<16>
王城の乱と、麻薬組織の壊滅が行われてから二週間。ようやく城は、平静を取り戻していた。
麻薬組織壊滅作戦のその後のいきさつを、リッツはケニーからの報告で知った。王城で怪物となって死んでいった男たちの自宅を捜索したところ、大量の書類押収に成功したとのことだった。
ウォルター公爵の自宅からは、侯爵自身の日記が見つかり、麻薬の原料自体は謎のままだが、真相が一気に解明した。
その中で彼には本当に国を滅ぼすことが出来たのに、それをしなかったことが分かったという。
それは麻薬をスープに入れたことだ。もし井戸水に入れていたなら、兵士たち全てが怪物と化し、王城のみならず、シアーズの街まで破壊され尽くしただろう。
だが彼はそれをしなかった。ウォルター侯爵は、リチャード親王への忠誠心に支配されていたが、それ以上にこの国を愛していたのだ。
出来るだけ国を損なうことなく、王位を親王の子供たちにと考えたようだ。だがそれでさえ、自らのエゴであり、国民の求めざる所だと自覚していたという。
そして親王の子どもたちは、それを全く知らなかった。自分たちが親王の血を引いていることすら知らないでいた。
だから捜査した査察官たちも、彼らの血筋を彼ら自身に決して教えなかった。そしてそれはそのまま最高の国家機密となっていった。
見果てぬ夢……。
ウォルター公爵はそういった。彼はどんな気持ちで、怪物になっていったのだろうか。
事件の被害者であるレフは、現在憲兵隊の薬物更正施設で、麻薬の効果を完全に抜いているとのことだ。
無事に麻薬を体から追い出すことが出来たら、リッツが引き取って、しばらく面倒を見ることになっている。なにせ彼は光の一族をとても尊敬しているのだ。
全てが片付いた今、リッツは、破壊され尽くした近衛兵舎の補修工事をエドワードと二人で見ていた。
あの事件で最も被害を受けたのは近衛兵だった。まるで同士討ちのように、仲間が怪物化した仲間を倒すしかなかったその衝撃は、今もまだ近衛兵たちの中に深い傷となって残っている。
今こうしてエドワードとリッツがやってきたのも、表向きは補修工事の状況確認だが、実際は近衛兵の様子を見るためだったのだ。
事件直後、ここの惨状は、目を覆うばかりであった。床は血にまみれて黒く変色し、壁は血と焦げ跡で真っ黒にすすけていたのだ。
今は壁が塗り直され白く輝き、傷だらけの床には真新しい石が入ったため、新品同様である。
想像していた以上に、近衛兵たちも日常を取り戻しつつあり、事件は完全なる収束に向かいつつある。
工事責任者に今日までで全ての作業が終了することを確認したエドワードは、黙って頷いてから現場をあとにした。
一歩後ろを歩きながら、リッツは前を行くエドワードに話しかけた。
「これで全部終わりだと思うか?」
振り返ることをせずに、エドワードは頷いた。
「終わりだ」
「そうか……」
内戦から三十五年。最後の抵抗勢力が消えてしまった今、混乱が起きることは考えられない。
「長かったな」
エドワードが呟いた。その口調に混じる安堵を、リッツは感じ取った。
「ああ」
確かに長かっただろう、ここで時間を過ごしてきたエドワードには。
自分はこの国から出てしまったから、その長さが実感となって迫っては来ない。でもエドワードの後ろ姿に現れている確実な年齢の変化が、リッツに長い時間を思わせる。
あの事件以来、リッツは面倒な変装をしていない。ウォルター公爵が玉座の間で怪物化した時、あの場にいたことを利用して、国王の親衛隊長だという顔をして、エドワードについて回っているのである。
御陰で事務仕事をさぼることが出来て万々歳だ。
エドワードは黙って兵舎内を進んでいった。リッツは黙ったままその後に続いた。
本日の仕事はこれで終わりだと言っていたから、王宮に戻るのかと思ったが、そうではないらしい。
ここの作りをよく分かっていないリッツには、エドワードがどこへ向かっているのか、さっぱり分からないから、ついて行くしかない。
エドワードは迷わず細い廊下に入った。
「さあここだ」
指し示された先の壁と壁の間には、扉が付いていた。
「王宮への近道だ。グレイグたちはここを使って戦闘に巻き込まれたそうだ」
「へぇ、こんなところに扉がなぁ……」
戦闘から四日後に、ようやく動けるようになったリッツは、フランツと再会し、ここであった出来事を全部聞いた。
ラリアの館で起こった事件の時は、襲撃事件にあれほどの恐怖を覚えていたフランツが、今回は火竜で怪物と戦ったのに落ち着いていた。何かを乗り越えたフランツは、ひとつ強くなったような気がする。
共に旅をする者としては、これほど嬉しいことはない。
フランツはジェラルドに聞いて、麻薬組織の話も知っていた。色々なことに興味を持って情報を収集するとは、成長したものだ。
だがそれは、グレイグに寄るところも大きいだろう。気が合わなそうな二人だが、どことなく通じ合っているらしい。
エドワードとリッツとは違うだろうが、あの二人もいい関係を築けそうな気がする。
そしてもう一人の仲間アンナは、今までよりもどことなく大人びていた。初めて水竜で人の命を奪った、という事実を自分の責任として、きちんと抱えていた。
アンナとは、王城の外の崖で話してから、あまり顔を合わせていない。アンナはいま王城で、リッツとエドワード以上に大忙しなのだ。怪我人が多いから、治癒能力を持つ者はどこからも引っ張りだこだ。
それに何となく気恥ずかしくて、顔を合わせ辛かった。今まで彼女の養父に頼まれて面倒を見てきたつもりでいた。
なのに気が付けば全て見透かされて、最後にはアンナの腕に抱かれて甘えてしまった自分が、情けなくてしかたない。
だが御陰で落ち着いた。アンナには本当に感謝してもしきれない。
黙ったまま進むと、明るい場所に出た。
「あれ、ここは訓練場か?」
そこはジェラルドと一度来た、王家の訓練場だった。
「へぇ、ここに繋がってるんだ」
感心して呟くと、エドワードは壁際に掛けてあった一降りの剣を手にしてしばし動きを止めていたが、ようやく振り返ってリッツを見た。
「リッツ」
エドワードは手にしていた剣を、リッツに放った。
「何だよ」
リッツは剣を片手で受け取る。エドワードの突然の行動が理解できずに首をかしげると、エドワードは自分も剣を手にしているところだった。
「どうだ、久しぶりに」
その楽しげで明るい口調で分かった。剣を交えようと言うのだ。だがその行動の意味が分からない。
「いいけど、何でまた?」
問いかけると、エドワードは笑った。
「俺はこの先、あまり剣を手に取ることはないだろう。そうなると腕は落ちるだろうな」
「……そうだな。使わないと腕が落ちて当然だ」
なにしろもう敵はいないのだ。長かったエドワードの戦いも本日をもって終わるのだろう。
最もらしく頷くリッツに、エドワードは笑った。何がおかしいのかと思っていると、エドワードはリッツの手にある剣を指し示した。
「リッツ、その剣はお前のだぞ」
「え?」
手にしていた剣に目を落とすと、その剣は手入れはされているが確かに古びていた。よく見ると間違いなく、まだ戦い慣れない頃、手にしていた剣だった。
懐かしくその頃を思い出す。
森を出て、商人にだまし討ちをくらい、街道上に全身打撲状態で行き倒れていた自分を救ったのは、若かりし日のエドワードと、今はなきジェラルド・モーガンだった。パトリシアの父親だ。
そしてエドワードはその後、主張ははっきりしているくせに世間知らずなリッツを、友として連れ歩いた。立場故、友と呼べる者がいないエドワードにとっても、リッツは唯一の友だった。
二人の後ろを付いてきて、小言ばかり言っていた少年、エドワード乳兄弟シャスタ・セロシア。
そしてリッツとエドワードをまとめて叱り、気合いを入れてくれたパトリシア。
あの頃のことは、忘れようとしても忘れられないほど、鮮やかに記憶に焼き付いている。
「こんなもん、よくとっておいたな」
しみじみとそう呟くリッツに、エドワードは静かに答えた。
「とっておくさ。もう二度と会えないかもしれない、友の使った品だからな」
「……」
「顔を見せぬし、どこにいるかも分からん友を思い出す時、こんな物でもないよりましだろう。他には何も残していかなかった薄情者だからな」
何も言葉が出てこない。
「アンナと話をしたんだろう? 今のお前を見ていれば分かる」
エドワードが色々とアンナに話したことは、アンナとのやりとりで承知している。
「だからな、ようやくお前に言うことが出来る。今の落ち着いたお前にな」
エドワードは静かに微笑んだ。その笑みは何年経っても変わらぬ、親友としての笑みだった。
「時折でいいから、ここへ戻ってこい。ここはお前の居場所だ」
その言葉にアンナに言われた言葉が重なった。
『リッツが死んじゃったら、エドさんたちが悲しむでしょ? リッツは自分が苦しまなければ、大好きな人たちに苦しみを与えてもいいの? それって卑怯だよ!』
そうだ、その通りだ。自分は卑怯だった。時間の違いを実感したくないから、逃げ回っていた。
三十五年だ。三十五年も……。
だけどそれは、先に逝く仲間たちの想いから、逃げ回ることに等しかったのだ。死にゆく仲間は、リッツをどんな思いで待っていてくれたのだろう。
こんなに卑怯で弱いリッツを。
「エド……俺……」
「あの頃の想い出が必要なのは、お前だけじゃない。ここはお前の場所でもあるんだ」
「……ああ、そうだったんだよな」
気が付かなかった……いや気が付かないふりをしていた。長いことずっと。
黙って自分の剣を眺めたままのリッツに向かって、エドワードは手にしていた剣を抜いた。
「俺の腕が落ちる前に、お相手願えるかな?」
「……おう!」
大剣を扱う身になった自分には軽すぎるその剣を、リッツは構えた。剣は手になじみ、若かったあの頃の感覚が蘇ってくる。
顔を上げるとエドワードが、若かりし日のエドワードの姿と重なった。
「どうした?」
「いや。何でもない」
全てを覚えていよう。アンナが半分持ってくれるなら、今感じる全ての想い出を持ちきれそうだ。
「そうだ」
唐突にエドワードは何かを思いついて、口を開いた。
「何だよ?」
剣を構えたままエドワードを見る。エドワードは半ばからかうような笑みを浮かべてこちらを見た。
「惚れたんじゃないのか?」
「……? 誰に?」
本当に分からずにエドワードを見返すと、エドワードは楽しげな笑みを浮かべた。
「手を出すなよ。将来美人になるが、いかんせんまだ若いからな」
言われた瞬間に、それが誰を差しているのか理解した。アンナだ。
「ば、馬鹿野郎! 出すか!」
丁度アンナのことを考えていたリッツは、痛いところをつかれて思わず叫んだ。
「冗談だ。そんなに赤くなるな、本気だと思うだろう?」
「ぐっ……」
誘導尋問に引っかかった気分だ。こうなったら仕返しは剣でするしかない。笑みを浮かべたままのエドワードに向かって、リッツは言った。
「いくぞ、エド」
「こい」
こうして時間が流れていく。あの頃から今まで途切れることなく。そしてそれはリッツが生きている限り、自分の中でずっと未来へと繋がっていくのだ。
月光桜の誘惑<了>




