<13>
あの嵐のような惨劇の日から一日たち、仲間たちも、馭者たちも、査察官たちも、皆平静を取り戻していた。
遅れてしまった王都への出発は明日と決まり、査察官と馭者たちはその準備に忙しい。
査察官たちは館内に進入した直後に、あの屋敷にいた召使い数人を確保、参考人とし王都へ連れて行くことにしたようだった。
その召使いたち輸送のためには、馬車を一つあけなければならない。その馬車を開けるための荷の移動は、馭者たちと査察官の共同作業で行われているらしい。
それにあれから死んだように眠り続けるスチュワートの体も王都へ運ぶらしかった。おそらく目が覚めないだろうその体が、どこへ運ばれるのかをアンナは聞かなかった。
きっとどこであっても彼はそのままあの迷宮を彷徨い続けることが分かっていたからだ。
召使いは陰謀のことなど何も知らなかったが、その分この館を訪れていた客の顔はよく分かっていた。今後、スチュワート元王太子反乱事件の真相解明に役立つこととなるだろうという。
アンナは一人でゆっくりと、森の中の小道を歩いていた。
廃村はラリアの幻だったから、もうどこにもない。でもラリアの館だけは本物だった。でもあの豪華さは幻で、普通の二階建ての館が一軒建っていただけだったのである。
飲料水や食料は、屋敷の中を探して確保したという。スチュワートは贅を尽くしていたらしく、全員が王都へかなり満腹した状態でたどり着けるくらい十分な食料が屋敷の中にあったのである。
幸いなことに井戸はこの屋敷の裏手で見つかった。何も問題ない。
慌ただしい中でアンナが手伝ったのは、食料と水を運び出すことと、ちょっとした雑用ぐらいだった。手伝うと言ったのに、査察官と馭者は笑顔で断り、必死で雑務をこなしていた。
彼らはこの重大事に、何も出来なかったという後悔に苛まれているようで、手伝わないほうが彼らのためだとエドワードが言っていた。だから今もアンナは手持ちぶさたなのだ。
森の中の小道を抜け、アンナは館の後ろにある小高い丘にたどり着いた。木々が無い丘の上では、風が強く、一つに結った三つ編みを柔らかく揺らして行く。
もうそろそろ日が傾きそうな、そんなもの悲しい時間である。アンナは目の前に並ぶ、二つの真新しい墓を眺めた。
墓標代わりにたてられたのは、半弧を描く剣と、ねじれた杖だった。
ここはレイブンとラリアの墓だ。
あの後、馭者のおじさんたちと、リッツ、エドワード、フランツが、墓穴を掘り二人の遺体をここまで運んでくれたのだ。
ここに墓を作ったのはアンナの我が儘だった。死んでしまって故郷に帰れない二人に、せめて故郷と繋がる空を見せてあげたかった。
馭者たちが戻った後、アンナは埋葬の儀式を執り行った。長いこと教会の養女をしていたから、葬送の儀式をちゃんと心得ているのである。
ただそれは小さな教会で執り行う、本当に慎ましやかな女神と水の精霊の葬儀だったからこれでよかったのかは分からない。
でもアンナにはそれしかできることがなかった。
アンナはその場に跪き、手を組んだ。それから女神への祈りを捧げる。女神はこの世界総てを見守っているから、きっと闇の一族であっても穏やかな死の国へと優しく誘ってくれるだろう。
「こんな事しかできなくて、ごめんなさい」
アンナはそっと二つの墓に語りかけた。
「私、もっと強ければよかったなぁ……」
後悔の吐息が零れる。もっと強ければ何か手段があったかも知れない。
もっと強力な技を使えれば、闇を退けて炎が消せたかも知れない。
炎を消すことが出来るのは、水の精霊の特徴であるはずなのに、フランツの時も、ラリアの時も、アンナはちゃんと水の精霊を使いこなせていない。
今回なんて、結局彼女に出来たことは、天井に穴を開けたことくらいなもので、役に立ったとは言いがたい。
「もっともっと勉強しないといけないなぁ……」
アンナの心に、自分の未熟さがしみじみと染み渡る。
ラリアを斬ったリッツを思わず責めてしまったのは、自分への苛立ちからだった。そうしないとどうにもならない状況を作ったのは、自分だったのだ。
だからリッツには悪かったと思っている。
アンナは自分の手を見つめた。いつも優しく頭を撫でてくれるリッツの手と比べたら、何て小さな手だろう。そして何て役立たずな手だろう。
リッツのように、仲間もために力を振るう勇気もない。これではいけないだろう。
そもそも今まで水竜以外の水の精霊を使う事など考えていなかった。ラリアは炎の精霊一つで、色々な技を使っていたというのに、アンナは水竜頼みだった。
精霊使いとして、もっと成長したいと、アンナは切に思った。
甘えてばかりじゃ駄目なんだ。
もっと強くならなくては、人を救う事なんて出来ない。
「私、ラリアさん助けられるくらい頑張るから……だから今度生まれてきたら悪い人にならないでね」
墓の前に跪き、アンナは両手を胸の前であわせた。
「太陽の恵みを司る女神エネノアよ、そして癒しと安らぎ司る水の精霊王よ……その御名のおいてこの二人に安らかなる眠りを……」
アンナの肩に不意に手が置かれた。驚いて振り返るとそこに見慣れた笑顔があった。
「! ……リッツ!」
「よっ!」
振り向いたアンナの目に映ったのは、リッツが両手一杯に抱えた花だった。そして土にまみれたフランツの手にあるのも花だった。どこかで転びでもしたのかだろうか。
「どうしたのその花?」
立ち上がって尋ねるとリッツが笑った。
「ちょっとそこら辺を探したのさ。な、フランツ」
そういいきるリッツに、フランツも頷いた。ちょっとそこらで取ってきた割には、フランツは汚れている。相当苦労して探してきたことがアンナには分かった。
何より彼らが、アンナの言った花を飾りたいという言葉を覚えていてくれたのが嬉しかった。胸が熱くなるぐらい嬉しい。
「ありがとう!」
喜んで受け取ったその花は、売り物のように派手で目に付くものではなかったが、山野草ならではの慎ましく逞しい美しさがあった。
何だかその姿がこの二人の立場によく合っているような気がする。
暗殺者とそのパートナーの闇の精霊使い……どちらも世界の陰のような存在だからだ。
だがラリアは生きていればきっと、バラなどの高価な花が自分に似合うと主張しただろうなと思うと、ちょっとだけ笑うことができた。
花を見て微かな香りをかぐ。でも強いのは土の香りだった。よく見ると総ての花に根が付いていた。
「リッツこれ植えるの?」
「ああ。ここに俺たちが来ることはもうないからな」
「あ……」
自分がここに立ち寄ったのは、旅の途中にスチュワートの罠に嵌ったからだった。
廃村も消え失せた今、一度この屋敷から離れたらこの墓の場所はおろか館さえも、もう見つからないかもしれないと初めて気がついた。
「だからさ、花を植えておけばいつまでも花があり続けるだろ?」
「そうか……そうだよね」
アンナはしみじみとそう呟いた。リッツは長年の経験からそれを知っていて山野草を根っこのまま掘り起こしてきてくれたのだ。
「植えよう」
花を抱えたままぼんやりと考えていたアンナを促したのはフランツだった。自ら抱える数株の花をラリアの墓の上に置いて、数センチの穴を掘る。
「うん」
アンナも再びしゃがみ込んでそれを手伝った。もちろんレイブンの墓も数センチ掘り、リッツの抱えた花を植える。
殺風景だった墓に、僅かではあるが彩りが添えられた。
「これきちんと育つかな?」
「育つといいな」
植え終わって軽く手をはたき土を落としたリッツがしゃがみ込んだままそう呟いた。取ってきてしばらく経っていた花たちは、少々下向き加減である。だからリッツとしてもそう言うのが精一杯だったのだろう。
フランツも頷いている。アンナはこの花を何とか生かしたいと考えを巡らせ、やがて顔を上げた。
「ちょっと挑戦」
アンナは再び手を組んだ。
「何をするんだ?」
訝しがるリッツに、アンナは笑った。
「見てて」
アンナは目を閉じ、ゆっくりと念じてみた。フランツがやるように、ゆっくりと掌に水が溢れるイメージを形作っていく。
すると手の上にきらきらと輝く澄んだ水の球が現れたのだ。
「お、水の球か」
リッツが感心した口調で言った。
「うん! 出来たね!」
やはりアンナはやれば出来たのだ。今までやろうとしなかったから成長できなかった。これからもっと頑張ってみよう。
掌に溢れた水の球を、ゆっくりと地面に置くと、水は地面に吸い込まれるようにして広がっていく。
「花を植えたら水をあげないと根付かないもんね。どうかな。根付くかな?」
「大丈夫だ。そのうち根付くさ」
リッツはそういって二人の墓に再び手を合わせた。フランツもそれに習う。二人をみていたアンナの目に、花の微かな変化が見えた。
「見て見て!」
顔を上げたリッツとフランツが、アンナを見つめる。
「花、咲いてきた!」
「え?」
二人の視線が一斉に花に向き、そのまま釘付けになった。目の前の花が徐々に頭を持ち上げ開き始めたのだ。
「……すごいな」
リッツもそれ以外何も言わず花を見ていた。やがて花は見事なまでの輝きを持って咲いた。
「これで大丈夫だよね!」
嬉しくてそう尋ねると、リッツとフランツは笑って頷いてくれた。もしかしたら水の中に含まれる癒しの力が、花に何らかの作用をもたらしたのかも知れない。
そっと柔らかな花びらに触れながら、アンナは花の香りをかぐ。爽やかな香りがした。
横を見ると、リッツがアンナを見守るアントンとよく似た眼差しで見ていることに気がつく。
何だか本当のお父さんみたいだ。でもお父さんというのにはちょっと違う気がする。アンナに兄がいたなら、こんな風に暖かい感じなのだろうか。
「どうした?」
リッツに不思議そうに尋ねられてアンナは首を振る。ふとアンナは思い出す。リッツは今のこの関係を大事にしていて、傭兵であった当時の自分を見せずにいたいと願っていたのだ。
確かに傭兵としてのリッツは怖かった。迷宮で見た時には少し震えてしまった。
でも今のリッツは全然怖くない。目の前でラリアを斬った事だって、自分たちを守るためだったのだから、恨んだり、恐怖に思ったり何てしたくない。
アンナは目を閉じた。
ヴィシヌにいた時は、孤児院の世話役で、子供の面倒だけ見ていればよくて、自分自身が成長する事なんて考えていなかった。
だけどこうしてアンナを見守ってくれるリッツがいて、共に旅をしている仲間のフランツがいることで、これからもずっと成長していけるんだと思う。
二人がいるから、今のアンナがあり、未来のアンナがいる。
「リッツ、フランツ」
二人に呼びかけると、二人がアンナを見た。そんな二人にアンナは最高の笑顔で笑いかけた。
「二人とも大好き。ありがとう」
「な、なんだよ急に……」
アンナの正直な気持ちを伝えただけなのに、リッツは照れて慌てふためく。何だかお礼を言われるのが苦手みたいだ。
リッツと対照的に、フランツは無言でアンナを見つめている。きっとフランツも、色々考えているんだろうなと思う。
「……さ、夕飯にしようぜ」
照れながら丘を下っていくリッツの背中をアンナとフランツはじっと見つめていた。リッツの姿が見えなくなった後、フランツが口を開いた。
「リッツっていい加減で適当で考えなしだと思っていたけど、あれで色々背負ってきたんだ」
「うん」
アンナはそれだけ言って頷いた。
「僕は、リッツがそれであの性格なのが少し羨ましいと思う」
フランツの言葉に、アンナは黙ったまま耳を傾けた。きっとフランツは色々考えているのだろう。その事を聞きたいと思った。
きっと世間知らずはお互い様だから。
「僕もいつか超然として生きていけるかな?」
「いい加減で適当で考えなしに見えるように?」
「いや、そうじゃなくて……」
言葉を繕おうとするフランツに、アンナは吹き出した。
「冗談だよぉ~」
アンナを睨んだフランツだったが、アンナの目を見てフッと力を抜いたのが分かった。やはりフランツも色々考えているのだ。
アンナも同じだ。同じようにやっぱりリッツにちょっと憧れている。
何も話してはくれないけれど、リッツは過去に色々あったみたいだ。でもアンナとフランツをちゃんと守ってくれて、見守ってくれている大人の眼差しがとても暖かいのを知っている。
いつかきっと、アンナがリッツを助けられるような、そんな存在になれたらいいなと思うのだ。
「フランツ、ご飯食べに行こうよ。リッツもエドさんとケニーさんもみんな待ってるよ、きっと」
「……そうだね」
フランツは呟くといつも身につけている宝玉に触れた。アンナもそっと自分の宝玉に触れる。
これがなかったら旅が始まらなかった。こんな風にたくさんの人と出会うこともなかったのだ。
アンナは未だ考え込んでいるフランツに笑顔を向けた。
「フランツ、早く早く!」
丘を駆け下りようとするアンナにフランツが慌ててついてきた。
……残った二つの墓に咲く山野草が、夜風にそっと花を揺らした。
これで4巻完結です。コメディありでも、どちらかと言えばシリアス多め風味、どうでしたでしょうか? お楽しみいただけたなら幸いです。
さてさていつもならここで旅路の晩ご飯があるのですが、この回はありません。
その代わり、次の5巻は1巻以来久しぶりに短編三本となります。
一行はいよいよ5巻から王都シアーズへ入ることになります。そこで三人の前に立ちはだかったのは……生活基盤?
そんな5巻は、いつも通りに2日後からスタートです。
お楽しみに!!




