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「うわぁ~、すごいねぇ」
シックながらも高級感溢れるドレスに身を包み、普段から考えられないほどドレスアップした、アンナが歓声を上げた。昨日散々街の中を走り回ったとは思えないほど、元気で楽しげで疲れはない。
それに比べて男二人は疲れ切っていた。
アンナとジョー二人が立てた、新祭月一日のシアーズをめいっぱい楽しむ計画は、最強だった。
まずエヴァンスの案内で正神殿の舞をたっぷり楽しんだ。今まで神殿になどほとんど足を踏み入れたことの無いリッツだったが、光をモチーフとした美しい造形の神殿で見る新祭月の舞は見事だった。
まだ仕事があるというエヴァンスと別れ、神殿を出てから市場の新祭月大売り出しを冷やかしながらそぞろ歩く。ひしめき合う人たちに、誰彼構わずお祝いの言葉を投げかけられ、投げかけて歩くのは、この街の新祭月の普通の光景だ。
散々飲み食いしたり、踊ったりした後は、港湾で行われた花火をフィッシュフライ片手に見学する。この頃になると、大通り中にあふれかえった色とりどりの人々が、酒樽と陽気な音楽で酔いしれているる。シアーズ全体が酔っ払っているのでは無いかという賑わいだ。
こんな時に敵が攻めてきたら大変だろうなと、頭の片隅で思うも、軍の半分は任務に就いていることを考えれば心配するに値しない。
結局、新祭月一日だけで、今までアンナを放って置いた全ての付けを支払わされた気分だ。盛り上がっているかあ層の人々のダンスカーニバルにも、結局参加させられ、回れるだけ全てのイベントにつき合わされてしまったのだ。
アンナとジョーは最高に楽しかったらしく、帰り道もまだ盛り上がっていたが、リッツはいつもの自分のペースを全く見いだすことができず疲労困憊した。見た目は若くとも、心はエドワードと同世代なリッツに取って、若者、しかも女子に付き合うのは結構堪える。
それはフランツも同様だったらしく、途中から座った目つきをして小声で『帰りたい……帰りたい……』と呪文のように呟いていたが、盛り上がっていた女子二人が気がつくわけも無い。
そもそも、この大盛り上がりで酒も入ってる大人たちの大勢いる街に、少女二人を残して帰れるわけもなく、リッツとフランツも最後は根性でこの二人のお供を勤め上げたのだった。
そして新祭月二日。
深夜まで浮かれ騒いで帰宅し、寝たのか寝ていないのかも分からないままに、本日に至る。
アンナの一人向こうを覗くと、目の下にくっきり隈を作ったフランツが、不機嫌むき出しの顔つきでじっと会場を見下ろしている。いや、もしかしたら目を見開いたまま寝ているのかもしれない。
あれに比べたら、体力もあり現在も精神疲労でぐったりしているだけのリッツなど、まだましに見えるだろう。
そんな男どもを気にもせず、アンナは余裕綽々の笑顔で会場を見つめていた。
薄い化粧をし、ファーの肩掛けにかかる真っ赤な髪を可愛らしく結い上げたその姿は、大人びて新鮮だ。実年齢の三十歳には及ばないが、十代後半ほどには見える。そうなるとアンナは結構美人の類に入るようだ。
今まで幼く見えすぎていたのは、童顔のせいかもしれないと、リッツは初めて気が付いた。だがそれは口を開くまでだ。言葉を発した瞬間に、印象がグッと幼くなり、いつものアンナに戻る。
「見てみて! 感動だよぉ~!」
心の底から感激して、瞳を潤ませるアンナのその歓声も、響き渡る音楽と、美しい新年祝賀の舞にあっという間にかき消されてしまう。
「ね、すごいね! 見てる?」
横で黙って祝賀の舞を見ていたフランツをアンナは興奮気味につつく。患わしそうな顔をしながらも、フランツはアンナに頷いて見せた。
「流石は国の中心だな」
無愛想な態度ででそう呟いたフランツも、実のところ感心しているらしい。いくらかたくなな態度をとっていても、リッツにはそれが分かる。
亀の甲より年の功とは、自分のためにある言葉かもしれない。他人にそう言われれば『俺を年寄り扱いするのか』と怒ってしまうが、自分では納得しているのである。
そんな無愛想なフランツも、今日ばかりは適当は服装をしているわけにも行かず、例の仕立て直した王太子の服を着ていた。高級な正装で身を固めると、彼は思った以上に似合ってしまう。
さすが金持ち商人の息子だと、もし口に出していったら、張り倒されるに違いない。
かくいうリッツも本日はきちんとユリスラ王国軍最高司令官に類する、白を基調としたきらびやかな正装に身を包んでいるのだ。この服を着るのは、王都に入場した日と今日で二回目である。
髪は相変わらず白髪に近いグレーに染めているし、片眼鏡と髭も付けている。この街に来てからひと月ちょっと、この格好にももう慣れた。最初は違和感があった鼻にも片眼鏡の跡ができはじめているぐらいだ。
ため息を付きながら自分の被保護者たちをみると、相変わらず目を輝かせて新年祭を楽しんでいるようだ。これほど感動してくれるのなら、二人を連れてきたかいがあったというものだ。
新祭月二日、王都一の広さと豪華さを誇る野外円形劇場の一角、王室専用席に、リッツ達一行は王族及び王国の重鎮と共に座っていた。新祭月の祭りを国民と共に祝うためである。
王室専用席といっても普通の席ではない。円形劇場の東側に、石造りの屋根付き見晴台があると思ってくれれば一番分かり易いだろう。
新年祭は、まず光の正神殿の神官長と神官たちによる、新年の祈りから始まり、国王の祝辞、各国の大使たちの祝辞と、各国の出し物が続く。各国の出し物の中には歌や舞もあり、それが新年祭の始まりを盛り上げてくれるのだ。
その後は、ユリスラ王国の街々や神殿からの使者による祝辞が続く。この中には懐かしい顔がいくつかあったのだが、三人のいる席から彼らに声を掛けることは出来なかった。
三人に気が付いてちょっとだけ目配せをしてくれたのは、ファルディナの元王都防衛隊長で、現ファルディナ自治領主ヘレボアだけだったが、それだけでも何となく嬉しいものだ。
最後は王国の国立舞踏団による、王国建国神話の舞が舞われて終わる。その中にユリスラの紋章となっているユニコーンや、今や特別自治区に籠もりっぱなしになっている、リッツの同族が出てくる。
舞の中の光の一族は幻想的で、あまりにも精霊族らしくて美しく、心の中で密かに父親や自分との違いを思い出して吹きそうになってしまった。人間という種族の思い描く精霊族は、かくも儚げで美しいが、実際の精霊族こと光の一族は普通の人類だ。
確かに外見はこの舞のように神秘的で美しいし、寿命も人間より格段に長い。精霊を扱う力も桁違いだ。だが閉鎖的なこの種族が、人と同じような心の歪みを持っていることを、リッツは身に染みて知っている。
一時間に及ぶ大作の舞が、割れんばかりの拍手によって終わりを告げた後、野外劇場はつぎのイベントのためにあわただしく装いを変え始めた。
この劇場は、大きなすり鉢状の円形劇場になっており、広くとられている中央の舞台は、古い時代に闘技場として使われたらしい。今では闘技場として使われることは滅多にないこの劇場であるが、年に一度だけ本来の使われ方をする日がある。
それが新祭月の二日目……つまり本日である。
あわただしく準備が進められている間に、王室専用席の面々は一度休憩をとるのだ。目の前にはカーテンが引かれて、一般の民衆からは見えないようになり、何人かが食事と休息のため席を外していた。
「どうアンナ、楽しんでる?」
リッツの右隣に座っている熟年女性が、楽しげにそう声をかけた。闘技場の準備の待ち時間に、暇をもてあましたのだろう。
細かい細工で編み込まれた白銀のティアラが、豊かな亜麻色の髪の上で柔らかな輝きを放っている。そのはずむ口調と同じく明るいアメジストの瞳は、真っ直ぐにアンナを見つめた。
「はい楽しんでます、王妃様」
笑顔で振り返るアンナを見て、女性……ユリスラ王妃パトリシアは悠然と微笑んだ。あと二年で六十になるとはとても思えない若々しさである。
「よかったわ。楽しんで貰えて。そのドレスもとっても素敵」
「ありがとうございます。嬉しいです」
びっくりするからというアンナの言葉は、まさにその通りで、今日着替えたアンナを見たリッツとフランツはあまりの変わりように絶句した。普段のよく言えば質素な、悪く言えば地味で田舎っぽい格好とは、天と地ほど差があったからだ。
しばしの沈黙の後、フランツがうっかり『馬子にも衣装だね』といってアンナにふくれっ面をさせていた。かくいうリッツだって、一瞬絶句したあと、アンナも女だったのだ、と言うことを久しぶりに思い出した。
普段はアンナに性差を感じることはほとんど無かったのだが、女は化けるとはよく言ったものだ。アンナですらこうなのだから、美女と呼ばれる女性はどれだけ化けているのだろう。
「やっぱり女の子っていいわぁ、可愛いもの。選んだ甲斐があったわね」
パトリシアはうっとりとアンナを見つめる。彼女は本当は娘が欲しかったのだそうだ。娘と一緒に服選びをしたり、ショッピングをしたりという生活にに憧れていたのだという。
残念ながら授かったのは男の子一人で、その上孫も一人きりで男の子だから、今の今までその夢は叶えられなかった。
王妃曰く、アンナで今まで我慢してきたその夢を、楽しく叶えているのだそうだ。残念ながら立場故にショッピングは無理だと悔しがっていた。パトリシアは、夫のようにフラフラと街を出歩いたりしない。
「でも右端にあったあのドレスも可愛かったですね」
「そうよね、そう私もそう思っていたのよ。ああ、今から持っては来られないかしら? そうそう、左端のショールはね……」
リッツを挟んで、怒濤のようにしゃべり続けるパトリシアとアンナに、堪らずリッツは口を挟んだ。
「うるさいぞ。間に挟まってる、俺の身にもなれ」
小声で言ったリッツを、パトリシアは軽く睨みつけ、同じように小声で返す。
「まあ偉そうに。今のあなたの姿じゃ、私の目には入らないわよ」
「は?」
意味が分からずリッツは絶句する。
「鏡を見てご覧なさいな。まったく、その格好むさ苦しさったら無いわ」
遠慮のないパトリシアの言葉に、リッツはグッと詰まる。この格好がむさ苦しいと言われても何とも反論のしようがない。
なにせ自分でもそう思っているのだから。
そのリッツの表情を見て、自らの勝ちを確信したのかパトリシアは周辺には聞こえないように、それでも強気の小声で追撃の手を緩めない。
「あなた、精霊族じゃない?」
「そうだけど……」
「私はあなたがあの頃と寸分違わぬ、好青年に成長した姿を臨めるとそう思っていたの。あの頃のあなたは、結構格好良かったわよ、悔しいけど」
わざとらしくため息を付きながら、パトリシアは横目でリッツを睨んだ。胸の奥でそっと古傷を撫でるような痛みが走り思わず目をそらすが、パトリシアはお構いなしに続ける。
「なのになに、その姿は。白髪に付け髭だなんて!全くもう、期待外れなんだから」
あきれかえったような、本気でがっかりしたような口調に少し傷つきつつ、それでも一応は反論はしておく。昔っから言われっぱなしではいられないたちなのだ。
「俺にだって色々事情があってだな」
たじたじのリッツに、パトリシアはふふんと鼻で笑う。微かに細められたアメジストの瞳には、楽しげなからかいの色が浮かんでいた。
「なぁに、どんな事情?」
「そ、それは……まあ、あれだ……」
「あれって何? 結局逃げってことでしょう?」
「ううっ……」
内戦が始まるよりも前から知り合いだったパトリシアは、実はリッツの初恋の人でもある。パトリシアもそれは知っていて、昔はそんなことで口げんかをしたこともある。
もっともリッツはいつも口では敵わなくて、怒ったりふてくされたりして口を噤むか逃げ出した。そんな彼女はリッツのいない間にその言葉の棘と辛辣さを、格段に磨き上げている。
「反論でも何でも聞きましてよ、お言いになって」
この二人を初めは静かに観察していたエドワードが、苦笑しながら二人の間に割って入った。昔からリッツとパトリシアの言い合いの間に入るのは、エドワードだと決まっている。
「パティ、リッツいい加減にしろ」
エドワードに言われて叱られた子供のように、口を閉じた。目の前でパトリシアが全く同じ顔で口を閉じるのが可笑しい。そういえば昔、似たもの同士だと言われたことがある。
「全く君はうかつだよパティ。この場に居合わせている全員がリッツの本当の姿を知らないし、知らせるつもりもない。だから君からボロを出すことは、決して許されない。分かるだろう」
今まで威勢のよかったパトリシアも、正面切って正論を突きつけられ肩をすくめた。
「分かってるわ」
「リッツもだ。その姿でいることを決めたのは自分だろう? パティの一言ぐらいでいちいち騒ぐな」
「へいへい」
エドワードは二人を眺めてため息を付いた。幾つになっても大人げないと思っているのだろう。それはエドワードだって同じだぞとは、リッツは敢えて口にしない。
実はリッツの変装前の姿を知っているのは、ここにいる中でも数人に過ぎないのである。国王エドワードは勿論のこと、王妃パトリシア、王太子ジェラルド、宰相シャスタ・セロシア、侍従長オコナー、王国軍査察部第一小隊長ケニー・フォート、そしてリッツの二人の仲間だ。
未だ親しく付き合ってはいない、王国正規軍司令官やら、近衛部隊長だの、各部政務部官長には、リッツの素顔を知られてはいない。
秘密は大多数で共有すると秘密ではなくなる。だからリッツはこの最小限の人々以外には、決して自分の本当の姿を明かさないよう、伝えていたのである。
黙ってしまった二人を、エドワードの横に座っている、三十代も前半くらいの温厚そうな青年が柔らかな視線で見つめている。父親譲りの美しい金の髪と、母親によく似た明るい紫の瞳を持つ彼の名は、ジェラルドという。ユリスラ王国唯一の王太子だ。
パトリシアは難産で彼を生み、子ができない身体となったのだと、パトリシア本人に聞いた。悲劇的な話だと思うが、彼女曰く『難産で私を産んで、そのまま死んでしまった母様に比べれば、私が元気に生きているだけ儲けものよ』ということらしい。
内戦で活躍したパトリシアの父の名を受け継いだ彼だが、その性格は親族の誰よりも温厚そのものだった。両親共に英雄と称されるというのに、その穏やかさはどこから来るのかと、噂されている。
剣の腕はまあまあだが、普通という意外に特色がない、とエドワードに聞いている。歴史書や絵画を好み、あまり武芸が好きではないというところも、両親とはかけ離れている。
平和な時代に平和な国を治めるのであれば、歴史も政治もよく分かっているいい王になるであろう。
若くして結婚したが、彼に似合いの静かで穏やかな妻は身体が弱く、息子を産んですぐに病に倒れ、天に召された。せっかく義理でも娘ができたと喜んだパトリシアの嘆きようと、ジェラルドの落ち込みようは、当時相当だったらしい。
そんなジェラルドの息子は十二歳。今ここに姿はない。王城での噂によると、伝説となるほど偉大なる、現国王の夫妻の性格を強く受け継いでいるのが、この孫なのだそうな。
だがリッツは実はこの孫をよく知らない。一度だけ食事で同席したことはあるが、それ以降は会うこともなかったからだ。
今日はどうしても軍の近衛部隊と共に、最前列で闘技場を見ると言って聞かず、王族の席とは別なところにいるらしい。エドワードは『幼いからなのか、少々きかん気で、自らの出自を鼻に掛けすぎるきらいがある』と気にしているようだ。
「リッツ、何飲む?」
アンナの一言で我に返る。目の前にはオコナーの配慮から少々の酒が振る舞われていた。シャンパンを口にしているエドワードとパトリシアに倣い、リッツもシャンパンを手に取った。
会場はすっかり様相を変えていた。見る見る間に、先ほどまでの演台や、挨拶に使われていた台が片付けられて、その代わりに近衛兵たちが会場をぐるりと取り巻くような形になっている。
「兵隊さんたち、どうして守っているの?」
アンナの疑問に口を開く。
「理由は二つだ。一つは見栄えが良くなるだろ?」
「うん」
近衛部隊の服装は、焦げ茶の王国軍服とは違い、濃紺だ。そこに金の装飾が成されている。王族を警護する理由から派手な式典に出ることも多いため、このような服装なのだ。だからこうして闘技場の中を取り巻くように等間隔に配置されると綺麗だし、王の威厳を保つのに有効だ。
「ちなみにほとんどの正規軍が焦げ茶の制服を着ているんだ。ケニーも焦げ茶だろ?」
「うん。でも形が違うよ?」
「査察官は特別だからな。それから国王直属の護衛部隊親衛隊員は黒で、裾が長い」
「そっかぁ」
深々と納得したアンナに言葉を続ける。
「近衛兵があそこにいるもう一つの理由は護衛だ。何かあったら、直ちに全員で守れるように」
闘技場に参加する者は軍人がほとんどだ。だが全く軍と関係ない人々もいる。もし参加者の中に、王室を脅かさす者がいたら、その場で対処できるようにしているのである。
「ふうん。リッツ物知りだね」
アンナに感心されてしまった。これでも一応はこの国の大臣なので、このぐらい知っていて当たり前なのだが。
雰囲気と気分を盛り上げ直したところで、本日のメインイベントが始まった。
腕に自信のある者たちが、一対一で戦い、強い者が勝ち残っていくトーナメント方式の武芸大会だ。一番最後まで勝ち残った者は、国王にひとつだけ願いを叶えて貰うことが出来る。
勿論国家に仇なす願いや、個人的な恨みを晴らすための願い、極端に高額な金品を要求するなどの常識ない行為は認められてはいない。そもそもこの武芸大会の参加者は、国王に願いを叶えて貰うことより、自らの名誉を勝ち取ることに重きを置いている人々ばかりだ。滅多な願いをするものなどいない。
王国の国民であれば誰でも参加する権利はあるが、参加者の武芸レベルは高く、本戦にまで勝ち残る一般市民は非常に少ない。残るのはいつもほとんどが軍人である。
それでもこの武芸大会の人気は非常に高く、野外円形劇場は見学の国民で早くも埋まってしまっている。この中にエヴァンスとジョーもいるはずだが、どこにいるかなど探せるはずもない。
人々が増えるにともない、飲食物を売るための箱を抱えた人々が、忙しく場内を出入りするようになってきた。ざわめく観衆に負けないよう声を張り上げているのが見える。
「いいなぁ、俺もあっちで見たいな」
ぶつぶつと文句をいってみたものの、実現できないことくらい分かっている。フランツとアンナがリッツの呟きに小さく頷くのが見えた。
貧乏性の庶民には庶民の楽しみがあるのだ。客席で食べる安物のソーセージの味。人いきれの中で味わう冷たい麦酒ののどごし。足を組んで頬杖を付きながらじっくりと見られる楽な環境……。
三人が三種三様の妄想をぼんやりと思い浮かべていると、勇ましくラッパが吹き鳴らされ、闘技場に本日参加する勇士たちが入場してきた。
本日の参加者は予選を勝ち抜いた十四名。
三人が女性で、あとは男のようだ。中には精霊使いもいるようだ。装備からそれが分かる。そして男の中の一人は背が小さく、早くも鎧に身を包んでいて今から顔も出さない。
ラッパと歓声が一段落すると、おもむろにエドワードが立ち上がった。闘技場の中に国王を讃える歓声が沸き上がる。
「国王してんなぁ……」
大歓声の中でポツリとつぶやいてしまったリッツの言葉は誰にも聞こえることはなかった。すぐ近くでエドワードの朗々たる声が耳に響く。
「新祭月の武芸大会に集った勇士よ、自らの全てを尽くし、闘技場の歴史に名を刻め。恐れず戦いその手に栄光を掴むのだ。勝ち残った者には名誉が与えられ、望みを叶えられるだろう」
短くも力強いエドワードの宣言の後に、再び大歓声が起き、いよいよ試合が始まった。
十四人が最後の一人になるまでに、全部で十三試合が行われる。第一回戦は七試合、第二試合は三試合、準決勝は二試合、そして決勝である。第二試合で運のいい一人が不戦勝となり、第三試合に上がってくる仕組みだ。
その戦いの全てを見るのが、毎年国王と重鎮たちの恒例となっているらしい。はやくこの扮装を解いて抜け出し、街へと繰り出したいリッツであったが、やはり自分の専門分野である戦闘には興味が引かれる。もしこれが国賓の挨拶などであったなら、先ほどの休息時間にとっとと逃げ出していただろう。
試合は一試合大体十分ほどで、長くとも二十分くらいで終わる。腕に覚えのある者ばかりだから一瞬で勝負の付くことはないし、それ以上の長丁場になることも滅多にない。
「今年は、うちの部隊が頂きますよ」
「いやいや今年は負けませんぞ」
リッツ達の遙か後ろで、王国正規軍の総司令官と王国防衛部の総司令官がグラスを片手に陽気に話しているのが聞こえた。
この二人に限らず、毎年この試合で、総司令官同士の熱いバトルが繰り広げられているそうだ。彼らからしてみれば、この大会は軍の部署別闘技大会的な意味合いがあるのかもしれない。確かに戦争のない今の時代、日頃の力を試したい軍人には、この大会がいい力試しなのだ。
今回も毎年変わらず軍所属の者が多い中、一人孤軍奮闘している人物がいた。歓声はもっぱら見物客からのみで、軍人たちに応援されている様子はない。
その人物とは、一番小さくて顔さえ見せない鎧の男である。第二試合は運良く不戦勝となり、その小さい人物は今第三試合に出場していた。
「おいエド、あの小さいの何もんだ?」
盛り上がる歓声にかき消されぬよう大声でリッツはエドワードに尋ねた。
「ちょっと待て。シャスタ、参加者名簿あるか?」
二つ左隣に座っているシャスタに、そう尋ねて紙の様なものを受けとった。
「今回の本戦出場者名簿です」
エドワードは、その紙に目も通さず、そのままリッツに渡す。毎年のことで慣れきったエドワードにとって、参加者など興味を引くものではないのだろう。
第一試合の組み合わせと参加選手の名前、略歴・所属が書き込まれたその表にあったとある名前に、リッツは苦笑した。
偶然とはいえ、すごい名前の人物がいる。エドワードの叔父の名『グレイグ』と、リッツがおっさんとよぶ四十年前の軍最高司令官の名字『モーガン』を組み合わせた名前だ。
シャスタによって几帳面に勝ち負けを記されたその表によると、そのすごい名前の持ち主が、あの小さい人物らしい。
その時会場からワッと歓声が沸き上がった。紙から顔を上げると、小さい人物が両手を突き上げて声援に応えている。どうやら勝ち残ったらしい。そっと後ろを見てみると、防衛部司令官ががっかりと肩を落としていた。となるとあの小さい人物は軍人相手に見事勝ち進んだと言うことか。
これだけ勝ち残っているのに、いまだに顔さえ見せないのは何故だろうか。その事がリッツの興味を引いた。
「面白いな」
その人物は準決勝も勝ち抜き、ついに決勝の舞台に立った。ふと横を見ると、アンナと目があった。
「ねぇねぇリッツ、どっち応援するの?」
アンナが無邪気に尋ねた。
「アンナはどっちだ?」
問いかけをそっくりそのまま返すと、アンナはにっこり微笑んで答えた。
「小さい方のひと! だって相手は大きくて強そうだもん」
「だな。俺もそうだよ」
そうこうしているうちに、決勝が始まった。
小柄なグレイグ・モーガンが、大柄で実力のある王国正規軍の兵士と向かい合うと、まるで大人と子供だ。だがそれをカバーできるほどグレイグ・モーガンは素早かった。
太刀筋もいい。荒削りではあるが、その実力は誰が見ても明らかだった。
そんな試合を見つめていたリッツは、そのグレイグ・モーガンの太刀筋が、誰かに似ていることに徐々に気が付いてきた。
未熟ではあるが優雅で隙が無く、余裕を持っているようで素早いその動き……訓練し、その動きがもっと定まってきたなら……。
リッツがそっとエドワードの方を窺うと、エドワードがグレイグ・モーガンを穴の開くほど見つめているのが分かった。
やはりエドワードは気が付いたらしい。そしてその一つ先にいるシャスタも、驚いたような顔でリッツの方を振り返った。彼も気が付いたのだ。
「冗談だろ……」
グレイグ・モーガンの太刀筋、身のこなしは、若かりし頃のエドワードとそっくりなのである。
「リッツ、さっきの名簿見せてくれ」




