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呑気な冒険者たち  作者: さかもと希夢
月光桜の誘惑
77/224

<15>

 怪物騒ぎから四日が過ぎた日の早朝、アンナは、王宮のすぐ外にある草地を目指して歩いていた。静まりかえった王城に響くのはアンナの足音ばかりだ。

 冷たい空気にかじかんだ手に、暖かく息を吹き付けて、こすり合わせる。何もしないよりは少し暖かいけれど、こんなことでは冷え切った手は温まってくれない。

 ほんのりと明るくなりつつあるが外は暗い。まだ日の出まで少し時間があるだろう。薄暗がりの中でアンナは小さく身震いした。夜が明ける前が、一日で一番寒い時間だ。

 王城の片隅にある、途切れた壁からそっと表に出ると、そこは城の外だった。後ろを振り返ると、巨大な王城が、黒々とそびえ立っているけれど、前方には雑草が被い茂る草地と、空しか見えなかった。

 そこは崖の上にあって、海からは来ることが出来ず、王宮のある出口からしか外には出られない、ちょっとした秘密の広場になっているのだ。その出口は、エドワードやリッツ、シャスタとパトリシア以外、知る人はいない。

 王城での仕事に疲れたとき、こっそり休みに来るには丁度いい場所だとエドワードが話してくれた。

 アンナは再び吐息を自分の手に吹きかけてこすり合わせた。そうすることで不安を少しでも払拭したかったのだ。

 時折かいま見えるリッツの苦悩のこと、そして自分自身に重なる、そのリッツの悩みのこと……。じわじわとそれらはアンナの中に、澱のように降り積もっていた。

 でもアンナは、それをどうしたらいいのか分からない。リッツは仲間であるはずのアンナに何も話してくれないし、フランツにも何も言わない。ただただ自分の中に閉じ込め、平気な顔で笑ってみせる。

 それはアンナの中で小さな悲しみに変わっていった。アンナはリッツを信頼している。リッツにも呆れられるぐらい、リッツの言うことを鵜呑みにしてしまっている。

 だけどアンナにだって、リッツの苦悩を感じることは出来る。それに笑顔が心からの笑顔でないことだって、ちゃんと分かっている。

 気にするなと言われても、一人で酒をあおっていたときのあの暗い目を気にせずになんていられない。リッツはアンナが、そんな風に思っていることにすら気がついてくれていないだろう。

 リッツの中で今、心を許せるのは親友のエドワードだけなのだと思う。

 アンナは子供で、半人前で、世間知らずで、お節介だ。精霊魔法だって中途半端だし、お世辞にもリッツにとって役に立つ仲間ではないだろう。

 でもアンナはリッツが大好きだ。大切な仲間だと思っている。だからこそ知りたかったし、リッツの力になりたかった。

 行き場のない堂々巡りの苦しさを抱えてしまったアンナは昨夜、リッツの見舞いにやってきたエドワードを捕まえて、抱えてきた悩みを打ち明けた。

 アンナの考えに最初は驚いていたエドワードだったのだが、やがて穏やかに微笑んでアンナにリッツという一人の男について話してくれた。

 リッツが抱えているものは孤独だった。

 それも千年の孤独……。

 親友を失い、自ら帰る場所を失い、それでも何百年と続く、どこへも行けない孤独。その為に自らの命を軽く捕らえ、死に急ごうとする。

 何百年生きるのも、今死ぬのも、大事なものを全て失って生きていくことに変わりはない。だったら今、死んでしまった方が幸せでは無かろうか。

 リッツはそう捕らえているのだとエドワードは寂しげに笑った。

 もしかしたらエドワードもアンナと同じように、どうしようもない心のもやもやを抱えているのかも知れない。

 エドワードだって、大好きな親友を笑顔に出来ないことは、やっぱり悲しいだろう。エドワードとアンナではものすごく年が離れているし、立場が違いすぎるけれど、でも人ならみんなそうだと思う。

 それからエドワードはここ数ヶ月のリッツの言動のことも話してくれた。

 ジェラルドのために死んでやる、と自らを省みない発言をしたこと、麻薬を摂取して自分の命を縮めてまで王城に来たこと……などなどだ。

 アンナはそれを聞いて分かってしまった。

 リッツは確か、意識を失う寸前に笑ったのだ。見間違いかと思ったけれど、やっぱりそうだった。リッツはとっても満足げに笑っていたのだ。

 そう。リッツのあの笑みは、今死ぬことが出来る満足の笑みだったのだ。

 それは消極的ではあるが、自殺と同じではないのか? リッツは自分の命を、どうでもいいものだと捉えている。

 でもそんなのは悲しすぎる。

 だってアンナはリッツがいないと寂しいし、一緒にくだらない話をしている時のリッツも、フランツをからかっているときのリッツも、食い意地が張っているリッツも、エドワードと喧嘩している時のリッツも大好きだ。

 フランツもきっとリッツを信頼している。無表情で、色々と愛想がないし、意外と皮肉屋のフランツだけれど、そんなことぐらいアンナだって分かる。

 でもリッツは分かってくれないのだろうか。

 そして思い出してもくれないのだろうか。

 アンナも、リッツと同じ悩みを抱えることになるかも知れないと。

 海風が巻き上げるように崖を駆け上がり、アンナの髪を揺らす。アンナは両腕で風を避けた。冷たい風は頬を切るようだ。

 自らを庇った腕をゆっくりと下ろすと、ゆっくりと坂道を上っていく。上がりきったところが少し広い空間になっているのだろう。

 広い草地に出ると、目の前にほんのりと薄明るい、夜明け前の青い水平線と、寒さに耐えるために堅く葉を茂らせた、緑のコントラストが広がった。

 綺麗だ。

 寒くて冷たく澄み切ったそこは、何にも侵されることのない清浄な空間に見えた。綺麗で澄んでいるけれど、でも何だか生き物の気配がしなくて、少し寂しい。

 その冷たく澄んだ景色の中に、リッツがいた。

 仰向けに寝転んでいるリッツの顔はこちらからは見えない。だが少し長めの黒髪は、海風に揺れている。

 暗い空を見ているんだろうか。それとも潮騒に耳を傾けているんだろうか。

 アンナは小さく吐息を漏らした。旅の途中でも、時折リッツはこうして一人になることがあった。夜中に目が醒めてしまった時、ぼんやりと炎を見つめているリッツの目は、何も見ていないみたいに空虚だった。

 旅路ではずっと、それは眠いからだろうとか、疲れているんだろうと思っていたけれど、エドワードに孤独の闇を聞いてしまった今、あの姿が孤独を押し殺していたように感じてしまう。

 いつも明るくて陽気で楽しかったリッツをずっと見てきたから、それが余計悲しい。

 目の前のリッツに向かってアンナはゆっくりと歩き出す。昨日まで意識がなかったというのに、今朝になって動けるようになると、リッツはどこかに消えてしまった。

 慌てたアンナが頼ったのは、やはりエドワードの元だった。焦るアンナに、エドワードはリッツのいるであろう場所を教えてくれたのだ。

 その時に、エドワードがアンナに言った言葉が引っかかった。

 エドワードはアンナに『もしリッツを孤独から救えるとしたら、それは君かもしれない』と言ったのだ。

 でもリッツに相手にされていない上、世話が焼ける面倒な子供だと思われているアンナにリッツを孤独からすくい上げることなんて出来ないだろう。

 でも、それでもリッツと話をしたかった。おそらくリッツの悩みを今この城の中で一番理解できるのは、アンナだろう。

 だってアンナは……リッツと同じように、先が見えない孤独の未来を生きるかも知れないから。

「リッツ」

 寝転んだままのリッツに声を掛けると、リッツはのろのろと気怠げに体を起こした。目が合い、そこにいるのがアンナだと気がついた瞬間に、リッツは表情をがらりと変えた。いつもの旅路のリッツに切り替わったのだ。

「なんだ、アンナか」

 肩をすくめて苦笑しながら、リッツが肩にかけていた防寒具を直す。あの事件からまだ家に帰れていないから、リッツは例の軍服の上に防寒具を羽織った状態だ。

 さすがに病室の寝間着を着ているわけに行かなかったのだろう。だらしないながらも着込んだ軍服の下は、まだ完治とは言い難い状態であることを、アンナは知っている。

 胸は包帯でグルグルと巻かれて固定されているし、体中を被う大小様々な怪我は、ほとんど手つかずだ。命を救うことを優先させたから、怪我は意識が戻るまで手を付けていなかったのだ。

「どうしたんだ? こんなところに」

 リッツはいつもの陽気な笑顔で、アンナに笑いかけてくる。まだ動いていい状態じゃないのに、無理している。笑うのだって苦しいだろうに。

「探してたんだよ。まだ駄目だよ、全然治ってないんだから」

 リッツの隣に静かに座り、冷たい下草を感じながらも真っ直ぐにその目を見つめて告げる。

 本当にリッツが心配なのだ。でもリッツは、まるで何も無かったかのように、いつもの超然とした笑顔で答える。

「悪い悪い。ちょっとしたら帰るから、先行っててくれ」

「だけど……」

「ここは寒いぞ。お前に風邪を引かせたら、パティにどやされちまう」

 笑顔なのに。いつもの陽気な笑顔なのに、でもリッツは完全にアンナがこの場にいることを拒絶していた。

 まだ本調子じゃないからだろうか。リッツの心の中が微かに透けて見える。

 アンナが邪魔なのだ。もう放っておいてくれと、いなくなってくれと感じているのだ。

 だったらそう言ってくれればいいのに。こうやって、心の奥底に隠すこと無いのに。

「どうして……正直じゃないかなぁ……」

 思わずポツリとつぶやく。潮騒が邪魔をしてアンナの声をかき消したのか、リッツは笑みを浮かべている。

「どうした?」

 そのいつもの陽気な態度に、アンナはやりきれない思いと、怒りを感じた。仲間として信頼されない悲しみが、怒りとなってこみ上げてきた。

 無理して、嘘ばっかりついて、それで勝手に死んでいこうとするなんて間違っている。

 リッツの心には誰の言葉も届かないのだろうか。閉じられた心に、どうすればアンナの心が届くんだろう。

「リッツはいつもそうだね」

「は?」

「いつもいつもそうやって誤魔化して、私やみんなに笑いながら心を閉ざしているんだね」

「アンナ?」

 リッツが困った声を出した。完璧なまでに、保護者として、アンナのことを考えて笑みを浮かべながら困惑していた。

 その態度に悲しみと怒りがあふれ出してしまう。

「……そうやってリッツはずっと生きてくの?」

「なんだなんだ? 何かあったのか?」

 怒りに震えるアンナに、戸惑ったようにリッツは笑顔から真顔に戻る。

「お前こそどうしたアンナ。お前らしくないぞ」

「私らしくない……?」

「ああ。何かあったのか? 良ければ聞くぞ」

 気がかりそうにリッツがアンナを見つめた。

 リッツは気がついているのだろうか。その心配はアントンからアンナを頼まれたという義務感から出てくるもので、本当にアンナを思って気に掛けているのではないと。

 今のリッツは、死ねなかった後悔と孤独に支配されているのだと。

「私らしいよ。十分私らしいよ!」

「アンナ?」

「私はいつも私らしいよ! でもリッツは違う。リッツ、今心から笑って無い。私が煩わしいから、笑って追い払おうとしてる」

 目を見つめてきっぱりとそう言うと、リッツは微かに視線を揺らした。だが一瞬で肩をすくめて、いつものように笑って見せた。

「そんな気はねえさ。風邪を引かせるのはどうかと思ったんだ」

「うそ。そうやっていっつもみんな誤魔化して、それでリッツはいいの?」

「どうしたんだよ?」

 戸惑ったようにリッツが眉を寄せる。そんなことで誤魔化されたりしない。微かに見える本当のリッツと話がしたい。

「リッツは、仲間や大事な人を置いて、勝手に死んでいくの? それで平気なの?」

 アンナの真摯な問いかけに、リッツは小さく舌打ちした。

「エドか?」

「うん」

「余計なことを……」

 ボソッとリッツが呟いた。そんな態度に、益々怒りがこみ上げてくる。

 アンナは確かにリッツの被保護者だ。養父が頼んだのだから間違いない。だけどリッツは旅に出た日に言ってくれたはずだ。これからは仲間だと。

 なのにリッツにとって今は、アンナもフランツも面倒な被保護者になってしまっている。リッツの仲間は、今、エドワードやパトリシアだ。

 それが悔しい。

「エドさんに色々聞いたよ。でもそれはリッツを探ろうとしたんじゃない。それは私にとって必要だったの。エドワードさんが告げ口したとか、そういう事じゃないんだから」

「アンナ、何が言いたいんだ?」

 益々困惑してリッツが頭を掻いた。まだどこかで誤魔化しようがあると思っているのだろう。余裕ある態度でそれが分かる。

 だけど今日は誤魔化されない。

「リッツ、がっかりしてるんでしょう?」

「……何を?」

「私と軍医長が、リッツを助けた事を」

 一瞬リッツは言葉を失い、すぐに笑顔に戻った。

「はぁ? 何言ってんだよ、お前は。俺は感謝してるぞ。さすがは水の精霊使いだな」

 リッツはいつもの笑顔のまま、アンナを見つめた。大きな手のひらが、いつものようにポンと頭の上に乗る。

 もしこのままアンナが笑顔に戻り、いつものように『えへへ。そうでしょう? 助かってよかったねリッツ』といえば、今まで通りだ。

 今まで通り、アンナはリッツの被保護者で、本当のことを何も話して貰えない、遠い他人のままいることになる。

 でももう嫌だ。ちゃんとリッツの本当の気持ちに踏み込みたい。本当の仲間になりたい。

「リッツは嘘つきだよ。ずっとずっとずっと、私に嘘付いてる」

「お前、どうした? 今日はやけに絡むじゃねえか。腹減ってんのか? 朝食まで間があるから、俺の食料分けてやろうか?」

 またいつもの軽い冗談だ。あくまでもリッツはこの状態で、エドワードの話を聞いてしまったアンナを誤魔化しきる気だ。

 アンナは唇を噛んだ。いつもの全く動じないリッツの仮面を、どうしたら壊せるのか分からない。分からないから、悲しみが苛立ちに変わる。感情の方が先に立ってしまう。

「私は絶対に許さないから」

「だから何だよ、一体」

 ため息混じりにリッツは頭を掻いた。その目をじっと見つめ返す。今まで見つめた事なんてあまりなかったそのダークブラウンの瞳を、アンナはじっと見据えた。

 リッツはそんなアンナから目を逸らそうとする。でももうアンナは、リッツが逃げる事を許したくなかった。無理矢理にリッツの顔を両手で挟んでぎゅっと自分に向ける。

「リッツはあの時、死のうとしてた。私が見たとき、リッツは、すごく幸せそうだったもん。自分が死ぬのを分かっているのに」

「……おいおい。アンナ?」

 明るい口調で返してきたリッツだったが、リッツの瞳が徐々に明るさを失っていくのが分かった。怖かったけれど、このままアンナが口をつぐめば、終わってしまう気がした。

 アンナの中の大切な、リッツとの関係が。

「死ねて、嬉しかったんでしょう? 満足だったんでしょう?」

 海からの風が、黙り込む二人の頬を冷たく撫でた。朝の風は、冴え冴えとして心地よく、いつもなら大好きな感覚だった。でも今はただただ風が身を切るように冷たく感じる。

「エドさんたちが死んでしまって、孤独に陥るのなら、いっそ死にたいって思ってたんだよね。でもそんなのって、卑怯だよ!」

 無言でリッツは頬を挟むアンナの手をほどき、顔を背ける。そんなリッツに、アンナは感情的に言葉を叩きつけた。

「そんなのって狡すぎるよ! リッツが死んじゃったら、エドさんたちが悲しむでしょ? リッツは自分が苦しまなければ、大好きな人たちに苦しみを与えてもいいの? それって卑怯だよ!」

 リッツは小さく息をついた。きっとアンナをどう言って追い払おうかまだ考えているのかも知れない。でもそんな暇を与えるもんか。

「そうじゃないの!? 答えてよリッツ!」

 じっと見つめてリッツの言葉を待つ。しばらくするとリッツが小さく諦めに似た吐息をついた。

「……で、お前はエドたちの悲しみが放っておけないから、俺に構うわけか?」

 投げやりな口調だった。傭兵だった頃の自分を演じていたリッツのように、言葉に暖かさや柔らかみを感じられない。

「お前の得意なお節介がまた始まったな」

「お節介なんかじゃ……」

「お節介じゃなければ、何なんだ?」

「え……?」

 リッツの冷たく見下すような瞳に見据えられて、アンナは動くことが出来ない。

「エドと俺の問題は、俺たちのもんだ。俺の命がいつ終わろうと、俺の勝手だ。俺が生きたけりゃ生きるし、死にたきゃ死ぬ。お前のお節介が入り込む余地はねえ」

 そう言い放ったリッツは、隣に座るアンナに顔を寄せた。間近で見つめてきたリッツの瞳は、凍り付いたように冷たい。

 息をのむアンナの目と鼻の先で、リッツは静かに、アンナに決別に近い言葉を投げかけた。

「エドに何を聞いたかしらねえが、俺の人生に、お前のお節介を押しつけてくるな。てめえの快不快のためだけに俺の生死に深入りされるのはごめんだ」

 そういうとリッツはわずかに体を引いて、アンナの鼻を軽く弾いた。

「俺はお前のお節介を満たしてやるつもりはねえ」

 冷たく言い放ったリッツは、元のようにアンナから顔を背けた。視線の先にはまだ太陽が沈んだままの水平線がある。

 アンナは拳を握りしめた。リッツはアンナを仲間だと言ったじゃないか。エドワードやシャスタやパトリシアも昔の仲間だと言った。

 なのに昔の仲間は大切な存在で、アンナはお節介な他人でしかないのか。

「リッツ……」

「さ、帰れ。夜が明けてもお前がいないとなりゃ、軍医長が心配する。俺のことは放っておけ」

「だけど……」

「今のことは忘れろ。朝飯の時はいつもの俺だから」

 リッツはやはり全てを無かったことにしようとしている。自分を誤魔化そうとしている。そう思うと腹が立った。

「放っておかない! リッツが嫌でも、私は離れないよ!」

 宣言すると、リッツが舌打ちした。またリッツが冷たい言葉が流れ出たって、絶対にアンナは諦めたくない。

 お節介だというならお節介でもいい。大好きなリッツの言葉が聞きたい。本当に笑顔になれるように、分かり合いたい。

「私はリッツの仲間だからね!」

「分かってるさ」

「分かってない! 私はリッツの仲間だよ! リッツの苦しみを、私なら理解できる!」

 リッツを見据えて断言すると、リッツはぼそりと呟いた。

「……お前に分かるかよ……」

 ゆっくりと振り向くリッツには、陽気さで取り繕っている、いつもの明るさはない。あの一人で酒を飲んでいた時の目と同じ、どこまでも深いダークブラウンの瞳の底に、暗闇が横たわっている。

「お前に分かってたまるか。城に帰れ」

 吐き捨てるようにそういった言葉に、アンナは一瞬怯んだ。だがここでやめたら元も子もない。

「分かるよ」

「仲間だからか? 知った口を聞くな。俺の想いなんて、お前みたいな幸福なお節介焼きに分かるわけなんてねえんだ」

「分かるよ! 何にも分からないのは、リッツだよ!」

 冷静にと思っていたのに、つい口調が荒くなってしまった。

「一体何が分かるんだ? ガキのてめえに」

 リッツがこちらを見据えた。恐怖よりも苛立ちが募る。リッツに伝えたいのに、伝わらなくてもどかしい。

「リッツは精霊族だよね、寿命は千年って決まってる」

「それが何だ?」

「お父さんもお母さんも森にいて、最終的にそこへ帰ることが出来るでしょう?」

「へぇ。一生を同じ寿命を持つ親と息を潜めて森で暮らせっていうのか? それが孤独を抱えないことだとでもいうのか? 息を潜めていれば、俺の孤独は癒えるのか?」

「違うよ!」

「じゃあ何だ? 何がいいてえんだ?」

 冷たい瞳のまま自分を見据えるリッツは、正直に言えばちょっと怖い。少しだけリッツに睨まれる敵の気分が分かった。

 だけど自分は敵ではない、仲間のはずだ。だからもっと踏み込みたい。理解し合いたい。

 だってアンナは、きっとリッツと分かり合えると思うから。その思いが自分を後押しした。

「リッツにさっきの言葉をそのまま返すよ。リッツみたいな幸福な自分勝手に、私の事なんて分からない!」

 真っ直ぐに力を込めてリッツをにらみ返す。

「孤独になる? 一人になるから死ぬ? 大切な人の事なんて考えないで自分勝手で、甘えてるよね」

「お前っ!」

「馬鹿みたい! リッツの方こそ幸福で自分勝手で、甘えてる! なのにそれに気がつかずに人を責めてる。私が子供? 冗談じゃないよ! リッツの方がよっぽど子供だよ!」

「……なんだと? もう一度言ってみろ」

 初めてリッツに剥き出しの感情をぶつけられた。だけどもう止まらない。

「自分の幸福をふり向きもしないで、死ぬ死ぬって騒いで、そんなの甘えてるって言ったの!」

「ふざけるな!」

 声を荒げたリッツに、アンナは叫んだ。

「リッツが抱えてるその孤独は、リッツだけのものじゃないでしょう!」

「何?」

「それは私の孤独なの! リッツばっかりが可哀想な顔しないで!」

 リッツは思いもかけないことを聞いたというように、眉を顰めた。アンナは大きく息を吐いた。

「私には本当の親がいない。あと数十年で人間のお養父さんも死んじゃうの! 一人になるの!」

「……」

 泣きそうだ。泣きそうで、それで言葉が止まらない。

「リッツは自分の寿命がとれぐらいか知ってる。帰る場所もある。でも私は自分がなんなのか知らないもん。もしかしたらこのまま、人間の二分の一の速度で年をとっていくかもしれないし……」

 アンナは俯いた。

「途中で全く年をとらなくなるかもしれない。私は自分の種族が何なのか、それを知らないの! いつ死ぬかも、どれだけ生きられるのかも、私は知らない!」

 言いながら気が付いた。気が付かないうちに自分の奥底に沈んでいた孤独と、正体の分からぬ恐怖に。

「お養父さんが死に、フランツやエドさんが死んで、ジョーが死んで、友達も仲間も……リッツも死んじゃって、それでも永遠に一人で生きてくことになったら、私はどうしたらいいの?」

 アンナはリッツの服を掴んだ。

「ねぇ! 答えてよ! リッツみたいに消極的な自殺をすれば幸福なの? それとも私はみんなを失う前に、みんなの前で自分の命を絶てばいいの? リッツみたいに! 私がリッツの前で『ひとりぼっちになりたくない』って、胸を突いてもリッツは平気なの!? 私に『死ねてよかったな』って思うの!?」

 リッツは黙って目を伏せた。その目に深い後悔の色が見える。きっとリッツは、アンナの寿命の事なんて忘れていたのだ。だから孤独に押しつぶされる自分のことしか考えずにいられたのだ。

「私だって楽しそうで陽気な、世間知らずの仮面っていうのがあるよ。リッツだけはヴィシヌの私を知っているでしょう?」

 小さくリッツが頷いた。リッツは子供たちの世話係として大人の振る舞いをしていたアンナを見ている。アンナはもう言葉を止めることが出来なくなっていた。感情の赴くまま、まとまらぬ考えを語り続けてしまう。

「普段は仮面じゃなくて本当にそのままだよ。色々な経験が出来て、驚くことばっかりで、毎日がすっごく楽しい。だけど、意図的に演じることだってあるんだからね。もう……忘れちゃってるんだろうけど」

 アンナは大きく息をついて、肩の力を抜いた。リッツは俯いたまま顔を上げずにいる。 

「私だって前からこんな事考えてたわけじゃない。でもリッツが死を考えるたびに、自分の孤独と私は向き合っちゃう。人の死を目にする度に迷っちゃうよ。それが例え怪物になった人間の死でも」

 最後は小声になってしまった。自ら敵を死に至らしめた。それは必要で、どうしようもなかったからだけど、重くのしかかった。

「私とリッツは同じだよ。同じように人の死とも、いっぱい出会うことになるんだよ。長い寿命だから」

 リッツは先ほどから、黙ったままアンナに背を向けて海を眺めている。夜明け前の海の薄明かりは、徐々に海を染め始めていた。

「だけど私、思い出を抱えて自分から死んでいくのは嫌。私は生きたい。生きるために、精一杯に今を生きて行きたい。いっぱいいっぱい幸せな記憶を抱えて、生きてゆきたいの」

 下の方で静かに波が打ち寄せる。その音だけがこの空間に満ちていた。

「リッツ……」

 顔を横からそっと覗き込んだが、その表情は動かない。やはりアンナの言葉は、リッツに届かないのだろうか。

 アンナは静かに座り直し、膝を抱えてリッツと同じように薄明るい水平線を黙って見つめた。

 どれだけの沈黙が過ぎただろうか。お互いに次に言うべき言葉を言いあぐねている。何かを言いたいが何も言えない……そんなリッツの顔を、アンナはただじっと見ていた。

 ふと無意識に口をついて、言葉がぽろりとこぼれた。

「私じゃ駄目かなぁ……」

「え?」

 リッツは目を上げた。戸惑いで揺れる目は、寂しげだった。

「私じゃ、リッツと一緒に生きられない?」

「アンナ……」

 アンナはその目を真っ直ぐに見つめた。

「一人で生きるのが辛いなら、私がずっとリッツと一緒にいる。どれだけ長く生きられるか、生きてみないと分からないけど、きっと仲間の誰よりも一緒にいられるよ。エドさんとかシャスタさんとか、王妃様との想い出を、無くさないように一緒に抱えていけるもん」

 抱えていた膝を静かに冷たい下草の上に伸ばし、ゆっくりとリッツを見上げた。

「私はリッツと一緒なら、どこに行ったって楽しいと思うけどなぁ。エドさんとか、パティ様みたいになれるか分からないけど、でも私はリッツの事、とっても大切だと思ってるの。大好きな仲間だよ?」

「アンナ……」

 リッツが小さくアンナを呼ぶ。聞いたことがないぐらい、微かな声だった。アンナはリッツを見つめ返した。

「リッツの孤独を一緒に持ちたいの。一緒に生きたいの」

 アンナの心からの答えだった。

「だから孤独になりたくないから死んじゃうっていう選択を、私に預けてくれないかなぁ。ちゃんと私の中にしまっておくから……」

 言い終わらないうちに、アンナはリッツに強く抱きすくめられていた。

「ちょっ、苦しいよぉ……」

 口では抗議しながら、アンナは抵抗しなかった。服と包帯を通して、その胸から抱えた想いが伝わってくる。

 孤独、寂しさ。そして希望……。

 ちゃんとリッツが大好きで大切なんだって、生きていて欲しいって心から願ってるって、分かってくれたのかなぁ……。

「お前、本当に……お人好しだな」

 ぽつりとリッツが囁く。

「……そうかな?」

「ああ。俺、ひどいことを言ったのに……」

 小さく呟いたリッツに抱きしめられているのに、抱きしめている気分になる。

 アンナはゆっくりと自分の腕をリッツの背中に回して抱きしめた。触れ合っている頬が冷たくて、髪が風で頬を撫でるのがくすぐったい。でも何だかとっても暖かい。

 アンナはよく親元から離れ、寂しさに震える孤児院の子にしてあげたように、背中を優しくとんとんと叩いてあげた。

 アンナを抱きしめる手が少しだけ緩み、アンナがする事に身を任せてくれている。落ち着いているのか、鼓動も穏やかだ。

 いつも超然として陽気で強いリッツが、アンナの腕の中でアンナのする事を甘える子供みたいに、静かに受け入れている。

 なんだろう、不思議な感じだ。今まで絶対に自分を助けてくれる、保護者だったはずのリッツが、なんだか可愛い。

「……ごめんな」

 ポツリと呟いたその声が、アンナの耳に届いた。

「……うん」

「俺は考え無しだった。苦しめて……悪かった」

「私だけじゃないよ。エドさんにも、パティ様にも、シャスタさんにも、ちゃんと謝るんだからね?」

「そうだな」

「もうあんな風に死のうとしたら、駄目だからね」

「分かってる」

「ずっと、私がいるからね」

「……ああ」

 アンナを抱くリッツの手に、また力がこもる。アンナはふと、リッツの腕越しにまだ明けぬ、冬の空を見上げた。

 水平線は徐々にオレンジ色に染まっているけれど、空はまだ満点の星空だ。

 深い闇に抱かれた輝く星々は降るようで、ものすごく綺麗。

 これから五十年、百年が経ってもきっとここから見た空を、忘れる事なんて無いんだろうなと思う。

 例えこれから先、大切な友達がみんな消えてしまっても、きっとこの空を思い出す時に、みんな一緒に思い出せる。

 リラも、ディルも、ジョーもグレイグも。そして、自分より遙かに早く寿命を終えてしまう仲間、エドワードやフランツも……。

 自分が大事に心の中にしまっておく限り、消えないのだ。それがきっと、孤独と向き合うということなのかもしれない。

 しばらく黙ってリッツのぬくもりを感じていたら、何だか今までの焦燥感と、心に静かに降り積もっていた不安が少しづつ消えていく気がする。

 不思議だ。アンナにとって、リッツは一番心が温まる人になってきている。リッツの腕の中はとても心地がいい。

 リッツもそうだといいんだけどなと、アンナは下からそっと顔を盗み見た。よく見えないけど、ちょっとだけ穏やかな、そんな気がする。

 自分は少しでも助けになっただろうか?

「リッツ、帰ろう。みんな心配してるよ」

 アンナはことのほか明るく、リッツにそういった。

「……ああ、そうだな」

 ゆっくりとリッツは腕を緩め、アンナはようやくその腕から解放された。照れくさいのか、リッツはそっとアンナから視線をそらした。

 だけど今になってアンナは思い出した。

「そうだ、肋骨折れてたよね! あ、つなげたんだっけ? 大丈夫? 痛くない?」

 自由になった瞬間にいつも通りなアンナに、リッツが苦笑している。

「大丈夫。俺は丈夫だから」

「そうだよね。丈夫なんだもんね」

 アンナはリッツを見つめながら立ち上がった。

「帰ろう、フランツきっと待ってるよ、お見舞い行ってないから」

「そうだな」

 一歩先を歩くアンナに、リッツが声を掛けた。

「アンナ、ありがとうな」

 振り返ると、そこに柔らかな笑顔を浮かべるリッツがいた。今まで見たことのない優しい表情だった。

「ううん。私は何もしてないよ」

「いや、お前はすごいよ」

 自分を認めてくれた、その言葉が嬉しい。思わず歌でも歌いそうだ。だが舞い上がるアンナに、リッツはひとつ咳払いをして言葉を続けた。

「それからアンナ。さっきのことはエドやフランツに内緒にしとけよ」

 さっきのことってどれだろう? アンナを抱きしめたことかな? それとも子供みたいにずっとアンナのされるがままになってたこと?

 だけどアンナからしたら、それを秘密にする理由が分からない。

「え? なんで?」

「……恥ずかしいから」

 顔を赤くしてそう呟くと、リッツはアンナの横をすり抜けて、振り返りもせずどんどん先へ行ってしまう。

「おいてくぞ」

「待ってよ、リッツ!」

 王宮は未だ混乱の中にある。リッツにもアンナにも、やることはまだまだあるのだ。

 ようやく昇った朝日が王城を柔らかなオレンジ色に染め上げて、また新しい一日が始まった。

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