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呑気な冒険者たち  作者: さかもと希夢
月光桜の誘惑
76/224

<14>

 それから数十分後、玉座の間は軍の怪我人たちであふれかえった。別にここが救護所になったわけではない。国王へ状況の報告に来たもの皆が負傷していたため、そのような異様な状況になったのだ。

 あちこちの状況を聞いたところ、中庭の怪物は全て片付けられ、他の箇所に侵入した怪物も全て倒されたようだ。

 まだこの事件の大本となった、近衛部隊宿舎へ行った兵士は帰っていない。だがバルコニーから覗き見た兵舎では、幾人もの出入りがあり、賑わってたから、問題はないだろう。

 リッツは何喰わぬ顔で、エドワードの傍らに立っていた。見慣れないこの若者に皆が怪訝そうな顔をしている。

 だがようやく追いついてきたアルトマンは、国王に最敬礼すると、一番にリッツへと走り寄った。

「大丈夫かね、リッツくん……いや、大臣閣下」

「いいよ、リッツで」

 何だかこの格好で、改めて閣下呼ばわりされると照れる。

「ではリッツくん、君は肋骨を折っていたが……?」

 さすがアルトマン、鋭い。不審そうな顔で、これまた話しづらいことを聞いてくる。だが治っちゃいました、なんていう冗談は通じそうにない。

「ああ、あのな……」

 ちらりと傍らのエドワードを見ると、目が冷たい。自業自得だから怒られろ、とその目は語っている。

「言いにくいんだが、アルトマン……本拠地で麻薬の瓶を預かっただろ?」

「預けましたな」

 怪訝そうなその顔に、リッツはため息をついた。この状態を、麻薬捜査の専門家に白状するには、勇気がいる。

「あれを……その……二粒ほど失敬して……」

「あれを? ……まさか飲んだのか?」

 みるみるアルトマンの目が見開かれる。その非難と、心配が入り交じった顔を見ていると、全く持って、言い逃れが出来ない。

「……ごめん」

 先に素直に謝ってみたが、アルトマンは絶句したきりだ。きっと麻薬を取り締まる側が使用したことに、驚き、あきれ果てているのだろう。

「緊急事態だったんだ。一回なら中毒にならないことは分かっているし、国王も助けられたし……な?」

 だがアルトマンの驚愕は、リッツが思っているような理由だけではなかったらしい。

「それでは……あれからまた動き回ったのかね?」

「……? ああ、痛みもないし……」

 今度こそアルトマンは、怒りを露わにリッツを睨みつけた。

「君は何を考えている! 薬が切れた時のことを考えたか!」

 あまりの剣幕に、リッツばかりかエドワードも振り返ってアルトマンを見つめた。一応麻薬が切れたら痛いだろうな、くらいは考えていたが、こんな剣幕で怒られることとは、思いも寄らなかった。

「アルトマン、説明してくれないか?」

 黙り込んだリッツに変わり、エドワードがアルトマンを促した。

「陛下、閣下は大馬鹿者にございますぞ」

「……それは分かっているが」

 エドワードは半分笑いながら答えている。リッツは不本意な顔で黙ったままだ。どうせ自分は大馬鹿者だ。だがアルトマンはあくまでも真剣だった。

「麻薬が効いている間、怪我の状態が進行しないとでも思っておいでか? ましてやあなたは馬に乗り、その上戦ったという……。痛みがないことは恐ろしいことですぞ。今頃肋骨と肺がどうなっているのか……小官には想像もつかん」

 何も言う言葉が見つからない。呼吸が多少苦しくなってきたのは、これが原因だったのか……。

「して、アルトマン。もしこの状況で麻薬が切れたら、この馬鹿は一体どうなるのだ?」

「確実に意識を失われるでしょうな。すぐに医者に診せるか、確実な治癒魔法を使える者がいれば、命は救えるかもしれませぬが、出血量の想像もつかん」

 リッツは黙ってため息をついた。医者は全て出払っているし、アンナは家だ。治癒魔法を使える者が王城にもいるかもしれないが、これだけ怪我人が溢れている状況では、呼びつけることも出来ない。

「ヤバイよなぁ……。敵が片付いた後に、絶体絶命の状況か……」

 呟いた時、エドワードがふと何かを思い出したかのようにリッツを見た。

「いるぞリッツ、治癒魔法を使える者が」

「いや、今忙しいだろう?」

 先ほど考えていた事をリッツが話すと、エドワードが首を振った。

「違う、アンナがいるはずだ」

「何!」

 そういえば戻ってくる途中に思い出していたのだ、あの二人のことだから、この状況に巻き込まれているかもしれないと。

「あいつら無事か?」

 勢い込んで聞くリッツに、エドワードは息を呑んだ。状況の危うさにようやく気が付いたのだ。

「そういえば確認していないな……」

「巻き込まれてないか? アンナがいるって事は、フランツもいるな。他に誰がいる? パティか?」

 矢継ぎ早の質問を黙って聞いていたエドワードがため息をついた。

「……一緒にいるのは、グレイグだ」

 リッツは青ざめた。二人は非常に間が悪い。その上あの身の程知らずなグレイグが加わったら、どうなるというのだ。

 無事にいてくれることを、願うしかないのか?

 その時、玉座の間の入り口がざわめいた。そこに数人の男たちが立っていたのだ。この惨事の最中、怪我もなく、服装を乱すこともないその状態は、かえって今のこの玉座の間にあっては、異質だった。

 全員がその男たちが誰なのか分かったようで、男たちを制止するものはない。だがリッツには、それが誰だか分からなかった。

「ウォルター公爵……」

 アルトマンが小さく呟いた。

「あれが?」

 後ろに貴族らしい男を三人従えて、ウォルターは王の御前に進み出た。四十年近く前のウォルターを知っていたが、あの頃とはかなり姿が変わっている。これは年を経たと言うだけではなさそうだ。リッツは小さな声でエドワードに警告する。

「気を付けろ。ウォルター侯が黒幕の可能性が高い」

「……そうか」

 エドワードは眉を寄せた。多分悔いているのだろう。スチュワートと同じように、恩情を掛けた人間に裏切られたのだから。

「国王陛下。お久しぶりにございます」

 エドワードの前に跪くと、ウォルターは恭しく頭を垂れた。

「……久しいな、ウォルター侯。このような時に、どういった用件だ?」

 冷たいエドワードの声に、ウォルター侯爵は微笑みながら面を上げた。

「陛下。本日はお暇乞いに参りました。この体は病に冒され、春まで命をつなぎ申すことも出来なくなりました」

 落ち着いた声だった。波のない凪の湖のように、何の迷いもなく、ただ静かだ。

「そうか……」

「私の最後の我が儘を、陛下に聞いて頂きたく、この場に参った次第でございます」

 丁重なウォルターとは違い、エドワードの声はあくまでも冷たい。

「言ってみろ」 

「は。陛下、リチャード様の血を引く者に、王位をくださいませんでしょうか?」

 玉座の間にいた全ての人間が、その言葉に凍り付いた。それはあからさまに、国王に対する謀反の言葉であったのだ。

 エドワードの兄はスチュワートとリチャードの二人だった。スチュワートと違い、戦場で死んだリチャードには、幾人かの愛人と子供がいた。

 だが彼らは既に爵位を持たぬ一般人として、平穏に暮らしているはずだ。

「残念ながら、ジェラルド王太子殿下のお命を頂くことには、失敗したようでございますが……」

 こういってちらりとウォルターはリッツを見た。この男、全て分かっている。やはりケニーの調査は正しかった。

「断る」

「そうでございましょうね。そういわれるのは分かっておりました」

 ウォルターは真っ直ぐにエドワードを見つめ、それからその隣のリッツに目をやった。

「不思議なものですな……。もう何十年も前のことなのに、陛下の片腕はあの頃と同じようにあなたと共にある。時間が止まってしまったかのように。まるで私に、あの戦いを忘れるなと、リチャード様から戒められている気分です」

 ウォルターの目に映るのは、おそらくリチャードを倒すために立ち向かってきた、自分とエドワードの姿なのだろう。

 昔、戦ったウォルターのことを思い出す。リチャード親王に助けられ、彼を敬愛し、誰よりも忠実だった男。その男が今やあの頃の面影さえも偲ばせられないほどに年老いて目の前にいる。

 そういえば彼のリチャードへの盲信は、リッツのエドワードへの信頼と似ていると言われたことがあった。

 じっと老いた仇敵を見据えていると、微かな微笑みさえも浮かべながら、ゆっくりとウォルターが、リッツから視線を外した。

「では陛下、おさらば……」

 ウォルターはそういながら、防寒具から小瓶をとりだして中身を一気にあおった。後ろに続く三人もそれに倣う。

「いかん! 皆離れろ!」

 エドワードは玉座から立ち上がって、叫んだ。

「怪物化するぞ!」

 エドワードの言葉に玉座の間に詰めかけていた兵士たちが、一斉に後ずさった。アルトマンとリッツは剣を抜き、エドワードを背に庇うように構える。

「誰もが望まぬ事……」

 ウォルターは絞り出すようにそう叫び、天を仰いだ。

「だが私の見果てぬ夢!」

 それでいて全身を貫く痛みにもがき、その上恍惚とした、表情で彼は最後の言葉を放った。

「リチャード親王殿下! 今こそあなたへのご恩をお返しいたしますぞ!」

 叫びと同時に、体中の筋肉が蠢き、怪物化が始まった。蛇ののたうつ、肉のかたまりとなっていくその姿は、幾度見ても醜悪だ。その上原液で、怪物化が激しいと来たものだ。

「くそ、四体か……」

 リッツは一歩前に出た。

「リッツくん、死ぬぞ!」

 アルトマンが、そう隣で怒鳴る。だがリッツの決意が揺らぐことはない。エドワードに最後までつき合うと決めた。ここに来て、最後の最後で、全てを放り出すわけにはいかない。

「死なないかもしれないだろ?」

「無茶だ!」

「……やれるだけやるさ」

 やがて呻き声が消え、怪物は真っ直ぐに飛び出た目を、国王であるエドワードに向けた。

 ――来るっ!

 リッツは大剣を構え直した。

 怪物が敵を捕らえて、歪んだ笑みを浮かべるのが見える。その速度、想像しがたい。とにかく足だけでも止めねば……。

 リッツがそう考えて怪物を睨んだ次の瞬間、怪物は大きく跳躍して、リッツの体を蹴り飛ばした。アルトマンも同じように弾き跳ばされている。

「くそ! 狙いはエドだけか!」

 咄嗟にエドワードの元に駆けつけようとして、体を起こす。エドワードまで、数メートルだ。だが次の瞬間、自分の異変に気が付いた。

 力が……入らない。

 そしてようやく思い至った。さっきの怪物の蹴りが、もろに入ったことに。麻薬の効果で痛みが麻痺しているから、気が付かなかった。

 国王へと向かう怪物に、玉座の間にいた兵士たちが立ち向かっている。アルトマンも立ち上がって再び剣を振るっている。

 だが怪物には刃が立たず、赤い血しぶきが舞う。このままではエドワードの命が危ない。

 なのに自分はこの様だ。近づくことはおろか、立ち上がることすら出来ない。

 痛みは全くないのに、足が震えて言うことを聞かない。体全体が麻痺しているかのように重くて、動けない。

 意地で何とか立ち上がっては見たが、持ちこたえられず、リッツはがくりと膝を突く。とたんに急に呼吸が苦しくなった。

 そういえば肋骨やられていたなとふと思い出した。多分肺に刺さったのだろう。呼吸が乱れ、堪えきれずに、こみ上げる液体を吐き出した。

 それは大量の血だった。床に着いた自分の手を、口から滴る血が染めていく。

「くそっ……こんな時に……」

 声すら弱々しくしか出ない。もう絶望的なのか、自分にはエドワードを……親友を救うことも出来ないのか……。

 怪物は徐々にエドワードへと迫っている。兵士たちでは太刀打ちできない。何とか……何とかならないのか。

「エド……っ!」

 焦燥感で狂いそうだ。だが事態は突然に動いた。

「怪物め、妾の夫にして、この国の唯一無二の国王にその汚らわしい姿で近づくことを、決して許さぬ」

 凛とした女性の声だった。細身のロングドレスに白銀のティアラ、豊かな亜麻色の髪……。その姿、見間違えようがない。

「……パティ……」

 エドワードとリッツの呟きに、パトリシアは悠然と微笑んだ。

「私を誰だと思っているの? 年は経ても、あの名将ジェラルド・モーガンの娘よ。怪物ごときに怯えて、王宮に隠れるような小心者とでも思っておいででしたの? エディ、リッツ」

 突然現れた女に、怪物はひときわ高い咆吼をあげた。本能がこの女の危険を察知したのか、怪物はそちらに向かおうとする。だがパトリシアに焦りはない。

「グレイグとアンナにこいつの弱点を聞いたわ。作戦にも抜かりはない」

 パトリシアは、手にしていたティアラと同じく白銀に輝く杖を掲げた。

「天空を翔し、自由なる風の精霊よ、我の求めに応じ、その力を我に与えよ」

 声に応じるかのように、両側に連なっている、何枚もの窓が一斉に割れ、猛烈な風が吹き込んできた。

その猛烈な風は、まるでパトリシアの忠実な僕であるかのように、彼女の回りを取り巻く。

 パトリシアは、風の精霊使いなのである。

「悪しきものを封じよ、風の渦!」

 王妃パトリシアの支配下に置かれた風が沢山のガラスの破片を孕んだまま、怪物四人をまとめて取り囲む。得体の知れない恐怖に、怪物たちは混乱し、絶叫した。

 この技、風の盾という防御の技を改良してパティが生み出したものだ。中からの攻撃を渦の外側に通さない。中に封じられた怪物たちは混乱のあまり、同士討ちを始めた。

 その醜悪さ、残忍さには目を覆うばかりだ。あの姿になると、もはや人としての理性は残っていないのだ。元は人間だったとは、とうてい信じがたい。

「無様ね。私のエディに手を出そうとするからよ」

 腕を組み、怪物を見下しながら、パトリシアは呟いた。聞こえたエドワードが苦笑している。こういうところは若い頃と変わらない。

 怪物が封じられたのを確認したパトリシアが、後ろにいた人物に命じる。

「急いで、そんなに持たせられないわ」

 パトリシアの後ろから出てきたのは、アンナだった。青ざめた顔で、アンナは持っていた水盆を床に置くと、叫んだ。

「お願い水竜!」

 水盆の水が激しく輝き、そこから巨大な竜が現れた。アンナの得意技、水竜だ。

「水竜お願い……」

 アンナは一瞬言いよどんで、何かを探すように、助けを求めるように、辺りを見渡した。リッツはそんなアンナの表情から、これからアンナがやろうとしていることを悟った。

 水竜で、あの怪物の息の根を止めるのだ。

 今までアンナは、自分の精霊魔法をそういう形で使ったことはない。いくら怪物とはいえ、元は人間。その命を奪うことを恐れているのだ。

 だがこの状況では、アンナがやらねば、他に怪物にとどめを刺せる人間はいない。もし彼女が躊躇い、怪物を再び自由に下ならば、ここにいる全員が血の海に沈むだろう。

 やがてアンナは、血溜まりの中に片膝を付いているリッツに気が付いた。その誰が見てもあまりに危険な状況に、アンナの緑の瞳が、極限まで見開かれる。

 俺は大丈夫だ、気にするな、といってやりたいが、声が出ない。

 そんなリッツを見てアンナは、目を閉じた。そして次にその目を開いた時には、そこに決意が宿っていた。

 アンナは唇を噛みしめ、決意と悲しみに満ちた顔で水竜を見上げた。

「水竜お願い……あの怪物の呼吸を止めて!」

 水竜は咆吼をあげながら、風の渦の上から中に飛び込んでいった。渦の中で身動きが取れない怪物たちの顔に巻き付き、その水で口と鼻を塞ぐ。

 呼吸を止める……怪物が紛いなりとも生き物である限り、それは有効だろう。案の定怪物たちは、水竜に呼吸を止められ、もがき苦しんでいる。

「ごめんなさい……」

 苦痛に満ちたアンナの声が、小さく聞こえたような気がした。

 呆然とする兵士たちの前で、囂々(ごうごう)と渦巻いていた風の渦は、パトリシアの言葉通り、そんなに持たずに消えた。

 続いて水竜が、怪物たちを放り出した。怪物たちはなすすべもなく、水竜に窒息させられて死んでいた。奇妙に固まったその顔は、苦しみのあまりねじれて黒ずんでいる。

 国王を倒すため、この国の安定を崩すために自らを化け物と化した男たちの、あっけなくも悲惨な末路がそこにあった。

 こんな結末に終わると知っていたならば、彼らは自らの命を無駄にせずに済んだろうに。

 水竜を戻したアンナが、顔を覆ったのが見えた。後悔か、悲しみか……。リッツには見当がつかない。

 終わった……。

 そう思った瞬間、激しい激痛が走った。全身の痛みが一度に体中を駆け抜けていく。視界は明瞭さを失い、微かに霞を帯びた。

 麻薬が切れたのだ。

 痛みのあまり、手に力などはいらず床に崩れ落ちる。呼吸が苦しい。痛みを堪えるように身体を縮めようとしたものの、息が詰まった。

 咳き込むと同時に、止めどなく血が流れ出て息も吸えない……。

「リッツくん! しっかりしろ!」

「リッツ!」

 エドワードとアルトマンの叫びに混じって、遠のく意識の中で泣き声のような、悲鳴混じりのアンナの声を聞いた。

「リッツ! 死んじゃ駄目< お願いだから! 」

 痛みがひどいのに、呼吸が苦しいのに、何故か目の前が白く霞んで心地よくなってくる。

 全く恐怖はなく、反対に落ち着いているくらいだ。

「リッツ、死んじゃやだ!」

 アンナの叫びは胸に迫ったが、国王の王位継承のために引き起こされた一連の事件に、全ての片が付いた今、死にゆくことに後悔も焦りもない。

 エドワードの王位の最初から最後まで、ちゃんとつきあった。後は失うだけの自分の未来には、何の未練もない。

 これでいい、これで楽になれる。

 こう思う自分がどこかにいるのが分かった。


      ◇   ◇   ◇


 フランツはベットの上で目を覚ました。起きあがろうとしたのに、背中が痛くて動けない。

「ようやくお目覚めだな」

 声の方を見ると、隣にベットが置かれており、そこにグレイグがいた。グレイグは腕を包帯でグルグルに巻かれ、足も包帯で固定されていた。

 この怪我、このグレイグの状況……。それでは、あの怪物を本当に倒したのか……?

 フランツは頭を押さえた。夢を見ていたのだろうか? 知らず知らずのうちにその考えを口に出していた。

「……夢か?」

「夢じゃない、現実だ。あれからもう三日経ってる」

「三日……」

「ああ。ここは王宮の僕の部屋だよ」

 辺りを見渡すと、確かにそこは自分の部屋ではなく、窮屈な病院でもない。広々とした空間に、ベットが二つ置かれているのだ。

「近衛兵の奴らが、俺と一緒にフランツを運んできたんだそうだ。まさか王族の友人を、別の救護所に運ぶことはできないってな」

 フランツは辺りをもう一度見渡した。いるはずのもう一人の姿がない。

「……アンナは無事だったのか?」

 心配そうに辺りを見渡すフランツに、グレイグは頷いた。

「無事だ。俺たちがくたばっている間に、お祖母様と一緒にお祖父様を怪物から救ったんだってさ」

「! 王妃様と?」

 フランツはグレイグに、眠っている間に起きたことを聞いた。彼は見舞いに来た、色々な人物から情報を聞いていて詳しかった。

 怪物のこと、それに正面から立ち向かった正規兵のこと、エドワードとリッツの戦い、ジェラルドの麻薬組織壊滅作戦まで、グレイグの情報は多岐にわたった。

 中でも熱心に語られたのはアンナの活躍だった。その話によると、どうやらアンナはあの後、国王に襲いかかったあの怪物四体を相手に大活躍をしたらしい。

 だが、事件が片づいても、一度もこの部屋に顔を出していないのだという。

 フランツたちのいた兵舎の、その後も聞いた。

 あの後やって来た近衛兵部隊の新兵が、全ての怪物が死んでいるのを確認してから、フランツとグレイグを、数人がかりでここまで運んでくれたのだという。

 その間、怪我をアンナに治してもらったボイド大隊長は、残った近衛兵を率いて中庭に出て、残りの怪物と戦ったそうだ。

「怪物さ……みんな近衛部隊の兵士だったんだ」

 ポツリとそう呟いたグレイグに、フランツは凍り付いた。

「麻薬を食事に混ぜられて、摂取させられてたんだってさ。もう人間には戻れないから、殺すしかなかったんだそうだ……」

 ではフランツが殺したあの怪物は、人間だったのだ。

「じゃあ僕が殺したのは……」

「……ああ。近衛兵だった人たちだ」

 フランツはこみ上げてくる吐き気を堪えた。リッツの言葉が甦る。

『俺の剣、お前の炎、アンナの水竜。どれも人を殺傷する能力を持っている。だが正しく使うことで命を守ることができる』

 本当にそうだった。フランツのこの力は、人を殺すことができる。でもこの力が無ければグレイグも、アンナもボイドも救えなかった。

 もし怪物が王宮に入るようなことになれば、王宮の人々も助からなかっただろう。

 力を行使することは、正しかった。

 でも命がけの戦いで人の命を守るとは、こういう事か……。こういう風に命を奪うことなのか……。

 守れたという誇りと、人を殺したという恐怖が心の中でぐちゃぐちゃに入り交じる。自分の力にフランツは震えた。

 胸に手を当てると、そこに火竜がいるのを感じた。

 これが、守る戦い……。

 大切なものを守るために、ためらいなく相手を倒さねば生き残れない。

 生きるため、生かすための戦い。

 黙り込むフランツに聞かせるつもりもないように、グレイグは一人言葉を紡いだ。

「よく遊んでくれた小隊長も、こっそり剣の手ほどきをしてくれた近衛兵もあの中にいた。僕は何も知らなかった。化け物は倒すとか、敵なら叩き斬ればいいって、そう思ってた……」

 敢えてフランツも、グレイグの言葉に口を挟まなかった。彼はフランツに近いものの考え方を、持っている……そんな気がした。

「間違ってたよ。何が一番最善かをふまえた上で、自ら決断を下していかないといけないんだ。命を奪うも救うも、そこから始まるんだ。だからその為に強くないといけない……」

「ああ、分かるよ」

 相手の死も、そして自らの力の恐怖も、全て受け止められるように、強くなくてはいけないのだ。惑い、恐怖して逃げ出すことで、大切なものを失いかねない。

「俺が誇っていたのは、俺自身の強さって言う幻覚だった。俺は強くなんて無い。俺だけだったら死んでた」

 グレイグは手のひらをじっと見つめて、それから力を込めて拳を握った。

「俺は強くなりたい。お祖父様のように、国民を背負えるように、本当の強さを身につけたい」

 グレイグの中の何かが、代わり始めている。フランツの心も微かに代わり始めている。何かがここから始まるような気がする。

 ふと顔を上げると、グレイグが真面目な顔でこちらを見ているのに気がついた。

「何?」

「今まで突っかかって悪かった。お前は俺の命の恩人だ」

「別に好きで助けたわけじゃない」

 この国が乱れるのがいやだっただけだ。グレイグ個人に恩を感じて貰う必要なんてない。そもそもフランツはグレイグが苦手だ。

 気のないフランツの返事に、グレイグはベットから体を起こした。

「何だよそれ」

「別に……」

「親王を助けたんだぞ? 何らかのお礼とか、そういうのを貰いたかったりしないのかよ?」

「いらない」

「無欲なのか?」

「いや。君に個人的に関わりたくない。面倒くさい」

 フランツの気のない返事に、グレイグは一瞬ムッとしてから、微かに笑った。

「まあいいか。今じゃ無くても。恩は絶対に返すからな」

「だからいらない」

「お前がいらなくても、俺は恩を押しつけることに決めた」

「恩を押し売りするな」

 妙な親王だ。面倒くさくて我が儘だ。こういう奴に関わるとろくな事にならない気がする。思い切り不機嫌を見せつけているのに、グレイグはそこ吹く風と涼しげだ。

 フランツは大きく溜息をつくと、ベットに沈み込んだ。まだ身体がだるい。恩なんていらないからもう少し寝かせて欲しい。

 目を閉じると、いたずらを仕掛けた子供のような声でグレイグが笑った。気になって目を開けると、ベットに身を起こしてグレイグがこちらを見ていた。

「お前、三十年後ぐらいには体が空くように調節しとけよな」

「は?」

 何のことだか分からない。フランツが怪訝に聞き返すと、グレイグは悪戯小僧そのままの顔で笑った。

「僕が国王になった時、フランツにリッツと同じ地位をくれてやるよ」

 ということは……大臣?

 仕事から帰ってきて、下着姿でベットに突っ伏すリッツを思い出して顔をしかめる。あんな大変そうなことなどしたくない。

「嫌だよ、面倒くさい」

「もう決めたからな」

「……勝手に決めなるな」

 いまふとリッツも大臣になった時、こういう状態だったんじゃないかと気が付いた。

 そういえばリッツは、どうなったろう。

「リッツはどうなった?」

 フランツの唐突な問いかけに、グレイグはごろりと横になった。

「麻薬組織を壊滅させた後に王城へとって返して、お祖父様を守ったんだってさ。でも肋骨折れて、大量に出血するわ、意識がないわで大変だったらしい。玉座の間にリッツの血だまりが広がってたって」

 フランツは青ざめた。そんな状況、フランツなら絶対に死んでいる。

「それでリッツは……」

 グレイグはため息をついた。

「残念ながら……」

「まさか……」

 目の前が真っ暗になるフランツに、グレイグはニヤリと笑いかけた。

「生きてるよ。医者とアンナが付きっきりで看病したんだってさ」

 一気に気が抜けて、フランツはベットに沈み込んだ。グレイグのやつ、動けるようになったら、何らかの仕返ししてやると、心の中で誓った。  

「あ~あ、間違ったなぁ……」

 諦めたような声で呟いたグレイグは、寝返りを打ち、フランツの方へ向き直った。

「ライバルはフランツじゃなくて、リッツだったのかなぁ。挑む相手を間違えたのかな。でもリッツには負けてるし、諦めないといけないよな」

「……は?」

 どうやらアンナのことをいっているらしい。

「アンナ、見舞いに来ないんだぞ、僕だけじゃ無くてフランツもいるのに。きっと僕らよりもリッツの方が好きなんだ」

 それが原因でむくれているのか。まったく悟ったんだか何にも身になっていないんだか、分からないやつだ。

 しばらくお互いに黙っていると、意を決したようにグレイグがフランツの名を呼んだ。

「フランツ、お願いがあるんだ」

 先ほどまでとは打って変わった真剣な眼差しで、グレイグがそういった。

「何?」

 ぶっきらぼうに答えると、グレイグはめげずに答えた。

「僕の友になってくれ」

「……何故?」

 グレイグを見返すと、水色の瞳が真っ直ぐにこちらを向いていた。エドワードと全く同じ表情をするのだと、初めて気がついた。

 そこに彼の本気が現れている気がして、フランツはベットに身を起こす。

「僕は一般市民だ。王族としての君には、君に会う友がいるんじゃ無いのか?」

「王族としての付き合いをするだけならば、城内の人間で事足りる。でも彼らは僕を僕個人として見てはくれない。何があっても王族として肯定されれば、僕はまた自らの失敗を振り替えれない人間になってしまう。今回のことで懲りた」

 苦情の表情でグレイグが唇を噛みしめた。しばし黙ってからグレイグは再び顔を上げる。

「もうお祖父様や父上、リッツに蔑まれないよう自らを見つめられる自分でありたいんだ。本当の意味で僕は強くなる。誰よりもだ。そのためには庶民で、そして僕を特別扱いしないフランツ、お前の厳しい目が必要なんだ」

 潔い奴だ。自分はこうはなれない。自らの弱さを認め、前に進むために自らの誇りを捨て頭を下げられる人間が本当は一番強い。

 だが本当はフランツもこうありたい。自らの失敗をふまえ、人に教えを請える、そんな潔い人間に。

「分かったよグレイグ。でも僕もこういう人間だ。決して正しくは無い」

「だろうな。絶対に世間に馴染めてない」

「うるさいな。でもお互い足りない同士、補えるところもありそうだ」

「足りない同士とは……何だか情けないな」

「それでもきっと、何らかの助けにはなるかもしれない」

 グレイグは手を伸ばしてきた。フランツも手を伸ばしてその手を手のひらで叩く。パチンと乾いたいい音がした。

「契約成立だな」

「まあね。君がとんでもないことをしたら契約は破棄するけど」

「ひでぇ。僕がとんでもないことをしたら、その時がフランツの出番じゃ無いか」

「……やっぱり面倒……」

 早まっただろうか。フランツが小さく息をつくと、扉が突然ノックもなしに開かれた。そこから光が差したかのように、光に包まれて女性が飛び込んでくる。

「まあ、フランツ目が覚めたのね!」

 唐突に入ってきたパトリシアは、大げさにそういうとフランツに駆け寄り、フランツの手を取った。

「ありがとうフランツ。うちの馬鹿孫を助けてくれて。全くこれで懲りたでしょうよ。ねぇ、グレイグ」

 グレイグはむくれながら抗議する。

「その言い方は酷いですよ、お祖母様」

「やあねぇ……馬鹿な子ほど可愛いのよ」

 パトリシアの後ろから、ジェラルドが顔を出した。体中に傷を負っているが、穏やかに微笑んでいる。

 フランツは大きく息を吐くと、ベットに沈み込んだ。

 ここから何かが始まるのかもしれない……素直にそう思えた。

 それがちょっとだけ嬉しかった。

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