジョーは思っているのか?」
「あ……」
ジョーも一気に青ざめる。ジョーはアンナが正しいことのためなら隠し事などせず、真っ直ぐ突っ込んでいってしまう性格なのを、出会った時に巻き込まれた事件で分かっていたのだ。どうやらそれを忘れていたらしい。
「じゃ事件を調べようとして、あっさり見つかる?」
声を顰めてフランツが呟く。
「俺はその可能性が限りなく高いと思うけどな」
痛いほどの静寂が三人の間に漂った。その静寂に絶えられず、声をあげたのはジョーだった。
「どうしよう師匠、アンナ逃げられないよ……」
最初の威勢はどこへやら、すっかり血の気が引いてしまったジョーは、オロオロとリッツとフランツを交互に見た。
まだ朝だというのに、三人にはすがすがしい朝の空気を楽しむ余裕が既にない。
「どうしよう……とんでもないことになっちゃった」
半泣きのジョーの頭に手を置いて、リッツは苦心の末になんとか笑顔を作った。
「ジョーのせいじゃない。大丈夫、俺が何とかする」
そもそもこうなった原因は、自分の至らない態度のせいなのだから。アンナに何かあったらと気が気ではないが、とりあえず居場所と状況が掴めただけで、対策の取りようはある。
「とにかくジョーは、アンナからの毎日の手紙をきちんと受け取ってくれ。それがなくなったらすぐに俺に教えるんだ。分かったな?」
「うん。それで大丈夫なの?」
不安そうなジョーに、リッツはことさら明るく、自信を持って見えるように答えた。
「任せろ」
みるみるジョーの顔が安堵に彩られていく。はったりもこう言う時には役に立つのだ。
とにかく、いつでもラッセル夫人邸に斬り込めるよう、仕度をしておかなければならない。いや本当なら今すぐにでもそうしたいところだ。
だがそうしてしまえば、人助けを考えているアンナに再び『私を信用してないんだ!』と言われることは間違いない。そうなるとなお一層問題がこじれてしまう。
正直なところ、リッツにはそれが辛いのだ。
リッツはジョーに見られないようため息をつき、気分とは裏腹に、よく晴れた明るい窓の外を見た。
いまの時点では、リッツに出来ることはただひとつ、女神様でも誰でもいいから、アンナを守っていてくれと祈ることだけだった。
だがリッツは知っているのだ。あのアンナ・マイヤースという少女が、潜入捜査などと言う隠密任務に向くわけなどないと言うことを。
リッツの頭を悩ませていることなどつゆ知らず、アンナは意外と快適なメイド生活を送っていた。
勝手に家を出てから、もう四日が経っている。あの朝メイドの面接に行くと、あっさり採用が決まり、アンナはそのままラッセル邸に雇われていた。
今はいつものように日課として雇い人のシンクレア・ラッセル夫人の部屋で、クッキーをお供に紅茶を飲みながらため息を付いていた。
アンナは約束通り毎朝、朝日が出る直前に庭に出て、裏路地に面した壁から外にジョー宛の手紙を投げている。ジョーから返事を貰うことは不可能だから、今外がどうなっているか、さっぱり分からない。
メイドとして契約した条件のひとつが、許可があるまで、決してこの家から外には出ないことであったから仕方ない。メイドというのだから、買い物くらいは行けるだろうという自分の考えは甘かった。
だがそれ以外にアンナに求められた仕事内容は、極端に少なかった。
ひとつは見るからに高価そうな、それでいて落ち着いたデザインの質素なドレスを着ること。そのドレスは、何種類もあってクローゼットに保管されている中から、好きに選んで着ることが出来る。アンナには少々大きかったが、見た目におかしい大きさでもなかった。
もう一つは髪を綺麗に結い上げ、ドレスとおそろいのレースで結ぶこと。髪の結い方は決まっていて、採用されたその日は、メイド長に一日その練習をさせられた。出来上がってみると、なかなか大人っぽくて自分でも満足できるものだった。
そしてもう一つは、この家の女主人シンクレア・ラッセル夫人を『お母様』と呼んで世話を焼くこと。
仕事はそれだけだ。ラッセル夫人は、足腰が弱っていて自力で歩くことが出来なかった。いつも揺り椅子に腰掛けていて、部屋から出て移動する時は、丈夫な樫の木で作られた車椅子に乗っている。
そして穏やかな笑顔を絶やさない老婦人は……記憶に少々の障害を持っていた。この老婦人の前ではアンナはシンシア・ラッセルという名前で過ごさなければならない。
メイド長の話だと、シンシアとはラッセル夫人の亡くなったお嬢さんだということだ。
アンナが顔を上げると、ラッセル夫人が嬉しそうに目を細めてアンナを見ていた。
「ねえシンシア、今日はお庭をお散歩しましょう。今の時分は、お庭のバラが綺麗よ」
彼女はアンナを、完全にシンシアだと思い込んでいる。この家のメイド募集とは、つまりこのラッセル夫人の娘になりきり、お世話をする仕事なのだ。
「はい、お母様」
アンナはメイド長に教えられたように、大人しく従順な娘を装っている。死んだ娘は、見事な赤毛だったそうだ。そして今着ている服も全て、亡くなった娘さんの物だ。ラッセル夫人が呼んだメイド長と二人で夫人を車いすに乗せて、庭に出る。海に近いこの王都シアーズの二月の風は、湿っていて冷たい。
「まあ寒いこと……。シンシア、あなたは寒くないかしら?」
「ええ、寒くはないわ。お母様は?」
「大丈夫よ、あなたがいるもの……。ほらシンシアバラが綺麗ね?」
「本当、綺麗ね」
庭はひどく荒れている。勿論バラなんてどこにもない。ラッセル夫人は自らの美しい記憶の中にだけ生きているのだ。それがアンナにはとても悲しかった。
あちこちに土が盛られ、小山が出来ている。近所の工事の土置き場に貸しているのだと、執事だという目つきの悪い男が言っていたが、この状況はあまりにひどい。
「お母様、お体に触るから戻りましょう?」
「ええ、あなたが言うならそうしましょう」
アンナは荒んだ庭から部屋に戻り、テラスのガラス扉を閉めた。冷たい風が遮断されて、暖炉で暖められた空気が柔らかく回りに漂い出した。
「さあお茶の続きをしましょう」
「はい」
アンナは夫人に促されて再び席に戻った。赤毛のメイドが消える事件を解明してみせると意気込んで乗り込んでみたものの、アンナは未だ何の手がかりも掴めずにいる。
このラッセル夫人のあまりにも可哀相な状況に、何も聞けずにいるという事もあるが、主な原因はただひとつ、何をどう調べていいのかさっぱり見当が付かないのだ。
だいたいにおいて自分は、潜入捜査なんてしたことがない。アルトマンに潜入捜査の話を色々聞いてその気になったが、聞くのと実際にやるのでは大違いだ。
自分には無理だったのかと落ち込みそうになる度、リッツの『思いつきでメイドをやろうなんて言い出したんなら、相手にも迷惑だ』という冷静で冷たい言葉を思い出して、くじけそうになる自らを奮い立たせている。
それにアンナから見てもこの家は、奇妙だった。ラッセル夫人という主人がいながら、執事とその甥が彼女に敬意を示す所を、アンナは一度も見たことがない。
メイド長は、仕方なく夫人の面倒を見ているという風だし、中年のメイドに至っては、夫人の面倒を見ることがつまらない、と言う態度を隠そうとしない。
それからアンナが眠りにつくと毎晩、ずっと何かを叩く音が聞こえている。それは遠くからのようにも近くからのようにも聞こえて、気になるところだ。地下から聞こえてくるようでもあるけど、この家に地下はない。
メイド長に聞くと、近所の工事の音だと言うが、それにしても近い気がする。
このあたりの話は、全て毎日ジョーへの手紙に書いている。もしかしたらジョーはこの手紙をリッツかフランツに見せただろうか? もし見せていたら、二人には何か分かっただろうか?
そう考えてアンナは、ふとおかしくなってしまった。ジョーが二人に見せるわけがない。ジョーはいまだにフランツが苦手だ。だからフランツに見せるわけがない。
そして自分はジョーに言ったのだ、リッツには絶対に言っちゃ駄目と。リッツにあんな態度を取られて、アンナはもの凄くショックだったのだ。それをリッツに分かって欲しかった。
……でもよく考えてみると、それもリッツに対する甘えなのではないだろうか?
考えると自分が嫌になるから、アンナはその考えを頭の中で遮断した。
それにしても、いなくなってしまったというメイドたちは、いったいどこに行ってしまったのだろう。アンナと同じ仕事をしていた彼女たちに一体何があったのだろうか?
この部屋にいる時以外は、アンナは常に誰かに見張られている気がしている。だから家を調べるなんて事はとても出来そうにない。
どうしたらいいのか分からずアンナは、車椅子のままお茶を飲んでいる、ラッセル夫人の正面に尋ねた。
「お母様、メイドさんがね、行方不明なんですって。何か知らない?」
返事を期待していたわけではない。ただ他に話し相手がいないから、アンナはそうラッセル夫人に言ってみただけだ。
「あら大変ね。どこのお宅?」
反応があった。思わず慌てて言葉をつなぐ。
「ええっと……この近所らしいわ」
「……それは若い子なの?」
「ええお母様。私と同じくらいですって」
アンナがそう答えると、夫人は手を伸ばし、アンナの頬に手を触れた。
「怖いわ。若い子が行方不明なのね? あなたも気を付けて頂戴シンシア」
「ええ、お母様」
「お願いよ、お願いよシンシア、いなくならないでね? 母様のそばにいてくれるわね?」
夫人は不安そうにアンナを見つめた。もしかしたら自分は、聞いてはいけないことを聞いてしまったのかもしれない。
「勿論よ。母様、少し休んではどうかしら?」
「ああ、シンシア、そうするわ」
アンナはラッセル夫人の車椅子を押し、ベットの隣に付けた。ベットは低く作ってあり、アンナが介助するだけで夫人は一人でベットに戻れる。
「お休みなさい、お母様」
「お休みなさい、シンシア」
アンナはラッセル夫人の部屋を出て、扉を閉めた。大きくため息が漏れる。これからどうしたらいいのか、さっぱり分からない。ため息と共に振り返ると、目の前に中年のメイドが立っていた。
「!」
音も気配も感じられなかったアンナは、思わず飛び上がる。そんなアンナを、彼女は黙って見据えている。その目に親しみはない。それどころか憎悪がやどっている。
「あんた、何もんだい?」
「……私……メイドになりたくて……」
「嘘を言うんじゃないよ!」
初めて向けられる憎悪の感情に、アンナは固まった。聞かれていたのだ、ラッセル夫人への質問が。
「本当に、メイドとしてきただけです。ただ、メイドが行方不明って噂を聞いて……」
何とか出てきたいいわけを、全く女は聞こうとしない。
「……けっ、そんなのは嘘だって事、とっくの昔に分かってんだ」
「嘘じゃないです!」
アンナは必死にそう言ったが、女の冷ややかな冷笑から逃れることは出来ない。
「いいや、嘘さ。あたしらはな、あんたを雇った時から、何かを企んでいやがるって分かっていたのさ。だからわざと雇って様子を見ていたんじゃないか」
血の気が引いた。最初から分かっていたなんて、考えもしなかった。どうしたらいいのか、どう言い訳したらこの状況を変えられるのか、さっぱり分からない。
そもそもアンナは、いいわけをしたり嘘を付くことが出来ないのだ。
アンナは覚悟を決めて女を見上げる。
「……どうして分かったの?」
緊張しすぎて渇いた喉から出た声は、思ったより掠れていた。そんなアンナの様子に、自分が優位なことを確信したのか、女がせせら笑う。
「スラム街にお前みたいに上品な女、いるはずないだろ?」
そんなこと……考えても見なかった。
「あんたが何を考えてここに来たのか分からないけど、あんたもう逃げられないよ? あたしの仲間が何人いると思ってる?」
逃げなければと本能的にそう思った。だけどどうすれば逃げられるのか、見当が付かない。水の球を使ってもいいが、敵の数が把握できないなら、その後どうすればいいのか。水の球は時間稼ぎになっても、この家から逃れるのに有効だとは思えない。
水竜を使うのも手だが、何も知らないラッセル夫人を巻き込んでしまう可能性がある。
逃げなければ殺される……でもどう逃げたらいいか分からない。何より一番の恐怖は……助けは絶対に来ないという事実だった。
敵の中にたった一人っきり……。
グルグルと混乱する頭の中で、アンナは初めて逃れられない恐怖というものに直面した。とにかく時間を稼がなければ……。
「私を殺すの?」
「……さあね」
憎々しげな顔で女はアンナを見下ろしている。
「……私を殺したら、大変なことになるよ」
思わず口からそんな言葉が出た。ふとジョーの言っていた、スラム街でのアンナの噂を思い出したのだ。確かアンナはスラム街で、憲兵隊の潜入捜査員で、凄腕の精霊使いという噂が立っているといっていた……。
アンナは心を落ち尽かせるべく、大きく息を吸った。落ち着け、落ち着けば何とかなるかも……。
「なんだい、大変な事って?」
「……私に何かあったら……憲兵隊第三課第一隊が動くよ」
思わずアルトマンの率いる小隊の名を出してしまった。
「何だって」
「特殊捜査部隊だよ。知ってるでしょう?」
アンナはそう言うと、てのひらを胸の前で合わせて、意識を集中した。口の中で小さく呟く。
「安らぎと癒しを司る水の精霊よ、私にご加護を……」
「なんだ、何者だあんたは!」
ゆっくりと手のひらを開くと、渦を巻くようにそこに水の球が生まれる。
「 精霊使い!」
恐怖で逃げ出そうとする女に向かって、アンナは水の球を投げつけた。女の絶叫と水の球が始める音が重なった。あの大きさなら、致命傷にはならない。仲間がいるなら、きっと助かる。
アンナは心の中でごめんなさいと謝りつつ、玄関に走った。女の悲鳴を聞きつけたのか、ぞろぞろと男たちが出てくる。その数、約十人。
いったいどこにいたというのだろう? 全く気が付かなかった。いくつかの水の球を投げて男たちを倒したが、所詮威力の弱い水の球、これではきりがない。
気が付くとアンナは、完全に追いつめられていた。目の前には、この家の執事だと名乗っていた男がいる。
「……憲兵隊の手先だったとはな……」
「……手先じゃないよ、仲間……だよ」
絶望的な事態に、アンナは男を睨みつける。これくらいしか抵抗の術がない。じりじりと下がろうとすると、後頭部に激しい衝撃を感じた。
一瞬にしてその衝撃は熱く、激しい痛みに変わっていく。
後ろから殴られたんだと気が付いた時には、床が目の前にあった。床にぶつかる衝撃がもろに体に伝わる。
それとは違う痛みが、背中に走った。踏みつけられたのだ。
「うっ……」
痛みに呻くと、次は蹴りが襲ってきた。容赦のない攻撃だ。避けようもなくアンナは体を堅くした。あの中年のメイドが視界の隅にちらりと映る。ずぶ濡れの女が、アンナを踏みつけ、蹴り飛ばしているのだ。殴ったのもこの女だろうか?
そんなことを考えたものの、体が動かない。しばらく続いたその暴力ののち、意識が徐々に遠のいて行く。そんなアンナを見下ろしながら、男たちが話していることが消えていく意識の中で聞こえる。
「その辺でやめとけ」
「でもあんた、あたしはひどい目にあわされたんだよ? 気が済まないね!」
「……大事な客人だからな。生かしておけばいざというとき役に立つかもしれん」
執事と呼ばれていた男は、さもおかしそうに倒れたアンナを見下ろして笑った。
「この女に手を出すことを禁じる。憲兵隊は仲間意識が強いからな。いざって時の人質だ。宝を持ってずらかるまで、牢につないどけ」
今の話が本当だと、しばらくは時間の余裕が出来た見たいだ。少なくても生きていれば、何とかなるだろう。連絡が取れなくなれば、おそらくジョーはリッツに相談するだろう。
こうなってしまっては、もうリッツとフランツが助けに来てくれることを祈るしかない。
徐々に遠のく意識の中でふと、旅に出る前にリッツに言った自分の一言を思い出していた。
『リッツさん、私、足手まといにならないから……』
私ってば、十分にリッツの足手まといになってるよ。心の中の呟きは、誰にも聞こえることはない。




