<8>
「さて、ここが入り口だ」
リッツは自分の身長の二倍ほどある大きな扉の前で、二人を振り返った。美しく彫り込まれた扉は、いかにも重そうで、そして高価そうだ。
実際にリッツが見た事のある玉座の間は、いつも開かれていて、扉の方をじっくりと見たことはなかったから、何となく新鮮だ。
「ここに王様がいるの?」
アンナの当たり前の質問に、リッツは頷いた。
「多分な」
「エドさんも仕事をここでするの?」
「エドの場合は仕事に埋もれてほとんど執務室にいるな。玉座ってのは普通、他国の客を迎えたり、部下たちとの謁見をしたり、大きな命令を伝えたりする時に使う場所で、国王の居場所じゃないんだ。仕事は執務室、夜は私室。でも仕事をしてないなら……こっちだろうよ」
リッツがエドワードの傍らにいた時はそうだった。戦乱の報告をまとめて聞く時、何かしらの儀礼がある時も玉座を使う。
それ以外の場合、エドワードが玉座にいるのを見たことがなかった。大体が執務室で書類を捲っているのだ。
だからリッツは大臣時代、エドワードの執務室のソファーでサボっていたのである。当然、部下たちに追われて逃げ回りつつだが。
何しろリッツは書類仕事が苦手だ。
「じゃあ何でここに来たの? 執務室に行ってみた方がいいんじゃない?」
「まあ普通はな。だけど王様に謁見するなら玉座って、昔から決まってる。俺たちは今、この城に謁見に来てるんだ。だから玉座に向かうのが普通だろ?」
リッツは、扉に手をかけた。やはり見かけ通り相当重い。少しづつ押し広げていると、自然と、アンナとフランツが加わった。
非力な彼らでも力を合わせてくれれば、リッツの労力は少なく済む。旅路で共にいることと同じだ。そんなことに何故かリッツは軽く胸をつかれる。
助けているだけじゃない。その力は微かでも助けられている部分もあるのかもしれない。
三人がかりで重たい扉を開けると、日の光が差す相当広い部屋に出た。
扉から真っ直ぐ王座まで真っ赤な絨毯が伸び、彼らを導いている。床のその他の部分は白く輝く大理石だ。
「うわぁ……何だかすごい」
感心してアンナが声を上げたが、その先に人がいることに気が付いて口を閉じた。
光溢れる立派な玉座には、一人の男がだらしなく座っていたのだ。
「……あれがこの国の王……」
フランツは眉を寄せつつ呟いた。彼の想像とあまりにもかけ離れていたのだろう。リッツにしても同様だ。
そこにいたのは、顔色が悪く、目がどろんと濁ったように澱んだ感じを受ける男だった。口元は笑みを浮かべたままだらしなく開かれ、体は玉座に土嚢のように重く沈み込んでいる。
着ている服は、それと反してガラス細工や金の刺繍が織り込まれた立派なローブである。
これと似たような物をエドワードが身につけているのを見たことがある。確か最初は戴冠式ではなかったか。だがエドワードが身につけると、神々しくも見えるそのローブも、この男が纏えばみすぼらしく見えてしまう。
これは親友の欲目ではないはずだ。
「よくぞきた」
男は三人に言葉をかけた。言葉の中にある傲慢な響きに、温厚なアンナもちょっと顔をしかめ、小声で呟く。
「何か、やな感じ。エドさんと全然違う……」
だがそんな三人の感情は、この男には全く通じていないらしい。男は太った体を起こすこともなく横柄に三人をなめ回すように見つめた。
「余はこの国の王だ」
フランツは顔をしかめたまま王と名乗るこの男を睨みつけていた。
「余の兵隊を倒してここへきたらしいな。そなたらのしたことは余に対する冒涜じゃ。分かっておろうな?」
リッツはただ男を見ていた。別に感慨などない。やはり予想通りこういう奴かと思う程度だ。
当然ながらこの男の問いかけに返事はしない。
男を見ているとリッツは、嫌悪感の中に微かな懐かしさを感じた。エドワードと再会してから妙に内戦のことを思い出すけれど、この男の姿を見ていると、否が応でも昔に記憶が戻りそうになる。
エドワードたちと戦ったのは、こんな目をした貴族や王族たちだった。
ピンと張りつめた冴え冴えとした空気がこの部屋を支配している。だが、王と名乗る男は全くその空気を読むことが出来ないらしい。
「処刑が妥当だが、それにはちと惜しい」
男は値踏みするような顔で三人を見た。この自分の傲慢さを理解してはいない態度に、人の価値基準を全て自分の価値で計ろうとする態度。
それが他人から見てどれだけ醜いか、分かってはいないのだろう。分かっていればもう少しましな政治を行えるだろうに。
だからこそこの国が、こうも乱れているのだ。
なるほど試練とはよく言ったものだ。この迷宮に閉じ込められる、王としてふさわしくない者たちは、玉座で自分自身の分身と向かい合うのだ。
まるで醜悪な合わせ鏡のように。
濁った目の国王を、アンナが睨みつけている。先ほどリッツが言っていた『悪いことをするのに手を貸せといわれたらどうするか』という質問を思い出しているのだろう。
アンナの疑いは正しい。おそらくこの男は彼らに何かを求めてくるはずだ。
「どうだ余に仕えぬか? 富も名声もそなたらにやろう」
試練の意味を理解したリッツは、平然として答えずアンナとフランツを見ていた。
二人は真剣に玉座の男を黙ったままにらみ据えていた。二人の中で答えは決まっているのだ。
だが男にはそれが感じられない。
「選ぶがいい。死か名誉か」
リッツは、二人を交互に見てから口元を綻ばせた。アンナもフランツも、この男の馬鹿げた申し出に心底怒っている。
確かにこの二人は、人を救う資格を持っている。ここに閉じ込められるような貴族とは違う。
リッツは一歩前に出た。二人の意見と自分の意見を集約して男を見据える。元々リッツには名誉に関する欲がない。名誉など自由を侵す面倒な鎖だと知っているのだ。
だからこの玉座に座っているのが誰だったとしても、どんな利益を与えられても、頷くことは決してない。
リッツにとっての国王はただ一人、エドワードだけだ。
「断る」
「ほぅ、現実ではどうかは知らんが、この世界を支配できるのだぞ……」
リッツは眉をしかめた。この王、これが迷宮の中の世界だと理解しているようだ。これがアーティスの作った最悪の国王か。
「お前たちは愚かだな。この者たちのように、永遠の眠りにつきたいと見える」
王が指さした先には、様々な苦悩の表情で埋め尽くされた絵画があった。これが一生抜け出せずに廃人となった王族や貴族たちだろうか?
「そいつらは、あんたに従ったから死んだんだろ」
吐き捨てるようにそういったリッツに、男は笑った。その笑いが意味するものが何であるか、全く分からない。
「さあ、もう一度問うぞ。余の配下に下るか、それとも最も手強い敵と戦って命を落とすか。どちらを選ぶもお前の自由だ」
恐怖による支配。そして権力の誘惑。決して王族が頷いてはいけないものの二つだろう。おそらくこれをきっぱりとはね除けられたら、試練は終わる。リッツは真っ直ぐに男を見据えた。
「断る」
これでこの王が消えるか、と思ったがやはりそれほど甘くはないようだ。
男は、今までの人々のように消えることなく、酷薄な表情を浮かべて笑った。
処刑や虐待を楽しむ……それもまた王としては最悪の行為だ。王は顔をしかめたリッツを無視して手を叩き、誰かを呼んだ。
「気を付けろ、フランツ、アンナ。何か来るぞ」
身構えた三人の後ろ、先ほどはいってきた大きな扉が、ギギーッと重々しい音を立てて開いた。その入り口の中央に立っているのは、見覚えのある姿だった。
細身ながらがっちりとした長身、長い耳、背中に背負った大剣……。
「?」
リッツは眉をしかめてその男を睨みつける。入り口に立つ男の、後ろだけが一部長い黒髪が揺れた。
「アーティスの野郎……なかなかいい趣味してんな」
そう呟くしかない。
扉の前に立っていたのは、リッツ自身だった。口元には不敵な笑みを浮かべ、自信に満ちた表情をしている。
リッツにはその表情に見覚えがあった。アンナやフランツと会う前、まだ現役の傭兵隊長だった頃の自分の表情がこうだった。
リッツと決定的に違う部分は、装備だ。肩、腕、足にのみ鋼鉄せいの防具を付けている。
なるほど……最も手強いとはこういうことか。
リッツは苦笑する。おそらく目の前の自分と今の自分は互角だ。もしフランツに答えさせたら、一撃で倒して終われたなと、少し後悔した。
アンナでも簡単に倒せただろうが、子供に手をかけるのはごめんだから、まだ自分の方がましか。
「リッツだよね? 何か怖い……」
アンナの小さな呟きが耳に入った。やはり傭兵時代の彼はアンナにとって怖いものなのだ。
二人の前では今の自分でいたかったのに、さらけ出されるのも面白くない。
偽のリッツは歩みを止めず、徐々に近寄ってきていた。その姿に、王が喜び勇んで語りかけた。
「さあ、その者たちを倒し、余の前に首を並べよ!」
男の一言で、偽リッツは大剣を抜きはなった。鈍い輝きが妙に明るいこの玉座の間を照らし出す。
もし、これが本当に自分と同じ力を持っているのだとしたら、圧倒的にリッツが不利だ。
偽物には守るべき何者もないが、リッツには二人を守らねばならない。
それに防具は何もない。
「悪いな。あんたらに恨みはねぇけど死んで貰うぜ」
リッツはぞっとした。声まで自分だ。
一応自分の力は自分で分かっているつもりだ。多分本気で自分と戦うとしたら、アンナやフランツを守りきれない。
「アンナ、フランツ離れろ!」
大剣を同じく抜き放ちながらリッツは二人に向かって怒鳴った。二人が後ずさって離れたのを気配で確認し、リッツは目の前の偽物を睨みつけた。
「俺は女子供に手を出さない主義だ。語るに落ちたな偽物」
リッツの言葉に偽物は小さく笑っただけだった。偽のリッツには、そんな主義はないらしい。決定的な違いだ。
「傭兵の時の格好とは痛み入るな……」
リッツは呟くと大剣を構えた。
「サービスさ。お前の仲間たちに本当のお前を見せてやろうと思ってな」
「くっ!」
痛いところをつかれて、リッツは一瞬言葉を失った。見せないように心がけてきた部分が、目の前に晒されている。そんなリッツを平静にさせたのは、アンナの一言だった。
「リッツ! 私はどうしたらいいの!」
アンナの声に、ハッとした。そうだ、今の自分のまま勝たねばならない。
「何って言ってもなぁ……」
なるべく軽めに答える。現状、アンナとフランツにはどうすることも出来ない。彼らに援助されて、攻撃対象が二人になっては目も当てられない。
自分が二人の年若い仲間を斬り殺すところなど、絶対に見たくはない。
リッツは前方の自分を見つめたままアンナに明るく言葉を返した。
「応援してくれ。怪我したら治してくれよな」
「わかった」
その声が引き金になったのか、偽リッツが大剣を真横に構えたまま、ものすごいスピードと力で一直線に突っ込んできた。
それはまさに自分の得意とする先制攻撃だ。これでまず相手の戦意をくじく。
「くっ……」
とっさに構えた剣と、踏ん張った足で第一撃を防ぐ。自分がどうするか分かっていながら、一瞬判断が遅れてしまった。
だが後悔している暇はない。この状況をいかに反転させるか、それを考えなければならないのだ。
ギリギリと剣がこすれる。やはり想像通り、自分と同等の力を持っている。久々に感じる、重たい剣だ。
だとしたら次はどう動く?
力業で大剣をはじき返し一歩踏み込んだが、そんなことは相手もお見通しだったようだ。振り上げた剣を頭上で防がれてしまう。
「……お見通しか」
リッツはいったん離れて体勢を整えた。相手も同じように体勢を整える。自分が相手の動きを読めるということは、相手も同じということだ。
「遠慮するなよ」
偽リッツはリッツの考えを読んでいたかのようにそういって笑みを浮かべた。
考えることも同じと言うことか……。
間髪を入れずに切り込んだリッツは、相手の動きを計算して素早い速度で攻めた。偽物も心得たものでそのとっさの動きに対応して剣を受け止める。
速度も重さも互角。やはりどう考えても不利だ。
剣越しに相手を見据える。
この角度からだと、偽物は大剣を振り上げて上へリッツの大剣をつきあげるか、押し戻すかの二つしか選択肢が無いはずだ。
もし押し戻された場合は、そのまま上体を下げ斜めに斬る。上へ突き上げられたら、リッツは大剣を持ち替え、容赦なく偽物の喉を突く作戦がとれる。
それはきっと偽物も承知しているのだろう。
ならば偽物はリッツの大剣を上に向かってはじき飛ばし、そのまま腹部を狙うはずだ。
リッツは少し力を抜いて、相手を誘ってみた。これで騙されてくれれば、ラッキーだ。
すると偽物は唇の端を少しつり上げて笑った。
「その手には乗らんぜ、相棒」
ばれてやがる……。こんなに面倒な敵は初めてだ。
「くっそーっ!」
リッツは吼えると、偽の自分に向かって猛然と突進した。相手は静かに剣を構え直してこちらを見据えている。
正面から突きで切り込んだリッツの大剣は、偽物が盾代わりにした剣の刃で遮られた。
間髪入れず、足でなぎ払うように相手を横に蹴り上げた。完全防御とはいえない相手の腹に一撃が決まる。
「くっ……いい蹴りしてんな」
リッツが言いそうなことをこの偽物は普通に言ってくる。一瞬の苦痛をすぐに受け流し、偽者は再びリッツに猛然と斬りかかった。
動きが早い。リッツもまたその動きに完全に対応している。
動きと言動の一致……アンナとフランツに分かる本物と偽物の区別は、もはや防具だけだろう。
高い位置から首を狙ってきた偽物の大剣を避けて上体を低くすると、リッツは偽物の足を狙って大剣を繰り出した。
動きさえ止めてしまえば後は楽なはず……。
だがそんなことは敵も百も承知だったらしく、偽物は大剣の柄でリッツの頭を狙った。とっさに避けたところに、かなりのスピードで蹴りが決まった。
「うっ……」
防具を付けていないリッツは、むせ込んだ。その一瞬にも偽物は斬りかかってくる。飛び起き、大剣を構えなおす。
これはかなりきつい戦いになりそうだ。
「公正じゃないぜ」
口元に上がってきた鉄の味に、リッツは顔をしかめた。
「公正ね、戦いでそんなこと言ってらんないだろ」
「そりゃそうだなっ!」
相手に構える隙を与えずリッツは剣を振るった。偽物も心得たもので、それを力で受け止めた。
十キロを軽く越し、アンナほどある大剣同士が、重く激しくぶつかり合い、火花を散らす。
何もかも読まれてしまっている状況で、よりよく戦うのは難しい。
だがここで引くわけにはいかない。リッツの命だけならまだしも、フランツ、アンナそしてエドワードの命までかかっているのだ。
「俺は……負けられねぇんだ<」
剣を離すと同時にリッツは偽物に向かって飛んだ。一瞬前までいたその場所を、音を立てて大剣が通り過ぎていく。偽物が切り下げたのだ。
それも自分の得意な技だ。勿論分かっていてギリギリまで引きつけたのだ。
間一髪間に合ったと思ったが、次の瞬間に右の腹に鋭い痛みが走り、それと同時にアンナの悲鳴が耳をかすめた。どうやら斬られたらしい。だがそんなことを気にしている暇はない。
偽物に一瞬出来た右側の隙に向かって、間髪を入れずに渾身の力で斬りつけた。鮮血が溢れる。
だがとっさのことで踏み込みが甘く、致命傷を与えることは出来なかった。
リッツと同じように傷を受けたが、すぐに偽リッツは振り返りざま、リッツの大剣を防いだ。やはりそのあたりの戦い方も同じか。
大剣と大剣が、鍔元で競り合う。
「お互いに痛み分けってわけか……」
「みてぇだな」
自分の太股に、なま暖かい物が流れてきていることにリッツは気が付いた。だがこの体勢ではアンナの治癒も期待できそうにない。
彼女の治癒は、直接治癒である。近くで身体に触れないと術は発動しない。
「……リッツ……リッツ、頑張って!」
何も出来ないもどかしさか、アンナは大声を張り上げて叫んでいる。
力と力のぶつかり合い、火花の散るような激しい剣の応酬。
そして、流れ出る赤い血……。
今まで見たこともないような激闘だ。まるでそれは傭兵たちがぶつかり合う、あの戦場のようだ。
二人は大丈夫だろうか。そう思ったが、振り返ることすら許されない状況だ。
「リッツ! 頑張ってくれ」
せっぱ詰まったようなフランツの声が耳に届いた。その間にも、休むことなく大剣と大剣はぶつかり合っていた。
避ければお互いに傷を負い、どんどんと体が痛んでくる。
しかも偽物には防具があるが、リッツにはそれがない。見るからにリッツの方が、不利になってきていた。
じわじわと流れ出す血は、確実にリッツの体力を奪っていく。だが引くことは出来ない。
自分の姿形をした奴が、アンナとフランツを斬り下げるところなど想像したくもない。
「最後の一発……てところか」
自分の体力の限界に、リッツは呟いた。息が切れてきたし、目の前は薄くもやがかかったように見づらい。
それは相手も同じようだった。まったくもって、体力まで同じにしてあるなんて本当に悪趣味だ。
リッツは剣を真っ直ぐ正面に向けて構えた。
「いくぜ偽物!」
気合いと主にリッツは渾身の力で相手に向かって突っ込んだ。偽物は剣を横に構えて盾代わりにし、その攻撃を防ごうとしたが、それこそがリッツの狙いだった。相手の直前で剣を上段に構え直す。
「リッツ!」
アンナとフランツの叫び声が耳に付いた。正面ががら空きだと焦っているのだろう。偽物もそう考えたらしく、そのまま剣を横にリッツを待ちかまえる。
これをなぎ払われたら、リッツは真っ二つだ。
「死ぬ気かリッツ!」
フランツの声が聞こえた。
悪いがまだ死ぬ気は無い。死ぬ覚悟もできているし、死んでも別に悔いはない。
でもここで死ねば友が、仲間が死に至る。自分の命に他人の命が乗っている時に死ぬ気は無いのだ。
自分が剣を振るタイミングが分かっている。最後のチャンスは賭けだ。
リッツは相手が剣を振るう直前に、偽物の大剣に向かって飛んだのだ。
「!?」
偽物の大剣を足場にしてリッツは飛び上がった。
「くらえええええ<」
そのまま上から偽リッツに狙いを定めた。偽物が振り返ったとき、リッツの剣は正面にまで迫っていた。これなら避けようがない。
リッツは渾身の力を込めて、大剣をうち下ろした。偽物は大剣を体に受け、がくりと膝を付いた。
勝負ありと思ったその時、事態は急変した。それはリッツの目が霞んでいたことが原因で起こったことだった。
大剣が狙った場所からほんの少しずれていたのだ。そしてそこが運悪く防具で守られた箇所だった。
誰もが偽物が倒れたと思った瞬間に、偽物は素早い動作で大剣を振り向きざまに投げつけた。肩で息をしてようやく立っているリッツは、とっさに大剣を避けたが、間に合わなかった。
大剣は回転しながらリッツの体を切り裂いた。再び血飛沫が舞い、リッツはゆっくりと地面に倒れた。それでもまだ必死で立ち上がろうともがく。
「甘いな相棒、まだやる気か?」
偽物が大剣を支えに立ち上がったリッツに冷ややかな笑みを浮かべて見せた。
「……言ったろ、負けられねぇんだ」
同じように微かな笑みを浮かべてから、リッツは最後の力で、偽物の大剣をはじき飛ばした。偽リッツの大剣は、床を回転しながら滑っていく。
だがそれがリッツに出来た最後の抵抗だった。
何だか床が徐々に近くなってきたなとぼんやり考えつつ、リッツは床に倒れ伏した。
「リッツ!」
悲鳴を上げるアンナに、フランツは怒鳴った。
「アンナ、僕がなんとか偽物を止めてみる。リッツをなんとかしてくれ!」
アンナはすぐに正気に戻り、頷く。
「分かった!」
偽リッツが大剣を拾う前に、フランツは炎の槍を伸ばし、相手の前へ立ちふさがった。
「俺と戦うのか、フランツ」
偽リッツがリッツの声でそういった。思わず背筋が冷たくなる。手足ががくがくと震えているのが自分でも分かる。
とにかく怖い。リッツであるけれど、リッツであるからこそ恐ろしい。リッツとは一度戦っている。でもあれはリッツが手加減してくれたからなんとか勝負になっていた。
手加減されなければ一発でおしまいだ。
そんなことは今まで目の前で繰り広げられていた戦いを見ていたから百も承知している。
「死ぬぞ?」
偽物は悠々と剣を拾い上げた。気持ち悪いくらいに、リッツそのものだ。
「まだ死にたくないだろ?」
リッツの口調でそういうと、偽物は大剣をゆっくり構えた。彼に向かってフランツは小さく反論していた。
「死にたくない。でも引かない」
「何故だ?」
フランツは、倒れたままのリッツと、必死でそれを治癒しようとするアンナをちらりと見た。
「まだ、答えを得ていない」
「答え?」
「僕の存在する意味だ。リッツやアンナと一緒なら、何かが見つかるかもしれない。だから……」
フランツは決意を込めて炎の槍を握り直した。
「二人とも、殺させない<」
フランツはその時気が付いた。偽のリッツの表情が微妙に変わっているのだ。
不適な笑みは柔らかな笑みへと変わっている。
「なるほどね。よく分かった。君たちは一人では王たる資格がないかもしれない。だが三人合わせればその資格を持ちうるかもしれない」
「……何のことだ」
未だ警戒心を解かずに睨み付けていると、偽リッツは淡く光を放ち、やがて一人の男へと変わった。
「アーティス!」
「見届けさせて貰ったよ。君たちには十分ここを出る資格がある」
アーティスは微笑んだ。
「リッツ君には、恐れず真実を持って突き進む力がある、アンナちゃんには総ての人々への憐れみと優しさがある。そして君には大切な事を守り通す勇気があるんだ。国王はその総てを持つ者がふさわしい。それがこの迷宮を作らせた、エドモンド王の想いだったんだ」
何だか妙に馴れ馴れしい物言いだ。しかもかなり聞き覚えがある。
フランツは後ろを振り返った。アンナはまだ必死でリッツを癒そうと頑張っているからこちらに気が付いていない。リッツは気絶しているから、勿論こちらのことが分からない。
アーティスはそれを知って、フランツにのみ話しかけてきたのだ。
疑いの目でじっとアーティスを睨んでいると、アーティスはそんなフランツを意に介さずにニコニコと笑った。
「フランツよかったね、いい仲間じゃないか。君が人間らしくなっていて驚いたよ。これなら僕も君を手放した甲斐があったってものだね」
その口調にフランツは聞き覚えがあった。でもそんなわけがない。いやいや、絶対にそんなわけがない。
頭の中にわき上がるこの人物の名を激しく否定していると、男がかなり聞き慣れた口調で悲しげに両手を広げて嘆いた。
「おやおや、君にだけ教えてあげてるのに疑り深いなぁ。君はいつもそうやって僕に冷たい……」
この口調……確定だ。この人物は彼に間違いない。そういえば、初めてアーティスに出会ったとき、アンナはこういわなかったか?
『オルフェさんに似てるね』と。
フランツは思わず声を潜めてしまった。
「師匠?」
アーティスはにっこりと笑った。
「そうだよ私だ」
「でも名前が……」
「オルフェもアーティスも本名だよ」
「……」
愕然としてフランツは言葉を失った。迷宮に入った時に最初に目にしたあの玩具……確かにオルフェが好きそうな物だ。
「な、な、な……」
だが驚くフランツに、アーティス……オルフェは頭を掻いただけだった。
「いいかいフランツ、リッツ君たちにはまだ内緒だよ。王都へ行って王立図書館に行って御覧。エドモンド王と『無限の悪夢』これだけでも、私が何者か少々分かるかもしれない」
「でも師匠……」
「僕のことがかったら、そこから先は君が決めたらいい。僕のことをリッツくんとアンナちゃんに話すか、話さないか。それからどうするかをね」
「それから?」
言っている意味が分からない。彼はぐうたらで、生活無能力者のフランツの師匠だろうに。
「ねぇフランツ。僕は少し後悔してる。君にはもう少し話をしておきたかったんだ。でも何も言えなかった。君は僕が思う以上に頑なだった」
「……師匠?」
「だからもし君が僕を知りたいと思ったならば調べなさい。でも知りたくないなら……僕のことを総て忘れてしまいなさい」
「忘れる……?」
「そうすれば君の記憶から、僕は完全に消える。それが君のためなんだ」
聞いたこともないような真剣な口調だった。五年もの間ずっと一緒に暮らしてきたのに、こんな風に真剣なオルフェを見たのは初めてだ。
だからこそ、フランツは言い返す言葉が出ない。そんなフランツに、オルフェは微笑んだ。
「約束だよ、フランツ」
いたずらっ子のような笑みを浮かべて、アーティスはリッツの元に歩み寄った。
「あ、アーティスさん!」
やっと気が付いたアンナが、アーティスに駆け寄る。
「リッツが、リッツが目を覚まさないの!」
泣きながら訴えるアンナに、アーティスは微笑んだ。
「君たちの試練は終わった。ここから出るといい」
アーティスは両手を天高く掲げた。
「さあ、迷宮よ。このものたちを解放せよ」
アーティスの声と共に、周りの風景がゆらゆらと消え、ここへきたときと同じように足下が不確かになっていく。
気が付くと三人はあの迷宮の最初の部屋にいた。真っ白で総てバラバラの大きさの玩具が所狭しと積み上がっている。
フランツは大きく安堵の息をついた。迷宮の中にいることには変わりないが、それでもあの世界よりはずっとましだ。
そんな中でリッツが惚けたような顔で座り込み、腹をさすっている。
「傷が消えてら……俺どうしてた?」
「気を失ってたんだよ! もう死んじゃったかと思ったんだから!」
アンナが涙を浮かべて抗議している。リッツはそんなアンナの頭を撫でながら笑って謝っている。
いつもの光景だ。
「戻ってきたって事は、出られるって事か?」
リッツは多少憮然とした顔で立ち上がった。リッツは顔に出さないよう努力しているが、自分の偽物にやられたことがかなり悔しかったのだと簡単に推測することが出来た。
「リッツ、すんごく悔しかった?」
笑いながらアンナがリッツをつつく。
「うるせぇよ」
アンナに笑われたことに多少口元を歪めたリッツも、しまいには笑い出した。
くだらない話で今までの緊張を癒し合う二人とは正反対に、フランツはまだ何となく釈然としない。アーティスの正体を知ってしまったからだ。
その時、最初にアーティスが現れたのと同じように、中央の一段高いところにアーティスが現れた。フランツはその姿を見つめる。
するとリッツたちから見えないところで、アーティスがこっそりとフランツに手を振った。
夢じゃない。やはりこれはオルフェだ。
「これで俺たちの試練は終わりか? まだ何かあるのか?」
ほとんど睨むようにアーティスを見るリッツに、表情一つ変えずにアーティスが頷く。
「試練は終わった。お前たちは王たる資格があると認められたのだ。この迷宮から出て、そなたたちの信じる道をゆくがよい」
平然とアーティスを演じるオルフェに多少、むっとしたがフランツは黙ったままいた。一応師匠と弟子だ。その絆は自分で言うのも何だが、かなり強い。
行き場を無くして押しかけ弟子をしたフランツを、五年もの長きに渡って面倒を見てくれた師匠なのだから、内緒と言われれば、黙っているしかない。
そんなフランツの感情に関係なく、舞うように動かされたアーティスの指の先に、光の空間が口を開ける。
「ここをいけば、外だ」
光の先を指さし、アーティスがいった。迷い無くリッツが振り返る。
「よし、行くぞ」
「うん!」
アンナとリッツは、その光の中へと足早に入っていった。続こうと思ったのだが、何となく足が止まってしまう。
「師匠……」
「フランツ、君は私の最初で最後の弟子だよ」
アーティスは徐々に姿を変えていった。その姿はまさしくサラディオで別れた、そのままのオルフェだった。
「だから君が知りたいと願ったならば、色々知る権利があるし、君たちならば、いつかきっと私の正体にたどり着くと思う」
「師匠の正体?」
思いも寄らない言葉にフランツは顔をしかめた。オルフェはオルフェではないのか? だが次の言葉でハッとした。
「だってフランツ、この迷宮が作られたのは遙かに昔なんだよ。そして私は未だに生きている」
「……!」
「リッツ君は、私が相当な年月を生きていることに気が付いているよ。きっと自分が長い時間を生きているせいかな。感付かれてしまったんだよ。でもね、最初に僕の正体を知られるのならば、僕は君であって欲しいと思うんだよ」
「何故……僕なんですか?」
「だって君は……僕の長い人生の中で共に暮らした唯一無二のエネノア大陸の人間だからね」
フランツは言葉に詰まった。意味がよく分からない。
家族は……生まれは……? オルフェのそんなこと一つも知らない。
今更ながらにオルフェのことを何も知らなかったことを知り、愕然とした。オルフェがアーティスという名を持っていたことも、知らなかった。
「僕は……師匠……っ!」
「僕はもうサラディオを去る。君に次に会うのはいつになるだろうね。いや……会えるのかな」
驚きのあまり言葉が出ない。だが、オルフェはそんなフランツをにこやかに見守っている。
「弟子というものは面倒なものだと思っていたが、君と会えて思ったよりも楽しいものだと分かったよ。押し掛け弟子だが君はいい弟子だった。僕は幸せ者だよ」
オルフェはフランツに向かって握手を求めた。おずおずとフランツはその手を握り返した。
不思議だ。迷宮に入った時は触ることさえ出来なかったのに、今はきちんと触れる。ということは、オルフェは実際にこの場にいるということだろう。
「さあ行きなさいフランツ、君の仲間たちが待ってるよ」
光の中から微かにリッツとアンナの声が聞こえる。彼にはまだやるべき事があるのだ。
「師匠、お元気で」
きちんと道具の整理はしろとか、家事をさぼらないでやるようになど、言ってやりたいことが沢山あるのに他に言葉が出てこない。
「うん、フランツも」
フランツは、光に向かって歩き出した。この先に出口がある。そしてそこには仲間が待っている。
歩き出そうとしたその瞬間、フランツはオルフェに呼び止められた。
「何ですか?」
振り返ったフランツに、オルフェはにこにこしながら小さな布の袋を渡した。
「これはね、いざというときにきっと役に立つよ。私からの餞別だ。持っていきなさい」
受け取った布袋が、チャラチャラと軽い金属音をたてた。何だか、役に立ちそうにないものの予感がする。とりあえずフランツは、それを無造作にポケットに仕舞った。
オルフェに軽く頭を下げると、フランツは自分を呼ぶ声の方向へ小走りに消えていった。
フランツが消えたのを確認した後、オルフェはため息を吐いた。
「フランツが私の正体を知ったら、何て言うんだろうな……」
知られたくないのが大半で、知って欲しいのがほんのわずかだ。でもそのほんのわずかな思いは、自分自身の希望となってフランツと自分を繋ぐ、細い糸のようなものになる。
いつか、また会うことが出来たならば、どうするだろう。総てを話してあげられるのだろうか。
だが今オルフェにできることは祈ること、ただ一つだった。
さあ行きなさい、運命の子供たちよ。君たちが選択する運命が、幸多きものとなりますように。
出口の扉が静かに光を失い、オルフェはその迷宮から自分の体へと意識をそっと戻した。




