突撃!旅路の晩ご飯3 パエリア・リベンジ!<2>
Ⅲ
アンナは、ケニーが調理台の上に広げ始めた食材の量と高価さに絶句していた。
「わぁ……」
きっとフランツがお財布がかりを勤めている限りは、こんなに大量の高級食材を見ることはないだろうなぁと、しみじみそう思う。いくつかつついてみたけれど、それだけでこの食材の新鮮さがしれた。
見たこともないくらい立派な大海老は二匹もいて、いまだに生きて髭を左右に揺らしている。磨かれたかのようにつやつやに輝く紫貝、今海から上がったかのように透き通ったイカ、目が生き生きと輝いているヒラメ、水を噴き上げる大粒のアサリ。
野菜はピーマンと赤パプリカ、黄パプリカ、グリンピース、レモン、玉葱、トマト、ニンニク。そして調味料として、問題のサフランとオリーブオイルがあった。あの黄緑地獄を産んだ、花の赤いおしべとグリーンの油である。
アンナもこれで全て理解した。パエリアを作ろうとしているのだと。
「ケニーさん、パエリアを作るんですよね?」
分かったけれど一応聞くのが礼儀だ。アンナもそのくらいはわきまえている。笑顔でケニーを見ると、深刻そうにこくりと頷いた。なんだかこれから料理をしようという感じではない気がするのは、アンナの気のせいではないだろう。
リッツに『首をくくりそう』といわれる状態がこれであることがよく分かった。
こういう時は話を変えて、リラックスさせるのが一番いいことを、孤児院の経験から知っている。だけどケニーのような大人に通じるだろうか? やってみなくては分からないから、とにかく作戦決行だ。
「ケニーさん、私手伝いますね」
「いや、手間はかけられない」
強ばったままの顔でそういうケニーの顔を、アンナは正面から覗き込んだ。ここで引き下がったら、ケニーも大変だし、パエリアはもっと大変なことになってしまう。
せっかくの高級食材を、また再びあの恐るべき代物に変えてしまうような勿体ないことなんて絶対に許せない。心の中で自分に気合いを入れて、アンナは再び笑顔を作った。
「手間じゃないですよぉ。一番年齢が近いから、遠慮なくなんでも言ってください」
「……アンナちゃん幾つだっけ?」
あまりに意外な言葉に虚をつかれたように、暗い目をしていたケニーがアンナを見た。そういえばそんなに詳しいことをケニーと話していなかった気がする。
「三十歳ですよ~。えへへ、人間とは年の取り方違いますから」
本当に驚いたらしく、ケニーは絶句して動きを止めた。一瞬の後、ため息とも深呼吸とも付かない、大きな息を吐く。
「驚いたな……僕は三十五歳だ。本当に変わらないんだね」
口調からケニーが素の状態で答えたのが分かった。軍人という職を離れれば、ケニーは、穏和で穏やかなのかもしれない。そんなケニーがちょっと新鮮だ。それに孤児院作戦が効いているのがまた嬉しい。
「変わらないんですよ~。それに馭者のおじさんの助手を二人でやったじゃないですか。だから一緒に頑張りましょう! パエリア!」
更に笑顔でケニーの顔を見ながらそう宣言すると、ケニーはようやく笑顔を浮かべた。
「ああ、お願いするよ」
外には出さないよう、心の中で大きく安堵の深呼吸をして、アンナは腕まくりした。これでようやく料理にかかれる。
「じゃあまず、何をします?」
「ええっと……下準備からかな? サフラン水を作る……」
何度も読み返しただろうメモを取り出してケニーがそういった。
「じゃあフライパンがいりますよね? フライパンで煎って、それでそれを粉にしてお湯で煮るっと……」
『はい、フライパン』
いつの間にかアニーが手を止めてこちらにやって来ていた。何だかただならぬ雰囲気を察してきたのだろう。
さすがメイドさん、お客さんの行動に敏感だ。鈍いと言われてしまうアンナはアニーを心から尊敬した。
「サフランをフライパンで、から煎り……」
ケニーは小さな紙袋をフライパンに逆さに空けた。中から大量のサフランがフライパンに注がれた。
「ケニーさん、入れすぎ! 一つまみでいいよ」
「一つまみ? このくらいかな?」
フライパンの中のサフランをケニーはむんずとつかみ取った。
「ちが~う! それは一握り!」
大量のサフランを袋に戻し、何とか一つまみのサフランをフライパンで煎り始める。
危なかったぁ、またあのどぎつ~い黄色の薬くさいものが出来上がるところだったよぉ……って、ここで気を抜いていてはいけない。
「アンナちゃん、煎るってどうなったらいいのかな?」
「完璧にカリッとしたらいいです」
「完璧にカリっと?」
見ると火が強いせいか、少々色が変わってきている。このままでは消し炭になってしまう。
「もういいです!」
「あ、そう?」
火から下ろしたサフランを布に包み粉々にすると、アニーが沸かしておいてくれたお湯に放り込んだ。綺麗な黄色が鍋に広がる。
さすがアニー、アンナがハラハラしている間に準備してくれている。気が利くってこういう事を言うんだな、すんごく勉強になる。自分もこういう気の付く人になりたい。
そんなことを考えている間に、ケニーは次の作業に入った。材料の下準備だ。まずムラサキガイを鍋に入れて白ワインとハーブで蒸す作業は、上手くいった。これは下準備だし、ただ鍋に材料を放り込めば何とかなるから、普通に問題ない。
イカはわたを取って輪切りにするだけだし、アサリに至っては砂出しが終わっているらしいから、洗っておくだけでいい。とりあえず本当に砂出しが終わっているのか心配なので、塩水にアサリを放り込んだ。
要領の悪いケニーをサポートしてよく動いていたのは、アンナよりむしろアニーだった。アンナはこの場にアニーがいてくれたことに心底安堵した。
さて問題はヒラメと大海老だ。
「ケニーさん、大海老捌いたことあります?」
「……僕が裁いた(ヽヽヽ)ことがあるのは……犯罪者だけだな……」
「いや、その裁くじゃなくて……」
困ってアニーを見ると、アニーは変にツボに入ったらしくテーブルを叩いて笑っている。声は殺しているが、その動きで大笑いがバレバレなんだけどなぁと思ったが、ケニーは真剣に海老と見つめ合っていて気が付いていない。放っておくと本当に海老を断罪しそうでちょっと怖い。
「ええっと……海老を縦に二つに切るんです」
「縦に二つ?」
ケニーは海老をまな板に置くと、逃げないように押さえつけながら考え込んだ。何を悩んでいるのか分からないから、元気に大海老捌きを促す。
「頭からすぱっと縦に切っちゃってください」
「分かった」
ケニーは包丁を逆手に構えた。
「ちょっ、何してるんですか!」
まるで殺人者のようなその手つきに、慌てる。海老を捌くのに逆手に包丁っていったいどういうこと? アンナには理解不能だ。
「え? 堅そうだからね」
「堅そうって……海老ですよ?」
「海老とはいえ、あまり苦しませるのもなんだから、ひといきにと思って……」
……どうしよう、自分の常識がいまいち通用しないかも。一瞬そう思ったがここで諦めてはいけない。
「お任せします、頑張って、ケニーさん」
その言葉が終わると同時に、ケニーが力の限り海老にとどめを刺した。
あまりに重たいその包丁のまな板に突き刺さる音に、心の中でアンナは海老が無事女神の元に召されるよう祈った。
「アンナちゃん……」
困ったようなケニーの声にまな板の上を見ると、包丁が海老に突き立ったままになっている。今度は何だろう?
「甲羅が滑って縦に切れないんだけど、これを使ったら駄目だろうね?」
ケニーが指さしたこれとは、食堂の片隅に立てかけられたケニーの愛用の剣である。
それって確か、この間賊と斬り合いしてた剣じゃないのかなぁ……って!
「駄目です! ぜ~ったいに駄目! 食材ですよ?」
「そうだね。分かってるけど、剣の方が扱いやすいから……」
「もう! こうです!」
アンナは堪らず突き立ったままの包丁をまな板から引っこ抜くと、海老の頭の中央に包丁を刺し、それを倒すようにして縦に真っ直ぐ包丁を入れた。
何にそんなに苦労しているのか分からないくらい、あっさり海老が切れる。
「……なるほど」
もの凄く感心したようにケニーがそう呟いた。そんなに感心されるものでもないはずだが……。ここでもう一匹やってしまったら、ケニーのためにならない。
包丁をまな板に置くと、ケニーに場所を譲った。
「もう一匹はケニーさんですよ?」
「分かった」
やってみると簡単だったらしく、ケニーはあっさり海老を両断した。今度は包丁を逆手に構えて……ということもない。
「……なるほど、何事にも決めごとがあるんだね」
しんみりとそういわれてしまった。何と返していいかさっぱり分からないから、先に進めることにする。
「次はヒラメですよ。身を五つに分けます」
「……は? 五つ?」
「真ん中から包丁を入れて……」
説明しかけてアンナは悟った。魚を捌くなんて高等技術、料理の初心者に出来るわけがない。アンナだって川魚とそれに類する体型の魚なら捌ける。つまりアジやサンマはさばけるが、ヒラメは不慣れだ。ケニーを見ると真剣にアンナの手元を見ている。
「これ、私とケニーさんじゃ無理だ」
「え? そうなのかい?」
これが美味く出来そうなのは……アニーとリッツだけだろう。リッツに聞いたことはないけど、何となくこういう事はそつなくこなしそうな気がする。 アンナのリッツに対する、比類無いほどに偏った信頼は篤い。だが今の状況で確実なのは、アニーにヒラメを頼むことだ。
「アニー、ヒラメだけお願いしたいんだけど……」
『あら、いいの?』
「うん。他の作業を進めるからお願い」
『分かったわ』
苦手なヒラメをアニーに押しつけて、アンナはケニーを振り返った。時間がかかる作業が残っている。
「次は何ですか、ケニーさん」
確認をすると、ケニーは手元のメモを見た。
「玉葱とニンニクとトマトとパプリカをみじん切りにしてオリーブオイルでペースト状になるまで炒める……」
「それ、やっちゃいましょう。時間かかるし」
みじん切りに悪戦苦闘しながらも、何とか不揃いな野菜達はオリーブオイルを引いた鍋に収まった。一旦熱々に熱してから弱火にしてケニーに木べらを持たせた。
「こがさないようにペースト状になるまで、じっくり気長に炒めてください」
「じっくり気長なら、得意だ」
……そういえばこの人は査察官だった。確かに粘りが必要な職業かもしれない。
よろりとよろめきながら、アンナはこっそりと食堂に戻る。こんなに緊張感に満ちた料理は初めてだ。
誰もいない食堂から扉もなく続いている隣の談話室へと足を向けた。人助けはアンナの中で最優先される事項だが、これは人助けとは違う……違う気がする。なんだかとっても疲れるけど、いったいどうしてだろう。
そこにはリッツとフランツに加えて、いつも通り何の変装もしていないエドワードと仕事から帰ったばかりのエヴァンスがいた。全員の視線が痛いくらいアンナの上に注がれた。
ソファーの上で寝転がっていたリッツが起きあがり、深刻な顔でアンナの顔をじっと見た。
「どうだ、首尾は?」
どうだと言われても答えようがない。その代わりにリッツのそばに行き、アンナと比べれば大きなその手を取った。目を潤ませて、お願いしてみる。
「大変なんだよ~。リッツ、代わって~」
でもリッツは無情だった。きっとどれだけ大変なのかを分かっているのだろう。リッツは重々しくアンナの肩に手を置き、真面目な顔でアンナを見返してきた。
「……がんばれ、アンナ」
まったくもって代わる気なしだ。
「わあ~ん、意地悪! じゃあフランツは?」
「勘弁してくれ」
料理が出来る二人にあっさり断られ、思わずエドワードを見る。一瞬怯んだエドワードに手を合わせる。
「エドさん!」
「すまんなアンナ、料理はそんなに得意ではない」
最後にじっと神官服を着たままのエヴァンスに目を向ける。
「エヴァンスさんは?」
「……私は料理が出来ないんだよ」
「……みんなの意地悪」
がっくりと肩を落とすと、後ろから肩を叩かれた。ケニーかと一瞬焦ったが、そこにいたのはアニーだった。
『アンナ、先に進めるわよ』
「うん……」
すごすごと調理場に戻ると、ケニーの野菜ペーストが焦げることもなくきちんと炒められていた。さすが根気を誇る査察団……。
ここまで来れば料理は八割方完成だ。疲れている場合じゃない。ケニーはこんなに頑張っているのだ、自分がここでへこたれてどうするのだ。
何事も前向きに明るく楽しくが自分のモットーじゃないっ! と自分自身を力強く励ます。そうだ、こんな時にこそ元気を出さないといけない。
「じゃあ順番に炒めていきましょう!」
ことさら明るく元気にアンナはそう宣言した。こうなったら楽しんだ方が得だと思う。こんなに料理が出来ない人に会うことは今後ないだろうから、この状況を楽しんじゃおう。
そう心に決めると、ちょっと楽になった。何も暗く思い詰めるケニーに合わせて、自分も暗く料理の運命を全て背負うことはないのだ。
「美味しいパエリアになるかなぁ~」
深刻なケニーに明るい笑顔を向けてアンナは再び腕まくりした。
Ⅳ
食堂のテーブルに、真新しいテーブルクロスがかけられて、その上に沢山の料理が並んだ。
アニーとアンナで用意した、マッシュポテト、フライドチキン、ポトフ、チェリーパイ。一緒に白ワインの瓶が数本と、麦酒の瓶が数本がきちんと揃えておかれている。
雰囲気だけ見れば、なかなか軽いパーティのようでいい。問題は、テーブルの中央にどーんと鎮座しているパエリアだ。
どこから手に入れてきたのか六人前がきちんと入るパエリア鍋に、大海老と紫貝、アサリとヒラメが綺麗に盛りつけられている。
どう綺麗かというと、全ての食材が驚くほど正確な等間隔に並んでいるのだ。それは飾り付けのパプリカやピーマン、レモンに至るまで、全て同じだ。
ケニーらしいとリッツはつくづくそう思う。自分が盛りつけたならこうはならないだろう。おそらく最後は面倒になって上から散らすに違いない。
まあそれはさておき、問題は味だ。一応この家の主となったリッツは、立ち上がって全員を見渡した。
「え~っと、今日は我が家の引越祝いだ。身内だけで質素だけど楽しんでくれ。そんじゃ、乾杯」
おざなりな挨拶と白ワインのグラスでパーティの開始を宣言すると、引越祝いが始まった。だが何故か食卓には微妙な緊張感が漂っている。
「エド、お前いけよ」
隣に座るエドワードをリッツは小声でつつく。だがエドワードはワイングラスをテーブルに置き、両手を組んで拒否する。
「……この家の主はお前だ。お前からいくべきだ」
この言葉……毒味をさせる気だ。だがここであっさり折れるのもしゃくに障る。だからなおも食い下がってみた。
「国王を差し置いて、先に食事に手が出せるか」
「それでは、一番信頼を置く臣下である大臣に、先に食事する名誉を与えよう」
温情溢れたようなその言葉の裏にある言葉を、リッツはよく知っている。この言葉はつまり『いいから試しにお前が喰え』ということだ。
こうなると完全にリッツの負けである。
「……こう言う時だけ偉ぶるなよ」
二人で譲り合っているのは、勿論ケニーのパエリアを一番に食べる権利である。リッツはそちらを見ないようにはしているのだが、ケニーの視線が痛い。
「……国王陛下、大臣閣下」
暗い声でケニーが二人を敬称で呼んだ。
「お召し上がりいただけませんか? もしこれが、先日のように、食べられないものであれば……」
ケニーは懐から封筒をとりだした。表面にかかれている文字を見てぎょっとした。そこにあったのは『辞表』という文字だった。
「覚悟は出来ています」
一気に血の気が引いた。ここまで思い詰めることではないだろうと思っていたが、ケニーの真面目さがこんなところで出てきた。
ゆっくりとエドワードに顔を向けると、エドワードの顔には引きつった笑みが浮かんでいる。
なにせケニーはエドワードが最も信頼を置く、査察部隊第一小隊長だ。料理の腕で軍を辞められたら洒落にも何もならない。
「待てケニー、分かった、喰う、喰うからそれを引っ込めろ」
「ですが……」
「馬鹿たれ! 料理で査察部隊小隊長が軍を辞めるなんてあり得ないだろうが!」
やけになって皿にパエリアを盛りつける。ええい、毒を食らわば皿までだ。
一瞬あの夜の恐ろしい緑と黄色のドロドロな液体を思い出したが、グッと堪えてスプーンに山盛りに下パエリアを口に運んだ。
……喰える……。
もう一口、口に入れる。今度はすぐに飲み下さず、噛んでみた。
大丈夫だ、きちんとパエリアの味がする……。
少々焦げた感じがするし、水分が飛びすぎた気もする。イカに至っては熱を加えすぎて堅い。だが許容範囲内だ。これはこれで食べられなくはない。
「閣下いかがでしょう?」
不安そうな顔でそう尋ねるケニーには答えず、リッツはにんまりと笑みを浮かべた。やっぱり後ろ向きより前向きな方がいい。
ことに賭け事は。
「……フランツ」
二口目のパエリアを飲み込んでから、フランツを見る。
「何?」
少々引きながらフランツがリッツを見返してきた。おそらくどれほどの味だろうかと頭の中で最悪の方向に考えているのだろう。
「フランツ、俺の勝ちだ」
その言葉でフランツは大きく息をついた。
「……そうか、僕の負けか……」
そういいつつもまったく悔しそうではない。おそらく賭けに負けたことより、食べられるものが出てきたことに安堵したのだろう。
「一ギルツ、忘れんなよ」
「……うん」
二人のやりとりを聞いていたエドワードが、リッツをマジマジと見つめてきた。
「ということは、食べられるんだな?」
「ああ、喰える。ちょっと水分飛ばしすぎだけどな」
リッツのお墨付きに、ケニーが安堵したようにぐったりと椅子にもたれかかった。
やれやれだ。これでケニーのリベンジは終了したということだろう。引越祝いがようやく明るく始まった。




