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呑気な冒険者たち  作者: さかもと希夢
底から始まる真実
81/224

<3>

 普通なら冬の長い夜をゆったりと過ごすはずの、夕食後の時間は、リッツのせいで慌ただしい時間へと無理矢理に変えられていた。

 アンナはいつも通りの光景と化した、書類の捲る音だけが聞こえる食堂に溜息をつく。

 リッツが久しぶりに帰ってきたあの日から、すでに四日が経過している。

 あの日のことは忘れられない。夕食の仕度をしていたアンナが気が付いた時、食堂の片隅には、高々と積み上げられた書類の小山が出来ていたのだ。一体何事かとジョーと顔を見合わせた所に、普段着に着替えて来たリッツが現れ、わざとらしくその書類を嫌そうに捲ったのだった。

 書類に驚いて見ていなかったけれど、約束のケーキも小山の上に積み重ねられていた。リッツには申し訳ないけれど、アンナは忘れずに買ってきてくれたケーキがとても嬉しくて、その後に起こるだろう書類の煩わしさを忘れてはしゃいでしまったものだった。

 夕食にお客を迎えた上、テーブルいっぱいのご馳走にケーキ付きで、その日の夕食はとても楽しかった。食後もアルトマンは、アンナとジョーを相手にリッツが麻薬組織の本拠地壊滅作戦で、どれだけの活躍をしたのかを、おもしろ可笑しく語ってくれたのだ。

 リッツ自身は、全くその話をしてくれていなかったから、とても新鮮で嬉しかった。それに整えられた口ひげが作り物のように綺麗で、お茶目で、親しみやすく小太りなアルトマンは、アンナたちを飽きさせなかった。

 アンナもジョーも初めてあったアルトマンがとても気に入り、来訪の約束を取り付けた。二人の中でアルトマンは「ヒゲのおじさま」とこっそり呼ばれている。

 だけどそんな楽しい夜はあっという間に過ぎ去り、翌日から夕食後はリッツとフランツにとっての地獄に変わった。

 地獄の名は「書類整理」という。

 地獄の日々が始まって四日も経つというのに、片付けた書類の数はまだ半分に満たない。流石に二週間半分の書類は半端な数ではないようだ。

 アンナは、すでに冷たくなってしまった紅茶に変わる新しい紅茶を淹れて、重苦しい沈黙に沈んでいる仲間二人の前に黙って並べた。

 時刻はもうすでに夜更け。アニーとエヴァンスはとっくに使用人用の家に戻り、ジョーは寝てしまっていた。

 一応仲間であるところのアンナだが、こんな時には無力だ。せめてものお手伝いと、毎晩こうして紅茶を二人に淹れることにしている。

 それに今夜は二人に相談したいことがあったのだ。とりあえず仕事が一区切りした頃を見計らってと思ったのだが、いまのいままで全く終わる様子がない。

 立ち上る暖かい湯気と、紅茶の香りに気が付いたリッツが、書類からため息を付きつつ顔を上げた。

「悪いなアンナ」

「ううん。進んだ?」

「進まん」

 リッツの目は虚ろだ。

「そっかぁ……」

 その顔から、本当にうんざりしてる事がよく分かった。リッツは常日頃から事務仕事が大嫌いだとこぼしているが、この状況を見るとよく分かる。

「さっぱり減らないんだよな、これがまた」

 アンナの淹れた紅茶を片手に、持ち込んだ大量の書類を投げやりな顔で捲るリッツの横で、フランツが肩を揉みながら顔を上げた。

「酷そうな肩こりだな、フランツ」

 からかい気味のリッツの言葉に、ペンを片手に隣に座っていたフランツがあきれ顔で視線を送る。

「誰のせいだよ」

 文句をいっているフランツの前にも、大量の書類が積まれている。

「……俺?」

「その通り」

「うん、リッツのせいだね」

 仲間二人から攻められて、リッツはがっくりと項垂れた。

「悪い」

「悪いと思うなら、ちゃんと見てくれ」

「……ああ」

 アンナは、手に届く書類を一束手に取った。そこには『王国軍特別士官学校設立に関する報告書』と書かれている。その下には『正規軍装備に関する意見書』なるものもある。

「わぁ……みんな長い書類だね……」

「長いんだ……」

 リッツがぼやきながら放り投げた書類の表紙には『年末の仕事納めパーティに関する軍部支出報告書』なる文字がある。こんな事まで書類にする軍部はすごいと感心してしまう。

「こんな書類、シャスタの奴がちょいちょいっと片付けておいてくれりゃあいいのによ」

 大きく伸びをした形のまま体勢を元にも戻さずリッツがぼやく。そんなリッツに冷たい目線を注ぎつつフランツが突き放す。

「宰相閣下は政務部。リッツは軍担当の大臣だ。ちゃんと処理して閣下に渡さないと仕事にならない」

「うっ……」

「ちゃんと仕事をしないリッツが悪い」

「……お前はシャスタの味方か?」

「僕は正論を言ってる」

 真っ直ぐに見据えるフランツの視線に、リッツはぐっと押し黙った。国王が何も言わないのをいいことに、自らの仕事をそっちのけにして好きなことをしていたらしいリッツの、完全な敗北だ。

 それにアンナのみるところ、リッツよりもフランツの方が格段に書類の処理速度が速い。リッツがのろのろと文句をいっている間に、フランツは素早く書類に目を通している。この状況ではリッツがフランツに逆らう事なんて出来るはずもない。

 書類整理を始めてたった数日で、フランツの手際は手慣れた専門家のように進歩している。性に合っていたらしい。

 今はいくらやっても要領を得ないリッツにあきれ果て、フランツなりに考えた効率的な方法に変えていた。書類の要点をまとめて読み上げ、大臣の許可をどうするかをリッツに決断をさせているのだ。

 書類の処理は遅いが決断の早いリッツなので、これなら処理は速い。そして手元に置かれたノートに、処理した書類の内容を細かく書き、一目見れば何がどうなったのかよく分かるようにしていた。

 リッツがひとつ書類を読んで、サインをする間に、フランツは少なくても三つ以上の書類を処理していた。フランツ曰く、意思決定は全部リッツに任せているから、事務処理だけしているだけで、遅くなりようがないということらしい。

 それでもその事務処理能力は、リッツに言わせるとすさまじい才能なんだそうだ。ちなみに彼らに言わせるとアンナにその才能はないらしい。二人の一致した意見だったが、アンナとしてはそれはちょっと不本意だ。

 知識が無いだけで教えてくれたら手伝える自信はある。だがフランツ曰く、理解するよりも処理する方の能力だそうで、いちいち内容を理解したいアンナには、これほど不向きなことは無いらしい。

 それからフランツは、元は字が汚かったのだが、幾つもリッツの代わりにサインを書き込むうちに、段々とリッツのサインをまねることが巧くなってきたそうだ。リッツの時はお手本のように綺麗だから、フランツもリッツの名前だけはとても綺麗に書くようになった。

『サインの偽造が上手くなっても意味が無い』などと、フランツは書類が一区切り付くとたまに愚痴を言うが、アンナからすればフランツは楽しそうだ。

 なにせアンナは、そんな二人の仲間に入れないことがもの凄く不満なのだ。仕事があるだけフランツが羨ましい。

 アンナも何か手伝いたいけれど、それは出来ない相談なのは判っている。きっと疑問・質問・困惑のオンパレードで二人に質問しまくり、書類処理の妨害してしまうこと間違いない。

 分かり切ったことだから、アンナも手伝いたいなどとは最初から口にはしなかった。

 そんな理由からアンナは、顔には出さなくとも、微妙につまらなかった。書類を片付ける二人を眺めて毎晩頬杖を付きつつこっそりため息を付く。

 これが疎外感って奴かなぁなどとぼんやりと考えてしまい、聖職にあるもの人を羨んではいけないと、養父の言葉を思い出して懺悔していた。

 でも何であんなに大変そうなフランツを羨んでいるのだろう? フランツに言ったら絶対に「じゃあ変わってくれ」というだろうに。

 たまに、ほんの少し、胸が痛む。自分が役に立っていないことにちょっと焦りみたいな物を感じるのだ。それは初めて感じる不思議な感情だった。

 暖かな湯気に我に返ったアンナは、ちゃっかりと自分用にも淹れてきた紅茶を口元に運ぶ。真剣に書類を片付けるフランツの横顔と、先程の書類を拾い直し、長身を丸めてため息混じりに紅茶をすすりながら書類を捲るという、少々おじさんっぽい仕草をするリッツの顔を眺めた。

 時折リッツは、とっても年を取った人に見える。中身はエドワードと同じ歳だというリッツの主張も嘘では無いのかもしれない。

 紙を捲る音と、暖炉の中で薪が弾ける音が小さく耳に付く中で、ひときわ大きく食堂の大きなネジ巻き時計が、コツコツと時を刻んでいく。突然の時計の音に顔を上げ時計を見ると、もはや時刻は深夜十二時を過ぎた。

 これでは今夜、話を聞いて貰うのは無理かもしれない。

 さてどうしよう。

 アンナはそう思いながら、二人に聞こえないように小さなため息を付いた。

 相談というのは、勿論この間出会ったダンの姉、ジニーのことだ。ジョーの調査の結果、あの噂は本当らしかった。その家にメイドとして上がった女の子は、今まで十人近い。その女の子たちは皆例外なく赤毛で、長い髪をしていたそうだ。

 その全員が家に戻ってこないし、連絡も取れていない。全員が行方不明なのだ。そして女の子と連絡が取れなくなって一ヶ月ほどすると、また同じ家から募集広告がでるという。

 そしてまた、その家からメイドの募集広告が出た。これはジョーが確認してきたから間違いない。募集のポスターが港湾部とスラム街に貼られたのは、今日の夕方。もし潜り込むなら、明日しかないかもしれない。

 急がないと他の女の子が決まってしまう。そうしたら調査に行けない。

 アンナはもう、自分がその家にメイドとして乗り込むことに決めていた。だけど勝手なことをすると、保護者であるリッツは怒るかもしれない。頭ごなしに反対する人では無いけど、一応の許可は取った方がいいだろう。

 書類から目を離さずに、髪を掻きむしるリッツの顔を、アンナはそっと盗み見た。いつものように生気がない。

 そういえばリッツとは城の崖で話した時以来、一度も一対一で話をしていない。忙しそうだから色々雑談する時間も無いのだろうと思っていたけど、そうではないのだろうか?

 アンナは一瞬不安になった。もしかしたら避けられてるのかもしれない。自分は何かリッツの気に障るようなことをしただろうか? あの時、余計なことを言ってリッツを傷つけたのだろうか?

 でもあの時はリッツは全く怒ってなかったようだったが。

 小さく頭を振って、心の不安を吹き払う。考えていても仕方ない。チャンスは明日一日なのだ。だったら今日、今この時にいうしかない。忙しい二人に迷惑はかけない、自分で何とかすればいい。

 決意して、冷めかけた紅茶を一気に飲み干した。

 そのままの勢いで立ち上がる。静かな食堂に、カップをテーブルに置く音と、椅子の動く音は思いの外大きく響く。驚いて二人が顔を上げた。

「どうしたアンナ?」

 書類を手にしたままのリッツと、ひっきりなしに動かしていた手を止めたフランツの視線を浴びて一瞬躊躇う。だがここで黙ってしまったら、姉を探す可哀相なダンはどうなってしまうのだろう。

 アンナは決心して堂々と宣言した。

「私……メイドになる!」

 思った以上に静まりかえっていた食堂に、自分の声が響いた。それと同時にリッツの手から、持っていた書類がばさりと音を立てて滑り落ちた。

「……へ?」

 間の抜けた声がリッツの口から漏れる。フランツの方を見ると、呆れ果てた顔をしている。

 しばらく三者三様に黙りこくったあと、思った以上に反応が大きかったことに慌てながら、アンナが二人に微笑みかけ、言葉を続けた。

「あのね、だから許可だけ貰おうかななんて……」

 説明しようとするアンナの肩に、慌てて椅子から立ち上がって近くに来たリッツが手を置いた。

「……小遣いが足りてないのか?」

 何か誤解されてしまったみたいだ。

「そういうわけじゃ……」

 再び説明しようとするアンナに、リッツがなおも真剣に尋ねる。

「何か欲しいもんがあるのか? あんまり高いもんだとあれだけど、もうすぐ給料日だしフランツに頼んで出してもらうのも手だと思うぞ」

「もう、違うよ!」

 おじさんくさいリッツの言葉に、アンナは頬を膨らませて抗議した。だがリッツは大まじめに言葉を続けた。

「じゃあ何なんだ? 説明しないと許可なんか出来ないぞ」

「そうだね」

 気が付くとフランツもペンを置き、じっとアンナを見ている。これは二人とも、完全にアンナの話を聞く体勢だ。せめて許可だけ取るはずだったのに、結局本来の予定通り話すことになってしまった。

「……紅茶、淹れてくるよ」

 肩を回しながらフランツが立ち上がった。

「私がやるよ」

「いい。ちょっと動きたい」

 フランツはそう言うと大きく伸びをしながら、配膳室へ消えていった。どうやら長丁場になりそうだと踏んでいるらしい。確かにアンナは説明が巧くないから、長くはなりそうだ。自分でもそう思う。

 それにフランツはお茶を淹れるのが結構上手い。師匠のオルフェさんが色々なお茶を買ってくるから、嫌でも巧くなったと聞いている。アンナの淹れた適当な紅茶よりも、本格的な自分のお茶の方が美味しいと思ったのもあるだろう。

 静まりかえった食堂に取り残されたアンナは、自分の席に戻って、黙ったまま書類を片付けるリッツの姿を見ていた。

「メイドなぁ……」

 全ての書類を、テーブルの後ろにあるローチェストの上に置くとリッツはそう呟いて振り返った。その表情から、何となくリッツには考えが読まれていそうな予感がする。

「……人助けだろう? 誰かに頼まれたんだな?」

 自分の席に着きながら、リッツは顔をあげることなくため息混じりに呟いた。

「すごい! どうして分かるの?」

 予想通りとはいえその答えに驚くと、冷めた紅茶を手にリッツは苦笑した。

「あのな、俺がお前の保護者になって何ヶ月経ってると思ってるんだ?」

 問われてアンナは指折り数えてみる。何ともう一緒に旅を始めてから半年近くが経過していた。

「わぁ半年だ……」

「そう、半年だ。半年の間に、大体お前の行動パターンは分かってる。唐突にそういうことを言い出す時は、大抵誰かが困ってる時だからな」

 言われて思い返せば、その通りだ。薬草が盗まれた時も自分から事件に首を突っ込んだし、ファルディナの決闘騒ぎは、元を正せばアンナがヒースを助けてやってくれとリッツにお願いしたからだ。

 迷宮に閉じこめられた時は、力を使い果たして死にかけたし……。

「えへへへ、確かにそうだね」

 照れて笑うと、アンナはいつも通りのリッツの冗談が返ってくるのを待った。

 だがリッツは今までのように冗談で返してこなかった。呆れた声で『お前なぁ……』とか『馬鹿いうな』という言葉も返ってこない。

 俯いたまま待つと、しばらくの沈黙の後、リッツがゆっくりと手を組み替えたのが見えた。

「確かにそうだ。だから俺としては、お前がメイドになるのは反対だ」

「……え?」

 冷静沈着な大人の口調で、リッツはアンナにそう言った。驚いて顔を上げると、リッツはニコリともしていなかった。

「あの、リッツ?」

 面白そうに、それでいて呆れたような顔で話の内容を聞いて、最後は仕方ないと笑って許可してくれる。そんないつものリッツを期待していたアンナは、戸惑った。

 今まで年齢など意識したことはなかったけど、あまりにも大人なその冷静で低い声に、リッツを初めて遠くに感じた。

「なぁアンナ、お前いっつも首を突っ込んでは危険な目にあってるよな?」

「……うん」

 それは否定できない。いつもなりふり構わず危険に飛び込んでしまうせいで、気が付くと後で手が震えるなんて事もたまにある。それは確かに自分でも反省している。

「今までは何とかなってきたけど、これからもそうだとは限らないだろう? だから多少はそれを考えて行動してもいいんじゃないのか? 思いつきでメイドをやろうなんて言い出したんなら、相手にも迷惑だ」

 言葉が返せずに黙ると、リッツはなおも諭すように話しかけてくる。その他人行儀なまでに保護者然とした態度に、アンナは猛然と腹が立ってきた。

 確かに自分はリッツの被保護者だ。養父もリッツにアンナを託したのだから、それは理解している。

 だけど仲間のはずだ。

 今までそうやってやって来たのに、突然こんな態度を取られたら、全く納得がいかない。

 もしかしたら、この間の事がとっても気に障っていて、まだ怒ってるんだろうか?

 だがそれにしてもこの態度は嫌だ。それに自分がやろうとしていることは、こんな風に、頭ごなしに反対されるような悪いことをではないはずだ。

「……ジョーの友達の女の子がメイドに上がった家で行方不明になってるの。その子でもう行方不明の子十人近いんだって」

 俯きながらアンナは、リッツに事件の内容を抑揚なく話し出した。

「アンナ?」

 戸惑ったようにかけられたリッツの声を無視しながら、アンナは話し続けた。

「その家からまた募集広告がでたの。募集するのは長い赤毛の女の子なんだって。だから私が行くことにしたの」

「だから、俺は反対だって……」

「分かってる」

 アンナは一言低くそう呟くと、静かに立ち上がった。

「アンナ? お前本当に分かって……」

「もういい! 私勝手にやるもん!」

 思わず怒鳴ってしまった。慌ててリッツが立ち上がる。

「待てよ、アンナ」

「やだ!」

「聞けって!」

 アンナの肩を慌てて掴んだリッツの腕を振り払い、アンナはリッツをキッと睨みつけた。

「私はリッツの娘じゃない。仲間だもん!」

「あ……」

 一瞬リッツは息を呑んだ。アンナが振り払った手が、所在なさげに握りしめられ、静かに降ろされた。

「だから反抗も出来るんだからね!」

 深いダークブラウンの瞳がアンナの目をじっと見つめる。後悔の色がありありと浮かんでいた。

「俺はそういうつもりじゃ……」

 困惑したようにリッツはそう呟くと、不意にアンナから視線をそらした。何故だか遠慮がちな、リッツのこの態度がまた腹立たしい。

「人助けをしてどうして悪いの? 頭ごなしに言われたって、聞かないんだから!」

 言ってて何だか涙が出てきた。自分はこの人に、まだまだ仲間として認められていないんだと思うと、堪らなく悔しい。

 あの時、心が通じ合ったって、思ったのに。

「人助けが悪いなんて、言ってないだろう!」

 アンナの目を見ずに、リッツがそう苛立った様に声を荒げた。

「言ったもん!」

「お前が勝手にそう思ってるだけだろうが! 俺の話をとにかく聞けって言ってるんだ!」

「嫌!」

 そんな時、視界の隅にフランツの姿が入ってきた。

「……いま何時だと思ってるんだ」

 冷ややかな言葉が、半ば怒鳴りあっていた二人に浴びせられる。いつもならこれで収まるのだが、アンナは涙を拳でぐいっと拭って、くるりと踵を返した。その勢いのまま扉のノブに手を掛ける。

「待てよアンナ!」

 急いでアンナに駆け寄ろうとする、リッツの気配を背中越しに感じた。だけどここは絶対に退けない。ここで引いたらきっとこのまま認めて貰えない。

 アンナは振り返り、遙か上にあるリッツの顔を睨みつけて怒鳴った。

「リッツなんて……大っ嫌い!」

 大音響で閉まったドアの向こうに、呆然と立ちつくすリッツの姿が見える気がしたが、今はもう振り返る気がしない。

 アンナは階段を駆け上った。明日に備えて仕度をしなければならないだろう。とにかく自分で決めたことを自分で実行するのだ。

 まだ準備の時間は十分にあるはずだった。



 一方食堂に取り残された二人は、呆然と閉じられた扉を見ていた。自分が悪いことが分かっているから、余計罪悪感でいっぱいだ。座り込んでため息を付く。

「大っ嫌いか……へこむなぁ……」

 久々に二人で話したとたんにこれでは、全く先が思いやられる。一体どうしたらいいものだろうか。ため息混じりでテーブルに突っ伏したリッツの前に、フランツが紅茶を置いた。

「珍しいね、アンナと言い合いになるなんて」

「だな……」

 どうアンナに接するべきか……。それが決まらないうちに、突然アンナが言い出した『メイドになる!』という言葉に、上手く自分の反応がついて行かなかった。

 保護者として、という気持ちばかりが突出しすぎて、かえってアンナを怒らせてしまったのだ。落ち着くとそれがよく分かる。

「本当に……驚いたよ」

 フランツは角砂糖を、無意識にカップに放り込みながらそう呟いた。顔には出さないが相当動揺しているらしく、その角砂糖はリッツが見ているだけでも五つ目だ。

 アンナとフランツ。この二人がリッツと出会った時期は十日しか違わない。だがフランツはアンナとリッツの間には、自分以上の何らかの親密度があると信じているのだ。

 確かに初めてフランツと出会った時、リッツとアンナはすでに一緒にいたし、旅路では話すことも辛いフランツを置いて、常に話していたのはアンナとリッツだ。そう思って当然だろう。

 だからこういう事態には、リッツ以上に、どう対処するべきか分からないようだ。

「難しいよな、保護者って言う立場は」

 リッツはテーブルから頭を上げずに、ぐりんと顔だけをフランツに向ける。フランツは黙ったまま紅茶に口を付け、眉をしかめた。砂糖の入れすぎに気が付いたらしい。

 何事もなかったかのように、アンナ用に出してきたカップに新しく紅茶を注ぎ自分の前に置いた。その間リッツは独り言のように愚痴を吐き出す。

「だいたい俺は、独り者だぞ。兄弟もいない一人っ子だ。親は変わりもんだしな……。しかも定職を持たずにブラブラしている傭兵だぞ。どうして保護者なんて大層なもんが務まるんだよ……。しかもアンナは女の子だぞ。俺にどうしろってんだ」

 黙ったまま、今度は角砂糖をひとつだけ入れたフランツが、紅茶を一口飲んで満足そうにする様子を、リッツは何を見るでもなく眺めていた。静かに時計だけが時を刻む中、フランツがようやく口を開いた。

「……僕はリッツを保護者だと思っていない」

 どうとっていいのやら分からないその言葉に、リッツは何も言えない。フランツの言葉は続く。

「確かに旅路だとリッツがいないと危険だし、僕ら二人は保護されるべき立場にいる。だけどあくまでもそれは危険から守って貰う、という意味の保護であると思う」

 へたに口を挟まない方がフランツは話しやすい。だからリッツは沈黙を守った。

「さっきリッツが言っていた保護者の立場と、僕らが考えている、リッツの保護者としての位置は多分違う。僕はリッツとアンナという二人組の仲間になったつもりだ。僕とアンナの二人をひとくくりにしてリッツの被保護者だと言っているのは、国王陛下、宰相閣下。それからそこに連なる大人たちだけだ。リッツはエドワードさんと一緒に王都に向かった時から、僕らを仲間ではなく被保護者だとしてきた気がする」

 それだけいうとフランツは再び黙った。時計の針を見ると、もう時刻は一時を過ぎている。リッツはのろのろと体を起こし、フランツの淹れた紅茶を手にした。

 言われてみればその通りかもしれない。だとしたら、先ほどアンナに対して取った態度は、アンナにとって、もの凄く腹立たしいものだったろう。

 少なくとも、奈落の底まで落ちきっていた精神状態を、手をさしのべて救ってくれたアンナに対して取る態度ではなかった。

 アンナは常に、リッツの仲間でいたのだ。なのにそれに対して保護者を意識するあまり、高圧的な程度を取ってしまった。まだまだ人間が出来ていない。

「駄目だな俺は、保護者どころか人間としても失格だな……」

 自嘲気味にそう言ったリッツに、ニコリともせずフランツは言った。

「そうだね」

 直球の嫌みが胸に突き刺さる。

「……お前、否定するとか慰めるとか、何かあるだろう?」

 再びテーブルに崩れ落ちると、フランツの痛いほどに冷ややかな視線が突き刺さる。

「生憎僕にそういう心遣いはない。それはアンナの役目だ」

「……そうだな」

 リッツの頭の中でアンナが『そんなことないよ、リッツ』とにこやかに笑いかける姿が、浮かんで消えた。

「俺は……駄目な奴だな」

 ため息混じりに頭を掻くリッツから目を離し、フランツが慣れた手つきでローチェストの上の書類を一束取った。

「そうだね。リッツが駄目人間なのは、この書類の山で重々分かっている」

「傷つくなぁ……」

 確かに否定のしようがない。この山を築いたのは他でもない自分だし、片付けきらなくて手伝ってくれているのは他ならぬフランツだ。

 結局三人でいると言うことは、保護者だとか被保護者だとか、そんなことの問題ではないのだ。

「もう寝る。これ以上落ち込んでも意味ねえし」

 リッツは立ち上がって扉に向かった。何とか自分の中で上手く事が処理できるよう、自身で何とかするしかない。

「リッツ、アンナに謝りなよ」

 背中にかけられたその声に、リッツは黙って頷いた。謝って、そして改めて話を聞こう。それしかない。自分が悪いのは自明の理だ。

 だけどどう切り出したものか……。

 黙ったまま扉を後ろ手に閉じて、リッツはため息を付いた。混乱したままでは、どうもこうもしようがない。全ては明日にしよう。

 だがリッツが謝るタイミングは、遠くに消えてしまっていた。それに気が付いたのは翌日になってからだった。

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