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呑気な冒険者たち  作者: さかもと希夢
小さな大迷宮
43/224

<9>

 迷宮から先に出たエドワードは一人、地下室で目を覚ました。迷宮を出るとすぐに兄と対面できると思ったのだが、予想が大きく外れた。

 どうやら兄はあの迷宮を身近に置くことを避けたようだ。やはり王族を閉じ込める迷宮と聞けば、気味が悪くもあるだろう。

 ともあれ準備期間が与えられたことは喜ぶべきことかもしれない。

 地下室は薄暗く、ほとんど明かりが無かった。エドワードが立っていたのは、ほんの微かに燃え残った十本の蝋燭が揺れる円形のサークルの中心だ。

「なるほどな、ここでこの迷宮を動かしたのか」

 迷宮の作動方法を知っていたエドワードは、すぐに理解した。『無限の悪夢』は、儀式の時に置かれる形のままそこに取り残されていたのだ。

 蝋燭の燃え残りから見て、儀式を行った人間がここを去ってから数時間がたっているようだ。

 この迷宮の周りに見張りがいないのは、儀式を行った人間たちの油断だろう。まさかエドワードがこの迷宮から、こんなに早く出てくるとは思わなかったに違いない。

「これは返して貰おう」

 一人呟くと、足下に転がる『無限の悪夢』を拾い上げ懐に戻した。この迷宮の仕組みを分かっているエドワードは、これを身につけていることに全く抵抗はない。

 これは完全に封印すべき、王国の宝物だ。それに今後これを悪用されないとも限らない。こんなところに置いて置いておくわけにはいかないのだ。

 エドワードは周りを見回した。

 傍らには倒れ伏したまま微動だにしない体が三つ転がっている。リッツ、アンナ、フランツだ。そこには乱雑に荷物が放り出されていた。

 念のために揺すってみたのだが、やはり全員全く目を覚ます気配がない。それどころか呼吸は寝ているのとは全く違って異様に深い。

 多少乱暴にしても大丈夫だろうとリッツだけを殴ってもみたが、それでも全く反応がなかった。普通の眠りとは違うようだ。

 廃人になるとは、このまま意識が戻ることなく寝たきりになる事のようだ。三人が戻らなくば、それは総てエドワードの責任だ。

 そう深刻に考えたものの、エドワードは自分の考えがおかしくて苦笑した。

 三人が戻らなければ、エドワードは自分の命を持って責任を取る羽目になる。なにしろたった一人で兄スチュワートと戦わねばならない。

 当然ながら一対一なら負けはしないが、スチュワートという男が、自分に従う者を持たずに直接戦う事など考えられないのだ。

 そうなれば既に歳をとり、肉体的に最盛期を過ぎたエドワードでは厳しい戦いになるだろう。

 懐中時計を取り出して見ると、時刻はまだ明け方を差している。蝋燭の燃えかす、そして今の時刻。

 迷宮に入ってから今までは一瞬だと思っていたのに、エドワードが眠りについてから数時間たっていた。少し眠ってから迷宮に送られたようだ。

 疲れが取れているとは言いがたいが、多少感謝をすべきだろうか。皮肉にそんなことを思う。

 薄暗い中をぐるりと見渡した後、他には何もないこの部屋に見切りを付けて、エドワードはこの部屋を出ることにした。

 見れば片隅に上へと続く階段がある。その先には扉も見えた。もし鍵がかかっていたら壊してしまえばいいし、何の問題もない。

 見張りに備えて、全身に神経を集中させながら地下室の外へ続く階段を上る。見張りが一人ならいいが、二人以上ならやっかいだ。

 だがそれも杞憂に終わった。扉に耳を当ててみたが、音はおろか何の気配すら感じられない。

 あまりにも警戒心のない兄の態度に多少呆れながらも、扉を開けた。そこは廊下の一番どん詰まりになっているようであったが、そこから先を見渡すことは出来ない。

 部屋の並びと、片側に続く大きな窓から、大体の見当は付く。

「雇い人は……どこに行ったんだ?」

 一人呟くと、剣を抜いて構えた。どんな状況であれ、警戒するに越したことはない。

 窓の外は徐々に明るくなってきている。おそらくこの明るさは朝焼けだ。窓から見える景色にエドワードは眼を細める。

 そういえば査察官たちはどうしただろうか。

 一歩一歩警戒しながら廊下を進むエドワードの目に、窓の外の光景が映った。

 一瞬言葉を失う。

 そこには狼狽える査察団の姿があった。近くに査察官もいるし、寝ている間に知らぬ場所へ運ばれたわけでもなさそうだ。

 つまり遠く北の地におり、その土地から出ることを禁じられているスチュワートが、こんなところまでやってきていたということだ。

 本来ならここにいるだけで、反逆罪に問われる可能性が高い。それを知りながらここに来たということは、彼の反逆の意志は堅い。

 確かに王都へ近い方が裏工作はしやすいし、情報も早い。だがまさかこんなに近くまできていたとは思いもしなかった。

 少しの間査察団を見ていると、彼らが相当慌てていることが分かった。彼らが指さしているのは、この屋敷なのだが、どうも彼らの目には屋敷が他の物に見えているようだ。

 先ほどから何度もエドワードがいる窓のすぐ外を通るのだが、窓から見ているエドワードに気が付く者は誰もいない。

 右往左往する査察団の面々に、ケニーが指示を出した。大声なのでかろうじてエドワードにも聞こえる。

「皆落ち着け! 屋敷が岩山になってしまったなんて事はありえん! 最初から我々は騙されていたのだ。陛下を……エドワード様をお助けするぞ!」

 真っ青なケニーは、必死で屋敷をよじ登り始めた。ここに何かの謎があることを分かっているようだ。だがエドワードから見たその光景は、一種異様だった。

 査察団と馭者が、一斉に壁をよじ登っているのだ。エドワードの見ている窓にも、張り付いて登ってくる者がいる。

 岩山に見えているというだけで、自分は登れると思いこんでしまうのだから、幻は相当な術者がかけているに違いない。

 査察団にここにいることを知らせたいが、ここで騒ぎ立ててしまえば、査察団より早く敵が飛んでくるだろう。そうなっては、元も子もない。

 ひと時その光景に見入っていたエドワードだったが、我に返った。いつまでもこうして見ている場合ではない。

 彼は早々に首謀者を見つけなければならないのだ。彼らが思い立って、心を吸い取られた四人の体を始末しようとする前に。

 静かにその場を後にし、再び精神を張りつめて一歩一歩慎重に奥へと向かった。見えているこの先が、遙かに遠いような気がしているが、それはエドワードの緊張のせいだろう。

 彼は階段のホールまで来てから、今迄歩いてきた廊下に身を隠した。声が聞こえたのだ。人がいる。やはり一人ではない。

「陛下、少々外が騒がしくなって参りましたが、いかが致しますか」

 尋ねた男の声は、この屋敷の執事の声だった。侮れない男だと思っていたが、やはりエドワードの予感は当たっていた。彼はこの件にかなり深く関わっていたのだ。その声に答えて振り返るような衣擦れの音がエドワードの耳に届いた。

「構わぬ、中には入ってこれまい」

 多少かすれて聞き辛いが、それは紛れもなく、昔彼に呪詛の言葉を放って北の地へ追放された兄、スチュワートの声だった。

 久しぶりに聞くその声に、エドワードは何の懐かしさも感じなかった。ただ、予想と反せぬ人物がその場にいたことへの不快感がこみ上げてきた。

 民間人と官僚の前で『今まで闇の一族に操られていた。私は何も知らないのだ! そんな哀れな兄を殺すのか? 助けてくれるのだろうエドワード』と懇願し、命乞いをしたスチュワート。

 そしてそれを笑って認めた闇の一族。だからエドワードは民間人と官僚の前で、スチュワートを処刑することが出来なかった。

 その代わりエドワードは彼に幽閉と就農を罰として与えた。

 幽閉されながらも農業をし、彼が悔い改めて農民として人々と共に生きるのならば、それを許すことにしたのである。

 だがスチュワートは何も変わらなかった。結局幽閉されたまま彼は延々とエドワードを呪い続けていた。それを知り、エドワードは完全な幽閉を命じてスチュワートを世界から隔離したのだ。

 そしてスチュワートは、エドワードにとって小さな戦乱の火種となり続けた。

 エドワードの感情とは関係なく、彼らの会話は続いている。

「ラリアをお使いになられてはいかがかと……」

 執事だった男は、エドワードたちに主人だと紹介した女を、あっさりと呼び捨てにした。立場を偽っていたのだ。

「ああ、あの精霊使いか」

 スチュワートの声は何か全てに対して面倒なように聞こえる。兄にはエドワードに復讐することと、王位に返り咲くこと以外、何の興味もないようだ。

 だが、執事だった男は食い下がった。

「この屋敷を見られた者を生かして返すのもどうかと思いますが」

 そういいつつも男の口から、楽しげな低い嗤い声が漏れた。エドワードは、ぞっとした。

 あの男、人を殺し慣れている。

「異な事をいう。ここへ連れてきたのはお前たちではないか」

 そのことがおかしいというように、兄はかすれた声で低く嗤った。その笑いは、奇妙に甲高かった。長年の幽閉生活で狂っているのだろうか。

 エドワードは廊下の壁に寄りかかり、一人小さなため息を吐いた。とりあえずの敵は、執事だと言ったあの男、それから精霊使いだというラリアだけだろう。

 スチュワートの声の調子から考えても、戦えそうな気はしない。あとはどうやって査察官に、ここにいると知らせるかだ。

 どうやら査察官たちは、この館を岩山だと思っているようだ。幻術は闇の精霊魔法に属する。つまり精霊使いのラリアを殺せば、幻術が解けるだろう。そうなれば彼らをまとめて捕縛することが可能だ。

 王城での会話が漏れているのならば、きっとシアーズにも内通者や協力者がいるはずだ。それらの人物をあぶり出すために、なるべくならば生きたまま捕縛したい。

 エドワードは考え込む。元々エドワードは精霊使いと戦う事に長けていない。上級の精霊使いが一人いるだけで、歩兵千に勝ると言われるのだから当然だ。

 精霊使いのアンナとフランツが目覚めるのを待つのが一番確実だろうが、それまで彼らを放って置いてくれるかは謎だ。

 スチュワートのことだ。エドワードを苦しめるためならば、友であるリッツやその仲間を、エドワードの前で惨殺することに喜びを感じるだろう。

 どうすべきかを考えるエドワードの耳に、執事の言葉が入って来た。

「エドワード王以外の者たちはどうしますか?」

「みな、ここに磔にしてくれ。エドワードには手を触れないで置くのだぞ」

「ほう。どうなさいますか?」

 楽しげな執事の声に、スチュワートが低く笑った。

「決まっておろう? 意識の戻ったエドワードの目の前で、目覚めることのない友や、その仲間たちの内蔵を引きずり出してやるのだ。さぞかし楽しいことになろうな!」

 エドワードは改めて自分の勘が正しかったことを確信した。もしリッツたちと共に迷宮から出てくることを選んだなら、スチュワートの思う壺だったはずだ。

 でもこうして時間稼ぎが出来る。決意をもって剣の柄に手をかけようとした時、あまりに懐かしいスチュワートの言葉に手が止まった。

「特にあのエドワードの犬だ! あやつほどこざかしい者はいなかった!」

 エドワードの犬。

 それは本人は不本意ながらも、敵からも味方からも与えられてしまった、リッツの称号だった。

 今よりも遙かに子供じみて無邪気だったリッツを、仲間たちは親しみを込めて、敵は侮蔑の意味を込めてエドワードの犬と呼んだのである。

 リッツを犬扱いしなかったのは、エドワードを含むほんの数人だったのだ。だが当時のことを思い出すとおかしくなる。

 リッツは常にエドワードの傍らにいて、いつも満面の笑みと絶対の信頼を込めて、エドワードを見つめていたのだ。

 三十五年ぶりに会ったリッツは、完全に落ち着いていてその事でエドワードは安心した。少しは大人になったのだろう。

 昔のあの苦悩や、悲しみをすこしは癒せたのだろうか。もう生きることに、少しは前向きになれたのだろうか。

 それとも今共にある子供たちが、リッツに何かを教えてくれるのだろうか。

 だから……ここで死なせられない。リッツの連れている子供たちもだ。

 エドワードは大きく息をついた。出て行くしかないだろう。リッツに話したとおり、自分が死んだら息子が後を継ぐ手配は済ませてきた。

「リッツ、シャスタ……後は頼むぞ」

 小声で友に別れを告げ、エドワードは剣を手に提げたまま玄関ホールに入った。柔らかな絨毯が彼に足音さえも立てさせなかった。

 足音を忍ばせるエドワードに二人の男は、全く気が付かない。まさかここに誰かが入ってくるなんて事は考えても見なかったのだろう。

 しかもそれがエドワードだとは。

 最初に彼を見つけたのは、スチュワートだった。一瞬惚けたように口を開き、やがてわなわなと体を震わせた。

 驚きと、あまりにも簡単に彼が迷宮を出てきてしまった事への憤りが顔に表れていたが、兄の思うように生きなければならない義理はない。

 兄の顔を見た瞬間、この男への嫌悪がまだ自分の中にこれほど残っている事に驚いた。だがその感情を決してストレートに出したりしない。

 その代わりに二人の男に向かって、穏やかに微笑んで見せた。

「お久しぶりです、スチュワート元王太子殿下。いや、元国王陛下でしたか?」

 軽く皮肉ったエドワードの態度に、男は目を剥いた。真っ白な髪と血走った瞳……そこにはもう、端麗な容姿を持つ、冷酷な昔の姿を思い起こすものは何もなかった。

 ただあるのはギラギラと輝く野心と憎しみのみ。

「きっ貴様……エドワード!」

「なかなか興味深い歓迎をして頂き、ありがとうございます、兄上」

 エドワードは皮肉な笑みを浮かべて、兄を見つめた。

「何故だ、何故ここにいる! お前は『無限の悪夢』に囚われたはず」

 狼狽えたように執事と名乗った男を見るスチュワートの目に、理性を見て取ることは出来ない。

「この国の国王は皆『無限の悪夢』からの脱出方法を王位に就く時教わるのですよ。兄上は私がもう三十五年も、この国の国王であることをご存じないらしい」

「何だと?」

 スチュワートの表情が変わった。愕然としつつ、それを知るエドワードに対して激しい嫉妬を燃やしている。自分が知り得なかったことを彼が知っていることが許せないのだろう。

「兄上は、人をあそこへ閉じこめる方法のみを教わっている。残念ながら誰も混乱の時代には出る方法を教えなかったのですね。それとも有用な人間を皆斬り殺してしまったのでしたかな?」

「くっ、エドワード生意気な。殺せ! こやつを余の前から消してしまえ!」

 叫んだスチュワートに、エドワードは穏やかに微笑む。

「私を消しても無駄ですよ、兄上。私が死ねば、すぐに息子ジェラルドが次期国王になるよう、宰相と決定済みです。残念ながら兄上の出る幕はない」

「では死ぬ前に、その決定は無効であるとお前が宣言書を書け」

 震える指でエドワードを指さしたスチュワートに笑いかける。

「何故兄上の言うことを聞かねばならないのです?この国の国王は……私なのですが?」

「こやつめっ……小癪なことを!!」

 いきり立ったスチュワートは口角から泡を飛ばして傍らに控える男に向かって怒鳴る。

「何か無いのか! 何か策を用意せよ!」

「内戦も母親頼み、この期に及んで他人だのみか?情けないことこの上ありませんな、兄上」

「うるさい、うるさい! 黙れエドワード! レイブン! こやつを捕らえ、宣言書を書かせよ!」

 スチュワートの叫びに、レイブンと呼ばれた男がふっと笑みを漏らし、スチュワートに近づいた。

「そんなことよりもよき方法があります、陛下」

「何じゃ、申せ!」

「私にこの男の命をくださいませんか? 必ずやお心に沿うようしてみせましょう」

 エドワードは眉を寄せた。だがスチュワートは、その言葉に吸い寄せられるように男に近づいた。

「どのように余の心に沿うのだ、レイブン」

 レイブンは、恭しくスチュワートに答えた。

「簡単にございます。この男を始末し、私がこの男の姿となって王都へ参ります」

「そんなことが出来るのか?」

 スチュワートの問いかけに、レイブンは口元を綻ばせた。

「簡単にございます」

「そうか……そうか! それでお前はどうするのだ?」

 目を異様に輝かせたスチュワートが、狂ったようにレイブンに縋り付く。

「王妃と王太子、孫である親王まで総て抹殺してから、堂々と陛下を王都へ導きますゆえ……」

 自分の姿になって王都へ行く……。

 エドワードは嫌な予感を覚えた。昔このスチュワートは、内戦の歳、母親の愛人であった闇の者を従えて戦った。

 もしやこの男は、闇に住む者なのだろうか?

 何故……闇の者がまたこの国に現れたのだ……。

 顔には出さずとも、冷や汗が流れた。

 これでは時間稼ぎにもなりはしない。しかもここで殺されてしまえば、妻や子、孫にまで被害が及ぶことになってしまう。

 そうなればここまで築き上げてきた、平穏な王国が台無しだ。

「ひ、ひひっ! それはよい! お前ならエドワードを仕留められるのだな、レイブン」

「は、殿下の仰せのままに……」

 スチュワートはクツクツと嗤い始め、やがてまた甲高く笑い出した。

「それはよい。だがな、ただ殺すのは惜しい……余が受けた苦しみを味わせてから、じわじわと殺してやろう」

 エドワードはあえて何も言わなかった。今すぐ殺されるわけでなければ、チャンスがある。兄の残忍さが救いになるとは思いも寄らなかった。

「レイブン、この男を縛り上げろ。余の見えるところに磔にせよ」

「かしこまりました。陛下」

 執事……レイブンは、手を叩いて誰かを呼び寄せた。どこからともなく、あの派手な女……ラリア・エカルラートが現れた。

 だが格好は全く違う。長く伸ばした髪は、邪魔にならぬよう結われ、あの派手な服の代わりに、露出度が恐ろしく高い皮の服を体に貼り付けるように身につけている。

 アンナの『動きにくそうだよね』といった意味が、ここで初めて分かった。アンナは直感でこのラリアがあの服を着ていることが窮屈なのだということを感じ取ったのだ。

「なぁに、レイブン」

「出番だ」

 真っ赤な唇に、浅黒い肌と真っ黒な髪……そしてここへ来たときは短かったはずなのに今は長い尖った耳……。

「お前も闇の一族か……!」

 剣を構えてエドワードが言うと、ラリアは妖艶な笑みを浮かべて振り返った。

「そうよ。私も、レイブンもね」

 振り返ったエドワードの目に飛び込んできたのは、レイブンが三揃えのスーツを投げ捨てるところだった。それと同時に顔も変わってしまった。その顔はどう見ても三十代くらいだ。

「お前には、助かる術はない」

 エドワードに向かって、スチュワートが宣言した。確かにこれでは助かりそうにない。

 だが、彼はすぐに殺さず、ここへ磔にするといっていた。いったいどうしようと言うのか……。

 ふと見た時レイブンの手に握られた剣は、あの賊の男が持っていたものと同じタガーであることが分かった。あのときの賊は、この男だ。

 レイブンは剣を振り上げて構えた。エドワードも剣を構える。だが彼の前方には、明らかに精霊魔法を使うと思われるラリアがいる。

「ラリア、国王を磔にして差し上げろ。殺すなよ、陛下がそうお望みだ」

 レイブンの言葉に、不服そうな顔でラリアはスチュワートを見た。彼女は、エドワードをこの手で仕留めたいのだろう。その目にはありありとそう書いてある。

 見られていることも気づかずに、スチュワートはギラギラと輝く瞳でエドワードを見つめていた。

「この男は、陛下のものだ。お前の獲物じゃない」

 自分はすでにもの扱いか。皮肉な笑いがこみ上げてきた。そんなエドワードに気が付いたのか、ラリアは肩をすくめて、こちらに向かって片目を閉じてみせる。

「あら残念。仕方ないわね。国王なんて滅多に狩れないのに」

 ラリアの言葉か終わるよりも早く、レイブンが正面からエドワードに迫った。恐ろしいまでの素早さだ。

 反射的に剣を受け止めたエドワードの視界に入ったのは、ラリアが奇妙な形の杖を手に呪文を唱え始めたところだった。

 だがそちらに気を配ってもいられない。レイブンのタガーは、反り返った角度はかなりきつい。

 片方のみに刃の付いたおよそ六〇センチほどの奇妙な曲線の剣で、柄から刃先までが、半円形を描いているものだ。

 今までにエドワードはタガーで戦う者を見たことがあっても、立ち合ったことがない。全く勝手の違うタガーでの攻撃に、エドワードはとまどった。

 あの剣に力業で挑んだなら、半円の曲線に力を分散され、自分の剣は簡単に受け流されてしまうだろう。

 容易に捕まえられそうにない。そして刃は、何かが塗られたようにてらてらと輝いている。

「……毒か」

 レイブンの剣を押し返してから一歩離れ、エドワードは呟いた。

「ご安心を陛下、すぐに死に至る毒ではありませんゆえ」

 小馬鹿にしたようなレイブンの挑発に、エドワードは乗らなかった。だが、斬りつけられた時点でおしまいだと言うことは分かる。

 ラリア、レイブン……どちらにも気を付けねばならないのに、一人でそれは無理な話だ。

 エドワードだって若くない。もう昔のように動けないことなど、自分で分かっている。

 斬りかかってくるレイブンにエドワードは身構え、自らの剣で受け止めた。やはり剣と剣が触れ合っているところが安定しない。

 レイブンの剣がエドワードの剣を上に跳ね上げたなら、エドワードは致命傷を負うことになる。

 必死で思案しながら剣を合わせるエドワードの耳に、凛とした女の声が響いた。

「混乱と恐怖を司る闇の精霊王よ、我に力を!」

「しまった!」

 レイブンと戦っている隙に、ラリアの呪文が完成してしまった。エドワードには抵抗する術がない。

「闇の眠りをあの男へ!」

 一瞬、エドワードの心臓が止まったような気がした。精霊魔法が彼の体にかかったのだ。

 足下から力が抜けていく。死んではいない状況は理解できたが、それ以上は分からない。精霊魔法は、神経を魔法に集中していればかかりにくい事は分かっている。

 でも、この状況でラリアのみに集中することは不可能だった。

 体が崩れ落ちていく感覚さえも、遠くに感じられ、エドワードは完全に意識を失った。

 最後に彼の耳に聞こえたのはスチュワートの甲高い笑い声だった。



 一方、査察官ケニー・フォートは青ざめていた。あんなに宰相に頼まれていた国王陛下が消えてしまったのだから無理はない。

 彼らが目を覚ましたとき、館は消え、岩山があるばかりだったのだ。ここは廃村ですらなかった。本当に何の変哲もない山の中だったのだ。

 荷物は無事だったが、国王がいないのでは何にもならない。この国はまだ、エドワード王が必要なのだ。

 それなのに護衛役であるケニーは守りきれなかった。いったい国王は何処へ消えたのか……。

 おまけに国王の友人であり大臣でもあったリッツや、その被保護者たちまでもが消えてしまった。もし彼らがいてくれれば、何か良い案を出してくれたかもしれない。

 この数週間で、ケニーはリッツに絶大な信頼と、好感を寄せていた。

 いつもふざけているようで、何か奥がありそうなその人柄を、エドワードと同じく自分が仰ぐべき人だと感じ始めていたのだ。

 なのに国王もろとも大臣まで失うとは……。

 ケニーは眉間にしわを寄せ、片手で額を抑えた。目覚めてからもう数時間。お昼をとっくにまわってしまっている。

 このままいくと国王が見つからないうちに夜になってしまうかもしれない。

 この部隊の隊長として、ケニーに出来ることは何か、そればかりを考えているが、いっこうに答えが出ない。落ち着けば何か見えてくるはずだ。そう信じるしかない。

 朝焼けの日の光の中で、全員総出で岩山を登ってはみたものの、一番高いその頂点からもここが村であった何の痕跡も見つからなかった。

 これは本当にただの岩山だった。館ではあり得ない。

 途方に暮れた査察団と馭者たちは、思い思い岩へと座り込んでいた。この状況をうち破ったのは、一人の査察官だった。

「隊長、小官には思いついたことがあるのですが」

 部下の一人が、ケニーにそう提案した。

「何だ、言ってみろ」

 いつも温厚なケニーだが、口調がきつくなった。だがこの状況に神経をすり減らせているのはケニーだけではない。そのためかその部下はいつもと変わらずに、報告した。

「上級精霊使いには、手触りまでも惑わす幻を見せる力があると、聞いたことがあります。もしかしたら我々は幻を見ているのかもしれません」

 それは全員が思っていたことだ。だが、まだ話しに続きがあるようだ。ケニーは頷いた。

「……続けろ」

「はっ。ここにいる全員があの館は幻ではなかったかと思っていると思います。でも小官には、あの立派な館が幻であったのか分からないのです」

 その査察官の考えは、今迄全員が思っていたことと多少違っているようだった。

「何故、そう思う?」

 ケニーが促すと、査察官は腹に手を当てた。その行為を皆いまいち理解できなかったが、査察官の言葉でようやく理解した。

「その証拠に、我々は空腹ではない。出された食事を取っていたからです。もし幻を食したのであれば、朝からこんなに動けたはずがありません」

 確かに彼らは、十分な休憩を取り、食事をしている。体の充実具合から見て、今朝まで彼らはきちんとしたところに泊まっていた可能性が高いのだ。

「ということはもしや今見ているこの岩山が……」

 ケニーが呟くと、査察官は頷いた。

「幻であるのかもしれません」

 今見ている方が幻? これは誰も考えてみなかった。館の方が幻だと誰もが思っていたからだ。

 だがこの査察官はまずそこを考えたようだ。理由は空腹ではないというたった一つのことだが、説得力はある。

「もしそうであるならば、ここはまだ館の中庭ということになります」

「ここが中庭だと?」

 部下の話は続いた。彼が昔聞いた話だが、幻は見ている人間の頭の中に闇の精霊魔法がかけられたため起こるという。だが鏡、もしくは水などには、その幻の真実の姿が映し出されるという。

「いかがでしょう、隊長」

 尋ねられたケニーは立ち上がった。部下たちを見渡す。試してみる価値はある。

「……誰か、鏡を持っていないか」

 ケニーの質問に手を挙げる者はいなかった。男ばかりの旅の道中、鏡をこの場にまで持ってきている者など皆無なのだ。

「……いないか?」

 所詮男ばかりのこの集団に、鏡を持っているか問うことすら間違いだったのかもしれない。

 だが鏡の代わりになる水は、ほとんどそこを付いている。出発の時に井戸で汲もうとしていたからだ。そしてその井戸は、今消え去っている。

「本当にいないか?」

 思わず小声になってしまうケニーに、一人の馭者が思いついたように声を上げた。

「ありますよ隊長さん! 陛下がお乗りになっていた馬車には、確か鏡が付いていたはずです!」

 この言葉に、全員が色めき立った。ここから何か突破口が開かれるかもしれない。

「よし! 鏡を外せ!」

 男たちは、我先にとエドワード一行が乗っていた馬車に向かって走り出した。

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