<3>
エドワードがリッツに向かって手を伸ばした瞬間、会場中がどっと沸きかえった。反射的にリッツ達三人は会場を見る。
正規軍の兵士の手から剣が消え、後方に落ちている。叩き落とされたのだ、あの小柄なグレイグ・モーガンに。
「優勝者、グレイグ・モーガン」
審判を務めていた近衛部隊長の宣言に、会場中は沸きかえった。エドワードにそっくりな太刀筋の男が優勝してしまったのだ。
そのとたん、リッツの隣に座っていたパトリシアが立ち上がって叫んだ。
「やったわね! さすがよグレイグ!」
「え?」
驚いて振り返ったリッツとエドワード、シャスタ、ジェラルドはパトリシアの次の言葉で絶句した。
「流石は私の孫だわ!」
鎧甲を脱ぐと、会場は一瞬静まりかえった。そこに現れたのは、王妃と同じく輝く亜麻色の髪と、国王と同じ澄んだ水面のような美しい水色の瞳だった。エドワードとよく似た雰囲気を持っている。
それはまさしく王太子ジェラルドの息子であり、国王の孫たるグレイグ親王、御年十二歳だった。
会場を埋め尽くした歓声は、たちまちに違った種類の歓呼の声に埋め尽くされた。
「グレイグ親王殿下! 万歳!」
だが観衆に持ち上げられているグレイグは、真っ直ぐにエドワードとジェラルドをみたまま、怒られるのを待つ子供のように、ただじっと父と祖父の言葉を待っている。
大きく溜息をついたのは、ジェラルドだった。
「父上、母上、申し訳ありません。またグレイグがとんでもないことを……」
がっくりと肩を落とすジェラルドに、パトリシアは平然と笑う。
「なんでジェリーが謝るのよ。グレイグはもういい年よ。自分のことに自分で責任を負うのだから構わないわ。ねえ、エディ?」
呆然としていたエドワードにパトリシアは扇を口元に当てて艶然と微笑んだ。
「知ってたのかパティ」
「ええ知ってましたとも」
「それなら、どうして止めないんだ?」
「孫が抱えた悩みを聞くのが祖母の努めだわ。聞いた上で私が了承したのよ」
全く悪びれる様子のないパトリシアの晴れやかな笑顔に、エドワードは苦笑した。ここまで開き直られてしまっては追求しようがないのだろう。
「困ったものだな」
「あらこの大会、王族が出てはいけないという決まりがあって?」
意表を突かれたのかしばし黙ってから、エドワードは小さく息をついた。
「……確かにないな。想定外だ」
苦笑するとエドワードはゆっくりと立ち上がった。声の限りに歓声を上げていた観客は、その姿をみると静かに自分の席へ座った。
「勝者は決まった。だが褒美を与えるべき王族がその座に着くことなってしまった。我が愛すべき国民諸君はそれを許してくれるだろうか?」
おどけた様なエドワードの言葉に、会場はどっと沸きかえり国王を讃えた。シアーズにおけるエドワードの人気は異常に高い。これでグレイグに優勝者としての名誉と、願いを叶えて貰う権利が正式に与えられることとなったのだ。
再び静まりかえったところで、エドワードは跪くグレイグに名誉を授けた。
「我が孫グレイグよ、そなたに新祭月の勇士の名誉を与える。よくぞ勝ち残った」
「ありがたき幸せです」
近衛部王城警備大隊長から、優勝記念品の剣を受け取ったグレイグは、顔見知りらしい大隊長に一瞬気恥ずかしげな表情を見せた。それから再び跪き、エドワードの前に頭を垂れた。そのまま動かない孫にエドワードは尋ねる。
「してグレイグよ、何故余と王太子に隠れてこの大会に出場したか?」
するとグレイグは、待っていたとばかりに顔を上げた。その目はキラキラと輝いている。
「願いを叶えるためにございます陛下」
「願いとは何か?」
エドワードの言葉が終わると同時に、グレイグはキッと一点を睨みつけた。そこにいたのはリッツだった。
「……俺?」
リッツは小声で呟いた。親王に何か恨まれることでもしただろうか? 全く何も心当たりがない。
「恐れながら陛下、そちらにいらっしゃる大臣を私はまだよく知りませぬ。国王陛下や宰相、妃殿下には色々聞きましたし、ちゃんと歴史も学んでおりますから、かの大臣が陛下の片腕だと言うことも存じております。が、私には突然現れた男を突然大臣だから敬えと言われても出来ません」
未だ幼さの残る口調で一気にそう言うと、グレイグは再びリッツをじっと睨みつける。
「グレイグ、それは余が信用出来ぬということか?」
楽しげで単刀直入なエドワードの言葉にグレイグはとんでもないというようにブンブンと首を横に振り、その子供じみた行動をしてしまった自分に対して頬を赤らめた。そう言うところはまだ少年だ。
「違います陛下。私にとって大臣の過去の活躍は昔話と同じです。私は自分の目で人物を理解し、認めたいのでございます。歴史書によると、大臣は相当な剣の使い手だと……」
何となくグレイグの望みが分かってきた。リッツは吐息混じりに自分の席にある剣を見つめた。今日は飲みに行く時や、夜遊びの時に持ち歩く安物ではなく、もちろん自らの得物である大剣を持ってきている。
「陛下、私に大臣と一対一の勝負をさせて頂きたいのです。国民が見守るこの場で」
凛とそう言いきったグレイグに、会場は静まりかえった。
親王と大臣の一騎打ち……。前代未聞だ。
もしかしてそれが王国内部の分裂になるのではないかと誰もが押し黙った。外敵との戦いが長いこと起こっていないこの国にとって、内戦は最も恐ろしいことなのだ。
だがその重たい空気を打ち破ったのは、エドワードの豪快な笑い声だった。演技ではなく、心の底からエドワードは楽しんで笑っている。
「なるほど一理ある」
笑いを納めたエドワードは、リッツを振り返った。
「どうするね、大臣」
この大観衆の前でこう振られてしまっては、リッツに許された選択肢はひとつしかない。リッツは立ち上がると、礼服からマントを外し大剣を手にした。
「グレイグ、大臣との勝負を認める。それでよいな、大臣?」
威厳たっぷりにリッツを見たエドワードの目は、笑っている。もし観衆がいなかったらこう言って大爆笑しているだろう。『ちょっとあいつと遊んでやってくれ』と。
実を言えばグレイグの前で、この扮装を解いたことはない。まだ少年だから、と侮っていたからだ。ちらりと見ると、状況を全部知っていたらしいパトリシアは、リッツが追いつめられたこの状況を楽しんでいる。民衆に見られぬように顔を扇で隠しながら笑っているところが、何とも姑息だ。
「パティ、はめたな……」
小声で呟くと、聞こえたのかパトリシアはにっこりと笑顔を返してきた。
「嵌めただなんて、人聞きの悪い。ほほほほほ……」
ひとり良識派のシャスタは大きなため息を付いてから、心配顔で押し黙ってしまった。言うべき言葉が見つからなかったに違いない。
「リッツ、いくの?」
見るとアンナが楽しそうに尋ねてきた。リッツは周りに聞こえないように声を潜めて、呟くように答える。
「指名されたんだからいくしかないだろ」
「勝てそう?」
「俺がひよっこに負けるかっての」
「そっか~、がんばってね」
陽気に手を振るアンナの隣のフランツは、リッツに向かってちょっと肩をすくめて見せただけだった。言葉にすれば『まったく大臣は大変だね』というところだろうか。ふたりともこの状況に全くの危機感を感じていないのだ。
ほんの数ヶ月旅しただけなのに、二人ともこういう風に巻き込まれる状況には、もう慣れてしまっている。かくいうリッツも、別に危機感を感じているわけではない、ただ単に目立ちたくないだけなのだ。なのに何故故にこうなる……?
「大臣、覚悟はよいか?」
再び尋ねてきたエドワードに、リッツは深々と頭を下げて答えた。
「……陛下の御心のままに……」
リッツは観衆に聞こえないよう俯いたまま、横にやってきて肩を叩いたエドワードに文句をいった。
「エド、後で覚えていやがれ」
「俺も年だ、もう覚えておれん」
「この、くそじじい」
こうしてリッツは、新祭月の初っぱなから大観衆の前で剣をとる羽目になった。
王室専用席から裏道を通り、人々の好奇の目にさらされながら闘技場へと降り立ったリッツは、あまりの状況にため息を付く。
人々の視線は、間違いなくリッツ一人に注がれているようで、痛いほどだ。それも当然だろう、民衆にとってグレイグ親王は知った顔、リッツは最近になって突然現れた謎の男なのだから。
まったく、この姿の時は出来るだけ目立たないようにしてきたのに、これではなんにもならない。
だがそんなリッツの様子にはお構いなく、グレイグはリッツに真っ直ぐ視線を向けた。堂々たる態度と、その自信。まだ十二歳ながらもその瞳は、しっかりと物事を見据えるよい輝きをもっている。
王家の資質――彼はそれを、しっかり受け継いでいる。
「僕は、父上とは違う。突然現れて今日から敬えと言われても敬わない」
そう宣言しつつリッツを睨みつけたその顔は、何ともよくエドワードに似ている。父親のジェラルド以上にエドワード似だ。
「お祖父様に、素晴らしい剣の使い手だと聞いている。本気で戦ったら敵わないとも言っておられた。でも僕は信じない」
グレイグは自分の手にしていた剣を真っ直ぐリッツに突きつけた。
「よってお相手願う!」
リッツは深々と頭を下げた。
「お相手させて頂きます、殿下」
言い終わると同時に、リッツは大剣を鞘から抜き、構えた。グレイグも構える。それが合図だったかのように、先ほどから審判をしていた近衛兵が、二人に試合開始を告げた。
「殿下、いつでもよろしい時に」
余裕の漂うリッツの言葉に、グレイグは多少気分を害したように眉を寄せたが、すぐに向かってきた。
最初に一撃、グレイグはこれを狙ってきた。素早い動作で、剣の切っ先がリッツに向かって繰り出される。それで彼の本気が伝わってきた。
今までの対戦相手のように、その一撃を避けたり体を反らすことなく、リッツはその大剣でグレイグの剣を簡単に受け止めた。
大剣に感じた衝撃は、確かに少々重いものではあったが、リッツからしてみると、所詮訓練の剣であり、その戦い方には弱点がある。その剣は、本当の戦いになれていない技術だけの剣なのだ。
先ほどの試合を見る限り、グレイグの持ち味は、まだ成長段階であるその小さい体を生かした、身長差から繰り出す予測不能の攻撃と、そのスピードだ。
それに対して今のリッツは、力と技、そして数々の死線をくぐり抜けてきた実戦の剣である。
「くっ……」
力で押していたグレイグは微妙にバランスを崩す。リッツは一瞬大剣を軽く引いたのだ。その瞬間を逃さずに横凪にした大剣で、リッツはあっさりとグレイグを退けた。
フェイントに、数歩よろけてグレイグは踏ん張った。今まで相手にしてきた軍人とは微妙に違うリッツの動きに戸惑っているようだ。
「どうしました、殿下?」
体勢を立て直したグレイグに掛けた余裕のある一言は、今まで自信に満ちていたグレイグをカッと苛立たせた。
「どうもしない! 準備運動だ!」
挑発に簡単に乗ってくる……まだ十二歳の少年だ、仕方ないだろう。そのせいで自らの攻撃が隙だらけになることなど、きっと分からないのだ。
グレイグは幾度も、リッツに対して様々に剣を繰り出した。だがそれに対して大剣を振るうでもなく、リッツはすれすれのところで身も軽く剣を避ける。ヒュッと剣先が風を切る音が、グレイグの素早さを表しているが、それもリッツから見れば遅い。
わざとそうしているのが分かるのか、グレイグは尚も躍起になって剣を振るう。
「何故逃げる!」
あまりにも当たらない事に腹を立てたのか、肩で息をしながら、ついにグレイグが怒鳴った。もうそこに冷静さと言えるものは、ひとかけらも存在していない。
「無駄な動きはしないたちでして」
ようやくリッツは大剣を構えたものの、攻撃は全て軽く受け止めるだけにとどめる。息が上がってきたのはグレイグだけで、リッツは全く平静そのものだ。
「何故攻撃してこない!」
呼吸を一旦整えるために離れたグレイグが、リッツに向かって再び怒鳴った。
「その隙がないのでございますよ、殿下」
だがそれは嘘だ。正直に言えばリッツにとってこの試合、自分が一撃決めれば終了してしまう簡単な試合である。
そうしないのは、このグレイグが本当に必死だから、少々勉強させてやりたくなった、というだけに過ぎない。
「馬鹿にして!」
感情が先に立ち、グレイグはがむしゃらにリッツに打ち込んできた。最小の動きでそれを受け止めつつ、受け流してゆく。
静まりかえる民衆と、見学の軍人たち。剣と剣のぶつかり合う金属音のみが、この闘技場を支配している。
大会で彼が勝ち残れたのは、出場選手の大部分が若い軍人であったことだろう。皮肉なことにこの国の兵士の大半が、実戦を知らない。
そんな彼らしか相手にしたことがなく、正面からセオリー通りの剣技を繰り出すしかないグレイグに、勝ち目はない。
この平和な時代において実戦を常に積める部隊は、王国軍査察団と王国軍憲兵部隊だけだろう。だがこの二つの部隊から、今回の大会に出場したものはいない。
この部隊は二つとも、軍の中では少々異なった立場にいるため、このようなイベントに参加することが非常に少ないのだ。
それにしても、平和と治安を守る部隊だけが実戦を積む時代とは何とも気楽なものだ。
「絶対に一撃入れる!」
必死の形相でその早い剣をリッツに突き出してくるグレイグに、リッツはほんの一瞬だけ隙を作って見せた。リッツが相手を思い通りに動かそうとする時によく使う手だ。
一度引っかかったことのあるフランツは、上で見ていてこれに気が付くだろう。だがフランツよりも剣技に秀でているはずのグレイグは、それに引っかかった。
正々堂々たる剣技しか学んでこなかった、という弱点が露呈してしまったのだ。
彼が狙ったのはリッツの構えた大剣の鍔もと。ここにかかるリッツの手に一撃を入れられたなら、剣を落とすことが出来ると考えたのだろう。
だがそれは計算され尽くした動きだったのだ。リッツは横に避けるのではなく、腕を狙ってきたグレイグの目の前で素早く地面に膝をつき、グレイグに向かって大剣の柄を突き出したのだ。
「しまった!」
リッツの意図に気が付いた時はすでに遅く、グレイグは鎧の腹にすさまじい衝撃を受けた。
「ううっ……」
だがグレイグの執念がそのまま彼を地面に倒れさせなかった。痛みで遠くなる意識の中で、繰り出した剣は、運良くリッツの片眼鏡をはじき飛ばした。
太陽の光に反射して、輝きながら片眼鏡は高くはじかれて落ちた。
「おっとしまった」
そう呟いたリッツは、グレイグの瞳がハッと見開かれたのを見た。どうやら間近で見た彼は気が付いたらしい。リッツが変装をしていて年に見えるだけで、実はまだ相当に若いと言うことに。
「勝者、アルスター大臣閣下」
審判を務めた近衛部隊長の声に、今までずっと黙ったままこの戦いを見つめていた民衆がざわめきと歓声を取り戻した。
リッツはグレイグの所へ行くと、手をさしのべた。痛む腹をさすりながら、だがようやく座ることが出来るようになったグレイグは、リッツのその手を払いのける。
きっと今まで彼は、完全な敗北などしたことがなかったのだろう。だから自分の中でこの無様な負け方をしたことが許せないのだ。
ふてくされたように座ったままのグレイグに、視線を合わせるように膝を折り、リッツは格式張った言葉をやめ、俯いたグレイグにいつもの調子で話しかけた。
民衆たちは歓声の中にいて聞こえていない。
「太刀筋は悪くないぞ」
その明るい口調にグレイグが弾かれたように顔を上げた。その目は奇妙な者を見たかのように、大きく見開かれた。彼の目に映ったのは、髪と髭が白いだけの年齢不詳の男の姿だったろう。リッツは意図的に、今までの堅苦しい表情をしなかったからだ。
「ただな、お前に足りないもんがある」
かがんだままそう言ったリッツに、グレイグは頬を膨らませた。
「年齢か? まだ僕が子供だと言いたいのか?」
そう言うところが子供だ……といいたいのを堪えてリッツは続ける。
「年齢の事じゃない。足りないのは技術とかそういうもんじゃないんだ。俺がエドに出会った頃には、確かに奴にはそれがあった。でも今のお前にはない」
反論しようと口を開きかけようだが、グレイグは反論することなくそのまま黙り込んでしまった。自分に向けられた言葉の意図が分からなかったに違いない。
「勝負は終わったんだ。手をさしのべられたら好意に甘えるもんだぞ……実戦以外ではな」
リッツはそう言うと、グレイグの手を掴んでひょいっと片手で立たせて、本人の意志に関係なく、無理矢理に握手を演出した。今までの二人のやりとりを全く知らない観衆がどっと沸きかえる。
不機嫌に視線をそらすグレイグの肩を叩き、リッツは大剣の鞘を拾って剣を納めた。
一時はどうなるかと思ったが無事にすんでよかった。胸の内でそう呟きながらリッツは王室専用席へと歩き出した。




