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呑気な冒険者たち  作者: さかもと希夢
小さな大迷宮
44/224

<10>

熱さにも似た激しい痛みで意識を取り戻したエドワードは、両手共に手枷が嵌められていることに気がついた。ラリアの闇の魔法で意識を失ってから、先ほどスチュワートが望んだ通りに壁に磔にされたのだろう。 

「いい様だなエドワード」

 かすれつつも機嫌のいい声に顔を上げると、スチュワートが、真っ赤な液体に満たされたワイングラスを傾けていた。

 テーブルにはチーズの盛り合わせが、美しく盛られた銀の皿と、赤ワインのボトルがある。共に置かれていたのは水差しと果物籠だ。

 屋敷の使用人に運ばせたのか、ここに居る二人に運ばせたのか知らないが、意識のないエドワードを肴に自らの満足感に酔っているようだ。

 彼の前に一度たりとも屈したことのないエドワードの、生殺与奪の権利を握っていることがこの上ない喜びなのだろう。

 おそらく彼はエドワードが命乞いするところを見たいと考えているだろうが、その願いに答えてやるほど自分はお人好しではない。

 例え命を落とすことになったとしても、国王の誇りを失うことだけは決してない。内戦で死んでいった者たちのためにも、いかなる状況になっても胸を張らねばならないのだ。

 だが身体は随分とだるい。年を取ったのだなと自嘲してしまう。それでもエドワードは逸らすことなくスチュワートを真っ直ぐに見つめ返す。

 ここは先ほどの玄関ホールだ。

 スチュワートは倒れ伏したエドワードを近くの壁に磔にし、わざわざレイブンに運ばせたテーブルと椅子をエドワードの前に置かせてこの拷問の時間を楽しんでいるのだ。

 エドワードの目には、このスチュワートの姿と、足下の派手な模様の赤い絨毯しか見えない。あの二人の闇の一族は、どこに行ったのだろう。

 それにどれぐらいの時間が経過したのだろう。それが分からないことが、微かに不安だ。意識を失ってからかなりの時間が経ったとしたら、リッツたちが戻ってきてもいいはずだ。

 視線を素早く配るも、リッツたちがこの部屋に運び込まれた様子はない。

 スチュワートはエドワードの前でリッツたちを殺すと言ったのだから、ここにいないならまだあの地下室で生きているだろう。

 やはり無茶をしてでも出てきて良かった。おそらく彼らの時間稼ぎにはなっただろう。

「聞いているのか、エドワード!」

 不意に怒鳴られ、自らの思考から抜け出す。目の前を見ると、兄のすっかり白髪と化した眉毛が苛立ちからか引きつるように震えている。

「ああ、兄上か。悪いな。聞いていなかった」

 苛立ちを煽るように、わざとおおらかに答えると、スチュワートの両目が見開かれた。

「き、貴様!」

「何をお怒りかな、兄上?」

「お、おま、お前!」

「ああ。話を聞いていなかったことですか?」

 先ほどからスチュワートはエドワードの顔から消えない笑みを消すために、様々な暴力や暴言を吐いていた。

 当然聞く気も無いエドワードはそれを意識の外に置いて考え事をしていたのだ。

 そもそも単純な挑発に乗るようなエドワードではない。

「愚弄しおって!」

 スチュワートはワイングラスをテーブルに叩き付けた。溢れるワインがグラスからこぼれ落ち、血のように赤いシミが広がってゆく。

「余を……馬鹿にすることは赦されないのだぞ!」

 スチュワートは酒に酔い、ふらつく足で立ち上がった。視線を逸らすこともせずに見据えていると、抵抗できないエドワードの前で、そのやせ衰えた拳を振り上げる。

「下賤な生まれのお前なぞに、余を笑う権利など無いわ!」

 力のない老人とはいえ、一切の抵抗が出来ないエドワードを傷つけることは十分可能だ。

 横面に叩き付けられた拳に、口内がが切れて、鉄くさい血の味が溢れる。だがエドワードは全く動じず、口に溜まった血を床に吐き出した。

 何故か殴った方のスチュワートが呻き声を上げて拳を握り、よろめきながら再び椅子に倒れ込むように座った。

 殴る方が手を痛めているのでは、どうしようもない。小さく笑うと、今度はスチュワートは暴言を吐き始めた。

「あの『無限の悪夢』に囚われておる仲間は、永遠に戻らんだろうな。心細いであろう?」

 昔から人を苦しめる言葉を選び取ることが得意な男だ。懐かしい憎しみに、エドワードは小さく息をつく。これだけの時間が経っても、本質は全く変わらないのか。

 更にエドワードを苦しめんと、スチュワートは言葉を重ねる。

「彼らは王族でもないのだぞ? お前に巻き込まれたせいで命を落とすやもしれん。心細かろう? 不安だろう? どうだ? 辛いであろうう?」

「心細くはないさ」

 エドワードは、あの三人組の運の良さを信じている。リッツ一人なら何かと気に掛かるが、何となくアンナとフランツがいれば、彼は死ねない気がすのである。

「彼らは出てくる。兄上には残念だが、これだけは確かだ」

 エドワードは兄に向かって、自信ありげに笑って見せた。死ぬ覚悟もできているし、今後の憂いも残さず王都を出てきた。今更何を言われても気にもならない。

 スチュワートは腹立たしげに舌打ちした。

 スチュワートの視線が自分から盛り合わせられたチーズへ移ったのを確認してから、エドワードは微かに痛みを逃すための息を吐く。

 本当は笑っていられる状況にはない。身体はかなり限界に近い状態にあるだろう。足は床に着いているが戒められており、動くことは出来ない。

 両腕は壁に取り付けられた鎖によって上に上げられたまま繋がれている。もう感覚すらも鈍ってきた。

 兄が言うじわじわと殺していくというのは、あながち嘘ではないらしい。

「お前が悪いんだ、エドワード。お前が余やリチャードを差し置いて王にならずば、お前には公爵の位をくれて生かしてやれたのに」

 スチュワートはそう独り言のように呟くと、チーズを銀のピックに突き刺し、それからワインを口に運んだ。

 澱んだように憎しみのみを表すその目には、生者の輝きがみじんとも感じられなかった。

「お前の母が悪いのだ。貴族でもないのに父君の寵愛を受けるなど、赦されることではない……」

 繰り言のような言葉は、内戦当時、幾度も貴族たちに掛けられた言葉だった。エドワードはそれに慣れている。

 元々エドワードは側室の子供として生を受けた。当時王位継承者を片端から毒殺していたもう一人の側室に見つからぬよう、その出生すら王族の別荘で極秘に進められたのだ。

 その後母と一月も共に過ごせず、母の親友の家であるセロシア家へと預けられ、自分も正体を知らぬまま、そこの息子として育てられたのである。

 この家に後に生まれたのがシャスタ・セロシアであり、現宰相である。この時点でエドワードは、もっとも王位から遠いところにいるはずであった。

 だが実際に王位に就いたのは、正室の子ではなく、エドワードだった。

 自分が国王の血を引いていると知ったのは、十二の年だった。その頃はまだ前国王が生きており、国は安定していたから、王位を望むなど考えたことはなかった。

 だが国王が意識を無くして寝たきりとなり、国が乱れ始めた。その混乱でエドワードの母がもう一人の側室に暗殺され、暗殺者たる彼女は王妃を名乗った。後に国王も同じように、その女に毒殺された。

 その女の子供がスチュワートと、内乱で命を落としたリチャードであったのだ。

 そのため内乱の末、幽閉されたスチュワートにとってエドワードは、全ての元凶なのである。

「……兄上、話しておきたいことがある」

 苦しい呼吸の中からエドワードがスチュワートにそう切り出した。

「降ろせという話しなら聞かぬ」

「違う。兄上が国王になれなかった理由だ」

 エドワードの挑発的な言葉に、スチュワートは不快な顔でワイングラスから目を上げた。

「お前のせいだろう、エドワード。お前が内戦など起こすからだ」

 磔にされたまま、エドワードは微かに笑い声をあげた。

「兄上は、国王になるべき人ではなかった。だから国民は俺に付いてきた。意味は分かるか兄上」

 スチュワートは目を剥いた。心の底から怒りがこみ上げてきたようだ。

「分からぬ! わかりとうないわ!」

 スチュワートは怒り狂ってワイングラスをエドワードに向かって投げつけた。避けようもなくグラスはエドワードの顔に当たって砕ける。

 ワインの甘い香りに混じって、金臭い血の匂いがエドワードの鼻に届いた。髪を振り乱すスチュワートに、威厳や高貴さは全く存在しなかった。

 国王の座を追われても、平民になりきれず、王族の立場にしがみつくもすでに当時の輝きの欠片一つも持ち合わせていない。

 血が繋がった兄だというのに、愚かだ。いやそれを通り越して、あまりの無知が哀れだ。

「何故だ、何故お前はそんな姿になってもそのように自信に満ちておるのだ! もうすぐ死ぬというのに!」

 エドワードの落ち着きが、スチュワートの心を激しく乱している。追いつめられていく兄を前に、エドワードは言葉を紡ぎ続けた。

「それは、人々を背負っているからだろうな……」

「背負う?」

「そうだ。民の絶望、希望、生活、それを全て背負うからこそ、自信を持つことができる」

 理解して貰おうとは思っていない。ただ、自らの考えをスチュワートにぶつけてやりたい……その一心であった。

 本当はこの男に何を言っても無駄だということを理解している。だが、この愚かで自己中心的で、そして哀れな男に言わずにはおれない。

「兄上は民を知らなすぎた。知ろうとしなかった」

「所詮、下賤の者の考えなど知る気もないわ!」 

「下賤なものだと?」

「そうだ。所詮、余の考えは民などに理解なぞ出来ん。お前などのどこが正しいのだ? 正統なのは余ぞ。何故余を敬わん?」

 視線を彷徨わせながら満足げにそう言ったスチュワートに、ため息をつくしかない。

「国王は民を守るために存在している。兄上はそれを知るべきだ。民を虐げるためにのみ存在しているものは、滅びるが定めだ」

「愚かしい……王を守るために国民がおるのだ。それが国というものだろう!」

 昔のように胸を張り、そのやせ衰えた身体でスチュワートは宣言した。

 やはり彼は何も変わらなかった。三十五年もの時間の中でも、何も。

 スチュワートは王宮の外を知らな過ぎた。それは彼の責任ではないかもしれない。生まれてからずっと彼の世界は彼中心に回り続け、他人はいつも彼を敬い、忠実に従った。

 自分のために他人が存在することが当たり前になっているのだ。彼に反抗する者はこの世界にいてはならない。それが彼の考えてきたこの国のありようなのである。

 だが、母は違えど血の繋がった弟一人、自分に従えることが出来ない。そのジレンマが彼を苦しめている。

 せめてエドワードは、彼の頭の中にある理想の国を粉々に砕き、現実を突きつけたかった。だがリッツが言っていた通り、それこそ無謀なことだろう。

「王宮で育った兄上には理解出来んかもしれない。だが俺はよく知っている。だからこそ兄上を国王にしないために内乱を起こした」

「黙れエドワード!」

 だがエドワードは黙らなかった。

「兄上は権力という大樹にしがみつく、小さな寄生虫だ」

「なっ……」

「吸い上げるだけ吸い上げた後、民に何が残る? 憎しみや争いだけではないか。けっして尊敬は得られん」

 エドワードは真っ直ぐに兄だった男を見据えた。スチュワートは立ち上がり、よろりと一歩下がった。

 何故勝てないのか、何故側室の子に勝つことができないのか……そう彼の顔にははっきりと書かれている。

「兄上……」

「黙れ!」

「あなたはもうこの国に必要ない男だ」

「黙れ黙れ、盗人! お前が王座を盗まねば余が王だったのだ! 誰にも文句はいわさん!」

 叫びだしたスチュワートに、エドワードは怒鳴った。

「まだ自らの夢の中においでか兄上!」

 スチュワートは体中を小刻みに振るわせながら、奇声を発し、まるで凍り付いたように引きつった顔でエドワードを殴りつけた。

「何故余を見る!」

 だがエドワードはすぐに顔を上げてスチュワートを見つめる。

「何故余を見るのか!」

 自分の権力や力が及ばないことを理解したスチュワートは、磔にされた動けない相手を恐れて、何度も殴り付けながら、大声で助けを呼んだ。

「レイブン、レイブン! こいつを、この失礼な男を殺してしまえ!」

 金切り声をあげるスチュワートをエドワードはカッと睨みつけた。

「兄上は、自分では何も出来ないのだな」

「な、なんだと!」

 奇妙に裏返った声でスチュワートは反論したが、それをエドワードは聞き入れなかった。

 真っ直ぐにスチュワートの目を見つめ返し、罪人に判決を下す如きの口調で、兄に断言した。

「それが民があんたを王に選ばなかった、一番の理由だ!」

「いうなぁぁぁぁ!」

 エドワードを殴り続けるスチュワートの前に、レイブンが現れた。手には例の剣を持っている。今度という今度は、絶体絶命だ。

 エドワードは覚悟を決めた。兄ももう彼を生かしておく意志が全くないようだ。

 エドワードに残された時間は、本当に残り少なくなっているが、リッツたちはまだ迷宮から現れない。一夕一朝に試練を乗り越えることは出来ないのだろう。

 こんなところで命を落とすとは、情けない気がする。せめてリッツとシャスタにもう一度会えたらよかったと、心の中で呟いた。

 特にリッツ。まだ再会して間も無い。話したいことは沢山あった。

 彼にとってリッツは、唯一心を許し合えた友だった。内戦の前、内戦の後の血塗られた道を歩むエドワードの隣を共に歩いてくれた、かけがえのない友なのだ。

 たとえ音信が三十年以上なくても……。

「さあ、陛下そろそろお別れです。言い残すことはありますかな」

 目の前のレイブンはそう冷静に言いながら、剣を抜いた。褐色の肌、切れ長の黒い瞳をしている。闇の一族の特徴だ。

 そういえば友の半分も、この闇の血が流れているんだったなと、ふと思う。

 それにしても、武勇でも名を馳せた自分が、何の抵抗も出来ずに斬られるとは全くもって情けない。

 不意に言葉が口をついて出た。

「私の仲間たちはどうしたかな?」

 レイブンが愉快そうに笑った。

「そちらの陛下が、あなたと二人きりになりたくないそうでね。残念ながら始末していない。あなたを殺したら、即刻処分しますよ」

「……そうか。それなら私も、相棒と一緒にその穴に放り込んでくれ」

「ふふ。本当に陛下は、ご自分の相方を大切に思っているようですな」

「ああ。あれは私の半身なのでな」

 内戦時、お互いを相棒として共に戦った。エドワードにとってリッツという存在は本当にかけがえがないものだった。

 リッツはおそらく、そんなエドワードの気持ちなど知らないだろう。何せ三十五年間一度も手紙の返事すらも寄越さない、筋金入りの不精者なのだから。

「他に何かございますかな?」

 生きることに名残はあるが、後悔はない。総て自分で選んだ道だ。

 だからことさら明るく、笑ってみせる。

「そういえばまだ終わらせていない書類が、王都の執務室にあった。あれをやりたいのだがな」

 その言葉に、レイブンは切れ長の目を新月のように細め、口の端を片側だけ器用につり上げて小さくと嗤った。

「まだ生きているつもりですかな、陛下」

「願わくばな……」

 エドワードは小さく息をついた。これで本当にお終いだ。人生の幕は、自分が思うよりあっけなく、唐突に閉じるものだ。

「ほぉ、なかなか潔いことだ。さすが国王になられた方だ」

 レイブンがそういいつつ、剣を構えた。

 じわりじわりと剣を片手に近づいていく。そのレイブンの表情には、弱者をいたぶる快感がありありと表れていた。

 この国の一番の権力者を、自らの手で消す。この男にとってのこれ以上の喜びはないのだろう。

 その瞬間だった。

「ちょっとまったぁ!」

 エドワートの目の前を、燭台が飛んでいった。続いて炎の球が目の前をかすめる。レイブンが素早くその場を飛び退った。

「な、何だと!」

 そのとたんにエドワードの目の前に、大剣を背負った大きな背中が立ちふさがった。紛れもなく、友リッツだった。

 リッツはレイブンと自分の間にたち、楽しげにレイブンに呼びかけた。

「楽しそうなことしてんじゃねえか。メインイベントに呼ばれねえなんて、全く不本意だぜ。俺も混ぜろよな!」

 その存在感に安堵の吐息を着くと、額に誰がの手が触れた。その手は冷たく青い光を放つ。

「すぐ治しますからね!」

 アンナだった。アンナは真摯な顔でエドワードの傷を癒している。

 そしてリッツの一歩後ろには、槍を構えて、レイブンに炎の球を繰り出すフランツの姿があった。

「何故だ……」

 スチュワートが驚愕のあまりか裏返ったような声で呻いた。『無限の悪夢』に閉じこめたはずの人間が唐突に現れれば、驚くに決まっている。

 だがエドワードは彼らがここに来ると信じていた。血の気まで引いたスチュワートに向かって笑いかける。

「兄上、言いませんでしたか? 彼らは必ず出てくると」

「馬鹿な!」

 狼狽えるスチュワートを一瞥すると、リッツが振り返ってこちらを見た。一瞬眉を寄せ顔をしかめた後、ゆっくりとエドワードの肩に両手を乗せ、深い安堵の吐息を吐き出した。

 このあまりのタイミングの良さに、顔をほころばせる。

「間に合ったな、リッツ」

「ギリギリだったみてぇだけどな」 

 だがホッとすると文句の一つも言いたくなるのが、人という生き物だろう。リッツは昔のように、距離も取らずに顔面を寄せ、至近距離から真っ正面にエドワードに怒鳴った。

「お前な! こんな目に会うのを分かってて、どうして一人で行くとか言うんだよ!」

 リッツは怒ったような顔でじっとエドワードを見つめる。その顔は怒っているのではなく心底心配している顔だ。

 そのくらい長年のつき合いでよく分かっている。たぶん人目がなかったら、昔のように『心配させるんじゃねえよ、馬鹿っ!』と子供のようにむくれそうな勢いだ。

 成長したと思っていたのに、リッツは全く変わっていない。そんなことに安堵して、エドワードはリッツに笑いかけた。

「文句は後で聞く。俺をここから外してくれ」

「おう」

 顔をしかめたままリッツは大剣を抜き、壁に掛かった鎖を力任せに突いて破壊した。

 四つの鎖全てを断ち切ると、ようやくエドワードの体が自由になる。だが身体がいうことを利いてくれず、エドワードは、壁にもたれてずるずると座り込んだ。

 かなり体力を費やしてしまったようだ。足がおぼつかない。

 リッツはそんなエドワードを背に庇うように、前を向いた。リッツの視線の先には二人の男がいる。スチュワートとレイブンだ。

「……おい、あれ誰だ?」

 リッツが指さしたのは、タガーを構えたまま呆然としているレイブンだった。

「この館の執事だ」

「嘘こけ、じいさんだったじゃんか!」

「嘘じゃない。闇の一族だ」

 リッツはレイブンを見つめた。見覚えのあるタガーに気が付いたようだ。

「あの賊のリーダー格もこいつか!」

「当たりだ」

 リッツはゆっくりと大剣を構え、二人の男に対峙した。急に増えた敵に、呆然としているスチュワートに、また再び動揺が走る。

 そんな緊迫感で張り詰めたホールで、アンナが突然によく通るはっきりとした声で尋ねた。

「元王太子さまはどっち?」

 アンナの問いにもちろん本人は答えない。

 するとフランツはスチュワートを指さした。まさか見せ物のように指を指されるとは思っても見なかったスチュワートは、あまりのことに絶句している。

「こっちは執事だったんだからあっちだ」

 しかも元王太子を『あっち』扱いだ。聞いているエドワードはおかしくなった。エドワードの追求よりもこの方が効くに違いない。

 アンナは頷くと、真っ直ぐな瞳でスチュワートを睨みつけた。

「何で王太子さまだったのに悪い事するの? 戦争になったら沢山の人が死んじゃって、沢山の人が困るんだよ! それって絶対に悪いことなんだから!」

 一瞬気を呑まれたスチュワートだったが、怒りに震えながら喚くようにアンナに答えた。

「何を言うのだ! そこにいるエドワードが内戦を引き起こした張本人ではないか!」

 アンナは黙ってエドワードを振り返った。素直なアンナの顔には、信じられないと書いてある。

「本当に?」

 恐る恐る尋ねるアンナに、静かに頷き返す。

「本当だ」

「そんな……」

 言葉を失うアンナに,微笑みながら説明する。

「その男が王になっていれば、この国は乱れ沢山の死者が出ていただろう。やむを得ず起こした戦争だった。今は無理だろうが、いつかは分かって貰えるはずだ」

 しばし押し黙ったアンナだったが、やがて顔を上げた。

「戦争起こすって悪いことだし、私馬鹿だから分かんないよ。でも……」

 アンナは再びスチュワートを見つめた。

「私ね、迷宮の中で見たの。悪い王様が国を治めていたら、みんなが苦しんで大変だったよ。だからエドさんが王様なら、その方がみんな幸せだと思う」

 アンナはそういうと、静かにエドワードに近づいた。あの迷宮で彼女は何を見たのだろう。それは分からない。

 だが今のアンナはエドワードが国王になろうとしたわけを、何となくだが理解してくれているようだ。

「動けない人をいじめる人って、もの凄く悪い人だと思うの。そういうこと出来る人が王様になったら、絶対いけないと思う」

 そう言うと、アンナはエドワードの横に座り、手をかざした。煌めく水の冷たさが、じわじわと暖かさに変わっていく。

「水の精霊よ、この傷を癒したまえ」

 どこか決意に満ちた顔でアンナはエドワードの傷を治している。その真っ直ぐな瞳にエドワードは微笑んでいた。

 きっとこの子の存在は、一緒にいるリッツを変える。リッツに決定的に欠けているものをこの子は持っている。

 だからきっと、いつかきちんと総てを話すことになるだろう。それは自分の役目ではなく、保護者であるリッツの仕事かもしれない。

 いつかそこにある真実を知っても尚、この瞳が曇らねば、保護者であるリッツを照らす光になり得るのかもしれない。

 リッツと同じように、自分より長い寿命を持つ彼女だから。

「アンナ。後で色々話してやるよ。な?」

 エドワードのそんな気持ちを知るはずもないリッツが、アンナにそういっている。

 何故だかそれだけ納得したらしく、アンナはリッツの言葉に頷くと、笑顔を浮かべてエドワードから離れた。

 傷はほとんど消えているし、体力は十分とはいえないまでも回復している。これならエドワードも戦えそうだ。

 横で何も言わず押し黙っていたフランツが、ため息を一つ吐いた。彼もアンナと同じく、知る権利がある。

 リッツは理解しているだろうか、それが仲間というものだ。

 だがそれにはまず、ここを生き延びることが最重要課題だ。

「フランツ、そのレイピアを貸してくれないか?」

 エドワードの武器は、奪われていてここにはない。フランツは腰からレイピアを抜いてエドワードに差し出した。彼の手にはすでに槍が構えられている。

 ほぼ戦える体勢を整えた四人は、スチュワートとレイブンを見つめた。

「久しぶりだな、スチュワート王太子殿下」

 多分な皮肉の含まれたリッツの言葉に、スチュワートは顔を歪めた。

「この……エドワードの犬が!」

「おっ、覚えていて貰えたとは光栄だな」

 スチュワートの頭の中にはおそらく昔の映像が蘇っているのだろう。

 かれこれ三十数年前、エドワードの傍らに常にあり、無敵を誇ったリッツの姿が。

 リッツはその姿とほとんど変わらずに、彼の前に立っている。それだけの年月で彼はたったの数歳しか年を取っていないのだ。

 変わったのは、持っている武器が普通の剣ではなく、かなり大きな大剣になっていることと、ふてぶてしさと逞しさを身につけたことぐらいだ。

「やっぱりあの時、エドが止めてもとどめを刺しとくべきだったよなぁ」

 いつも冗談をいっているのと変わらぬ口調でリッツはそういって、大剣を構えた。

「何を言っておる……」

 怯えたようにスチュワートは数歩後ろに下がった。だが彼のプライドがそうさせるのか、完全にこの場から逃げる体勢は取らない。

 必死に顔を上げリッツを睨みつける姿が、何十年も前の姿と重なる。

 この男が生き残ったのが、事件の火種となった。だからここで終わらせよう。

 前の内乱でこの男を追いつめたのも、やはりリッツだった。だが状況がリッツにとどめを刺すことを止めた。

 何とも不思議で奇妙な縁から、リッツはまたこうして、この男の前に立ちふさがっている。

「おのれ、余はこの国の王であったのだぞ。それをそれを貴様は!」

 逆上するスチュワートに、リッツは余裕の笑みを浮かべた。

「俺はシーデナ特別自治区の出身だぜ?」

「くっ……」

 アンナたちには、リッツの言葉の意味が分からないらしかった。だが次の言葉で納得したようだった。

「あそこにはこの国の王でも権利を使うことが出来ないはずだ。それは太古の昔から決まっていることだぞ」

 シーデナ特別自治区は、ほぼ完全な独立国といってもいい存在なのだ。それはユリスラ王国建国からの古い約束事でもあった。

 誰がいつ、どうして定めたのか分からない特別自治区法は、大陸にある各国総てに存在する。その為、光の一族と何らかの取り引きするには、担当交渉役と交渉するしかないと聞いた。

 その交渉役がリッツの父親である。

 だからシーデナを支配すること、ひいては光の一族を従えることなど、誰にも出来ないし、国王にすらそれは許されない。

 リッツは例外中の例外だが、それでも彼はエドワードと主従関係にあるわけではない。どちらかというとエドワードにとって、唯一の親友であり、時には出来の悪い弟という存在だった。

「リッツはこの国の王にも、従うことはしない。私をみていれば明らかだ」

 気を抜かずに、それでも口を挟むエドワードに、リッツは不機嫌そうな顔で文句を言った。

「そうかぁ? 俺は規則正しく生きてるつもりだぞ」

 唇を噛み、四人を睨みつけていたスチュワートは、たまらなくなったように金切り声をあげた。

「余を侮辱しているのか!」

 それに対して言ったリッツの言葉は正直だが、とてつもなく意地の悪い言葉だった。

「侮辱? 無視しているだけさ」

 わなわなとスチュワートは震えた。自ら彼らに挑む勇気はないくせに、自尊心だけは高いのだ。その怒りの勢いだけで、傍らに立つレイブンに命じた。

「一人残らず殺してしまえ<」

 レイブンもこの状況にあきれ果てていたが、ようやく気を取り直したように剣を抜いた。

「は。殿下の思うままに……」

 レイブンに対して身構えながらも、リッツが尋ねてきた。

「エド、どうする?」

 リッツの問いかけに、エドワードは軽く笑みを浮かべた。

「出来れば捉えてくれ。この件にはまだ裏がありそうだ」

「了解。努力するさ」

 二人の会話を聞き取ったのか、レイブンは哄笑した。リッツを挑発している。

「さてそれが出来るかな?」

 相手の挑発に、リッツが余裕の笑みを浮かべ、全く動じることなく笑い返す。

「そんなもん、戦ってみればわかるだろ」

 手応えのある敵が現れたことに満足したのか、レイブンが満足げに振り返った。

「陛下、下がっていてください」

 スチュワートにそう呼びかけたレイブンは、楽しげに笑いながら、声を上げた。

「ラリア、出番だ!」

「待ちくたびれたわ、レイブン」

 まるで暗闇から滲み出してきたかのように、ラリアは姿を現した。そのラリアの格好に、リッツとフランツは驚き、アンナはポンと手を打った。

「そうそう、この方が動きやすいよね! 何だかあの服窮屈そうだったんだもん」

 場に全くそぐわない笑顔を浮かべてアンナはすっきりした顔でそういった。

 アンナはラリアが着慣れぬ格好をしていてぎこちない動きをしていたことを、感覚で見抜いていたのだろう。

 だがそれが上手く伝えられなかったのだ。

「……なるほど。意外と鋭いんだな、アンナ」

 ラリアを一瞥したリッツが、感心したように頷いた。やはり女性は見るところが違うのだろう。だがこんな事を考えている場合じゃない。

「気をつけろ。あの女は闇の精霊使いだ」

 一度戦ったエドワードの忠告に、アンナとフランツが固まった。そういえばリッツ以外の二人は、本当の戦いなどを経験したことがないのだ。

「ご紹介ありがとう。手間が省けるわ」

 エドワードの言葉に妖艶に頷いたラリアは、フランツとアンナを見遣った。ようやく戻った緊張の中で、これから本当に過酷な戦いが始まる。

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