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呑気な冒険者たち  作者: さかもと希夢
呑気者旅に出る。
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アンナ・マイヤースの場合<3>

Ⅵ  


 教会から急ぎ足で歩くこと約三十分程で、二人はその牧場にたどり着いた。広大な広さの牧場は、牧草刈りの最中であったらしく、あちこちに牧草が束になって置かれている。だがそれは整然とは並んでいない。何者かが散らかしたのだろう。

 牧場の木の柵の中には、闇から抜け出てきたかのような真っ黒な体に、ギラギラと赤く光る目を持った大きな銀狐たちが、数匹こちらを威嚇していた。口元から糸のように赤い血を滴らせている。

「これはひでえな……」

 リッツはポツリとつぶやいた。十匹以上の牛がやられているから、この農場は大損害だろう。幸いなのは、全滅したわけではないらしく、おびえた鳴き声があちらこちらから聞こえていることだ。とにかく銀狐を追い払わなければ。

「いつもこんな事が?」

 リッツが小さく訊ねると、アントンは首を振った。

「こんなに人里に近づくのは珍しい。悪いことの前触れではなければいいがね」

「そうですね」

 銀狐はリッツとアントンに向かってふさふさと大きなしっぽをゆっくりと振って威嚇している。薄いグレーの瞳が、警戒心むき出しにこちらを睨む。どうやら向こうは向こうで、食事を邪魔したことに腹を立てているようだ。

 銀狐は山や森の近いところを旅をしていると、割合よく会う。ほとんどの野生動物がそうなのだが、こちらが攻撃を仕掛けない限り、襲ってくることはほとんど無い。ただ森が荒れ、食物が無くなった時は例外的に村を襲うことがある。

 彼らはだいたい数十匹の群れで行動する。この群れは割合少ない方だが、知恵のあるリーダーがいると対応に苦慮する。どうやらこの群れはそのパターンになりそうだ。

「同じ女神が造りし生き物と戦うのは心苦しいが、いた仕方あるまい」

 アントンは小さくそう呟いた。神官は高位の精霊使いであり、それぞれ属する精霊王の神殿によって考え方は違うものの、基本的に女神と同じ慈しみを持って総ての生き物に接するのだと聞いた。だからアントンも例外なく、生き物を殺すことを好まないだろう。

 だが村を守護する者の務めは、村人の安全を守ることである。それは父親カールがメリート集落でしていたことだからリッツも知っていた。アントンもそれはよく知っているらしく、小さく息を吐くと聖杖を正面に構えて目を閉じ、何かを呟きだした。

 よく聞くとそれは小さな祈りの声らしい。リッツが前方に注意を払いながら耳をこらすと、これから倒される妖狗達に対する追悼の祈りのようだった。流石聖職者だ、とリッツは変なところで感心してしまった。リッツにはそんな考えは露とも浮かばない。

「さあ行くぞリッツくん、いいかね?」

 のんびりとしたアントンの呼びかけに、リッツは短く応えた。

「いつでも」

 二人が牧場の囲いを飛び越して中にはいると、銀狐達が、一斉に顔を上げてこちらへ向かい身構えた。

「リッツくん、私の前には出ないでくれ!」

 飛び出しかけたリッツをアントンが鋭い声で押しとどめ、襲ってこようとしている銀狐達の正面に立ち、そのまま目をつぶって祈りを捧げた。

 その行動に驚くリッツだったが、彼を信じて他の方角からやってくる銀狐達と戦うことにする。アントン神父には彼なりの考えがあるのだろう。だとしたら彼に出来ることはアントンのバックアップをすることだけだ。

 ひたすら前方の銀狐相手に大剣を振るっていたリッツの耳に、アントンの張りのある声が響いた。

「大地を癒す水の精霊よ、その力を我に分け与えたまえ!」

 正面に構えた聖杖から、渦を巻きながら水の盾が現れた。光に輝く盾に一瞬怯んだ銀狐達だったが、何も起こらないとみて再びアントンに向かっていく。

 それがアントンの狙ったところだった。アントン顔に焦りや恐怖は全くなく、至って落ち着いていた。

 引きつけるだけ引きつけたところでアントンはもう一度聖杖を構えて言葉を捧げた。

「水の精霊の守護たる盾よ、敵を貫け!」

 その声と共に渦を巻きながらアントンを守っていた盾がそのまま高速で渦になり、銀狐達を激しい勢いではね飛ばした。水の力は、その早さを増すとそれだけで岩をも砕く。地面に叩きつけられた銀狐は、動けずにその場に倒れ伏していく。

「すっげ~!」

 銀狐を数匹まとめて草でも刈るかのようになぎ倒したリッツは、しばし手を休めてその光景を見て、感嘆の声を上げた。まさかこんなに田舎の教会で、これほどの精霊魔法の使い手に出会うとは思わなかった。

「リッツくん、銀狐の数はだいぶ減ったかな?」

 まだまだ余力のありそうなアントンが視線を前方にに固定したままリッツに尋ねた。

「相当減りましたよ」

「うむ、ではこの牧場に結界を張って一網打尽にしてしまいたいのだが、奴らを追い込む仕事と、私を守る仕事、共に君に任していいかね?」

 リッツは一瞬返答に困った。確かにここにいる銀狐の数は相当に減った。だが動きの素早さは身軽なリッツをしても追いつけない。攻撃と守り両方を完璧にとは数が多いから難しいだろう。

「完璧とはいきませんが、ある程度なら」

 正直に答えると、アントンは頷いた。

「うむ。それでいい。結界が張れれば、彼らは一気に撤退するからね」

「……なるほど」

 つまりは短時間で済むから、その短時間だけしのげばいいらしい。

「ではよろしいかな?」

「いつでもどうぞ」

「うむ」

 アントンは聖杖をまっすぐに構えると、ゆっくりと祈りの言葉を唱え始めた。

「地を流れる水の精霊よ、我の願いを聞き入れたまえ。この汚れなき緑の地を守るために、その清らかな命の元を我に分け与えたまえ……」

 祈るアントンのまわりに銀狐がいないのを確認しつつ、リッツは残った銀狐を斬り伏したり、柵の外へと追い払った。銀狐の数は減ったとはいえ、まだ十匹ほどいる。一匹一匹は弱いといえ、速度はあちらが勝るしこちらは一人、しかも人を守っている。油断はならない。

 アントンの祈りはまだ続いている。徐々にアントンの足下から水がわき出てくるのが見えた。その水はわき水のように地面を走り、徐々にこの牧草地に円を描くように広がっていった。

 水はまばゆい太陽の光に照らされて光を放ちながら、地面を這う。牧草地がゆっくりと水に浸食されて輝き始めた。しかも水の流れは下に吸い込まれず、鏡面のように澄んだ水面は静かにゆっくりアントンを中心にじわじわと波紋を広げる。

 大技だ。今いる銀狐を駆逐した上で、この場所に完全な結界を張ろうとしているのだ。この牧場は村はずれにあるから、ここにきちんとした結界を張っておけば、確かに村は安全だろう。

 だが今やることだろうか?

 リッツの心にひとつの疑問がわいた。敵を倒してからでもいいのではないだろうか?

 それでもリッツにはアントンを守る役目がある。そんな疑問を持っている場合ではない。一瞬の油断が命取りなのだ。

 ほとんどの銀狐達が、アントンの作り出そうとする結界の中に追いつめられた。その頃合いを見計らって、リッツはアントンに大声で言った。

「今なら一網打尽ですよ!」

 それに答えるようにアントンが力強く頷く。

「水の精霊よ、彼の地を清浄に保つための守りの力を……」

 だがアントンは最後まで言葉を唱えることが出来なかった。今まで敵がいた場所と全く違う方向……つまりリッツ達が来た方向から、数頭の銀狐がアントンに襲いかかるべく駆け寄ってきたのだ。

 大きい。これが群れの本当のリーダーだ。

 銀狐は状況を読み、彼らが来る前に二手に分かれて草がげに潜んでいたのだ。まさかそんなの智恵の付いたものがこの群れにいるとは、計算外だった。

「しまった!」

 アントンからは少し距離がある。リッツ到着よりも早く、銀狐の方がアントンに襲いかかるだろう

「くそっ!」

 アントンもリッツも間に合わないかと覚悟を決めた時、彼らの後から悲鳴に近い叫び声が上がった。

「お願い水竜! お養父さんを助けて!」

 その声と共に信じられないことが起きた。アントンの水の結界から、巨大な水柱が吹き上がったのだ。

「何?」

 水柱だと思ったのは、水で出来た大きな竜だった。 水の竜、水竜は咆吼をあげて水から飛び出し、真っ直ぐにアントンへと迫っていた銀狐たちを襲う。その荒々しい水の牙は、容赦なく銀狐へと突き刺さり、かみ砕いた。

「竜使い……」

 リッツは息を呑んだ。長い旅の生活の中で、精霊使いの操る水竜をみたのは初めてだ。

 水竜は、そのまま残る銀狐にも襲いかかる。太陽の光にキラキラ輝く水しぶきをあげ、透明な鱗を輝かせているその姿は、恐ろしいというよりも美しく、そして神々しかった。

 何とか水竜から逃れてこちらへ向かってくる銀狐をなぎ倒しながら、リッツはアントンの元へ向かった。

「アントン神官、早く結界を!」

 リッツに促されて、ようやく我に返ったアントンは、残りの祈りを捧げた。

「水の精霊よ、彼の地を清浄に保つための守りの力を我とこの地に与えたまえ!」

 水の表面にさざ波が、不思議な模様を描き始めた。それはあたかも見えざる手が絵を描いているような不思議な光景だった。

 模様が完成すると、水はひときわ眩しく輝いた。残った銀狐達がその輝きに焼け尽くされるかのように絶叫しながら必死の形相で逃げ去っていく。

 やがて牧草地に穏やかな静けさが戻った。今までは聞こえなかったのどかな鳥の声や、牛の鳴き声が聞こえてくる。これで全てが終わったのだ。

「お養父さん! お養父さん無事?」

 水竜を元の水に戻すのももどかしく、半泣きで駆けてくるその姿は、アンナだった。あの水竜を呼び出したのも、アンナだったのだ。

 精霊使いの中でも竜を扱うものは少ない。竜を扱う力を持つものは、竜使いと言われる。精霊使いの中でも最高位であり、各精霊王の神殿の正神官であってもその力を持つ者はいないという。軍にひとりいれば、戦況が変わると言われるぐらいに巨大な戦力なのだ。

 それなのに、こんなところに、しかも少女がそれを扱うとは夢にも思わなかった。

「ああ、ありがとうアンナ」

 アントンが微笑みかけると、アンナの目からみるみる涙があふれ出した。

「お、お、お養父さんに、な、何かあったら、どうしていいか、分かんないよぉぉぉ~」

 泣きながらアントンに抱きついたアンナに、アントンは優しく諭した。

「大丈夫だよ、大丈夫」

 リッツはそんな親子の姿を、微笑みながらじっと眺めていた。義理の親子なのに自分の所とは大違いだ。

 だが血のつながりよりも濃い絆があることを、リッツは身にしみて分かっている。

 アンナとアントンの姿を見ていて、そんなことを思い出した。久しぶりにこうしてユリスラに帰ってくると、懐かしい顔を思い出す。彼らは元気だろうか。会いたいけれど、あまりに遠すぎて何かのきっかけでもなければ、二度と会えないかも知れない。

 リッツは小さくため息をついた。逃げ出したくせに今更会いたいなんて、虫が良すぎる。

 結局アンナが落ち着くまでに、三十分ほどかかってしまった。泣き止んだアンナに事情を聞くと、彼女はリッツとアントンに気付かれぬよう、最初からずっと後で見ていたと言うことだった。先回りをして物陰に潜んでいたから、同じように潜んで見守っている銀狐の存在にいち早く気がついたらしい。

「ごべんね、お養父さん」

「謝らなくてもいいんだよ、アンナ」

「うん。ごめんなさい、リッツさん」

 泣きすぎて鼻を詰まらせたまま、アンナがリッツに謝った。謝るのはリッツの方だ。

「いや俺こそごめんな。お養父さん守りきんなくて」

 正直にいうとアンナはぶんぶんと首を振った。そんなことないと言いたかったらしい。変わってその言葉を口にしたのはアントンだった。

「いいんですよリッツくん。あれほどの大規模な群れは滅多にないからね」

「すみません」

「なんの、気にせんでくれ」

 そう言うと、アントンは傍にあった切り株に腰を降ろした。

「アンナ、先に帰ってお風呂の準備をしてきてくれるかな? 私たちはすっかり汚れてしまったからね」

 そう告げたアントンにアンナは心配そうな顔をして尋ねた。

「お養父さんは?」

「私は少し休んでからリッツくんと一緒に帰るとするよ。少々休憩したいのでな」

 アントンはリッツに目配せした。リッツは分からないままに頷く。

「うん。分かった。先行くね」

 アンナは涙と鼻水を止めてから、小走りに教会へ向かって駆けだしていった。しばらくしてから、アントンは全身から噴き出した汗を拭いながら、リッツを見上げて呟いた。

「いやいや、老骨にむち打って働いてしまったぞ」

「ご苦労様でした」

 そう笑顔で返したリッツに、アントンは微笑み、ゆっくりとアンナの走り去った方を眺めた。そのまま黙ってしまったアントンにリッツが静かに切り出した。

「何か俺に言いたいことがあるんですね? だから俺を残してアンナを返した」

 だがアントンは答えず、立ち上がった。

「歩きながら話そうかね」

 先を行くアントンの後ろ姿に、リッツは問いかけた。

「あなたは実力者だ。こんな田舎にいる人ではないですね。違いますか?」

 こんなに立派に水を使いこなす神官がこの辺境の教会にいるのはおかしい。大きな力を持った神官はだいたい本神殿、もしくは各国の首都の大聖堂にいるはずなのだ。アントンはその問いかけに振り返らず応えた。

「少し昔、水の精霊王の本神殿にたいした水の使い手がいた。実力はあったが彼は神殿の出世争いの競争に付いていけなかった。そんな彼が選んだのは出世ではなく人々の助けになることで、そのためか、辺境の村々に仕事でかり出されることが多くてな」

 足を止めず、だがどこか懐かしむように静かにアントンは、そういった。

「その男が、ある村の干ばつを救うために小さな村に出かけた時の事、その村の水の教会には、誰も神官がいないことに気が付いた。その上その村には危険な野生動物がたびたび襲撃していた。このままではこの村が危ない。彼は競争に疲れておったので、そこに住み、教会の神官として村を守護することにした。当然本神殿は止めたが、破門される覚悟だった男に、神殿の方が折れ、小さな教会を与えた」

 振り返ったアントンは、少し悲しそうに笑った。

「じじいの昔話だがね」

 リッツはそれ以上聞くことが出来なかった。それは多分真実だろうが、全てではないだろう。だがそれを聞く必要はない。それは失礼というものだ。そんなリッツにアントンは微笑みかけ、穏やかに尋ねた。

「リッツくんは、私が君を試したこと気付いたろう?」

「はい」

 やはりそうだったのだ。アントンは敢えて自分の身を危険にさらし、リッツを試した。結界を張るなら、全ての銀狐を追い払ってからでよかったはずなのだ。なのにあえて大量の敵が残るあの状況で、リッツに自らの身をゆだねて結界を張った。

「でも何故?」

 尋ねたリッツに返ってきたのは、アントンの寂しそうな微笑みだった。

「今は聞かないでくれるかね? 必ず話すから」

「分かりました」

 アントンの顔を見るとリッツはそれ以上聞くことが出来なかった。何故だかそこに静かな悲しみと寂しさがあったからだ。

 重苦しくなってしまった帰り道、アントンがリッツに今まで生きてきた道のりを尋ねてきた。出来る範囲で話しながら、リッツは何となく自分の旅の目的をアントンに話し始めた。アントンはカールの知り合いで、リッツの年齢のことも、リッツが家を出てかなりの年月経つことも、そして過去このユリスラで何をしていたかも心得ていたから話しやすかった。カールが毎年芋を受け取るついでにここで愚痴っていたらしい。

 アントンは教会の神官らしくいい聞き手で、自然にリッツはあの不思議な宝玉のことまで話してしまっていた。もしかしたらここを出たらもう会うことの無いだろう人に、自分の話を聞いて欲しかったのかも知れない。他人に話す方が身内に話すよりも気を遣わないから楽なのだ。

 だがアントンは宝玉の話を聞くと、目を見張って立ち止まった。

「リッツくん、その宝玉を見せてくれないかね?」

 アントンの言葉に、リッツは無造作に仕舞ってあった宝玉を懐から取り出して、立ち止まったアントンの手に載せた。アントンはその宝玉を手に乗せたまま立ち尽くしてしまう。

「アントン神官?」

 大きくため息にも似た息を吐くと、アントンは空を仰ぎ見てから呟いた。

「運命か」

「はい?」

「任せられそうだな」

「え?」

 その小さな呟きが聞こえずに、リッツは聞き返したが、アントン神父はただ微笑んだだけだった。

「君はこれから何処へ行くのかな?」

 宝玉を返しながら再び歩を進め、急に話題を変えたアントンの問いに、リッツは一瞬困惑したものの、すぐに笑顔で答えた。

「サラディオです。ここら辺で一番大きな街ですからね。何か面白いことがあるかもしれないし」

「そうかサラディオか……」

「そこから先は決めてません。でもまあ、目的が見つかるまでは久しぶりにユリスラ国内をぶらぶらしようかと思ってます」

 リッツがいうと、アントンが何かを呟いた。その声は聞こえなかったが、聞き返す雰囲気でもなかったから、静かに自分の話を続けた。

「幸か不幸か俺には腐るほど時間があるから、のんびり焦らずに長い旅をしようかと」

 それを聞いたアントン神父は、寂しそうに笑った。

「私から見れば、永遠を生きるようなものだな。君も……そしてあの子も」

 それだけ言うとアントン神父は考え込むように黙ってしまった。

「永遠を生きるようなもの……?」

 後半は聞こえなかったが、リッツにはその言葉が身に染みた。そのままストンと思考の海にはまり込んでしまう。

 何となくお互いに口を開かないまま、二人は黙って帰路に就いた。



 それからしばらくは、いつものこの季節と同じように慌ただしくも充実した日々が続いていた。間もなくやってくる厳しい冬の前にしておかなければならない仕事は山積みなのだ。

 客であったはずのリッツは、何故かここに引き留められていて、相変わらずハリスと果樹園の果実取りをしていた。アンナ達はこれから迎える厳しい冬のために小麦畑を耕していた。小麦は雪の下で発芽して伸びるのだ。高原では収穫時期が早いから、もうそろそろ種を撒かねばいけない。

 村人達は収穫祭のために、土の精霊王に捧げる舞を練習している。その音は時折、風に乗ってとぎれとぎれ教会の果樹園にも聞こえてきていた。アンナも孤児院の子供たちに、収穫祭で歌う歌を教えている。

 何も変わらない、何も起こらない平穏な日々。これからもずっと続くと思っていた幸せな日々だ。

 傭兵だといっていたリッツもすっかりこの生活に慣れたらしく、穏やかに子供たちと遊んだりアンナ相手につまらない冗談を言ったりしている。銀狐を退治したということで、リッツはこの村ではちょっとした英雄扱いだ。子供たちに至っては憧れの存在である。

 リッツにはそれが少し恥ずかしいらしく、いつも褒められると、否定しては頭を掻く。どうやらそれが困った時の仕草であるようだとアンナは気がついた。褒められているんだから正直に受け取ればいいのに、何故困るのかそれが不思議だったが、リッツは尋ねたアンナにその理由を話してくれない。

 そんな毎日が突然に終わりを告げたのは、収穫祭前日の夜だった。そろそろ寝ようとしていたアンナは、リッツと共にアントンに教会の聖堂に呼ばれた。子供達は早くも明日の祭りのために眠っている。リッツを連れてアンナが聖堂へ入ると、アントンは明日のために、リッツの持ってきた水を台座に飾っているところだった。

「やあ、来てくれたね」

 アントンは微笑んで二人を迎え、教会の座席に座るよう勧めた。アンナは客であるリッツに先に席を勧めてから、自分も腰を下ろした。

「お養父さんお話って?」

 微妙に重い空気を察しアンナは、雰囲気を変えようと明るく気楽な感じに尋ねた。アントンはいつものように穏やかに微笑み、話しかけたアンナではなく戸惑うリッツに穏やかに語りかける。

「リッツくん、申し訳ないが、もう一度あの珠を見せてくれんかね?」

 アントンの唐突な言葉に、リッツは戸惑いつつも、ゆっくりと懐から不思議な色に輝く宝玉を取り出した。

「それ私の!」

 思わず大きい声を出してしまったアンナは、慌てて口を押さえる。教会で大きな声は厳禁だと常日頃から教えられてきたからだ。

 訝しげに、リッツがアンナを見て手を止めている。失礼にもリッツを泥棒的な言い方で非難してしまったことに、反省してアンナは口を閉じた。そんな二人の様子に微笑みかけながら、アントンはリッツを促し、珠を受け取った。珠はアントンの手によって、丁寧に壇上に置かれた。

 不思議な光が満ちている。それからアントンはそこに置いてあった小さな箱を丁寧に開けた。

 そこにはもう一つ、全く同じ宝玉があった。アントンは慎重に珠をとりだして、静かにリッツの珠の隣に置いた。

「それは……これと同じ……?」

 リッツは身を乗り出し、まじまじとその二つの珠を見比べている。アンナもつられるように身を乗り出した。その二つの珠の不思議な輝きは、全く同じように見えた。

「アンナ、よく聞きなさい。この珠は、お前の両親の唯一の手がかりなんだよ」

 アントン神父の突然の告白に、アンナは絶句する。自分の両親について考えた事は少なからずあったが、今の彼女にとって親はアントンだけなのだ。急に両親の手がかりといわれても、困ってしまう。

「……お養父さん?」

 アンナはアントンを見上げた。縋るようなその声に、アントンは優しく微笑んだだけだった。

「今から丁度三十年前の収穫祭の日だった。この教会の壇上に籠が置かれていた。中には小さな乳飲み子だったお前と手紙、そしてこの珠が入っていたんだよ」

「……三十年前?」

 驚いたようなリッツの声が割って入った。リッツはまだそれを知らなかったのだ。

「ああまだ話してなかったね。アンナは今年で三十歳になるんだよ。何らかの亜人種らしいのだが、わからないんだ」

 あまりに真剣な眼差しで見つめられて、アンナはどうしたらいいか分からずに曖昧に頷く。

「なるほどな……」

 深く納得したようにリッツはそう頷いた。どうやらアンナの態度から、普通の年齢の子と違うことには気が付かれていたようだ。リッツが納得したのを見て取ると、アントンは話の続きを話し始めた。

「手紙には『この子はアンナ・マイヤースといいます。事情があって育てることが出来ません。どうかこの子をお願いします。この珠はこの子が必要とした時、その効果を発するでしょう』としか書かれてはいなかった。不思議なことにその珠は、箱に大事に入れて置いたにもかかわらず、いつの間にか消えてしまっていた。まさか畑に埋まっていたとは、思いもよらなかったよ」

 アントンの視線の先には、あの不思議な珠があった。彼の脳裏には、アンナがこの教会に捨てられていた日の光景が蘇っているのだろうか。

 アンナとリッツは、黙ったままアントン神父の次の言葉を待った。

「あの珠が発見された時、お前の目の前で光って浮かび上がっただろう? そしてリッツくんが同じ物を持って現れた。私はついに時が来た、これは、今が旅立つべきだという合図なのだと思ったよ」

「旅……?」

「そうだ。『必要とした時に効果を発揮する』これがまさに今ではないかと思ってね。だからその日にここを訪れたリッツくんには、無理を言って一週間ほど滞在して貰った。それは正解だった」

 その言葉に不安を覚える。アンナは困惑したままじっとアントンを見つめていた。

「リッツくんとも大分仲良くなったようだし、心配なさそうだ」

 微笑みを浮かべてアントンがそういった。隣でリッツがこれもまた何かを納得したような表情で頷く。アンナも何となく感じるところがあった。おそらくアントンは、リッツがやって来たその日からアンナを旅に出させようと思っていたのだ。だから普段は客にさせることの無いような畑仕事までリッツにやらせていたのだろう。

 アントンは、アンナがリッツが仲良くなって、これから始まる旅を上手く進めて欲しいと、思っていたのだ。つまりそれはアンナを旅立たせようと決めていたということだ。

「分かるかい、アンナ」

 静かなアントン神父の言葉に、アンナは激しく首を横に振った。アントンの考えていることは分かった。分かったけれど旅に出るなんて、思っても見なかった。永遠にこの村にとどまり、アントン神父の跡を継いで、教会の神官になるものだとばかり思っていたのだ。

 それなのにこの村を出ていくなんて……。

 故郷を離れる怖さと、寂しさにアンナは震えた。

 そんなアンナの思いを分かっていたのか、アントンは突如豪快に笑った。静かな教会の沈黙を突然打ち破ったその声に驚いたのは、アンナとリッツである。

「何をそんなに悩んでおる。何も永遠の別れというわけじゃなかろうが」

 不安にかられているアンナは、アントンの顔に浮かぶ父親としての最大限の笑顔に、力を抜いた。きっとここでアンナが駄々をこねれば、この話は無かったことになるのかも知れない。でもそうするとアントンが悲しむだろう事が、何故だかアンナには分かったのだ。

 きっとアントンは今、アンナに新たな一歩を与えるべく、精一杯の愛情を持って、アンナの手を放そうとしている。沢山の子供の出会いと別れを見つめてきたアンナには、それがよく分かった。

 人にはいつも、旅立つためにきっかけが必要だ。孤児院の子供たちは就職であったり夢を叶えるためであったりと、十五歳で孤児院を出て行く。でも年を人間のようにとらないアンナには、孤児院を旅立つきっかけが今まで無かった。

 ならばこれが最初で最後のチャンスかも知れない。何しろリッツはアンナと同じ宝玉を持っている、いわば運命的な巡りあわせの人なのだから。

「旅を終えたらまた戻ってきて、また一緒に暮らせばいいんだよ。何も深刻になることもあるまい」

 それは彼にとってアンナを旅立たせるための方便でしかないのかもしれない。だがアンナはそれを信じる事にした。そうなれば迷いはない。

「そうだよね、旅に出て両親のことが分かったら、また戻ってきていいんだよね」

 何かが吹っ切れたような気がした。何だか旅に出ることがこの村とアントンとの永遠の別れのような気がしたのだ。そう考えた自分の考えの浅さにアンナは少し恥ずかしくなった。

「リッツさんも、旅が終わったら家に帰るんだもんね」

 明るく確認すると、リッツは笑って頷いた。ならば旅は永遠の別れを意味するのではなく、ほんの少しの間の別れだと納得出来る。

「やっと決心したようだね。いいかいアンナ、私はお前の本当の両親が分かっても、いつまでもお前の父親のつもりだ。安心して行ってきなさい」

 アントンが優しくそう告げると、アンナはアントンに抱きついた。

「お養父さん、絶対帰ってくるから元気でいてね!」

 この親子の感動的なシーンを、何故か愕然とした顔でリッツが見ていた。アンナは何故リッツがそんな顔をしているのか、皆目見当が付かなかったが、そんなリッツにはお構いなしに、アントンはリッツに笑いかける。

「ではリッツくん、娘は足手まといにはならんと思うから、よろしく頼んだぞ」

 アントンは、満面の笑みで両手でリッツの肩をがしっと掴んだ。この状態のアントンの頼みを断れる人などいないことを、養女のアンナはよく知っている。案の定リッツは笑顔を引きつらせながら頷く。

「……お預かりします」

 こうしてアンナの旅立ちが決まった。



 収穫祭当日の朝はもの凄く早い。昨日遅くまで荷造りしていたアンナは、いつもと同じように早朝にリッツの部屋にやってきて、自分でリッツを揺り起こす。子供たちは既に出かけてしまったから、この孤児院にいるのは今アンナとリッツとアントンだけである。

 いつも寝起きの悪いリッツなのだが、今日は何故かすんなりと起きてくれた。もしかしたらアンナの緊張が伝わったのかも知れない。

 子供たちが帰ってきて顔を合わせてしまったら、旅立つ気力が萎えてしまうかも知れないから、急いでリッツを果樹園の奧へと誘う。リッツは心得たかのように軽く頷くと、少ない荷物を軽々と抱え上げて、黙ったままアンナに着いてきてくれた。

 アンナの格好も既に旅装で、いつもの作業着ではなく、膝丈の丈夫なオーバーオールのスカートをクリーム色の長袖の上に着ていた。そして大きな肩掛け鞄を斜めがけにしている。この鞄は新品ではなく、アントンが旅の神官だった頃に使っていた丈夫な鞄をアンナがお気に入りの布で作り直したものだ。だから少しアンナには大きいのだが、荷物を入れるのにはちょうど良かった。

 黙々と歩く二人の耳には、朝に浮かれる小鳥たちの歌が聞こえてくる。木々からこぼれ落ちる木漏れ日は、朝の新鮮な光を揺らしながら地面を照らしていた。

 何だかもうすぐここを出て行くなんて、信じられない。ずっとずっとこの村にいて、一生を過ごすと思っていたのに。

 果樹園の中にある、小さな広場にたどり着いたアンナは、足を止めて深呼吸をしてからリッツを見上げた。

「リッツさん」

「ん?」

「連れて行ってくれて、ありがとうございます」

 頭を下げると、リッツは曖昧に笑って頭を掻いた。

「まあ……これもなんかの縁だろ。俺も今回はのんびり旅をするつもりだったしな」

 リッツが頭を掻くのは困った時だと、アンナは認識している。だから少し不安になってしまった。

「あの……」

「ん?」

 もしかして私、邪魔じゃありませんか、と口を開きかけたが、言葉を飲み込む。もし邪魔だと言われたら困る。村を離れるのは寂しいけれど、本当の両親には会ってみたい。もしこの機会を逃したら、二度と両親を捜す旅になんて行けないかも知れない。

 拳をぐっと握りしめ、アンナはリッツを見上げた。

「リッツさん、私足手まといになりません」

「そりゃあ分かってるさ。この間見せて貰った」

「この間?」

 アンナが首をかしげると、リッツは苦笑した。

「水竜だ。あれを使えるなんてたいしたもんさ」

「そう……なんですか?」

 アンナが聞き返すと、リッツは笑ってアンナの頭をこづいた。

「すげえと思うぞ」

「ええっと、精霊使いでは普通じゃないんですか?」

「……普通じゃねえぞ。お前本気で言ってるのか?」

「はい」

 アンナの口調にリッツは呆れたようにアンナを見つめた。

「お前は……変わってるな」

「そうですか? ええっと、使えるの、水竜だけじゃないんですけど……」

 そう言いながらアンナは鞄を開けた。そこにはアントンから昔貰った精霊魔法の道具が入っている。アントンは自分が水の精霊使いとして未熟だから、と、若い頃は熱心に精霊魔法の道具を研究したそうだ。その過程で出来たものがこれである。アンナはこれを子供の頃からおもちゃ代わりに使っていたのだが、なかなか使える。

 アンナの鞄に取り付けられ、アンナの力でも引けるような小型の弓と、二本の矢だった。

「なんだそれ。猟でもするのか?」

 訝しげにそういったリッツに笑顔を向けながら、アンナはクリスタルの弓矢を一本抜き出してつがえた。アンナは弓が得意ではない。でもこの弓矢に技量はいらないのだ。

「行きますよ!」

 アンナは透き通ったクリスタルの矢を弓につがえて、空に向かっていっぱいに引き絞った。

「風の精霊よ、全てを守る楯となれ!」

 アンナの手元から放たれた矢は、天空へ一直線に舞い上がり、一陣の風となった。その風はアンナとリッツを優しく包み込む。

「これは風の精霊の守護。この風が消えるまでは風のおかげでほとんど怪我しないんですよ」

 アンナがリッツを見ると、リッツは心の底から感心したようにアンナを見返した。

「すごいじゃんか!」

「でも弱点があって、すぐに消えちゃうんです」

「それでも使いようによっちゃ便利さ。それ誰でもできんのか?」

「誰でもは出来ないです。やっぱり精霊を使えないと駄目なんです」

「……あ、そう」

 何故かリッツは残念そうに肩をすくめた。リッツの気持ちが一瞬アンナからそれたのを見て、アンナはもう一本の弓を地面に突き刺した。それから矢に向かって小さく囁く。

「土の精霊さん、リッツさんを転ばせて」

「何か言ったか?」

 振り向いて一歩こちらに歩み寄ろうとしたリッツが、突然足下をすくわれて、見事に顔から地面に突っ込んだ。大成功だ。リッツは不思議そうにまじまじと足元を見るが何もないはずだ。首を傾げたリッツがまた歩き出すと再び見事にひっくり返る。

「お前、なんかしただろ?」

 顔をさすりながら何とか立ち上がるったリッツが、アンナに向かって文句を言ったが、アンナはニコニコ笑いながらリッツを見つめて告げた。

「土の精霊さんにリッツさんを転ばすようにお願いしてみました」

「何!?」

「これです」

 アンナは足下に突き刺した矢を指さした。それは固い岩盤で作られたという陶器の矢だ。土の精霊の力が満ちている。

「口で説明するよりも、試した方が分かり易いかと思って。逃げ出した家畜とか、言うこと聞かないで逃げちゃう子供にしか使ったこと無いから、大人でも使えるか試してみました」

「俺で試すな!」

 顔をさするリッツにアンナは矢の説明をした。

「これは土の精霊の力です。足止めしてくれるんですよ。でもそれ以外には何の役目もありませんけど、地味に嫌でしょ?」

 ようやく立ち上がったリッツが、ため息をつきつつ頭を掻いた。

「……お前、いい性格してんな」

「そうですか? えへへ。照れるなぁ……」

「褒めてねえし」

 呆れたようなため息をつくリッツに、アンナは弓矢と掲げて更に説明する。

「昔お養父さんが、精霊魔法を上手く使えない人でも上手く使える道具を作りたくて考えたそうです。この矢を使うことで精霊が自然に手を貸してくれる優れものですよ。精霊さんにとって、この道具って、ちょっと豪華なおやつみたいなものなんです」

「……なるほど。そのたとえはよく分かる」

「風の矢は呼べば手の中に戻ってくるから、拾いに行く手間が無くて助かります」

「へぇ……」

 心の底から感心するリッツの顔は、頭から地面に突っ込んだせいで傷だらけだ。その痛々しい顔にも実は意味がある。ここからがアンナの本当の力の見せ所だ。

「あとは……」

 アンナはリッツの傷に手をかざした。冷たく心地よい感触が手からリッツの傷へとゆっくり伝わっていく。水が流れ込むように、リッツの傷へと意識を集中した。

「この傷を治して」

 唱え終わると同時に冷たい感覚がリッツの顔を覆うアンナがリッツの顔からそっと手を放した時、顔の傷は綺麗になくなっていた。

「治癒魔法か……」

「はい。一番得意なのはこれなんです」

 自信を持ってそう言うと、リッツは頭を掻いた。困られているのかと、アンナは食い下がる。

「役に立つでしょ? だから、よろしくお願いします」

 不安いっぱいにリッツを見上げる。アンナはやはり旅立つことが不安だ。でも楽しみでわくわくもしている。だけれど、どう考えてもリッツの存在無くしては旅が出来そうにない。アンナはヴィシヌを出たことがない。ずっとこの村だけで生きてきたから、外の世界は楽しみだけれど少し怖い気がする。

 リッツに旅の仲間として認めて欲しい。そうすれば安心して外の世界を楽しめるだろう。リッツをじっと見上げていると、やがてリッツは頬を掻いて、仕方ないか、と苦笑した。

「分かった、お前は充分役に立つよ」

「本当ですか!?」

「ああ。でも俺から見たらかなり子供なんだよ。だから俺が邪魔に思ってるだの、俺において行かれるだのと、無駄な心配はするなよ」

「え?」

 どうして分かったんだろう。もしかしてリッツは心が読めるのだろうか? そう思ってじっとその顔を見上げると、リッツはようやく明るい笑顔を浮かべた。

「預かっちまったからには、ちゃんと面倒を見る。お前の両親捜しを手伝ってやるよ」

「ありがとうございます!」

 アンナはほっとして大きく息をついてから、リッツを見上げて微笑んだ。

「それからもう一つ」

「何ですか?」

「今までは俺はヴィシヌの客だったが、これからは一緒に旅をする仲間だ。だから俺のことはリッツって呼び捨ててくれて構わない」

「リッツさん」

「ほら、またリッツさんだ。いちいちリッツさんなんて呼ばれてたら、面倒でしょうがない。それから敬語も無しな。俺、面倒なの苦手だからさ」

「でもでも、リッツさんから見たらかなり子供なんですよね? なのに呼び捨て敬語なしって、いいんですか?」

「いいんだ。俺も相当な歳だしな」

 笑顔でそういったリッツにアンナは微笑んだ。

「でも私もう三十歳で、子供じゃないんですよ」

「それに俺は一番びっくりした」

「そうなんですか?」

「おう。やけに説教くさい子供だなって、思ってたよ」

「説教くさい……」

 ちょっとショックだ。面倒見がいいぐらいに思っていたのに。

「あの、リッツさんは……」

「リッツ。お前はもう孤児院の世話役でも、客の面倒を見る係でもないんだぞ」

「あ……」

 アンナはそれに気がついて驚いた。今までは孤児院の世話役を務めてきたから、子供たちには大人であることを要求されて、大人らしい態度を貫いてきた。

 でももういいのだ。こうしてリッツと一緒にいる間は、リッツの仲間で、素直な自分でいていいのだ。もう世話役として大人として振る舞わなくてもいいんだ。

 アンナは一瞬目を閉じて素直な自分を心の中に探した。それを引っ張り上げて世話役の自分ではなくアンナ自身に置き換える。旅に出るのだから、素の自分でいればいい。

 アンナはリッツを見上げて笑った。

「聞いてもいい?」

「いいぞ」

「リッツは幾つなの? だいたい二十代半ばぐらいな感じ?」

「はずれ。俺は百五十歳」

「百五十歳! 長生きだね!」

「ま、精霊族だからな」

 思いも寄らないリッツの告白に、アンナは目を見張った。

「精霊族なの?」

「おう。おかしいか?」

「うん。リッツと精霊族のイメージと違うから、すごく意外」

「まあ、それは俺も分かってるけどさ」

 リッツが頭を掻く。困っているようだ。

「だけどリッツの方がいいと思うよ。だってお話の中にいる精霊族って、絶対に人間と話してくれなそうだもん」

「はは……以外と真をついてる」

「そうなの?」

「おう。それはおいといて、他に質問は?」

「ないよ~」

 アンナはにっこりと微笑みながら、全く悪気が無くリッツに突っ込んだ。

「でも意外だったなぁ、リッツって見かけより年寄りなんだね」

 アンナも長生きしそうだけど、きっとリッツぐらい長くは生きないだろう。何しろ人間の半分くらいの速度で歳をとるそうだから、人間の八十まで生きられたとして、百六十年生きればいい方だろう。しみじみと言ったアンナの頭に、リッツは大きな手を乗せてぐしゃぐしゃにかき回した。

「年寄りじゃねえぞ。長生きなだけだ!」

 なんだかんだと打ち解けて話すうちに、どうやって出て行くかがはっきりと決まっていく。

 結局二人は、収穫祭に出ることなくヴィシヌの村をあとにすることにした。子供達や村人との湿っぽい別れをするなんてアンナは絶対に嫌だ。帰ってくるから、待っていてくれると嬉しい。教会に立ち、祈りを捧げていたアントンにだけは、旅立ちの挨拶をした。アントンは寂しげだったが、笑顔で、しかもお土産付きで二人を送り出してくれた。

「アンナ、どれだけ時間をかけてもいいから、自分で納得いく答えを出すんだよ。それがお前の旅だ」

 アンナは三十年間育ててくれた、大好きな父親に抱きついた。そのまま子供の頃のように、ギュッとアントンにしがみつく。アントンは穏やかに、その節だった手でアンナの頭を優しく撫でてくれた。

「お父さん絶対元気でいてね! 絶対だよ!」

 アントン神父はただただ頷くことだけしかできないようだった。三十年間離れたことがなかったのに、今初めてこの地を後にする。それが寂しくて、でも楽しみで、胸がドキドキと音を立てているような気がする。

 新しい世界、新しい何か、新しい友達。色々なものに出会えるかも知れない。

「じゃ、行くか」

「うん!」

 彼らが旅立った後、アントンは静かに祈りを捧げた。どうか自分の最も愛するものの旅が、幸せでありますようにと。

 賑やかな祭りの音を背に、二人はサラディオの町へと続く道に立った。アンナの初めての旅が始まる。


 ちなみに彼らが貰ったお土産は……背負い籠いっぱいのヴィシヌ産野菜だった……。 

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