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呑気な冒険者たち  作者: さかもと希夢
月光桜の誘惑
74/224

<12>

 フランツは肩で息をしていた。

「どうした! まだまだだ!」

 剣を振り回してグレイグが騒いでいる。グレイグの身のこなし、初心者のフランツに敵うわけなど全くない。

 まがいなりにも、奴は新祭月の武闘大会優勝者だ。リッツはともかく、フランツが相手してどうにかなる相手ではないじゃないか。

 だいたいにおいて、フランツにはグレイグと戦う理由など全くないはずなのだ。なのにグレイグは変な思い込みで、フランツに挑んでくる。

「そんなに弱くては、アンナを守れんぞ! かかってこい!」

 これだ。さっきからアンナと自分はただの仲間だとそういっているのに、全く聞く耳を持たない。

 あまりの自分本位さに、あきれ果てて言葉も出ないが、挑まれて逃げるのは嫌だし、なによりグレイグの人を小馬鹿にした態度が許せない。それにアンナを守れていないのは本当のことだ。

 今まで二回、アンナに命を助けられている。

 それにしても……とフランツは考える。地下に入ってどれだけの時間が経ったのか、全く分からない。ここには時を知るものが何もないのだ。

 幾度かの休憩と、アンナの水芸……いや、水の精霊魔法の練習結果披露などを挟んではいたが、だいたいの時間をこうしてグレイグと向き合っている。

 石壁に囲まれたこの部屋なら、炎の精霊を使えるから出せとグレイグに言われながらも、フランツはまだ炎の精霊をほとんど使っていない。

 唯一使ったのは、槍を取り落とした時の拾うまでの時間稼ぎに、ラリアの館でラリアが使っていた『炎の矢』を真似たものを、放ったくらいだ。

 なにせここは室内だ。しかも王宮の下で地下室と来たものだ。もしうっかりと巨大な火球を出してしまっては、もう始末に負えない。

 何故ならここには、いつも彼らを助けてくれる、リッツもエドワードもいないのだから。

 二人のこの果てしなく続くかと思われた戦いに幕を引いたのは、この練習場の壁際に置いてあった椅子に腰掛けて、足をブラブラさせていたアンナだった。

「ねーっ!」

 いつもは戦いに熱中してしまって周りが見えないフランツなのだが、この時ばかりはアンナの呼びかけに気が付いた。もうこの状況に、飽き飽きしていたからだ。

「アンナが何か言ってる」

 フランツがそういって槍を降ろすと、グレイグは手を止めた。

「僕を騙すんじゃないだろうな?」

 疑心暗鬼のグレイグに、フランツは黙って顎でアンナの方を示して見せた。その態度にグレイグはムッとしたようだったが、黙ってアンナの方を見た。

「や~っと気が付いてくれたね。もう二人とも私のこと忘れてるでしょう?」

「アンナのことをこの僕が忘れるものか!」

 剣を治めてさっさとアンナの方へ駆けていくグレイグに、フランツはため息をついた。長く伸ばしていた炎の槍を短く戻して、腰にあるベルトに挟み込む。

「本当? じゃあね殿下、お願いがあるの」

 フランツが二人の方へと歩み寄ると、アンナが照れくさそうな顔でグレイグを見ていた。

「なんだい、何のお願いなんだ、アンナ」

 期待に胸を膨らませて、グレイグがアンナのすぐそばに歩み寄る。

「さあ、何なりといってくれ」

「何か照れるなぁ……」

 その様子から、まさか恋愛ごとに鈍感なアンナが、グレイグの想いに気が付いたのか? と思ったが、次の言葉でそれが勘違いと分かった。

「えへへへ、お腹空いちゃった。ちょっと早いけど、きっともうすぐ昼ご飯だよね。私のお腹がそういってるもん」

 可哀相にグレイグががっくりと項垂れている。

「お腹が空いたのか……そうか……」

 フランツはその二人のやりとりの滑稽さに、グレイグに対する溜飲が少々下がった。

 リッツだったら、大げさにグレイグの肩を叩き『いやぁ、お前も苦労するよなぁ。ま、がんばれよ』というのだろうが、フランツにはその気はない。

 アンナに恋愛に関しての期待などするから、そうやって一喜一憂する羽目になるのだ。アンナの今の人生において重要なのは、何よりも友達と食事なのだから。

「エドさんとの約束時間にはちょっと早いと思うから、ちょっとだけ何かつまめないかなぁ……」

 思案顔のアンナを見ていて、ようやく気を取り直したグレイグが、手元から懐中時計を引っ張り出した。金で出来たそれはえらく立派で、そして高そうだった。高級品には見慣れているフランツがそう見たのだから間違いない。

「うわぁ、すっごい時計だね! 殿下の?」

 何だかグレイグと似合わない時計に、グレイグも恥ずかしいのか顔を赤くしている。

「うん……お祖母様が、お茶の時間に遅れないようにって持たせるんだ」

 なるほど王妃の物か。それなら納得がいく。こっそりと隠すように時計を見て、グレイグは感嘆の声をあげた。

「……十一時半……すごいよアンナ、ぴったりだ」

 当たり前だ、アンナは高級ではないが、ほとんど狂うことのない、世界でひとつの精密な時計を持っているのだ。その時計は一日で三回盛大に騒ぎ出す。

 それはアンナに言わせると体内時計、リッツとフランツからすると腹時計である。

 時計を持たずに旅をしていた三人には、このアンナの腹時計が、正確な時間を知る為に、とても役に立っていたのだ。

「確かにお祖父様との食事の時間には早いか……」

 グレイグは少々考えたあと、顔を上げた。

「そうだ近衛部隊の食堂に行こう。あそこなら僕の顔が利く。あそこはこの城の中では一番昼食が早いんだ。ここからなら秘密の抜け道を通れば五分も歩けば着くしね」

 そういえば新祭月の時も、彼は王室の席におらず、エドワードたちには、近衛部隊と共にいるといっていたことを思い出した。

「そうと決まれば、急ごう。何もなくなってしまう前に」

 そう言いながらグレイグは、時計をせかせかとしまい込んだ。どうやらあまり人に見せたくないらしい。理由は分からないが、王妃の物というだけではない、何かがあるのかもしれない。

 まあ理由がどうあれ、フランツには関係ないことだ。フランツは浮かんだ疑問を、心の奥底にしまい込んで蓋をした。

 他人を詮索するのは好きではない。自分は自分、他人は他人なのだから。

「さあアンナ一緒に行こう! 抜け道はこっちだよ」

 グレイグがにっこりと微笑んで、アンナに手をさしのべた。

「うん!」

 勢いよく立ち上がったアンナは、グレイグの手を両手でしっかり握る。だがグレイグが期待したように、手に手を取ってという風には行かなかった。

「美味しいもの貰えるように、取りはからってね! 絶対だよ!」

 ブンブンと手を上下させると、アンナはグレイグに手を放した。どうやらアンナには、約束の握手程度にしか思われなかったようだ。

 再びがっくりと項垂れるグレイグの横を、アンナははずむような足取りで駆けていく。あまりにあまりなその気の落としように、フランツはすれ違い様に、肩を叩いてやった。

 そしてとどめを刺す。

「……ご愁傷様」

 先ほどまでの勝手な思い込みへの、ほんのささやかな仕返しだ。

「くっそ~っ!」

 地団駄を踏んで悔しがってから、急いでフランツを追い越し、グレイグはアンナを追った。

「アンナ、こっちだよ! こっちの扉!」

 そんな感情むき出しのグレイグに、フランツはふと自分の昔を思い出した。

 十二歳……。今フランツは十八歳だ。家を出てオルフェの元に転がり込んだのは、たしか同じぐらいの歳だったと思う。よく覚えてはいないけれど。

 だとしたらグレイグぐらいだったその頃の自分は、一体どうだったろう。確か母親が出ていって。いや、もっと前にいなかったか? 全く思い出せないところが恐ろしい。

 そもそも自分は何がどうして、どうやってオルフェの弟子になったんだったろう。怖いことにそれすらも思い出せない。

 フランツは首を振る。一人で考え事をしている場合ではなかった。グレイグがいないと、フランツはこの建物の内部が全く分からないのだ。

 先にいってしまう二人を急ぎ足で追いかける。地下通路への扉が開いていて、そこから賑やかな二人の声が聞こえるから、見失わずに真っ直ぐついて行くことが出来た。

 抜けた先は、建物の壁と壁の間、行き止まりのようになっている狭い空間だった。

 白く塗られた清潔そうな壁が、人一人通れるくらいの隙間で二枚立てられ、その間に扉があるのだ。

「ほら、ここが近衛部隊の兵舎だ。すごいだろ?」

 自分で作ったわけでもないのに、グレイグが自慢げに胸を反らす。

「うん、すごい!」

 フランツは小さくため息をついて、それを受け流したが、アンナはキョロキョロと回りを見渡したあと、グレイグに向き直った。

「本当に秘密の抜け道だね!」

「だろう? これは父上とお祖父様と僕しか知らないんだ」

「そうなんだ~」

 アンナが感嘆の声をあげたのとほぼ同時に、耳にガラスが割れる音と絶叫が届いた。

「何?」

 その音は、この壁の向こう側で聞こえた。

「何の音? 何か……壊れたの?」

 一度や二度ではない。幾度も何かが破壊される音が響いている。そして断末魔の叫びと、何か人間ではないような咆吼……。

 今までの少ない経験でも十分に分かる。これはただごとではない。おそらく何か恐ろしいことが起きている……。

「……近衛部隊に何かあった……」

 グレイグはそう呟くと、走り出した。自分が懇意にしている部隊だ、気にならないわけがない。

「アンナは待ってて」

 グレイグが振り向き様にそういったが、アンナはグレイグと一緒に走り出していた。

「一緒に行く。怪我人がいたら助けられるかもしれないもん」

 一瞬躊躇ったフランツも、すぐに二人に倣う。ここで逃げて、もしもアンナとグレイグに何かあったら、絶対に後悔する。

 三人が必死に駆けて壁の裏側に出た時、その異常事態が目の前に現れた。

「……なんだ……何が起こっているんだ……」

 グレイグの声が震えた。アンナも黙りこくったままその惨状を見つめている。

 フランツは身動きがとれなくなっていた。そこは食堂の廊下であったはずだった。ところが目に飛び込んできたのは、想像だにしない光景だった。

 白い壁、石の床にぶちまけられた、眩しいほどに鮮やかな赤……赤……赤……そして黒……。

 漂う生臭い香りと、鉄のようなその香り……。


 ――目眩がした。


 気分が悪い、吐きそうだ。

 頭の中で自分ではない者が、グルグルと回り出す。顔を背けようとしても、そのあまりのひどい状況は、それをフランツに許さない。

 目を……目を離すことが出来ない……。

 そこは血の海だった。真っ赤な血と真っ黒な血が混ざり合い、白く塗られた壁に鮮やかなコントラストを描いている。

 尋常ではない……。

 その時、食堂から一人の男がよろめきながらはい出してきた。血にまみれていいるが、年配の男であることが分かる。怪我をしているようだ。

 その男を見てグレイグの目が見開かれる。

「ボイド!」

 グレイグが叫んだ。年配の男はこちらに振り返り、そして驚愕した。見ては行けない者を見てしまったというように、グレイグへ向かって声の限りに叫ぶ。

「殿下! 何故ここにおられるか!」

「何があったんだ! 今行く!」

 駆け寄ろうとするグレイグに、ボイドは叫んだ。

「来てはなりませぬ!」

 絶叫するボイドの後ろから、のそりと大きな人影が現れた。食堂から誰かが出てきたのだ。

 その姿が目に映った瞬間、フランツは戦慄した。異常なまでに発展した筋肉の上を、無数の蛇が這っている……。いや、蛇ではない。血管が蠢いているのだ。

 動けなくなったグレイグとフランツに変わって、最初に攻撃に出たのは、アンナだった。

「おじさん、逃げて!」

 ボイドと呼ばれた男にアンナはそう叫ぶと、すぐさま両手を頭上に高く上げた。手を交差すると、空間にある水が渦を巻いて集結し始める。

「水の精霊よ、我の求めに応じ、ここへ集結せよ」

 求めに応じて掌に大量の水が集まった。直径一メートルほどはある。アンナはまだこれを調節しきれていない。

「いって、水の球!」

 放たれた水の球は、一直線に怪物へむかって飛んだ。それを見ていたボイドは、立ち上がりよろめきながらも、こちらへ向かって歩いてくる。

 体には無数の傷があり、全て浅くはなさそうだ。

「ありがとう精霊使いのお嬢ちゃん、助かった」

「おじさん、後ろに下がってて」

 アンナはお礼を言う男に視線を向ける余裕もなく、第二破、第三破を怪物に向かって投げつけた。これなら、あの怪物とて無事ではすまされないだろう。視界一杯に溢れた水しぶきの向こうには、怪物が倒れているはずだ。

「殿下、何故ここにいらした!」

 ボイドの叱責にも似たその口調に、グレイグは黙ったままだった。未だ衝撃から立ち直れていないのだ。

「早く王宮にお戻りなされ。ここはもはや戦場です」

「戦場……」

 グレイグがそう呟いた時、自分が放った水の球の行方をじっと見守っていたアンナが叫んだ。

「……効いてないよ、水の球!」

 絶望的な表情でボイドが呟く。

「奴に痛覚はない」

 振り返ると、怪物はゆっくりと体を起こすところだった。あの水の球の直撃を喰らったというのに、その怪物にダメージを受けた形跡はほとんどない。そして初めてこちらへと顔を向けた。

 筋肉でふくれあがった奇妙な顔の中で、ただ一点目だけが飛び出して、ギラギラと妖しい光と放っている。その目が、フランツを見た……。

 恐怖で足先が痺れてくる。だけど怪物から目を離すことが出来なかった。怪物はフランツたちを見て、口の端を奇妙に吊り上げた。

 笑っている……。

 このままでは自分たちもやられる。

 この床一杯に広がっている血をぶちまけて死んでいった人と同じく……。

「逃げろ! 勝ち目はないぞ!」

 絶望的な叫びをあげるボイドに、グレイグは青ざめたまま言った。

「だがボイド……逃げ道がない……」

 重苦しい沈黙の中でフランツはグレイグの言いたいことを悟った。先ほど抜けてきた王宮への道へいけば、逃れることは出来るだろう。だけど怪物に王宮への道を教えることになってしまう。

 そして彼らを追いかけてきた怪物は、王宮で暴れ回るだろう。そうなると王宮にいる彼の祖母パトリシアや、侍従たち、女官たちが危険にさらされてしまう。

 戦場に立ったことがあるのは、王妃パトリシアのみ。だがかなりの年を召し、エドワードと違って王妃になってからは、その技術を捨て去ったと噂に聞く。

 それに親衛隊では数が少なすぎて、この怪物に敵わないかもしれない。

「殿下……ではあなただけでもお逃げなさい!」

「嫌だ! 逃げない!」

 グレイグが上げた大声に、怪物が反応した。ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。

「効かない……!」

 アンナは必死で水の球を放るが、怪物の足を止めることはできない。

 フランツは決心した。今ここにいること、そして一緒にいるのが、次の次の国王となる人間であることは運命かもしれない。

 だったら運命は自分で決める。他人になど決めさせない。それが怪物であっても。

「僕は死ねないんだ。こんなところで!」

 フランツは腰から炎の槍を取り出す。魔法を使うのみなら、伸ばす必要はない。

 槍に填った炎の宝玉に手を触れると、体の中に熱くたぎる炎の力が沸き上がってきた。槍を左手に構えて、フランツは右の手に精神を集中させた。

「炎の精霊よ、我の求めに応じその力を与えよ」

 熱い炎が右手に集まり、炎の固まりとなって渦巻く。今まであまり成功してはいなかったが、狭い場所で有効な炎の矢を使う。この炎の勢いならいけるかもしれない。

「力と勇気を僕に貸してくれ! いけ! 炎の矢!」

 炎が幾つもの矢となってフランツの元から飛び出した。真っ直ぐに怪物へ向かって突き進む。

「やった!」

 上手くいった手応えにフランツは短くそう叫んだ。炎の矢は怪物に突き刺さって激しく破裂したのだ。

 だがもうもうと立ち上がる煙が薄れてきた時、フランツは信じられない者を見た。怪物はフランツの攻撃を全て避ける事なく、体で受け止めていたのだ。無数に体に開いた火傷のあとから、真っ黒な血を流しながら、化け物は笑っていた。

「そんな……」

 フランツは後ずさった。怪物はじわりじわりと距離を縮めている。

「言ったろう、痛覚はないのだ!」

 ボイドの言葉が痛い。分かっているがどうしていいのか分からないのだ。

「くっ! これならどうだ!」

 フランツは特大の火球をその右手に作り出した。

「いけ! 火球!」

 こうなったらもう、建物のことなど構っていられない。こいつを倒すのみだ。

 特大の火球は爆発音と共に、怪物を飲み込んだ。巨大な火柱が上がり、回りに散らばっていた色々な物を燃え上がらせる。

 その瞬間怪物の咆吼が上がった。

「……効いてる……のか?」

 フランツが呟くと、廊下に散らばっていた布から上がる炎と煙の中から、全身を焦がした怪物が低いうなり声を揚げならが姿を現した。

 恐ろしいことに、それでも怪物は痛みを感じていないらしい。

 だが変化はあった。怪物は首を振りながら、飛び出ていた目を押さえていのだ。

「やつめ、目をやられおった!」

 ボイドはそういうと、剣を抜いた。いくら怪物といえども、目が見えなければ勝機がある。だがボイドの怪我は本人が思った以上にひどく、駆け出すことが出来ない。

「なんということだ。絶好の機会だというのに……」

 床に手をついて呻くボイドの横から走り出したのは、グレイグだった。

「殿下!」

「怪物の目が見えないなら、僕にも戦える」

「何を無茶な! やめなされ!」

 ボイドの忠告を無視して、怪物に突っ込むグレイグを、フランツは追った。

 グレイグは状況判断が甘い。確かにフランツの攻撃で目をやられているけれど、痛覚のない怪物は、そのせいで攻撃を弱める事なんて、ないかもしれないのに。

 この前リッツが言っていたのはこういう事なのかもしれない。でも、それでもグレイグを放っておくことが出来ない。もし彼を死なせたら、絶対に後悔する。

 見えない何かが自分を突き動かしている、そんな気がした。

「フランツ!」

 呼び止めるようなアンナの声に、フランツは振り向かずに答えた。

「アンナはボイドさんを治して!」

 しばしの躊躇の後に、アンナが頷く。

「……分かった!」

 その短いやりとりの間に、グレイグは怪物へと斬りかかっていた。前の見えない怪物の体は、グレイグの剣で易々と切り裂かれる。どす黒い血が体からあふれ出ていた。

 一体この怪物は何なのだろう……。

 がむしゃらに怪物に斬りつけるグレイグは、無我夢中で周りが見えていない。グレイグに後れをとったフランツには、離れている分状況が見えていた。

 目の見えない怪物が、無茶苦茶に剣を振るっているグレイグに気が付いたのだ。

 目から手を放し、怪物はまだ気が付いていないグレイグに手を伸ばす。

「危ない!」

 咄嗟にそう叫んで、フランツはグレイグを突き飛ばした。

「何をする!」

 グレイグの抗議より早く、怪物の手は想像以上のスピードでフランツの体をはじき飛ばした。壁に叩き付けられた瞬間、嫌な音が耳についた。同時に激痛が走り、意識が遠のく。

「フランツ!」

 アンナとグレイグの悲鳴が、微かに意識のそこで聞こえる。暗くなってくる視界にゆっくりとこちらへ向かってくる怪物の姿が見えた。

 ここで意識を失うことは出来ない。そうなったら終わりだ。フランツは気力を振り絞った。痛みに耐えながら、必死で怪物を睨む。

 こちらへ来ようとするアンナの声が聞こえたが、フランツは声を絞り出すように警告する。

「……来るなアンナ……敵わない」 

「そんなの、やだ!」

 アンナの声は泣き声混じりだ。絶望的状況だな、とフランツはふと冷静にそう思った。

 死ぬのかな……。

 こんな風に死を意識したのは初めてだ。

「そうはさせないぞ!」

 グレイグが怪物に後ろからまた斬りつけているのが見えたが、それに効果がないことは分かっている。怪物は煩わしげに上半身を捻り、剣を振り回すグレイグの腕を掴んだ。

「うわぁぁぁぁ!」

 片手で軽々と宙に持ち上げられ、グレイグが悲鳴を上げている。怪物の力でグレイグの片手が変な方向に折れたのが見えた。あれでは戦えないだろう。

 絶望的だ……。このままではグレイグまでもが殺される……。

 そうなったらこの国は……。

 フランツは自分の心にある見えない力の正体に気が付いた。この国を乱れさせたくない。また内戦なんて起こさせない。そういう強い意志だ。

 いま火球を使うと、グレイグが巻き添えになる。それは使えない。それならば、どうしたらいいんだ。

 一瞬の苦悩のあと、フランツの頭にまるで閃光のようにある考えが閃いた。意志を持ち、攻撃を命じることが出来る、あれだ。

 だがフランツは一度も制御し得たことがない。それでもこの際、やむを得ない気がする。他に手段がない。フランツは槍の宝玉に再び触れた。

 これは王家に伝わった品……王家を守るために、力を貸してくれ!

 体を駆けめぐる炎の熱い力が、フランツを勇気づけた。これが失敗すれば、グレイグも自分もお終いだ。いままで危機には助けてくれたリッツも、エドワードも……そして師匠もいないのだ。

 フランツは自分の横で、まだ燃え続けている火球の燃え残りである、炎を見つめた。これならもしかしたら……。

 目を上げると、怪物のもう片方の手が、グレイグの首を掴もうと伸ばされるのが見えた。目が見えないのと、グレイグが暴れるのでなかなか位置が定まらないようだ。

 まだ大丈夫だ……。間に合う……。

 それを確認してから、フランツは朦朧とする意識のまま、傍らで燃え続けている炎に手を伸ばし、ゆっくりと言葉を繰り出した。

「力と勇気を司る炎の精霊よ。我の求めに応じ、我が元へいでよ。その力を分け与えたまえ」

 祈りの声と共に、目の前の炎が一段と明るく輝きだした。だがそれは望む形をとることはしない。

「くそっ! 駄目なのか……僕にはまだ駄目なのか……」

 その瞬間、胸の辺りで何かが熱く燃え上がり、破裂したような衝撃をうけた。そこにあるのは……あの不思議な珠。

 フランツは服の内側に下げてあったその珠をとりだした。真っ赤に燃え上がり、輝いている。そうだ、これを使うしかないんだ。

「僕の中に眠っている、炎の力よ。頼む、ここへ現れてくれ」

 体中が熱い、炎に焼かれるようだ。だがフランツは祈りをやめなかった。

 ギリギリの状態で歯を食いしばって、熱に耐えるフランツの頭の中に、強い意志を持つ力のこもった重々しい声が響いた。

『心の力で、強く我を求めよ』

「お願いだ、火竜! 僕にその力を貸してくれ!」

 その瞬間、頭の何処かが白くはじけた。何かが分かったような感覚をつかみ取ったのだ。

 声と同時に目の前にあった消え残りの炎が、何十倍もの大きさにふくれあがり、巨大な竜へと姿を変えた。

「火竜……」

 心が届いた。初めての手応えだった。

 その輝き、そしてあまりに早く消耗していく自身の体力に、フランツは必死で堪えながら、火竜に命じた。

「……あの怪物を倒せ」

 火竜は大きく咆吼をあげ、渦巻く炎となった火竜は怪物の頭に向かって巨大な炎を吹いた。

「熱い!」

 グレイグが呻いている。そういえばグレイグを助けてくれとは言わなかったのを思い出す。

 だがフランツは、何となくそれは火竜に通じているのが分かった。何故ならその熱は、ギリギリでグレイグに届いていないからだ。

 怪物の頭が炎に包まれてから数秒で、グレイグは力を失った怪物の手から、下の床へと落ちた。

「……火の竜……これがフランツの力……」

 ゆっくりと後ずさりしながら、グレイグが呟くのがフランツの耳にも微かに聞こえた。

 火竜の吹いた炎が怪物の頭から消えた時、怪物の頭はもうその場所になかった。綺麗に燃え尽きていたのだ。

 流石の怪物も頭を失ったとあってはどうにもならず、ゆっくりと倒れていく。だが一息ついている間はない。騒ぎを聞きつけた他の怪物が、食堂から出てき始めていたのだ。

 その数、おおよそ十。

 フランツは気力で立ち上がった。

 目が回る。足下がおぼつかない。景色が歪んで見えている。背中が痛い、胸が痛い。息が苦しい。

 いつもなら文句を言うだろうことが山ほどある。

 でも、なんとしてもこれを全て倒さなければ、どうにもならない。もし途中で自分の気力が尽きれば、全て終わる。自分の人生も、この国の平安も。

「そんなことにさせない」

 フランツは炎の槍を腰に戻し、自らが旅立つ時に手にした珠を握りしめた。

「火竜、奴らの首を吹き飛ばせ!」

 渾身の力を振り絞って命じたその声に、渦巻く炎が咆吼をあげて、怪物に向かって突き進む。吐き出される炎が燃え上がり怪物たちを焼き尽くすのが見えた。

 食堂と廊下は、激しく燃えさかる炎の竜と、怪物のあげる咆吼に、そして怪物たちの断末魔の叫びに支配される、地獄と化した。

 肉が焼け、鼻をつくような匂いが煙と友に充満していく。吐きそうだ。

 火竜に命令を下したフランツに、もはや力は残っていない。がっくりと膝をつくと、駆け寄ってきたアンナとアンナに傷を治してもらったボイドが、彼をしっかりと支えた。

「大丈夫、フランツ!」

 アンナの目にはまだ涙が堪っている。大丈夫だといいたいが声を出す力もない。声を出すならば、最後の気力一つさえも全て、怪物を倒す方に使わねばならない。

 怪物たちも反撃を試みるが、熱い炎の体に触ることが出来ず、あまつさえ触れようものなら、そこから激しい炎に包まれていく。

 時間にしてほんの数分で、勝負はついた。

 アンナとグレイグの歓声でそれを確認した後、フランツは心の中で火竜に最後の命令をした。

 戻ってくれ、火竜……。

 火竜がフランツに向かってくるのを確認したところで、フランツの意識は、ぷっつりと途切れてしまった。目の前に広がる深い闇の中で、アンナとグレイグの叫びを聞いた気がするが、それも定かではなかった。

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