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呑気な冒険者たち  作者: さかもと希夢
大臣の帰還
59/224

アンナの大冒険<2>

  

 アンナは目が覚めて身支度を調えると、朝のお祈りと掃除をするために庭に出てきた。

 雪化粧をした景色の中で、清々しい朝の空気に触れ、白い息を吐きながら祈りを終えた時、アンナはそれを見付けた。

「……あれ? 一カ所だけ雪が積もってる」

 いつもは何もないのに庭に一カ所だけ、こんもりと白く盛り上がった部分があったのだ。大量の雪がその場にだけ降るなんて、初めて見た。

「わぁ珍し~、こんな事あるんだ。さすが都会!」

 感心しながらも、久々に雪に足が沈む感覚を味わいたくて、アンナはその小山に向かって、両足を揃えて思い切り飛び乗った。

「えいっ!」

「……痛い」

 やけに弾力のあるその感触。これは雪ではない。しかも雪の小山が物を言った……。

「え?」

「飛び乗るなと、毎朝言ってるだろ……」

 その声はやけに掠れて低かったが、アンナには聞き覚えがあった。というよりも旅に出てから毎日聞く声と言葉だ。驚きのあまり、下りるのを忘れてその場にしゃがみ込む。

「痛い……重いって」

 雪山が再びそういった。

「……リッツ?」

「ああ……だからどいてくれ」

 慌ててアンナは雪の塊から飛び降りた。よく見ると雪は人の形に積もっていたのだ。その人の形は、大きい。

 その正体が分かった瞬間、一気に血の気が失せた。一瞬パニックに陥りそうになる。

「どうしてこんなところで寝てるの!!」

「ん……そういえば寒いなぁ」

「リッツここ庭だよ! 庭!」

「……庭? 俺飲み屋で……ああ、家まで着かなかったのか……」

 うわごとのように呟いたリッツの声は、掠れてしまい何だかよく分からない。混乱しつつもリッツの背中に付いてしまった自分の足跡ごと、リッツの上に降り積もる雪を払いのけた。

 ようやくリッツの全体像が見えてきた。掘り出したその顔は、白い。というより日に焼けたリッツの顔はそれを通り越して土気色かもしれない。

 どうしたらいいか分からず、オロオロとリッツの雪を払っていると、小さくリッツが呟いた。

「それにしても寒いな……」

 家に入ろうとリッツは体に力を込めるようとしているのが分かった。手を貸してみたものの、小柄なアンナでは、背が大きくて自分の倍も体重のある大の大人を何とかできるはずもない。

 誰かを呼んでこなければと思うけど、リッツをここに放っておいていいのかも分からない。

「フランツとエヴァンス呼んできてくれ。立てそうにない……」

 リッツが掠れた声でそう呟き、それきりピクリとも動かなくなった。

「嘘、やだ!」

 グルグルと頭が混乱して、リッツを揺さぶる。でも全く反応がない。がっくりとうなだれたままだ。指先すらも反応していない。

 まさか……死んじゃったなんて事……ないよね?

 そう考えた瞬間、どうしようもない恐怖感が押し寄せてきた。

 リッツが死んでしまったら、アンナはどうしていいか分からなくなってしまう。

「フランツ! アニー! エヴァンスさん!」

 どうしようもなくて、リッツを揺さぶりながら叫ぶアンナの声に、アニーが慌てて飛び出してきた。

『どうしたのアンナ?』

「助けて< リッツが死んじゃうよ<」

『!』

 パニックになってアニーに叫ぶと、声を聞きつけて家の中からエヴァンスも飛び出してくる。

「どうしたんだ?」

 そう尋ねてからすぐに、横たわっているリッツに気が付き、エヴァンスも青ざめた。

「リッツが大変なの! 動かないの!」

 混乱しながらリッツに取りすがっているアンナの横にエヴァンスがかがみ込み、リッツの手を取りながらアニーに命じた。

「アニー、フランツくんを起こしてくれ」

『分かったわ』

 慌ただしくアニーが駆けだしていく。

「アンナちゃんは医者を呼ぶんだ。分かったね?」

 優しくエヴァンスに諭される。

「でも、リッツ……」

「大丈夫。脈はある。生きてるよ」

 その言葉に、全身の力が抜けて、思わず涙が出そうになる。

「生きてるんだぁ……」

 びっくりした。本当に死んじゃったかと思った。でもここで泣いている場合じゃない。

「さあ、行くんだ」

 アンナは頷いた。自分にできることはそれしかなさそうだ。

「リッツ今お医者さん呼んでくるから、死んだら駄目だよ!」

 アンナはリッツの耳元に向かってそう叫ぶと、防寒着を着ることもせずに、そのまま駆けだしていった。



「普通は死んでます」

 そう言い残すと医者は帰っていった。真冬の最中雪に埋もれて一晩過ごしたのだから、普通の人なら死んでいて当たり前だろう。

 フランツは呆れて、リッツにかける言葉が見つからなかった。

 だいたい雪が降っている日に庭で寝るか、普通。リッツの内面の複雑さを最近知ったが、もしかしたらそれは全て演技で、本当はただの馬鹿なのではないかと疑いたくもなる。

 医者と共に帰っていったケニーにも迷惑をかけたようだ。医者がリッツを診ている間にその状況を聞いた。

 医者を呼びに行ったアンナは、ちょっとした騒ぎを起こしていたそうだ。引っ越してきたばかりで、しかも王都を歩いたことがほとんどないアンナは、家を飛び出したものの、医者のいるところを知らなかったのだ。

 そんなアンナがパニック気味で駆け込んだのは、街中にある案内所ではなく、こともあろうに城の査察官詰め所だった。前にも一度来ていたから場所を覚えていたらしい。

 ケニーを頼ってのことだったのだが、この行動の御陰でリッツが倒れたことは、エドワードやシャスタにも筒抜けになってしまった。

 最近のケニーは、国王と大臣一行の直属の召使いのような立場に置かれている。その御陰でこうして簡単に呼び出したり出来るのだ。

 何だか悪い気がするのは、どうもフランツだけらしい。

 とりあえず混乱するアンナを落ち着かせたケニーは、困ったようにアンナを連れて王への面会を求めたそうだ。

 庭に行き倒れていたリッツの話を聞いたエドワードは思わず吹き出して、アンナに涙目で睨まれ、シャスタに怒られたらしい。

 そこからシャスタとエドワード、ケニーによる話し合いが持たれた。

 今現在の状況では、城の医者には変装していないリッツを見せるわけにも行かない。とりあえずケニーの掛かり付けの医者で、城よりもリッツ達の家に近いところに居を構える人物を呼ぶことに決まった。

 正体を偽っているリッツに医者を呼ぶのも一苦労だ。そこの所を分かった上で行き倒れるでもなんでもしたらいいではないか。

 そんなこと今考えても無意味だが。

 診察を終え、自力では動くことすらできないリッツをエヴァンスと二人がかりで着替えさせ、ベッドに放り込んだ頃には、もう昼近くになっていた。

 本当に朝っぱらからとんだ騒ぎだった。

 エヴァンスは大急ぎで光の正神殿に出勤していった。彼はユリスラ王都の、光の精霊王の正神殿に属する高位神官なのである。アニーとの結婚生活について知られると立場が危ういらしい。

 残ったフランツはリッツに嫌味の一つも言わなければ気が済まない。

「頑丈な体でよかったね」

 医者が帰った後、冷たくリッツにそういった。一応意識を取り戻したリッツが、ベットの中に半ば埋まるようになりながらも、恨みがましくフランツを見つめている。

「野宿もいいけど、少し考えたらいい。今は冬だ」

 そう吐き捨てると、反論しようとしたのかリッツが咳き込んだ。どうやら口の達者なリッツが言い返せないらしい。

 いつもやりこめられるフランツからすれば、そんなリッツに同情の気持ちすらない。それに今回はフランツの方が正しい。

「しばらくはおとなしく寝てるんだね」

 そうフランツがいいきると、リッツはため息のようなものを漏らして目を閉じた。こんな静かなリッツを見たことがない。言い返されないのも、拍子抜けだ。

 しばらくして見てみると、リッツは完全に眠っていた。リッツが寝ている姿を見るのは、王宮以来久しぶりだ。ちなみに旅路でフランツはリッツが寝ているのを見た事がない。

 ため息を付きつつ部屋を出ると、アニーが立っていた。最初にアニーがメイドになった際、幽霊のアニーに出くわすたびに緊張していたが、今は何とかその状態を克服している。

 アニーの隣には、朝からの混乱状態からようやく落ち着いたアンナがいた。そういえば医者が言っていたが、アンナが倒れたリッツにその場で治癒魔法を掛けていればもう少しましだったそうだ。

 やはり冷静さは大切だと、フランツは自分に言い聞かせる。リッツとアンナと一緒にいる間は、心を落ち着かせるように気をつけよう。 

「アニー、アンナ、後はよろしく」

 二人に向かってそういうと、フランツは溜息交じりに振り向かずに階段を下りる。

 リッツのせいで今日の予定が狂ってしまった。エヴァンスの引っ越しにともなって出た古本を、分けてもらうはずだったのに。

 後ろから二人の声が聞こえた。

「行ってらっしゃい」

『行ってらっしゃい』

 家族でもないし、元を辿ればただの他人のはずなのに、こうして送り出されるのは不思議な気分だ。だが心のどこかがくすぐったくて、不快では決して無い。

「行ってきます」

 フランツは玄関に掛けてあった防寒具を身につけて冬の気配に満ちた外に出た。よく晴れたいい天気だ。冬特有の澄んだ深い青空が、雲一つ浮かべることなく広がっている。

 早いもので、サラディオから旅に出た時は秋真っ盛りだったというのに、今はもう十二月になっている。周りの環境も、自分さえもが、ものすごい速度で変わっていくような気がしてならない。

 フランツは暖かな防寒具の前をかき合わせて、身震いした。朝に比べて少々温度は上がっただろうが、寒いことに変わりない。

 この天気のおかげか、石畳の雪はほとんど消えている。土の部分にはまだらに積もっているが、それも近いうちに消えそうだ。まだまだ冬は始まったばかりで、雪の量は少ない。そもそもシアーズでは、王国北部に位置するサラディオのように、大量に降り積もることはないそうだ。

 もしここが王国北部だったら、確実にリッツは雪に埋もれて死んでいただろう。自宅の庭で凍死なんて、馬鹿らしすぎて冗談にもならない。

 エヴァンスはもう教会に行ってしまったから、宿舎に直接行かねばならないだろう。教会を見せて貰うのはまた今度だ。

 最近のフランツは、本中心の生活を送っている。本の内容は魔法の道具や、精霊魔法について。理由はもちろん、師匠に言われたことを調べるためだ。

 アーティスとはいかなる人物なのか、オルフェとは何者なのか。残念ながら答えはそうそう見つかりそうにない。

 フランツは防寒具の襟を立てて歩き出す。今日のうちにできるだけ本を運んでしまおう。そう考えると、何となく足が速まった。

 できるだけの資料を読み、できるだけの情報を集め、師匠の正体を早く知りたい。知らなければ、生けないような気がして、焦りが自然とフランツの背中を押す。

 いったい自分の師匠は、どこの誰だったのだろう。



 一方家には、アンナとアニーとベッドで寝ているリッツが残された。

 ようやく遅い朝ご飯にありついたアンナは、手っ取り早くトーストを食べ終え、蜂蜜のたっぷり入った、食後の暖かいミルクティーをかき回す。幽霊のアニーも食事は取らないが一緒のテーブルに着き、ため息をついた。

 アンナも同時に溜息をついていたから、お互いに顔を見合わせて笑ってしまった。

「大変だったねぇ~」

 いつもの朝とは桁違いに忙しい朝だった。

『本当にね』

 この家にお客があると一番苦労するのはアニーなのだ。何せ彼女は幽霊、お客を脅かしてはいけないしメイドだから指示しないといけない。

 幽霊だって疲れる……らしい。

「大人もあんなひどい風邪引くんだね」

 今のリッツは、声も出ないし立つことも出来ない。ようやく薬は飲ませたものの、食事は無理なようだった。子供の風邪でそのくらいの症状が出ることはよくあるだろうが、大人でというのは初めて見た。

『そりゃあ引くわよ。真冬に外で寝てるんだもの』

「そうだよね」

『死ななかった方がすごいわ』

「……そうだよねぇ……」

 ミルクティを両手で包み込むように持ち、暖を取りながらまた溜息をつく。

「私はどうしたらいいかなぁ……」

 頬杖を付きながら呟くと、アニーが怪訝そうな顔をした。

『何をどうするの?』

「リッツに何をしてあげられるのかなあ」

 何だかいつも超然として、何が起こっても決して動じないリッツを知っているだけに、アンナとしては意外でしょうがない。

 だから一体どうしたらいいかも全く見当が付かなし、どうしたら助けになるのかも分からないのだ。

『何を悩むことがあるの?』

「だってリッツだよ?」

『ご主人様だって、人間でしょ?』

「精霊族だけど、うん、人間だね」

 深刻に頷くと、アニーは優しく微笑んだ。

『アンナがもし、風邪を引いた時にしてもらって嬉しかったことをしてあげたら?』

 それは本当に当たり前のことだけれど、アンナにはその時目から鱗の思いだった。リッツだからどうこう考えないで、一人の病人として考えれば良かったのだ。

「そっか。そうだよね!」

 滅多に風邪を引かないアンナだが、幼い頃風邪を引くと、養父のアントン神父が必ずアンナの好きな果物をどこからともなく手に入れてきて食べさせてくれた。

 そんなときに彼女は、養父の愛情に暖かく優しい幸せを感じたものだった。

「じゃあ、リッツの食べたいものを聞いて、準備しとく!」

 思いついたのは結局食べ物だった。

『……そうね。それがいいわ』

「ごちそうさま。これ持って行くね!」 

 片付けをアニーに任せ、冷たい水の入った洗面器とタオルを手に、二階にあるリッツの部屋へ再び入る。

 リッツの部屋は書斎とベットルームの二間続きのこの家で一番大きな部屋だ。リッツ自身は狭くていいと言い張ったのだが、エヴァンスとアニーがこの家の主人はリッツだからと、無理矢理この部屋をリッツの住まいにしてしまったのだ。

 だからリッツの寝室は、かなり奥まったところにある。まず廊下からの扉を開けると、本が全く入っていない立派な書棚と巨大な書斎机、ソファーとテーブルがある。

 高価な物を飾るだろう飾り棚に収納されているのは、数本の酒瓶だ。たまにエドワードが来て一緒に飲むらしい。

 そのまた奥に扉があり、そこがリッツの寝室だ。扉を開けて中に入ると、陽光溢れる広い部屋が現れる。家の二階の端であるこの部屋には、大きな窓が三つもあるのだ。

 ここは前の豪邸の主人夫妻の寝室だったそうで、リッツは使っていないが、バスルームやお手洗いがあり、ここも綺麗に直されている。よくよく考えれば、普段は使わなくても、今日のように病気の時は必要だろう。

 高価なベットと、天井から下がる天幕は、高価な貴族しようで贅沢だ。リッツはこれもまた改装の時に取り払おうとしたのだが、業者たちの親切……という名の面白がり……で再び豪華に設えられている。

 そのリッツに妙に似合わないベットで、熱で赤い顔をしたリッツが苦しげな息で眠っている。無造作に切られた前髪が、汗で張り付いて何だか苦しそうだ。

 暖炉に薪を追加して暖かさを保つようにしてから、そっと額に手を触れると、まだかなり熱い。やはりいくら丈夫だと言っても、雪の中で何もかぶらず寝ては駄目だと思う。

 持ってきたホーローの洗面器には氷水が入っている。冷やすための氷なら、今日は寒いから無尽蔵にある。

 冷たいタオルを絞って額の汗を拭き取り、再び冷やして額に乗せる。いつも面倒を見られているのに、こうして面倒を見るのはちょっと嬉しい。

 身体を拭いてあげようかな。大人だからそれは嫌かなと思案していると、リッツがぼんやりと目を開けた。

 いつもは飄々としていて楽しげなダークブラウンの瞳が、うっすらと充血していて何だか視点が合っていない。

「ごめん起こした?」

「……」

 リッツは答えなかったが、まだ目は開いている。どこを見ているのか、何を見ているのか全く分からないドロンとした目だが、起きたなら丁度いい。

「リッツ、食べたいものある?」

「……」

「え、何?」

 うわごとのようにポツリと呟いた声が、聞き取れずにアンナは聞き返した。

「『陽気な海男亭』のクリームシチュー」

 口元に耳を近づけたのでようやく聞き取れた。ボソボソとリッツは確かにそういったのだ。

「『陽気な海男亭』のクリームシチューね。分かった」

 メモを取りつつ、アンナは少々困ってしまった。まさかお店指定で来るとは思っていなかったのだ。普通のクリームシチューなら家で作ればいいが、これは買いに行かないといけないらしい。

 リッツのことは大好きだし、それにいつも世話になっているから、病気の時の頼みぐらい何としてでも聞いてあげたい。

「私買ってくるね」

 決意を固めてアンナがリッツにそう告げた時には、いつの間にかリッツの瞳は閉じていた。こんな風に無防備に眠っているのを初めて見るから、何だか新鮮でちょっと嬉しくて、でもやっぱり心配だ。

「よ~し、頑張って買ってくるぞ!」

 アンナはガッツポーズを決めつつ、自分を奮いたたせた。

 たかが買い物、されど買い物。

 アンナは大きく深呼吸すると、もう一度決意を固めた。そうしないと、不安になってしまうからだ。

 何故ならアンナが一人で買い物に行くのは、王都にきて初めてなのである。

 一階に下りてアニーに買い物に行くことを伝えると、アニーは困惑したようにアンナを見返してきた。

『一人で出掛けて本当に大丈夫?』

「うん。『陽気な海男亭』ってアニー分かる?」

『分からないわ。でも海男亭って言うくらいだからきっと港の近くね』

「そうだよね。うん、行ってみるね」

『でも港の近くって……』

 心配そうなアニーの声を背中に聞きながら、アンナは多少サイズの合わない、お下がりのコートを着込んでお下がりのマフラーを巻き付け、出掛ける準備を始めた。

 ちょっと心細い初めてのお使いだが、いつも世話になっているリッツのたっての頼みなら、行くしかない。

 それ以外に今何かしてあげられることもないし、何よりもリッツの役に立ちたい。

『アンナ、港の傍は危ないの』

 再びアニーが心配そうにそういった。

「大丈夫だよ。シチューを買いに行くだけだもん」

『でもね』

 困っているようなアニーに、アンナは努めて元気に答えた。

「平気!」

『……分かったわ。でも無茶はしないでね』

 とうとうアニーが折れて、ため息を付きつつそういった。

 そんなに心配されるような所なのだろうか。ちょっと不安だけど、行くしかない。

「うん。リッツのことよろしくね」

 フランツから預かっているお金を鞄に入れると、アンナは元気に家を飛び出した。

「いってきま~す」

『気を付けてねアンナ!』

「は~い」

 家を出たアンナは、屋敷を出て王城から街の外へと続く大通りの坂道を下っていった。ここは皆石畳で舗装されているから、綺麗に雪が消えてしまっている。

 それにしても、リッツが凍えただけあって、今日も寒い。ここから本格的な冬が始まるのだろう。

 白い息を吐きながら足早に坂道を下っていく。不安はかなり大きいけれど、何故だか胸がわくわくする。初めての経験は、幾つになっても楽しい。

 やがてその道と直角に交わる大きな道に行き当たった。この大通りまでは、リッツとフランツと一緒に来たことがある。

 これは街の中央を通る大通りで、旅人の街と繋がっている道だ。この道を遙か北から歩いてきたんだなと思うと感慨深い。

 確かこの道はシアーズの街の入り口と、港を結んでいるとリッツが言っていた。だから港に行きたい時には真っ直ぐに歩けばいいとのことだった。

 それならば店が港湾部にあるらしいから、この道を真っ直ぐ海に向かって歩いて行けば間違いは無いはずだ。

 目的地は港近く。港までなら、まず迷うことはないだろう。

「ええっと、ここをこっちだよね」

 アンナは迷いなく港の方面に足を向けた。中央通りという名のこの道は、街の中央を走っている商業地帯だから、人の多さは半端じゃない。

 道を挟んで左右に人が行き交い、中央を乗合馬車が走っている。個人の馬車は許可がいるが、乗り合いの馬車はこの街の中をくまなく網羅するように走っていて、どこにでも行くことができる。

 賑やかな大通りをアンナはキョロキョロしながら歩いた。人混みに慣れていないアンナは、幾度も人にぶつかって謝らなければならなかった。

 だけどそれはそれで面白い。村にいたときはこんな人混み見たこと無かったし、この街に来てからは王宮や家で過ごすことが多くかったから、あまり他人にぶつかった覚えがない。

 それに一人で街を歩くと、今まで目に付かなかった物がやけに新鮮に見えるものである。

「わぁここのレストラン高そう……」

 一つ一つの店を覗いては、こっそり小声で感想を呟く。

「この椅子いいなぁ……談話室にあったら可愛いのになぁ」

 こんな風に自由に街を見て回るなんて初めてだ。フランツは目的地以外には全く興味を示さないし、リッツは自分の興味を引く物以外には殆ど目を向けない。

 そんな二人に『あれ可愛いよね?』とか聞いてみても、返ってくる答えは『そうかぁ?』だったりするから張り合いがなさ過ぎる。

 こういうのはやはり女の子の楽しみだ。かといってアンナにはこういう楽しみを共感できる友達が今のところいない。アニーと来たくても彼女は幽霊、体がない。

 あの家から出るために体を貸してあげたりしたら、一緒に来る意味なんてまるでないし。

 こんな時アンナはファルディナの街で友達になったリラを懐かしく思い出してしまう。

「リラがいればなぁ~、楽しいだろうなぁ」

 彼女ならきっと、一緒にお店を見て回れただろうし、楽しくお茶なんかも出来たに違いない。ほんの一月ほど前のことなのに、何だかとても懐かしい。

 あっちの店を覗き、こっちの店を覗いて歩いているうちに、大分時間を喰ってしまったことに気が付き、アンナは気持ちを引き締めた。

「駄目駄目、お買い物を先に済ませなきゃ!」

 小さく呟くとアンナは真っ直ぐに前を見据えて、港の方へ歩き始めた。

 王都シアーズは本当に大きな街だ。大通りを行き交うのは、歩いている人だけではない。馬車や馬も行き交うし流れも定まっていない。アンナのような都会初心者にとっては、真っ直ぐに歩くことすらままならない。

 人にぶつかりまくっているアンナは、どこからどう見ても、王都へ観光にやってきた田舎者である。

 そういえばリッツが言っていたっけ、『都会では田舎者が目を付けられ、危ない目に遭う』って。

 フランツも隣で難しい顔をして頷いてたから、きっとそれは本当なのだろう。その時は聞き流していたけど、危険な目っていったい何なのだろう。

 アンナにはいまいち見当が付かない。

 そんなことを思い出していると、後ろから来た人物に思い切りぶつかられた。ぶつかった感じではない、わざとぶつかられた感じだ。

「痛い!」

 よろめきながら文句をいうと、帽子を被った少年がちらりと上目使いにアンナを見た。

「おっとごめんよ」

 驚いた一瞬、鞄を持つアンナの力が緩んだ。少年がその隙にアンナの鞄を奪い取る。

「あ、私の鞄!」

 アンナの鞄をひったくった少年が、アンナの言葉に気が付いて、すごい勢いで走り出した。一瞬呆然としたが、少年に投げつけられた言葉で我に返る。

「悪く思うなよ!」

 悪く思うに決まってる。あの鞄を取られたらとんでもないことになってしまうのだから。

「待ちなさい!」

 鞄が大事なのではない、中身のお金が大事なのだ。何と言ってもこのお金、本来はフランツが管理しているものなのだ。もし取られたといったら、ただごとでは済みそうにない。

 リッツが寝込んでいる今、フランツから助けてくれそうな人物は存在しない。

 アンナは少年を追いかけ、必死に駆けだした。元々農業で鍛えた足腰が、旅路を歩くことによって益々鍛えられている。大きいと言っても範囲の区切られたこの街でしか生活したことのない少年に負ける気は全くしない。

 徐々にその差が縮まっていく。鞄をスリ取った少年がちらりとこちらを振り向き、慌てたように必死で走っていく。

「待ちなさいってば!」

 走りながら伸ばした手が、少年を掠めるものの、なかなか追いつかない。だがまだまだ余力はある。なにより取られた物を、とにかく取り返せねばならない。

「何でこんなに早いんだよ!」

 前を行く少年が文句をいうのが聞こえた。息が切れているようだ。ぐんぐんとアンナは迫る。いつの間にか大通りを折れ、人通りの少ない道に入り込んでいた。

「絶対、負けないんだから!」

「しつこいな!」

 人が少なくなったのだから、あの技、試せるかな?

 アンナの頭にその考えが沸き上がった。この状況ならきっと試してみても悪くないだろう。

 必死で逃げる少年の背中に、アンナは最終警告を突きつけた。

「待ちなさいったら、待たないと撃つよ!」

 わけの分からない少年は、困惑しながら走り続けた。アンナは立ち止まって両手を頭上に掲げ、神経を集中させた。じわりじわりと水の精霊が集まってくる感触がある。

「飛んでって、水の球!」

 掌の輝きから生まれた水の球が、輝きながら少年に向かって飛んだ。残念ながらその球は少年の横すれすれを通った。

「やっぱり当たんないかぁ……」

「ヤバイ! 精霊使いだ!」

 悲鳴に近い少年の声がアンナの耳に飛び込んできた。おそらく少年はアンナが精霊使いだなんて思っても見なかったのだろう。

 ヤバイって言うぐらいなら、止まればいいのに。

「待ちなさいったら!」

 アンナは習ったばかりで、全くコントロールが聞かない水の球を、逃げ回る少年に投げつけた。

 今日はお買い物にきただけだから、もっと簡単に少年の足を止められるであろう土の精霊の矢は持っていない。こうなったら、自分にあるもので勝負するほかないではないか。

 ふとフランツの顔が浮かんだ。フランツはあの金をアンナに渡すとき、難しい顔をして無駄遣いをせず、節約するように言い渡したのだ。

 それを思い出してたせいか、一瞬コントロールが鈍った。いけないいけない、集中しなければ。

「止まりなさいってば! 当たっちゃっても知らないよ!」

「当たってたまるか!」

 アンナの放つ水の球の命中度が低いことに気が付いたのか、少年は必死で逃げる。やっぱりちゃんと練習しないと、全然駄目だ。

 しかもコントロールが聞かないのは、水の球の飛ぶ方向だけではないのだ。手のひらに乗るような小さな水の球を作るように心がけていたアンナの手元が狂い、両手に余るほどの水の球が出来上がる。

 しかもアンナは、これを途中で消す方法をまだエヴァンスとフランツに教わっていない。

「ええっ! 何でこんなに……大きいのっ!」

 自分の両手でいっぱいの水の球に動揺して、思わずそれを少年に向かって投げつけた。

「あっ! 投げちゃった!」

 もし当たったら、怪我をする。いや怪我じゃ済まないかもしれない。慌ててアンナは少年に向かって叫んだ。

「危ない! よけて~!」

「へ?」

 必死で叫んだアンナの声に振り返った少年は、自分に迫り来る直径五~六〇センチ大の水の球を見て立ちつくし、絶叫した。

「マジかよ~!」

 驚きと恐怖で少年は動かない。アンナは少年を庇おうとしたが、少年からあまりにも離れすぎていて、間に合いそうにない。

 当然の結果ながら、その水の球は少年に直撃した。

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 思わず撃った方のアンナが身をすくめた瞬間、少年は吹っ飛んでいた。

「うわぁ……命中しちゃった……」

 思わずそう呟く。水の球と一緒に少年は額から地面に叩き付けられていく。少年に駆け寄りながら、アンナは思わず大声でこう言っていた。

「ごめ~~~~ん!!」

 だが少年からの返事はなく、少年はがっくりと動かなくなった。どうしようと一瞬パニックになりかけて、ふと思い出した。

 今日自分の前で前後不覚になったの、二人目だなと。


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