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呑気な冒険者たち  作者: さかもと希夢
小さな大迷宮
46/224

<12>

 怒りに燃え、身に纏った炎をラリアは、徐々に黒く大きく、まがまがしい物へと変えていく。その変貌を見ていたフランツは、言葉も出ずにじっとそれを見つめているしかない。

 きっと大きな一撃が来るだろう。

 エドワードがこの状態を打破すべく、ラリアに攻撃を仕掛けたが、彼女の纏う奇妙な炎の輝きに撥ね付けられた。

 打って出るたびに炎がより力を強めていくのが分かる。これでは効果がない。

 それどころか炎の輝きを強めているにすぎなかった。力がぶつかることによって、より強まっていくその炎の性質には、剣技が通用しない。

 器を手にしていたまま、じっとラリアを見守っていたアンナがフランツよりも先に我に返り、銀の器を逆さにして中身を下にばらまいた。

 大小様々なチーズが床を転がっていく。

 そしてその中に、水差しの水を一気に流し込んだ。焦っているのか、水が縁から少々こぼれたが、水はなみなみと器に注がれた。

 微かに震える手を胸の前に組み、アンナが祈りの声をあげた。

「安らぎと癒しを司る水の精霊よ、我の元へ出でよ。来て水竜!」

 水の入った器から巨大な水柱が上がり、水しぶきと共に水竜が咆吼をあげた。その姿に、エドワードが感嘆の声を上げた。

「すごいじゃないか……」

 フランツは黙ったまま頷く。精霊使いの中でも竜を使うのは、かなり高位の精霊使いだけだと聞く。なのにアンナは、いとも簡単に水竜を呼び出してしまうのだ。

 フランツは見慣れていたが、知らなければ驚くだろう。だがエドワードはすぐに冷静になって、アンナに指示を出した。

「アンナ、まずこの屋敷を壊すんだ。外に査察官がいる。彼らに無事を知らせ、救援を請うんだ!」

「はい! 水竜、お願い!」

 アンナの水竜は、勢いよく天へ登って上昇した。水竜は吹き抜けのホールを突き抜け、そのまま豪華なシャンデリアごと天井を突き破り、空へと駆け上がる。

 砕け散ったシャンデリアのガラスに反射しながら、眩い太陽の光がホールいっぱいに溢れた。

 本物の朝だと、フランツは安堵した。そういえばあの作り物の世界で目覚めて、まだ今日の太陽を浴びていなかったことを思い出す。

 太陽の光はラリアをも照らしていた。だがそれはフランツたちのように平穏をもたらしたわけではなかったのだ。

「いやぁぁぁぁぁっ!」

 ラリアは両手で顔を覆い、恐ろしく高い悲鳴をあげた。あまりに悲痛な声に動くことすらできない。

 ラリアの声に合わせるように、炎の周りを渦巻く黒い闇が深くなったように感じられる。

 そしてその黒い闇は暖かな太陽の光から逃れるように、ラリアの中へとその身を隠そうとしている。

 まるで無数の黒蛇が、ラリアの身体を行きながら侵食していくように……。

「うっ……」

 こみ上げてきたのは吐き気だった。

「大丈夫か?」

 そこへ現れたのは、先ほどレイブンを倒したリッツだった。

「なんて炎だよ……」

「ああ、打撃が全く効かない」

 冷静なエドワードに、リッツは小さくうなった。ラリアの強大な魔法には、流石のリッツでさえ為す術がないようだった。

「これのことか……」

 リッツはそう呟くと眉を寄せた。何かを戦っていたレイブンから聞いたのだろうか?

「リッツ!」

 水竜を呼び戻したアンナは、リッツの姿を見て一安心したようにその名を呼んだ。

「無事か、アンナ」

「うん! リッツは?」

「俺が殺られるかっての」

「だよね!」

 いつもの二人のやりとりに、少しずつ頭が冷えてくる。アンナの水竜がいるのだから、これで何とかなるかも知れない。少し落ち着こう。

「アンナ、あの炎を消せるか?」

 リッツの言葉にアンナが頷いた。

「やってみる! 水竜! あの人を取り囲んで火を消して!」

 水竜は答えるように咆吼すると、ラリアを取り囲み締め付けた。一瞬、火の勢いが弱まったが次の瞬間に痛みの声をあげたのは、ラリアではなく水竜だった。

「水竜頑張って!」

 アンナの叫びに答えるように、水竜はラリアを締め付け続ける。

 だが、異変が起きた。水竜の体から水蒸気がもうもうと立ち上がり始めたのだ。

 水竜の体には何やら黒い紐のような物が巻き付き始めている。それは無数の蛇のようにくねくねと揺れ動き、水竜の体に食いつき始めたのだ。

 ラリアの身体に潜り込もうとしていた物と、それは同じだった。

 炎の上を覆っていた黒い闇の魔法……それが今水竜を苦しめていた。

 その様子は精霊使いのフランツとアンナだけではなく、リッツやエドワードの目にもはっきり見えているようだ。

 このままでは水竜の方が危ない。

「リッツ、どうしたらいいの!」

 アンナが悲鳴に近い声で、一番の経験者であるリッツに尋ねた。だがリッツは精霊使いではない。でも結局結論はフランツと同じだった。

「これ以上は無理だ。水竜を呼び戻せ!」

「うん!」

 だが、水竜は動くことすらままならないようだった。あの黒い蛇のような物が、体にからみついて離れないのだ。

「リッツ!」

 悲痛なアンナの声に応えるよう、躊躇いもなくリッツが水竜に向かって走り出し、大剣をラリアに打ち込む。

 すると彼女の周りの黒い蛇は新たな敵、リッツの方へと向かってきた。水竜はその隙に渾身の力を振り絞ってラリアから離れた。

 同時にその蛇から逃れるため、リッツも闇の蛇を引きちぎるように飛びすさる。

 フランツは炎の中にいるラリアを見つめた。ラリアの目はもはや何も見ていない。先ほどまで苦痛を訴えていた、あの闇が、体中を……顔すらも浸食しているというのに、もう苦痛はないようだった。

 彼女は完全に闇に飲まれていた。全ての自我を手放し、闇に全てを与えてしまったのだ。

 この状態は知っている。自分にも覚えがある。フランツはこの状態で、実家をほぼ全焼させたのだ。

 目の端でリッツが大剣を構えたのを捉えた。

 ラリアごと斬る……そう決意を固めたのようだ。

 だがヘビのような黒い闇は、ゆらりゆらりと目の前で揺れ、リッツもなかなか踏み込めないようだ。

「ああ我が王、我が主、闇の精霊王よ……」

 その場にいた全員の耳に、夢見心地なラリアの声が響いた。

「くそ、どうすれば……」

 リッツが舌打ちした。エドワードとアンナは青ざめている。手の打ちようがないとはまさにこのことだ。

 経験豊富な精霊使いがいれば何とかなるかもしれないが、今ここに居る精霊使いは、あまりにも未熟で何も知らない。

 その時だった。フランツのポケットの中にある小袋が、軽い金属音を立てたのだ。

 そっと取り出して見ると先ほど水竜が開けた天井の大穴から降り注ぐ太陽の光を吸収したように、まばゆい光を放ち始めている。

 この気配は間違いなく精霊の気配だ。しかも炎でも水の気配でもない。

「これは……光の精霊魔法?」

 確かこれは、いざって言う時のために使える物だとオルフェは言っていたはずだ。こうなったら一か八かで賭けてみるしかない。

 フランツは小袋から中身を取り出した。この感触、そしてこの手触り……これはもしかして……。

「……師匠……」

 ポツリとフランツは呟いた。次の瞬間、袋からそれ(ヽヽ)を出して誰の目も憚らず、フランツは絶叫した。

「知恵の輪が何の役に立つんだ<」

 そう、それはまさしく知恵の輪だった。しかも一列に繋がって輪になっているその知恵の輪は、オルフェが、よくいたずらでフランツの目の前にぶら下げていたものだったのだ。

 あの頃のことが浮かぶ。食事の支度をしようとして調理場に行くと、それが食器棚の取っ手二つにぶら下がって封印されていた、なんてこともあったぐらいだ。

『ほらほらフランツ~。これが解けないと食器棚が開かないよぉ~』

 もしもの時に役に立つ……なんて事は絶対にあり得ない代物だ。オルフェの中でもしもの時とは、暇を潰したいときのことなのだろうか?

 光を放つ知恵の輪を片手に呆然と立ち尽くしていると、リッツに怒鳴られた。

「フランツ。そんなもん持ってそこにいるな! 死ぬぞ

!!」

 呆れと怒りが混じった叫びも当然だ。でもこの場で一番理解不能なのは他ならぬ自分だ。

 いざとなった時にと言ったのに、何故これをフランツに手渡したのだろう。確かにふざけた人だけど、命がかかるような時にフランツがこれを開けると思わなかったのだろうか。

 その時だった。

 知恵の輪が先ほど水竜が開けた天井の穴から降り注ぐ太陽の光を浴びて、さらに輝きを増し始めていたのだ。

 その光が増せば増すほど、心の中に力がわいてくる。その輝きはラリアの闇と対局にある輝き……つまり光の力だった。

 フランツの感覚は間違っていない。これは光の精霊の気配だ。しかもものすごく強い。

 フランツは手にした知恵の輪を高々と太陽に捧げるように掲げあげた。不思議だ、こうしていると奇妙な感覚が溢れてくる。

「フランツ、そんな物はおいとけ! とにかく遠くに……」

 怒鳴ったリッツの言葉が聞こえたような気がしたが、それ以上にフランツはこの知恵の輪に魅入られていた。

「何となくこの使い方が分かった気がする」

 この知恵の輪を通じて何か不思議な落ち着きと自信のような物が彼の中に流れ込んできている。その感情をフランツは知っている。

『希望』だ。

 力を込めてその知恵の輪で出来た直径一メートルほどの輪を構えた。

 不思議なことに沢山の知恵の輪を繋げて作られたその輪は、一本の金属で出来た物のように円形に固定された。

 その間にラリアは両手を天に向かって捧げた。

「力を司る炎と恐怖と混乱を司る闇よ」

 ラリアの漆黒の瞳に赤い光が満ちた。彼女を取り囲む炎と、闇がより一層力を増す。この場にいた全員が、その禍々しい感触を体に感じた。

 だがラリアにはその感触が大いなる喜びになっているようだった。あふれ出る力を全身に感じているのか、ラリアは歓喜の笑みを浮かべた。

「絶望を彼らに与えよ!」

 炎が強烈な熱を帯びて、爆発するように最大限の輝きを浮かべ、闇が炎のように燃え上がった。あまりの熱気に、リッツたち三人は後ずさったが、フランツは動かなかった。

 彼の頭には、知恵の輪から送られてくる一つの言葉があった。それを唱えなくてはならない。

「さあ全てを闇に捧げなさい。闇こそ全て、闇こそ命の休息のゆりかごなのだから!」

 狂気に満ちたラリアの言葉と同時に、真っ黒に燃えさかる炎の固まりが正面に立つフランツに向けて放たれた。

 それがフランツに当たったとしたら、多分この屋敷ごと消滅だ。

 でもフランツは逃げない。わき上がった力と、あの時の真摯な表情の師匠オルフェを信じる。

 フランツは心に浮かんだ言葉を唱えた。

「輝く希望と誇りを司る光の精霊王よ、我に力を!」

 フランツの祈りと同時に知恵の輪は、まるでそこに太陽があるかのような輝きを放ち始めた。

 それはまさに光の精霊の力……。

「闇を吸い込め、光の輪!」

 知恵の輪からあふれ出した光は、空間を包み込んだ。強烈なその光に、術者のフランツでさえも目を開けていられない。

 まるでそこに太陽があるかのようだ。

「いやぁぁぁぁぁぁ<」

 その光を受けてラリアは悲鳴を上げた。彼女の身に纏った炎から、闇が少しづつはがれ落ちていくのだ。

 身体の中まで潜り込んだ闇が、ラリアのからだから引き離されるたび、彼女は引き裂かれるような絶望と痛みの悲鳴を上げ続ける。

「光よ、全てを浄化せよ!」

 激しく光をあふれ出させる輪を手にしたまま、フランツは叫んだ。闇を浄化するには光しかない。それは精霊使いにとっては常識だった。

 ひときわ激しいラリアの悲鳴が響く。

 そこに満ちる恐怖と、混乱と憎しみ。フランツは耳を塞ぎたい衝動に駆られながらも、必死で堪えた。

 命を奪うのならば……それを背負わなければならないのだ。精霊使いであるのならば、術者として自分が放った力に対する責任がある。

 ラリアをこの光が殺すならば、フランツはそれを引き受ける。それが使命だ。

 炎と共に宿っていた闇が、フランツの持つ知恵の輪に全て吸収され、消滅した。

 闇を全てはぎ取られて残るのは、炎の中でのたうちまわり、恨みの呪詛を上げ続けるラリアのみだ。

 その瞳に狂気が満ちた。

「闇が……私の王が……」

 彼女の瞳が真っ直ぐにフランツを捕らえた。闇そのもののように黒く、異様な輝きを放つ瞳に見据えられて、身動き一つできない。

「殺してやる……殺してやる……」

 呟きながらラリアはよろめき、だが確実にフランツに一歩一歩近づいていく。体から吹き上げる炎は勢いを落としていない。

 炎はラリアを確実に溶かしていく。全身が業火で焼かれ、紅く血に染まったその姿は壮絶だった。

「……」

 フランツは無言でラリアの前に立っていた。炎を防ぐ手立てはこの知恵の輪にはない。炎を炎で相殺しようと思っても、もはやその力が残されてはいなかった。

「フランツ逃げろ!」

 リッツの叫びが耳に入るが、それを実行する体力すらないことに初めて気が付いた。

 手に力が入らない。膝が震える。強力な精霊魔法を使うのはこんなに疲れることだったなんて、知らなかった。

 その上、先ほど足に火傷を負っていて逃げようがない。

 よろめきながら仲間を見ると、リッツとエドワードがこちらに駆け寄ってきた。無言で駆け寄ったエドワードに肩を借りよろめきながらもフランツは歩き出す。

 それでもラリアから目を離すことができなかった。自分には術者として、最期まで見届ける義務がある。

 リッツがフランツを追うラリアの後ろに立ち、ラリアに向けて大剣を構えている。もう、闇はない。彼の邪魔立てをする物は何もないのだ。

 ラリアがリッツの気配を感じて振り返った。その瞳には、もう正気の輝きが何処にも残っていなかった。

 先ほどの闇に完全に乗っ取られていた彼女は、その闇が消滅させられると同時に自我を全て失ってしまったのだ。

 今は炎に心を奪われて、かろうじて生きている状態だ。

 炎は益々強く燃え上がり、総てを飲み込み、焼け付くそうと火柱を吹き上げる。制御する者がいなくなった炎は、ここにある総てを焼き尽くさぬ限り、決して消えることはない。

 炎を消滅させるためには、彼女を殺し、炎の宿主を消滅させるしか無い。

 サラディオの実家にいたあの時、自分には止めてくれる人があり、失いたくないものがあった。だから暴走を止められた。

 でもおそらくラリアには何もない。自分たちが助かるためには、リッツが斬るしかないのだ……。 

「リッツ」

 呼ぶとリッツはフランツを見つめてから、小さく頷いた。リッツにもそのくらい分かっているのだろう。

 リッツは微かに俯くと、真っ直ぐにラリアを見つめた。フランツは足を止め、リッツとラリアを見つめた。

 目を逸らすな。

 光の輪を使い、彼女の自我を崩壊させたのはフランツだ。

 何かにそう告げられているような気がした。胸に手をやって考える。

 自分が使った術の責任を最後まで持て。これは師匠の有意義なたった一つの教えだった。

 大剣を手にリッツは炎を切り裂き、そのままの勢いでラリアに迫った。

 ラリアは何処も見てはおらず、うつろな瞳で微笑んだ。

 ……綺麗だ。

 一瞬だけフランツはそう思った。どんな彼女よりも、ラリアはその時だけ綺麗だった。

 だが次の瞬間、リッツの大剣が一直線にラリアの体を横に薙いだ。ラリアのからだから噴き出す血が、リッツの体を染める。

 歯を食いしばり、両拳を握りしめて、フランツはその光景を見ていた。知らず知らずのうちに口から短いうめきが漏れていた。

 ゆっくりとラリアが崩れ落ちていく。その体を斬ったリッツが静かに受け止めた。

 炎が静かに消えていく。それは彼女が精霊を使う力を失い、炎の精霊から解放され、そして命をも落としたと言うことだ。

 何も言わず、リッツの腕の中でラリアは息絶えた。

「リッツ!」

 ラリアの亡骸をリッツはレイブンの横にそっと下ろした。彼女は何故か満足げな顔をしている。きっと何も知らずに死ぬのは楽なのだろう。

 でもそれはいやだと、フランツは思った。

 ラリアの遺体を見ていたフランツの耳に、リッツの小さな声が届いた。

「……アンナ……すまん」

 だがアンナはリッツに駆け寄り、その背中を叩く。

「……何で? 何で殺しちゃったの?」

 炎を消滅させるためには、彼女を殺し、炎の宿主を消滅させるしか無い。そんなことはアンナも分かっているだろう。

 あの状況で出来る仲間に対しての最良の手段だったのだと。

「何とかできなかったの! ねぇリッツ!」

 アンナはそれでも、言わずにはいられないのだろう。誰よりも人の命を大事にしている彼女は。

 そしてリッツもアンナの非難に何も答えず、無言で背中を叩かれていた。リッツは自分のこういう姿を、アンナとフランツに見せたくないようなことを言っていた。

 無言で振り向かないリッツに変わって、フランツが答えることにした。

「リッツのせいじゃない。僕が闇を吸い取ったときにこうなることが分かってた。責めるなら、光の精霊を使った僕を責めればいい。僕が……術者だ」

「分かってるよ。分かってるけど……」

 ようやくリッツを叩くのを辞め、涙声でアンナは言葉を切った。

 アンナの手はリッツの後ろから服をぎゅっと握りしめている。アンナが苦痛を噛みしめて堪えているのだと分かった。

「それでも……辛いよ……」

 しばらく俯いたままだったが、リッツがアンナの方を振り向いた。まだ唇を噛みしめていたアンナの頭を無言で優しく撫でている。

「もうこんなにひどいこと起こんない?」

 しばらくしてアンナがまだ泣き声でそう問いかけた、リッツが小さく頷いた。

「……多分な」

「絶対だよ。ぜ~ったいなしにしようね!」

 泣き笑いの表情でアンナはリッツを見上げ、エドワードに支えられて二人の元に辿り着いたフランツを見た。

 ようやく笑ったアンナに、深く頷く。

 そんな三人を見ていたエドワードは、先ほどの戦いを、逃げ出すことも出来ずに片隅に縮こまって震えながら見ていた男に、振り返ることなく冷たい声を投げかけた。

「何処に行こうというんだ、兄上」

「え、エドワード!」

 怯えたように壁に張り付くスチュワートをエドワードはゆっくりと振り返って見据える。その瞳の冷たさに、フランツは驚いた。エドワードはこういう表情をする人物だったのだ。

「この期におよんで逃げられると思うのか?」

 スチュワートは凍り付いたように立ちすくんだ。ここにはすでに彼を助ける何者も存在しない。

「ゆ、許してくれエドワード、余の持つ物は全てやる、もう反逆などせん、頼む助けてくれ!」

 エドワードは、一歩一歩スチュワートに近づいた。スチュワートはがくがくと震え出しつつ、エドワードに媚びを売るような笑顔を浮かべた。

 だがエドワードは眉一つ動かさない。

「反逆者スチュワート元王太子。それ相応にふさわしい罰を受けて貰おう」

 淡々と、ただ冷酷にエドワードが宣言する。

「助けてくれ、死にとうない。反逆に関わった貴族の名前を全部言う。だから助けてくれエドワード」

「貴様のような男に名を呼ばれる覚えはない」

 そう言うと、エドワードはこちらを振り返った。それから楽しげににっこりと笑う。

 リッツが苦笑したが、フランツはちょっと恐ろしくなった。なるほどこの人の笑顔には、たまに恐怖が混ぜ込まれるらしい。

「一番迷惑を被ったのはこの三人だ。三人に処遇を、決めて貰おう」

 そういって微笑んだエドワードに、三人は固まった。フランツが、一番情に厚いアンナに目をやった。リッツの視線も同じようにアンナに向く。

 アンナなら許してしまうのだろうかと思ったのだが、アンナの瞳はいつもの温厚な目ではなかった。選択を託されたアンナが、一歩前に出た。

「もし、あなたが悪い事しなかったら執事さんもラリアさんも死ななかったんだよ。それに、もし戦争起こってたら沢山の人が死んで、沢山の子供達が孤児になってたかもしれないんだよ?」

 アンナの真摯な瞳に、スチュワートは気圧されたように口をパクパクとさせた。

「人が死んだのに、自分だけ楽しく生きていこうと思ってるんなら、絶対に許さないから!」

 フランツは言葉が出てこず、リッツとエドワードはじっと黙ってアンナを見つめている。

 フランツは息を呑んだ。アンナは人殺しが嫌なはずだ。処刑しようなどとは言い出さないだろう。それなら彼女はどうしたいのだろうか。

「どうするね、アンナ?」

 エドワードが優しくアンナに尋ねた。決意に満ちた顔でアンナが断言する。

「この人にね、悪い人が王様だと大変なことになるのを教えてあげるの」

 その一言で、合点がいった。

「『無限の悪夢』か……確かにな。王としての資質を見直すべき兄上には相応しいかもしれん」

「だよね!」

 四人が納得いった顔で頷き合った姿を見て、スチュワートが絶叫した。

「やめてくれ、頼む!」

 だが怒りに燃えるアンナは容赦をしなかった。

「駄目! 王様として相応しかったら出てこれるよ。頑張ってね」

 そもそもスチュワートに選択権はない。エドワードは懐から綺麗な多面体のクリスタルを取り出した。

「これが『無限の悪夢』だ」

「わぁ……綺麗」

 アンナが感嘆の声を上げた。中に閉じ込められたが、外から見るとこんなに綺麗なものだったなんて、想像外だった。

 だがそれを見てスチュワートが悲鳴を上げた。

「頼む、何でも言うことを聞く、これだけはやめてくれ」

 懇願するスチュワートに、リッツやエドワード、人情家アンナでさえも耳を貸さなかった。

 フランツにしても同様で、彼に同情してやる気はさらさら無い。彼はそれだけのことをしたのだ。

「王様になりたかったんでしょ? なれるように頑張ってね」

 アンナの言葉は優しいようであくまでも厳しい。彼女は心底怒っているのだ。それが表情に全く出ないところがちょっと怖い。

 リッツの笑顔とある意味同類だということに、アンナ自身は気が付いてないのだろう。

「兄上、王となる資質があればここから出られるそうだ。現にこの三人は無事に短時間で出てこれたぞ」

 小馬鹿にするようなエドワードの言葉に、スチュワートは白髪を振り乱しながら怒鳴った。

「そちらは三人ではないか! 余は一人ぞ!」

 だがそれに同情する者はまたいなかった。

「でも俺らは王族じゃないぜ? あんたが勝手に俺たちを閉じこめたんだろ?」

「……」

 言い返せないスチュワートに、リッツは更に続けた。

「俺たちはこれから『無限の悪夢』に入って貰いますよって最初から言ってるんだ。親切この上ないよな?」

 からかわれていると思ったのか、スチュワートは顔に朱を走らせた。だがそれ以上の反論はしなかった。彼はまだなんとかしてこの状況を打破できると信じているのだ。

 その自分に甘い性格が、彼を追いつめていたとも知らずに。

「エドワード、反逆者の名を聞きたくはないか?」

 先ほど言ったものと同じ質問をスチュワートはエドワードにした。エドワードは顔色一つ変えない。

「興味がないな」

「何故だ?」

「この国には有能な宰相と査察官がいる。調べられない事はないだろう」

 あくまでもスチュワートの考えに乗る様子のないエドワードの態度に業を煮やしたのか、スチュワートは金切り声をあげた。

「裏切り者だぞ? 何故知ろうとせんのだ! 後悔するぞ」

 だがその言葉にもエドワードは眉一つ動かさなかった。

「裏切り者の筆頭はもはや捕まえてある。それ以外は簡単に見つかるだろうよ」

「……なっ……余を裏切り者と申すのか?」

 目を血走らせるスチュワートに、エドワードは冷静に答えた。

「そうだ。国に対する裏切り者……国賊だ」

「何を?」

「自らの欲望のために内乱を起こし、国民を無益に失わせようとした……それを国賊といわずして何という?」

 冷めたく言い放ったエドワードに、スチュワートは堪えきれず激高した。

「ならばお前だって国賊ではないか!」

 だがエドワードは怯まなかった。

「民を助けるためには、兄上達を国王とするわけにはいかなかった。兄上には一生分からんかもしれんがな」

 なお冷静に返すエドワードに、スチュワートは何もいえない。彼にとってエドワードを責める言葉は、王座を奪ったことくらいなのだろう。

 フランツは醜いスチュワートの命乞いに、嫌悪した。これが王族の末期かなのかと、エドワード以外の王族を知らない自分が思っても仕方ない。

「もう言いたいことはないか、兄上」

 何を言ってもエドワードやここにいる三人の心は動かない事を知ったのか、スチュワートは黙った。

 恐怖に怯え、目だけをギラギラと憎しみで燃え上がらせている。

 エドワードは、目を上げリッツを見つめた。リッツはアンナをみて、フランツを振り返った。無言で頷き返す。

「それじゃ、エド。始めるか」

「ああ」

「どうしたらいい?」

「ナイフを貸してくれ」

「おう」

 リッツは、いつもは鞄に入れている小さなナイフを取り出すと、無造作にエドワードに渡した。

「返せよな」

「勿論返すさ」

 二人はそんな軽口を叩きながら、スチュワートを見た。男の顔は徐々に色を失いつつある。

 この『無限の悪夢』がどのような迷宮か知らない彼にとって、どれほどの恐怖なのだろう。

 だけどそれを、何の関係もない自分やアンナにまで使ったのは、他ならぬこの男だ。

 フランツには何となく分かる。この男が無事にこの迷宮を出てくることはないだろう。およそ完璧な確率で廃人になる。

 だがそれは、国王に相応しい資質がないからに他ならない。彼は自分の精神を持ってそのことを知るのだろう。

 それを知ることが、あまりにも遅すぎたのだ。

 エドワードはリッツに渡された何の飾り気もない質素なナイフの鞘を無造作に抜き放った。鈍く光る刃先に、エドワードの顔が映っている。

 その顔には、自らの過去の後悔をようやく清算出来るというホッとした表情があった。

 エドワードはためらう事なく自らの指にナイフを突き刺す。力が入りすぎたのか、少々深く傷つけてしまった指先から、血が溢れてくる。

「兄上、お別れだ。無事に出ることが出来たならそこは王宮だ。罪はこれを作った王に習い許そう」

 だがエドワードにも分かっているのだろう。この兄と心があるうちに話せるのはこれが最後だと。

「……」

 スチュワートも自分が出ることは叶わないだろう事が分かっているのか、目を血走らせたまま無言だった。

 エドワードは無表情に染み出した血を、一滴また一滴と『無限の悪夢』の上に垂らした。やがてそれは美しく輝き始め、やがて蝋燭の炎よりも明るく周囲を照らし始めた。

「『無限の悪夢』よ。王たる資格を試される男、スチュワートを飲み込み、その試練を与えよ」

『無限の悪夢』が静かに光を放ち、ゆっくりとスチュワートの周りを霧のように取り巻いていく。スチュワートは悲鳴を上げながらその霧を払おうとするが、無駄な努力だった。

 やがてスチュワートは血走った目でエドワードを睨み付けた。

「エドワード、余はそなたへの恨み絶対に忘れぬ!お前さえおらぬなら、お前さえおらぬなら……」

 スチュワートの開いた口からも霧が流れ込んでいく。だがもうスチュワートは霧を払おうとしない。

「余は国王でいられたのに!」

 その言葉を最後に、スチュワートは白目を剥いた。がくりと腕が落ち、体が床に崩れ落ちる。

 そのままスチュワートがピクリとも動くことはなかった。

 後に残ったのは恨みに満ちた、スチュワートの言葉の余韻のみ。

「リッツ、出てこれると思う?」

 静まりかえった中で、アンナがリッツに尋ねた。フランツもリッツを見る。

「無理だな」

 即座に返答するリッツに、アンナは黙って頷いた。

 あの男はあの世界をどう思うのだろうか……。

 考えても詮無きことだが、そう思わずにはいられない。黙ったままのアンナやリッツも同じように思っているのだろうか。

 しばし思い思いに沈黙を保っていたが、静かにその沈黙を破ったのはエドワードだった。

 エドワードは血の付いたナイフを、血にまみれた自分の服で軽く拭き取ると、リッツに無造作に返した。

「リッツ、返しとくぞ」

「ああ」

 ナイフを受け取ったリッツの目の前でエドワードは『無限の悪夢』を拾い上げて懐にしまい、やがてゆっくりと先ほどまでスチュワートが座っていた椅子に腰を下ろした。

 大きく息をついてエドワードは動きを止めた。

 そんなエドワードを、リッツが黙ったままじっと見つめている。その視線は妙に寂しげで、そして不安げだった。

 フランツにはリッツが何を考えているのか、全く判らない。

 フランツもぼんやりと床に座り込んだ。先ほど持っていた知恵の輪は、もう力を失ったように元の知恵の輪に戻っていたからポケットにねじ込んだ。小袋に入れる気力もない。

 ため息混じりに顔を覆うと、アンナの声が聞こえた。

「ねぇねぇリッツ、ラリアさんとレイブンさんのお墓作ってあげてもいいかな?」

 アンナらしい提案に、リッツが頷いた。

「そうだな。それがいい」

「あったら花を飾ってあげるの!」

「花か……あるといいな」

「リッツも手伝ってくれる?」

「勿論」

 穏やかに会話を交わす二人に、フランツは大きくため息を吐いた。このとてつもなく大変な騒動は、ようやくここに終わりを迎えたのだと、ようやく実感がわいてきた。

 それにしてもとフランツは思う。

 まさか一介のサラディオ商人の息子が、王位継承権争いの結末に巻き込まれるとは、夢にも思っていなかった。

「ところでさ」

 フランツが物思いに耽っていると、ワインのボトルに直接口を付けていたリッツがこちらを見た。

「何?」

 床に座ったままフランツは、リッツの顔を見上げる。

「あの知恵の輪、いつ手に入れたんだ?」

「<」

 必死でつい使ってしまったが、あれの出所を聞かれると非常にまずいのだ。

「そうだよねぇ。フランツあんなの持ってなかったよね?」

 訝しがる二人の顔に、フランツは思わず固まった。何と答えていいものかさっぱり見当が付かない。

 『無限の悪夢』を作ったのが実はオルフェだなんていえないし、中で出会ったアーティスがオルフェと同一人物であることは、師匠との約束もあり絶対に口に出来ない。

「何処にあったんだ、あれ?」

 リッツが完全にフランツに向き直った。これは聞き出す気だ。

「そうだよ教えてよぉ~」

 アンナも聞く気満々である。フランツは大ピンチに陥ってしまった。一体どうやってこの難を逃れよう……。

 無意識にフランツはポケットに入っている知恵の輪を探った。すると知恵の輪が入っていた小袋が何故かカサリと音を立てた。

「……?」

 リッツとアンナの視線を感じながら、フランツは知恵の輪と、小袋を取り出した。

「フランツ見せて見せて!」

 アンナにせがまれて、先ほどの感触は何なのか確認する間もなくそれをアンナに渡す。リッツもアンナの手元を覗き込んだ。

「知恵の輪だよね、どう見ても……」

 中身を取り出したアンナは、それを高々と掲げて見せた。

「知恵の輪だな」

 この知恵の輪が、先ほど彼らの危機を救ったとはフランツ自身にも信じられない。その時、布袋から一枚の紙切れが落ちた。

「なんだこれ」

 拾い上げたのはリッツだ。もしや師匠からのメッセージかと思ったフランツは慌ててリッツから取り返そうとしたが、動かない足と体ではどうにもならない。

 そんなフランツの苦労とは関係なく、リッツは紙切れを読み上げた。

「太陽の輪試作品の使い方?」

 その紙切れに書いてあったのは、以下の通りだった。

『太陽の輪試作品の使い方

 これは闇の魔法に対抗するために、開発されたものです。精霊を扱う人間なら誰でも使う事が出来ます。幽霊退治、怨霊退治等々、使い道は無限大です。


一、闇に属するものに襲われたとき、この太陽の輪を光にかざします。太陽の光があれば一番よいでしょう。無ければ炎でも光の魔法でも可です。

二、光が満ちてから、攻撃対象に向けましょう。闇の力を綺麗に吸い取ってくれます。ですが試作品なので敵がどうなるか分かりません。十分考慮して使いましょう。

 なお、この太陽の輪は試作品なので一回きりしか使えません。いざというときにのみ使いましょう。

 使い終わった後は知恵の輪として楽しく遊んでください』

「もしかしてこれって、オルフェさんのコレクション?」

 アンナの問いにフランツは無言で頷いた。貰った場所は迷宮の中でも、オルフェのコレクションであることは間違いない。

「何で運良く持ってたんだ?」

「昨日眠れなくて……ちょっと暇つぶしに……」

 多少苦しい言い訳になった。リッツはあからさまに呆れたような顔をした。

「お前、よくそんな余裕があったな~」

「まあ……ね」

 フランツは無表情に頷いた。こう誤解して貰った方がありがたい。リッツの呆れた顔とは反対に、アンナはニコニコと知恵の輪を手に取っている。

「説明書ではもうただの知恵の輪って事だよね? フランツ貰っていい?」

 一瞬口ごもってしまったが、フランツはアンナに頷いた。師匠からの餞別だが、もうただの知恵の輪なのだから問題ないだろう。

「ありがとうフランツ!」

 アンナは大喜びで知恵の輪を布袋に戻し、ポケットにしまった。おそらく退屈な馬車の旅の暇つぶしになるのだろう。

 何とか言い逃れできたことに多少ホッとした時、隣にリッツがスッと膝をついて軽くフランツをつついた。

「な、何?」

「……で、本当はあれどうしたんだ?」

「<」

 やはり欺されてくれていない。思い切り硬直してしまったフランツの肩を、リッツは軽く叩くと立ち上がった。

「まあ、言いたくないことが人間には一つや二つあるよな」

 そう言い残すとリッツは立ち上がり、再びワインのボトルに口を付ける。フランツは今度こそ安堵の深いため息をついた。

 そう言えばオルフェが言っていたではないか。『リッツ君は、私が相当な年月を生きていることに気が付いているよ』と。

 リッツが深く追求する人物では無くて、本当によかった。

 それにしてもと、フランツは思う。師匠はもしかしたら、フランツがこの二人と一緒に行けば自分で道を切り開けることを、知っていたのかもしれない。

 今後、師匠の事を調べて何が分かってくるのだろうか?

 フランツにはその疑問も残っている。リッツやアンナには当分内緒だ。アーティスは師匠だったと言えるわけもない。

 ありがたいことにアンナはあの知恵の輪を本当にただの拾い物だと思ってくれている。

 全員が黙りこくった時、玄関の扉が大勢の手によって破られた。

「陛下、ご無事ですか?」

 真っ青な顔で一番に駆け込んできたケニーが、こちらを見て言葉を失った。フランツもしみじみと全員を見回す。

 エドワードの服は何カ所も破れているし、殴られた痣やら傷から流れた血が、体のあちこちを汚している。リッツの服には明らかに刃物でやられたであろう裂け目が無数にあるし、フランツは焼けただれた足を引きずりつつ、煤まみれだ。

「あ、ケニーさんだ!」

 元気に手を振ったアンナも、焼けこげやら煤が付いて汚れている。

「い、い、一体何があったんですか陛下!!!」

 ケニーは世にも情けない顔で絶叫した。

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