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呑気な冒険者たち  作者: さかもと希夢
月光桜の誘惑
72/224

<10>

 残ったリッツは小さく伸びをして呻く。これほどの傷を負ったのは、本当に久しぶりだ。 

「死者が出てしまったな……」

 ジェラルドが小声で、隣に座り込んでいるリッツに向かって呟いた。かなり広いこの部屋には、いま重傷者三人と、ジェラルド、リッツ、そして四体の死体があった。

 先ほどの戦闘で命を落としたもの、怪物と化して仲間に打たれたもの、そして最初から死体で発見されたもの……。全てが憲兵隊であることが、悲しい。それを決して口には出さないアルトマンに、ジェラルドは何を言っていいのか分からず、掛ける言葉が見つからないという様子だった。

 憲兵隊・査察官で協力して死体を運び入れた後、怪我人を治療して彼らは再び捜索に戻った。憲兵隊が持参した薬草を塗られて、怪我人は床に寝かされている。

 骨折しているリッツには、残念ながら効果的な治療はなく、ただじっと壁にもたれて座っているしかない。

 一時間ほどのち、扉の外で見張りをしているものを除いた全員が、二階のこの部屋に集まった。一階の捜査を終えて二階へと上がってきたケニーは、廊下の惨状を始めて目の当たりにして、言葉を失っていた。

 事情が分からなくても、そこで凄惨なことが起こったのが一目瞭然だったからだ。扉の向こうにジェラルドとリッツの姿を確認した時の安堵の顔は、今まで見たどの顔よりも疲労していた。

 まず二階と三階を担当した、憲兵隊の報告が成された。怪物の話を聞いた時の一階担当の査察官の驚きと怒りは相当なものだった。

「何と非道な……。そんなことが許されるのか……」

 ケニーは、声を震わせてそう呻くと、拳を床にたたきつけた。自分の部下であったなら、一体その悲しみはいかほどのものかと考えたのだろう。

 部下であった怪物を、自らの手で送るという決断をした、偉大な男をケニーは顔を上げて見た。

「何と言ったらいいか言葉が見つかりません、アルトマン中尉……。ですがあなたの勇気ある決断と信念を私は尊敬いたします」

「……ありがとう」

 短くそういって、アルトマンは微かな微笑みを浮かべた。まず任務を遂行してから、存分に仲間の死を悼む、それが今できることだと心得ている……。それはやはり、現場で生きる男の信念であった。

 だが、捜索の結果は芳しくなかった。結論として、二階と三階には、何もなかったのである。

 怪物と化した人々がいたと思われる部屋は綺麗になっており、まるで彼らを閉じこめるために掃除をしたと思われることが奇妙である。

 あともう一つ不思議なのは、全ての部屋に食事と飲み物が置かれていたことであった。ひとつを除いて全てが食べかけなのだ。

 冷えていたから、先ほどまで食べていたというわけではないだろう。その手を付けられていないひとつは、死体で発見されたバリーと、化け物化していたデンゼルが共にいた部屋にあった。

 この状況からアルトマンが推測したことを、ジェラルドに報告する。

「麻薬は、食べ物に混入されていたと思われます」

 バリーは食事に手を付けなかった、そしてデンゼルは手を付けた。ここで二人の道が分かれたのだ。

 ……殺す側と殺される側に……

「でもおかしいよな……」

 リッツは小声で呟いた。大きな声はあばらに響くのだ。

「何がおかしいんだ?」

 横にいてリッツの小声を耳にした、ジェラルドが尋ねる。

「ずっと引っかかってたんだよ。この麻薬のこと」

「麻薬の事?」

 肺に楽に空気を送れる角度を探して、数度身動きする。今の角度ではちょっと辛くなってきたのだ。ようやく楽な角度を探し当て、リッツは一息ついてから話し出した。

「なぁ、誰か麻薬の現物持ってないのか? 俺一度も見てないんだ」

 座ったままそういったリッツに、アルトマンが近づき、腰に留められていた革製の袋から小さな瓶を取り出した。

 受け取ったリッツは何気なくその瓶を開けた。ふんわりと柔らかく甘い芳香が鼻腔をくすぐる。まるで香水のような香りだ。これが会議で聞いた、月光桜の香りという奴なのだろう。瓶を傾け、その中身を手にした。薄い黄色がかった小さな錠剤である。

「なるほど、これがね……。菓子みたいだな」

 子供用の砂糖菓子にも見えるそれを、リッツは人差し指と親指で摘み、全員に見せる。

「この麻薬は疲労回復剤として港で売られていた。服用すると幻覚作用と筋力増加の作用があり、暴行事件が多発した……。これが俺たちの聞いている情報だ」

 基本情報を突然話し出すリッツに、何を言い出したのか分からず、全員が黙って次の言葉を待った。

「でもこの薬が切れたら、憲兵隊の取り調べに応じられたんだろ? さっきの化け物たちにはどうしたって無理だ」

 化け物は血液までも変色を起こしていた。聞いていた話のように、効果が切れたあとにまともに戻る可能性は全くない。考え込む一同を前に、リッツは独り言のように言葉を続ける。

「麻薬を大量に摂取したらあの化け物になるってんなら、食事に混入することは難しい。錠剤なら絶対バレるだろ? なのにプロであるはずの憲兵隊がそれを口にした……」

 リッツは一旦言葉を切ると、髭をしごきながら思考を巡らせるアルトマンを見つめた。視線に気が付いて目を上げたアルトマンに、静かに尋ねる。

「何故だアルトマン? 死んだ三人はそれに気付かねえ奴らなのか?」

 アルトマンは力無く首を横に振った。彼にもそれが分からないのだ。

「それは断じてない。内偵者は一流の者だ。それにその独特な香り。ほんの微かでも、彼らはそれをかぎ分けるだろう。ましてや大量とあれば、それを熟知している彼らが口にするわけがない」

「そうだよな。だとしたら、俺たちは何か間違った方へと、思考を向けさせられてたんじゃないか?」

 ……情報を知り得る誰かの手によって。

 リッツは掌で麻薬をもてあそんだ。コロコロと転がるその黄色い粒は、一見すると恐ろしい物には感じない。だがこれには、あの怪物を製造する恐ろしい成分が含まれているのだ。

 自らの思いつきにため息が漏れる。内偵者が軍の内部にいる可能性が高くなってきた。

 この作戦の日にち、状況を先を知り、そして証拠を消していける者……。考えたくはないが、内通者は憲兵隊内部もしくは査察官内部にいる。

 リッツはこの考えを口に出すことはしなかった。今この全員が、お互いへの疑心暗鬼に陥ることは、作戦の完全なる失敗を意味しているからだ。

 だがきっと口に出さないだけで、みんな気がついているだろう。

「間違った方向とはなんだと思う?」

 押し黙ったリッツにジェラルドが水を向けた。

「例えば……麻薬には本当は香りなんてないのかもしれない」

 麻薬を瓶に戻すと蓋をした。漂う香りをだけ残して、強烈な花の香りは消えた。

「……無味無臭なのか」

 小さくアルトマンが頷いた。それなら芳香がないから安心だと思った食物に、麻薬が混入されていても分からないかもしれない。瓶を無意識にふりながら、リッツは一人呟く。

「そう。それで固体でもないのかもしれない。香りを付けたり、効果を少なくするために、わざとそういう形を作っていた可能性だってある。最初から奴らの目的は、この薬物の誤ったイメージを俺たちに植え付けることだったのかもしれないだろ」

 瓶を軽く振ると、中の麻薬がコロコロと乾いた音を立てて転がる。つまりあるべき形、探すべき物は、この麻薬とは正反対なのかもしれない。

「俺たちは見知った形、情報の物を探してきた。だがもしもそうではなかったら?」

 口に出して言葉に乗せるうちに、徐々に頭の中が整理されていく。そうだ、もしあの麻薬が考えの通り無味無臭の液体だったとしたら……。

「リッツさん、もしかしたら……」

 ケニーも気が付いたのか、ハッとした顔でリッツを見る。

「そうだ。おそらく麻薬はここで作られていたんだ。国外から港に持ち込まれたんじゃなくてな。俺たちは輸入されたものだと思っていた。あの香りを頼りに探していたから港湾部での摘発はできず、憲兵隊は彼らがどこかに秘密の倉庫を持っていると仮定し、その出所を探っていた。だよな?」

「そうだ。ここはその取引場所だろうと考えて内偵していたんだが……」

「でも違った。ここは取引場所じゃ無い。でも内偵者は匂いを頼りに探したから気がつかなかった」

 今や全員が気が付いた。ジェラルドがようやく納得がいったという顔でリッツを振り返る。

「麻薬はここで製造され、販売時に香りを付け陸路から港湾地区に運ばれていた。海外から入ってきたと偽装するために……。そういうことか」

「ああ。あくまでも俺の考えだけどな」

 アルトマンは一言唸ってから黙り込んだ。麻薬を生成する工場がここにあったとすれば、彼の部下たちの姿を変えた物が何であるかなど、簡単に想像がつく。

 ここにあの麻薬の元となる、原液もしくは原材料があったのだ。それはあの麻薬の何十倍も強力で、そして摂取してしまえばもう元には戻れない恐ろしいもの……。

「それでは査察官の話を聞こう。何かあったか?」

 このまま時が止まってしまいそうな状況を、ジェラルドが動かした。そういえばまだケニーの報告を聞いていない。

「……地下室らしきものがございました、殿下」

「何?」

 アルトマンが立ち上がった。

「貴官は何故そのような大事な報告を、先にせんのだ!」

 怒鳴られたケニーは、座ったままアルトマンをにらみ返す。

「地下室を見つけたが、入れないのです、中尉。我々四人の力では不可能でした」

 それがどうしたといわんばかりの表情で、アルトマンはケニーを見据えた。

「それでも報告を先にすれば、手っ取り早くそこへ侵入し、証拠を押さえることが出来るではないか」

 提案されたあまりにも強引な、そのやり口にケニーはムッとしたのかケニーも立ち上がった。

「確かなことが何一つ分からない事を最優先する、正統な理由はありません。まず調査・報告が全てに対して優先されます」

「……理屈が先立つ査察官の考え方には、呆れるわい。何を呑気なことを……」

 せっかく協調がとれそうな状況になってきたのに、またぶつかり合いそうな二人の間に入ったのは、ジェラルドだった。

「二人とも落ち着け」

 彼は苦笑しつつ、立ち上がり二人に声を掛ける。横腹の傷から流れていた血は、止まったらしい。

「怪我人が多数出て、戦力が低下したこの状況でも、またいがみ合いをするのか?」

「しかし……」

「ですが……」

 不服そうに目を伏せる二人に、ジェラルドはため息をつきながら続けた。

「私は子供にでも出来ることを、貴官らに要求しているのだ。いいか、二度と言わぬから、よく聞くのだぞ」

「はっ!」

 その今までにない威圧的な調子と、現国王によく似た口調で、二人を黙らせたジェラルドは、にっこりと微笑んで二人に命じた。

「仲良くしなさい」

 ケニーとアルトマンは、ジェラルドのあまりのことばに呆然と口を開けたあと、お互いの顔を見遣って表情を和らげた。

「……御意にございます、殿下」

 二人の様子を見てから、ジェラルドは頷いた。

「ああ、それでいいんだ」

 何も口を出さずに見ていたリッツは、口の端を綻ばせた。エドワードとは解決方法が全く違う。多分彼なら、様々な事例を出して言いくるめた後、命令によって彼らを治めるだろう。

 だがジェラルドは、温厚な一言で彼らの喧嘩を治めた。エドワードは従うべき主君としての天分があるが、ジェラルドには部下たちに、共に歩みたいと思わせる才能があるのかもしれない。

 心の中でエドワードに向かって語りかける。全然心配する必要なんてないじゃないか、こいつはこいつのやり方で上に立てる。お前とはやり方が違うだけだ、と。

「さてそれでは地下室を調べよう。この部屋の安全は確保されたものとして、臨時の救護室としよう。そうだな憲兵隊を三人、一応警護と看病のために置いてくれ」

 思案しながらジェラルドは配置を決めていく。

「リッツはどうする? 肋骨が折れているなら、休んだ方がよくはないか?」

 心配そうにそう告げたジェラルドに、不敵な笑みを浮かべてみせ、リッツは立ち上がった。

 正直に言うと肋骨の痛みは相当ひどい。だが、散々に怪我を負ってきたリッツには、そう重傷ではない。彼らにこの痛みを隠すことは可能だ。

 それにここで休んでいてはエドワードとシャスタに託された責務が果たせないではないか。

「肋骨の一本や二本折れたところで、なんの問題もないさ。こんなの戦場じゃ当たり前だからな」

 大剣を背負うと、リッツは傷ついた合同捜査隊とジェラルドに屈託のない笑顔を向けた。

「さ、行こうぜ」

 館内突入から一時間半。時間はすでに十時になっていた。

 玄関から入った先、元はパーティルームだったと思われる床の一角にその入り口はあった。絨毯によって覆い隠されていた地下への入り口は、重たい鉄の板で封印されていたのだ。

 一見したところでは全く分からないが、その場所を歩いてみれば靴音の違いからすぐに分かる。一応絨毯で覆い隠されているが、敵に本気で隠そうという意図があったかどうかは疑わしい。

 その板をはめ込んだ鉄のねじは真新しく、最近まで閉じられていなかったことが分かる。やはりこちらの情報が漏れていたと考える方が自然だろう。  査察官と憲兵隊が協力し合ってねじが取り払われ、ようやく鉄の板がどかされた。

 地下から上がってくる香りは鼻につくような腐臭と、微かな甘い香りだ。その妙になま暖かい空気に、ほんの微かに混じる甘い香りは、花の香りだった。

 麻薬の錠剤と同じだと、リッツは気が付いた。現物を見たことのある憲兵隊も、この香りに気が付いたろう。だがこの香りもあの一粒とは比べものにならないほどに微量でしか無い。それよりも強い腐臭が勝った。

 無意識にポケットに触れると、アルトマンに借りた麻薬の瓶に触れた。やはりこの錠剤は、製造よりも後に強烈な匂いを付けられていたのだろう。

「……図面にはなかったところだな」

 リッツの隣に立ち、黒々と続く地下をじっと窺っていたジェラルドは小さくそう呟いた。

「ああ。きっと工事に業者が入ってたってのは、これを作るためだったんだろうな」

 だとしたら、二階と三階に何も手を入れていなくても納得がいく。

「内偵の際に気がつかなかったのは、やはり内通者がいたからか……」

 小さなアルトマンの呟きに答えず、リッツは痛みを逃すべく小さく息を吐き、独り言を呟く。

「気味悪いところだな」

 それはリッツ以外も同じだろう。この腐臭は異常だ。だがこんなところでのんびりしている暇はない。見るとケニーは手に燭台を持っていた。二つある。

「中は暗いでしょうから、これを使います」

「用意がいいな」

 冗談のつもりでそういったが、ケニーは真面目に答える。

「これは食堂で見つけたものです。残念ながら用意が整っておらず、ランプまでは持ち歩いておりませんでした」

「いや、いいんだけどさ」

 リッツは慌てて訂正した。どうもケニーは堅苦しくていけない。よく見ればその燭台は、共に同じ形をしており、高級なそうだ。部屋の左右にでも対照的に飾られていたのだろうか?

 元は銀であったのか、酸化して真っ黒に黒ずんでいるが、その拵えは見事だ。きっと下級貴族の前この館を所有していた商人が、置いていったものだろう。

 扉を閉じられてしまうとどうしようもないので査察官二人を見張りに残し、合同捜査隊は地下への階段を下りていく。必然的に燭台のひとつを持っているケニーが、先頭になった。もう一つは最後尾にいるアルトマンに渡された。これで全員が足下を見られるくらいは明るいはずだ。

 この地下への階段は、二階へと上がる階段に比べると狭い。二人がギリギリで通れるくらいだが、そうすると余裕がないのだ。

 ケニーの次にリッツ、査察官、ジェラルド、そして憲兵隊、アルトマンが続く。先が見えない階段は、思ったよりも長く感じられた。

 見えるのはケニーが掲げる燭台の明かりだけで、他は何も見えない。徐々に目が慣れてくるものの、この暗さでは心許ない。

 先に進んでも暗闇のままのその階段に、一同が少々不安になりかけた時、ケニーのホッとしたような声が聞こえた。

「着きました」

 とりあえずどこかに着いた、という安心の吐息が漏れる。

「まったく、果てがないのかと思ったぜ」

 リッツの冗談に微かに一同が笑う。だが完全に安心したわけではない。先ほどのように何があるか全く分からないのだから。

 もう一つの燭台を持ったアルトマンがようやく階段から下り、ケニーの隣に立って燭台を捧げた。二つあるとやはり明るい。

「……見える範囲では、なにもないようだが?」

 ジェラルドが小さく呟いた。確かに燭台が照らし出す、この狭い範囲には何もないようだ。

「ですが隠されていた部屋です。こんなはずは……」

 ケニーは途中で言葉を切った。全員に緊張が走る。

「どうした?」

 正面に目をこらすケニーにリッツが尋ねると、ケニーは今見ていた方向に燭台を掲げた。

 二つの目が、暗い中でギラリと光った。

「アルトマン中尉、こちらを照らしてください!」

 ケニーの要請より早く、アルトマンはそちらに燭台を向けていた。闇がぼんやりと薄らぎ、そこに光る目を映し出す。

「誰だ!」

 鋭く投げかけられたケニーの声に、光る目が答える。

「お前は敵か?」

 男の声だった。低く掠れたその声は、確かにそう尋ねた。

「何?」

 質問の意図が分からず、ケニーは困惑したように聞き返す。だが声はその問いに答えはせず、再び自らの問いかけを発した。

「……お前は人間か?」

 しばしの沈黙の後、ケニーの隣に立っていたアルトマンが答えた。

「人間だ」

「そうか……人間か……」

 部屋の空気が、ほんの少し動いた。

「それなら、敵だ……」

 声と同時に、燭台がケニーとアルトマンの手から叩き落とされた。

「しまった!」

「明かりが!」

 暗くなったことで、憲兵隊と査察官は恐怖に駆られた。一瞬皆が出口に向かって駆け出そうとする。だがパニックに陥りそうな面々に、リッツが怒鳴った。

「落ち着け! 慌てる奴から死ぬぞ」

 まだ混乱を押さえきれない雰囲気は漂っているが、慌てて逃げ出そうという気配は消えた。

 大剣を構えると、リッツは神経をとぎすました。あの距離から一瞬にして燭台を叩き落とすとは、尋常なスピードではない。

「ジェラルドを守りながら、全員後ろに下がれ」

 肋骨の痛みを堪えながら、リッツはそう命じた。得体の知れない者を相手にしている今は、ジェラルドの決断を待っている場合ではない。

「リッツは怪我をしているではないか! 私だけ守られて逃げられない」

 ジェラルドが声を荒げた。

「いいから行け!」

 だがジェラルドは逃げなかった。いや、逃げられなかった。光る目がぎょろりとジェラルドの方を向いたのだ。

 この男、全てが見えている……。

 全員がそう悟った瞬間、誰もが動けなくなった。光る目はじっとジェラルドを見据えている。もし今不用意に動いたら、危ない。

「ジェラルド……その名は聞き覚えがある……」

 声と光る目が、そう呟いた。

「殺してはいけない……いや……殺せと言われた」

 光る目は左右に激しく振られた。頭を振っているのだろうか? どうやら男は混乱しているようだ。だが、危険なことに変わりはない。

 一秒が、とてつもなく長く感じられた。男は何かを呟いている。その言葉は次第にはっきりしてきた。

「殺すな……殺せ……」

 目がジェラルドを見据えて、ギラリと光った。咄嗟にリッツは目の方へと走り出す。その目が男の感情を表していたからだ。

 それと同時に男が叫んで走り出した。

「殺す!」

「逃げろ、ジェラルド!」

 そのスピードにリッツは追いつけない。リッツの叫びにジェラルドは答えられたのか、リッツには見えない。だが耳に入ったのは、ジェラルドの呻き声だった。

「ジェラルド! くそっ!」

 リッツの絶叫に、男の声が重なる。

「人間め! 思い知ったか!」

 声のしたところめがけて、リッツは剣を振り下ろした。だがそれより一瞬早く男は身を引いた。早すぎる……。

「アルトマン、ケニー状況を説明しろ! ジェラルドはどうなった!」

 リッツは剣を構えたまま、二人に向かって怒鳴った。だがそれに答えたのは、ジェラルドだった。

「私は……生きている」

 一気にリッツの中の緊張が緩んだ。

「生きてんのかよ、脅かすなジェラルド」

 だがリッツはジェラルドの声が、苦痛に満ちたものであることに気が付いた。声を頼りにジェラルドの方へと歩み寄ったリッツは、かろうじて体を起こしているジェラルドの横に座り込んだ。

 ……血の香りがする。傷は浅くない。一刻も早く手当をしなければならないだろう。

「アルトマン、憲兵隊と共にジェラルドを連れて離脱しろ」

「しかしリッツくん……」

「行けって!」

 リッツの怒鳴り声に押されるように動き出した憲兵隊だったが、やはり命令を実行することは出来なかった。光る目が、目前に立ちはだかったのだ。

 いつの間に回り込んだのか、リッツの遙か後方にいる。

「人間め、俺は決して許さん……」

 男は目を光らせてじりじりとジェラルドとリッツのいる方に近づいてくる。大剣を構えて、リッツはその目を見据えた。

「……お前たちを殺す。人間たちを殺す……」

 ぶつぶつとそう呟きながら、男は歩を進めている。リッツはふとその声に理性が混じるのを感じた。

 この暗闇、そして飛躍的な運動能力、麻薬中毒の人間かと思ったが、そうではないのかもしれない。第一混乱しているようだが、この人物はきちんと言葉を話しているではないか。

 この暗闇、そしてこの地下室……。もしかするとお互いに何かを間違えているのかもしれない。

 もしそうなら、説得できるか?

 リッツがそう考えた着いた時、男はしっかりとした口調でこう言い切った。

「こいつらを殺して……俺は故郷へ帰る!」

 光る目は、決意を持って再びジェラルドを見据えた。

「待て! お前は何か勘違いしてないか?」

 ジェラルドへと飛びつこうとした瞬間の男に、リッツは叫んだ。肋骨が痛むが、今はそれどころではない。

「勘違いだと?」

 一瞬声が当惑したように揺らいだ。

「ああそうだ」

 沈黙の後、空気が動いた。次の瞬間にリッツは軍服の襟首を掴んで持ち上げられていた。骨が軋み、呼吸がきつくなる。男の手を掴んで、リッツはかろうじて自分が呼吸できるよう体を支えた。

 二メートル近い長身のリッツよりも、男は更に大きかった。

「何の勘違いだ! 貴様ら人間が俺をこうしているんだ。この地下室に来る人間は皆同じだ。みな俺の敵だ!」

 揺さぶられて、折れた肋骨がすさまじい痛みを訴える。だがどうすることも出来ずリッツはじっと堪えた。

「人間なんぞ皆同じだ! 人間なんぞ死ねばいい!」

 この男、合同捜査隊を麻薬組織の連中と同一視している。少々の精神錯乱のせいもあるだろうが、自分の敵と、今現在ここにいる人々の違いが認識できていないのだ。

「人間なんぞ……」

 苦しい呼吸の下で、リッツは気が付いた。彼は人間を恨んでいる。

 人間という種族(ヽヽ)をだ。

 突然リッツは理解した。このスピード、そして暗闇で光る目。何故今まで思い当たらなかったのか……。

 ――この男、人間ではない。リッツと同じように、人であり人でない存在。

 隣国リュシアナの特別自治区に住む獣人だ。

「人間人間と、連呼するな……」

 リッツは掠れた声で、男にそう語りかけた。だいぶ苦しくなってきた。男の手はまだリッツの襟元を掴んで、持ち上げたままだ。

 賭だ。これで巧く逃れられなければ、死ぬ。

 リッツは男の紅く輝く目を見た。

「俺を殺すのは……お門違いだぜ……」

「何だと……?」

 一瞬男の手が緩んだ。それを見逃さずにリッツは両足で男の腹に蹴りを入れた。

「うぐっ!」

 呻いた拍子にリッツは男の手から逃れた。床に崩れ落ち、必死で体に酸素を取り込むべく、荒い呼吸を繰り返した。危ないところだった。

 肋骨が痛むせいで、大きく呼吸できないのがまた辛い。乱れた呼吸のまま、リッツは顔を上げ、まだ呻いている獣人に向かって言い放った。

「俺は……人間じゃない!」

「な……」

 獣人の男は、絶句した。リッツは続ける。

「俺は……精霊族だ。お前は……獣人だな?」

 なかなか呼吸が戻らずに、とぎれとぎれでそういったリッツに、獣人は困惑したような声をあげた。

「精霊族……光の一族だと……? そんな……馬鹿な。何故人間に加勢する? こんな、こんな悪魔のような所行を行う人間に!」

 どうやらこの獣人の中で、人間のイメージは最悪になってしまったらしい。しばし睨み合っている内に、呼吸が落ち着いてきた。

「俺たちは違う。ここで悪事をはたらく人間たちを退治しにきたんだ。人間にも色々いる」

「うそだ!」

 困惑を隠せない獣人の肩に、リッツは手を置いた。びくりと獣人は体を震わせる。獣人族は、精霊使いであり、長い寿命を持つ光の一族を、崇めているという。昔リュシアナに行った時に聞いた、その言葉に賭けるしかない。

「光の一族である俺を信じてくれ」

 獣人はがっくりと肩の力を抜いた。

「光の一族は、最も我らが敬愛し賜る女神に近い一族……。なれば従うしかない」

 祈るかのように静かな声で、男はそう呟いた。リッツはその言葉に、複雑な思いを抱きながらも、男から敵意が消えたことを感謝した。

 まさかここで、忌み嫌っている自分の種族が役に立つとは思いも寄らなかった。

「ケニー、アルトマンもう大丈夫だ。燭台を探して火を灯してくれ」

「はい」

 地下室にあった明かり全てに火が入れられると、思いの外明るくなった。今までいたのは、上と同じように大きなホールになっている場所だった。

 その両側には鉄格子が嵌められた、いくつかの牢屋があった。その中にはいくつもの死体が転がっており、腐臭を放っている。その死体は死後数日ぐらいであろうが、この部屋の温度が腐食を早めていたようだった。

 ここで凄惨なことが起きていたのは、もはや疑いようがなかった。そしてこの閉じ込められていた男は血も凍るような体験をしたことも分かる。

 そして中央には、鉄でできた巨大な装置が置かれている。あちらこちらにこびりついた粉類や、粘りけのある粘体の物を見るとこれが液体から固体を作り出すための道具であると分かった。

 薬を焼き固めていたのか、大量の薬型もあった。それはもはや小さな工場と言えるだけの設備だった。おそらくこの場所は、実験と製造をかねていた地下牢だったのだろう。

 自分たちが殺されることが分かりつつも、囚われ人は薬を作らされていたようだ。

 手当をするために二階へと連れられていったジェラルドと共に行った査察官数人以外は、ここに残って牢を調べた。その間にリッツとアルトマン、ケニーの三人は獣人の話を聞く事にした。

 獣人の男はレフと名乗った。隣国から連れてこられた後、すぐにここへ監禁されていたのだという。

「ここは恐ろしい所なんだ。連れてこられた人間が、みな恐ろしい化け物になってしまう……」

 レフはそういって震えた。彼のたどたどしい話しを総合すると、こうだった。

 ここには大きな甕が幾つも置かれていた。その甕には、金色に輝く美しい液体が満たされている。その液体は男たちによって、何かと混ぜられてそこに置かれた道具を使って錠剤にされ、毎日運び出されていたという。

 やはり彼はここで強烈な月光桜の香りをかいではいなかった。匂いはここを出て売られる間に付けられたようだ。

 だがある時からそれが変わった。錠剤を作り運び出す作業は、行われてはいたがそれは前に比べて少なくなっていったのだ。その代わりここには、目つきの悪い男たちがくるようになったのだという。

 リッツ達には分かった。その男たちは時期的に見てスラム街で適当に勧誘されたという、ごろつきどもだろう。彼らは甘い蜜に誘われてやってきて、ここで実験台にされていたのだ。

「男たちはみんな、その金色の液体を飲まされる。そうしたら、みんなしばらくしてから化け物になってしまう」

 レフはその間、ずっとここにいたのだそうだ。毎日毎日麻薬を少量づつ飲まされながら。

「俺はいくら飲んでも化け物にはならなかった。たまに幻覚を見たけど、それだけだ。我ら獣人族に麻薬は効かない」

 獣人族は強靱な肉体と、強力な自己回復能力を持っている。その体が麻薬を分解してしまうのだろう。

「だけど、あるとき親切な男がいったんだ『麻薬が効いているふりをした方がいい』って。そうしないとどんどん飲まされて、獣人族といえども堪えきれなくなるって。そのすぐあと彼も化け物になった」

 レフは言われたとおりに、麻薬が効いているふりをした。つまり彼はここで地獄を見てきたのだ。

「麻薬を飲ませたあと、その悪魔のような男たちは俺に言い聞かせた。人間を憎め、人間を殺せって。そこでジェラルドって名前も聞いた。そいつを殺せば楽になるって」

 毎日繰り返される同じ言葉、そして効きすぎない麻薬が引き起こす毎日の幻覚……。それが彼を混乱に陥れていた。

 話を聞いていたアルトマンが、ため息をつく。

「何とひどい話だ、何とむごい……。レフとやら、苦しい思いをしたのだな」

 人間は皆敵だと思い込んできたレフは、そのアルトマンの同情と悲しみに満ちた言葉に、困惑している。

「その通りです。決して我ら査察官はこのような事件の犯人を許しはしない」

 レフの境遇に同情して怒りに震えるケニーにも、レフは不思議な感情を寄せているようだった。

 こうなるとレフは、リッツ以外にも問われるまま話し出した。本来獣人は、亜人種の中では、最も素朴で素直な一族なのだ。それ故に彼らは隣国で労働力として働いている姿をよく見かける。

 そこでようやく分かったのは、その金色の液体が麻薬の原液で、それを摂取するとほぼ一定の時間であの怪物化するということだった。

 時間にしておよそ一時間。ということは、化け物にされた憲兵隊員たちは、一時間後にそうなることを計算されて食事を与えられたのだ。ということは突入の一時間前、七時前後とみていいだろう。

 だが牢屋を全て探し終えた合同捜査隊が報告に来たところ、麻薬の原液が存在しない。今朝までそれがあったのなら、一体どこへ…?

 その疑問はレフによって解消された。

「今日の朝だ、液体は、甕ごとどこかに運ばれていったんだ。今まであいつら、綺麗な服装だったのに、やけに今朝はくたびれた服を着ていたから、奇妙な感じだったよ」

 リッツの頭に何かが引っかかった。大きな甕、金色の液体、そしてくたびれた服。ふと頭の中に男の顔が思い浮かんだ。こちらをじっと凝視して、そして男は……。

 そうだ、あの時男は、リッツを見て笑ったのだ。凍るような冷笑を浮かべて、奴は笑っていた……。目の端で捕らえていたのに、今の今まで気が付かなかった。

 ――あの蜂蜜売りは麻薬組織の幹部だ。王都へ向かっていた。

「やられたっ!」

「え? どうしました?」

 突然のリッツの大声に、全員が驚いて顔を上げた。自分の顔色が変わっているのだろう。それに気が付いたケニーが、こちらを心配そうに見る。

「エドだよ!」

「は?」

 突然国王を呼び捨てにするリッツに、全員が困惑しているのも構わず、髪を掻きむしった。

「あいつらの狙いはジェラルドじゃない、エドだ! くそっ、ぬかった!」

 リッツは痛む胸を押さえながら、階段に向かった。こうしてはいられない。

「リッツさん、どこに行くんですか!」

 突然の事に全員が困惑する中、リッツは振り返らずに怒鳴る。

「王都に帰る」

「なんですって?」

 苛立ちと共にリッツは振り向いた。

「まだ分かんないのかよ! 朝すれ違った蜂蜜屋が麻薬組織の幹部だ。あいつら原液を抱えてたろうが!」

 ケニーとアルトマンが息を呑んだ。

「では……あの麻薬の原液を……」

「そうだよ、近衛兵と王室親衛隊の昼飯に混ぜりゃ、いくら武芸でならしたエドだって、ひとたまりもねぇ。シャスタはエド以上に易々とやられちまう」

 リッツは階段を駆け上る。もう痛みなんて気にしている暇はない。事態は一刻を争うのだ。

 戸惑う見張りを残してリッツは館を出た。懐中時計を取り出す。

 現在、十一時……。時間がない、間に合うか……。

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