大臣の帰還<1>
1巻以来の短編三本です。本来おまけ小説だった『突撃! 旅路の晩ご飯』を本編の中に入れさせて貰ったので、この5巻は、合計で短編4本構成になっています。本当はまた最後に付けようかなと思ったんですが、考えたすえに、時系列順にしました。
コメディとシリアスをごった煮にした中でも、コメディ多めな5巻の始まり始まり~。
Ⅰ
遅れを取り戻すべく急ぎ気味に、だが荷物のせいでゆっくりと、馬車の隊列は両側を森に囲まれた旅人の街道を走っていた。車窓を流れる森は、今までのような深さではなく、雑木林のようにまばらな印象になってきている。
外を見ていたアンナが、三つ編みにした赤い髪を風に揺らしながら、馬車の中を振り返った。アンナは森が浅くなってきていることに、一番初めに気が付いたのだ。
「もうすぐ森を出るの?」
森の木々と同じ緑の瞳が、期待でキラキラ輝いている。
「どれどれ」
アンナの正面に座っていたエドワードが窓の外に目をやり、確認してから微笑みつつ頷いた。幾度も通った道だから、現在地が分かっているのだろう。
ソファーにだらしなく反り返ったまま、リッツは反対側の車窓から外に目を向ける。心持ち道も広くなったように見えた。
北部からずっと続いていた縦に長い中央大森林を抜けると、ユリスラ王国中央部に位置する広大な平野部へ出る。そうなれば王都までそれほどの距離はない。
そうリッツが思ったのとほぼ同時に、エドワードがアンナに告げた。
「もうすぐ王都だ」
視線を向けると、まだ傷が完全に癒えていないエドワードのアンナとおそろいに編まれた、白髪交じりの金の髪がふわりと揺れた。同じ髪型で、ほほえましく会話する二人はまるで祖父と孫だ。
「わぁ……」
窓にへばりつくようにしているアンナの、うっとりとした吐息混じりの言葉が聞こえる。
「もう少しの辛抱だな」
共に外を眺めているアンナとエドワードの似たような後ろ姿に、リッツは軽く溜息をついた。原因は同じように後ろに垂らしている三つ編みだ。
現国王でリッツの友は最近、毎朝のようにアンナに髪を三つ編みに結われていて、その姿が板に付いてしまっている。顔にも傷を負ってしまったので、縛っている方が髪が傷に当たらず、痛くなくていいとのことだ。
そんな少々意地悪いことを考えていると、寝ているかのように静かだったフランツが、相変わらずの無表情で窓の外へと目を向けた。彼もやはり王都が気になるのだろう。
何を考えているか一瞬では分からないその顔を見て、リッツはふとおかしくなった。
フランツにとって生まれて初めての旅は、よく言えば退屈知らず、悪く言えば波瀾万丈だ。普通に暮らしていたらおそらく一生経験しない事ばかりだろう。
リッツは随分と常識知らずだったから苦労したが、フランツの場合その性格のせいでリッツとは違う苦労をしそうだ。
もう一人の同行者アンナの場合は、フランツとは違って自ら事件を引き寄せる困った特技の持ち主で、これもまたリッツとフランツとは違った苦労をしそうだ。
そんなことを保護者面して考える自分も、相当可笑しいことは自覚している。最初は面倒くさかったのに、最近何だかこの立ち位置が嫌いじゃなくなっている自分に気がつく。
そもそもリッツは、子供と女性と老人に弱い。
「……王都かぁ……」
アンナはうっとり呟くと、嬉しそうに目を細めた。
「すっごくおっきい街なんだろうなぁ~」
彼女の頭の中で、どんな想像をされているのか分からないが、彼女の描く想像の王都はきっと、もの凄いことになっているだろう。
そんな期待たっぷりのアンナに、エドワードが微笑んだ。
「広いぞ、王都は」
アンナとエドワードの楽しそうなやりとりを、無表情なフランツが気にしている。もしかしたら、少しは楽しみにしているのかもしれない。
そんな同行者と違い、リッツは王都で何が待ち受けているのかを考えると、ちょっと気が重くなっている。
なにせ自分はエドワードに王都へ連行されていくようなものなのだ。一体この先どうなるのか、見当は付いていない。
だが考えても無駄というものだ。リッツはひょいっと身を起こして、アンナとフランツを見た。
「アンナとフランツは、王都初めてだもんな」
「ああ」
「うん! 楽しみ!」
期待している二人に、リッツはニヤリと笑ってみせる。
「すっごいぞ~。いろんな国の飯屋はあるし、買い物だっていろんなもんが手にはいるんだからな。今までの街とは大違いだ」
「結局食べ物のことか……」
フランツが呆れた顔で頬杖を付いて、わざとらしくため息を吐いた。嫌みな奴だ。
「観光の基本は食だろうが」
そう主張してみたが、青い瞳は心底興味なさそうに窓の外を向く。
「二人といるせいで、卑しくなりそうだ」
あまりに失礼な言い分だ。確かにリッツは食に対していやしいかもしれないが。
だがアンナの好奇心には火がついたようだ。
「いろんな国の食べ物! どこの国? 何の国?」
「そうだなぁ……」
「甘いの? 美味しいの? リッツが連れて行ってくれるの?」
明らかに期待に満ちたその一言で、気分を持ち直した。
「勿論だ。王都着いたら、食い倒れツアーでもするか?」
「するする!」
「……しなくていい」
がっくりとうなだれるフランツの言葉を軽く無視すると、エドワードがリッツに突っ込んできた。
「三十年以上王都を空けた男の言葉とは思えん」
「うるせぇよ」
行きつけの店などとうに無くなっているだろうが、そんなことはどうでもいいのだ。
「これが王都へ連れて行かれるのを、あれほど嫌がっていたのと同じ人物だとはな」
「うるせぇなエド。遊びに行くんなら別だろ」
楽しそうなリッツを見ると、水を差したくなるエドワードなのだが、そのちくりと刺す一言がリッツには少々痛い。
「王都が楽しければ、住めばよかっただろう」
「俺は大臣ってのがやなんだよ」
不機嫌に頬杖を付くと、リッツはエドワードから顔を背けて窓の外を向く。
「無責任だな」
「うるせえよ」
久し振りに喧嘩になりそうな二人に関係なく、馬車は進む。
ふと視線を感じて振り返るとフランツがこちらを見ていた。目が合うと、微かに逸らされる。
そういえば、リッツが王都から逃げ出した話を、フランツやアンナに一度もしていない。だが話すつもりもなかった。
リッツの内面の問題だから、とてもじゃないが簡単に話すことなどできない。いや、話せない。あれは封印しておきたい自分の弱さだからだ。
いつかこの二人に話す日が来るのだろうか、どうしようもない自分の弱さと逃げを。それを聞いたらこの二人はどう思うのだろう。
今までの自分の生活を振り返ったら、本当はアンナとフランツの保護者である資格なんて、リッツにはないのかも知れない。
かつてリッツの保護者だったことがあるエドワードを、ちらりと盗み見てそう思う。エドワードはリッツのそういう部分を知りながらも、まだ一言もそれについて口にしていなかった。
森の密集した木々はやがて、見る間にまばらになっていき、幾たびか通り抜けた草原のような様相を呈してきた。だが草原と違うのは、前方からも光が伺えるところだろう。
それから一時間ほどの後、やがて木々がぽつりぽつりと切れ始めた。一本一本の木を見て取れるようになるまでに、そう時間はかからなかった。
「見て! 森を抜けるよ<」
アンナの声に反射的に馬車の外を見た。差し込んでくる木漏れ日が眩い光へと姿を変え、馬車の中を光で満たす。森を抜けたのだ。
「わぁ……」
アンナが感嘆の声をあげた。フランツも眩しそうに目を細める。
リッツは馬車の窓を上へと押し上げ、顔を出した。
馬車の中を一陣の風が吹き抜け、リッツの無造作な黒髪を揺らした。
微かに冷たく心地の良い風だ。秋風吹く広大な草原に、秋の高く蒼空が広がっている。
ここから街道は、多少の起伏を持ちつつもなだらかに海まで続く長い長い下り坂にはいる。当然今はまだ海まで見通せず、広大な草原が地平線を描くのみだ。
遙か遠く、東側にはなだらかなシアーズ山脈が峰を連ねている。霧で霞んだように先端を白く飾っているのは、山の上に降った雪だろうか?
その景色に溶け込むように農家が点在している。農家の屋根は草原の色と反して、赤、もしくは茶色で塗られており、その色のコントラストが景色の美しさを際だたせていた。
草原の中にあちこち見える刈り取り前の小麦は、太陽の光を受けて黄金色に輝いている。その光景を見ると、自分の長い不在に微かに胸が痛む。
草を揺らす風の薫りすらも懐かしい気がして、リッツは遙か前方に目をこらす。
点在する家と草原の遙か彼方、地平線の辺りに、まるで幻のように小さく街が見えた。その街に至るためには、まだまだ相当の距離があることをリッツは知っている。
「リッツリッツ、何が見えるの?」
反対側の窓から移動してきて、リッツの顔を出している窓から無理矢理顔を出したアンナに問われて、リッツは遙か前方を指さした。
「あれ、何だと思う?」
「……街かなぁ?」
「そうだ。あれが王都シアーズだ」
断言するとアンナは更に窓から首を長く出して遙か彼方に目をこらす。
「わぁ……あれが王都かぁ……」
「まだかなり距離があるからあの程度に見えるが、実際はかなり大きいぞ」
「うわぁ……」
遙か彼方に霞むその街の大きさが、アンナの胸に何か大きな期待をもたらしたのだろう。期待と希望でアンナの目はきらきらと輝きを帯びている。まるでエメラルドを太陽に透かしたみたいだ。
「フランツ、フランツ! 見てみて! 王都だよ!」
「……といわれてもアンナとリッツが窓を塞いでるじゃないか」
「あ、そっか。じゃあどうぞ!」
首を車内に引っ込めたアンナに、フランツは大きく溜息をつく。
「……いいよ、後で」
「え~っ?」
「どうせ向かう場所だろう」
本当は心躍らせているのだろうに、そういったフランツは目を閉じた。本当に素直じゃない。アンナと顔を見合わせて肩をすくめる。
「ね、どのくらいで着くの?」
「ん~、この速度なら今日の夜には王都だな」
片目を閉じて言うと、アンナは満面にこぼれんばかりの笑みを浮かべた。
「今日の夜ご飯は王都だね!」
「だな。上手いもん喰おうな」
そんな風に、今日中に王都へ着くと信じて疑わなかったのだが、そうは問屋が卸さなかったのである。
Ⅱ
馬車はなだらかな道を進み、まだ日が高いというのに一軒の農場に入っていった。一軒の農場といっても、その広さは尋常ではない。
アンナの出身地ヴィシヌは勿論、フランツの出身地サラディオの街まで入ってしまうのではないかというような、広大な土地だ。
「どこに行くのかなぁ」
「……さぁ」
困惑する三人の目に飛び込んできたのは、木で作られた一枚の立派な看板だった。アンナが声に出してそれを読んだ。
「『これより先、国有農場。入るに際しては許可を必要とします。入り口で許可をお取りください』だって」
「国有農場? そんなもんあったかな」
リッツは首をかしげた。彼がこの国にいた間には、こんな物はなかった気がする。
「知らなくて当たり前だ。ここは三十年ほど前に出来たものだからな」
「ふ~ん」
リッツがこの国を出たのは三十五年前だ、知らなくても無理はない。エドワードの顔を見ても、何食わぬ顔をして外の光景を眺めている。
何だかこの場所に来ること自体に違和感があるが、エドワードが何を考えているのか、まだいまいち読めない。
「見てみて、牛が沢山いるよ。馬もいる! あっちは山羊と羊! あ、ロバも! すご~い、ヴィシヌとは全然数が違うよ」
「国有は規模が違うな……」
農場の立派さに目を奪われたアンナとフランツは、夢中で中を窺っている。
エドワードが国王になったときには、随分と荒れていたものだが、これだけの農場が国有とは、豊かになったものだ。
「すっごく馬が多いけど、これって食用かなぁ?」
「……馬は物流の基本だ。最初から食べるためとかは無いと思う」
「そっか。そうだよね! 見てみてあっちは全部麦畑で、こっちはお米だ! 豆もいっぱいいある! こんなところで農業と酪農やったら、楽しいだろうなぁ!」
興奮気味のアンナに、フランツも無表情に付き合っているが、あれは興味津々だ。最近無表情が読めるようになってきた。
不意にアンナがくるりと振り返り、静かに外を眺めていたエドワードを見た。
「エドさん、ここで生産された物はどうするんですか?」
「勿論、他の農場と同じく売ったり配ったりするんだ。それが王家の収入にもなるんだよ」
快く答えたエドワードに、アンナは目を瞠った。
「王様も商売するの?」
あまりの驚きように、エドワードが吹き出した。
「我が国ではね」
「びっくりだね、フランツ!」
「そうだね」
エドワードという国王をよく知らない二人は、まさか王家が農場を営んでいるとは夢にも思わなかったようだ。
確かに農場経営する国など無い。直轄地において管理することはあるだろうが、それはあくまでもそこから税収以外の食物等を徴収するためである。
例え王族が農場を持っていたとしても、それはあくまでも娯楽の範囲であり、本格的に経営までやっているのは、このユリスラ王国のみだろう。
そもそもエドワードは農家で育てられたため、農業経営に違和感はないのだろうとは思う。
「そっかぁ。王様も商売するんだ……」
アンナの呟きで彼女の頭の中が想像できた。おそらくエドワードが市場に立って、バターや肉を売っている姿が浮かんでいるのだろう。
それを想像して吹き出した。エドワードほど、商人の似合わぬ物はいないような気がしたのだ。
「エドさんが世話をしているんですか?」
あまりにあまりな言葉に、エドワードが苦笑した。
「それでは政治が滞ってしまうだろう?」
「じゃあ、誰がお世話をしているんですか?」
「雇った国民だよ。王族はあくまでも経営者であって、私が来るのはまれだ。保養所を兼ねているから、長期休暇に滞在することも多い」
「そうですよね~。びっくりした。エドさんが牛の世話をしているのかと思っちゃった」
想像すると笑えるが、妙に似合いすぎる。またも吹き出すと、エドワードに足を踏みつけられた。
「痛えよ!」
「……人を小馬鹿にしているからだ」
恨みがましい目で見られてしまった。
アンナの質問攻めからのエドワードの説明によると、王家が農場を経営することで今年の作物の出来を確認できるのだという。これによって今年の農家全体の農産物産量を割り出して、税額を決めるそうだ。
季候の悪い年は当然、この国有農場の取れ高が悪い。そうなれば税額を減らし、大豊作の年には税額を増やす。現在のユリスラではこの変動税率式が用いられているとのことだった。
「そうすることによって、不公平なく税金を決められるだろう?」
「それなら国有の理由がよく分かります」
首を傾げるアンナは理解できていないようだが、フランツには分かったらしい。さすが腐っても商人の息子である。
満足げにエドワードは頷いた。フランツの金銭に関するバランスの良い飲み込み方は、エドワードにとっても心地いい物なのかもしれない。
何しろ昔のリッツは、そんなことは全く知らず『へぇ……』とか『なるほどなぁ……』などと説明されて感心するばかりだったからだ。
もしかしてこれは、今のアンナと同じだろうか。
今まで会話には入らずに農場を眺めていたリッツは、ふとよぎった嫌な予感を抑えきれずにエドワードを振り返った。
「ここの管理は王家だよな?」
「もちろんだ」
何となく嫌な予感がする。気のせいではないことを確かめるためにエドワードの内面を探るように言葉を紡ぐ。
「って事は、王家の都合で従業員を休ませたり出来るわけか?」
「お前も知っている通り、農業に休みはない。基本的にはな」
エドワードの視線が怪しい。明らかに何かに感づかれたと、焦りを浮かべているのだ。再びエドワードの視線が自分から逸らされて、馬車の外を向く。 やっぱり、絶対に怪しい。
「例外はあるんだろ?」
「……無論ある」
挙動不審なエドワードに、リッツは食い下がった。
「おかしいぞエド。何でここに寄るんだ? もう王都が目の前だろ?」
リッツの声に、アンナとフランツもこちらを振り向く。
「そうだよね、もうすぐ王都だもん」
農場に気を取られていて気が付かなかったが、直接王都へ行ってもこの距離なら差し支えないはず。疑いの眼差しを向けると、エドワードは何かを綺麗に笑顔の中に隠した。
まったく喰えない男だ。
「長旅の疲れがあるだろ。このまま王都では疲れが取れないではないか。我々には休息が必要だ。そう思わないか?」
視線をリッツ達一行に戻しつつ、エドワードは微笑んだ。彼の意見はもっともだが、今までこんなに早く休憩を取ることはなかった。
「怪しいな」
「何が怪しいものか」
何となく馬車の中が微妙な空気に包まれた頃、一行の馬車は立派な建物の前で停まった。出ている看板をアンナが再び読み上げる。
「『黎明館 関係者以外立ち入り……』」
だが読み終える前に、男の声によってアンナの言葉は遮られた。
「陛下~、よく御無事でお帰りあそばされました!」
その声に、聞き慣れたケニーの静止の声がかけられる。
「侍従長様、危ないですから陛下がお降りになるまでお待ちください!」
「侍従長? 何でここにいるんだ?」
眉をひそめてそう呟くと、エドワードが無言で天を仰いだ。
「……まさかエド、お前……」
エドワードを見据えると、エドワードはため息を吐いた。
侍従長……早めの休憩……イコール、何かをエドワードが企んでいることは確実だ。彼は今までこんなところで侍従長が待っていることを、リッツに秘密にしていたのだから。
勿論その何かはアンナやフランツに関係のあることではない。三人の中で侍従長とエドワードが関係している人物はリッツしかいないのだ。
王都へ来てくれ、手伝って欲しいことがある。エドワードがリッツに言ったのはこの二つだけだ。こんなところに迎えが来ているとは聞いていない。
ということは、リッツに逃げられないよう、今までエドワードは隠してきたのだ。
何を隠していたのか、リッツには何となく分かった。王都から絶対に逃れられないよう、細工をするつもりだ。
「あれだけ建物の中で待つよう、いいおいたのだがな……」
呟いたエドワードに、リッツは思わず腰を浮かせた。フランツはそんなリッツを見て、何かを感じ取ったのか、眉を寄せてこちらを見る。
まもなくケニーによって馬車の扉が開かれ、そこから侍従長と呼ばれる男が顔を出した。年の頃、六十代。中央が見事に禿げあがり、脇の髪は真っ白になった、見るからに口やかましそうな男である。
「なんと傷だらけになられて! ケニーくん、君が着いていながら……」
「侍従長、よい。ケニーのせいではない」
「しかし陛下……」
なおも不服そうにケニーを見る侍従長の目に、ケニーは冷や汗を流している。彼は未だエドワードが怪我を負った責任を痛感しているのである。
本来は無茶苦茶なエドワードのせいだが、護衛のケニーはおそらく何らかの処分を食らうのだろう。リッツはお気の毒様と心の中で思うしかない。
「申し訳ありません」
「申し訳ないで済むことではない。玉体にもしもの事があったら……」
「申し訳ありません」
ひたすら謝るのみのケニーが可哀相になったのか、アンナが立ち上がった。侍従長に文句の一つも言ってやろうという体勢だ。
ここでアンナが何か言い出したら、収拾がつかない。リッツとフランツがアンナの口を塞ぐ前に、エドワードはアンナを手で制して立ち上がり、馬車を降りた。
恐縮するケニーと、怒る侍従長の間に立つ。
「いいんだケニー。説明は後で私からしよう。それで良いか、侍従長?」
「はぁ、陛下が申されるのなら……」
ようやく追及の手を逃れたケニーは、安堵のため息を吐く。リッツはその顔に、侍従長でこの調子では、宰相になんと言われるだろうと書かれているのを感じ取った。
確かに昔からシャスタの説教はきつかった。年を経てパワーアップしているとしたら、その辛さはどれだけだろう。
「ことに侍従長。建物の中で待っているように、余は言ったはずだが?」
ふと耳に、ちくりと棘のあるエドワードの一言が飛び込んできた。だが侍従長は怯みもしない。
「陛下が心配だったのでございます」
「そうか」
怪しくなってきた風向きに、リッツはそーっと立ち上がり、静かに馬車の反対側にある扉に手をかけた。何となく読めてきた。
彼らはリッツを大臣として王都へ連れて行くつもりだ。きっと何か逃げられないような手を考えているに違いない。
逃げるなら今しかない。
だが、そのリッツの企みはよりにもよって、仲間のアンナによって阻まれた。
「リッツ、どこ行くの? 農場の見学だったら、私もいく!」
「馬鹿、しっ<」
慌ててアンナの口を塞いだが、時すでに遅しとはこのことだ。その行動が結局全員の視線をリッツに集めることになってしまった。
エドワードは、今まで見せたことのない程愛想のいい笑顔をリッツに見せた。
「リッツ、とにかく中に入らないか? 話はそれからゆっくりと……」
かえってその表情が不気味だ。
「冗談じゃない俺は降りる! 王都にいくだけだっていっただろ!」
「まあ、そういわずに……」
「嫌だ!」
反抗するリッツにエドワードはため息を吐きつつ、ケニーに命じた。
「査察官全員であちらの扉を押さえつけろ。リッツを馬車から出すな」
「了解」
ケニーと査察官はバラバラと馬車の反対側に走った。あっという間に扉は査察官たちに閉ざされてしまう。
「アンナ、フランツ。リッツを押さえてくれないか?」
「? は~い」
何だか分からないながらも、アンナがリッツの左手にぶら下がった。渋々フランツもリッツの右手を押さえつける。
エドワードは今までの経験から、アンナとフランツには、リッツが手を出せないことをよく知っている。
「きたねぇぞ、エド!」
完全に逃げ場を失ったリッツに追い打ちをかけたのは、侍従長だった。
「閣下、往生際が悪いですぞ。だいたいにおいて閣下がお逃げあそばした後、我々がどれだけ心配したか、それに苦労したか知っておいでか?」
「え……?」
まじまじと侍従長を見つめると、侍従長ははげ上がった額に血管を浮かせてリッツを見据えている。その迫力に声が出ない。
「自由の民であるのはよろしいが、一度国政に関わったものの態度がそんなことでは、情けなくて涙が出て参りますぞ! 閣下がいなくなられた後、私めが前の侍従長にどれだけ厳しく怒られたか、閣下はご存じないでしょうな? とにかく建物の中にはいるくらいなら閣下でもお出来になるでしょう。中にお入りください」
怒濤のようなその言葉に、リッツは怯んだ。そして古い記憶から、この言葉をリッツに吐ける相手を見つけ出す。
そういえば彼は王都を出て行く際、一人の若い侍従を騙した覚えがある。あの夜の光景が、鮮やかに目の前に蘇った。
『こんな夜更けだが、急な用が出来た。国王に取り次いでくれないか?』
夜中も夜中にそんなことを言い出した当時のリッツに侍従は尋ねた。
『明日では駄目なのでしょうか? もうこんなに遅い時間ですから陛下はお休みだと……』
『緊急の用事に時間は関係ない。国政に関わることだ。大至急頼んだぞ、オコナー』
『はっ、閣下』
そして若き侍従は、国王に会うために多大な苦労をして、ようやく国王と大臣の会談の場を設けたのだ。
だがその頃には大臣の部屋はすでにもぬけの空だった。勿論、普段着から武器まで全てが一切合切無くなっていたのは言うまでもない。
『か、閣下がいません!』
その晩王宮は大臣失踪で大騒ぎになった。
リッツはこれを直接見ていて知っている。全員が大騒ぎする中、リッツは王宮の屋根の上でじっと身を潜めていたからだ。
騒ぎが収まってからエドワードの元にやってきたリッツは、エドワードから苦笑交じりに『オコナーの罪はなかったことにしておいたからな』と聞いた。 この事件が起こるまで有能な侍従として知られた彼だったが、きっとあの夜の出来事は彼にとって初めての挫折だっただろう。
変わり果てた頭髪のせいで気が付かなかったが、その騙された侍従が、現在の侍従長らしい。
「……よう、オコナー、元気だったか?」
「元気ではございません。当時は閣下の御陰で酷い目に遭いました」
「……だよな……」
「頭髪もすっかり抜け落ちました。この責任は取って貰うつもりですぞ」
リッツは力無く項垂れた。そんなリッツが観念したと踏んだのか、エドワードはいつも通り陽気にアンナたちに声を掛けた。
「アンナ、フランツ。館に招待しよう」
「はい!」
うなだれたままのリッツと対照的にアンナは元気に返事をした。リッツは片方の腕をフランツに固められ、片方にアンナをぶら下げて屋敷へ進む。
まさか今まで好きに生きてきたツケが回ってきたんじゃないだろうなと思うと、どうしようもなく憂鬱だ。
「リッツ、あきらめが肝心な時もあるよ」
悟りきったようなフランツの一言に、リッツはうなだれたままフランツへと向き直った。
「お前俺に何か恨みでもあるのか?」
「別に」
「……」
こうして三人は、王家の保養所であり別荘でもある黎明館へ足を踏み入れたのである。




