<7>
「それにしても人がいないなぁ……」
街を眺めながらリッツはそう呟いていた。いくら過去の王都シアーズであるとはいえ、こんなに人がいない時代なんて、いくら何でもあり得ないだろう。
とにかく話を誰かに聞かねばならないのに、そんな簡単なことにも苦労しそうだ。
「リッツ見て! おばあさんがいる!」
老婆がポツリと座っているのを見付けて、アンナが指をさした。まずはあの老婆に話を聞くしか選択肢はないようだ。
「私聞いてくる」
リッツが言葉を発するよりも先に、跳ねるように軽やかに、後ろで束ねた一本の三つ編みを揺らしてアンナが駆けていく。
ここがどんな世界なのか全く分からないが、アンナはいつも通り元気だ。そもそもアンナが元気を失うなんて想像も付かないが。
アンナと老婆に歩み寄りながら様子を見ていると、老婆は話しかけるアンナを無視するかのように、顔を上げないようだった。
「おばあさん、どうしたの? 何かあるなら話してくれたら、力になれるかもしれないよ?」
アンナが老婆を窺うように覗き込み、優しく尋ねている。
もしかしたら見知らぬ人物に警戒しているかもしれない。そうだとすればリッツとフランツがその場に近寄ると、老婆の口を開かせるのに逆効果だろう。
リッツは軽くフランツの肩を引き、足取りを止める。怪訝な顔をしたフランツだったが、意図は通じたらしく、黙ったままアンナたちに視線を向けた。
幾度かのアンナの問いかけの後、老婆は恐る恐る顔を上げた。その顔は疲れ切っている。よく見ると傷が数カ所あるようだ。
「怪我、治しますね」
アンナが柔らかくいうと、老婆の傷にそっと手を差し伸べて治癒魔法を使う。
「水の精霊よ、この傷を癒して」
優しく添えられた手のひらと傷が触れあうと、淡い光を放つ。後ろから見ていると、それは見慣れたいつもの光景だった。
だがアンナの様子が少しおかしい。しきりに首をかしげているのだ。
そんなアンナの妙な態度とは関係なく、老婆の傷はいつもと同じように綺麗に癒えたようだ。少し頭を下げて老婆がアンナに静かに謝意を伝えた。
「ありがとう優しいお嬢ちゃんね。何にもお礼はしてあげられないけれど、ごめんなさいね」
悲しげな老婆の瞳を覗き込みながら、アンナが老婆の前にしゃがみ込んだ。
「おばあさん、どうしたの?」
落ち着いたとみたのか、まるで子供に接するように、アンナは先ほどと同じ事を再び尋ねている。
やがて老婆は辺りを憚るかのように、口早に口の中で呟く。リッツの耳は形状故か人より良く聞こえるのだが、聞き取れない。
近くにいたのに聞き取れなかったのか、アンナがもう一度同じ問いを繰り返す。すると老婆は少し離れたところにいるリッツとフランツを怯えるような目つきで見上げた。
小さくアンナに訊ねる声は聞こえなかったが、アンナの返事で分かった。
「あの人たちは私の仲間だよ。大丈夫!」
元気に答えてからアンナがこちらを手招きする。老婆は今も怯えている様子だが大丈夫だろうかといぶかりつつも、リッツはアンナの隣に立った。フランツものろのろとそれに倣う。
三人分の視線を一身に受けた老婆は、再び小さく呟いた。かすれて弱い早口は聞き取りにくい。
「え? 何? 聞こえないよ」
「城に……闇を纏った悪の化身ががいるの」
「……悪の化身?」
予想外の言葉に意味を掴み損ねて、リッツは小さく口の中で繰り返した。その間も絶望的に老婆は顔を覆い、溜息交じりに囁くように呻く。
「この国はもうおしまいなの」
「……どういう事?」
わけが分からない顔でリッツを振り返ったアンナに、リッツは首を横に振った。
「さあな」
まだまだ情報不足だ。とにかく情報が欲しい。そう考えつつも、リッツは首をひねる。ここは実際の戦場ではない。一人で入る迷宮だ。
情報収集を存分にできるとは思えないが?
「沢山の人が苦しんでるけど、誰もどうすることも出来ないんだよ。悪いことは言わない、お嬢ちゃんこの国から出なさい……」
老婆の言葉は更に絶望感を増していく。そんな老婆を見て、思い切り胸を張ったのは、やはりというか、当然と言ったらいいのかアンナだった。
「それは出来ないよ。苦しんでいる人が沢山いるのに逃げるなんておかしいもの!」
リッツは軽く額を押さえた。全くもう、どうしてこう何でもかんでも抱え込もうとするのだろう。これがアンナの性格であることは重々承知だが、アンナを養父に託されたリッツの立場も、考えて欲しいものだ。
「本当に? 本当に助けてくれるのかい?」
案の定、縋るような目をし、まさにアンナに救いを求めるように手を差し伸べた老婆に、アンナは力強く、真剣に頷いた。
「困ってることがあったら何でも言って! 手伝うから」
安請け合いをしないように、どうすれば教育できるだろう。頭の痛い問題だ。
そんな自信に満ちたアンナの言葉に、老婆は顔を覆った。
「孫を助けておくれ……死にそうなんじゃ……」
アンナはキッと顔を上げ、立ち上がった。これがアンナに断れるわけはない。
「本当? おばあちゃん早く案内して!」
決意に満ちた目で振り返ったアンナに、リッツは黙って頷いた。いくら架空の世界といえども、人を見殺しにするのは後味が悪い。
それにこれはアーティスが厳粛な王に請われて作ったものだ。善意は施しておいた方がいいに違いない。
老婆に伴われて入った部屋には、傷だらけの子供が横たわっていた。息も絶え絶えで、多くの瀕死者を見てきたリッツから見ても危険な状態だ。
「さあ、今治してあげるから、安心してね」
早足で子供に駆け寄ったアンナは、ベットサイドに膝を付き、明るく子供を励ます。そこにはヴィシヌで見たような大人びた表情が浮かんでいる。
「大丈夫か?」
つい問うと、アンナは振り返って笑顔を見せた。
「大丈夫だよ。見てて」
小さく息をつき、アンナは祈りの言葉を紡ぎ出す。それはフランツに対して一度しか使ったことのない最上級の治癒魔法だった。
「全ての安らぎと癒しを司る水の精霊王よ、我の求めに応じその力を我に分け与えよ! 我が命の源をもって、癒しを与えよ!」
アンナを、輝く透き通った青の光が包み込む。
「我にその無限なる癒しの力を与えよ……」
水の輝きを持つ光は、アンナの体から徐々に両手に集まり、溢れんばかりのまばゆい水の雫となった。それを静かに子供へ分け与える。
苦しげだった子供の呼吸は徐々に穏やかな者に変わった。それと同時に土気色だった頬には微かに赤みが差す。体温の暖かさが戻って着たようだ。
やれやれ、これで大丈夫なようだ。すぐ真下にあるアンナのつむじを眺めて肩をすくめる。
だが息を付いたのもつかの間、異変が起きたのはアンナの方だった。
「え、え、え? 何これ!」
今まで聞いたことがないような、半ば混乱状態のアンナの声に、リッツはアンナへと身をかがめた。
「どうした?」
「リッツ変だよ、止まらないよぉ」
両手に集められた雫は、輝きを放ったまま静かにこぼれ落ち始めていた。あふれ出すその雫が止まらない。
「水の力が溢れてきて……止められないの!」
リッツは焦った。精霊の力の暴走なんて、精霊使いでもないリッツにはどうすることも出来ない。
「それが止まらないと、お前はどうなるんだ?」
恐る恐る聞くと、アンナは半泣きで答えた。
「私が死んじゃうよ~」
「何ぃ?」
「だって……命の源だよぉ?」
リッツだけでなく、フランツも青ざめた。
「うわ~ん、どうしようリッツ~」
「お、落ち着け、とりあえず落ち着け。なんか方法があるだろ」
「分かんないよぉ~」
「その水、飲んだら?」
突飛なフランツの提案に、リッツとアンナは一瞬惚けてしまった。
「……飲む?」
聞き返すとフランツは真顔で頷いた。
「体に戻せばいいんだ。多分……」
そんなやりとりを見ていた老婆が、真摯な表情で静かに三人に歩み寄った。その手にあるのは輝く銀色の盃だった。
まさかと思ったが、想像は悪い方向へ当たる。老婆はそれをアンナに向かって差し出したのだ。
「その命の水を少し分けて貰えないだろうか? この子だけじゃ無い、まだ沢山の子供が苦しんでるんだ。薬も買えず、医者もいない。みな絶望にかられて泣くばかりだ」
「……でも……」
「無理は承知だよ。でもお願いだ」
老婆のしわだらけの頬を、透明な涙が伝った。それは後から後からこぼれ落ちる。そんな老婆を見つめる半泣きのままアンナは、しばらく自分の両手に溢れる命の水を見つめていた。
嫌な予感に、リッツは固まってしまう。リッツがアンナに制止の声を掛けようと口を開いた時、アンナが先に言葉を発した。
「おばあさん、器をそこに置いて」
「アンナ!」
やはりそうだ。このまま暴走するのならば、苦しむ人々を救うのに命の水を使おうと言うのだろう。その為に自分が犠牲になってもだ。
振り返ったアンナは、半泣きで笑っている。
「沢山人助かるよね」
決意したようにアンナは静かに立ち上がった。
「馬鹿か! お前は見ず知らずの奴らのために命を張るのか?」
「だって……沢山の人が苦しんでるなんてやだよ」
「忘れるな、ここは迷宮だ。実在するかも分からないんだぞ。幻に命をやってどうするんだ!」
「死なないかもしれないもん……」
「な……」
「もしかしてもしかしたら、最後の一滴だけ残って助かるかもしれないもん!」
「アンナ!」
「救える命が目の前にあって、どうやったら戻せるか分からない命の源があるなら、試してみるべきだよ。全員助かるかもだし!」
「やめろ!」
アンナは二人の静止の声も聞かず、雫を全て器に入れた。
なみなみと注がれたその水は、アンナの心そのままのように、透き通り、淡く、そして蒼く輝いている。
「ほら、大丈夫……」
言葉を続けることもできず、糸が切れたようにアンナは力を失った。リッツは反射的にその体を抱き留めた。
「アンナ! しっかりしろ! おい!」
人を助けることばかりに重点を置くアンナの間違った潔さに、リッツは心配しつつも苛立った。これでは命が幾つあっても足りない。
まだまだ若く、経験も楽しいことも知らないアンナの命はたった一つだけだというのに。
リッツが腕の中のアンナの身体の重みを感じつつ、唇を噛みしめた次の瞬間、老婆と子供は輝きを放ちつつ、透き通るように姿を消した。
その代わりに、力を失っていたアンナが静かに目を開ける。
幾度か瞬きをしたアンナは、そのエメラルドの瞳を大きく見開いて、抱き留めたままいるリッツを見上げた。
「あれ? 何ともないよ?」
呆けたような言葉に、リッツの方が力が抜ける。どうやら全く大丈夫なようだ。
がっくりと俯くリッツの腕の中で、アンナが不思議そうに首をかしげた。
「えへへ。なあんだ、よかった。てっきり死んだかと思っちゃった」
あまりにあまりな言葉に、リッツは反射的に怒鳴っていた。
「バカ野郎!」
「ひゃっ!」
腕の中のアンナがすくみ上がる。
「人を助けたいのは分かった。でもな、自分の命の重さもわかんねぇで人が助けられるか!」
アンナをアントンから預けられて、初めて正面切ってアンナを怒ってしまった。アンナは固まったようにリッツの顔を見つめたまま身動き一つしない。
「お前は今、俺やフランツと一緒にいるだろう? お前がそうやって目の前で死んでみろ。俺たちがどれだけその事に責任を感じたり、苦しんだりすると思っているんだ?」
「え……?」
黙ったままリッツはフランツの方へあごをしゃくって見せた。そーっとリッツの後ろを見たアンナは、ハッとしたように目を伏せた。
フランツは力が抜けたように座り込んで顔を覆っているのだ。アンナが生きていたと分かってホッとした瞬間腰が抜けたようだ。
「……ごめんなさい」
謝るアンナに、リッツは表情を和らげた。
「分かりゃいいんだ分かりゃ。今は俺たちは三人で旅をしてる。だから勝手に自分を犠牲にするんじゃない」
「ごめんなさい……」
「もうやんなよ」
「うん」
うなだれるアンナに、リッツは苦笑した。まるで本当に父親になった気分だ。素直に頷いて、ギュッとリッツの服を掴んだアンナに苦笑しつつアンナを放した。
「それにしても分かんないのは、お前の力が暴走したことだな……」
「そうなんだよね」
アンナは不思議そうに自分の手を見ている。アンナには癒しの水が溢れだした理由が全く分からないようだ。
「もしかして……これが試練じゃないかな?」
まだ青い顔をしているフランツがボソッと呟いた。
「試練か……」
いわれてみれば確かにその可能性が高い。つまりアンナが試練を一つクリアしたから、あの老婆と孫が消えたのだ。
「じゃあアンナの力の暴走もその一つか……」
もしかしたら人に分け与えられる何かを持つ者は、その全てを求められるのかもしれない。如何にして自分を犠牲にできるのか、それは確かに王として必要なものかもしれない。
内戦前にエドワードの近くにいたリッツは、それを理解していた。彼が王位のために諦めたものが沢山あることを、リッツは知っている。
アンナの場合、人に与えられる癒しの力を持っていたからその全てを求められた。自分をなげうってでも、他人を助けられるかというのが試練だったようだ。
リッツやフランツしかいなければ、ここで試練は終わっていただろう。
なるほどエドワードの言う通り、一人では無理でも三人なら何とかなるかもしれない。
「こうやって試していくって事か。嫌な試練だな」
きっとアーティスは、彼らをずっと見ているのだ。その上で彼らを試練に耐えられる者か、何処かで判定しているに違いない。
腹立たしいがこの試練を探しては潰していくしか手がなさそうだ。
「ちょっと気を引き締めた方がいいな」
リッツの呟きに、アンナとフランツが重苦しく頷いた。こんな事が後幾つあるのだろう。
とりあえず三人は、再び気力を奮い立たせて老婆がいっていた『城に悪の化身がいる』という言葉を頼りに、城を目指した。
王都シアーズは、薬草の街トゥシルから真っ直ぐに南へ向かう旅人の街道の終着点である。だから一番大きな道をただひたすらに南に向かって辿っていけば、途中で城に続く大通りに出られる。
城に行くまでの道すがら、沢山の人々に行き会ったが、皆疲れきっていた。それは城に近づくほどひどくなる。
「城が問題だよな。それは分かるけどさ」
誰に言うでもなくリッツはそう呟いていた。こうまで暮らしが困窮するのは政治のせいだ。それくらいは分かる。
「悪の化身って何者かなぁ?」
真剣だが突飛なアンナの問いに、リッツは答えた。
「多分本当の化け物じゃないだろうな」
「何で?」
「城に化け物が巣くってて、それを倒して、はい、おしまいってんじゃ、王族の試練にならないだろうが。もっと何かありそうな気がするぞ」
「何があるんだろ……」
何とも結論がでない。ようやく城にたどり着いた三人は仰天した。
「うわ~っ豪華!」
遠くから見た城はそんな感じではなかったが、近づいて見る城は豪華だった。
はためく沢山の国旗の縁取りには金が惜しみなく使われているし、壁の細部までこだわり尽くした彫刻と石積みが見事だった。
壁の石材は、磨き上げられていて輝きを放っている。あれはきっと大理石だろう。
「王都のお城ってこんななの?」
アンナはまだ王都を知らない。
「そんなわけあるかよ。これは変だ」
リッツには何となくこの迷宮を作ったアーティスと厳粛な国王の考えが分かってきたような気がした。
異常に豪華な城、生活に瀕する国民。これはもしかしたら、王族への戒めと教訓を秘めているのかもしれない。
城の下に付いた三人を出迎えたのは、好意的ではない兵士たちの歓迎だった。
街の人々に比べたら、肌の色つやも健康状態もいい兵士たちは、重苦しそうな鎧に身を固め、こちらを睨みつけている。
どう考えても今の時代からすれば、かなりの時代遅れの鎧だ。どう考えても古代の骨董品だ。やはりリッツの適当な推測は誤っていなかったらしい。
三人は、城を見学にきた観光者のようにその横をそれて移動した。兵士たちは城に入らない者には興味が無いらしく、すぐに視線が逸らされた。
この城はシアーズにある実際の王城に比べると格段に小さい。リッツの見たところだと、王城の中にある第二の門を過ぎたぐらいのまさに王城中心部ほどの大きさだろう。
現在の王城は、この王城の数倍の広さがあり、中に政務部、軍務部、そして士官学校、近衛部隊舎まであるのだ。
彼らの動きに兵士たちが警戒している感じはない。まさか彼らが中へ進入しようとしているとは、思いも寄らないのだろう。
「なんだかさぁ、兵隊さんの方がすご~く元気そうなのはなんで?」
アンナは街の人々の姿と重ね合わせて兵士を見ていたようだ。あまりにも違うその態度と格好に疑問を覚えるのは当然である。
「多分あの兵士はいい思いしてるんだろうさ」
何の事か分からなかったのか、アンナとフランツが首をひねった。この二人が軍事や政治を知るわけがないのだから仕方ない。リッツは簡単に説明をすることにした。
「簡単に言うと、王様が自分を守ってくれる奴にだけ手厚い保護をしてるって事さ」
「ああ、そういうこと」
「?」
何となく納得したフランツとは対照的に、理解できないアンナが益々首を傾げた。
仕方がない、リッツは身近なことを例え話にしてアンナに説明した。
「アンナ、もしも俺がこの力を利用して悪いことをしようとしてたらどうする?」
「止めるよ」
こともなげにアンナは答えた。
「俺のやってる悪いことに手を貸せば、食べ物に一生苦労しないとしても止めるか?」
「勿論!」
リッツは深く頷いた。アンナならこういうと思った。これなら分かり易そうだ。
「つまりだ、ここにいる兵士は王様のやっている悪いことを止めたりせずに、自分が儲けるため、ああしているって事さ。だから普通の国民と違うんだ」
リッツが説明している間に、フランツが何やらノートを取り出した。そこにはエドワードから聞いた国王の資質についてのメモが書かれているはずだ。ひょいっと覗き込むと、アンナも一緒になってフランツのメモを覗く。
『不正や悪事は特権階級・平民共に差別すること無く平等に裁く。報酬もまた同じく平等に』と書かれている。
おそらくここの城の主とは、考え方が正反対だ。ノートから目を上げると、フランツとアンナを見る。
「俺の想像でしかねえけど、多分この迷宮は『王族として、してはならない』と厳格な王様が思ったことをやってる奴が国王だ」
「……どういうこと?」
ますます分からないといった顔をしたアンナに、諭すように答える。
「この街を見て、俺たちは異常だと思った。でも王族として民衆の側に立って物事を見たことがない人間は、異常だと思わないだろうな」
「そうなの?」
「ああ。王族は特権階級の持ち主だ。何も知らずにいる奴は少なからず存在する」
内戦でエドワードと戦ったエドワードの兄で偽王を名乗った男もそうだった。
「おそらくこの迷宮では、王族が将来なりかねない、もっとも悪いケースの王に治められた国が再現されている。その王を見て、自分の中の甘えや傲慢さを断ち切る事が出来るかを、試しているんだろうよ」
丁寧な説明に、アンナとフランツもようやく納得したのか頷いた。
そうなると、ようやく最初の問題に戻った。どうやって城に侵入するかである。
「どうする?」
フランツに尋ねられて、簡単にリッツは返事をした。
「中に入るさ」
「……どうやって?」
質問の形ではあるが、フランツの口調に諦めが混じる。どうやらリッツが言わんとしていることを分かっているらしい。そもそもリッツは回りくどいことが好きではない。
「勿論、中央突破」
「……言うと思った」
リッツは、アンナとフランツに手招きをして、二人の耳元で策を話し始めた。
「アンナはまず、風の矢で俺ら三人の周りに防御壁を作るんだ」
「うん!」
アンナが弓を片手に持ち、矢を抜き出した。
「フランツ、お前は俺の合図で火球をぶっ飛ばせ。思い切りやっていいぞ」
「リッツは?」
小声で尋ねたフランツに、笑って答える。
「火球の真後ろから走り込んでいって、敵を攪乱する」
リッツが断言すると、フランツは小さくため息をつきつつ炎の槍を短く構えた。魔法を強化するだけなら、このままで十分らしい。
「やっぱりな……」
諦め口調のフランツに、リッツは苦笑する。
「回りくどい事をしている時間が惜しいだろ?」
「でもリッツ、火球が建物にぶつかったら、大惨事だよ?」
アンナの疑問にも、リッツは簡潔に答えた。
「その直前で切り捨てるさ」
リッツはそれを前に経験している。それに今回は向かってくる火球ではなく、追っていく火球だ。まず問題はないだろう。
「そんじゃ、覚悟はいいか?」
「おっけーっ!」
「ああ」
元気なアンナと、対照的に気の進まないフランツの不承不承の返事。だがフランツはやるべき事はやる男だ。
フランツが炎の槍を片手に精神を集中させたのを確認してリッツのカウントが始まる。
「じゃあいくぜ……三・二・一……いけフランツ!」
「炎の精霊よ、我に力を分け与えよ。いけ、火球!」
フランツの放った火球が合図となり、アンナは風の弓を振り絞った。
「風の精霊、私たちを守って!」
矢から放たれた風が三人の周りに薄い膜を作った。準備は万端だ。後は突っ込むのみ。
「いくぞ!」
リッツは大剣を背中から鞘付きのまま抜き取ると、火球の後ろから猛然と城の中に突っ込んでいった。
「は、早いよ~」
後に必死でアンナが付いてくる。フランツも後に続いた。火球で怯んだ兵士たちを、鞘付きの大剣で反撃の暇を与えずなぎ倒しながらリッツは駆ける。
後に残されるのはうめき声を上げて倒れている兵士の痛々しい姿……。
「うわぁ……痛そう」
走りながら呟くアンナに、剣を振るう手を休めずに駆けながらリッツが答える。
「悪い事してるんだから仕方ないだろ」
黙ったままのフランツもリッツと同意見のようで、目にちらりとも同情の色を浮かべていない。アンナももっともらしく頷いた。
「そっか」
そんなこんなで、何も苦労することなく無事城内に駆け込むことが出来た。
「仕上げだ!」
リッツは鞘を投げ捨てると、火球を後ろから力任せにぶった切った。火球は激しく爆発を起こして消えた。
「二人とも無事か?」
息も切らせず振り返ったリッツに、アンナは笑顔で答え、フランツは息を切らせながら頷いた。どうやら三人とも無事に進入できたようだ。
その瞬間に、また入り口にいた兵士たちがきらきらと光る粉のようになって消えていく。どうやらここを越えることも、何らかの試練だったようだ。
「やっぱりどっかで見てやがる」
思わず吐き捨てるように言ってしまった。見ているのならば、ここから出してほしいものだ。何しろ彼らは王家の試練を受けるべき人間ではない。
だが今は迷宮の主に、悪態をついている場合ではない。出るのが先決だ。
「さ、先に進もうぜ」
二人を促すと、二人は黙ったまま頷いた。
誰もいない空間を歩いていると、何だか妙な静けさにこんな状況が初めての年少組が落ち着かない。緊張に動きすらもぎこちない。
アンナとフランツの緊張を解きほぐすために、リッツは軽口を叩いた。
「こういう時はな、大体扉を開くとどか~んと敵が大挙して出てくるんだぞ」
疲れた顔のフランツを脅すように冗談を言うと、あからさまにフランツは顔をしかめた。
「やめてくれ。現実になったらどうするんだ」
フランツは、このまますんなり城の中に入って手がかりを見つけ、すんなり迷宮を後にしたいのだろう。
だがそうは問屋がおろさないだろう。
「とにかく中に入ってみようぜ」
リッツはそういうと、二人を促しつつ立ち上がった。城の中に何があるのか分からないが、とにかく三人には進むしかない。
最初に異変に気が付いたのは、やはりリッツだった。この気配には馴染みがある。
殺気だ。
「お出ましみたいだぜ」
「……何が?」
恐る恐る尋ねたフランツに答えず、リッツは大剣を構えた。
「だから言ったろ、こういうときは敵が大挙してわんさか出てくるって」
「<」
フランツとアンナが目を見開くのと同時に、先ほどの城門、そして城の正面扉から大量の兵士が飛び出してきた。
「アンナ、防御!」
とっさのリッツの一言に、アンナはすぐ風の弓を放った。だがこの風の防御陣には、一つ難点がある。
「リッツ、ほとんど持たないよ」
そう、アンナの風の防御陣は本当に短時間しか持たないのだ。
「……そうだよな」
そんなことをいっている間にも、三人はじわじわと大量の兵士に彼らを中心とした輪の形に取り囲まれてしまった。彼らはこちらの手を読んでいるのか、風の防御陣が消えるのを、取り囲んだまま待っているようだ。
これは絶体絶命のピンチである。
「リッツ、どうするんだ!」
少しパニック気味のフランツに答えず、リッツはアンナを見つめた。
「このまま土の矢を使えるか?」
「使えるよ」
緊張した面もちでアンナが矢筒から土の弓を取り出した。
「それ、地面に立てとけ」
「? 分かった」
わけも分からぬままに、アンナが言った通りに矢を地面に突き立てる。兵士たちとの睨み合いが少々続いたころ、風の防御陣が薄らいできた。
「リッツ!」
アンナが真剣な顔で振り返ったのを見て、大剣を構えた。
「いいか、俺の合図で土の精霊を使え」
「土の精霊を?」
意図が分からずアンナは困惑している。土の精霊を使うと言ったって、彼女に出来るのは敵を転がすことだけなのだ。
だがリッツには策がある。ただ黙って風の防御陣が完全に消え去る瞬間を待った。
風の防御陣が消え去った瞬間、兵士たちが一斉に彼らに向かって走り出そうと身構えた。リッツが狙っていたのはその瞬間だ。
「アンナ!」
声を掛けたと同時に、アンナが叫んだ。
「土の精霊さん、転ばせて!」
そのとたん、リッツの意図したとおりに、輪の先頭の人間が駆け出せずに転倒した。するとその後ろの人間が先頭の人間につまずいてこける。それがどんどん連鎖していく。
「わぁ……」
技を掛けた当の本人であるアンナが、呆けたように立ち尽くしている。
「な? 何とかなるだろ?」
こんなに密集していれば、誰かが転べば皆転ぶ。当たり前の事だ。
「……ドミノ倒しだね」
呟いたフランツに笑いかけて、リッツは大剣を背負った。もうこれを遣う必要は無い。
「さあ、脱出!」
リッツは、折り重なりながら立ち上がろうともがく兵士たちを踏みつけて、人垣を脱出した。アンナとフランツもその後を急いで追ってくる。
「ごめんね、通してね」
アンナは兵士を踏みつけながら律儀に謝っていたが、そんなことよりも兵士たちは彼らにむざむざ逃げられる事が腹に据えかねているらしい。
「あっ!」
不意にアンナが叫び声をあげた。見ると足首に掴まっている兵士がいた。反射的にリッツはその男の頭を踏んでいた。
「うっ……」
兵士は、うめき声を上げて意識を失う。
「ありがとう、リッツ」
「おう。大体スカートの女性の足首を掴むなんて、デリカシーのなさすぎだろ」
当たり前の事を言ったつもりのリッツだったのだが、人の手を蹴り飛ばしながら進むフランツが釈然としない顔をし、ため息を吐いた。
やはりフランツには、リッツの冗談が通用しないようだ。
倒れていて起き上がれない人垣を抜け、三人は堂々と、城の中央門から内部に進入した。扉を閉める前に立ち直った兵士たちが大挙して押し寄せようとしたが、その直前にみな金色の粉のようになって消えてしまった。
これも試練なんだろうか。よく分からなくなってきた。
「何を試そうというのやら」
リッツはぼそりと呟いた。だが行くべき場所の見当は付いた。
今リッツたちがたどり着いた場所は、城の入り口ホールだった。沢山の柱が等間隔に並び、床は磨き上げられた大理石で出来ている。歩いていると自分の姿が映ってしまうほどだ。
迷い無くリッツは、おそらく到着地だと思われる部屋を目指して歩く。
「それにしても人がいねぇな」
先頭を進むリッツは、一人そうこぼした。先ほどまでの兵士の数が嘘のように城内は静まりかえっている。
兵士はともかく、官僚などがいるはずなのに、何の気配もしないのは、もはや奇妙を通り越して不気味だ。本来の王城なら、この中には溢れるほど人がいる。
何故誰もいないのだろう。人がいてもいなくても、試練には関係がないと言うことだろうか。謎は深まるが、ここはとりあえず先に進むことにする。
警戒を怠らずにでも少し早足で、城の奥深くへと徐々に進んでいく。聞こえる物音はといえば、彼らの足音ぐらいなものだった。
そのせいか、それが異常に大きく聞こえる。
広間を抜けて渡り廊下へ入り、行き止まりの大きな階段を上がった。二階に上がると、再びテラスのような廊下を通って中央にあるホールに出た。一階から吹き抜けになっているのだ。
そのホールから奥へと続く細い通路を抜けた先の廊下は、恐ろしく広い。廊下と言うよりも何かのホールといってもいいかもしれない。
そのホールには、等間隔に扉が並んでいて、何も知らないフランツとアンナから見ても、ここが城の中枢部だと言うことが分かるだろう。
後ろに付いてきていたフランツがリッツに尋ねた。
「何処に向かっているんだ?」
「まあ、行けば分かるって」
気楽にそう答えたリッツだったが、フランツとアンナの不満そうな顔を見て、苦笑した。黙っていても仕方ない。ここは正直に言ってしまおう。
「玉座だよ」
「玉座?」
驚く二人を振り返りもせず、当然のようにリッツは続けた。
「決まってるだろ。あんなに国民が弱ってんのは、国王が悪い。だから国王に会えば何か分かるだろ」
リッツの考えは単純だ。
「そもそも、これは王族のために作られたもんだぞ?それなら、王が関係して来るに決まってるさ。そして王がいるのは王座。単純明快だろ?」
「そうだね」
納得したのかフランツが頷いた。
「でもでも、どうして玉座まで迷わないでいけるの?」
アンナの質問には苦笑しつつ答える。
「過去とはいえ、玉座の位置がそう易々と動くとは思えないだろ。玉座の間はちゃんとどこにあるか分かってるし」
「どうして?」
「嫌々ながらも、昔々、この国の大臣だったからな」
「あ、そうかぁ……」
アンナがしみじみと頷いた。きっとアンナはリッツの立場が昔は大臣だったことなど忘れていたのだろう。リッツにとっても、随分と昔の事だ。




