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呑気な冒険者たち  作者: さかもと希夢
小さな大迷宮
40/224

<6>

 目が覚めたら、そこは異境の地……。

 彼らはまさに今、その感覚を肌で味わっていた。

「何ここ~?」

「何でこんなところにいるんだ?」

 同時に叫び声をあげたアンナとフランツに、リッツとエドワードは苦笑するしかなかった。説明するにしても一言で片付く物ではない。

 確かに昨晩はベットで寝たはずなのに、四人はいつの間にやらこの迷宮に入り込んでいる。事情を知っているリッツとエドワードでさえも驚いたのだから、落ち着けと言う方が無理な話だ。

 それでも軽く、言葉に冗談を交えてみる。

「寝ぼけて移動したんじゃないのか?」

「私、そんなに寝相悪くないもん!」

 やはり誤魔化しは一切通用しないようだ。アンナはむっと頬をふくらませ、フランツは怒りで顔に朱を走らせた。

「リッツ、エドワードさん、ここは何処ですか?」

 最初の叫び声と同じようなテンションのまま、フランツが詰め寄ってきた。

「どこと言われてもなぁ……」

 溜息交じりにリッツは頭を掻く。

 今四人がいるのは、距離感が分からなくなりそうな、真っ白な空間だった。

 そこにはまるで妙な芸術家が作り上げたような、同じく真っ白な玩具が所狭しと並んでいる。その大きさはまちまちで、リッツを超える大きさの知恵の輪があるかと思えば、指の上に乗ってしまいそうな小さな迷路盤もある。

 四人はそんな玩具の中心に、立っているのだ。

 白い空間には果てがあるのか無いのか、それすらも分からなくて、目眩がしそうだ。

 長いこと傭兵生活と放浪生活を繰り返してきたリッツでさえ、こんな空間を見たのは初めてで、エドワードに聞いていなければ、情けなくも完全に混乱するところだった。

 不意にポンと肩にエドワードの手が乗った。視線を向けると、お前が仲間なのだから説明してやれという、エドワードから無言の圧力を受ける。

 仕方なく頷くとアンナとフランツを振り返った。

「え~っと、じゃあ説明するぞ。そもそもの始まりは……」

「も~、じれったいよ~」

「能書きはいいから、早くしてくれリッツ」

 何から話そうかと考えながら話しているリッツを遮って、アンナは地団駄を踏み、フランツは彼に詰め寄った。

 仕方ない。

「分かった、率直に言おう。ここは『無限の悪夢』っつう迷宮の中だ」

「『無限の悪夢』!?」

 二人の声が重なる。名前だけでも何となくその不気味さを悟ったのだろう。二人はじっとリッツを見据えたまま、黙って続きを待っている。仕方ないから、簡単にまとめた。

「そ。元々王家の物でな、何とこのエドワードが間抜けなことに盗まれちまったらしい。そんで王様自らが責任を取ってこの迷宮を取り返しにきたんだってよ」

 今度はリッツの簡単すぎる説明に、納得いかない顔だが一応フランツとアンナは頷いた。だが、一人頷かない奴がいた。勿論エドワードである。

「誰が間抜けだ、もう一度言ってみろ」

「いてててて、やめろよエド」

 耳をつままれながら、リッツが文句をいう。そんなどこまでもふざけている二人の間に、フランツの槍がシャララララと音を立てて勢いよく伸ばされた。刃先は、図られたかのように、二人の真ん中でぴたっと止まる。

「……<」

 思わずそのままの体勢で黙ると、怒り心頭に発したフランツの、冷たく憤った声が突き刺さった。

「……説明を続けるか、僕に刺されるか好きな方を選んでいいよ?」

 全く冗談の通じない奴だ。

 だが言葉に出すと確実にリッツの方が刺されそうなので軽く咳払いして誤魔化す。エドワードはリッツの耳を放すと後ろに下がり、何事もなかったようにこの空間を物珍しげに見回している。

 全く、人に押しつけておいていい気なもんだ。

「……じゃ、説明を続けるぞ」

 エドワードを恨めしく思いつつも、一つ咳払いをして、リッツは続けた。

 フランツは出したときと同じように静かに槍をしまった。もしかしたらこの伸びる槍、戦闘ではなくこういう事に使われることの方が多くなるかもしれない。

 それはちょっと、いやかなりごめん被りたい。

「この迷宮は、元々厳格な昔の王様によって作られたものだそうだ」

 リッツは、昨日エドワードから聞いたことを、肝心なところは伏せてそのまま彼らに話した。

 伏せられたところは勿論、出る方法がないことと、出られなければ廃人になるということだ。

「つまり、この迷宮で王家の人間に相応しい性格かどうかを試して、相応しかったら罪を許されたんだってよ」

 リッツの長い説明が終わって、アンナとフランツはため息を吐いた。

「リッツ、王家に相応しい性格って何かなぁ?」

 アンナのもっともな呟きに、リッツも首をひねるしかない。

「俺は王家に生まれたこと無いからなぁ……」

 フランツは呆然としたように首を振っている。ただの迷宮なら、出るだけだからわかりやすくていい。だが王家の資質を問われる迷宮なんて、どうしたらいいのかさっぱり分からないのだろう。

 それはここにいる全員が同じ事だ。

「ここに王家の人間がいるから、一応聞いてみたらどうだ?」

 リッツの提案に、アンナとフランツは思い出したように顔を上げた。

「エドさん、王家に相応しい性格って何ですか?」

 率直なアンナの質問に、エドワードも流石に口ごもっている。

 国王になって早三十五年、王家の資質を形式立てて考えたことは無いだろう。そもそも資質とは持って生まれたものであり、後から身につけるものではない。

 ただエドワードは、統治者としてどのように国を治めればいいのかは重々分かっている。

「難しい質問だね。私は王の持つべき資質くらいしか分からないが、それでもいいかい?」

「うん!」

 二人の会話に、フランツも耳を傾けた。

「まず一つ、民に対して誠実であれ」

「……誠実」

 聞きながらフランツはメモを取っている。

「勇気を持って難事に立ち向かう。不正や悪事は特権階級・平民共に差別すること無く平等に裁く。報酬もまた同じく平等に。正しいことと間違ったことを区別できる耳を持つ」

 段々アンナの顔が困ったようになってくる。そんなに並べられても、よく分からないに違いない。リッツ同様に感付いたのか、エドワードの口調は徐々に柔らかく変わっていく。

「それから、戦争をなるべく起こさない、税金を取りすぎない、住民管理をしっかりやって、病院の整備もして、教会にも援助をする。つまり、父親のような愛情で国民みんなに接するということだ」

 困惑しきりの二人の顔を見て、エドワードは結局こう締め括った。確かにそれが一番分かり易いかも知れない。

「お父さんかぁ」

 案の定、アンナは深く納得している。

「……それがどう迷宮に関わってくるんだろう」

 メモを取っていたフランツは困惑したままの表情で手を休めた。困惑とこれから事を考えて、全員が黙りこくってしまった。

 ふと目をやると、真っ白い空間には、真っ白いだけのチェスがある。これで戦うのはかなりの難題だろう。そのチェスの横には四人が乗れるぐらいかなり大きな木馬が置かれている。

 距離感というものが存在しないかのような、目眩がする光景だ。

「頭がおかしくなりそうだ……」

 呟くと、アンナも深々と頷いた。

「頭が、プディングになりそうだよ~」

「だよな」

 二人でため息をついた時、中央に置かれていたひときわ高い円形の台の上が、薄ぼんやりと光り始めた。

「何! ……もしかしてオバケ?」

 またもや始めに気が付いたアンナが素っ頓狂な声を上げた。フランツがその声に固まる。

 この間から見ていると、フランツはおそらく幽霊とかお化けのたぐいが苦手なようだ。

「何だ?」

 動くことも忘れて全員がその姿を注視した。すると彼らの見守る前でその薄明かりはうっすらと形を作り始めた。徐々に人の形を取り始めたようだ。

 その不思議な光景に、言葉も出ない。

 ようやく一同が冷静さを取り戻したときには、その影は白いローブを羽織った、若い男の姿に変わっていた。

 だがその男は全く動きも話しもせず、静止したままだ。どの角度から見ても止まっているだけで普通の男に見える。

「これ、人間か?」

 リッツが近づいてその男に手をふれると、透き通ったように輝く男を、すんなりとすり抜けてしまった。

「<」

 何もないのに、何だがうっすらと暖かい……。思わず手を引っ込めたリッツに、透き通った男は語りかけてきた。姿が透き通りながらも、口調ははっきりしている。

「我が名はアーティス。迷宮を作りし精霊使いにして、試練の迷宮の案内人」

 透き通った男はローブに身を包み、四人を見つめていた。全てを見透かしているような目が象徴的な男だ。

 肩のあたりでばっさりと切りそろえたストレートの髪はブラウンで、それが男の印象を少々和らげる役割を果たしている。

 この透き通った男から、鋭さを抜き取ると誰かに似ている気がする。先に気が付いたアンナが、フランツをつついた。

「フランツ、オルフェさんに似てるねぇ~」

 アンナに言われて見てみると、なるほど少しは似ているかもしれない。だが雰囲気は全く違う。オルフェはいつも眠そうで、ぼんやりにんまりしているタイプに見えた。戸惑うフランツの印象も、リッツとそんなに変わらないのだろう。

「気のせいだアンナ。全然雰囲気が違う」

「そうかなぁ……」

 だがそんなやりとりをしている間に、アーティスと名乗った男は話を続けた。こちらの話はまるで聞こえていないようだ。

「この人、冷静だね。おしゃべりしてても気にしてないもんね」

 アンナが感じたのは、何だか無機質な感じのする男の語り口だった。

「そうだね。聞こえないのかもしれない」

 エドワードがアンナとフランツの不思議そうな顔に気が付いて教える。

「多分、あらかじめ決まったことを話しているんだ。それ以外は見ることも聞くこともしないのだろう」

 この迷宮に入る人間がいたら、自然にこの男の姿が現れて、それが誰であっても同じ説明をするのかもしれない。

 以前に入った人間が、すでに生きていないから確かめようがないが。

「まず、この迷宮の姿をお見せしよう」

 男がそう言うと、今までは永遠と続くかと思われた白い壁が突然に透明に変わったように、周りの景色が見えた。リッツは息を呑んだ。

 今まで真っ白な空間にいたのに、まるで高原の中心に立っているようだ。

「……外?」

 アンナの呟きに、エドワードが首を振った。

「違うようだ。見てみなさい、玩具もガラスのように透き通って、向こうの景色が見えている」

「! 本当だ……」

 全員が息を呑む中で、男の声が妙にすんなりと耳に入ってくる。

「我が迷宮を旅する者よ、よく聞くがいい。この世界は人の世界。そしてお前たちの物であり、お前たちの物ではない世界だ。ここでお前たちは世界を治めるにふさわしい者かを試されることとなる。よってお前たちに、普段から持つ力を授けよう」

 男の言葉が終わると同時に、リッツの元には大剣が落ちてくる。それは使い込まれたいつもの剣である。エドワードも同様に、剣を与えられている。そしてフランツの元には、炎の槍が降ちてきた。アンナにはあの精霊の弓と矢が落ちてきた。

「これから経験するのは、王として相応しいかどうかを試す試練だ。自らの持つ知恵と力で乗り切るがいい」

「知恵と力……」

 フランツが小さく呟いて、その言葉を紙に書き付ける。

「迷宮にはこの始まりと終わりの部屋が存在する。この世界で試練を乗り越えたなら、ここへ自然と戻ってくることになる。だが乗り越えられねばあの世界で永遠に暮らしていくこととなるのだ」

「それが廃人になると言うことか……」

 男の言葉に、エドワードが呟く。今更ながらに、命がけの賭に出てしまった緊張感が、わき上がってきた。

 リッツは本当に、アンナとフランツを脱出させ、先に出ていたエドワードを救えるのだろうか?

「説明は以上だ。支度が出来たら、私に呼びかけるがいい」

 そういうと、アーティスと名乗った男は、再び動きを止めてしまった。これでもう説明は終わりだ。後はやるしかない。

 リッツは周りを見渡していたエドワードを見つめた。

「……エド、お前どうすんだ?」

「少し二人で話をしないか?」

 エドワードの真剣なまなざしに、立ち入れない物を感じたようにフランツとアンナは、二人で顔を見合わせてからこちらを窺った。そんな二人にリッツは頷き返した。

「悪いな」

「いいよ。ここで待ってるね」

 アンナは笑顔でそういうと、フランツを見た。フランツも頷く。

「すまないね。フランツ、アンナ」

 苦笑に近い笑顔を作って、エドワードはゆっくりと巨大な木馬の反対側に出た。ここからならばフランツもアンナも見えない。それを確認してから、リッツは口を開いた。

「……で、お前、やっぱ行くのか」

「……ああ」

「本当に俺たちの時間稼ぎをするつもりなのかよ?」

「無論だ。巻き込んでそのままというわけにはいかないさ。彼らは二人とも若い。まだ先の未来があるからな」

 リッツは顔をしかめて呻いた。

「お前、馬鹿だろ? 敵のど真ん中に一人だぞ? 奴らの思う壺じゃんか。無事でいられるわけない」

 リッツの心配を察したのだろう。エドワードはリッツの肩を軽く叩いた。

「俺が殺されたら、すぐに王太子である息子が後を継ぐ。それでは奴らも困るだろう。だから俺に退位のサインを書かせ、試練を勝ち抜いた者に王位が与えられる旨を明記させようとするはずだ。だからむやみに殺されないさ」

「……そうか? 怪しいもんだ」

 リッツの疑惑はエドワードの疑惑だ。だがその顔を見ている限りどうしてもエドワードを翻意させることは難しそうだということは分かる。

「俺が代わりに出られたら、奴らを一網打尽にしてやるのに……」

「お前なら出来るだろうな。だが残念ながらお前は王家の血を引いていない」

 エドワードは妙に冷静だった。何だかその態度がリッツには嫌だった。まるでエドワードが……死に急いでいるような気がして怖い。

「なるべく急いで四人で出る。それで敵を潰す。それじゃ駄目かよ?」

「駄目だな。おそらくすぐに出られないことを見越して、兄上たちは一瞬の油断の中にいるはずだ。そこを突くのが一番いい」

 理屈としては分かる。だけどそれが一番危険な気がして嫌だった。唇を噛むリッツに、エドワードが笑いかけた。

「俺は兄上と話をしてみたい。三十五年物幽閉生活で人は変われるのか、何か掴んだのか、それを知りたいんだ。これは一種の賭だな」

「……本気か?」

「本気だ」

 沈黙が二人の上にのしかかる。

 リッツから見れば、もう話し合いの段階を越えてしまっている。もしかしたらエドワードだって分かっているのかも知れない。

 だが一人で出て彼らと対峙し、時間を稼ぐというエドワードの意志は固かった。

「何故そこまでしてやるんだ? 俺らと一緒に来て、一緒に対峙すればいいじゃないか」

 だがエドワードは笑っただけだった。彼にはもう何かしらの決意が付いてしまっているらしい。

「敵は一人じゃないぞエド、分かってるんだろ?」

「分かっている」

 エドワードはしばし宙を見て沈黙した後、昔と変わらぬ真っ直ぐで決意に満ちた顔で、おそらく満面に不安と怒りを浮かべているであろう、リッツに向けて微笑んだ。

「リッツ、シャスタに次の王への譲位を示した書類を託してある。俺にもしものことがあったとき、お前とシャスタでこの国をなんとかしてくれ」

「馬鹿言うな< 一介の傭兵に過ぎない俺に何が出来るんだよ!」

 エドワードの悟りきった言葉に、怒りのあまり大声で怒鳴り返していた。せっかく再会できたのに、せっかく会えたのに死を看取れなんて、そんなのは絶対に嫌だ。

 だがエドワードは動じない。

「お前は一介の傭兵なんかじゃない。分かってるはずだ」

「分かるか!」

「冷静になれ、リッツ・アルスター」

「くっ……」

 あくまでもさざ波すら立てない水面のように静かなエドワードの目には、迷いはない。思わずグッと拳を握りしめる。リッツには言い返す言葉が見つからないのだ。

 自分はまだ、エドワードに大臣の任を解かれていない。親友であっても、大臣であり、心の一部分は部下である事実は、自分の中に確固として存在している。

 ただリッツには、何故国王の彼がそこまでしなくてはならないのかそれが理解できない。

「……リッツ、戦乱を起こさないためには、芽を摘んでおく必要がある」

「……」

 まだ言葉が出ないリッツに、エドワードは冷静に言った。

「どうせ俺が国王でいるのもここ数年だ。その後に俺の息子が後を次ぐことになるだろうよ。息子もそれなりにいい国王になるだろう」

 本気で言っているのだか冗談だかいまいち分からない口調でエドワードは話し続ける。その言葉にリッツは口を挟むことが出来ないでいた。

「だから俺は、俺が信じたものの結末のけりをつけたい。分かってくれないか?」

 遠く過去を回想しつつ呟くエドワードの顔を見て、ようやく彼が何にこだわっているのかが分かってきた。

 後悔だ。

 完全に決着をつけることが出来なかった過去の自分に対する後悔……それが彼を動かしていた。こう見えて責任感の強い男だ。

 過去に彼は戦乱の目を完全に摘むことをしなかった。人は変われる、それを信じてスチュワートに人を知るための幽閉生活を送らせた。

 だがそのせいで彼の兄は再びこのユリスラに戦乱を起こす可能性がある。多分王座を奪うのは無理だろうが、それ相応に被害が出るだろう。

 エドワードは、なんとかそれを避けたいと思っているのだ。

「……分かった。俺もなるべく早くここから出られるように努力はする」

 エドワードは頑固な男だ。この状況では、リッツが何をいっても彼を翻意させることは出来そうにない。

「悪いなリッツ、頼む」

「ああ……」

 リッツはため息をついた。もう止められない。どうなるのかは一か八かの賭だ。

「……ぜってーに死ぬなよ。死ぬのは俺が許さないからな!」

「俺は死なん。俺は誰だと思っているんだ?」

 じっとエドワードを見つめると、自信に満ちた目でリッツを見ていた。

 リッツはエドワードが、決して口にした約束を違えないことを知っている。だからエドワードを信じるしかないのは分かっていた。それでも不安や、何も出来ない苛立ちは募る。

 拳を握りしめて俯くと、エドワードの声が耳に届いた。

「頼むぞ、相棒」

 ハッと顔を上げると、エドワードが持っていたナイフを静かに取り出して、自らの指を小さく切ったところだった。

 じわりと滲んだ紅玉のように赤い血を床に垂らすと、そこから光の輪が広がっていくのが分かった。

「我はユリスラ王エドワード。我の名において命ずる、迷宮より我を解き放て」

 エドワードの体が光を放ち始めた。唖然として見つめていると、いつも通りの自信に満ちた笑みを浮かべたエドワードが、目の前で光の中に解けるように薄れて消えてしまう。

 後には静寂がだけが残された。

 我に返って周りを見渡しても、どこにもエドワードの姿がない。それに流していた血の跡すらもない。まるで最初からエドワードがここにいなかったように、綺麗にその痕跡までもが消えている。

 リッツは拳を再び握りしめた。

「馬鹿野郎……」

 内戦の時、エドワードはスチュワートだけを殺さずに生かした。その理由は当然のことながら温情だけではない。内戦を裏で操っていた人物が、闇の一族だったため、複雑な事態になってしまったのだ。

 これもひとえに革命戦争であり、それを率いたのが庶民の英雄であったことに由来する。

 庶民たちの公正たる革命の英雄たちが、操られただけの哀れな男を殺すわけにも行かなかったのだ。

 内戦後、遠く湖水地方にある、とある館の虜囚としてスチュワートは閉じ込められた。その館の主は、当然内戦時にエドワード側に着いた人物である。

 エドワードが幽閉したスチュワートに課したのは、人々の暮らしを知ること、王族ではない自分を見つめ直すことであった。そのため農業の繁忙期には、農民と共に仕事を手伝わさせた。 

 スチュワートには当時まだ子はなく、幽閉することでその血筋は絶えるはずだったし、それで総てが終わるはずだった。現にここ三十五年の間、王国は何事もなく平和であった。

 それなのに……何故、今になってこんな事になったのだ。一体どうしてこうなる? しかもリッツが帰ってきたせいで、エドワードは命を危険にさらす賭をしてしまった。

 これではまるでリッツ自身が疫病神のようだ。

 リッツは巨大な知恵の輪に向かって立ち、行き場のない感情を思い切りそれにぶつけた。玩具であるはずなのに、巨大な知恵の輪は壊れる気配がない。

 この苛立ちはきっと自分自身に向けられたものだ。もし帰ってこなければ、エドワードだってこんな危険な賭に出なかったのかも知れない。

 しばらく壁に向かって手を付いたままいると、ふと視線を感じて振り返る。

 そこには少し怯えたような顔をしてこちらを見つめるアンナがいて、一瞬にして我に返る。

 そうだった。エドワードが外で戦っているのならば、ここにいる被保護者の二人を脱出させる事が最優先課題だ。

 もしここを出られなければ、エドワードの命が危険にさらされ、年若い二人の人生もここで終わってしまう。

 まだアンナとフランツをここで廃人にしてしまうわけにはいかない。リッツは大きくため息を一つ吐くと、口元に笑みを浮かべてアンナを見た。

「悪い、驚かせて」

 すると黙ったままアンナが首を振った。そういえばアンナの前で感情を露わにしたことなど無かったから、すっかり怯えさせてしまったらしい。

 被保護者の前ではずっと保護者の顔をしていようと思ったのに、とんだ誤算だ。

 リッツは苦笑しつつ、頭を掻いた。恐る恐るといった感じに、アンナが声を掛けてくる。

「……エドさん、どうしたの?」

 アンナの視線はこの白い空間全体を彷徨っている。出口など一つもない場所からエドワードが消えたのだから、それは不思議だろう。だがなんといったらいいか分からずに、リッツはあっさりと答える。

「ん……帰った」

「帰った?」

 驚く二人に、リッツはエドワードの置かれた状況と、自分たちに課された課題を話した。聞き終わった頃にはさすがのアンナも言葉に詰まっていて、フランツは青ざめた顔で押し黙った。

「……じゃあ、私たちがもし出られなかったら、エドワードさん殺されちゃうの?」

「ああ、可能性は高いな」

「それだけ?」

 かなり青ざめたフランツが恐る恐る尋ねてきた。アンナも身を乗り出している。二人はものを知らぬなりに、何か深刻なものを感じ取ったようだ。

「勘がいいなフランツ。お前聞いたら後悔するかもしれないぜ」

 脅すような口調に笑みを浮かべてそう言うと、フランツが一歩引く。だけどフランツもアンナも、ここまできたら聞かずにはいられないらしい。

「……話してくれ」

 覚悟を決めたというようにそう告げたフランツに、しばし黙ってからリッツはため息混じりに小声で告げた。もう黙っていても仕方ないだろう。

「エドが死ねば内戦が起こる可能性がある」

「<」

 フランツが、がっくりと肩を落とし、よろけながらそこここに散らばっている玩具に座り込んだ。

 たぶんフランツは聞かなければよかったと心から後悔しているのだろう。でもアンナは今ひとつ納得がいかないと言った顔で、首を捻ってからリッツに詰め寄ってきた。

「何で王太子だった人がそんなに悪い事するの?」

「国王になれなかったからさ」

「そんなの変だよ! それで戦争なんて絶対変!」

「そうだな。変だ。だからエドは戦うつもりなんだよ、たった一人で」

「……うん」

「俺たちに出来るのは、なるべく早くエドのところに行って、そいつらと戦う事だ。そうしねえとエドが時間を稼いだ意味がない」

 そうだ。時間を稼いでいる間にこの迷宮を出なければ、迷宮を出られたとしてもそこにあるのはエドワードの死体ということになりかねない。

 そうなったことを考えると、恐怖でおかしくなりそうだから、考えないことにした。

 親友の死が怖くて三十五年も逃げ回っていたのに、その親友に足下で死なれたら立ち直れなくなる。

「国の命運がかかってる話になっちまって悪いとは思ってる。だが俺はエドを助けたい」

 そう言いきって二人をみると、二人は深刻な顔をしていた。でもアンナはリッツを見上げてその目を見つめ返してくる。

「私も、エドさんを助けたいよ!」

 例えどんな状況でも前向きなアンナに、少し救われる。普通はこの状況に怯えるだろうに、アンナはいつも前向きで真っ直ぐだ。

 リッツは手をアンナの頭に軽く乗せた。謝ったり感謝の言葉を口にする代わりに頭を撫でる。フランツを見ると、フランツは緊張した表情を崩してはいないが、それでも決意を固めてくれているようだ。

 二人の緊張を解すように、リッツは明るく笑う。

「ま、難しく考えないで馬鹿な仲間を助けるくらいに考えておいたら気が楽でいいさ」

 アンナは大きく深呼吸をして心を落ち着かせ、フランツは息をついてから頭を振った。やがてアンナは顔を上げてにっこりと笑った。

「リッツ、行こう!」

 アンナの言葉にリッツは頷いた。

「だな。とりあえずこの迷宮を出さえすればなんとかなるだろうからさ。……それにエドは簡単に死んじまう奴じゃない」

 緊張感を持って、三人は目を見交わした。自分も助け、エドワードも助ける。彼らの心は決まった。

「よ~し、じゃいくぜ」

 リッツの言葉に、アンナが頷いた。フランツも、硬い表情のまま頷く。

「アーティス、準備が出来たぞ。試練を与えてくれ!」

 リッツの呼びかけに今まで身動き一つしていなかったアーティスが動き出す。

「了解した。それではもう一つの世界を展開する」

 アーティスの言葉と共に、周り中にあった玩具が光を放ち始める。そのあまりの眩しさにリッツは掌で目を被った。アンナの呟きが耳に入る。

「眩しい……」

 目を閉じた足下が不安定にゆらゆらと水のように揺らめき、三人は堪えきれずに床へ転がる。

 やがて揺れが収まり、光が薄れた。恐る恐る目を開けると、そこに広がっていたのは先ほど白い世界の外側に見えたあの丘の光景だった。

 今度は風が吹き、緑の香りがしている。どうやら本物の世界のようだ。これがもう一つの世界であると言う理由が全く分からない。ただ単にラリアの館の外へ出てしまっただけではないのだろうか?

「……迷宮の中にいるんだよね?」

 確認するようにアンナが小声で呟く。確かにここが迷宮の中とは思えないほど、広い世界だ。

「……ああ、迷宮の中だ」

 答えながらもリッツは目の前に広がるこの光景を見上げていた。三人の頭上には青空が広がり、足下には草木が茂る野原がある。鳥のさえずりも風の薫りも全て現実のままだ。

 ここの何処が迷宮の中だというのだろうか。

 姿の見えなくなったアーティスの声だけが三人に語りかける。

「君たちが本当に人を救える人間ならば、この迷宮から出られるはずだ」

 気になることを口にして、アーティスは黙った。首をかしげるリッツに代わり、アンナがその言葉を繰り返しいる。

「人を救える人間? それって何かなぁ?」

「王として、もっとも必要な事かもしれないな」  リッツはそう呟くと、遙か先に見える街の姿を見据えた。しばらく人よりもいい目を凝らしていたリッツは、あることに気がついて目を見開いた。

「ここは……王都だ」

 目の前に広がる街の景色は、何処かの少し大きな街といった感じなのだが、大きな城の建つ丘に見覚えがあった。そしてその城もリッツが覚えている景色と同じである。

「王都?」

 アンナとフランツが目を見開いた。そういえば二人とも王都を見たことが一度もないのだ。

「随分昔の王都だぞ。俺が生まれるよりも相当前だろうし、もしかしたら千年近く前かもしれない」

 アンナとフランツが、驚いて目を見張った。

「何で分かったの?」 

 アンナに尋ねられたリッツは、苦笑しながら詳しく説明した。

「街の中心の城がほとんど今と変わっていないからさ。しかも新品だ。今の城は、あちこち老朽化して直している。こんなに綺麗なのは過去であると考えるしかないだろう。それに今の王都は、あの城を中心とした広大な街になってる。それがこんなに小さい街しかないと言うことは、王国初期ってことだ」

「そっかぁ……」

 ほぼ当てずっぽうなのだが、妙に感心されると何となくいたたまれない気分になってきた。おそらくそのぐらいの時代でいい気がするのだが、リッツはエドワードと違って勉強が嫌いだったから詳しいことなど分からない。

 これ以上突っ込まれる前に、先に進むのが一番だ。

「そんじゃま、行くかな」

 呟きながら、リッツは街へと歩き出した。その後をアンナとフランツが続いてる。ほんの十数分で三人は過去の王都へたどり着いてた。

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