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「うわ~、すごいねぇ!」
屋敷に入った瞬間に、アンナが大きな感激の声を上げた。リッツもついつい感嘆の声を漏らしていた。
「本当に立派なもんだな~」
遙か昔、エドワードと一緒にいた頃はこのぐらいの屋敷に驚くリッツではなかった。
だが傭兵となってからは、足を踏み入れることさえなかったような立派な館だ。それがこんな森の中にあるとは、このすさまじい状況には感心するしかない。
屋敷の中央には馬車で乗り付けることが出来る立派な大きい玄関があり、そこへと続く通路は、煉瓦で綺麗に舗装されている。
白亜の漆喰で固められた二階建ての洋館は、中心を境に左右対称になっており、左右の屋根には塔のような見張り台が付いている。窓はほとんどが大きく、上部はアーチ型に作られこの屋敷の外見に磨きをかけているようだ。
この建物の前に立ったとき、こんなところにあるのが場違いなほど、美しいたたずまいに、全員が息を飲んだ。
もちろん美しさに感動してというのもあるだろうが、その一番の理由は廃墟にあるにしては綺麗すぎるこの建物の異様さに戦慄したからだ。
リッツとて例外ではない。
一行がまず通されたのは広い玄関ホールだった。そこには巨大な美しいクリスタルのシャンデリアが、輝きながら下がり、彼らの目を楽しませてくれた。そのシャンデリアのかかる天井には、精霊たちの壁画が見事な色合いで描かれている。
その美しさだけでも、まさに嘆息ものであった。
正面には、左右になだらかに円を書くような曲線を描く階段があり二階に上れるようになっている。その階段も決して狭くはなく、緩やかにゆったりと作られている。
そしてそのそれぞれの上り口には、騎士のブロンズ像が大きな存在感を持って控え、訪問者を見つめていた。
感心するアンナと、警戒するフランツの横を悠々と抜けたエドワードが天井の見事な絵画を黙って見上げている。
何故だかエドワードは、この状況に驚いてはいないようだ。
玄関ホール正面の壁には、大きな両開きの扉があり、細かな彫刻による文様が刻み込まれている。そこはきっと晩餐などが行われるホールになっているのだろうと、簡単に推測することが出来た。
玄関ホールから左右へ延びる通路は、多分台所、使用人部屋、支度部屋などになっているのだろう。
成金にありがちなゴテゴテしたイメージはまるでなく、見た感じ貴族の隠れ館のようだ。すっきりと作られた空間に圧迫感はなく、むしろ広々とした開放感を感じる。
絨毯の赤さは少々目に鮮やかすぎるが、その分そこに描かれている模様が落ち着きを与えていた。
「中までみれて嬉しいね、フランツ!」
はしゃぐアンナをほとんど無視して、フランツは警戒するように屋敷を見渡している。どうも先ほどの脅しが効き過ぎたようで、必要以上に緊張しているようだ。
そんなフランツにお構いなしに、あちこちを見ていたアンナが、不意に黙り大きなため息を吐いた。
「どうした?」
「可哀相だよねぇ、ケニーさんとか、馭者のおじさん。何だか申し訳ないよね、自分たちだけ」
アンナの沈んだような口調に、エドワードが振り返り、優しく微笑み返す。
「どうして可哀相なんだい、アンナ」
しんみりとした顔つきのまま、アンナはエドワードを見上げた。
「だってエドさん、みんな中に入れないんですよ?可哀相だなぁ……」
「優しいねぇアンナは」
微笑みを浮かべたエドワードに、アンナはなおも申し訳なさそうに首を傾げた。
「優しいかなぁ……。どっちかといえば悪いかも」
隣に立って気遣いのため息を付くアンナの頭を、気にするなという気持ちを込めて、ぐりぐりと撫でる。
「しょうがないさ、俺たちだけしか暇なのいないんだから」
全員でこの屋敷へとぞろぞろ赴いてきたのだが、結局この屋敷の内部まで招待を受けることになったのは、リッツたち一行とエドワードだけであった。
屋敷に着いた時、一歩下がったままのケニーは彼らにこう告げたのである。
「我々はここで失礼します」
ケニーは堅苦しくエドワードに敬礼をした。
「え~、ケニーさんどうして?」
驚いて尋ねるアンナに、ケニーは困ったように笑って答えた。
「我々査察官まで屋敷に入ってしまったら、誰が絵画を守ってくれるんだい?」
「あ!」
「我々の仕事は、この荷物を王都へ無事送り届けることだ。だから離れるわけにはいかないんだよ」
「そうかぁ……」
残念がるアンナから、エドワードとリッツの方を向いてケニーが説明をする。
「あの離れをお借りしようと思っています」
ケニーが指さしたのは、屋敷の右側にある大きな離れ兼物置小屋だった。ケニーは既に執事と話をつけ、離れを借りそこへ泊まることとなっていた。
ケニーの仕事はとにかく正確で早い。荷の絵画は離れの前に荷台ごと置かれ、査察官が二人一組で夜中見張るという。
そして馭者たちは、これからの道のりを考えて、ここで徹底的に馬を休め、手入れをしたいと申し出た。
そもそも馭者たちは、館に招待されるような身分ではないと、最初から身を引いていたのである。そんな彼らには執事により屋敷の左側は厩と馭者のための宿泊所が手配されたのだ。
しばらく玄関ホールで待たされた後、奥の扉がゆっくりと開き、長く垂らしたスカートの裾を静かに捌きながら女が出てきた。
優雅で、しなやかなその動きには、気品と同時に、妖しげで蠱惑的な雰囲気が感じられる。背が高く燃えるような赤のドレスを纏うその姿は、さながら女王のようだ。
年の程は二十代ぐらいであろうか? 目の色は全ての光を吸い込むような漆黒に輝き、緩やかにうねる長い髪も漆黒、そして唇はドレスと同じく真っ赤に彩られている。
女は美しかった。だがその美しさは健康的なものではない。どちらかというと不健全な感じである。
「美人だけど、趣味じゃねぇな……」
こちらへ歩み寄ろうとするこの女主人をしばし眺め、隣に立つエドワードに小声でささやいた。
「同感だ」
同じように小声で短くエドワードも答える。
「ご主人様、お客人をお連れいたしました」
「ありがとう執事。下がっていいわ」
彼らの前までやって来た女は、かしずく執事に一瞥もせず、彼ら四人を見つめて、スカートを小さくつまみ上げて、ゆるりとお辞儀をした。
「皆様ようこそいらっしゃいました。私が当館の主人ラリア・エカルラートでございます」
「招待ありがとう。私はエドワード・バルディアだ」
エドワードは皮肉な笑みを浮かべながら、女……ラリアに本名を名乗った。
「……まあ、勇気がおありでいらっしゃるのね」
二人のやりとりにリッツは眉を顰めた。予想通りだ。このラリア・エカルラートという女、エドワードの正体を知っている……。
「お連れ様を紹介していただけませんこと?」
真っ赤な唇に浮かべた妖艶な笑みを絶やさず、ラリアはエドワードに微笑みかける。その微笑みは冷たく、そのくせ見るものを引きつける。
ふとフランツに目を遣ると、フランツはじっとラリアを凝視しているのが分かった。だが何故か目を離すことが出来ないのは、リッツとエドワードも同じだ。
燃えさかる氷の微笑み。知らず知らずのうちに頭の中でそう呟いていた。
「これは私の友リッツ、その連れのフランツにアンナ。我々四人がこの屋敷の招待をお受けする」
「どうぞくつろいでいってくださいませ」
そんなラリアに平気な顔でいつも通りに歩み寄った人物がいた。アンナだ。アンナはラリアの手を取って、ブンブンと振り回す。
「ありがとうございます! 綺麗なお家ですね~。私こんなに綺麗なお家見たの初めてです」
「あ、ありがとう……」
意表をついたアンナの行動に、ラリアは戸惑ったように言葉に詰まった。それに対してアンナは奇妙な雰囲気に飲まれるでもなく、ただただ平然とした顔でラリアを見ている。
何故だかアンナには、この女の奇妙な色香が感じられないらしい。同性であるが故だろうか。
「元気なお嬢ちゃんですこと」
自分の姿が何の感慨も与えない相手に少々驚いたのか、ラリアは慌てたように言葉を繕った。
「執事がお部屋にご案内いたしますわ」
そういうと、女は先ほど下がったばかりの執事を呼んだ。面倒がるでもなく無表情で先ほどの男が現れる。この執事。存在自体がまるで影のようだ。
「ひと休みなさったら、お食事をなさってください。こちらの部屋に晩餐のお支度が出来ております。お好きに召し上がってくださって構いませんわ」
ラリアの説明が一区切り付いたところで、エドワードはラリアの瞳を見つめて、試すように尋ねた。
「あなたはどうされるのですかな?」
暗に隠された『その間にあなたは我々を捕らえる準備でも始めるんですかね?』という皮肉に気が付かなかったかのような顔で、ラリアは平然と笑みを浮かべて答えた。
「申し訳在りませんが、私はご一緒いたしません。人付き合いが好きではありませんし、好意であなた方をお泊めするだけですから、もてなす義理もありませんでしょう?」
「もっともですな」
「色々雑事もございますし」
ラリアはそれだけいうと執事に、彼らを二階へと案内するように申しつけた。
「それでは失礼いたします」
あっさりとラリアは現れたときと同じように優雅にスカートの裾を翻しながら、部屋の奥へと消えた。
途端に妙な呪縛が解けたように、空間が色を失ったような気がして、リッツは小さく肩をすくめた。
「それではご案内いたします。こちらへ……」
執事はゆっくり一礼すると、緩やかなカーブを描く階段を一歩一歩昇り始めた。四人も顔を見合わせてから後に続く。ここは従うしかないのだ。
案内されたのは、二階にある二つの部屋だった。かなり大きな部屋で、あらかじめ彼らのために用意されていたということを、ありありと感じることが出来た。
片方の部屋を使い、中の説明をした執事が出ていってから、四人は大きなため息を吐いて手近にあったものに座り込んだ。
「……疲れた」
ベットに座り込んだフランツが、呟く。
「私も疲れたよ~お腹も空いたし」
フランツの隣に腰をおろしていたアンナもそう呟くと、リッツとエドワードを眺めた。その目が『いつご飯に行くの』と語りかけているが、しばし無視させて貰う。
その無視に気が付いたのか、アンナは少し口を尖らせると、サラで遊び始めた。勿論自分の名前を覚えさせる遊びである。よくもまあ飽きないものだ。
フランツも呆れたようにアンナを見ている。
部屋の中央にあるソファーとテーブルのセットの片方に腰掛けたリッツは、もう片方に座るエドワードを見つめた。それからアンナとフランツには聞こえないように小声で、エドワードに話しかけた。
「エド、お前全部分かっているな?」
「全部じゃない、大体、ってところだ」
分かっていても疲れるようで、エドワードはソファーに沈み込んでいる。やはり彼がファルディナにリッツを迎えに来た時から、何かが始まっている。
アンナとフランツがいるこの場では、あえて続きを聞かなかった。エドワードが話し辛い事など承知していたからだ。
「あのさ……」
サラと遊んでいたと思っていたアンナが、急に思いついたような顔で目を上げ、三人を順繰りに見ながら尋ねた。
「あの女の人って、派手だよねぇ」
一瞬何の事やら分からなくて、押し黙ってしまった。意味が通じなかったと分かったのか、アンナは身振り手振りを交えながら必死で話をする。
「あのね、あんなに背が高くて美人なんだから、もう少し服もお化粧も地味でいいよね」
「……は?」
問い返すと、アンナは難しそうな顔を作って唇を尖らせた。
「う~んとね、何か変だったの。何って言ったらいいのか分かんないけど、とにかく何だか変な気がするの、あの人に合ってないって言うのかなぁ。う~ん何かそんな言葉じゃないんだけど……うう~ん。鏡を向かい合わせにしたみたいに印象がぶれてるって言うか……」
どうもアンナは、男たちとは違うところを見ていたようだ。雰囲気に飲まれないでそんなところを見ているなんて、流石は腐っても女の子。
だが次の一言で、全員の力が抜けてそれぞれ天を仰いで座っていたものに沈み込んでしまった。
「それにあんな格好してたら動き辛いよね?」
……やはりアンナ。何だかちょっとずれている。
「どうしたの? 何か変なこと言った?」
何でみんな力が抜けたのかさっぱり分からないアンナは一人首を傾げた。どうもアンナはすっきりしないらしいが、アンナの感じた違和感は、こちらに巧く伝わってこない。
「う~ん、もどかしいってこういう事だよね~」
一生懸命言葉をひねり出そうとしたのだが上手くいかなかったらしく、アンナは今までの発言がなかったかのように元気に提案した。
「ご飯食べに行こうよ。お腹すいたよ」
確かにこのままじっとしてても埒が明かない。
「武器は持っていった方がいいですか?」
緊張したままのフランツがそういうとエドワードは小さく笑った。
「必要ない。食事中は何も起こらないし、食事は安全だ」
「でも……」
「大丈夫だ。保証してもいい」
理由は言わないが、エドワードの発言には、根拠があるのだろう。彼は仲間の命がかかっている場合、決して憶測でものを言わない男であることを、リッツはよく分かっている。
四人は早々に食事を頂くため部屋を後にし、一階の玄関ホールへと戻った。そこからラリアが先ほど示した大きな扉を開く。
「うわ~、すっご~い!」
食堂……といっていいのか分からないほど豪華な部屋での晩餐は、四人の目と舌を楽しませるのに十分なものであった。
テーブルの上ある燭台には何本もの蝋燭が飾られて、食事のムードを盛り上げているが、空腹を満たそうとするアンナにムードは関係なかったし、フランツに至っては邪魔なだけだったようだ。
その燭台の隣には、場違いなランプがポツリと置かれているが、それはいうまでもない、サラである。
アンナが一人にしておくのは可哀相だ、という理由から連れてきたのだ。それに対して誰も異を唱えなかった。
それぞれの席には、スープ皿、沢山のナイフとフォーク、花のように折られたナプキン、二つのワイングラスが置かれている。
「リッツ、どれ使ったらいいの?」
沢山のナイフに戸惑ってアンナがそう尋ねてきた。そんなこと言われても、正式なマナーなんて、ここ数十年使ったことはない。リッツに聞くだけ無駄と言うものだ。
「いいんだよ、好きなの使え」
適当にそういうと、アンナは真剣に尋ねてきた。
「それでいいの?」
「美味しく食べられれば何でもいいんだ、んなもん」
「そっかぁ!」
あんまりといえばあんまりなやりとりを聞いていたのか、エドワードがため息混じりにアンナに声をかけた。
「出てきた料理の順に外側から使うのが基本だ。使い辛ければ好きなように使ってもいい」
「じゃあこれは何ですか?」
折られたナプキンを持ち上げてアンナは尋ねた。
「帽子……じゃなさそうだし……」
これには思わず吹き出した。そんなリッツを横目で睨んで、フランツがため息を吐きつつ、アンナに説明する。
「それは広げて膝に置くんだよ」
「どうして?」
「服にこぼして汚したら困るだろ?」
「でも私、子供じゃないからこぼさないよ?」
「それがマナーなんだ」
呆れつつもフランツは律儀に説明している。さすがは元々金持ちの息子。しっかりとテーブルマナーは身についているらしい。
それに対してアンナの、一から十まで世話の焼ける事だ。笑いを堪えていると、召使いたちが入ってきて、この夜の晩餐が始まった。
食前酒のワインから始まり、暖かいパンプキンポタージュ、カルパッチョ風生ハムサラダ、サーモンのパイ包み香草バター風味、メインの鴨肉のソテーオレンジソース掛けなどなど。
お好きにどうぞとばかりに盛られた果物に、高級なアルコール類の数々。飲み水には、炭酸入りのものが置かれるなど、とにかくものすごい豪華なものだったのだ。
その豪華な食事の席にあの派手な女性と影のような執事が付いていない。主のいない豪華は晩餐はいささか奇妙でもあるが、落ち着いて四人で食べられるのは、本当に助かる。
彼らがいたら、その思惑が気になって仕方ない。
いちいち料理の名前と、何で作られているのかを質問するアンナに、丁寧に答えていたのは勿論、一番高価な食事に慣れているエドワードだった。
アンナは料理の内容を聞くと、感動したように目を輝かせて一口一口を嬉しそうに味わっている。
教会育ちの彼女の人生の中で、これほどの料理をいっぺんに出されることなどなかっただろうから、これが嬉しくないわけがない。
リッツも感心することしきりだったが、時折見ていると、フランツだけはいまいち食が進まないようだった。彼はおそらくこの高価な料理の真意が何処にあるかを思い悩んでいるのだろう。
いくらエドワードに、安全な食事だと断言されていても、いつどんな形で騒動が起こるのかと思うと、気が気ではないようだ。
やれやれだ。敵が襲ってくるかもしれないと教えておくのは、こっちよりも多少性格の図太いアンナの方だったかもしれない。
だがアンナもアンナで、それを教えておいたら、ラリアに向かって堂々と『あなたが悪い人なんですか?』と聞きそうで怖い。
食事を終えた四人は、最後に出されたコーヒーを飲みながら自然とこの館の奇妙な女主人の話を始めていた。
「廃村に女が一人ってのは、決定的に変だよな」
リッツの言葉に全員が頷く。しかもあの派手ないでたち。こんなところにいるような女ではないだろう。
「そうだな。私たちが来る前に食材をこれだけ揃えておけたというのはおかしいしな。まるでこれでは我々がここに立ち寄ることを知っていたようだ」
冷静にいって口元にコーヒーを運ぶエドワードに、リッツはため息を付く。分かっているなら、早く何とかしろといいたいが、そういっても誤魔化されるのが落ちだ。
だがエドワードの言葉に苛立ったのは、リッツだけではなかった。フランツがコーヒーを感情的に受け皿へと音を立てて置いたのだ。それと同時に声を荒げる。
「エドワードさん、何か知っているんですね? リッツも知っているんだろ?」
「……」
エドワードは沈黙し、リッツは頭を掻いた。リッツには話せるほどの情報がないのだから、そんなこと言われても困るのだ。
だが言い出すと弾みがついてしまうフランツのこと、ここで黙り込むようなことはなかった。
「知らないうちに、周りからすこしずつ締め付けられていくような感じは嫌なんだ」
腹立ちをあらわに拳でテーブルを叩き、フランツが平然とするエドワードと、向かいに座っているリッツを睨みつけた。
「何? エドさんとリッツ何か知ってるの?」
フランツの剣幕に、アンナは驚いたように目を瞠った。彼女は今の今までこの一連の事件に関係があるとは思っていなかったようだ。
「フランツ、俺も知らない」
リッツはそれだけいうと、コーヒーを飲み干した。
「だけどな、お前が今から苛々してても仕方ねぇんだよ。こいつにはこいつの事情があるんだろ」
「だけど!」
「こいつは……国王なんだから」
フランツが押し黙った。言いながらもリッツはその言葉を自分自身にも向けたことを、理解している。
今はこうして気軽に過ごしているが、彼はこの国の国王なのである。彼らの知らない事情があるだろうし、彼らに知られてはいけない事だってある。
「……」
黙りこくってしまったフランツに声をかけたのは、他ならぬエドワードだった。
「フランツ、それからアンナ」
エドワードの顔を見上げる二人に、エドワードは少し悲しげに、だがきっぱりといいきった。
「私は君たちに隠し事をしているかもしれない。だがそれは君たちを軽んじているわけでも、信頼していないわけでもない。君たちがリッツの仲間だから、私は無条件に信用しているんだ」
「おいおい」
それではリッツが人を見る目に欠けていたら大変なことにならないだろうか。だがエドワードは至極真面目に二人に向き合っているから、あまり言葉を挟めない。
「だが、全てを話せるのはこの件が片づいた後になるだろう」
よく分からない顔で困惑するアンナと、顔を背けてしまったフランツに、エドワードはなお話し続けた。
それは少々自嘲気味の口調になった。
「仮にも私はこの国を預かる身だ。だからこそ色々不都合なことが起こることもある。それを君たちに話してしまえないのは、仕方ないことだ……だが」
エドワードは言葉をいったん切ると、改めて二人を見つめた。その瞳には威厳と、信頼に値する何かが宿っている。
懐かしさに思わず目を細めて、誰にも気付かれないように横を向いた。エドワードは昔と全く変わっていない。
「私は必ず君たちに話すことを約束しよう。ただ時間がかかってしまうのを許して欲しい」
フランツは黙って頷いた。それを信じるより他はないと理解したのだろうか。
彼が憤ってみてもどうにもならないことはこの世の中に溢れている。いささか落ち着きを取り戻したようにフランツは大きく深呼吸した。
「済みませんでした」
エドワードは笑って頷いた。フランツの視線がこちらに向けられたから、任せろという意味を込めて小さく頷いて見せた。
実際のところ、リッツだってこのままわけも分からず事件に巻き込まれてやるつもりはない。いくら国王であっても、エドワードは自分にくらい事情を話すだろう。
そうなったら頃合いを見て、二人に話してやればいいのだ。
「フランツ、もう寝ようぜ。今日は色々ありすぎてみんな気が張ってるんだ。休めば気が楽になって、色々考えたり、エドをもう一捻りして白状させることも出来るさ」
リッツは出来るだけフランツが気を張らないようにのんびりと、欠伸をしつつ立ち上がった。
その動きが合図となったように、全員が椅子から立ち上がった。
「そうだよね。だって明日の朝にはこの屋敷を出るんだもんね。きっと大丈夫だよ」
フランツはアンナの言葉に頷いている。いくらこの家が嫌だと嘆いても、どうせ明日には出ていってしまうのだ。
「ところで、部屋割りだが……アンナはフランツと一緒でいいな?」
突然の質問に、アンナは首を傾げた。
「私はいいよ」
だがフランツは対照的に顔をしかめた。朝元気なアンナの目覚まし攻撃を食らうのはごめんなのだろう。
それはリッツもよく分かっている。リッツだって食らいたくはない。
「いいよな、な、フランツ」
だがここは我慢して貰うほかない。強引な言葉の真意を掴みかねて、フランツは困惑したような顔でこちらを見上げている。
そんなフランツを納得させるために、正面にまわって、肩にがしっと両手を載せ、小声でささやいた。
「俺がエドから聞けるだけ事情を聞き出してみるさ。それに……アンナに二度助けられたから、借りを返したいんだろ?」
「……?」
益々分からなくなるフランツに、リッツは真剣な顔でいった。
「いいか、荷物と武器は手に取れるところに置いとけよ」
「……<」
「何もないかもしれないが、油断は禁物だ。寝起きのいいアンナと一緒なら何かあってもすぐ起きられるだろうし、お前には炎がある。少しくらい時間を稼げるだろ?」
「分かった」
「よし!」
ようやく納得した様子のフランツに、リッツにニヤリと笑いかけた。
「アンナ、いいか、何かあったらフランツをたたき起こすんだぞ。お前ならフランツを一発で起こせる自信があるだろ?」
「うん!」
「そんな自信をつけて欲しくない」
フランツの言葉は心の底から出た言葉だろうが、今回ばかりは仕方ない。
「そいじゃ、寝るか」
リッツはテーブルの上からバーボンをひょいっと一本くすねる。
「あ~、リッツいいの?」
アンナが非難……というよりどこか羨ましげにそういってリッツを見た。思い切り余裕の表情でアンナを見返す。
「いいか、出されたもんは貰ってもいいもんなの。アンナも好きな果物持っていっていいんだぞ」
「え? ホント?」
「勿論だ」
目を輝かせながら、アンナはたんまりと残された果物を見つめた。この顔は、全部持っていくつもりだ。それもありだろう。この屋敷に人はあまりいないのだから、残しておくのも勿体ない。
「アンナ……程々にした方がいい」
フランツの忠告は虚しく聞き届けられないままに流れてしまった。
「フランツ、サラちゃん預かって! そうしないと沢山持てないよ」
ランプをフランツに渡した後、うきうきと両手いっぱいに果物を抱え始めたアンナに、フランツはただただため息を吐いている。
そんな二人を残して、リッツとエドワードの年長二人は食堂を後にした。




