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呑気な冒険者たち  作者: さかもと希夢
小さな大迷宮
45/224

<11>

「それでは始めようか」

 レイブンは奇妙なかけ声とともに、跳んだ。その素早さ、そして身のこなし、確かに彼は闇の一族だ。自分も半分同じ血を引いているから分かる。

 一瞬にして間合いを詰められたリッツだったが、それで倒されるほど甘くはない。

「食らうかよ」

 レイブンの剣を、易々と受け止める。速度でも力でも彼に秀でている自信はある。そうでなくては傭兵隊長などやっていられない。

 鍔もと同士の競り合いでリッツに分があると気付いたレイブンは、素早く身を引いた。

 彼もまた戦い慣れている。素早く間合いを広げたレイブン相手に、リッツは思案に暮れた。

「ここでも殺すなかよ」

 相手を警戒したまま、リッツは小さく呟いた。

「めんどくせえな……」

 年若い仲間には聞かせられない言葉だから、その言葉を溜息に紛れ込ませた。

 今回は一応剣を抜いている。さすがに、実力者だと分かっている相手を前に、鞘付きというわけにはいかない。

 傭兵をやっていたから、闇の一族が使うタガーとの戦いには慣れてはいる。だがそれは斬り殺すことを前提とした戦いだ。

 最初の一撃から見ても、レイブンがかなりの使い手であることは明らかだ。それをできるだけ生かして捕らえろとは、エドワードも無茶を言う。

 集中し、相手を観察する。

 タガーの刃は濡れたように黒光りしていた。この刃には毒が塗られているようだ。そうなると、相手はおそらく戦士ではなく暗殺者なのだろう。

 闇の一族の暗殺者は、傭兵として戦場で戦う戦士と比べても超一流の腕の持ち主だ。そもそもよほどの手練れで無い限り、他国へ潜入し、暗殺を行うことなどできるわけがない。

 真剣な戦いになれば、被保護者の二人を助ける余裕なんて無い。

「エド!」

「何だ?」

「そいつらを頼んだ!」

「分かった」

 エドワードがアンナとフランツの元へかけつけたのを、気配で確認しつつ、リッツはレイブンから目を離さずにいた。

 次に打って出たのも、やはりレイブンだった。身を深くかがめ、片手で剣身を支えて飛びかかっってきたのだ。

 昼なお暗き館の薄闇を切り裂くように、向かってくるその動きは相当に素早い。

 とっさにリッツは避けることをせず、その刃を目の前で受け止めた。

 思った以上に思い手応えに、リッツは軽く歯を食いしばる。だが力で押し負ける気は無い。

 ギリギリと音を立てながら、力を込めたリッツの剣がレイブンの剣の刃先を滑っていく。毒付きの刃は、数倍滑りやすい。

 生きたまま捉えろなんて、無理が過ぎる。

 身を引きつつ相手の呼吸を読み、剣を滑らせていく。徐々に滑る剣の動きに、微かに笑みを浮かべたレイブンが反応した。

 気がつくと目の前の敵は、体を柔軟に深く沈めてタガーを横薙ぎに繰り出したのだ。

 前方の手応えが突然消え、リッツは重心をずらして体勢を立て直す。そこに繰り出されたレイブンのタガーを、ぎりぎりの位置で避けた。

 レイブンは舞うように身軽にリッツの前から飛び退り、膝を折るように着地した。

 見事に洗練された、人を殺すためだけの剣捌きだ。

「お前、暗殺者(アサシン)か?」

 体制を整えつつ向き直ったリッツに、レイブンは低く答えた。

「だとしたらどうするんだ?」

「暗殺者は嫌いなんだ」

「お互い様だな、俺もお前が気に食わん」

「だろうな。憎み合うこと両思いだ」

 肩をすくめ、レイブンを見据えたまま唇を緩める。同じように、楽しそうにレイブンはリッツを見据えている。

 その瞳に、一切の笑みはない。あるのは暗い輝きを放って黒い瞳だけだ。

 お互いが同時に仕掛けた。剣と剣が合わさり、鈍い金属音をたてる。幾合も打ち合うも、互いに一歩も譲れない。

 レイブンはどうだか知らないが、リッツには守るべき者が大量にいて、こんなところで暗殺者相手に苦労している場合ではないのだ。

 リッツは、大剣で力任せにレイブンをなぎ払った。素早くレイブンは跳ぶ。お互いの距離をじりじりと縮めながら、レイブンはリッツに向かって楽しげに言った。

「お互いの力試しはお終いだ。そろそろ本気で来たらどうだ?」

 リッツはその言葉に、笑みを浮かべた。

「そうだな、そうさせてもらおう」



 一方フランツは、まだ何も仕掛けてこないラリアに悩んでいた。彼女は余裕を持って杖を弄びながら、じっと二人を観察しているのだ。

「あなた達はただの子供?」

 意図が分からないから答えられず、フランツはただ困惑する。警戒心だけは無くさずに見据えていると、赤い唇を微かに綻ばせたラリアが妖艶に目を細めてフランツを見た。

「ただの子供だったらひと思いに楽に殺してあげる……でも国王様と一緒にいるんだもの、ただの子供じゃないわね?」

 確かにただの子供言われると、少々腹立たしい。でもだからなんと答えればいいのか……。

 言葉に詰まったフランツに変わって、フランツの一歩手前に進み出たアンナが、胸を張って堂々ときっぱり答えた。

「一応だけど、精霊使いだよ」

 素直すぎるその答えに、フランツはがっくりと肩を落とした。それを言わなければ、考え得る作戦が少々変わるではないか。

 目の前のラリアは一瞬呆け、それから目を伏せた。笑っているのだ。

「あれ? 何か変なこと言った?」

 フランツとラリアの反応に、当事者のアンナはきょとんと首を傾げる。

「どうかしたの?」

「馬鹿っ! まだ精霊使いだって知られてないのに!」

「知られちゃいけないの?」

 作戦云々と言ったって、フランツにも何ができるか分からないから、問われても答えられない。仕方なく小声で文句をいう。

「それに一応はない」

「なんで?」

「僕らが未熟だって知られたくないだろ」

「どうして?」

 一から十まで手がかかる。苛々しつつもフランツは言葉が返せない。リッツだったら上手く言いくるめるだろうに、説明することまで未熟だ。

「リッツに後で聞いてくれ」

 結局全部リッツに丸投げした。だがその言葉でアンナは今までのリッツとの旅から得た教訓に気がついたらしい。納得したようにまたもや普通に大きな声で合点がいったように頷いたのだ。

「そっか! はったりも技のうちってリッツいってたね!」

ぐったりと肩の力が抜ける。吐息混じりにフランツはつぶやいた。

「アンナ……もうしゃべらないでくれ」

「? どうかした?」

 今更心配そうなアンナに、首を振る。もうこれ以上敵の前で、冗談みたいなやりとりを繰り返したくはない。

 それに一応(ヽヽ)精霊使いであり、未熟者なのは、アンナよりむしろフランツの方なのだ。どうかそのことを知られないようにと祈るしかない。

 先ほどから敵であるラリアは、フランツたちのやりとりを聞きながら、身を捩っていかにも可笑しそうに笑っている。

「ねぇ、一応っていってたけど戦えるの?」

 余裕の笑みを浮かべるラリアは、アンナを真っ直ぐに眺めて、先ほどまでスチュワートが座っていた席に腰を下ろした。そして優雅な手つきでテーブルの上のワインボトルを手に取る。

 ラリアは、一応の精霊使いなのはアンナなのだと誤解したようだった。これならフランツのはったりは、何とか効くかも知れない。

「私は弱い敵をいたぶるの好きよ。でも強ければなお楽しいわ」

 綺麗に磨かれたグラスに、ラリアは静かにワインを注ぐ。褐色の指先が醸し出す、その動作すらも色気に満ちている。

 流れるように滑らかな手つきでラリアはグラスを掲げた。色を楽しむように微かにグラスを回す。

 注がれたワインは、血のように赤い。その赤いワインをラリアは赤く艶やかな唇に流し込む。

「ん、美味しい」

 グラスを傾けるラリアに、フランツは焦りを感じていた。この余裕。かなりの使い手に違いない。

 そっとリッツの方を伺うと、フランツでは到底追いつけないような、激しい打ち合いを繰り返している。

 あの戦いをする人物のパートナーに、実力がないわけがない。

 フランツは火球を放ることしか芸のない精霊使いだ。アンナが水竜を呼ぶようには火竜を呼べない。

 しかも今アンナは水竜を呼ぶことができる水を持っていないのだ。

 何か、手はないか……。

 いつの間にか側に来ていたエドワードに肩を叩かれた。

「大丈夫か?」

「はい。まだ……」

 正直に答えると、エドワードが苦笑した。年長者で戦闘の経験者であるエドワードが来ただけで少し力が抜けた。

 それに見た目からすれば、聞いてきたエドワードの方が、よほど大丈夫ではない。アンナが癒したとはいえ、服に飛び散った血の跡や、暴行の後は痛々しい。

 ワインを味わいつつ、チーズをつまんでいたラリアは、エドワードにほほえみを浮かべた。その中には微かにエドワードを見下した雰囲気がある。

「あら国王陛下。怪我はもうよろしいんですの?」

「ああ、だいぶな」

「あらあら。無理は禁物よ」

 ラリアは再びワイングラスを傾ける。だがエドワードだって負けてはいなかった。役者さながらに穏やかでおおらかな笑みを浮かべて、ラリアを堂々と見返したのだ。

「なに、年少者の手助けは、年長者の努めさ」

「……ふうん。そう」

 それからラリアは黙って自分の相方を見た。気がそれた隙に、先ほどから黙りこくっていたアンナが、フランツとエドワードの服を引っ張った。

「フランツ、エドさん」

 小声で二人を呼んだアンナの声は、珍しく真剣だ。

「あのね、テーブルの上の水差しと、チーズの入った器取ってこれないかなぁ」

「水差しと器……?」

 ピンとこないエドワードと反対に、フランツは理解して頷いた。ラリアを警戒しつつ、なお一層声を潜める。

「あれで水竜を呼べる?」

「呼べるよ」

 フランツの言葉にエドワードは目を丸くした。

「アンナ、水竜が使えるのか?」

「はい」

「……竜使いなのか……」

 そういえばこの道中、彼女は大業を一度も使っていない。接近遭遇戦に水竜は向かなかったし、そんなに機会もなかった。

 だからエドワードはアンナが竜使いだとは夢にも思わなかったのだろう。

「呼べば来てくれますよ。友達だもん」

 アンナにとっては、当然の答えだろう。だがエドワードはそんなアンナに苦笑した。おそらくアンナのように、自分の実力を誇らず、ただ自然に精霊と触れあう精霊使いは珍しいに違いない。

 フランツだってアンナのようにはなれない。

 フランツはラリアの様子を窺った。こちらの話は聞こえていないらしいが、相方の戦いぶりを見ているようで、こちらを気にはかけているようだ。

 その上それを表面に出さないよう、銀の皿に残ったチーズを口に運んでいる。未熟者と完全に馬鹿にされているのだろう。

 それならそれで好都合だ。

 水差しを取ることは非常に難しい。でも半人前の精霊使いのフランツと、怪我人のエドワードと、一人前の精霊使いアンナの三人で一番戦力となるのは水竜しかない。

 ならば役割は、リッツやエドワードなどの経験者じゃなくても自ずと分かってくる。

「……僕がおとりになって仕掛ける」

「危ないよ!」

 思わず声を上げたアンナを制して、フランツは再び二人を見つめた。

「僕は火球しか使えない。水竜の方がいい」

「でも……」

「他に方法がない」

 言い切ると、アンナは沈黙した。

 火球よりも意志を持って攻撃する水竜の方が何倍も攻撃力がある。それに水竜は火球と違って、命令で動かすことが出来るから、どんな状況にでも対応できる。

 そのくらいは分かっているのだろう。

「エドワードさんも手伝ってください」

「分かった。君に任せよう」

 まるで温厚な教師のように、エドワードはフランツに頷いてくれた。たぶんフランツに何かあったらフォローしてくれるのだろう。

 でもアンナはまだ納得いかないらしい。

「でもフランツ……」

「アンナ、もしも僕が失敗したら僕が死ぬだけだ」

「それは嫌!」

 フランツは、助けを求めるようにエドワードをみた。フランツでは上手くアンナに説明できない。心得たようにしゃがみ込んで、エドワードはアンナの顔を見つめる。

「もしここで三人ともやられれば、一人残ったリッツも危ない。可能性があるならそれに賭けるしかないだろう?」

「でも……」

「大丈夫だ。私がついている。そんなに無茶はさせない」

 やはりエドワードは、フランツの補助をしながら助けてくれる気のようだ。

 アンナの視線が、横で激しくぶつかり合うリッツに向く。フランツもつられてそちらを見た。お互いの素早さ、力が幾度となくぶつかり合う。

 リッツの自分たちとエドワードを守ろうとする今までにないほどの気迫が伝わったのか、アンナがポツリと呟いた。

「いつもリッツばっかり大変な思いしてるもんね。だからフランツと私も頑張る時なんだね」

 ようやくアンナが納得して頷いた。

「お願いフランツ、エドさん」

「ああ」

 三人が向き直ったのをみて、ラリアは振り返った。

「長い相談だったけど、結論は出た?」

 フランツはそれに答えることなく、炎の槍を構えた。

「あらやる気ね」

「やるさ」

 言いながらも、緊張で手が震えている。こんな状況で時間を稼げるのだろうか。だがやるしかない。

 フランツの後ろで、妙なやりとりが聞こえてきた。

「サラちゃん、あの女の人に噛みついて止めるんだよ。見つからないようにね」

「きーっ!」

 アンナは一体何をやっているんだろう。だが振り返るような余裕は全くない。フランツはラリアを見つめて、神経を集中させた。

「炎の精霊よ、我に力を!」

 ざわりと自分の中の力が目覚める感覚に包まれる。旅に出てから分かった、精霊を呼び出す時の独特の感覚だ。

 研ぎ澄まされた心を形にするように、両手を前に付きだして大きく開く。そこに眩く巨大な火球が生まれる。

 熱風が生まれ、ふわりとフランツの前髪をなびかせる。

「行け火球!」

 フランツはそれを、ラリアめがけて解き放つ。炎の力は命じた術者のフランツの意のままに、火球は真っ直ぐにラリア目掛けて飛んでいく。

 確実に直撃コースだ。

 エドワードは相手が怯んだ隙を狙って切り付けるべく、レイピアを構えている。

 だが、次の瞬間思いもよらないことが起きた。

 ラリアが杖を構えて唱えたのだ。

「炎の精霊よ、その力を我に与えよ!」

「え……?」

 火球は、フランツとラリアの間で停止する。どうすることも出来ないエドワードは、険しい表情で足を止めた。

 フランツは唇を噛みしめた。予想外だった。

「炎を使うのか……」

 憎々しげに呟くエドワードに、ラリアは婉然と微笑んだ。

「闇の精霊しか使えないと思ったでしょ? 残念でした。闇の一族の上級精霊使いはね、大体二つの精霊を使いこなすのよ。お勉強になったわね」

 軽々と火球を空中に停止させたままなのに、ラリアは楽しげだ。いとも簡単にフランツの火球を止めているのだろう。

 一体どれだけの実力者だというのだろう。

 自分との実力差に、冷や汗が背中を伝った。

「一応の精霊使いが、結構大きな火球を作れるものね。楽しませてくれそうじゃない」

 ラリアはそういうと、その火球を自らの方へ引き寄せ、祈りを捧げる。

「炎の精霊よ。我に従え」

 その視線が戦っているリッツとレイブンに向けられた。少しだけだが、レイブンが押され気味だ。

「レイブン、あげるわ」

 火球はレイブンとリッツの方へまっすぐに飛んだ。気付くと同時に飛びすさった二人の間で火球が爆発を起こす。

「くそっ!」

 リッツの舌打ちが聞こえた。まさか元はこれがフランツの放ったものだとは気がつかないだろう。

「余計なことはするな、ラリア」

「あ~ら、余計だった?」

 ラリアはそんな二人に目もくれず、目線をフランツとエドワードに持っていった。

「私も炎を使うのよ。でも、レイブンに怒られたから向こうの妨害はしない」

 ラリアは胸の高さに上げた、手のひらを見つめてほほえんだ。その手の上に、炎が燃え上がっている。

「だから、あなた達を攻撃するわ。もう待つのも飽き飽きよ」

 ラリアが掲げた炎は、一層大きく燃え上がった。

「何をするつもりだ……」

 予想がつかないフランツは、ただ警戒してラリアを見ているしかない。旅に出るまで炎を操ることすらできなかったフランツには、知識も経験も無い。

 それを察したのか、ラリアはにっこり笑いながらフランツに問いかける。

「ねぇ、炎って色々出来ておもしろいのよ? 半人前のあなたがどうするのか楽しみだわ」

 半人前といわれて思わず眉があがったフランツに、エドワードが小声で語りかける。

「……挑発に乗るな、冷静にな」

「分かってます」

 ラリアは楽しげに炎の乗った手をフランツたちに向けた。

「こんなのはいかが? ゆきなさい炎の矢!」

 手のひらの炎が、鋭い矢のようになって、フランツとエドワード目掛けて飛んでくる。一瞬固まったフランツの前にエドワードが立ちふさがった。

 飛んでくる炎の矢を、剣でなぎ払う。炎は一瞬輝くと消えた。

「フランツ、考えろ! 死ぬぞ」

 エドワードに言われてフランツはハッとした。自分がやらねばならない。エドワードは精霊魔法を使えないのだ。

 そういえば先ほど、ラリアはフランツの炎を炎の力で受け止めた。火球をとばさず自分の前で壁にすることが出来れば受け止められるのではないだろうか?

「あら、矢が一つでは不満だったかしら? じゃあサービスするわ」

 ラリアが再び炎の矢を放った。今度は一本ではない。数十本いっぺんだ。

「フランツ!」

 今度はエドワードの前にフランツは立った。

「火球!」

 大きな炎の固まりが、フランツ前に現れた。フランツは作った火球を、盾として空中で制止させるべく精神を集中させた。

 だがフランツの意志と反してじわじわと前に進んでいってしまう。これではまた先ほどのような手段を取られかねない。

 それでも相手の魔法を受け止めるには十分だ。ラリアの炎の矢は、フランツの作り出した火球に阻まれてこちらにまで届かなかった。

「やるじゃないか」

 とっさの行動をエドワードが褒めた。エドワードは再びラリアを見据えている。ラリアはラリアでフランツの行動に感心したようだ。

「やるわね坊や」

 小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、ラリアは今迄よりもなお一層長い矢を彼らに向かって放った。

 まだじわりじわりと前進を進める火球にその矢は勢いよく突き刺さった。一瞬の沈黙の後、火球は大爆発を起こして消え去る。

「な……」

 呆然とするフランツに、ラリアはなお一層の蔑みを込めて微笑んだ。

「馬鹿ねぇ……炎を消すには爆発を起こして空気を抜けばいいのよ。そんなことも知らないの?」

 つまりラリアが先ほどフランツに放った炎の矢で火球に激しい爆発を起こし力を相殺したのだ。

 そんなことも出来るなんて、知らなかった。これではいくら大きな火球を放ったとて勝ち目がない。片っ端から粉砕されてしまうだろう。

 かといって小さな火球では話にならない。だがフランツには他に何の技もないのだ。

 ラリアに気づかれないようにちらりとアンナを見遣ったが、なかなか間合いがとれないらしく、まだテーブルまで至っていない。

 フランツにはもう少し時間を稼ぐ必要があった。

 でもどうやって?

 フランツにある他の武器といえば、炎の槍くらいのものだ。これで直接戦いを挑むしかないのか……。

 だが考えている暇はなかった。ラリアが、微笑みながら、手のひらの中で大きな火球を作り始めたのだ。

「さっきの矢はね、こんな事も出来るのよ。サービスで見せてあげるわ」

 ラリアは、手のひらの炎を小さな無数の火球にして彼らの方へ放った。直径数センチの火球は、彼らの方へまっしぐらに飛んでくる。

 とっさにフランツは再び火球を作って防いだ。

「また同じ技?」

 妖艶に微笑んだラリアにはその後の成り行きが分かっていたようだった。フランツの火球にラリアの小さな火球が着弾すると、とたんに大きな爆発を起こした。

 大半の火球はフランツの火球と共に消滅したが、幾つかはその爆発をくぐり抜け、フランツとエドワードの方に届いた。

 一瞬のことに、フランツは動けない。だが隣でその火球にエドワードが挑むのが見えた。

 小さい火球なのに、驚くほど大きな爆発を引き起こす。しかもそれは一つではない。

 どうする。どうしよう……。

 焦っていると、目の前が突然赤く染まった。火球がフランツの足に命中したのだ。焼けるような痛みと熱さに、フランツは思わず悲鳴を上げていた。

「うわああああ!」

「フランツ!」

 隣のエドワードが駆けつけてくれたが、防戦一方で何も出来ない状態だ。容赦なく次々に火球が二人を襲う。

 このままではやられてしまう。どうしよう。フランツも死にたくないけれど、エドワードを死なせてしまったら、内戦になってしまう。

 戦争が起こる……このユリスラに。

 それだけは避けたい。そう思った時だった。

「フランツ!」

 アンナがテーブルの向こうから声を上げたのだ。フランツが囮になるはずなのに、アンナは声を上げ、囮になってくれているのだ。

 案の定、思いも寄らない方向からの声に、ラリアが慌てて振り返る。

「しまった!」

 フランツの炎を消したエドワードが、短く呻く。だが慌ててアンナの方へ向かおうとしたが、遅い。それよりもラリアがアンナに向かって、先ほどと同じ炎を投げつけたのだ。

「アンナ!」

 エドワードの叫びに、アンナが反射的に風の矢を放った。風がアンナを守るヴェールになる。ほんの一瞬しか持たないが、こんな時には効果がある。

 ホッとしたフランツの前で、炎はアンナをかすめて後ろの壁に激突した。爆発音と炎が燃え上がる。

「あら、またあなた?」

「あなたじゃない、アンナ!」

 アンナは緊張した面もちでラリアを見つめている。当然アンナはフランツを庇うつもりなのだろう。

 フランツは、自分が情けなくなった。痛みに脈打つ足に、苛立つ。

 もうすぐ、目と鼻の先にテーブルがあるのに、敵の目をこちらに向けさせなくてはならないのに、なのに火傷で動けないなんて情けない。

 唇を噛んで俯くと、誰かが火傷に触れた。見るとエドワードが手早く火傷に薬草を挟んで包帯を巻いてくれている。

「エドワードさん……?」

「私は精霊を使えない。少しでも君が動ける方がいいだろう?」

「……ありがとうございます」

「これでいい。総てが終わってから、アンナに癒して貰いなさい」

「はい」

 そうだった。少しでもいい、何か出来ることをしなくては。

 フランツは顔を上げた。ラリアとアンナが向き合っている姿が目に入ってくる。

「私はね、裏で動くのは好きだけど、動かれるのは嫌いなの」

「私はどっちも嫌い! 正々堂々していないもの!」

 きっぱりと言い切ったアンナに、ラリアの眉はぴくりと引きつった。かなり苛立っているようだ。もしかしたらアンナはラリアの天敵かも知れない。

「生意気よ、あなた。最初に会った時もあなただけ私が奇妙だって気が付いてたわね?」

「だって変だったもんあの格好」

「……随分はっきり物を言うのね」

「だって、嘘付くのはいけないことだもの」

 何を子供の言い合いを……と思ったが、アンナとふと目があった。その瞬間にホッとしたように微笑まれて理解した。

 アンナはフランツのために、時間を稼いでくれたのだ。

 こんな時だけ大人で、年上で普段なら腹も立つけれど……でも今はありがたい。

 やがてアンナのかたくななまでの態度に、ラリアが眉を寄せて怒鳴った。

「小生意気なガキね!」

 アンナも真っ直ぐにラリアを見つめ返す。

「ガキじゃないよ、アンナ!」

「目障りだわ消えて!」

 アンナの風の防御陣が消えた。ラリアはこのタイミングを計っていたのだ。

「アンナ!」

 叫びながら、フランツは火球を作り出す。これで気をそらせないかと思ったのだ。

 だがもう遅い。フランツの目の前で、フランツとは比べものにならないほど大きな火球を手にしたラリアが、ゆらりと立ち上がったのだ。

 これは避けようがない。

「アンナ!」

「これでさよならね!」

 フランツとエドワードの叫びと、ラリアが余裕の笑みを浮かべたのはほぼ同時だった。

 もう駄目かとフランツは奥歯を噛みしめた。

 その時、まさに予想外の事態が起こった。突然ラリアが叫び声を上げたのだ。

「きゃぁぁぁぁぁ!」

 ラリアの手にあった火球は、アンナの遙か横を火球が通り過ぎていき、階段を粉砕した。

「痛い! 何よ、これ?」

 先ほどとは打って変わって、ラリアは慌てふためいている。彼女の足には小さな炎がぶら下がっていて、放されないように必死でラリアの足に小さな手で掴まり、噛み付いていたのだ。

 それはサラマンダーのサラだった。

「サラちゃん!」

 アンナが嬉しそうに破顔した。フランツは先ほど背中越しに聞いた謎の会話を思い出す。そういえば『あの女の人に噛みついて止めるんだよ』とアンナはサラに命じたのだ。

 そしてサラを放った本人すら忘れた頃に、目的の人物の足下にたどり着いたサラは、何の状況把握もせずに、とりあえず命じられた行動を実行した。

 ……つまり絶妙のタイミングで、ラリアの足に噛み付いたのである。

「……なんてタイミングがいい……」

 小さく呟く。だが呆けている場合じゃない。フランツは手に火球を作り、アンナに向かって怒鳴った。

「アンナ今だ!」

 我に返ったように、アンナはきびすを返した。テーブルに向かって突っ走る。

「痛たたたた……何をするつもりなの?」

 サラを足からはがせないラリアが、足にサラを付けたまま叫んだ。サラだって放されないように必死だ。そこにフランツは火球を放る。

「いけ、火球!」

 迫った火球に、足を封じられたラリアが悲鳴を上げ、小さな火球でそれを打ち消す。だが火球はかなり近づいていたため、ラリアは全身に火の粉を浴びて痛みと熱さにわめく。

 それでもサラはまだ離れない。サラは元々炎が好きだ。熱さなど関係ない。フランツはここぞとばかりに幾度も火球をラリアに投げつける。

 サラが足を封じてくれている間に、できる限りダメージを与えなければならないことは明白だ。

 彼女が完全復帰したら、フランツはまるで歯が立たない。

「忌々しい! 放しなさい!」

 大量に浴びた炎に、ラリアの髪が焼け焦げている。自慢の顔も煤けていた。

 やがてラリアは今までのヒントは無情の激しい叫び声を上げて、サラに掴みかかった。サラは炎そのものだ。それを掴むなど、考えられない。

 絶叫しながらラリアは、更に空いていた方の足で、サラを蹴り飛ばした。

「きーっ!」

 蹴られたサラは床にゴロゴロと転がった。手と足を使い、ようやくサラを外すことにラリアは成功したのだ。

 解放されたラリアの足は、火傷によって赤く腫れ上がっていた。纏っていた網タイツのような物はサラが噛み付いていたところを中心に、溶けて肌に張り付いている。

 いや、あれは……肌ごと剥けているのだ……。

 今更ながらに賊が責めてきた後のリッツの言葉を思い出す。

『俺の剣、お前の炎、アンナの水竜。どれも人を殺傷する能力を持っている。だが、正しく使うことで命を守ることが出来る』

 そうだ。正しく使わねばならない。フランツは決意を持って顔を上げた。その視線の先にはラリアがいる。

 髪は火の粉と炎に焼かれて、あちこちから煙が上がっている。顔も身体も火傷だらけで、先ほどの余裕ある姿とは正反対にあまりに無残だ。

 黙ったまま炎の槍を構えると、ラリアの強い視線がアンナを捕らえていた。

「……許さないわよ……」

 ラリアが、怒りの炎を燃やしつつ振り返った時には、すでにアンナはテーブルに辿り着き、水差しと銀の器を手にしていた。

 二つを手にしながら後ずさったがアンナだが、すでにもうそんな行動はラリアにとって、もう何も意味がないらしい。

 すでにラリアには冷静さが一欠片もなかった。ただ怒りだけが彼女を取り巻いている。

「絶対に許さないわ……」

 ラリアは、杖を掲げた。今迄とは明らかに違う。

 彼女の全身を燃え上がった真っ赤な炎が包み込んで燃え上がった。その炎は、まるで彼女の怒りそのもののように鮮やかに紅い。

「これは……いったい……」

 呟いたフランツに、水差しと皿を抱えたアンナが、苦しげに答えた。

「暴走しかかってるよ……」

 フランツは目を見開いた。それがどれだけ恐ろしいことなのかは、フランツ自身が暴走した経験から知っているからだ。

 思わず助けを求めるように、フランツとアンナは戦い続けるリッツに目をやった。



 一方のリッツは肩で息を付いていた。相手も同じで汗をじっとりとかいている。もう何合打ち合っただろうか?

 なんとかここまで毒の刃を受けずには来ている。お互いの服はすでに斬り合いにより傷だらけになっているのだが、体にまで届いていないのは幸いだ。だがこちらも致命傷を与えられない。

 何とか意識を失わせて王都に連行したいが、この男が大人しく捕まってくれるか疑問だ。

 お互いにじりじりとした苛立ちが募っていた。

「……そろそろ観念したらどうだ」

 リッツがそう言いながら、大剣を薙いだ。体をしならせてレイブンは避けた。その動きはまるでしなやかな野生の獣を思わせる。

「そちらがな」

 柔らかく動くその腕で、同時にリッツへ正面から切り込んできたが、それを素早く剣の根本で受け止めて防ぐ。

 剣の重みだけが腕を伝わった。

「くそっ、きりがないぜ」

 リッツの呟きは、そのままレイブンの感情でもあるだろう。

 リッツはなんとかして半月を描くレイブンの剣の刃のない内側に大剣をたたき込み、剣を落とさせようと画策していた。

 だがそんなことレイブン百も承知だろう。彼は捕まるつもりも負ける気もさらさらないはずだ。

 このままお互いに動かなければ進展がない。何か手は無いだろうか。

 再び動いたのは、リッツだった。大剣を構えたまま、レイブンに垂直に突っ込む。刃はギリギリと音を立てて押し合った。力では勝るリッツだから、こういう力のぶつかり合いになると多少は有利だ。

 だが、レイブンには武器の軽さ故のスピードがある。このままではまた同じ事の繰り返しだ。

 そう思った瞬間今迄と違う変化が起きた。

 女の絶叫が聞こえたのだ。

「……何?」

 レイブンの気が一瞬それた。本人すらも気が付かないほどの、その一瞬が勝負を決めた。最初で最後のチャンスを、逃すリッツではなかった。

 合わせていた剣を刃の表面を辿るように滑らせ、一気に半月の内側……刃のない方に剣を差し込んだのだ。レイブンが気が付いたときには遅い。リッツはレイブンの真横に立っていた。

「しまった!」

 レイブンが舌打ちをすると同時に、リッツは刃の曲線をなぞるように、大剣で一気に斬り下げた。

 物が落ちるどさりという重い音と、金属が落ちる鋭い音がした。

 それと同時に、吹き出すように激しく血飛沫が舞う……。

 レイブンの右手、肘から先が床に転がって、剣と共に血だまりの中にあった。その腕は未だに斬られたことを知らぬかのように、剣を握りしめたままだった。

「勝負あったな」

 のど元に大剣を突きつけてリッツが呟く。

「……そのようだな」

 あふれ出る鮮血に体中を染めながら、レイブンは低く嗤った。

「……何がおかしい?」

 訝しげに尋ねるリッツに、レイブンは可笑しくてたまらぬかのように嗤い続けた。

「確かにお前は俺には勝った。だがこの戦い全体では負けている」

「何?」

 だが聞き返すリッツに、レイブンは答えなかった。その代わりに唇から真っ赤な鮮血を滴らせる。

「貴様、毒か?」

 吐き出させようと掴みかかったリッツをはね除け、レイブンはせせら笑った。彼にはこの後の展開が見えているようだった。

「生き恥を晒すのは趣味ではない。殺さぬよう気に掛けてくれたお前には悪いがな」

 リッツは舌打ちした。どうやら暗殺者は最初から任務にしくじれば死を選ぶように定められているらしい。

「ラリア、任せたぞ」

 レイブンは一歩下がった後、大量に喀血して昏倒し、息絶えた。

 男の末路をじっと見つめ、完全に死に絶えたことを確認してからリッツは顔を上げた。

「終わったか?」

 呟きつつフランツとアンナの方を見たリッツは、レイブンの楽しげな表情と、勝利を確信していた言葉の意味を悟った。

 ラリアが、大きな炎の固まりの中にいたのだ。そしてその炎を取り巻く渦は、真っ黒な漆黒の闇がそこにはあった。

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